富士講関係石碑群
名所・史跡
3.33
クチコミ・評判
1~20件(全31件中)
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5つの石碑群
- 3.0
- 旅行時期:2023/05(約3年前)
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鳥居をくぐってすぐです。
- 4.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
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千代田区の指定有形民俗文化財
- 3.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
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富士講関係石碑群♪
- 3.5
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 0
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柳森神社境内にあります。
- 4.0
- 旅行時期:2022/08(約3年前)
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富士塚ではないようです
- 3.0
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
- 0
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江戸時代に盛んだった民間信仰
- 3.0
- 旅行時期:2022/04(約4年前)
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富士講の流行りを感じる石碑群
- 3.0
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
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都営地下鉄新宿線岩本町駅が最寄駅。
岩本町駅A2出口から北西へ約150m、柳森神社内にあります。
説明板によると、5つ... 続きを読むの石碑からなり、柳森神社周辺に存在した富士講のなごりを今日に伝える石碑群です。
柳森神社は富士講に関わりが深い神社であり、富士塚なども境内に築かれていたと思われています。
この塚が明治時代以降何らか理由で一度廃れてしまい、これに対して昭和5年(1930)に周辺の富士講によりあらたに富士塚が再建されました。
石碑群は、この時再建された富士塚の周辺に、移設あるいは設置されたと思われるそうです。
5つの碑にはそれぞれ「北口富士分教会」「神田八講」「北口神田講社」「小御嶽大神」「三桂乃大神」と読めます。
富士講の流行りを感じる石碑群です。
閉じる投稿日:2023/03/20
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神社の中に残された富士講の信仰の痕跡
- 4.0
- 旅行時期:2021/12(約4年前)
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柳森神社の境内にあります
- 3.5
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
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柳森神社の中
- 4.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
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詳しい案内板があります
- 3.0
- 旅行時期:2021/02(約5年前)
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神田川沿いに鎮座する柳森神社の境内にあります
- 3.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
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富士山信仰
- 3.5
- 旅行時期:2019/08(約6年前)
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2019年8月に神田~東京駅周辺を散策した際に立ち寄りました。都営地下鉄新宿線岩本町駅を降りて徒歩数分、柳原通り沿い(新幹... 続きを読む線の高架橋のすぐそば)にある柳森神社の境内にたくさんの石碑が置かれていますが、これが「富士講関係石碑群」になります。富士講とは簡単に言えば富士山を信仰対象としており、富士登山などを行っていたそうです。様々な神社などで見かける「富士塚」もその一種のようですね。かつては柳森神社境内にも富士塚があったようですが、現在ではなくなってしまい、冨士講に関係する石碑だけがこの地に集められてその歴史を残しているだけとのことです。「冨士講」という言葉を知らなかったので、良い機会になりました。なかなか数が多くて見ごたえがありました。 閉じる
投稿日:2020/04/13
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貴重な遺産
- 2.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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富士塚が破却されたものを積み上げた小山 とのことです
- 3.5
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
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秋葉原界隈を散策の折、訪ねた柳森神社の鳥居をくぐり境内に下りる石段の右手にあるのが、この富士講関係石碑群です。
ここ... 続きを読む柳森神社は、かつて駿河富士宮浅間神社から分祠した富士浅間神社を合殿・合祀した富士講に関わりが深い神社であり、富士塚なども境内に築かれていたと思われている 由。
が、戦後富士講が廃れ、昭和35年 (1960) に富士塚は破却された際、余った黒ぼくの石を境内の東南隅に積み上げて小山を築き、この周辺に富士講石碑群を設置し直し、石碑だけが富士講の信仰の痕跡として残されることになった とのことです。
他で見掛ける富士塚とは姿が違うが、この石碑群は、江戸時代以降、昭和初期まで当地域に存在した富士講に関わる記念碑であり、千代田区内とその周辺におけるこの時代の信仰の一端を示してくれる貴重な資料なので、平成10年4月千代田区指定有形民俗文化財になっています。
この石碑群には、富士講などについても詳しく記された説明板があり良く分かりとても助かります。
また、この石碑群を初め他にも、ここ柳森神社には見るものなどがいろいろあるので訪ねてみることをお勧めします。 閉じる投稿日:2018/12/31
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富士塚は残っていません
- 3.0
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
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富士興関係石碑群は、神田川南側の柳森神社の境内内に、解説板とともにあります。
- 3.5
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
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富士講関係石碑群は、神田川南側の柳森神社の境内内に、解説板とともにあります。
富士講は、庶民による、信仰の対象であった富... 続きを読む士山への登山が困難であった江戸時代に、講を形成し、信仰を深めることを目的に創られました。
江戸時代には、八百八講と言われるほど多くの富士講がありましたが、明治時代以降、廃れてきました。このため、残された富士講関連の石碑が、集められ、柳森神社に集積されています。
それら富士関係石碑群の経緯等を、解説した案内板が、石碑群の傍に立てられています。
富士登山そのものが、広く国民や外国人の中に広まっている現在、富士講関連石碑群及び解説板の存在が、忘れられようとしています。
しかしながら、江戸時代の庶民の生活や信仰の実態を鑑みると、富士講の持つ意味は重要だったと思われます。
時代の移り変わりとともに考え方や生き方が変わりすので、現在の考え方で過去のものを推し量るのは、困難な面があります。
実際の現地現物を確認し、当時の生活を理解することが、とても大事ということを痛感した富士講関連石碑群訪問でした。 閉じる投稿日:2018/07/11
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冨士工信仰の痕跡
- 3.5
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
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富士講の歴史が残っています
- 3.5
- 旅行時期:2018/01(約8年前)
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