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九州の豊前中津城を築城した 黒田官兵衛 秀吉を天下人へと導く 中津で天下の夢を見たゆかりの地

  • 5.0
  • 旅行時期:2014/01(約12年前)
nadeshiko28さん

by nadeshiko28さん(非公開)

耶馬溪・中津・玖珠 クチコミ:17件

黒田官兵衛 生誕天分15年11月29日~死没慶長9年3月20日(58歳)

豊臣秀吉の側近として仕え活躍した秀吉の名軍師の一人である官兵衛は
豊前中津城の初代城主である。

黒田官兵衛は中津城の期間は14年程度で 
「黒田」 「細川」 「小笠原」 明治まで続いた「奥平」と移り変わっている。

1600年(慶長5年)徳川家康率いる軍勢が会津の上杉成敗に出かけた際に大阪で石田三成が挙兵した。
三成は各大名の屋敷に奥方を人質に出すように要請する。
大阪の黒田屋敷には官兵衛正室光姫と長政室栄姫がいた。中津にいた官兵衛はこのことを予測しおり

あらかじめ重臣栗山利安と母里太兵衛に「もし三成の人質となるようであれば光姫、栄姫と共にお前たちも自害せよ」と命じていた。

黒田屋敷を囲んでいた三成の兵が幾度も奥方を大阪城に入るように要請するも
病気で寝込んでいるなどと 時を稼いでいると或る夜玉造りの方角で火の手が上がる。

黒田屋敷を取り囲んでいた三成の兵は何事が起こったかと驚き そちらへ向かった。
その炎は細川屋敷から上がったものでガラシャ夫人(絶世の美女と謳われた忠興の妻)が人質になる事を拒み家老に胸を突き刺させ なくなった後に屋敷に火を放たせた火事であった。

黒田屋敷では栗山利安と母里太兵衛の機知で木箱に隠した官兵衛と長政の奥方を 
天秤棒で担ぎ密かに脱出させ 大阪から船で無事「中津城」まで送り届けた。

大いに喜んだ官兵衛はお城に領民を招き入れ
「北原人形芝居」などを催して祝った。

或る意味黒田家はガラシャ夫人に救われたとも言える。
黒田家の後 豊前国に入部した細川忠興は中津市内福島の「長久寺」で 妻ガラシャの33回忌の法要を催したとのこと。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
人混みの少なさ:
5.0
バリアフリー:
5.0
見ごたえ:
5.0

クチコミ投稿日:2014/01/09

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