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東京メトロ【霞が関駅】「C4」出口もしくは都営地下鉄三田線【内幸町駅】「A7」出口が最寄りになると思います。 いずれにしても地上に出て、大通り(国会通り)を渡らなければいけません。 以前は【都立日比谷図書館】でしたが、2009(平成21)年に東京都から千代田区へ移管され、2011(平成23)年に【千代田区立図書文化館】として開館しました。 現在の建物は、【有明コロシアム】を設計したことでも知られる高橋武士で、1957(昭和32)年の落成です。 すでに70年! 大切に使わなけれないけないですね。
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味の素スタジアムは、球技場や陸上競技場として使用される多目的スポーツ施設です。スタジアム内にはオーロラビジョンが設置され、座席数は約50,000席となっています。座席の上は屋根で覆われているため、一部の席を除き雨に濡れることがないのも特徴です。FC東京のホームスタジアムとなっており、Jリーグの公式戦やスポーツイベントに使用されています。そのほか、野外コンサートやフリーマーケット等が開催されることもあり、年間を通じて多くの人が訪れる施設です。
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自然石の護岸、清らかなせせらぎ、滝あり水車あり岩組ありで、誰もが水と戯れ親しめる造りになっています。日本の都市公園100選にも選ばれています。
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伝統芸能の保存・振興を目的として建てられたわが国唯一のもの。
明治6年に開場した喜昇座がはじまり。その後久松座、千歳座と名を改め、明治26年、明治座に改称した。戦後は歌舞伎や新派をはじめ映画、テレビの人気スターの公演などバラエティ豊かな興行を行ってきた。平成5年現在の場所に、新・明治座がオープンした。くわしくはホームページをご覧ください。
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11月からやっている東京メガイルミに行ってきました。そこそこ広くて、凝ったイルミネーションでした。あしかがフラワーパークのイルミネーションに似ていると思いました。特に今年はうま年なのでそれを強調しているように感じました。 大井競馬場駅から近いのですが、よみうりランドのように遊園地の一角にあるわけでもなく、周辺に他に何があるというわけでもないので、これだけを目的に訪れるにはちょっと不便な場所かと思います。
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羽田空港に離着陸する飛行機を間近で見られる公園。キャンプ場、ドッグラン、人口砂浜、スケボー広場などがある。
東京湾に面した大田区の公園です。バーベキューやオートキャンプもできる広々した公園ですが、ここの売りは何と言っても羽田空港直近で間近で大迫力の航空機を見られることです。 羽田空港の事故でC滑走路が閉鎖になり、200機以上が欠航になっていましたが、それでもほぼ切れ目なくやってくる航空機は、手が届くのではないかと思うぐらい間近に迫ってきて、ずっと飽きずに見ていられました。
昭和61年4月に竣工した“未来対応型”のオフィス・文化施設ゾーン。面積約5万6,000平方メートルの広大な敷地に、地上37階・地下4階のオフィスビル棟をはじめ、地上37階・地下3階のANAインターコンチネンタルホテルや地上25階および22階のマンション棟が林立し、まさに未来都市の威容を誇る。特にオフィス棟は24時間勤務可能な空調設備など、最新の技術が生かされている。一方、中庭に面してテレビ朝日のスタジオ棟とサントリーホールが立つ。
最初の橋は、五代将軍徳川綱吉の50歳を祝して元禄11年(1698)に架けられたといわれています。その後、洪水による流出や焼失などで何度となく架け替えが行われ、現在の橋は関東大震災での被災後、震災復興事業の一環として、大正15年(1926)に架けられた。平成19年(2007)国の重要文化財に指定されました。
江東区佐賀にある「永代橋碑」についての情報を発信していきます。「永代橋碑」へのアクセスは、 東京メトロ東西線・都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」3番出口を出て右方向に道なりに700mほど直進します。「福島橋」を渡り、その先には「永代橋」があります。「永代橋」の手前に「地域安全センター」があり、「隅田川」に降りる階段があります。階段を降り隅田川沿いに上流の方向に150mほど歩くと右手に「永代橋碑」があります。 「永代橋」の歴史を紐解いてみると、「永代橋」はもともと、江戸幕府5代将軍「徳川綱吉」の50歳を祝し、元禄11年(1698年)に深川、永代島方面へと渡る「深川の渡し」に架けられたのが、初代の「永代橋」です。関東郡代の「伊奈忠順」が工事を担当し、「上野寛永寺」の「根本中堂」の造営した際の余材を使っています。「永代橋」の名前の由来は、徳川の世が末永く続く」ようにと、実際には「永代寺・富岡八幡宮の鎮座する永代島に渡る橋」という説があるそうです。「隅田川」にかかる「永代橋」は、元禄11年(1698年)に開通し、江戸随一の長さを誇り、富士山をはじめ眺望がよく、錦絵にも描かれる優美な橋でした。そして、現在では、「清洲橋」とともに「隅田川」を代表する美橋として有名な「永代橋」は、大正12年(1923年)の関東大震災後の「帝都復興事業」として、大正15年(1926年)に完成しました。「全長」は185mの「タイド・アーチ橋」で、ドイツのライン川に架かっていた「ルーデンドルフ橋」をモデルに、「隅田川」の入口に「帝都の門」にふさわしい男性的なデザインとして存在感を誇ってきました。ちなみの、上流に位置する「清洲橋」は、優美な下降曲線を描く女性的なイメージで造られたそうです。竣工当時は佃橋方面まで見渡せる眺望が評判でしたが、現在は佃島の高層ビル群がバックにそびえ、夜ともなると夜景が「摩天楼のよう」と話題になっています。日没から21:00まではライトアップされ、また新たな鋼材を使うことで、100.6mという最大スパンを実現した「鋼アーチ橋」として、平成12年(2000年)に土木学会の「第1回土木学会選奨土木遺産」に選定されました。平成19年(2007年)には、「勝鬨橋」、「清洲橋」とともに国の「重要文化財」に指定されています。しかし、「永代橋」には悲しい過去もあります。それは、江戸時代まで遡ります。11年ぶりに催された文化4年(1807年)8月19日の「深川富岡八幡宮」の大祭で多数の死傷者がでたことです。将軍の世子たちの乗った御座船が「永代橋」の下を通過する間の通行止めが解除され、一斉に群衆が橋を渡ったとき、橋の中央付近が崩れ落ちました。多くの人が転落し、一説によると溺死者は480人という江戸始まって以来の大惨事となりました。今のライトアップされた美しい光景から想像することができませんが、そのような悲しい過去もあったのも事実です。そう思って「永代橋」を眺めると違った「永代橋」が見えてきます。 01_【一口メモ】 所在地 〒135-0031 東京都江東区佐賀1丁目1 02_【アクセス】 東京メトロ東西線・都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」3番出口から徒歩12分950m
組物、彫刻を用いない建築で質実剛建な感じを与える。
「赤坂氷川神社」は、港区赤坂にある「氷川神社」で、大都会の赤坂にありながら、江戸時代の面影を残しています。例えば、江戸の年号が刻まれた石碑、灯籠、7対の狛犬と歴史を感じさせる遺産など、江戸時代の歴史が感じられる境内が残っています。 「赤坂氷川神社」の歴史と概要を紐解いてみると、「赤坂氷川神社」の創建年代は不詳ですが、天暦5年(951年)に東国を遊行していた「蓮林僧正」が、現在の赤坂4丁目付近の「一ツ木村」で一夜を明かすと夢の中で御祭神のお告げがあり、この地に「氷川明神」の「社殿」を建てお祀りをしたことにはじまります。また、100年後の治暦2年(1066年)の夏の、関東一円を襲った大旱魃があり、苦しむ村人たちが「氷川明神」に雨乞いの祈願をするとたちまち雨が降りはじめたという話も残っています。そして、江戸時代には第8代将軍「徳川吉宗」から篤い崇敬を受け、以後は徳川将軍家より庇護されました。「徳川吉宗」の命によって造営された社殿が現存しています。歴史を振り返ってみれば、現在までに「安政の大地震」、「関東大震災」、「東京大空襲」などがあったにもかかわらず、それらの被災を免れているのは奇跡的とも言えるのではないでしょうか。「氷川」の名称の由来は、出雲国「簸川」(現在の島根県斐伊川)にあるとされ、「簸川」の上流は御祭神「素盞嗚尊」の「八岐大蛇退治」の舞台と伝えられています。 《「赤坂氷川神社」のお薦め参拝巡路》 ①「力石」⇒②「大銀杏」⇒③「包丁塚」⇒④「九神社」⇒⑤「山口稲荷」⇒⑥「桶新稲荷」⇒ ⑦4基の「石灯籠」⇒⑧「社殿」⇒⑨「縁結ひ」⇒⑩「山車展示場」⇒⑪「四合稲荷」⇒⑫「西行稲荷」⇒ ⑬「太鼓橋」⇒⑭「苗村翁頌徳碑」 それでは、早速「赤坂氷川神社」の境内に足を踏み入れます。「赤坂氷川神社」には、南側と東側に二つの「一の鳥居」があります。江戸時代には、東側の「一の鳥居」から入るのが正式なルートであったそうですが、現在では、南側の「一の鳥居」から入るのが一般的というらしいです。赤坂方面から来ると東側の「一の鳥居」が近く、六本木方面からは南側の「一の鳥居」が最寄りとなります。私は、都営大江戸線「六本木駅」を利用したので、南側の「一の鳥居」をくぐりました。 《「力石」》 「一の鳥居」をくぐると右手に「港区立氷川神社遊び場」があり、左手に「力石」があります。江戸時代から明治時代まで鍛錬や娯楽として「力石」を用いた力試しが盛んに行われたといわれています。境内の土中から発見された力石には「三拾五貫目」(約130kg)と刻まれていました。「力石」は、平成7年(1995年)3月27日に港区登録有形民俗文化財に指定されました。 《「大銀杏」と「包丁塚」》 「一の鳥居」の参道を進むと、右手の緑地に「大銀杏」と「包丁塚」があります。「赤坂氷川神社」の「大銀杏」は推定樹齢400年で、幹の周囲は約7.5mにもなります。「社殿」が現在の地に建立された享保15年(1730年)には、すでに100年を超える樹齢をであったと考えられています。そして、裏から見るとかなりダメージを負っていますが、これは昭和20年(1945年)の東京大空襲によるものです。平成6年(1994年)に港区天然記念物に指定されました。 「包丁塚」とは、料理人の使い古した包丁を納め、その恩恵に感謝するとともに、調理した動物や魚の霊を慰めるものです。境内の「包丁塚」は、赤坂青山料飲組合が使わなくなった包丁を奉納したもので、昭和49年(1974年)11月に赤坂青山料飲組合によって建立されました。傍らの左側には、「包丁塚30周年記念」の碑も建てられています。 《「九神社」》 「一の鳥居」の参道に戻り、少し進むと左手に「九神社」があります。「九神社」は、かつて境内の各所に鎮座していた「天祖神社」、「春日神社」、「鹿島神社」、「八幡神社」、「諏訪神社」、「秋葉神社」、「厳島神社」、「金刀比羅神社」、「塞神社」の9社を合祀した神社です。それぞれの神社への遥拝所として役割がありました。戦前は仲ノ町小学校(現在の赤坂小学校)に鎮座していましたが、戦後に「赤坂氷川神社」の境内に遷座されました。 《「山口稲荷」と「桶新稲荷」》 「三の鳥居」の手前の道を左方向進むと「社殿」の左側に、「山口稲荷」と「桶新稲荷」があります。 「山口稲荷」は、終戦後、赤坂3丁目にあった山口邸から遷された神社です。鳥居には享保3年(1718年)銘があり、向かって右側の水盤には文化10年(1813年)、左側の水盤には嘉永4年(1851年)、狛犬の台座には文政8年(1825年)の文字が刻まれていています。 「桶新稲荷」は「社殿」の左手の「山口稲荷」の先にあります。「稲荷社」の主祭神である「宇迦之御魂」は稲の神で、古来は農業神として信仰をされてきました。時代が下り産業が発展すると、「稲荷神」の神格は諸産業の守護神として拡大しました。江戸時代、江戸市中では稲荷神の勧請が盛んに行われたようです。赤坂5丁目の「桶屋」の稲荷もそのうちの一社で、戦後「赤坂氷川神社」に遷されたと伝えられています。 《4基の「石灯籠」》 「三の鳥居」まで戻り、さらに先に進むと「手水舎」があり、「楼門」の両側には、平成7年(1995年)3月27日に港区の登録有形文化財に指定された4基の「石灯籠」があります。「楼門」前に安置されている灯籠は、遷座を担当していた老中「水野忠之」が「社殿」の完成を記念して奉納したものです。 《社殿》 「社殿」は、享保15年(1730年)に八代将軍「徳川吉宗」の命より建立されました。この「社殿」は、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」の三つの建物が一体となった、いわゆる権現造りの形式です。当時は幕府による倹約政策が進められていたため、「社殿」には質実かつ簡素な気風が表れています。通常は将軍の寄進するような社寺であれば、軒下の組物を何重にも重ねたり、彫刻や彩色などで飾り立てたりするのですが、この「社殿」の組物は簡素で、彫刻も目立ちません。ただ、将軍の寄進だけあって、大きな「雲形組物」や「吹寄せ垂木」など重厚な意匠を取り入れる工夫もなされています。昭和51年(1976年) 7月1日に東京都の有形文化財(建築物)に指定されています。 《縁結ひ》 縁結びにまつわる「縁結ひ」は、「楼門」をくぐってすぐ左手にあります。実は、「宮神輿庫」になっていた一画でしたが、「山車庫」が完成したため令和5年(2023年)に再整備して、縁結び祈願の「縁結ひ」となりました。日本には願いをしたためた紙を社寺の格子に結い、縁結びを願う風習がありました。「赤坂氷川神社」ではこの風習にちなみ、季節の和紙に願い事を書き、その成就を祈る「縁結ひ」を行っています。季節の色の和紙を結い願い事の成就を祈るそうです。 《山車展示場》 「社殿」の右手には、「山車展示場」があります。「山車展示場」では、全国的にも貴重な「江戸型山車」を展示しています。「山車展示場」は、以前駐車場だった一画で、駐車場が別に整備され、令和3年(2021年)9月に「山車展示場」が完成しました。展示されている山車は、全国的にも珍しい「三層型」構造で、高さは7mほどあります。江戸一番の祭は「山王日枝」、「神田明神」の天下祭でしたが、最盛期の「赤坂氷川祭」はそれに次ぐ規模だったそうです。「山車」は、徳川将軍も観るので、江戸城内まで挽き回しがされ、その際、城門をくぐすために最上部の人形が上下するカラクリを備えていました。それが江戸型山車の最大の特徴だそうです。ちなみに、右側の「山車」は「猿」で弘化2年(1845年)に制作されたものです。左側の「山車」は「頼義」で弘化三年(1846)に松雲斎徳山によって製作されました。 《「四合稲荷」》 次は、「四合稲荷」です。「二の鳥居」をくぐり石段を降りると左手に「四合稲荷」と「西行稲荷」が並ぶようにして建っています。「四合稲荷」の名前の由来は、明治31年(1898年)に「赤坂氷川神社」の近くにあった「古呂故稲荷」、「地頭稲荷」、「本氷川稲荷」、「玉川稲荷」の4社を合祀したことに由来します。また、「赤坂氷川神社」の周辺には勝海舟の屋敷跡や住んでいた跡があります。そして、「勝海舟」により「四社を合祀」、幸福の「しあわせ」、「志を合わせる」をかけ、「四合稲荷」と命名されました。その後、大正14年(1925年)に「鈴降稲荷」と「縁起稲荷」を合祀し、さらに昭和9年(1934年)に「明徳稲荷」を合祀しています。 《西行稲荷》 「四合稲荷」の奥にあるのが「西行稲荷」です。「西行稲荷」は、文政年間の文政8年(1825年)から文政11年の間に調査された「町方書上」のによると、もともとは赤坂田町4丁目にあったようです。町内自身番屋敷地内にあった祠堂で本社は6尺に7尺5寸、拝殿2間4方で前方に3尺に6尺の向拝があったそうです。同5丁目に住んでいた「西行五兵衛」という男が、甲冑を身にまとい、弓矢を携えて狐に乗った姿の鉄の像を拾い、御神体として安置したことが創建の由来と伝えられ、別名「火伏の稲荷」として信仰されてきました。火災除の御神徳があるといわれています。そして、「西行稲荷」は、大正10年(1921年)9月「赤坂氷川神社」境内に遷座してきました。 《太鼓橋》 一の鳥居の参道をはさんで「四合稲荷」の反対側に「太鼓橋」があります。高い木々に囲まれ、なかなか風情のある場所で、心を休めることができました。「太鼓橋」の奥には、「苗村翁頌徳碑」もありました。 《一の鳥居(東側)》 最後が「一の鳥居」(東側)です。江戸時代はこちらが正式な入口でした。「一の鳥居」(東側)には「御即位記念 寄附 苗村又右衛門」の銘があり、大正4年(1915年)11月の大正天皇即位の礼に合わせて、氏子惣代の「苗村又右衛門」から奉納されたものです。 そして、最後は東側の「一の鳥居」をくぐると「氷川神社」から命名した「氷川坂」に出ます。 01_【「赤坂氷川神社」の一口メモ】 ⑴ 所在地…〒107-0052 東京都港区赤坂6丁目10-12 電話 03-3583-1935 ⑵ 開門時間…6:00 社務所受付…9:00~17:00 閉門時間…17:30 ⑶ 「赤坂氷川神社」の概要 ①社号…赤坂氷川神社 ②御祭神…素盞嗚尊、奇稲田姫命、大己貴命 ③境内社…四合稲荷神社、九殿社、稲荷神社三社 ⑷ 御神徳…厄除 縁結び 家内安全 商売繁昌 ⑸ 「赤坂氷川神社」の文化財等 ①氷川神社社殿…東京都指定文化財、昭和51年(1976年)7月1日 ②奉納絵馬7点…東京都港区指定文化財、平成16年(2004年)10月26碑 ③氷川神社の石燈籠四基…東京都港区指定文化財、平成7年(1995年)3月27日 ④氷川神社のイチョウ…東京都港区指定文化財、平成6年(1994年)9月27日 ⑤祭礼山車行列額絵…東京都港区指定有形文化財、平成11年(1999年)10月12日 ⑥旧紀州家 櫓太鼓…東京都港区指定有形文化財歴史資料、平成10年(1998年)4月9日 ⑦御祭礼番附留…東京都港区指定有形文化財古記録、平成3年(1991年)10月9日 ⑧徳川将軍家朱印状 付目録・条目・写し(7通)…港区指定有形文化財古記録、昭和62年(1987年)10月28日 ⑨月岡芳年筆「ま」組火消し絵馬…東京都港区指定有形文化財絵画、平成5年(1993年)9月28日 ⑩力石…東京都港区指定有形文化財、平成7年(1995年)3月27日 02_【「赤坂氷川神社」へのアクセス】 ⑴ 電車を利用して「赤坂氷川神社」へ ①東京メトロ千代田線「赤坂駅」6番出口から徒歩8分550m ②東京メトロ日比谷線「六本木駅」7番出口から徒歩9分650m ③ 都営大江戸線「六本木駅」7番出口から徒歩9分650m ④ 東京メトロ南北線「六本木一丁目駅」1番出口から徒歩10分650m ⑤ 東京メトロ銀座線「溜池山王駅」12番出口から徒歩10分650m ⑵ バスを利用して「赤坂氷川神社」へ ⑥ 都バス 六本木四丁目 ① [渋谷駅前] ⇒[新橋駅前]≪都営バス:都01≫ ・バス乗り場:「新橋駅前」(1番のりば) ・7停留所目(「六本木駅前」の次の停留所) 所要時間約18分 ・9時から17時の間に1時間平均12便~16便 ・「六本木四丁目」停留所で下車し「赤坂氷川神社」まで徒歩7分450m ② [新橋駅前] ⇒[渋谷駅前]≪都営バス:都01≫ ・バス乗り場:「新橋駅駅前(東口)」(4番のりば) ・9停留所目(「本木一丁目駅前」の次の停留所) 所要時間約20分 ・9時から17時の間に1時間平均12便~16便 ・「六本木四丁目」停留所で下車し「赤坂氷川神社」まで徒歩7分450m 03_【「赤坂氷川神社」の見どころ】 ⑴ 「社殿」 享保15年(1730年)に八代将軍「徳川吉宗」の命より建立されました。この「社殿」は、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」の三つの建物が一体となった、いわゆる権現造りの形式です。当時は幕府による倹約政策が進められていたため、「社殿」には質実かつ簡素な気風が表れています。通常は将軍の寄進するような社寺であれば、軒下の組物を何重にも重ねたり、彫刻や彩色などで飾り立てたりするのですが、この「社殿」の組物は簡素で、彫刻も目立ちません。ただ、将軍の寄進だけあって、大きな「雲形組物」や「吹寄せ垂木」など重厚な意匠を取り入れる工夫もなされています。また全体は朱塗漆としながら、部分的に黒漆塗や黒色金具を用いることで引き締まった印象となっています数多くの戦災・震災を免れ、建立当時の姿を現代に伝えており、昭和51年(1976年) 7月1日に東京都の有形文化財(建築物)に指定されています。 ⑵ 「四合稲荷」 「四合稲荷」は、東側にある「一の鳥居」をくぐるとすぐ右手にあります。「四合稲荷」の名前の由来は、明治31年(1898年)に「赤坂氷川神社」の近くにあった「古呂故稲荷」、「地頭稲荷」、「本氷川稲荷」、「玉川稲荷」の4社を合祀したことに由来します。また、「赤坂氷川神社」の周辺には勝海舟の屋敷跡や住んでいた跡があります。そして、「勝海舟」により「四社を合祀」、幸福の「しあわせ」、「志を合わせる」をかけ、「四合稲荷」と命名されました。その後、大正14年(1925年)に「鈴降稲荷」と「縁起稲荷」を合祀し、さらに昭和9年(1934年)に「明徳稲荷」を合祀しています。 ⑶ 「西行稲荷」 「四合稲荷」の奥にあるのが「西行稲荷」です。「西行稲荷」は、文政年間の文政8年(1825年)から文政11年の間に調査された「町方書上」のによると、もともとは赤坂田町4丁目にあったようです。町内自身番屋敷地内にあった祠堂で本社は6尺に7尺5寸、拝殿2間4方で前方に3尺に6尺の向拝があったそうです。同5丁目に住んでいた「西行五兵衛」という男が、甲冑を身にまとい、弓矢を携えて狐に乗った姿の鉄の像を拾い、御神体として安置したことが創建の由来と伝えられ、別名「火伏の稲荷」として信仰されてきました。火災除の御神徳があるといわれています。そして、「西行稲荷」は、大正10年(1921年)9月「赤坂氷川神社」境内に遷座してきました。 ⑷ 「九神社」 「九神社」は、正面参道の途中の左手にあります。「九神社」は、かつて境内の各所に鎮座していた「天祖神社」、「春日神社」、「鹿島神社」、「八幡神社」、「諏訪神社」、「秋葉神社」、「厳島神社」、「金刀比羅神社」、「塞神社」の9社を合祀した神社です。それぞれの神社への遥拝所として役割がありました。戦前は仲ノ町小学校(現在の赤坂小学校)に鎮座していましたが、戦後に「赤坂氷川神社」の境内に遷座されました。 ⑸ 「桶新稲荷」 「桶新稲荷」は「社殿」の左手の「山口稲荷」の先にあります。「稲荷社」の主祭神である「宇迦之御魂」は稲の神で、古来は農業神として信仰をされてきました。時代が下り産業が発展すると、「稲荷神」の神格は諸産業の守護神として拡大しました。江戸時代、江戸市中では稲荷神の勧請が盛んに行われたようです。赤坂5丁目の「桶屋」の稲荷もそのうちの一社で、戦後「赤坂氷川神社」に遷されたと伝えられています。 ⑹ 「山口稲荷」 「山口稲荷」は、「社殿」の左手にあります。「山口稲荷」は、終戦後、赤坂3丁目にあった山口邸から遷された神社です。鳥居には享保3年(1718年)銘があり、向かって右側の水盤には文化10年(1813年)、左側の水盤には嘉永4年(1851年)、狛犬の台座には文政8年(1825年)の文字が刻まれていています。これらが奉納された経緯は今となってはわかりませんが、江戸時代を通じて篤い信仰を集めていたことがわかります。 ⑺ 「鳥居」 「赤坂氷川神社」の境内には南側の参道と東側の参道にそれぞれ2基ずつ鳥居があります。「一の鳥居」(南側)には「大正十一壬戌年九月」「麻布 芝 氏子中」と記されており、麻布・芝周辺まで信仰が及んでいたことを知ることができます。また、「一の鳥居」(東側)には「御即位記念 寄附 苗村又右衛門」の銘があり、大正4年(1915年)11月の大正天皇即位の礼に合わせて、氏子惣代の「苗村又右衛門」から奉納されたものです。 ⑻ 「狛犬」 境内には7対もの「狛犬」があり、「赤坂氷川神社」はまさに狛犬の宝庫と呼ぶことができます。それらの多くが祭礼や式典に合わせて奉納されたものであり、「赤坂氷川神社」が地域内の深い信仰を集めてきたことを物語っています。特に、注目すべき「狛犬」は、楼門両脇の「狛犬」です。現在地に「社殿」が建立されるより前の延宝3年(1675年)6月建立の銘があり、都内神社に現存する石造狛犬の中では最も古いものとされます。ちなみに、都内最古の「狛犬は」は、「目黒不動尊」と呼ばれている「瀧泉寺」の承応3年(1654年)の狛犬とされています。そして、「楼門」手前の手水舎付近にある「狛犬」も年代の古いもので、弘化三年(1846)に奉納された狛犬です。次に、東参道に目をやってみると、東側の「一の鳥居」の参道には、昭和初期、大正、明治と時代を遡るように狛犬が配置されていまます。まず、東側の「一の鳥居」前にある「狛犬」は、昭和12年(1937年)に奉納されたものです。太平洋戦争前の建立された狛犬で、数多くある狛犬の中で一番新しいものです。そして、石段の手前にある「狛犬」は、大正4年(1915年)に奉納されたものです。石段を上がると一対の「獅子山」が見えてきます。この立派な「獅子山」は明治15年(1882年)に奉納されたものです。 ⑼ 「石灯籠」 「赤坂氷川神社」の境内には、石製の「台灯籠」が合わせて7対奉納されています。ちなみに、「灯籠」とは文字のとおり灯の籠であり、明かりを灯すことで邪気を祓い、神様のご加護を願うためのものです。置いて用いる「台灯籠」と、吊るして用いる「釣灯籠」に大別されます。「楼門」前に安置されている灯籠は、遷座を担当していた老中「水野忠之」が「社殿」の完成を記念して奉納したものです。ここにある4基の石灯籠は、平成7年(1995年)3月27日に港区の登録有形文化財に指定されています。 ⑽ 「大銀杏」 「大銀杏」は、南側にある「一の鳥居」をくぐると右手にある緑地のそびえ立っています。「赤坂氷川神社」の「大銀杏」は推定樹齢400年で、幹の周囲は約7.5mにもなります。「社殿」が現在の地に建立された享保15年(1730年)には、すでに100年を超える樹齢をであったと考えられています。そして、裏から見るとかなりダメージを負っていますが、これは昭和20年(1945年)の東京大空襲によるものです。東京大空襲で幹の大部分を焼損することになりましたが、毎年11月下旬に色鮮やかに黄葉し、見るものに生命力の強さと神秘さを感じさせます。平成6年(1994年)に港区天然記念物に指定されました。ちなみに、「銀杏」は、生きた化石とも言われ、雌雄異株です。「赤坂氷川神社」の「大銀杏」は雄株です。港区内に現存する「銀杏」では最大である善福寺「逆さ銀杏(国指定天然記念物)」に次ぐ大きさです。 ⑾ 「包丁塚」 「包丁塚」は、「大銀杏」のある緑地の左手にあります。「包丁塚」とは、料理人の使い古した包丁を納め、その恩恵に感謝するとともに、調理した動物や魚の霊を慰めるものです。境内の「包丁塚」は、赤坂青山料飲組合が使わなくなった包丁を奉納したもので、昭和49年(1974年)11月に赤坂青山料飲組合によって建立されました。傍らの左側には、「包丁塚30周年記念の碑」も建てられています。なお、「包丁塚」の文字は衆議院議員を務めた田中栄一の書を用いています。 現在、毎年10月上旬の土曜日に包丁塚祭が行われています。 ⑿ 「天水桶」 「天水桶」とは、防火用に雨水をためておく大きな桶のことをいいます。「赤坂氷川神社」には「中門」前と「四合稲荷」前の2対が奉納されています。「中門」前の「天水桶」は、江戸時代に幕府御用を務めた鋳物師「太田六右衛門(釜六)」が鋳造したものです。戦時中の金属供出を逃れ、都内に現存する「釜六」作品の1つとして大変貴重なものだそうです。 ⒀ 「力石」 「力石」は、南側の「一の鳥居」をくぐると左手にあります。この「力石」は、「赤坂氷川神社」境内の土の中から発見されたものです。江戸時代から明治時代まで鍛錬や娯楽として「力石」を用いた力試しが盛んに行われたといわれています。境内の土中から発見された力石には「三拾五貫目」(約130kg)と刻まれています。港区内にある「力石」は、全部で14点になりますが、「力石」のほとんどが海岸沿いの神社に残されているのに対し、この一点だけが海岸から遠く離れていることが興味深い点です。「力石」は、平成7年(1995年)3月27日に港区登録有形民俗文化財に指定されました。 ⒁ 「山車展示場」 「社殿」の右手には、「山車展示場」があります。「山車展示場」では、全国的にも貴重な「江戸型山車」を展示しています。「山車展示場」は、以前駐車場だった一画で、駐車場が別に整備され、令和3年(2021年)9月に「山車展示場」が完成しました。展示されている山車は、全国的にも珍しい「三層型」構造で、高さは7mほどあります。山車はかつて「江戸の祭の華」といわれ、江戸から東京の著名な神社の多くの祭礼に曳き出されました。時代とともにその姿を消してゆくことになりましたが、この地域には奇跡的に山車の一部と、山車人形9体が遺されていたそうです。また、江戸一番の祭は「山王日枝」、「神田明神」の天下祭でしたが、最盛期の「赤坂氷川祭」はそれに次ぐ規模だったそうです。「山車」は、徳川将軍も観るので、江戸城内まで挽き回しがされ、その際、城門をくぐすために最上部の人形が上下するカラクリを備えていました。それが江戸型山車の最大の特徴だそうです。ちなみに、右側の「山車」は「猿」で弘化2年(1845年)に制作されたものです。左側の「山車」は「頼義」で弘化三年(1846)に松雲斎徳山によって製作されました。 ⒂ 「縁結ひ」 縁結びにまつわる「縁結ひ」は、「楼門」をくぐってすぐ左手にあります。実は、「宮神輿庫」になっていた一画でしたが、「山車庫」が完成したため令和5年(2023年)に再整備して、縁結び祈願の「縁結ひ」となりました。私も勉強不足で知らなかったのですが、日本には願いをしたためた紙を社寺の格子に結い、縁結びを願う風習がありました。「赤坂氷川神社」ではこの風習にちなみ、季節の和紙に願い事を書き、その成就を祈る「縁結ひ」を行っています。季節の色の和紙を結い願い事の成就を祈るそうです。
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今回は木場公園ではなく、木場公園脇にある大横川遊歩道の河津桜の口コミです。伊豆の河津桜は天候で大変遅れての開花でしたが、伊豆まで行かなくても木場公園脇の大横川の両側に見事な河津桜が咲きました。それほどの人混みもなくのんびりと花を楽しめます。 が、ここは飲食はいけないようです。ベンチもないので座って桜を楽しむ事もできません。だから、混んでなくていいのかもしれませんが、ちょっと淋しい気もします。遠くからわざわざここの桜を見に来たのですが、ベンチに座ってお茶を飲む所もなく結局通り抜けただけで帰りました。人が集まって混むようになると困るからなのでしょうか。こんなに美しく素晴らしい所をもったいないような気もしますが、目黒川の桜もかつては今のように混むことは無く、地元の人しか行かない場所でした。
【雨の日のお出かけの選択肢の一つ】 レゴランド東京の一番の魅力は、事前予約制だということ! 事前予約制なので、入場が比較的スムーズ。 土日の混雑日でも人数制限されている(時間制限有)ので、「(DランドやKザニアのように)混雑日の攻略方法必須!」というわけではない。 また、近隣の事前予約制施設より直近でもチケット取れがちなので、「朝起きたら雨!どこ行く!?」と急な予定変更でも結構大丈夫。というか何度も助けられた。ありがとう。 ただ、長期休業中の土日等のトップシーズンは行ったことが無いので分からないが。 <注意事項> 〇大人も一緒に遊ぼう こういう施設では、子どもに遊ばせて大人は椅子に座ってのんびり…と考えがちだが、同じように考えている大人たちがたくさんいるので、数少ないソファーは激戦。 なので、ここは割り切って子どもと一緒に遊ぼう! 室内アスレチックは幼児も小学生も入り乱れているので、大人必須。 〇(土日の混雑日は)中での飲食はあてにしない レストランもあるが、テーブル席がかなり少ない。並んだり席を確保したりが嫌なので、私は中で飲食をせず(水筒持ち込み可)、パーク外で美味しいものを食べよう!としている。アイスも、外出たら同じ建物内に31あるし。←と子どもには言い聞かせる。 〇対象年齢注意 室内アスレチックで楽しく遊べる幼稚園児、またはレゴ大好きな小学生低学年が一番のターゲット層かと思う。高学年はちょっと…かも。 全体を通して、我が家では、良い意味でちょっと高い(値段もおもちゃのクオリティも)児童センターという感じ。(自宅の近くにあれば年パス買って平日午後に遊びに行きたいなぁ!!) でも、前述の通り、雨の日もOK!思い経ったらすぐ行ける!という点で非常にありがたい遊び場の一つ。今までも大変お世話になったし、今後あと数年お世話になります。
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世田谷区の九品仏に紅葉の名所があると聞き行ってみました。学生時代近所のアパートに住んでいた私には懐かしいところです。また母方の祖父母のお墓があるところでもあります。普段ほとんど乗降客のいない東急大井町線の九品仏駅を降りてびっくり、信じられないくらい大勢の人です。今や紅葉の名所として有名なんですね。広い境内の紅葉も見事でしたが、お賽銭をあげると説教をしてくれる閻魔様とか上品、中品、下品の九品仏など楽しませてくれるお寺でした。しばし40数年前の若かりし頃の自分にタイムスリップしました。ちなみに私のいた安アパート(今は跡形もない)の裏は九品仏のお墓でした。
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豊島師範学校跡地にできた公園です。1990年に隣接する芸術劇場と一体的に再整備され、噴水と彫刻で皆様に親しまれていましたが、2019年11月、新たな劇場公園「GLOBAL RING」として生まれ変わりました。区の将来都市像である「国際アート・カルチャー都市」の実現に向けて、文化芸術・地域の賑わい・情報発信拠点となります。開放的な雰囲気のなかで文化や芸術に触れ、噴水や照明が演出する幻想的な雰囲気にひたり、カフェでくつろぐ豊かな時を楽しめる公園になりました。
昨年(第4回)と比較すると 今年(第5回)は 《グローバルリングを彩る 光のつらら》と名付けられた《グロバルリング》に《光のつらら》と《光の水族館》も新たに加わり カップルだけではなく 子供連れの方々も楽しめるようになっています。池袋エリアに訪問機会あれば 立ち寄られること お薦めします。
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