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大山巌像

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大山巌像 クチコミ・アクセス・周辺情報

市ヶ谷 観光 満足度ランキング 8位

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  • 満足度の高いクチコミ

    日本陸軍の元帥

    4.0

    • 旅行時期 2023/03
    • by KENKENさん

    薩摩出身で日露戦争の際は陸軍元帥を努めました。海軍は東郷平八郎も薩摩で、やはり薩摩藩は西郷隆盛もそうでしたが将の器というか...  続きを読む統率力に優れた方を輩出する文化かあったのだと思います。桜の季節はいっそう引き立ちます  閉じる

クチコミ・評判

3.44

(102件のクチコミ)
アクセス:
3.72
地下鉄・九段下駅2番出入口から徒歩4分程度です。 by hiroさん
人混みの少なさ:
3.61
立ち止まって見る人はほとんどいません。 by hiroさん
バリアフリー:
3.38
周囲は緩やかな傾斜地で石貼舗装の段差(手摺付)があります。 by hiroさん
見ごたえ:
3.44
馬像がとてもリアルに感じられます。 by hiroさん

1~20件(全102件中)

  • 騎馬像が

    • 3.5
    • 旅行時期:2024/04(約2年前)
    • 0

    千鳥ヶ淵の桜見物に行くと左手に大山巌の騎馬像があります。旧薩摩藩士で戊辰戦争で活躍して、その後、明治維新後、陸軍の軍人とし...  続きを読むて活躍したそうで、その功績を讃えて、靖国神社に近いこの地に騎馬像を建立したそうです。  閉じる

    投稿日:2024/04/23

  • 北の丸公園を背に

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/12(約2年前)
    • 0

    陸の大山といわれた大山巌の像。
    西郷隆盛の従兄弟でしたっけ。
    靖国神社の方を向き、北の丸公園を背に建っています。
    ...  続きを読むはこの辺で生まれ育ちましたが、陸軍色の濃い土地柄だなぁと常々思います。
    そんな環境が戦争を学ぶきっかけとなりました。
    高校大学と日本史は得意でしたが、本当に関心を持つようになったのはその後です。
      閉じる

    投稿日:2024/01/31

  • 北の丸公園

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/03(約3年前)
    • 0

    千鳥ヶ淵の桜を見に行った際に見つけました。元々薩摩藩の武家の出身で戊辰戦争で活躍しその後明治維新後も陸軍の軍人として活躍し...  続きを読む日清戦争や日露戦争で指揮を振るい日本を勝利に導いた司令官だそうです。隣には品川弥次郎像もありました。

      閉じる

    投稿日:2023/04/02

  • 大山巌像

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/02(約3年前)
    • 0

    大山巌像は九段下駅を降りて、坂を登ったところにあります。
    九段坂公園内に建っています。薩摩藩出身で西郷隆盛の従兄弟として...  続きを読む知られ、元帥陸軍大将で日露戦争では陸軍司令官。初代陸軍大臣です。

    立派な像で靖国通りからよく見え目立っています。

      閉じる

    投稿日:2023/02/05

  • 市ヶ谷から九段周辺を散策した際、九段坂公園内にある、こちらの大きな【大山巌像】を見学しました。薩摩藩出身で、日露戦争で活躍...  続きを読むした陸軍大将として知られています。かつて「陸の大山、海の東郷」といわれるほど、たたえられた人物です。【大山巌像】は写真で見たことのある大山巌とそっくりで、騎馬像となっている事も、陸軍大将であった彼にふさわしいでと思いました。  閉じる

    投稿日:2023/03/12

  • 騎馬像

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/11(約3年前)
    • 0

    地下鉄「九段下駅」を出て九段坂を登っていくと九段坂公園内に「大山巌像」はありました。大山巌と言えば、元帥陸軍大将や陸軍司令...  続きを読む官などを務め、初代陸軍大臣にもなった人物としても有名なようですし、騎馬像も大きく立派なものでしたが立ち止まって見ている人は全くいないので寂しい感じがしました。  閉じる

    投稿日:2022/12/04

  • 迫力あります

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/06(約4年前)
    • 0

    地下鉄九段下駅2番出口すぐ、九段坂公園内になります。大正8年に現在の国会前庭北地区洋式庭園(尾崎記念公園)に建てられ、その...  続きを読む後昭和23年にGHQにより撤去されますが、昭和44年に現在の場所に移転しました。どうしてこの場所になったのかわかりません。馬上の大将、なかなか迫力感じます。  閉じる

    投稿日:2022/07/25

  • 九段坂沿いにある騎馬像

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/04(約4年前)
    • 0

    薩摩藩出身の陸軍軍人。陸軍大臣、陸軍参謀総長、大警視、内大臣、元老、貴族院議員などを歴任。西南戦争のときは政府軍の指揮官と...  続きを読むして親戚筋の西郷隆盛を相手に戦っている。その後、戊辰戦争での因縁がある会津出身の山川捨松を見初め後妻に迎えるなど、既存の価値観に縛られない柔軟さを持ちあわせる人物と伝わります。軍人のイメージに引っ張られて勇ましい騎馬像なのはちょっと残念かも。  閉じる

    投稿日:2022/06/01

  • そばには高燈篭と品川弥二郎像があります。

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/04(約4年前)
    • 0

    「大山巌像」は千鳥ヶ淵に近い九段坂公園の中にあります。そばには高燈篭と品川弥二郎像があります。とても立派な騎馬像です。あま...  続きを読むり人気がないようです。桜を見に来た人たちで混雑してましたが、足を止めて写真を撮る人は皆無です。  閉じる

    投稿日:2022/04/20

  • 西郷隆盛の弟の友達の像

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/03(約4年前)
    • 1

    正直言って全然知らない人でした。

    西郷隆盛の弟の友達らしいです。
    日清戦争、日露戦争を安全な場所から指揮してたみた...  続きを読むいですよ。
    最前線にいたのでは無いみたいです。
    それではなんとでも言える感じですよねw

    結局は75歳まで長生きして胃病で倒れて亡くなったという軍人なのに病死。
    なんだかねー。

    この像はもともと国会の前にあったらしいです。
    戦後GHQによって撤去w

    その後ここに置かれたようです。  閉じる

    投稿日:2023/10/25

  • 馬に乗った銅像

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/03(約4年前)
    • 0

    千鳥ヶ淵の桜を見に行った際にみかけました。お濠沿いの九段坂公園の敷地内にあり、騎馬に乗っている銅像です。近くには同じような...  続きを読む銅像、こちらは立っている銅像もありました。大山巌という名前は初めて聞きましたが、陸軍大臣などになったことがある人なのだそうです。
      閉じる

    投稿日:2023/05/13

  • 西郷隆盛とは従兄弟同士

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/03(約4年前)
    • 0

    九段坂公園に建っていました。元帥陸軍大将とのことで軍人だと思ったら政治家でもあり、西郷隆盛とは従兄弟同士だそうです。近くに...  続きを読む建つ品川弥二郎像もそうですがあまり存じ上げない人の像でも皇居に近いこの地で見ると恭しい気持ちになりますね。  閉じる

    投稿日:2023/01/05

  • 馬上の姿は威風堂々

    • 2.0
    • 旅行時期:2022/03(約4年前)
    • 0

    千鳥ヶ淵の桜を見物に行くときに、九段坂の途中にある九段坂公園内に、立派な銅像が建てられていました。明治の陸軍元帥大山巌の銅...  続きを読む像でした。馬上の姿は威風堂々としていて、軍服もよく似合っていると思いました。脚の長い馬の姿もなかなか迫力があって良かったです。
      閉じる

    投稿日:2022/04/05

  • 軍服を着て馬にまたがった堂々とした像です

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/03(約4年前)
    • 0

    数日前に千代田区の東郷元帥記念公園を訪れた際に、陸の大山、海の東郷という言葉を思い出し、花見を兼ね、靖国通りを挟んで靖国神...  続きを読む社の向かいに造られた九段坂公園内に建つ大山巌の像を見学してきました。台座を含め高さ5mはあろうと思われる堂々とした像で、軍服を着て馬に乗っています。日清戦争で軍司令官として、日露戦争で満州軍総司令官として活躍された方です。隣には戊辰戦争で活躍し、明治に入り政治家を歴任した品川弥二郎の像も建っています。靖国神社に建つ大村益次郎の像を含め、どれも大きく立派な像です。  閉じる

    投稿日:2022/03/29

  • 陸軍軍人

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/03(約4年前)
    • 0

    靖国神社 遊就館を見学した後だったので、日本の陸軍軍人で政治家。初代の陸軍大臣の大山氏の銅像をみつけて、説明を熟読しました...  続きを読む
    戊辰戦争と西南戦争という、国内の内戦の様な戦を経験したのち、日清戦争や日露戦争でも活躍した軍人を称える銅像。旧江戸城の堀の近くに堂々と置かれていました。
      閉じる

    投稿日:2022/03/03

  • 西郷隆盛の従兄弟

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/02(約4年前)
    • 0

    靖国通りに面した小さな九段坂公園内にある像です。「大山厳」は西郷隆盛の従兄弟です。そして、元帥陸軍大将で日露戦争では陸軍司...  続きを読む令官、初代の陸軍大臣となった人物です。こちらの像は、もともと国会前にあったものが移されたようです。  閉じる

    投稿日:2022/04/11

  • 靖国神社を馬上から見つめています

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/12(約4年前)
    • 8

    お濠沿いの九段坂公園内にこちらの銅像がありました。日清戦争、日露戦争で活躍した帝国陸軍の著名な軍人です。軍馬に騎乗している...  続きを読むその姿は穏やかな感じで、軍人や武士などの銅像にある躍動感があるものとは作風が異なります。靖国通りを挟んで向こう側にある靖国神社方面を見つめています。  閉じる

    投稿日:2021/12/26

  • 元老大山巌

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/11(約4年前)
    • 0

    こちらの像は九段坂公園内にあります。
    大正8年に建設されたものです。設の年月は不明です。
    大山巌は薩摩藩出身で、元帥陸...  続きを読む軍大将日露戦争では陸軍司令官、初代の陸軍大臣となりました。その後、参謀総長、内務大臣を勤め元老となった人物です。立派な像です。  閉じる

    投稿日:2022/01/06

  • 都心には、多くの過去の偉人の銅像がありますが、大山巌像もその一つで、千鳥ヶ淵の絶景が見られる九段坂公園内に建っています。と...  続きを読むくに桜の時期に、満開の桜とともに、絶対見逃せない観光アトラクションだと思います。

      閉じる

    投稿日:2021/11/29

  • 『大山巌像』は、明治後期から大正期にかけて活躍した代表的な彫刻家「新海竹太郎」が1919年(大正8年)に制作した軍服を着た...  続きを読む騎馬像姿の銅像として、千代田区九段南2丁目に位置する千代田区立「九段坂公園」敷地内に設置されています。
    なお『大山巌像』が制作された当時は、「陸軍参謀本部」が置かれていた現在の千代田区永田町1丁目に位置する「国会前庭(北地区)」の一画に設置されていましたが、現在の「九段坂公園」銅像設置場所にある解説板の記載内容によると太平洋戦争後の1948年(昭和23年)に「連合国最高司令官総司令部(略称:GHQ)」により、一時撤去され「東京都美術館」に預けられたのちの1969年(昭和44年)に「九段坂公園」に移転されたと記されています。
    また、太平洋戦争時の金属類回収令により『大山巌像』が撤去され太平洋戦争後に「東京芸術大学」構内で横倒しとなって放置されていたところを発見され1964年(昭和39年)に「九段坂公園」に移転されたとする別途記述も存在しており、「千代田区観光協会」のホームページには”移設の年月は不明”として紹介されています。
    ちなみに『大山巌(通称:弥助)』は、徳川幕府・第12代将軍「徳川家慶」の時代である1842年(天保13年)に薩摩藩士の次男として誕生し、薩摩藩の尊皇攘夷派リーダー格とされる「有馬新七」の影響を受けて活動するものの1862年(文久2年)に薩摩藩内の過激化する尊皇攘夷派を粛正する「寺田屋騒動」で謹慎処分を受けています。
    その数か月後に発生した「生麦事件」(武蔵国橘樹郡生麦村にて薩摩藩主の行列を乱したとしてその場でイギリス人が殺傷された事件)がもとで、鹿児島湾において薩摩藩とイギリス艦隊との武力衝突となった「薩英戦争」により謹慎処分を解かれた『大山弥助』は、砲台の配属を命じられ近代西洋各国と国内の軍事力に大きな格差を目の当たりにし、その後に西洋砲術を国内に普及させた幕臣で伊豆韮山代官「江川英龍」のもとで砲術を学び砲術の免許皆伝を得ています。
    明治維新を向かえると1868年(慶応4年)から「新政府軍」と「旧幕府軍」の間で勃発した「鳥羽・伏見の戦い」を皮切りに「会津戦争」など国内各地で繰り広げられた「戊辰戦争」では「新政府軍」として新式銃隊を率いて参戦し、「会津戦争」では会津藩家老の娘「捨松」が「会津若松城」の籠城戦に参加していますがのちに『大山巌』の後妻となっています。
    「戊辰戦争」が終結すると大砲の研究に取り組み西洋の大砲を改良した「弥助砲」を考案するほか、軍事視察および軍政・砲術を研究など西洋留学を繰り返し、1874年(明治7年)に長期留学から帰京する際に『大山巌』に改名したとされています。
    さらに1877年(明治10年)に勃発した国内最後の内戦とされる「西南戦争」では、『大山巌』の15歳年上の従兄である「西郷隆盛」を盟主とした士族の武力反乱に対し、「政府軍」の別働第五旅団司令長官に任命されて『大山巌』が参戦しています。
    その後の1880年(明治13年)には陸軍卿に任命され、1885年(明治18年)になると内閣官制(内閣職権)により陸軍卿は陸軍大臣に改称となり、第1次「伊藤博文」内閣が発足し『大山巌』が初代陸軍大臣に任命されています。
    1894年(明治27年)の「日清戦争」においては陸軍大将として出征し、1898年(明治31年)になると最高顧問機関として「元帥府」が創設され「元帥」の称号を授与し、1904年(明治37年)の「日露戦争」には元帥陸軍大将として満州軍総司令官に就任しています。
    1914年(大正3年)には内大臣に任命されるも1916年(大正5年)に内大臣在任中に胃病で倒れて胆嚢炎を併発し、そのまま療養中に逝去(享年75歳)されています。
    今回は、平日の午後に「市ヶ谷」周辺を訪れた際に少し時間に余裕があったので初めての「靖國神社」参拝とあわせてその周辺エリアの散策をしてみようと思い立ち寄った「九段坂公園」に『大山巌像』があることを知りました。
    『大山巌像』を見ていると彫刻家「新海竹太郎」が騎兵隊に約8年間にわたり在隊し、馬を身近に感じながら馬の彫刻に興味を持っていたのことで馬像がとてもリアルに感じられるとともに幕末期から激動の時代で活躍した『大山巌』の人生を改めて学び楽しめました。
    逸話となりますが、逝去される間際の意識朦朧の状態で”兄さぁ~”とつぶやく『大山巌』に対し、”西郷さんにやっと会えたのね”と話しかけたとされる妻「捨松」の言葉が胸に刺さります・・・  閉じる

    投稿日:2022/01/23

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基本情報(地図・住所)

施設名
大山巌像
住所
  • 東京都千代田区九段南2-2-18 
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
giani さん

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