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薬師寺南門を入って右奥に龍王社があります。東院堂にかくれて目立たない小さなお社です。<br />大津皇子を祀る神社と言われることもありますが、これは間違いです。龍神様をご神体とし、雨乞いの神様として現在でも崇敬されています。<br /><br />六国史の旅 大津皇子フィールドノート3 薬師寺龍王社、若宮社<br />https://4travel.jp/travelogue/11716255<br /><br />六国史の旅 大津皇子フィールドノート4 「奈良六大寺大観・薬師寺」読みました。されどロマン・・・<br />https://4travel.jp/travelogue/11722683<br /><br />しかしながら、大津皇子と無関係ではありません。このお社はかつて薬師寺に隣接する大池の北に鎮座していたのですが、最初は確かに大津皇子を祀っておりました。その後雨乞いの神様となり、明治維新ごろ現在地に遷座しました。<br /><br />このあたりのいきさつは↑のブログでしつこくやりましたので、重複を避けます。<br />今回は薬師寺の西のどこにかつての龍王社が鎮座していたのか、それを突き止めて、行ってきました。<br />枝葉末節、重箱の隅を顕微鏡で探るような旅行記です。<br />細かいことが気になるたちでして。<br /><br />一書に曰く、<br />まだ龍王社に、by夫はこだわっております。<br />わたくし、本音は、しら~じら~。<br />大津皇子は、ミーハーby妻ちゃんの、ヒーローの重要な一人ですからね。<br />なんで、なんで、あの麗しき大津様が、悪龍?<br />許せません!わたし、中日ファンじゃないし。昔いた★野なんたらとかの人気選手、監督なんて、フンっですから。<br />亡くなっちゃいましたね~。<br />だいたい、中日のスターって、この人しかほかに誰も知らなかっただけだし。<br />とにかく、龍と大津皇子の組み合わせは、ナイフとフォークで、奈良名物のにゅう麺を食べるくらい 変。<br />変という字をゴシックで、大きくしたいくらい 変。<br />By妻<br /><br />参考書については下記に並べてあります。<br />「六国史の旅 飛鳥の姉弟1 大津皇子訳語田邸」<br />https://4travel.jp/travelogue/11668009<br />引用に際し僭越ながら敬称を略させていただきます。<br /><br />投稿日:2026/03/02<br /><br />

大津皇子と龍王山、皇子は水利組合名誉理事長だった @大津皇子フィールドノート7

7いいね!

2026/02/05 - 2026/02/14

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しにあの旅人

しにあの旅人さん

薬師寺南門を入って右奥に龍王社があります。東院堂にかくれて目立たない小さなお社です。
大津皇子を祀る神社と言われることもありますが、これは間違いです。龍神様をご神体とし、雨乞いの神様として現在でも崇敬されています。

六国史の旅 大津皇子フィールドノート3 薬師寺龍王社、若宮社
https://4travel.jp/travelogue/11716255

六国史の旅 大津皇子フィールドノート4 「奈良六大寺大観・薬師寺」読みました。されどロマン・・・
https://4travel.jp/travelogue/11722683

しかしながら、大津皇子と無関係ではありません。このお社はかつて薬師寺に隣接する大池の北に鎮座していたのですが、最初は確かに大津皇子を祀っておりました。その後雨乞いの神様となり、明治維新ごろ現在地に遷座しました。

このあたりのいきさつは↑のブログでしつこくやりましたので、重複を避けます。
今回は薬師寺の西のどこにかつての龍王社が鎮座していたのか、それを突き止めて、行ってきました。
枝葉末節、重箱の隅を顕微鏡で探るような旅行記です。
細かいことが気になるたちでして。

一書に曰く、
まだ龍王社に、by夫はこだわっております。
わたくし、本音は、しら~じら~。
大津皇子は、ミーハーby妻ちゃんの、ヒーローの重要な一人ですからね。
なんで、なんで、あの麗しき大津様が、悪龍?
許せません!わたし、中日ファンじゃないし。昔いた★野なんたらとかの人気選手、監督なんて、フンっですから。
亡くなっちゃいましたね~。
だいたい、中日のスターって、この人しかほかに誰も知らなかっただけだし。
とにかく、龍と大津皇子の組み合わせは、ナイフとフォークで、奈良名物のにゅう麺を食べるくらい 変。
変という字をゴシックで、大きくしたいくらい 変。
By妻

参考書については下記に並べてあります。
「六国史の旅 飛鳥の姉弟1 大津皇子訳語田邸」
https://4travel.jp/travelogue/11668009
引用に際し僭越ながら敬称を略させていただきます。

投稿日:2026/03/02

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
個別手配
  • 薬師寺案内パンフレットより。<br />龍王社の位置です。<br />

    薬師寺案内パンフレットより。
    龍王社の位置です。

  • 現在の龍王社です。<br />薬師寺お参りのついでに、龍王社に行ってみようと万が一でも思う、変わった4トラベラーのご参考までに。<br /><br />一書に曰く、<br />変なのは、この薬師寺の龍王社の、近くに植えてあった椿に、名前がついていたんですよ。<br />その名前がね。よーく聞いてくださいよ。<br />讃良(さらら)椿。<br />

    現在の龍王社です。
    薬師寺お参りのついでに、龍王社に行ってみようと万が一でも思う、変わった4トラベラーのご参考までに。

    一書に曰く、
    変なのは、この薬師寺の龍王社の、近くに植えてあった椿に、名前がついていたんですよ。
    その名前がね。よーく聞いてくださいよ。
    讃良(さらら)椿。

  • 鵜野讃良(うのの・さらら)って、持統天皇の諱のひとつですよ。こあたり詳しくは↑の「大津皇子フィールドノート3」<br />これこそ、変でしょう。なんでここに持統天皇がいるんですか?<br />大来皇女ならわかる。というか、普通でしょ。大来皇女椿か、または、奥さんの山辺皇女椿なら。<br />何じゃこれ?あの世に追い払っても、持統さんは、大津皇子を見張ってるってこと?<br />って、by妻、怒りで我を忘れて、引っこ抜いちゃいそうでしたよ。<br />by妻、大津様のことになると、過激です<br />By妻<br /><br />現在の龍王社と大津皇子の関係で信頼できる文献は、まず「奈良六大寺大観 薬師寺」<br /><br />★現在八大龍王を祀っているが、もとは大津龍王社または大津宮等と呼ばれ、伽藍西方の竜王山にあったが、維新後現在地に移された。★<br />(同書解説P38)<br /><br />★内外陣境扉板の元亀2年の銘に大津龍王社、「沿革紀要」にみえる天正9年と寛永5年の銘は大津宮、天正9年の前机は単に竜王と記す。したがってこの社殿にもと大津皇子を祀っていたかと思われる。伝大津皇子座像については当該項を参照されたい。★<br />(P75-76)<br /><br />奈良文化財研究所の研究レポートに下記の記述がありました。14ページです。<br />https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/8115/1/BN02304963_2_004_015.pdf<br /><br />★現在東院堂の南に建つ龍王社社殿はもと西方の竜王山にあり,明治維新時に境内へ移されたものである。この社殿は天文14年 (1545)に上棟され,元亀2年 (1571),天正8年 (1581),寛永5年 (1628)などと再三の修造をへている。★<br /><br />龍王山と大津皇子は昔は関係があった。<br />しかも龍王山は薬師寺の西方にある。<br /><br />これだけ分かれば歴史オタク(野次馬ともいう)私には十分です。<br />2026年初め「奈良に行くよ。龍王山を探そう!」と宣言したとき、By妻の眼に浮かんだ翳りに気が付かないアタシではない。<br />しかしそういう変人を夫にした運命を甘受してもらうしかありません。昨年春軽い脳梗塞で10日間入院しているので、旅行ではBy妻は常に私の傍らにいるのです。<br /><br />でもBy妻の憂いはそれだけではない。4トラベラーのみなさん、奈良のお昼は老舗の料理屋さんで優雅にめしあがるのですが、私たちはほとんど車のなかでヤマザキのミニアンパンです。観光旅行というより、ナントカ砂漠の調査旅行に近い。<br />妻には苦労をかけております。<br /><br />一書に曰く、<br />旅行に行かなくったって、苦労は掛けられてますがね。<br />あなた、私がいなくなったら、どうするの?って聞いたら、<br />大丈夫。コンビニがある!と、力強くお答えあそばしました。<br />Byコンビニ妻<br />

    鵜野讃良(うのの・さらら)って、持統天皇の諱のひとつですよ。こあたり詳しくは↑の「大津皇子フィールドノート3」
    これこそ、変でしょう。なんでここに持統天皇がいるんですか?
    大来皇女ならわかる。というか、普通でしょ。大来皇女椿か、または、奥さんの山辺皇女椿なら。
    何じゃこれ?あの世に追い払っても、持統さんは、大津皇子を見張ってるってこと?
    って、by妻、怒りで我を忘れて、引っこ抜いちゃいそうでしたよ。
    by妻、大津様のことになると、過激です
    By妻

    現在の龍王社と大津皇子の関係で信頼できる文献は、まず「奈良六大寺大観 薬師寺」

    ★現在八大龍王を祀っているが、もとは大津龍王社または大津宮等と呼ばれ、伽藍西方の竜王山にあったが、維新後現在地に移された。★
    (同書解説P38)

    ★内外陣境扉板の元亀2年の銘に大津龍王社、「沿革紀要」にみえる天正9年と寛永5年の銘は大津宮、天正9年の前机は単に竜王と記す。したがってこの社殿にもと大津皇子を祀っていたかと思われる。伝大津皇子座像については当該項を参照されたい。★
    (P75-76)

    奈良文化財研究所の研究レポートに下記の記述がありました。14ページです。
    https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/8115/1/BN02304963_2_004_015.pdf

    ★現在東院堂の南に建つ龍王社社殿はもと西方の竜王山にあり,明治維新時に境内へ移されたものである。この社殿は天文14年 (1545)に上棟され,元亀2年 (1571),天正8年 (1581),寛永5年 (1628)などと再三の修造をへている。★

    龍王山と大津皇子は昔は関係があった。
    しかも龍王山は薬師寺の西方にある。

    これだけ分かれば歴史オタク(野次馬ともいう)私には十分です。
    2026年初め「奈良に行くよ。龍王山を探そう!」と宣言したとき、By妻の眼に浮かんだ翳りに気が付かないアタシではない。
    しかしそういう変人を夫にした運命を甘受してもらうしかありません。昨年春軽い脳梗塞で10日間入院しているので、旅行ではBy妻は常に私の傍らにいるのです。

    でもBy妻の憂いはそれだけではない。4トラベラーのみなさん、奈良のお昼は老舗の料理屋さんで優雅にめしあがるのですが、私たちはほとんど車のなかでヤマザキのミニアンパンです。観光旅行というより、ナントカ砂漠の調査旅行に近い。
    妻には苦労をかけております。

    一書に曰く、
    旅行に行かなくったって、苦労は掛けられてますがね。
    あなた、私がいなくなったら、どうするの?って聞いたら、
    大丈夫。コンビニがある!と、力強くお答えあそばしました。
    Byコンビニ妻

  • ここで貴重な資料を発見。<br />宍戸香美(ししど・よしみ)奈良女子大学研究員の「薬師寺龍王社の祭礼と史料」(古代学11号P23-54/2020年3月)P24<br />龍王山の位置がばっちり分かりました。<br />

    ここで貴重な資料を発見。
    宍戸香美(ししど・よしみ)奈良女子大学研究員の「薬師寺龍王社の祭礼と史料」(古代学11号P23-54/2020年3月)P24
    龍王山の位置がばっちり分かりました。

  • グーグルマップより。<br /><br />これをおなじみのグーグルさんに移すと、こうなります。<br />ここまで分かればあとは行って写真を撮るだけ。るんるんです。<br />が・・・<br /><br />今回の飛鳥・奈良旅では現地では電チャリをレンタルする予定でした。<br />飛鳥の佐田めぐりで早速2台借りたのはいいのですが、私は1回、By妻は2回転びました。2人とも膝小僧をすりむいて、かさぶたも取れないうちに奈良にやってきました。<br />前回チャリで飛鳥を巡ったのは2020年です。この6年間の当方体力、バランス感覚の衰えを勘定に入れていませんでした。<br /><br />「チャリはやめて歩こうね、大池1周1時間くらいだし」<br />ところがこの日は大雨でした。<br />しゃーない、車で行こう。<br />休ケ岡八幡宮あたりから住宅地に入りましたが、道が狭い。ナビが間違えたようです。<br />狭いなんてもんじゃアない。幸い右側の側溝に蓋がしてあるので、私はサイドミラーが塀に触れないぎりぎりで、カタツムリもびっくりの超徐行。By妻は車の窓から顔を出して「側溝まで20センチ、直進ヨーソロー」<br />東京ですと、側溝はU字溝ですが、奈良の古い町の側溝は石積みで深さ50センチくらいあるのです。<br /><br />奈良で古い街を車で巡ろうと思っている4トラベラーにご忠告。<br />「やめなさい!」<br /><br />一書に曰く、<br />by夫は、車の運転が大好きな人で、若いころは、車でイベリア半島一周したりしました。<br />定年退職したら、ヨーロッパを縦横無尽に走る、長距離トラックの運転手になろうかな。とまで申しておりました。<br />たまたま通り過ぎただけの街でも、すぐに間違わないで行くことができる。と、きっぱり断言しておりましたし。<br />頼もしい。<br />頼もしかった、、、です。はあ。<br />前回の奈良旅行の時でも、側溝の存在は、問題ありませんでしたね。<br />今回は、側溝問題、大きかったです。<br />側溝が大きかったのではなく、側溝は、ちょうどタイヤが、はまるのにぴったりに見えました。はまったら、抜けにくい、フィット感。<br />ね、やばいでしょ?<br />そして深いんですよ。関東の側溝の倍はあると思う。<br />いたるところに側溝。細い道にも側溝。でこぼこ道にも、坂道にも側溝。<br /><br />なんで前回は気にかからなかったのだろう?<br />それが、今回は、気になって気になって。<br />側溝にはまって抜けられない様子が、まざまざと想像できちゃうんですよね。<br />あ~あ、これが蝋化。体も頭も蝋に固まり始めたってことですね。<br />もうじきマダムタッソー蝋人形館ですわ。<br />By妻<br />

    グーグルマップより。

    これをおなじみのグーグルさんに移すと、こうなります。
    ここまで分かればあとは行って写真を撮るだけ。るんるんです。
    が・・・

    今回の飛鳥・奈良旅では現地では電チャリをレンタルする予定でした。
    飛鳥の佐田めぐりで早速2台借りたのはいいのですが、私は1回、By妻は2回転びました。2人とも膝小僧をすりむいて、かさぶたも取れないうちに奈良にやってきました。
    前回チャリで飛鳥を巡ったのは2020年です。この6年間の当方体力、バランス感覚の衰えを勘定に入れていませんでした。

    「チャリはやめて歩こうね、大池1周1時間くらいだし」
    ところがこの日は大雨でした。
    しゃーない、車で行こう。
    休ケ岡八幡宮あたりから住宅地に入りましたが、道が狭い。ナビが間違えたようです。
    狭いなんてもんじゃアない。幸い右側の側溝に蓋がしてあるので、私はサイドミラーが塀に触れないぎりぎりで、カタツムリもびっくりの超徐行。By妻は車の窓から顔を出して「側溝まで20センチ、直進ヨーソロー」
    東京ですと、側溝はU字溝ですが、奈良の古い町の側溝は石積みで深さ50センチくらいあるのです。

    奈良で古い街を車で巡ろうと思っている4トラベラーにご忠告。
    「やめなさい!」

    一書に曰く、
    by夫は、車の運転が大好きな人で、若いころは、車でイベリア半島一周したりしました。
    定年退職したら、ヨーロッパを縦横無尽に走る、長距離トラックの運転手になろうかな。とまで申しておりました。
    たまたま通り過ぎただけの街でも、すぐに間違わないで行くことができる。と、きっぱり断言しておりましたし。
    頼もしい。
    頼もしかった、、、です。はあ。
    前回の奈良旅行の時でも、側溝の存在は、問題ありませんでしたね。
    今回は、側溝問題、大きかったです。
    側溝が大きかったのではなく、側溝は、ちょうどタイヤが、はまるのにぴったりに見えました。はまったら、抜けにくい、フィット感。
    ね、やばいでしょ?
    そして深いんですよ。関東の側溝の倍はあると思う。
    いたるところに側溝。細い道にも側溝。でこぼこ道にも、坂道にも側溝。

    なんで前回は気にかからなかったのだろう?
    それが、今回は、気になって気になって。
    側溝にはまって抜けられない様子が、まざまざと想像できちゃうんですよね。
    あ~あ、これが蝋化。体も頭も蝋に固まり始めたってことですね。
    もうじきマダムタッソー蝋人形館ですわ。
    By妻

  • それでたどり着いたのがここです。<br />なんだ、こりゃ?<br />

    それでたどり着いたのがここです。
    なんだ、こりゃ?

  • これが龍王山の成れの果てです。

    これが龍王山の成れの果てです。

  • 右の住宅地も傾斜がありました。小高い丘の中腹を切り通して道を造ったと思います。

    右の住宅地も傾斜がありました。小高い丘の中腹を切り通して道を造ったと思います。

  • 丘の上も整地されていたので、何かを造ろうとしたのかもしれません。なにかがあった跡かな。

    丘の上も整地されていたので、何かを造ろうとしたのかもしれません。なにかがあった跡かな。

  • 一書に曰く、<br />龍王山あと。<br />なんじゃこれ?って、私らの旅行って、ほとんどこういうのです。<br />普通の住宅地の写真を撮る私らに、地元の方は、いぶかしく、ハラハラと見ておられました。<br />何しに来たんだ?何してたんだ?<br />きっと思ったことでしょう。<br />Byなぞのばば妻<br /><br />

    一書に曰く、
    龍王山あと。
    なんじゃこれ?って、私らの旅行って、ほとんどこういうのです。
    普通の住宅地の写真を撮る私らに、地元の方は、いぶかしく、ハラハラと見ておられました。
    何しに来たんだ?何してたんだ?
    きっと思ったことでしょう。
    Byなぞのばば妻

  • 説明版の残骸のようなものもありました。由来でも書いてあったのかも。<br />おそらくこのあたりのどこか、丘の頂上にでも明治維新までの龍王社はあったのだろうと思います。<br />なにかもうちょっと「龍王社跡地」の看板くらいは期待していたのですが、努力と恐怖の割には成果が少ないと思う。<br /><br />

    説明版の残骸のようなものもありました。由来でも書いてあったのかも。
    おそらくこのあたりのどこか、丘の頂上にでも明治維新までの龍王社はあったのだろうと思います。
    なにかもうちょっと「龍王社跡地」の看板くらいは期待していたのですが、努力と恐怖の割には成果が少ないと思う。

  • このあと大池を一周しました。

    このあと大池を一周しました。

  • 薬師寺の金堂と西塔が見えます。

    薬師寺の金堂と西塔が見えます。

  • 木立のかげに東塔もちょっと。<br />この日は雨。<br />さすがのiPhoneでもどうにもなりません。<br />大池の西ですから、ドピーカンの午後であれば日の光を背に、どんないい写真が撮れたことか。<br />

    木立のかげに東塔もちょっと。
    この日は雨。
    さすがのiPhoneでもどうにもなりません。
    大池の西ですから、ドピーカンの午後であれば日の光を背に、どんないい写真が撮れたことか。

  • ぎりぎり拡大しておきます。

    ぎりぎり拡大しておきます。

  • むなしく写真をとるBy夫の図。

    むなしく写真をとるBy夫の図。

  • 九州生まれのすべての女は卑弥呼の末裔だそうです。

    九州生まれのすべての女は卑弥呼の末裔だそうです。

  • とBy妻が申しております。<br />ならばここで一天にわかにかき晴れてもいいと思う。<br />

    とBy妻が申しております。
    ならばここで一天にわかにかき晴れてもいいと思う。

  • 左の丘が竜王山です。<br />大池のほとり、かつての小字龍王南に今は住宅が並んでおります。<br /><br />なんとも空しい旅行記になりました。170年以上も前のお宮の、なにもない跡地に行ってきただけです。<br />4トラベルが、空しい旅行記大賞を作ってくれたら、応募したいと思います。<br />でも宍戸の文献にたどり着いたので、成果もありました。<br /><br />奈良平安の大津皇子物語<br />▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲<br /><br />宍戸によると、持統朝から奈良朝にかけて、日本書紀、万葉集、懐風藻をベースに「大津皇子物語」とでもいうべき伝承の悲劇が成立しました。平安時代には大津皇子をめぐる物語が創作された形跡があるそうです。<br />仮名文学として、大来大津姉弟の禁忌の恋を描く物語があったとのこと。狭衣物語に「大津の皇子」という物語が引用されているそうです。現代は散逸して内容を知ることはできません。	<br /><br />★以上のように大津皇子は、奈良時代・平安時代と、詩文に秀でた悲劇の皇子として語り継がれた。大津皇子は決して忘れ去られた人物ではなく、生きた存在であり続けたのである。★<br />(P25)<br /><br />江戸時代には仮名草子「本朝女鑑」(ほんちょう・じょかん)で、皇子の妻の山辺皇女が描かれています。<br />(浅井了意/1661年)<br />現代では永井路子の「裸足の皇女」が山辺皇女の物語です。<br /><br />どうやら私たちも平安以来の伝統のはじっこにぶら下がっているようです。<br />

    左の丘が竜王山です。
    大池のほとり、かつての小字龍王南に今は住宅が並んでおります。

    なんとも空しい旅行記になりました。170年以上も前のお宮の、なにもない跡地に行ってきただけです。
    4トラベルが、空しい旅行記大賞を作ってくれたら、応募したいと思います。
    でも宍戸の文献にたどり着いたので、成果もありました。

    奈良平安の大津皇子物語
    ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

    宍戸によると、持統朝から奈良朝にかけて、日本書紀、万葉集、懐風藻をベースに「大津皇子物語」とでもいうべき伝承の悲劇が成立しました。平安時代には大津皇子をめぐる物語が創作された形跡があるそうです。
    仮名文学として、大来大津姉弟の禁忌の恋を描く物語があったとのこと。狭衣物語に「大津の皇子」という物語が引用されているそうです。現代は散逸して内容を知ることはできません。

    ★以上のように大津皇子は、奈良時代・平安時代と、詩文に秀でた悲劇の皇子として語り継がれた。大津皇子は決して忘れ去られた人物ではなく、生きた存在であり続けたのである。★
    (P25)

    江戸時代には仮名草子「本朝女鑑」(ほんちょう・じょかん)で、皇子の妻の山辺皇女が描かれています。
    (浅井了意/1661年)
    現代では永井路子の「裸足の皇女」が山辺皇女の物語です。

    どうやら私たちも平安以来の伝統のはじっこにぶら下がっているようです。

  • 大津皇子は水利組合理事長<br />▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲<br /><br />これは、<br /><br />六国史の旅 飛鳥の姉弟14 大来皇女夏見廃寺<br />https://4travel.jp/travelogue/11690369<br /><br />で紹介した「薬師寺縁起」の複製です。<br /><br />大津皇子の悲劇は「薬師寺縁起」(1010年成立)では悪龍となります。<br />夏目廃寺展示館で見つけた縁起の大津皇子の部分を再度引用します。<br />和漢文で私たちにはまともには読めないのですが、漢字の意味だけを拾って適当に現代語訳しました。それほど大きな間違いはないようです。<br /><br />「大津皇子 持統天皇4年正月大津皇子を拘禁して自害させた。(書紀では持統元年)<br />伝承によると、大津皇子は世を嫌って不多神(ふたかみ)山に籠もった。<br />誣告により掃寺(かでら?)に7日間閉じ込められた。<br />皇子は悪龍となり雲に上り毒を吐き、天下が静まらなかった。<br />朝廷はこれを憂いた。<br />義淵僧正は皇子の平生の師である。<br />(以降お坊さんがどうしてか修円にかわり、また悪龍が悪霊に変身))<br />勅命により修円が祈ったが悪霊はまだ収まらない。<br />修円は一字千金を呼ぶ(意味不明)<br />悪霊は成仏した。皇子のために龍峯寺を建てた。葛下郡にある。掃守寺がこれである。」<br /><br />悪かどうかはともかく、「龍」は雨、水を司る神様です。<br />時代は下って13世紀ごろ、すでに龍王山では龍神、つまり雨乞いのお祭りがおこなわれていたらしい。稲作にとって雨は死活問題です。<br />そこに16世紀大津龍王社が建てられました。つまりこの段階ですでに大津皇子は龍神と一体化しておりました。<br />そこに大池の水をめぐる近郷の村々の水利権の調節の問題が加わりました。<br />大津皇子は、言ってみれば薬師寺周辺の水利組合の名誉理事長みたいなことになっておりました。<br /><br />明治維新ごろ龍王山から薬師寺境内に遷座された龍王社は、水利組合名誉理事長を祀る神社となっていたのです。<br />以上は宍戸の論文を私の知能レベルで理解できるまでかみ砕いた説であります。<br /><br />一書に曰く、<br />だ か ら!大津皇子は、龍ではないの!<br />さわやか、健やか、麗しい大津様が、悪龍になぞ。<br />絶対に無理。無理。無理。<br /><br />大津皇子の刑死は、当時の人々に、深い同情を呼び、権力者に対する反感を覚えさせたのですよ。<br />時の権力者に、声を上げることはできない。だからこそ、大津皇子に対する同情は、強く根深く人々の心に残っていったのです。<br />あれほどのことをされたのだから、祟ってもしかたない。祟るのが当然だ<br />大津皇子の怨念が、龍にまでなったのは、龍くらいしか,時の権力者に対抗できないとでも思ったのでしょうか。<br />それほどまでに、持統系の力は、強く安定していたということでしょうか。<br />そして、龍になってしまえば、水の神に、まっしぐら。<br /><br />水は、命です。<br />当時の大ヒーローは、充分に、その民の命を担う力がありました。<br />だって、次の天皇と思われていたんだものね。<br /><br />大津皇子の涙が、雨になる。とかいう話ができなかったのが不思議くらい。<br />ああ、大津皇子の涙雨だ。<br />皇子様。今日は荒れておいでだ。嵐になった。<br />とかね。<br />今日は、安らかにおわします。いいお天気だ。<br />とか。<br />最初は、あったんじゃないかな。こんなはなし。<br />でも、権力は常に、持統天皇系のもの。<br />反逆者を、手放しでは賛美できなかった。<br />それが、悪龍にしてしまったのですね。<br />でも、大津皇子は、人々に愛され続けたのです。<br />恐れのなかに、畏怖と、深い同情と愛をこめて。<br />あなたは、やっぱり永遠のヒーローです。<br />By妻<br />

    大津皇子は水利組合理事長
    ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

    これは、

    六国史の旅 飛鳥の姉弟14 大来皇女夏見廃寺
    https://4travel.jp/travelogue/11690369

    で紹介した「薬師寺縁起」の複製です。

    大津皇子の悲劇は「薬師寺縁起」(1010年成立)では悪龍となります。
    夏目廃寺展示館で見つけた縁起の大津皇子の部分を再度引用します。
    和漢文で私たちにはまともには読めないのですが、漢字の意味だけを拾って適当に現代語訳しました。それほど大きな間違いはないようです。

    「大津皇子 持統天皇4年正月大津皇子を拘禁して自害させた。(書紀では持統元年)
    伝承によると、大津皇子は世を嫌って不多神(ふたかみ)山に籠もった。
    誣告により掃寺(かでら?)に7日間閉じ込められた。
    皇子は悪龍となり雲に上り毒を吐き、天下が静まらなかった。
    朝廷はこれを憂いた。
    義淵僧正は皇子の平生の師である。
    (以降お坊さんがどうしてか修円にかわり、また悪龍が悪霊に変身))
    勅命により修円が祈ったが悪霊はまだ収まらない。
    修円は一字千金を呼ぶ(意味不明)
    悪霊は成仏した。皇子のために龍峯寺を建てた。葛下郡にある。掃守寺がこれである。」

    悪かどうかはともかく、「龍」は雨、水を司る神様です。
    時代は下って13世紀ごろ、すでに龍王山では龍神、つまり雨乞いのお祭りがおこなわれていたらしい。稲作にとって雨は死活問題です。
    そこに16世紀大津龍王社が建てられました。つまりこの段階ですでに大津皇子は龍神と一体化しておりました。
    そこに大池の水をめぐる近郷の村々の水利権の調節の問題が加わりました。
    大津皇子は、言ってみれば薬師寺周辺の水利組合の名誉理事長みたいなことになっておりました。

    明治維新ごろ龍王山から薬師寺境内に遷座された龍王社は、水利組合名誉理事長を祀る神社となっていたのです。
    以上は宍戸の論文を私の知能レベルで理解できるまでかみ砕いた説であります。

    一書に曰く、
    だ か ら!大津皇子は、龍ではないの!
    さわやか、健やか、麗しい大津様が、悪龍になぞ。
    絶対に無理。無理。無理。

    大津皇子の刑死は、当時の人々に、深い同情を呼び、権力者に対する反感を覚えさせたのですよ。
    時の権力者に、声を上げることはできない。だからこそ、大津皇子に対する同情は、強く根深く人々の心に残っていったのです。
    あれほどのことをされたのだから、祟ってもしかたない。祟るのが当然だ
    大津皇子の怨念が、龍にまでなったのは、龍くらいしか,時の権力者に対抗できないとでも思ったのでしょうか。
    それほどまでに、持統系の力は、強く安定していたということでしょうか。
    そして、龍になってしまえば、水の神に、まっしぐら。

    水は、命です。
    当時の大ヒーローは、充分に、その民の命を担う力がありました。
    だって、次の天皇と思われていたんだものね。

    大津皇子の涙が、雨になる。とかいう話ができなかったのが不思議くらい。
    ああ、大津皇子の涙雨だ。
    皇子様。今日は荒れておいでだ。嵐になった。
    とかね。
    今日は、安らかにおわします。いいお天気だ。
    とか。
    最初は、あったんじゃないかな。こんなはなし。
    でも、権力は常に、持統天皇系のもの。
    反逆者を、手放しでは賛美できなかった。
    それが、悪龍にしてしまったのですね。
    でも、大津皇子は、人々に愛され続けたのです。
    恐れのなかに、畏怖と、深い同情と愛をこめて。
    あなたは、やっぱり永遠のヒーローです。
    By妻

  • これは「薬師寺大観」に載っていた「伝大津皇子像」<br />14世紀の制作だそうです。現在は奈良国立博物館に所蔵されています。非公開です。<br />高さ39.5㎝の小さな像だそうです。<br />この像は、江戸時代までの龍王山の龍王社に、大津皇子像としてお祀りされていました。<br />現在の薬師寺境内の龍王社に安置されていたことはありません。薬師寺に電話して教えていただきました。<br /><br />「伝大津皇子像」ですから、厳密には大津皇子であるかどうかは、分からないのです。<br />しかし大津皇子の悲劇を知っている方は、この写真を一目見て「大津皇子だ!」と思うのではないですか。眉を寄せた苦悶の表情は、どうみても大津皇子です。<br /><br />それは16世紀に大津龍王社を建てた人も同じ。<br />考えられるシナリオとしては、龍王社に雨乞いのお社を建てようと思った人は、薬師寺のどこかに安置されていた「伝大津皇子像」を見た。<br />「これだ!」と思った。<br />この時代すでに大津皇子=龍王説は確立していた。<br />14世紀に造られたこの像を、大津龍王社にふさわしいと思ったのです。<br /><br />この像は水利組合名誉理事長である前には、本当に大津皇子であったと、私は確信しています。<br />

    これは「薬師寺大観」に載っていた「伝大津皇子像」
    14世紀の制作だそうです。現在は奈良国立博物館に所蔵されています。非公開です。
    高さ39.5㎝の小さな像だそうです。
    この像は、江戸時代までの龍王山の龍王社に、大津皇子像としてお祀りされていました。
    現在の薬師寺境内の龍王社に安置されていたことはありません。薬師寺に電話して教えていただきました。

    「伝大津皇子像」ですから、厳密には大津皇子であるかどうかは、分からないのです。
    しかし大津皇子の悲劇を知っている方は、この写真を一目見て「大津皇子だ!」と思うのではないですか。眉を寄せた苦悶の表情は、どうみても大津皇子です。

    それは16世紀に大津龍王社を建てた人も同じ。
    考えられるシナリオとしては、龍王社に雨乞いのお社を建てようと思った人は、薬師寺のどこかに安置されていた「伝大津皇子像」を見た。
    「これだ!」と思った。
    この時代すでに大津皇子=龍王説は確立していた。
    14世紀に造られたこの像を、大津龍王社にふさわしいと思ったのです。

    この像は水利組合名誉理事長である前には、本当に大津皇子であったと、私は確信しています。

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