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<2006年5月1日(月)><br /><br /> 昨日、Kwさんご夫妻とお別れして、今日からは4名となりました。5月2日には、私を含め3名が帰国しますので、この後、残るのは、Muさんだけの予定です。(ウィキペディア)<br /><br /><駅前通りでの朝食><br /> 朝早く、7時に食事に出ました。朝食は駅前通りに面した食堂にしました。昨年か一昨年に立ち寄ったキンパップ(韓国海苔巻き)のお店がまだ開店していませんでしたから、その並びの新しいお店でした。<br /> 注文したのは、3人揃ってスンドゥプチゲ(純豆腐鍋)でした。Ytさんは、朝食は止めにするとの話しでした。その新しいお店は繁盛していました。テーブルにも団体客がいて、山のように作られたキンパップも、次々に売れていきました。こちらは、持ち帰りの客が殆どでした。<br /> スンドゥプの味は十分でした。下地にアサリをたっぷり使ってあり、何より豆腐が煮え過ぎずに、柔らかくいい具合でした。値段も3500ウォンですからお値打ちです。キンパップの各種メニューがありましたが、1本、1000ウォンから揃っていました。駅前の地の利が生かされていました。<br /><br /><南漢山城へ><br /> 私は連泊予定でしたから、手荷物無しで出かけましたが、MuさんとKtさんは、今晩はソウル宿泊予定ですから、荷物を纏めての出発でした。仁川駅で乗車して、南漢山城の最寄り駅であるサンソン駅までは、たっぷりと時間が掛かりました。<br /> 1号線からは漢江(ハンガン)の南の新道林(シンドリム)で2号線に乗換え、更にロッテワールド近くの蚕室(チャムシル)で、8号線に乗換えました。この駅から七つ目がサンソン駅です。駅の数では、50近い行程です。2時間近く掛かりました。<br />サムソン駅からは南漢山城行きのバスが出ていますが、中々やって来ませんでしたから、タクシーを使いました。約1万ウォンでした。<br /><br /><南漢山城の歴史とエピソード><br /> 先に南漢山城(ナマンサンソン)のことから紹介しておきます。百済時代に土城として築城されたのが起源のようですが、詳しい歴史は、インターネット情報、ガイドブックでは調べることが出来ませんでした。この山城を舞台にした、朝鮮時代のエピソードなどを紹介しておきます。<br /> 南漢山城は、朝鮮仁祖14年(1637年)丙子胡(ピョンジャホ)乱の際、清の率いる10万人の軍隊に圧倒された朝廷が、40日余りの篭城の末和親条約を結んだ歴史的な現場です。<br /> ここは歴史の現場だけに数多くの説話が伝えられており、いくつかを紹介します。<br /> その一つは、『父親の病を治す薬である鯉を手に入れるために、井戸の傍らで天に祈りを捧げたところ、井戸から黄金の鯉が現れた』と、言う『親孝行井戸』の伝説があります。<br /> 二つ目は、『南漢山城を築城した李晦(イ・フェ)将軍が、完成の日を守らなかったという罪で守禦将台(シュオチャンデ)の前で絞首刑にされるや、将軍の首から鷹が一羽現れて近くの岩の上に座り、すぐに飛び去った』と、言う『鷹岩』の伝説があります。<br /> 三つ目は、『朝鮮王朝の正祖王から官位を授かった』と言う、松の木の話です。<br /> 今回は、新緑の時期の山城散策でしたが、紅葉の時期もまた素晴らしいと言われます。ホームページにあった写真を失敬して、エピソード紹介に代えます。<br /><br /><南漢山城散策><br /> 南漢山城への入場料は1000ウォンのようですが、結局、徴収されませんでした。散策のスタートの南門で、タクシーを降りました。サンソン駅のバス停前からは、20分とはかからなかったようです。<br /> 一番高いのは、守護将台付近です。その標高は、460m程とされます。一帯は、城壁で囲まれた盆地となっていて、長期間の篭城にも耐えたようです。喪失してしまった城壁部分もあるようです。<br /> 日本では、開花しかかった桜の時期に、寒い日が続きましたので、長く桜が咲いていましたが、ここ韓国でも、あちこちで桜を見ることが出来ました。この時期の韓国旅行ですと、牡丹桜に代わっていますが、山桜が満開でした。<br /> 南門から守護将台を目指して登り始めましたが、余りの急坂に、半分ほど登ったところで諦めました。小さな峠になっていた場所でした。MuさんとKtさんは、手荷物を持っての登山でしたし、上着を脱いでも、暑さが厳しい陽気となってきました。<br /> 城壁沿いの道からは、間道を抜けて車道に出ることが出来ました。下りは楽でした。先程の登りのことが、別のことのように思えました。喘ぎつつ上った城壁沿いの道からは、山の所々で咲いていた山桜のパステルカラーの色が印象に残りました。<br /> 簡単な昼食の後、帰りはバスにしました。サンソン入口駅付近を大回りして、見覚えのあるサンソン駅に戻ってきました。<br /><br /><自由行動、ロッテデパートへ><br /> サンソン駅でMu井さんとKtさんに別れを告げ、単独行動となりました。最初にデジカメの充電器用のアダプターを買うため、ロッテデパートに立ち寄りました。2号線への乗換の蚕室(チャムシル)駅が最寄り駅です。お二人はそのまま、ソウル中心部へ向かわれました。<br /> ロッテの免税店では、アダプターのような小物を取り扱っていませんでしたから、デパートの方を覗きましたら、文房具屋さんで簡単に入手できました。1本500ウォンですから、日本円では60円です。免税店では無理な品でした。<br /><br /><ロッテ、民族博物館><br /> デジカメは使えませんでしたが、AUの携帯カメラが使えましたので、民族博物館を見学しました。世界最大の室内遊園地を持つレジャー施設と言われる、ロッテワールドの施設の一部です。施設内にはロッテ民族博物館のほか、遊園地、ショッピングスペースや、ロッテワールドホテル、映画館などがあります。<br /> 民族博物館は、景福宮の敷地内に国立民族博物館がありますが、こちらは火曜日が休館日となっています。今日は、その火曜日です。ロッテワールド内のほかの施設の入場券を含めた施設チケットもありますが、民族博物館だけのチケットを購入しました。<br /> 先史時代から始まり、三国時代の高句麗、新羅、百済に分けて分かりやすく展示してあります。一番の見所は、景福宮のミニチュアモデルです。即位式の様子がリアルに展示してあり、全体を見渡せる中二階から見学することが出来ます。<br /> その中二階の下が売店です。日本語が達者な中堅の女性の方が、<br /> 『今年のゴールデンウィークは、日本からの客が少なく大変です』<br /> と嘆いていましたので、<br /> 『大丈夫、ゴールデンウィークはこれからです。この後に来ますよ』<br /> と慰めておきました。ついでに、このお店で、お土産を買い求めました。同情してしまった、私の作戦負けだったかも知れません。<br /><br /><夕食は、ウォルミドで><br /> 民族博物館見学の後は、一旦、仁川の旅館へ戻りました。朝、出かける前に洗濯をした衣類は、既に乾いていました。少し窓を開けていたのがよかったようです。4階の部屋であり、泥棒の心配が無い窓でした。<br /> Ytさんも、大分体調を戻されたようでした。明日は、ソウル方面の見学に出かけてから、インチョン国際空港へ向かわれるとのことでした。ロッテデパートで買ってきたアダプターを使って、早速デジカメの充電を始めました。<br /> デジカメの充電が出来たところで、夕方、ウォルミド(月尾島)へ出かけました。夕食と、夜景を撮るためです。旅館付近の中華街は、既に何度も撮りましたから、対象物がなくなってきました。<br /> 行きはタクシーに乗りました。15分とはかかりませんし、バス代ともそんなに違わない料金です。100円と200円の違い程度です。<br /> ウォルミドに着いたのは、丁度夕日が沈む頃でした。先に夕食を済ませましたが、4万ウォンの刺身の量が多く、少し残してしまいました。前菜だけでも十分なくらいの量でした。これが、このお店では一番お値打ちなメニューでした。大道芸などの見学を楽しんだ後、今度はバスを使って仁川駅前まで戻りました。<br /><br /><br />  南韓山城で<br /> 山桜城壁続く内外に<br /><br /> 山の春木陰に咲や花一輪<br /><br /> 喘つつ登るや山の城の春<br /><br />  ウォルミドで<br /> 春野菜包む白身にコチュ添て<br /><br /> 飛入の踊で沸くや春埠頭

2006春、韓国紀行15(14/20):5月1日(1):ソウル、南漢山城(ナマンサンソン)、南門の至和門

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2006/04/27 - 2006/05/02

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旅行記グループ 2006春、韓国旅行記15

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<2006年5月1日(月)>

 昨日、Kwさんご夫妻とお別れして、今日からは4名となりました。5月2日には、私を含め3名が帰国しますので、この後、残るのは、Muさんだけの予定です。(ウィキペディア)

<駅前通りでの朝食>
 朝早く、7時に食事に出ました。朝食は駅前通りに面した食堂にしました。昨年か一昨年に立ち寄ったキンパップ(韓国海苔巻き)のお店がまだ開店していませんでしたから、その並びの新しいお店でした。
 注文したのは、3人揃ってスンドゥプチゲ(純豆腐鍋)でした。Ytさんは、朝食は止めにするとの話しでした。その新しいお店は繁盛していました。テーブルにも団体客がいて、山のように作られたキンパップも、次々に売れていきました。こちらは、持ち帰りの客が殆どでした。
 スンドゥプの味は十分でした。下地にアサリをたっぷり使ってあり、何より豆腐が煮え過ぎずに、柔らかくいい具合でした。値段も3500ウォンですからお値打ちです。キンパップの各種メニューがありましたが、1本、1000ウォンから揃っていました。駅前の地の利が生かされていました。

<南漢山城へ>
 私は連泊予定でしたから、手荷物無しで出かけましたが、MuさんとKtさんは、今晩はソウル宿泊予定ですから、荷物を纏めての出発でした。仁川駅で乗車して、南漢山城の最寄り駅であるサンソン駅までは、たっぷりと時間が掛かりました。
 1号線からは漢江(ハンガン)の南の新道林(シンドリム)で2号線に乗換え、更にロッテワールド近くの蚕室(チャムシル)で、8号線に乗換えました。この駅から七つ目がサンソン駅です。駅の数では、50近い行程です。2時間近く掛かりました。
サムソン駅からは南漢山城行きのバスが出ていますが、中々やって来ませんでしたから、タクシーを使いました。約1万ウォンでした。

<南漢山城の歴史とエピソード>
 先に南漢山城(ナマンサンソン)のことから紹介しておきます。百済時代に土城として築城されたのが起源のようですが、詳しい歴史は、インターネット情報、ガイドブックでは調べることが出来ませんでした。この山城を舞台にした、朝鮮時代のエピソードなどを紹介しておきます。
 南漢山城は、朝鮮仁祖14年(1637年)丙子胡(ピョンジャホ)乱の際、清の率いる10万人の軍隊に圧倒された朝廷が、40日余りの篭城の末和親条約を結んだ歴史的な現場です。
 ここは歴史の現場だけに数多くの説話が伝えられており、いくつかを紹介します。
 その一つは、『父親の病を治す薬である鯉を手に入れるために、井戸の傍らで天に祈りを捧げたところ、井戸から黄金の鯉が現れた』と、言う『親孝行井戸』の伝説があります。
 二つ目は、『南漢山城を築城した李晦(イ・フェ)将軍が、完成の日を守らなかったという罪で守禦将台(シュオチャンデ)の前で絞首刑にされるや、将軍の首から鷹が一羽現れて近くの岩の上に座り、すぐに飛び去った』と、言う『鷹岩』の伝説があります。
 三つ目は、『朝鮮王朝の正祖王から官位を授かった』と言う、松の木の話です。
 今回は、新緑の時期の山城散策でしたが、紅葉の時期もまた素晴らしいと言われます。ホームページにあった写真を失敬して、エピソード紹介に代えます。

<南漢山城散策>
 南漢山城への入場料は1000ウォンのようですが、結局、徴収されませんでした。散策のスタートの南門で、タクシーを降りました。サンソン駅のバス停前からは、20分とはかからなかったようです。
 一番高いのは、守護将台付近です。その標高は、460m程とされます。一帯は、城壁で囲まれた盆地となっていて、長期間の篭城にも耐えたようです。喪失してしまった城壁部分もあるようです。
 日本では、開花しかかった桜の時期に、寒い日が続きましたので、長く桜が咲いていましたが、ここ韓国でも、あちこちで桜を見ることが出来ました。この時期の韓国旅行ですと、牡丹桜に代わっていますが、山桜が満開でした。
 南門から守護将台を目指して登り始めましたが、余りの急坂に、半分ほど登ったところで諦めました。小さな峠になっていた場所でした。MuさんとKtさんは、手荷物を持っての登山でしたし、上着を脱いでも、暑さが厳しい陽気となってきました。
 城壁沿いの道からは、間道を抜けて車道に出ることが出来ました。下りは楽でした。先程の登りのことが、別のことのように思えました。喘ぎつつ上った城壁沿いの道からは、山の所々で咲いていた山桜のパステルカラーの色が印象に残りました。
 簡単な昼食の後、帰りはバスにしました。サンソン入口駅付近を大回りして、見覚えのあるサンソン駅に戻ってきました。

<自由行動、ロッテデパートへ>
 サンソン駅でMu井さんとKtさんに別れを告げ、単独行動となりました。最初にデジカメの充電器用のアダプターを買うため、ロッテデパートに立ち寄りました。2号線への乗換の蚕室(チャムシル)駅が最寄り駅です。お二人はそのまま、ソウル中心部へ向かわれました。
 ロッテの免税店では、アダプターのような小物を取り扱っていませんでしたから、デパートの方を覗きましたら、文房具屋さんで簡単に入手できました。1本500ウォンですから、日本円では60円です。免税店では無理な品でした。

<ロッテ、民族博物館>
 デジカメは使えませんでしたが、AUの携帯カメラが使えましたので、民族博物館を見学しました。世界最大の室内遊園地を持つレジャー施設と言われる、ロッテワールドの施設の一部です。施設内にはロッテ民族博物館のほか、遊園地、ショッピングスペースや、ロッテワールドホテル、映画館などがあります。
 民族博物館は、景福宮の敷地内に国立民族博物館がありますが、こちらは火曜日が休館日となっています。今日は、その火曜日です。ロッテワールド内のほかの施設の入場券を含めた施設チケットもありますが、民族博物館だけのチケットを購入しました。
 先史時代から始まり、三国時代の高句麗、新羅、百済に分けて分かりやすく展示してあります。一番の見所は、景福宮のミニチュアモデルです。即位式の様子がリアルに展示してあり、全体を見渡せる中二階から見学することが出来ます。
 その中二階の下が売店です。日本語が達者な中堅の女性の方が、
 『今年のゴールデンウィークは、日本からの客が少なく大変です』
 と嘆いていましたので、
 『大丈夫、ゴールデンウィークはこれからです。この後に来ますよ』
 と慰めておきました。ついでに、このお店で、お土産を買い求めました。同情してしまった、私の作戦負けだったかも知れません。

<夕食は、ウォルミドで>
 民族博物館見学の後は、一旦、仁川の旅館へ戻りました。朝、出かける前に洗濯をした衣類は、既に乾いていました。少し窓を開けていたのがよかったようです。4階の部屋であり、泥棒の心配が無い窓でした。
 Ytさんも、大分体調を戻されたようでした。明日は、ソウル方面の見学に出かけてから、インチョン国際空港へ向かわれるとのことでした。ロッテデパートで買ってきたアダプターを使って、早速デジカメの充電を始めました。
 デジカメの充電が出来たところで、夕方、ウォルミド(月尾島)へ出かけました。夕食と、夜景を撮るためです。旅館付近の中華街は、既に何度も撮りましたから、対象物がなくなってきました。
 行きはタクシーに乗りました。15分とはかかりませんし、バス代ともそんなに違わない料金です。100円と200円の違い程度です。
 ウォルミドに着いたのは、丁度夕日が沈む頃でした。先に夕食を済ませましたが、4万ウォンの刺身の量が多く、少し残してしまいました。前菜だけでも十分なくらいの量でした。これが、このお店では一番お値打ちなメニューでした。大道芸などの見学を楽しんだ後、今度はバスを使って仁川駅前まで戻りました。


  南韓山城で
 山桜城壁続く内外に

 山の春木陰に咲や花一輪

 喘つつ登るや山の城の春

  ウォルミドで
 春野菜包む白身にコチュ添て

 飛入の踊で沸くや春埠頭

同行者
友人
交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー
  • 南漢山城(ナマンサンソン)は、ソウル中心部から、漢江(ハンガン)を越えた、南西部に位置します。この地図では赤い線路の一番西側付近に記されています。

    南漢山城(ナマンサンソン)は、ソウル中心部から、漢江(ハンガン)を越えた、南西部に位置します。この地図では赤い線路の一番西側付近に記されています。

  • 地下鉄8号線の路線図です。南漢山城駅での撮影です。8号線のイメージカラーは、濃いピンク色です。

    地下鉄8号線の路線図です。南漢山城駅での撮影です。8号線のイメージカラーは、濃いピンク色です。

  • 地下鉄8号線のサンソン(山城)駅の改札口です。仁川駅を出て、2時間以上は掛かりました。途中、2回乗換えでした。

    地下鉄8号線のサンソン(山城)駅の改札口です。仁川駅を出て、2時間以上は掛かりました。途中、2回乗換えでした。

  • バス停近くの花壇に咲いていた花の紹介です。春頃の花としては一番ポピュラーな三色菫、パンジーです。紫がかった赤色の花です。

    バス停近くの花壇に咲いていた花の紹介です。春頃の花としては一番ポピュラーな三色菫、パンジーです。紫がかった赤色の花です。

  • こちらは黄色のパンジーです。パンジーの名前の由来は、フランス語の「思想」「思い」の「Pansee」(パンセ)とされます。<br />

    こちらは黄色のパンジーです。パンジーの名前の由来は、フランス語の「思想」「思い」の「Pansee」(パンセ)とされます。

  • 地下鉄のサンソン駅で降りて、バス停前の風景です。バスで戻ってくる時に、この景色を覚えていたのが役立ちました。降りる時の目印でした。

    地下鉄のサンソン駅で降りて、バス停前の風景です。バスで戻ってくる時に、この景色を覚えていたのが役立ちました。降りる時の目印でした。

  • バス停標識です。バスの本数が少ないらしく、中々やって来ませんでした。3人乗れば値段はほとんど変わりませんので、結局はタクシーにしました。

    バス停標識です。バスの本数が少ないらしく、中々やって来ませんでした。3人乗れば値段はほとんど変わりませんので、結局はタクシーにしました。

  • 山道をタクシーで登り、南漢山城に到着しました。1万ウォンはしませんでした。南漢山城の見取り図です。

    山道をタクシーで登り、南漢山城に到着しました。1万ウォンはしませんでした。南漢山城の見取り図です。

  • 真っ白な花が満開ですが、葉も一緒に出ています。ソメイヨシノではなく、山桜の系統のようです。ソウルは、緯度で言えば青森辺りです。この時期でも、桜の満開に出会うことが出来ました。

    真っ白な花が満開ですが、葉も一緒に出ています。ソメイヨシノではなく、山桜の系統のようです。ソウルは、緯度で言えば青森辺りです。この時期でも、桜の満開に出会うことが出来ました。

  • 額には『至和門』の文字があります。ナマンサンソンの見学は、この門から始めました。南門と呼ばれているようです。

    額には『至和門』の文字があります。ナマンサンソンの見学は、この門から始めました。南門と呼ばれているようです。

  • 今度は横長にして、南門全体の撮影です。南漢山城の起源は2000年前に遡りますが、本格的な城が築城されたのは、朝鮮時代の17世紀初期頃とされます。

    今度は横長にして、南門全体の撮影です。南漢山城の起源は2000年前に遡りますが、本格的な城が築城されたのは、朝鮮時代の17世紀初期頃とされます。

  • 門の上の楼閣を見学するために、この石段を登りました。案内標識には、いくつかのコースが記されていました。

    門の上の楼閣を見学するために、この石段を登りました。案内標識には、いくつかのコースが記されていました。

  • サツキ(皐月)の花です。サツキツツジ(皐月躑躅)とも呼ばれています。他のツツジに比べ、1カ月程遅い旧暦の5月(皐月)頃に咲くことから、その名が付いたとされます。

    サツキ(皐月)の花です。サツキツツジ(皐月躑躅)とも呼ばれています。他のツツジに比べ、1カ月程遅い旧暦の5月(皐月)頃に咲くことから、その名が付いたとされます。

  • 濃い緑の葉に囲まれて薄緑の桜です。白い花も一緒に咲いています。山桜の新緑は赤みがかっていますが、緑なのは葉が大きくなったためでしょうか。

    濃い緑の葉に囲まれて薄緑の桜です。白い花も一緒に咲いています。山桜の新緑は赤みがかっていますが、緑なのは葉が大きくなったためでしょうか。

  • 城壁の一部です。南漢山城は、1637年、丙子胡(ピョンジャホ)乱の際、清の率いる10万の軍隊に対し、40日余りの篭城に耐えた歴史の現場です。

    城壁の一部です。南漢山城は、1637年、丙子胡(ピョンジャホ)乱の際、清の率いる10万の軍隊に対し、40日余りの篭城に耐えた歴史の現場です。

  • 中心部が低く平地となっていて、守備が容易な山城とされています。城は本城と外城で構成されていて、周囲は9.05キロ、高さは3〜7.5メートルです。東西に長い長方形とされます。

    中心部が低く平地となっていて、守備が容易な山城とされています。城は本城と外城で構成されていて、周囲は9.05キロ、高さは3〜7.5メートルです。東西に長い長方形とされます。

  • 『チャングムの誓い』での南漢山城での撮影です。王様の中宗と、臣下達の狩りに備えるミン・ジョンホが、馬に乗って御猟場を眺めるシーンが撮影されたようです。

    『チャングムの誓い』での南漢山城での撮影です。王様の中宗と、臣下達の狩りに備えるミン・ジョンホが、馬に乗って御猟場を眺めるシーンが撮影されたようです。

  • インターネットで調べたナマンサンソンに関する情報では、紅葉の時期の素晴らしい写真がありました。落葉樹が多いことからも、この時期でも、容易に想像が付きます。

    インターネットで調べたナマンサンソンに関する情報では、紅葉の時期の素晴らしい写真がありました。落葉樹が多いことからも、この時期でも、容易に想像が付きます。

  • 楼閣の屋根裏の彩色です。南漢山城は、かなり広い区域を擁していますから、今回は、その本の一部だけの見学としました。

    楼閣の屋根裏の彩色です。南漢山城は、かなり広い区域を擁していますから、今回は、その本の一部だけの見学としました。

  • 城壁沿いの道の他に、自動車道もありました。帰りは、脇道を抜けて、この道を下りてきました。桜は山桜系でしょうが、目の保養になりました。

    城壁沿いの道の他に、自動車道もありました。帰りは、脇道を抜けて、この道を下りてきました。桜は山桜系でしょうが、目の保養になりました。

  • 修復されていない箇所のようです。城壁の頂部が、内側に傾いています。

    修復されていない箇所のようです。城壁の頂部が、内側に傾いています。

  • 出発した楼閣がまだ近くに見えます。一寸した登山になりました。水原の華城は、世界文化遺産指定ですが、こちらは指定されていません。

    出発した楼閣がまだ近くに見えます。一寸した登山になりました。水原の華城は、世界文化遺産指定ですが、こちらは指定されていません。

  • 季節は5月になったばかりの春ですが、山道歩きには汗ばむ陽気になってきました。長い城壁が続きます。

    季節は5月になったばかりの春ですが、山道歩きには汗ばむ陽気になってきました。長い城壁が続きます。

  • 道が急になってきました。いよいよ山登りの開始です。この付近は枕木を使って登山道が整備されていました。左手に城壁が続きます。

    道が急になってきました。いよいよ山登りの開始です。この付近は枕木を使って登山道が整備されていました。左手に城壁が続きます。

  • 山野草のポケット図鑑で調べましたらナデシコ科のワチガイソウ属の『ワダソウ』が良く似ていました。日本の他、朝鮮、中国にも分布しています。

    山野草のポケット図鑑で調べましたらナデシコ科のワチガイソウ属の『ワダソウ』が良く似ていました。日本の他、朝鮮、中国にも分布しています。

  • かなり急な坂道でしたから、少し登っては休み、また登るという繰り返しでした。その都度、遠くの山桜を見るのが楽しみでした。

    かなり急な坂道でしたから、少し登っては休み、また登るという繰り返しでした。その都度、遠くの山桜を見るのが楽しみでした。

  • 防御している区域はこの城壁の左側です。かなり高い石垣が積み上げてありました。その石垣の下にも別の道が付いていました。

    防御している区域はこの城壁の左側です。かなり高い石垣が積み上げてありました。その石垣の下にも別の道が付いていました。

  • この部分は、よく整備された石段です。歩きにくいもっと急な道が続きました。お二人とも、いつの間にか、上着を脱ぎました。

    この部分は、よく整備された石段です。歩きにくいもっと急な道が続きました。お二人とも、いつの間にか、上着を脱ぎました。

  • 最初の目的地からみると、まだ半分も登っていない地点です。ちょっとした峠になりました。また下って、次のピークを目指すのは、ここで諦めました。

    最初の目的地からみると、まだ半分も登っていない地点です。ちょっとした峠になりました。また下って、次のピークを目指すのは、ここで諦めました。

  • ここまで登ってきますと、ほっと一息です。次の峠を目指すのは諦めましたから、後は下りだけです。上着と荷物が邪魔になってきました。

    ここまで登ってきますと、ほっと一息です。次の峠を目指すのは諦めましたから、後は下りだけです。上着と荷物が邪魔になってきました。

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2006春、韓国旅行記15

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