三木城跡
名所・史跡
3.33
三木城跡 クチコミ・アクセス・周辺情報
三木・小野 観光 満足度ランキング 3位
15世紀半ばに創築された城を、明応元年(1492)別所則治が修築、丘陵の上に東の丸と二の丸を築き、少し離れた西南の丘と東方の鷹の尾に出城を構え、播州第一の堅城といわれた。天正6年(1578)織田信長の武将羽柴秀吉が毛利氏を討つため攻城に着手、2年間兵糧攻めにして陥落させた。元和3年(1617)廃城となり、空堀や長治辞世の碑が立つ。桜の名所。◎別所長治(1558-80)三木市生れ。安土桃山時代の武将。三木城主として羽柴秀吉の攻撃を受け、「三木の干殺し」といわれる篭城戦で破れ、領民の身がわりに自害した。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば
4.0
- 旅行時期 2024/12
- by たびたびさん
三木城跡は、三木市街から少し丘を上った感じの場所。ここで秀吉と対峙したというには頼りないような感じの場所ですね。そのさほど... 続きを読む広くない平地の一角に別所長治の騎馬像が建つほか、さらに小高い山の上には別所長治の辞世の句、「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」の碑も。自らの命と引き換えに城兵の命を救ったという人物です。 閉じる
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満足度の低いクチコミ
三木合戦を偲んで観る ~ 三木城跡
2.5
- 旅行時期 2023/01
- by 機乗の空論さん
全国的に金物の町として有名な三木市街の小高い丘に名を残す戦国時代の「三木城跡」は 播磨国・播磨三大城と称される三木城又は... 続きを読む別所城とも呼ばれ、小寺氏の御着城・三木氏の英賀城と並びます。 初代城主・別所則治により築城され五代城主・長治期に叛旗を翻し秀吉による三木合戦が始まり、2年後に三木の干しにより落城し別所氏は滅びることに。 その後は城主は12代・伊木忠繁を以て終わり江戸時代の一国一城令によって廃城に成ってますね。 やはり江戸時代には姫路藩主・池田輝政の姫路城や明石藩主・小笠原忠真の明石城というメジャーな城が在るので三木城はその陰に隠れてしまいがちなんですね?…。 石垣や濠などの城壁に隅櫓などがせめて残っていれば少しは印象も雰囲気も違うのでしょうが二の丸や本丸だけでは厳しいですね。 それでも模擬城壁が造られたことは大きな前進の一歩だと思います。 今は本丸から模擬城壁の向こうに往時の三木合戦を偲んで観るだけです。 閉じる
クチコミ・評判
3.33
(13件のクチコミ)- アクセス:
- 3.45
- 神鉄・三木上の丸駅から徒歩で10分ですが判り難い? by 機乗の空論さん
- 人混みの少なさ:
- 4.00
- 観光客らしき人をたまに見かける程度で静かです… by 機乗の空論さん
- バリアフリー:
- 2.79
- 階段や坂道など普通に有りますよ~ by 機乗の空論さん
- 見ごたえ:
- 3.54
- 石碑と長治公の像ぐらいしかありません… by 機乗の空論さん
1~11件(全13件中)
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本丸跡に別所長治の銅像があります
- 4.0
- 旅行時期:2023/12(約2年前)
- 0
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本丸に城主だった別所長治の像や辞世の歌碑があります。
- 5.0
- 旅行時期:2023/09(約2年前)
- 2
お城の跡には建物はありませんが、本丸には城主だった別所長治の像があります。三木城は播磨三大お城の一つで、別所則治が1492... 続きを読む年に築城したといわれています。
当時の交通の要所に築城されています。1578年から、およそ2年にわたって、三木合戦が起こり、毛利方についたたために織田軍側の羽柴秀吉を中心とした軍の激しい兵糧攻めにあい、将兵の安全との引き換えに自刃し、お城は落城しています。伝天守台には別所長治や一族の辞世の歌碑があり、近くには別所長治の像もあります。また、井戸が近くに残っており、かんかんという音がすることからかんかん井戸と呼ばれ、この井戸からは別所長治のものといわれる鐙が見つかり、近くの雲龍寺に大切に保存されているそうです。また、この井戸は大きな井戸でしたが、市中につながるともいわれています。雲龍寺の住職に信頼し、事後のことや遺品を託したといわれています。雲龍寺には別所長治と夫人の首塚があり、大切に守られています。そちらも一緒に足をのばされることをおすすめします。また、兵糧攻めの際に、藁をも食べていたという話から、藁にみたてたうどんを食べる「うどん会」という伝統行事が毎年1月17日に行われ、毎年5月5日には別所長治を偲んで「別所公春まつり」がおこなわれています。 閉じる投稿日:2023/10/02
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「三木の干殺し」で有名な城跡
- 4.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
- 0
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御城印
- 3.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
- 0
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秀吉と別所氏が戦いました
- 3.5
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
- 0
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三木の干殺し
- 4.5
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
- 0
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時代考証がイマイチな上になんだか無粋な石像まで最近できてますが、嘘っぱちな模擬天守がないのでギリギリセーフかなあ。。。
- 3.0
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
- 0
小学校のときに遠足か何かで来て以来の訪問です。美嚢川のほとりに位置する平山城で、割と規模は大きかったらしいのですが(三木市... 続きを読む役所東側を流れる川を北・東の外郭とするとともに、浄水場南側の谷間を堀切っていた)、現在では住宅地が立ち並んでいるので「上の丸公園」として整備された一部しか、お城的な雰囲気を感じることはできません。
神戸電鉄粟生線三木駅方面からは、川沿いの台地に白塗りの壁が鮮やかですが、昭和40年代に建造されたもので、時代考証は結構いい加減です(当時は2層の絢爛豪華な模擬天守を建設しようという計画すらあったそうで、実現していたとすると、全国に恥をさらしていたことになったかも)。
あと、近年では、地元のライオンズクラブが寄贈したという「別所長治公騎馬像」が設置されていますが、なんというか、絶望的な「コレジャナイ」感を醸し出してます。兵庫県立歴史博物館所蔵の肖像画(涼やかな目元など貴公子然とした雰囲気)とは似ても似つかないというか、どうしてこうなった? って感じです。市役所の人も寄贈されて困ったのと違うかなあ(ほぼ同じ石像は別所家菩提寺にもありますけど、法事で帰省したとき和尚さんにどう思ってるか、それとなく訊ねてみようかなぁ・・・)。
というわけで、城跡を訪れても当時の雰囲気を感じることはなかなか難しく(「かんかん井戸」くらいしか、昔の遺構が残されてない)、むしろノイズ的なものが目に入ってきてしまうので、地元出身者としては、お奨めするのに二の足を踏んでしまうのですが、別所長治公とその奥方の歌碑(「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」、「もろともに消え果つるこそうれしけれ おくれ先立つならひなる世に」)を眺めてみて、敗者であるはずの彼らに地元の人が愛着を持って接している理由の一端でも感じてもらえれば、と思ったりもします。 閉じる投稿日:2014/05/23
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兵庫県三木市 城 「三木城跡」
- 3.0
- 旅行時期:2014/04(約12年前)
- 3
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上の丸公園からの眺めはいいです
- 3.5
- 旅行時期:2013/07(約12年前)
- 0
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私の町・加古川と周辺 part8 (2) 三木城跡
- 3.5
- 旅行時期:2013/05(約13年前)
- 0
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小さな城跡です
- 4.0
- 旅行時期:2013/01(約13年前)
- 0
1件目~11件目を表示(全13件中)
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