2016/02/01 - 2016/02/01
1726位(同エリア6770件中)
ポポポさん
バチカン博物館、サンピエトロ大聖堂・クーポラ、サンピエトロ広場を観光し、残りの時間をローマの町歩き史跡巡りに使う事にしました。
バチカン博物館では調子が悪かった息子も、サンピエトロ大聖堂のクーポラからは絶好調です。冬期にもかかわらず本日は晴天に恵まれ気温をうなぎ上りでした。たぶん20度は越えているでしょう。
上着を脱いで2人は歩きに歩いて遺跡を巡りました。
サンピエトロ大聖堂を後にし、サンタンジェロ城、サンタンジェロ橋、ナヴォーナ広場、パンテオン、トッレ・アルジェンティーナ広場、カンピドーリオ広場、ヴィットリオエマヌエーレ2世記念と周り、最後は共和国広場の周辺を観光しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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サンタンジェロ城。
当初はハドリアヌス帝とハドリアヌス帝以降のローマ皇帝の霊廟として作られましたが、その後要塞に改築され教皇の避難場所として使用されるようになりました。
13世紀には城壁にバチカンと直結する避難通路ができました。
現在は博物館になっています。
城の屋上の塔には大天使ミカエルのブロンズ像が立っています。サンタンジェロ城 城・宮殿
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サンタンジェロ橋には10体の天使像が飾られていて、手にはそれぞれキリスト受難の象徴を持っています。
10体のうち2体はベルニーニが作成し、残りの8体はベルニーニの工房でつくられました。但しベルニーニの作品はレプリカで、本物はスペイン広場の近くにあるサンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に保管されています。
これは「槍を持つ天使」サンタンジェロ橋 建造物
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イチオシ
「槍を持つ天使」
サンタンジェロ橋は古い橋でサンタンジェロ城と同時期に造られました。
そしてこの橋はサンピエトロ大聖堂に行くためテヴェレ川にかかる唯一の橋でした。巡礼者はサンピエトロ大聖堂に巡礼するためには必ずこの橋をわたらなければ
ならなかったのです。
そんななか、ベルニーニは教皇ケレメンス9世から橋を飾る天使像の制作を依頼されました。
そこでベルニーニは10体の天使像を使ってはるばる巡礼に訪れた信者さん達に心にくい演出を用意していたのです。
この橋を渡ると天使達が出迎えてくれますが、その手に持つのはイエス様の受難の品々です。
受難の品を目にした信者さん達は全人類の身代わりとなって十字架に架けられたイエス様の生涯を思い起こし、深い感謝とともに心新たに大聖堂に参拝したのではないでしょうか。サンタンジェロ橋 建造物
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「酢を差し出す天使」」
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「十字架を持つ天使」
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イチオシ
「十字架を持つ天使」
青空に映えます。10体の天使像はどれも美しい顔立ちと姿でした。 -
「上書き書を持つ天使」
この像がベルニーニの作品ですが、これはレプリカです。 -
イチオシ
一番手前の天使、右が「釘を持つ天使」左が「衣服とサイコロを持つ天使」
サンタンジェロ城の屋上の像は「大天使ミカエル」です。サンタンジェロ城 城・宮殿
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サンタンジェロ橋からながめたバチカン市国とエマヌエーレ2世橋。
テベレ川 滝・河川・湖
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「鞭を持つ天使」
鳩が数羽像の上に止まっていました。近くに人がいても逃げません。サンタンジェロ橋 建造物
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右が「王座を持つ天使」、一つ城寄りの天使が「粗末な衣服の天使」。左が「鞭を持つ天使」その一つ城寄りの天使が「イバラの冠を持つ天使」です。
「イバラの冠を持つ天使」もベルニーニの作品です。ローマ歴史地区、教皇領とサン パオロ フオーリ レ ムーラ大聖堂(イタリア) 寺院・教会
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サンタンジェロ城の隣にあり最高裁判所。
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最高裁判所前のウンベルト橋から続くジュゼッペ・ザナルデッリ通りを抜けてナボーナ広場を目指します。
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ドミティアヌス競技場博物館。ここはその遺構が残る博物館の入り口です。
ドミティアヌス競技場は古代ローマ時代の競技場。カンプス・マルティウスの丘にあり、ドミティアヌス帝によって開設されました。
現在のナボーナ広場は競技場のフィールド部分です。つまりナボーナ広場はこの競技場の跡地に造られましたが観覧席部分は遺跡として現在も一部残っているんです。
残っている遺跡は現在の道路や地面より低いところにありました。 -
ナヴォーナ広場に到着しました。
これはネプチューンの噴水です。最初は水盤だけでしたが1878年のコンクールでネプチューン、海の精、キューピッドなどが付け加えられました。ネプチューンの噴水 史跡・遺跡
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ネプチューンの噴水
ネプチューンの噴水 史跡・遺跡
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ナヴォーナ広場。右にはサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会、広場の中央にはオベリスクとベルニーニ作四大河の噴水があります。
ナヴォーナ広場 広場・公園
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ベルニーニ作、四大河の噴水です。
四大河の噴水 史跡・遺跡
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丸い水盤の中央には岩が盛り上がり、その岩の隙間から動物が水を飲みに来ており、その上にナイル、ガンジス、ドナウ、ラプラタの四つの大河を表す像が乗っています。
日が傾いているため彫像が日陰になってしまい、明るい日の下で写真に収めるこのができませんでした。四大河の噴水 史跡・遺跡
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オベリスクはローマ時代のものでマクセンティウス帝の競技場から運んできたものです。
四大河の噴水 史跡・遺跡
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四大河の像です。
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四大河の噴水とサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会です。
四大河の噴水 史跡・遺跡
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イチオシ
四大河の像のアップです。
四大河の噴水 史跡・遺跡
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四大河の噴水。
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ムーア人の噴水。
ベルニーニの下絵をもとにアントニオ・マーリが彫ったものです。ムーア人の噴水 史跡・遺跡
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ムーア人の噴水。
彫像をアップしました。ムーア人の噴水 史跡・遺跡
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イチオシ
ナヴォーナ広場の全景です。日が傾いてきたため西側の建物は陰になってしまいました。
広場に影が広がり暗い感じになりました。ナヴォーナ広場 広場・公園
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ナヴィーナ広場。
ナヴォーナ広場 広場・公園
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サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会。
聖女アグネスを祀る教会です。聖女アグネスは13歳でキリスト教の信仰と純潔を守りディオクレティアヌス帝の時代に殉教した聖人です。その聖女アグネスが処刑された場所に建てられたのがこの教会です。サンタニェーゼ イン アゴーネ教会 寺院・教会
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ナヴォーナ広場に面したNostra Signora del sacura cureo教会です。
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ナヴォーナ広場をあとにしてパンテオンに行きます。
通りを1本早く曲がってしまい、パンテオンに行くつもりがサンビエンツァ宮に行ってしまいました。サンタニェーゼ イン アゴーネ教会 寺院・教会
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サビエンツァ宮にあるサンティーボ・アッラ・サピエンツァ教会です。たまたま通りかかって入ってみたら教会がありました。
教会は修復中で入れません。調べたら毎週日曜日の午前中しか入れないそうです。
ここはサビエンツァ宮殿に囲まれた中庭で、教会は中庭の奥にあります。
かつてローマ大学が「ラ・サビエンツァ」と呼ばれていたころこの教会は大学の礼拝堂として建てられました。
またサビエンツァ宮はローマ大学が学園都市に移転してからは国立文書館になりました。
教会の左右にある回廊がサビエンツァ宮です。 -
サビエンツァ宮の入り口です。
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サビエンツァ教会の説明パネルです。
バロック様式で教皇ウルバヌス8世がボッロミーニに依頼して建てられました。
この建物の特徴は窪んだ壁とねじれた尖塔です。 -
イチオシ
道を戻ってパンテオンに到着しました。
パンテオンとは全ての神々に捧げられた神殿です。ローマ建築の最も完全な遺構で今から1900年前に建てられた建物です。
正面列柱が支える三角破風にはアグリッパが建造したと書かれていますが、現遺構はレンガ材の刻印によって118年ハドリアヌス帝が再建したことが確認されています。
パンテオンが他のローマ時代の建物と違い保存状態が良好だったのは7世紀初頭に聖母と殉教者を祭る教会に転用されたためでした。
世界最大の石造りの建物で列柱の前に立つとその巨大さに感動します。
息子は古さ、巨大さ、荘厳さに感激して写真を撮りまくっていました。パンテオン 建造物
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パンテオンの前に広がるロトンダ広場。
噴水のオベリスクがあります。かつてパンテオンの東側にはイシス神殿があり、この神殿はカエサルが亡くなった翌年紀元前43年に建てられました。
神殿の跡地からオベリスクが何本も出土していて、その一本がここに立てられました。
ローマにはエジプトにおける太陽神の象徴オベリスクが13本もあります。元々ローマは多神教でしたのでエジプトの信仰も普及しました。すでにエトルリアやギリシアなど異国の神々を導入し八百万の神々を崇めていたので、エジプトの神々の導入もさして抵抗はなかったようです。
そして紀元前1世紀後半ローマのおけるエジプトブームが始まりました。
火付け役は征服先エジプトから凱旋したカエサルです。彼はエジプトの女王クレオパトラをローマに連れ帰り、アレクサンドリアの天文学者による太陽暦(ユリウス暦)を導入しました。
そしてエジプトのイシス神を祀る神殿が(亡くなったカエサルによって計画されていたのでしょう。)建設されました。
ローマのエジプトブームはその後即位した幾人かの皇帝にも引き継がれて行きました。ロトンダ広場 広場・公園
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中にはいってすぐに目を引くのがクーポラの天窓です。パンテオンのクーポラはサンピエトロ大聖堂のクーポラをしのぐ大きなものです。
直径9mの天窓は開いていて、堂内の唯一の光源になっています。
天窓の穴の大きさは、クーポラに降り注ぐ雨が堂内に降り込まないように計算されきめられたと何かの本で読んだ記憶がありますが、訪問した当日は快晴のため確認できませんでした。
但し床は水抜きと思われる穴があけてありましたので、やはり雨の日は雨水や雫が落ちてくるんだと思います。
なお当日は日が傾いていたので差し込む日の光は、クーポラの内部に当たっていました。パンテオン 建造物
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内部は7つの大きな壁龕があり、その中の一つのフレスコ画、メロッツォ・ダ・フォルリ作「受胎告知」です。
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イタリアを統一し初代国王となったヴィットリオ・エマヌエーレ2世の墓です。
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フレスコ画「聖母子」。
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主祭殿です。
シーズンオフにもかかわらず、内部は大変な人混みです。内部の様子を写そうとすると人ばかり撮ってしまうような状況でした。パンテオン 建造物
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ラファエロの墓です。
ラファエロは37歳で亡なりますが、死に際してここに埋葬するよう遺言しました。墓の上に設置されている聖母子像は生前ラファエロが同時代の彫刻家ロレンツェットに依頼したものです。 -
石棺にあたる光が明るすぎて、墓に掘られた文字が読み取れません。神殿の内部はノーフラッシュで撮っていたので、周囲との明暗が際立ちすぎていたようです。
棺の左上にラファエロの名前が見えます。 -
で、次にコンデジを夜景モードに切り替えて撮ると今度は周囲が真っ暗になってしまいました。
石棺に刻まれた模様と右にラファエロの名前の一部が見えます。 -
壁龕に設置された彫像。
パンテオン 建造物
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パンテオンの玄関柱廊です。
人と比べるとその大きさが分かると思います。
パンテオンは古代ローマのセメント工法の粋を集めて建てられた建築物です。当初クーポラは青銅の瓦で覆われていましたが、現在は鉛板で葺かれています。
入り口の天井(写真の天井部分)部分に貼られていた青銅ははがされて、サンピエトロ大聖堂のバルダッキーノ(主祭壇、聖ペテロの墓の天蓋)に使用されました。パンテオン 建造物
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パンテオンの東側にあるミネルヴァ通りです。この通りの先にミネルヴァ広場があります。
このレンガ造りの遺跡はアルゴー船隊員の柱廊です。金の羊毛皮を求めた冒険者たちの彫像がここに並んでいました。その東側にあった建物がアクリッパが竣工させたユリウスの投票場です。さらにその東に先程説明したイシス神殿がありました。
イシス神殿の投票場も、もはや遺構は見られません。 -
ミネルヴァ広場です。中央にはオベリスクを乗せたゾウのモニュメントが立っています。
このオベリスクは紀元前6世紀にエジプトで造られ、その後ローマに持ち込まれて古代ローマのイシス神殿に建てられたものです。
この像の彫像とオベリスクを像の背に乗せるというデザインはベルニーニで、ゾウの彫像は弟子のエルコール・フェラッタが作成しました。
ゾウのオベリスクの右にある白い建物はサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会です。
この教会はローマで唯一のゴシック建築で、教会の美術館と言われるほど多くの美術品を所蔵する教会です。
事前の下調べではこの教会を見学する予定にしていましたが、実際訪れてみると教会とは思えない建物なのでこれがミネルヴァ教会だとは分からずスルーしていまいました。
後で思い出したんですが、もう行く時間がなく残念な思いをしました。
この後はチェスタリ通りをまっすぐ南に下りました。ミネルヴァ広場 広場・公園
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チェスタリ通り沿いの左右には、教会で使用する司祭服や祭服、十字架や燭台や祭器を取り扱う店が軒を並べていました。
祭服は金糸銀糸で装飾され、華やかです。
金・銀の祭器はきらきら輝き、豪華で美しかったです。 -
この店も華やかでしたね。
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プレゼビオを扱っている店もありました。
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トッレ・アルジェンティーナ広場に到着しました。ここはカンポ・マルツィオ(軍神マルスの原)と呼ばれ練兵場などに利用され、軍神マルスの神殿があったところです。
ポンペイウスが劇場と回廊を建設するなどしてしだいに建物が増え、古代ローマの新都心的性格の場所となりました。
トッレ・アルジェンティーナ広場はその中心地でした。さらにここはカエサルがブルータス他の元老院議員に刺殺された場所でもあります。
バスの車窓から見ましたが、この目で直に見たいと思いやってきました。トッレ アルジェンティーナ広場 広場・公園
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ここはトッレ・アルジェンティーナの聖域(アレア・サクラ)と呼ばれ、共和制時代の四神殿があります。北から南に順にABCDと呼ばれていますがD神殿は大部分が地下に埋もれていました。
この聖域の周囲にはポンペイウスの劇場、アグリッパの浴場、ポンペイウスのクーリアなどがあります。
ここはA神殿とB神殿です。トッレ アルジェンティーナ広場 広場・公園
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円形のB神殿です。
その左がC神殿です。アレア サクラ 博物館・美術館・ギャラリー
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B神殿の後ろの壁がポンペイウスのクーリアで、カエサルはここでブルータスや何人もの元老院議員によって刺殺されたのです。
古代ローマ史のなかでも衝撃的な事件です。
ブルータスはカエサル暗殺の大義を演説して民衆の心を虜にしましたたが、その後演説したアントニーがカエサル追悼を隠れ蓑にブルータスを陥れる演説をして大逆転をはたします。
その後歴史は大きく動いて共和制から帝政に変わって行くのですが、その歴史的な場所に今いるんだと思うとちょっと感動しますね。トッレ アルジェンティーナ広場 広場・公園
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A神殿とB神殿です。この2つの神殿が神殿の様子をよく残しているようです。
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カンピドーリオの丘の上にミケランジェロが設計したカンピドーリオ広場です。
広場に上がる階段もミケランジェロが設計したものです。
ガイドさんは以前ここをミケランジェロの階段と呼んでいました。
カンピドーリオの丘はローマ7丘の一つで古代にはローマ最高神のユピテル、ユノー、ミネルヴァの3神を祀る壮大な神殿が建っていました。カンピドーリョ広場 広場・公園
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こちらはカンピドーリオ広場の左隣にあるサンタ・マリア・イン・アラチェリ教会です。
その左にはヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂が見えます。サンタ マリア イン アラチェリ教会 寺院・教会
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階段の最上段、広場の入り口の両側には帝政時代の人馬の彫像がありました。
カンピドーリョ広場 広場・公園
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こちらは向かって左側。奥の建物はカピトリーニ美術館新宮です。
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右側の彫像。
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カピトリーニ美術館の新宮。
新宮 (カピトリーニ美術館) 博物館・美術館・ギャラリー
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広場の正面には市庁舎があります。正面の銅像はマリクス・アウレリウス帝の騎馬像(複製)です。本物は美術館の中にあるそうです。
この市庁舎の下に古代ローマのタブラリウム(公文書館)があります。市庁舎 タブラリウム (カピトリーニ美術館) 博物館・美術館・ギャラリー
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広場の右の建物が美術館のコンセルヴァトーリ宮で内部には博物館と絵画館があります。
コンセルヴァトーリ クレメンティーノ宮 (カピトリーニ美術館) 博物館・美術館・ギャラリー
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市庁舎正面の彫像もよかったです。
さらに市庁舎の裏側にはフォロ・ロマーノの遺跡が広がっていて、広場の裏手からそれを眺めることができます。市庁舎 タブラリウム (カピトリーニ美術館) 博物館・美術館・ギャラリー
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市庁舎の裏手から眺めたフォロ・ロマーノの遺跡群です。
セウェルスの凱旋門、サトゥルヌスの祭壇、首都のへそ、ロストラ(演壇)、フォスカも記念柱、ユリウスのバシリカ、カストルとボルクスの神殿などが一望のもとに見渡せます。
首都のへそはフォロ・ロマーノ側からは見えません。またロストラ(演壇)はこちら側の方が全体を見渡せます。
フォロ・ロマーノの中から見る風景よりも全体の風景はこちらの方が見ごたえがありました。フォロ ロマーノ 建造物
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イチオシ
カメラを少し右に振るとサトゥルヌスの神殿、ウスパシアヌスとティトスの神殿が間近に見えました。さらに神殿のしたには遺跡群が散らばっています。
サトゥルヌスの神殿 史跡・遺跡
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凱旋門側からみたフォロ・ロマーノの風景も良かったのですが、私が見たかったのは市役所の右から見た景色だったことを後から気がつきました。
私は市庁舎の右から眺めた風景がいいと事前の下調べで知ったのですが、フォロ・ロマーノの観光をしている時に、フォロ・ロマーノ側から見て市庁舎の右側、つまり凱旋門側と勘違いしてしまいました。
これは大きな勘違いでした。帰国して確認したところ、市庁舎に向かって右側から見るフォロ・ロマーノの風景がベストショットの風景だったんです。
こちら側からの風景が断然いいですので、お間違えのないように皆さんしてください。
私も念のため市庁舎側の右手に回ってみればよかったのですが、フォロ・ロマーノの景色が見れたことで満足してそのような事は頭から飛んでしまっていました。
いや大失敗でした。
これを取り戻すのには、もう一度ローマに行かなくてはならなくなりました。(笑)フォロ ロマーノ 建造物
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イチオシ
いずれにしてもローマは一度や二度ではとても見切れません。またいつの日か再びローマに来たいと思います。
では最後にもう一度フォロ・ロマーノの景色を収めて集合場所に戻りましょう。フォロ ロマーノ 建造物
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カンピドーリオ広場に立つ円柱の先に飾られている「カピトリーノの雌狼」のレプリカ。
本物はカピトリーナ美術館(コンセルヴァトーリ博物館)に展示されています。
この像はローマ建国の祖とされる双子のロムルスとレムスが雌狼の乳を飲んでいる有名な彫像です。
ローマ古代史の歴史の本には必ず登場する彫像です。高校の世界史の教科書にもこの像の写真が載っていました。
実はこの像は日本に来たことがあります。
それは1970年大阪で開かれた万国博覧会です。イタリア館でガラスケースに入れられて、他の有名な彫像と一緒に展示されていました。
実物のブロンズ像を目にしてとても感動したことを今でもはっきりと覚えています。
私的にはアメリカ館の月の石やソ連館の宇宙船の実物展示よりもずっとこのブロンズ像の方が印象に残っています。
なぜなら、当時は古代ローマ史にとても興味があったからです。
息子にこのことを説明しつつカンピドーリオ広場を後にしました。 -
カンピドーリオ広場とカピトリーニ美術館(コンセルヴァトーリ宮)です。
ミケランジェロが設計した広場は今でも多くの人が訪れる場所です。
景観が素晴らしくすてきな広場だと思いました。
息子は感慨深げな顔で何度も周囲を見渡したり、振り返ったりしていました。
当初は美味しいものが食べられるからイタリアがいいと言っていたのですが、そのうち色々な絵や彫像を見てきたい、素敵な通りを歩いてみたいに変わってきました。
このカンピドーリオ広場の風景が見えるところまで来て、ここに今から行くと告げると「僕もここに来てみたかった。」と言ってくれました。
バスの車窓から眺めた時、階段を上ってその先の景色を見たいと思ったのでしょう。
息子は私と違って歴史には全く興味を持っていませんでした。欧州、特にローマに来るからにはある程度歴史の知識がなければ同じ物を見ても面白くないのではないでしょうか。
そう思ってましたが、今回の旅行で随分刺激を受けたようでした。息子は息子なりに感じる所があったようです。ヴァチカンやローマの遺跡群、彫刻類、各教会の内部の絵や装飾や荘厳さ、カゼルタ王宮などの素晴らしさに触れて興味が湧いたようです。
是非これを機会に知識を広めてほしいと思います。カピトリーニ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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市庁舎。この地下がタブラリウム(文書館)です。
さあ、これからヴェネチア広場に出て最後は共和国広場に行きましょう。市庁舎 タブラリウム (カピトリーニ美術館) 博物館・美術館・ギャラリー
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この旅行記へのコメント (2)
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- ももであさん 2016/05/30 18:29:41
- 超先進技術
- ポポポさん
世界遺産数No.1のイタリア
ローマ市内ともなれば、圧巻ですね。
中でもパンテオンが好きです。
コンピュータなどない2千年もの昔に、一体どうやって
構造計算したのでしょうか?
天井の頂上に近づくにつれて、ドーム壁が薄くなり、
軽量化しているとか。ついには頂上の巨大な穴
誰も思いつかない大胆な設計ですよね。
現代の鉄筋コンクリートですら、精々もって100年
2千年を生きるローマン・コンクリートも驚異です。
そんなパンテオンに埋葬されたラファエロさんもスゴイ!
ぼくらがいくら遺言したって、叶わぬ夢ですから。
ももであ
- ポポポさん からの返信 2016/05/31 23:29:37
- RE: 超先進技術
- 今晩はももであさん。ご無沙汰しています。
>
> 世界遺産数No.1のイタリア
> ローマ市内ともなれば、圧巻ですね。
本当にそうですね。町のいたる所に遺跡や歴史的建造物ありです。特に教会と古代ローマ時代の遺跡が目に付きます。
> 中でもパンテオンが好きです。
> コンピュータなどない2千年もの昔に、一体どうやって
> 構造計算したのでしょうか?
パンテオンは写真で見るのと実物とでは大違い、とにかく巨大な建物です。通りを抜けると突然目の前に大きな建物が現れ驚きました。さらにパンテオンは2千年も前の建物でほぼ完全な姿で残っていると聞けばまたまたびっくり。古代ローマの建築技術恐るべしです。
> 天井の頂上に近づくにつれて、ドーム壁が薄くなり、
> 軽量化しているとか。ついには頂上の巨大な穴
> 誰も思いつかない大胆な設計ですよね。
> 現代の鉄筋コンクリートですら、精々もって100年
> 2千年を生きるローマン・コンクリートも驚異です。
>
ローマン・コンクリートは現代のコンクリートより強度が倍以上あるそうですね。さらに鉄筋を使用しないのでひび割れや劣化が起こらない。
それと水道橋などに多用されたアーチ構造、これを立体化してクーポラに使用しているそうです。ローマの建物は石造りなので、アーチ構造を建物に多く使用しています。このアーチ構造の技術の進化も古代ローマの建物が今に残っている理由の一つだと思います。
いずれにしても古代ローマの技術はすばらしい。感心しますね。
ポポポ
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