2026/06/07 - 2026/06/08
131位(同エリア135件中)
akikoさん
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この旅行記のスケジュール
2026/06/07
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電車での移動
スペッロ駅(13:09発)ー アッシジ駅(13:16着)RV4076
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バスでの移動
アッシジ駅(13:22発)ー P.Matteotti停留所(13:34着)
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徒歩での移動
ゲストハウス(Quo Vadis) まで徒歩で移動
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ゲストハウス「Quo Vadis」で1泊
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ヌオーヴァ教会訪問
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夕食は眺めの良い「Le Terrazze di Properzio」で
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この旅行記スケジュールを元に
スペッロの次に訪れたのは、丘の上に広がる宗教都市「アッシジ」でした。
私がアッシジに興味を持ったきっかけは、8年前に北イタリアの湖水地方を旅した時のこと。オルタ湖畔の美しい町「オルタ・サン・ジュリオ」にある聖地サクロ・モンテを訪れ、そこで20ほどある礼拝所がアッシジの聖フランチェスコに捧げられた場所だったことでした。
聖フランチェスコがイタリアの守護聖人であることは聞いたことがありましたが、その頃の私は、どのような人物なのかほとんど知りませんでした。
そこで興味を持って調べているうちに出会ったのが、映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」でした。
裕福な商人の家に生まれながら、やがて財産も地位もすべてを捨て、清貧と愛に生きる道を選んだフランチェスコ。その生き方を描いた映画にとても心を打たれ、いつかアッシジに行ってみたいと思うようになったのでした。
そして今回の旅でその願いを叶える機会が訪れました!スペッロとアッシジは、列車で10分ほどのお隣同士の町。インフィオラータの聖体行列を見届けたその日の午後、スペッロ駅から列車に乗り、憧れていたアッシジへと向かいました。
アッシジで過ごせるのは、わずか1日。そこで今回は、聖フランチェスコゆかりの場所をめぐることを旅の一番の目的にしました。前編では、アッシジに到着した日の午後、フランチェスコゆかりの場所を訪ねた様子を。そして後編では、翌朝訪れたサン・フランチェスコ聖堂を中心にお伝えしたいと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
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アッシジを訪れるにあたり、聖フランチェスコの半生を描いた映画「ブラザーサン・シスタームーン」が大きなきっかけとなったので、まずこの映画のことを紹介させてください。
この映画は、1972年にフランコ・ゼフィレッリ監督により制作されたもので、1200年イタリア中世の都市アッシジを舞台に、フランチェスコ会の創立者、聖フランチェスコの生い立ちから1210年、ローマでインノケンティウス三世に認められるまでの半生が描かれます。(正確な伝記というより青春映画という意味合いが強いかもしれません) -
簡単にストーリーを紹介。少し長いので、適当に読み飛ばしてくださいね!
<青春の葛藤と回心>
12世紀のイタリア・アッシジ。裕福な織物商人の息子として生まれたフランチェスコは、陽気で享楽的な青春を謳歌していました。しかし、従軍した戦争で心身ともに深い傷を負って帰還。熱病に冒され、何週間もベッドに横たわり、生死の境をさまよいます。戦争の悲惨さや、故郷に存在する貧富の差を目の当たりにしたことで、彼の価値観は大きく変わっていきました。
映画では、ある朝、窓辺の小鳥の声で目を覚ましたフランチェスコが、無心に手を差し伸べながら屋根の上へ出て、小鳥のあとを追うように両手を羽ばたかせる場面が描かれます。まるで大空へ飛び立とうとしているかのよう。その向こうには、野や山が広がっていました。そしてフランチェスコは自然の中で、命あるものの素晴らしさに気づいていくのでした。
そんな彼に、美しい娘クララが語りかけます。「あなたは気が変になったという噂よ。でも私には、狂っていたのは戦争に行く前のあなたのように思えるわ」と。
※イラストはChatGPTに作成してもらいました。 -
<父との決別と清貧>
次第にフランチェスコの目は、自分の周りで生きる人々へと向けられていきます。働く者、老いた者、病に苦しむ者…。教会の中には裕福な人々が座り、その外では貧しい人々が懸命に祈っていました。あまりにも大きな隔たり、神はこれを許されるのだろうか。フランチェスコは「NO!」と叫ばずにはいられませんでした。
家に帰った彼は、父の店にあった高価な布を次々と窓から投げ出します。激怒した父親は彼を裁きの場へ連れて行きますが、そこでフランチェスコは身につけていた服までも脱ぎ、父親に返してしまいます。
「もうあなたの息子ではありません。人間にとって大切なのは富ではなく心です。これからはキリストのように、何も持たずに生きていきます」
こうして彼は、裕福な商人の息子としての人生に別れを告げるのでした。 -
<清貧への道と仲間の集まり>
すべてを捨てて城門を出たフランチェスコは、太陽に向かって両腕を広げ、野へと歩き出します。やがて冬が訪れ、雪に覆われた野の中で、彼は神のお告げに従い、荒れ果てたサン・ダミアーノ教会を自らの手で建て直していきました。
そんな彼のもとへ、十字軍から帰ってきた友人ベルナルドがやってきます。フランチェスコの勇気ある生き方に心を打たれたベルナルドは、彼に協力することを申し出ます。かつての遊び仲間たちも次第にその生き方に共感し、裕福な暮らしを捨てて、「清貧」を重んじるフランチェスコの仲間、“小さき兄弟”となって行動を共にするようになります。
髪を切った貴族の娘クララ(のちの聖キアラ)も加わり、彼らの周りには、ぼろをまとい、石の上に眠り、托鉢で命をつなぎ、壊れた教会を修復し、病人や貧者に仕えるフランチェスコに次第に共感する人々が集まっていきました。
しかし映画では、その後、サン・ダミアーノ教会が焼かれ、仲間の一人が命を落とす出来事が描かれます。フランチェスコは、「自分のしてきたことは間違っていたのだろうか」と深く自問するのでした。 -
<ローマ教皇への謁見>
「自分のしてきたことは間違っていたのだろうか」迷いを抱いたフランチェスコは、裸足で粗末な衣をまとった仲間たちとともにローマへ向かいます。そして幾多の困難を乗り越え、ついにローマ教皇への謁見を許されました。
きらびやかな教皇庁の中で、フランチェスコは富と権力に傾いていく教会のあり方を問い、人はもっとキリストの教えに忠実に、貧しく慎ましく生きるべきではないかと訴えます。
その言葉に心を動かされた教皇は、フランチェスコたちの生き方を認め、彼らの「小さき兄弟団」(=フランシスコ会)は教会から認められることになるのでした。 -
<故郷への帰還>
人々から“聖人”と慕われるようになったフランチェスコは、再び故郷アッシジへと帰ってきます。彼にとって、やはりここが一番心安らぐ場所でした。
フランチェスコは自然や動物をこよなく愛し、太陽を「兄」、月を「姉」と呼び、そして「神が創られたすべてのもの」を兄弟姉妹のように感じていました。
何も持たなくても、自然とともに生き、互いを愛することで人は豊かに生きることができる…。そんな生き方を、フランチェスコは人々に伝えていったのでした。 -
ここからは、スペッロからアッシジに向かう列車の中のことになります。スペッロからわずか10分ほどすると、車窓から丘の上に町らしきものが見えてきました。あれがアッシジのようでした。
アッシジの街は、標高1290mのスバージオ山(Monte Subasio)の丘の上にあって、石造りの建物が並んでいるのが見えていました。 -
アッシジ駅に着き、駅前からアッシジリンクというバスに乗り、聖フランチェスコ聖堂を通り過ぎ、終点「P.Matteotti Assisi」で下車。この日、宿泊するゲストハウスは写真のマッテオッティ広場が最寄りのバス停でした。
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トッリオーネ通りを歩いて行くと、左にサン・ルフィーノ聖堂の鐘楼が、そして小道の先に「ロッカ・マッジョーレ」という大城塞が見えてきたのでした。
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7、8分で、お世話になる『Quo Vadis』に到着!渡り廊下がある建物がそのゲストハウスでした。
呼び鈴を鳴らすと、オーナーの奥さまのラチェレが出迎えてくれました。 -
ここは応接ルームでした。とても素敵な雰囲気のこの応接ルームで、このゲストハウスのことを説明してくれ、お部屋に案内してくれました。
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これがそのお部屋で、一人で泊まるには十分すぎる広さがありました。
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明るい雰囲気の洗面所とシャワールーム
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お部屋からこのような景色が見えていて、朝焼けや夕焼けの景色がとてもきれいでした。
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お部屋の写真を撮って、そのまま街歩きに出かけました。まず向かったのは、お宿から歩いてすぐのところにある「サン・ルフィーノ聖堂」でした。
左手前に石造りの建物がありますが... -
こんな可愛いラベンダーショップがあったんです。アッシジにラベンダー!?と思い、調べてみると、アッシジにラベンダー畑があり、毎年6月中旬から7月上旬にかけて「ラベンダー祭り」が開催されるのだそうです。
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フォトジェニックなラベンダー色の自転車をパシャリ☆彡 ドアのところに、アッシジのラベンダー畑の様子が紹介されていますね。
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このサン・ルフィーノ聖堂は、アッシジのドゥオーモとも呼ばれるそうです。”ドゥオーモ”とは、町で一番重要な教会堂、司教座聖堂のことで、アッシジに238年、キリスト教をもたらした聖ルフィーノが町の守護聖人なんだとか。
聖堂のファザードはロマネスク様式で、ウンブリア州でも最高傑作の一つとされているそうです。中央と左右にそれぞれ扉とバラ窓があり、中央扉にはロマネスクの特徴があるレリーフが施されています。 -
これは中央にあるバラ窓で、とても美しい精緻な窓でした。下部には3人の人物像が、周囲には福音記者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)の4人を象徴する、天使、獅子、雄牛、鷲が飾られていました。
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これは、中央扉(ポータル)です。扉の上のタンパンには、玉座のキリストや聖母マリアが彫られていて、入り口の左右には、ロマネスク建築の特徴である教会の守護を表すライオンの彫刻が配置されていました。
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聖堂の中に入ると、身廊の手前には、彫刻家デュプレ親子が手がけた聖フランチェスコ(1882年作)と...
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聖キアラ(1888年作)の美しい大理石像が飾られています。のちに聖人に列せられたこの二人は、この聖堂で洗礼を受けたんだそうです。
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中央身廊の手前には、床の一部がガラスパネルになっている場所があります。ここから足元を覗くと、さらに古い教会の遺構が見えていました。
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主祭壇には、キリストの磔刑像があり、街の守護聖人である聖ルフィーノの遺骨が納められた石棺が安置されていました。
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聖堂の入口右側にある礼拝堂がとても美しくて、入ってみると...
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このような空間が!「聖サクラメント礼拝堂(Cappella del Santissimo Sacramento)」のようで、聖堂の身廊とは雰囲気が異なる、見事なバロック様式の装飾が施されていました。
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後陣の上にあるパイプオルガンの上の半円形のルネットには、フラ・エマヌエーレ・ダ・コモによる『最後の晩餐』(1696年作)が描かれていました。
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聖堂を出ると、サン・ルフィーノ広場がこのように見えていました。町の一番高いところにある、巨大な城塞「ロッカ・マッジョーレ」はどこからでも見えていたのでした。
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次に訪れたのは、「ヌオーヴァ教会」でした。この教会は聖フランチェスコの生家跡に建てられた教会で、アッシジで最後に建てられた教会なのでヌォーヴァ(新しい)という名前だそうです。
フランチェスコはここにあった家で、父親のピエトロ・ディ・ベルナルドーネ、母のピカ、弟のアンジェロとともに24年を過ごしたそうです。 -
教会前の広場には両親の像がありました。父ピエトロは、フランチェスコがイエスの道に進むことを決意し、家を出る時に脱いだ服を、ピカはフランチェスコが繋がれていた鎖を手にしているのだとか。
聖フランチェスコの父ピエトロ・デル・ベルナルドーネはフランス南部のプロヴァンス地方から織物を輸入し一財を成した繊維業者。母はプロヴァンス地方の貴族の娘だったとか。 -
これは内部の様子です。ラファエロが設計したローマの聖堂から着想を得た、後期ルネサンスから初期バロック様式へと至る洗練された美しい空間だとのこと。
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主祭壇は、聖フランチェスコの当時の「寝室(部屋)」があったとされる場所の真上にちょうど位置するように設計されて建てられているそうです。
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そして一番印象に残ったのは、フランチェスコが父親に閉じ込められたと伝えられる部屋(牢屋)でした。もともとの生家の階段下の物置スペースを利用して作られたもので、頑丈な鉄格子の向こうには、フランチェスコが祈りを捧げている姿がありました。
なぜこのようなところに閉じ込められたかというと、フランチェスコは、神からの「私の家を建て直しなさい」という啓示に従うため、商人である父親の高級な売り物の布地を勝手に持ち出して売り払い、そのお金を教会の修復や貧しい人々のために寄付してしまいました。これに激怒した父親が息子の「狂気」を正し、反省させるための罰として、ここにフランチェスコを監禁したのでした。 -
次に訪れたのは、「サンタ・キアラ聖堂」(Basilica di Santa Chiara)でした。
白色とピンク色の石灰岩の縞模様が美しい教会で、太陽の光に照らされ時間帯によってその見え方も異なるんだそうです。
この聖堂は、聖フランチェスコの精神に従った聖キアラ(クララ)のために建てられ、聖キアラはこの聖堂の地下で眠っています。 -
聖キアラは、フランチェスコの思想に深く共鳴し、女性として「清貧」の道を切り開いた聖女です。
<貴族の娘の決断>
キアラは1194年頃、アッシジの名門貴族の家に生まれました。美しく教養もあり、裕福な家への結婚が望まれていましたが、10代の頃にフランチェスコの説教を聴き、富を捨て、貧しい人々とともに生きようとする彼の教えに強く心を打たれました。
<深夜の脱出>
1212年、18歳頃のキアラは家族が望む結婚と貴族としての生活を捨てる決意をし、ひそかに実家を抜け出しました。そして城壁の外にあるポルツィウンコラの小聖堂へ向かい、フランチェスコとその仲間たちのもとを訪ねました。
そこでキアラはフランチェスコに迎えられ、長い髪を切り落とし、華やかな衣服を脱ぎ、粗末な修道服に着替え、神に仕える清貧の生活へと歩み始めました。
<サン・ダミアーノ教会での生活>
キアラはまずベネディクト会の女子修道院に身を寄せました。怒った家族は彼女を連れ戻そうとしましたが、キアラは祭壇にすがり、切り落とした髪を見せて、自らの固い決意を示しました。その後、キアラはフランチェスコがかつて修復した「サン・ダミアーノ教会」に移り、仲間たちとともに祈りと清貧の生活を送るようになりました。ここが、彼女の生涯の大半を過ごす場所となりました。
<妹や母も合流>
やがてキアラの固い決意に心を動かされ、妹アグネスをはじめ、多くの女性たちが彼女のもとに集まりました。後には母親も加わったと伝えられています。こうしてサン・ダミアーノに女性たちの共同体が生まれ、やがてフランチェスコ会の第二会にあたる女性修道会「クララ会(貧しい姉妹たちの会)」へと発展していきました。
※この画像の出典:Wikimedia Commons(Public Domain)より -
サンタ・キアラ聖堂前の広場には、カルーセルが設置されていて、広場の向こう側は展望台になっていました。
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展望台からは、アッシジの街並みが見え...
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また南側には、このようなウンブリアの風景が一望できるようになっていました。
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「サンタ・キアラ聖堂」の内部も見たかったのですが、撮影ができないと知り、この時はパスすることに...。実は、先に行きたいところがあり、そちらに向かったのでした。
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アッシジには旧市街を囲む城壁に8つの城門があるそうですが、東側の端には「ヌオーヴァ門(Porta Nuova)」があり、写真では右に見えているのがその門でした。
この門を出て、どこに行くかというと... -
フランチェスコが、神の声に導かれ朽ちた礼拝堂を一人で修復し始めた場所「サン・ダミアーノ教会」でした。
ヌオーヴァ門をくぐり、城壁の外側に出て、すぐ右手の公園や駐車場を通り抜けて、道なりに行きます。 -
「San Damiano」と書かれた案内板や矢印に従って、オリーブ畑の中の舗装された下り坂を進んで行きます。ちなみに、左に見える石造りの小屋は何かと思い、中を覗くと...
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このような聖母子の絵が描かれた庵でした。
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このような坂道を下って行きます。距離は1.5km~2kmほどあるそうで、下りはいいけど、帰りは大変そうだと思いながら歩いて行きました。
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糸杉やオリーブ畑の景色を楽しみながらそのまま道なりにどんどん下って行くと...
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このようなモザイク画が飾られた道標の祠がありました。「S. DAMIANO」と書かれた矢印があり、もうすぐ教会があるとわかり、やれやれと汗を拭いたのでした。
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時々、この道を上がってくる方がいましたが、ほとんど人は見かけませんでした。ここまで歩いてくる人は多くはないのかもしれません。
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やっと教会の入口に到着しました!たぶんここまで来るのに、2、30分かかったと思います。
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右手にブロンズ像がありました。フードを被り、強い風の中で衣服を抑えながら佇む姿のフランチェスコの像のようでした。
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そしてこれが、「サン・ダミアーノ修道院」でした。ここはフランチェスコが修復した教会がのちに修道院と一体となり、現在は修道院になっているそうです。この写真の右手にあるのが...
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このような参拝所で、そばに案内板がありました。その案内板には、次のようなことが書かれていました。
サン・ダミアーノ教会は、8~9世紀頃に古い建物の跡に建てられた小さな教会です。フランチェスコの時代にはすでに荒れ果てていましたが、十字架のキリストから「行って、壊れかけた私の教会を建て直しなさい」と告げられたフランチェスコが、自らの手で修復したと伝えられています。
その後、この場所は聖キアラと仲間の修道女たちの住まいとなり、クララ会の共同生活の場になりました。彼女たちは1211年から1260年までここで暮らしていました。 -
映画では、ボロボロに崩れたサン・ダミアーノ礼拝堂をフランチェスコが自分の手で少しずつ修復していく様子が描かれていましたが、その場所が今もこうして修道院として残っているのを実際に見ることができうれしく思いました。
没後に完成した、華やかな装飾に彩られたサン・フランチェスコ聖堂とは対照的に、ここは素朴で静かな空気に包まれていました。フランチェスコとキアラが実際にここで暮らし、祈りの日々を送ったのだと思うと、とても感慨深いものがありました。
建物正面の右側に入口がありました。扉の上には、玉座に座る聖母子のフレスコ画が描かれていたのでした。 -
順路の最初にあったサン・ジローラモ礼拝堂を抜けて、次にに入ったのがフランチェスコの運命を変えたとされる古い礼拝堂でした。
この礼拝堂は、まさにフランチェスコたちが修復したところで、シンプルな造りながら、木造の聖歌隊席や古いフレスコ画が残る静寂な空間でした。当時のオリジナルの十字架(サン・ダミアーノの十字架)は、現在はサンタ・キアラ聖堂に保管されていますが、礼拝堂内にはその精巧な複製が飾られていました。 -
これがその十字架です。この十字架はずっとフランチェスコの心の拠り所になっていて、崩れて朽ちた礼拝堂にも架かっていたのでした。
当時、生き方に悩み、彼が十字架を見つめて祈っていると、十字架のキリストの口が動き、語りかけてきました。「フランチェスコよ、行って私の家を建て直しなさい」と。フランチェスコはこの言葉を額面通りに受け取りましたが、後に彼は、神の意図が「目に見える教会堂の修復」だけでなく、「腐敗していた当時のカトリック教会そのものを修復すること」だったと気づいたのでした。 -
これは石造りの美しい中庭です。中央には古井戸があり、四季折々のお花や緑に囲まれた静謐な空間となっています。
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別の角度から見た中庭と古井戸です。隣接して聖キアーラが1212年に創設した修道院がありました。現在、フランチェスコ会の修道士(小さき兄弟会)たちがこの聖堂と修道院の管理を引き継ぎ、祈りの場を守り続けているのだとか。
修道士の方達はこういう場所を歩いて息抜きをされているのでしょうね...。 -
回廊の壁に、エウセビオ・ダ・ペルージャによる「聖フランチェスコの聖痕授与」と「受胎告知」のフレスコ画が描かれていました。
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ここは修道院の食堂で、粗末な木の長テーブルと長椅子が置かれていて、壁には昔に描かれた「最後の晩餐」と「磔刑」のフレスコ画が描かれていました。
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これは修道院の祈祷室です。聖キアラと「貧しい婦人たち(のちのクララ会)」の姉妹たちが、時間ごとに集まって唱和し、共に祈りを捧げた場所だそうです。
聖キアラは人生の後半、約28年間もの間病床にありましたが、この部屋や隣接する寝室で祈りをやめず、自らの苦しみよりも他者やアッシジの平和を気遣い、神への感謝を捧げ続けたそうです。
そして結局、キアラは約41年間、この教会の質素な寝室から一歩も出ることなく祈りと清貧の生活を貫き、1253年8月11日にここで息を引き取ったのだとか。 -
2階にある祈祷室に移動する際に、お庭が見え、フランチェスコの像も見えたのでした。修道院には、聖女キアラが実際に花や植物を育てて生活し、静かに祈りを捧げた美しい庭「キアラの庭」があると知ったのですが、これがその庭なのかもしれません。
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修道院の見学を終え、どうやって町まで戻ろうかと思案しながらベンチに座っていると、お隣に同年代くらいのご夫婦がいらしゃいました。話しかけてみると、ドイツから2週間の予定でアッシジ周辺を旅されていて、これから自家用車で町のホテルまで戻られるとのことでした。
私は来た時の坂道をもう一度上っていく元気がなかったので、タクシーで帰ろうと思い、そのご夫婦にタクシーのことを尋ねてみたら、「この道を行くと、駐車場があるので、もしかしたらタクシーがいるかも」と教えてくれたのでした。お礼を言って、ご夫婦より一足先にこの道を進んで行きました。 -
イチオシ
駐車場に向かう途中、木陰で静かに野を眺めるフランチェスコの像に出会いました。目の前には、緑豊かなウンブリアの大地が広がっています。
自然をこよなく愛したフランチェスコが、ここで鳥の声や風の音に耳を澄ませながら祈っているように見え、しばらく足を止めて眺めてしまいました。
そして、駐車場に行ってみると、タクシーが見当たらず、タクシー会社の案内を見ていたら、先ほどお話ししたご夫婦が来られたのでした。それで、「今からタクシー会社に電話するところ」と話すと、「よかったら私たちの車に乗っていって」と言ってくれ、丘の上の町の中心部まで乗せてくださったのでした。 -
ヌオーヴァ門の近くで車から降ろしてもらって、無事に町の中心部に戻ってくることができました。旅先で困っている時に、このように親切にしてくださる方が現れると、本当にうれしくてそのありがたさが身に沁みます。Danke schön!!!
さて、目の前に「ポポロの塔」が見えてきました! -
ここはコムーネ広場です。ポポロの塔は、高さ約47メートルある歴史的な時計塔で、隣接するミネルヴァ神殿(教会)と共に街のシンボルとなっています。
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これが隣接するミネルヴァ神殿(教会)です。このミネルヴァ神殿は、なんと今から2000年以上前の紀元前1世紀に建てられた古代ローマの神殿で、今なお美しい姿が残っているんです!
当初の神殿は、1539年に正面の石柱をそのままに、内部がサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会に転用されたそうです。 -
この遺構は、コリント式列柱と前柱式のファサードがあるローマ建築の傑作だとか。
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聖母マリアに捧げられた「サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会」は、古代ローマ神殿の外観とは対照的に、一歩足を踏み入れると眩いバロック様式の世界が広がっていました。主祭壇を飾るのは、金色に煌めく立派な列柱や天使たち、キャンドルスタンドなど。その豪華な装飾の中央で、優しく光に包まれた聖母マリア像が静かに佇んでいました。
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これがその聖母マリア像でした。このマリア様は、ルルドで見た聖母の姿をされていて心惹かれるとても美しい姿でした。
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天井には18世紀半ばにF. アッピアーニによって描かれた見事なフレスコ画が描かれ、天井の中央には、栄光に包まれた「聖フィリッポ・ネリ」を描いた黄金のメダリオンが、その周囲を浅浮き彫りの4人の天使が囲んでいました。
この教会を訪れたあと、ひとまずお宿に戻って夕食までゆっくり過ごしました。 -
この日の夕食は、聖フランチェスコ大聖堂の近くにある「Le Terrazze di Properzio」というとても眺めの良いリストランテで食べる予定で、午後7:15に予約をしてありました。
メインストリートから1本奥に入った小道を歩いて行くと、通りはどこも素敵で、このようにお花も飾られていたのでした。 -
イチオシ
建物の2階をつなぐ渡り廊下がある風景も好きです♪
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「Le Terrazze di Properzio」まで来たのですが、夜の部は午後7:15に始まるとのことで、まだ閉まったままでした。ネット情報では、このお店は「レビューで4.7星の評価を受けていて、本格的なイタリア料理を求める地元の人々や観光客の両方に愛されているスポット」だそうで、とても楽しみにしていました。
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午後7:15になると、ドアが開き、順番に席に案内してくれました。室内席もありましたが...
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やはり眺めの良いテラス席が人気で、私もテラス席を予約時にお願いしておきました。1階のテラス席はすぐにいっぱいになり、私が案内してもらったのは2階席でした。
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ここが2階のテラス席でした。
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案内されたテラス席の目の前には、思わず息をのむような緑豊かなウンブリア平原のパノラマが広がっていました。
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「夕焼けが綺麗だ」と書かれていたので、見られたらいいなと思っていましたが、イタリアの夏は日が長く、まだ太陽は沈みそうにありませんでした。
お酒を飲まない私が選んだドリンクは、キリッと冷えたコーラ(笑)
メニューを開き、お店の看板前菜プレート「Il Properzio(イル・プロペルツィオ)」を注文すると、担当してくれたベテランのシニアスタッフが、にこやかな笑顔で「ペルフェット(完璧だよ)!」と一言言ってくれました^ ^ -
テーブルに届いたプレートは、ウンブリアの豊かな恵みが美しく散りばめられた一皿でした.:*☆*:.
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まず、奥の白いソースのお料理は、「ポテトのフランと濃厚チーズソース」。なめらかなマッシュポテトのフランに、上からペコリーノチーズの濃厚なソースがかかっていて、これがとても美味しかったです。
手前の色鮮やかな「4種のブルスケッタ」には、赤いグリルドトマト、甘みを引き出したパプリカ、ズッキーニ、そしてキノコがそれぞれのせられていました。どれもシンプルな味付けで、野菜そのものの美味しさが楽しめました。
その横にあるフライのようなものは、「トリュフのクロケッタ」。
ウンブリアの特産品である黒トリュフが入った、ちょっと贅沢なコロッケです。ひと口いただいて、その豊かな風味に思わずニンマリ(^^)
お皿の左側に美しく折り重なるように盛られていた生ハムは、ふんわりと柔らかく、噛むほどに旨みが広がりました。
そして奥には、数種類のハード系チーズ。小さな器に添えられていたモスタルダをのせていただきます。"モスタルダ"は、赤玉ねぎや赤ぶどうなどの果物や野菜をベースに、マスタードの風味を加えて作られるイタリア伝統の甘辛いコンディメントなのだそう。最初にジャムのような甘みが広がり、そのあとからマスタードのピリッとした刺激が!この甘辛いモスタルダをチーズに少しのせると、塩気のあるチーズとよく合って、とても美味しかったです♪
目の前に広がる美しい景色を眺めながら、ひとつひとつゆっくり味わっていると、この前菜プレートだけですっかりお腹いっぱいになりました。一人で楽しむにはちょっともったいない気がするほど、素敵な景色と美味しいお料理に包まれて、とても幸せな気分になれた夕食でした♪ -
このあと、サン・フランチェスコ聖堂方面に行き、きれいな夕焼けを見ました。まだこの日のアッシジ散策はもう少し続くのですが、前編はここでいったん一区切りにしたいと思います。後編では、夕暮れのアッシジの散策と翌日訪れたサン・フランチェスコ聖堂を中心にお伝えしたいと思います。
このアッシジ編も説明が長くなってしまい、読みにくいと思いますが、よかったら、またお付き合いくださいね。~続く~
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この旅行記へのコメント (1)
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- pareさん 2026/08/19 12:39:29
- アッシジ
akikoさん、こんにちは
インフィオラータの旅、とてもステキですね
今回はアッシジの旅行記、興味深く拝見しました
最後に紹介してくださった、前菜プレートはとても惹かれます
画像だけでなく、お料理についての詳細がペルフェット!
花より団子になってしまう私です。
いつか行きたいお店として、マッピングさせていただきました
ステキな情報をありがとうございました
ところで、前回の花祭りの作品で、
グレーっぽくみえる部分の花弁は何のお花だったのか、とても気になっています。
ピンクの隣なのでグレーに見えて実は違う色なのですかね...
続編も楽しみにしています!
-pare
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