沖縄県立第二高等女学校の戦没者を祀っています。~白梅之塔~
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- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
白梅之塔は、沖縄戦に於いて第 24 師団 第一 野戦病院 (山3486部隊) に従軍補助看護婦 として配属となった沖縄県立第二高等女学校四年生で編成された?白梅学徒隊?や学校職員・同窓生の沖縄戦に於ける戦没者130余名を祀る慰霊塔です。
昭和19(1944)年10月10日の十・十空襲によって校舎は焼け落ち、付近で焼け残った知事官舎を利用して学業を続けていました。そして翌昭和 20(1945)年2月には第 32 軍司令部からの?女生徒の看護教育を受けさせる旨?の命令により、看護教育を学ぶようになりました。3月には東風平 国民学校 に本部を置く 第24師団 衛生看護教育隊に入隊、3月24日には除隊者を除く 46名の学徒が重瀬岳中腹にある第24師団第一 野戦病院へと配属されます。
戦況が悪化の一途を辿った6月4日、第24師団第一野戦病院は南部への撤退命令を受け、その際白梅学徒隊は解散命令を受けることになります。数人のグループに分かれて南部へと撤退するものの、その道中に8名の犠牲者を出します。そして国吉に 国吉に後退した第24師団第一野戦病院壕に迎えられて勤務を続けていた生徒たちも米軍の馬乗り攻撃の標的や手榴弾自決等によって白梅自決の壕で6名、上の壕で2名と、全身火傷を負った1名が米軍病院にて死亡。46名の生徒のうち17名が戦死されました。
白梅学徒隊で最も多い犠牲者を出したこの国吉の地に、初代の白梅之塔が建立されたのは昭和22(1947)年1月のことになります。米軍統治下の資材のない中で建立されたものは、魂魄之塔や健児之塔、ひめゆり之塔と同じく気付かれないことも多いそうです。現在の立派な碑が建立されたのは、平成4(1992)年6月のことになります。
沖縄戦に動員された学徒隊は9つあります。もっとも有名なものがひめゆり学徒で、糸満市米須に建てられているひめゆり之塔は、観光客の立ち寄りスポットとして多くの人が訪れる中、白梅之塔を訪れる方は殆どおられません。確かに場所がわかり辛いためこのあたりだというめぼしを付けて向かわないと迷う可能性もあります。しかしそれ程距離がある訳ではないため、せっかく南部の戦跡を巡るチャンスに恵まれたなら是非とも訪れて頂きたく思います。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- ひめゆりの塔から車で10分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた時には誰もいませんでした。
- バリアフリー:
- 4.0
- 入壕は無理ですが、慰霊塔は見学できます。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 戦後すぐの混乱期に建てられた初代白梅之塔には大変重みを感じます。
クチコミ投稿日:2016/03/06
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