ベラト旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2025年の夏は、スロベニア~クロアチア~バルカン半島を周遊しました。<br /><br />この国々の中で、アルバニア共和国が1番謎の多い国でした。<br />北からモンテネグロ、コソボ、北マケドニア、ギリシャに隣接しています。<br />また、西側は海に面し、北側はアドリア海、南側はイオニア海に接してます。<br />特に、このベラートを西に向かうと対岸にイタリア半島があります。そのイタリア半島の長靴の踵部分には、目と鼻の先です。<br /><br />歴史的にはビザンツ帝国、ブルガリア帝国、セルビア王国などの支配を経て、15世紀半ばよりオスマン帝国の支配下になりました。<br />そのオスマン帝国の建築が現在も、このベラートに残されています。<br /><br />そして、社会主義時代の1961年にアルバニアで最初に博物館都市宣言を行ったのがベラートです。<br />斜面には白い壁、レンガ色の屋根の家々が建ち並び、まさに「千の窓の町」です。<br /><br /><br />【旅程】<br /><br />7/18(金)<br />羽田(HND)21:45発(ターキッシュエアラインズ(TK199便))<br /><br />7/19(土)<br />イスタンブール(IST) 4:50着<br />イスタンブール(IST) 7:15発(ターキッシュエアラインズ(TK1061便)<br />リュブリャナ(LJU) 8:30着【スロベニア】<br />↓<br />ブレッド10:00<br />ブレッド湖<br />聖マリア教会<br />ブレッド城<br />↓<br />ポストイナ15:00<br />鍾乳洞<br />↓<br />オパティア【クロアチア】18:30<br /><br />7/20(日)<br />オパティア8:30<br />↓<br />プリトヴィイツェ13:00<br />プリトヴィッツェ湖群国立公園<br />↓<br />ザダル18:00<br />旧市街<br /><br />7/21(月)<br />ザダル9:00<br />↓<br />スプリット11:30<br />ディオクレティアヌス宮殿<br />↓<br />モスタル【ボスニア・ヘルツェゴビナ】<br />スターリ・モスト<br /><br />7/22(火)<br />モスタル8:30<br />↓<br />ドブロヴニク12:00<br />セルビア教会<br />ブラホ教会<br />スルジ山<br />城壁<br />フランシスコ教会<br />大聖堂<br /><br />7/23(水)<br />ドブロヴニク8:00<br />↓<br />コトル【モンテネグロ】11:00<br />聖トリプン大聖堂<br />城壁内<br />海岸沿いドライブ<br />↓<br />ティラナ【アルバニア】20:00<br /><br />7/24(木)<br />ティラナ8:00<br />↓<br />マザーテレサ広場<br />スカンデルベルグ広場<br />クロックタワー<br />↓<br />●ベラート12:30<br />●ベラート市内<br />●ベラート城<br />↓<br />オフリド【北マケドニア】19:00<br /><br />7/25(金)<br />オフリド8:15<br />↓<br />オフリド湖畔<br />聖ソフィア大聖堂<br />ローマ劇場<br />サミュエル要塞<br />聖ヨハネカネヨ教会<br />市内<br />↓<br />スコピエ15:30<br />市内<br />石の橋<br />マケドニア広場<br />バザール<br />↓<br />スコピエ(SKP) 20:20発(ターキッシュエアラインTK1006便)<br />イスタンブール(ISL) 23:00着<br /><br />7/26(土)<br />イスタンブール(ISL) 2:00発(ターキッシュエアラインTK198便)<br />羽田(HND) 19:20着

⑪ Berat (Albania)2025 ベラート(スロベニア・クロアチア・バルカン半島周遊)

120いいね!

2025/07/18 - 2025/07/26

1位(同エリア30件中)

noel

noelさん

この旅行記のスケジュール

2025/07/24

  • ティラナ:9時頃出発

この旅行記スケジュールを元に

2025年の夏は、スロベニア~クロアチア~バルカン半島を周遊しました。

この国々の中で、アルバニア共和国が1番謎の多い国でした。
北からモンテネグロ、コソボ、北マケドニア、ギリシャに隣接しています。
また、西側は海に面し、北側はアドリア海、南側はイオニア海に接してます。
特に、このベラートを西に向かうと対岸にイタリア半島があります。そのイタリア半島の長靴の踵部分には、目と鼻の先です。

歴史的にはビザンツ帝国、ブルガリア帝国、セルビア王国などの支配を経て、15世紀半ばよりオスマン帝国の支配下になりました。
そのオスマン帝国の建築が現在も、このベラートに残されています。

そして、社会主義時代の1961年にアルバニアで最初に博物館都市宣言を行ったのがベラートです。
斜面には白い壁、レンガ色の屋根の家々が建ち並び、まさに「千の窓の町」です。


【旅程】

7/18(金)
羽田(HND)21:45発(ターキッシュエアラインズ(TK199便))

7/19(土)
イスタンブール(IST) 4:50着
イスタンブール(IST) 7:15発(ターキッシュエアラインズ(TK1061便)
リュブリャナ(LJU) 8:30着【スロベニア】

ブレッド10:00
ブレッド湖
聖マリア教会
ブレッド城

ポストイナ15:00
鍾乳洞

オパティア【クロアチア】18:30

7/20(日)
オパティア8:30

プリトヴィイツェ13:00
プリトヴィッツェ湖群国立公園

ザダル18:00
旧市街

7/21(月)
ザダル9:00

スプリット11:30
ディオクレティアヌス宮殿

モスタル【ボスニア・ヘルツェゴビナ】
スターリ・モスト

7/22(火)
モスタル8:30

ドブロヴニク12:00
セルビア教会
ブラホ教会
スルジ山
城壁
フランシスコ教会
大聖堂

7/23(水)
ドブロヴニク8:00

コトル【モンテネグロ】11:00
聖トリプン大聖堂
城壁内
海岸沿いドライブ

ティラナ【アルバニア】20:00

7/24(木)
ティラナ8:00

マザーテレサ広場
スカンデルベルグ広場
クロックタワー

●ベラート12:30
●ベラート市内
●ベラート城

オフリド【北マケドニア】19:00

7/25(金)
オフリド8:15

オフリド湖畔
聖ソフィア大聖堂
ローマ劇場
サミュエル要塞
聖ヨハネカネヨ教会
市内

スコピエ15:30
市内
石の橋
マケドニア広場
バザール

スコピエ(SKP) 20:20発(ターキッシュエアラインTK1006便)
イスタンブール(ISL) 23:00着

7/26(土)
イスタンブール(ISL) 2:00発(ターキッシュエアラインTK198便)
羽田(HND) 19:20着

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
ターキッシュ エアラインズ
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
エイチ・アイ・エス
  • ベラートに向かっています。<br />モスクが見えます。

    ベラートに向かっています。
    モスクが見えます。

  • 橋を渡って行きます。

    橋を渡って行きます。

  • 橋の先に家が見えてきました。<br />ゴリツァ橋です。

    橋の先に家が見えてきました。
    ゴリツァ橋です。

    ゴリツァ橋 建造物

  • モスクのミナレットらしき物が見えてきました。<br />モスクの建物の一部に見えますが、1階はお洋服屋さんに見えます。

    モスクのミナレットらしき物が見えてきました。
    モスクの建物の一部に見えますが、1階はお洋服屋さんに見えます。

  • バスを降りて、これからランチです。<br />ここ、Bulevardi Republika(ブルヴァルディ・レプブリカ)は歩行者専用のプロムナードです。オスム川に沿ってあり、カフェやレストランやショップがたくさん並んでいます。横は公園になっています。<br /><br />Bube Dad Karbunara (1842年4月22日-1917年12月19日)<br />バベ・ドゥド・カルブナラ(本名:ヨルジ・カルブナラ)の記念碑です。<br />アルバニアの教師かつ政治家で、1912年アルバニア独立宣言の署名者の1人でした。<br />アルバニア民族運動を支援し、ベラートでアルバニア語学校の設立に尽力し、アルバニア人の識字教育と民族意識の普及に努めた人です。75歳で亡くなりました。

    バスを降りて、これからランチです。
    ここ、Bulevardi Republika(ブルヴァルディ・レプブリカ)は歩行者専用のプロムナードです。オスム川に沿ってあり、カフェやレストランやショップがたくさん並んでいます。横は公園になっています。

    Bube Dad Karbunara (1842年4月22日-1917年12月19日)
    バベ・ドゥド・カルブナラ(本名:ヨルジ・カルブナラ)の記念碑です。
    アルバニアの教師かつ政治家で、1912年アルバニア独立宣言の署名者の1人でした。
    アルバニア民族運動を支援し、ベラートでアルバニア語学校の設立に尽力し、アルバニア人の識字教育と民族意識の普及に努めた人です。75歳で亡くなりました。

  • 山の上にアルバニア国旗が見えます。<br /><br />この通りと平行している奥の通りは、Rruga Antipatrea(ルガ・アンティパトレア通り)です。<br />このAntipatrea(アンティパトレア)という名前は古代都市の跡地に築かれていて、この名前に由来しています。

    山の上にアルバニア国旗が見えます。

    この通りと平行している奥の通りは、Rruga Antipatrea(ルガ・アンティパトレア通り)です。
    このAntipatrea(アンティパトレア)という名前は古代都市の跡地に築かれていて、この名前に由来しています。

  • The Gorica Bridge(ゴリツァ橋)は左側方向です。<br /><br />オスム川にかかるアルバニアで最も古いオスマン帝国時代の橋の1つです。<br />元々1780年に木造で建築され、1920年に石造で再建されました。<br />アーチは7つあり、長さ129m、幅5.3m、平均水位より10m高くなっています。2015年にベラート市によって改修されました。<br />

    The Gorica Bridge(ゴリツァ橋)は左側方向です。

    オスム川にかかるアルバニアで最も古いオスマン帝国時代の橋の1つです。
    元々1780年に木造で建築され、1920年に石造で再建されました。
    アーチは7つあり、長さ129m、幅5.3m、平均水位より10m高くなっています。2015年にベラート市によって改修されました。

  • Margarita Tutulani(マルガリータ・トゥトゥラニ)の記念碑です。<br /><br />1925-1943年7月6日<br /><br />祖父のディミテル・トゥトゥラニはアルマニア系の著名な法律家で、1912年のアルバニア独立宣言の署名者の一人です。<br />また、父はアルバニア議会議員を務めました。<br /><br />ティラナの「クイーン・マザー教育学院」で学び、反ファシスト運動に参加しました。<br />兄クリスタクと共にパルチザンとして活動しました。<br />第二次世界大戦中にベラートで活動したアルバニアの反ファシストの英雄です。<br />また、「人民の英雄(Hero of the People)」の称号を授与され、アルバニアの抵抗運動の象徴となりました。<br />ただ、1943年7月6日、イタリア占領下のカヴァヤ近郊ゴセで、兄とともに処刑されました。享年18歳の若さでした。<br />

    Margarita Tutulani(マルガリータ・トゥトゥラニ)の記念碑です。

    1925-1943年7月6日

    祖父のディミテル・トゥトゥラニはアルマニア系の著名な法律家で、1912年のアルバニア独立宣言の署名者の一人です。
    また、父はアルバニア議会議員を務めました。

    ティラナの「クイーン・マザー教育学院」で学び、反ファシスト運動に参加しました。
    兄クリスタクと共にパルチザンとして活動しました。
    第二次世界大戦中にベラートで活動したアルバニアの反ファシストの英雄です。
    また、「人民の英雄(Hero of the People)」の称号を授与され、アルバニアの抵抗運動の象徴となりました。
    ただ、1943年7月6日、イタリア占領下のカヴァヤ近郊ゴセで、兄とともに処刑されました。享年18歳の若さでした。

  • トルコアイスのお店です。<br />もうすぐランチですが、食べたいな~。

    トルコアイスのお店です。
    もうすぐランチですが、食べたいな~。

  • 新鮮なフルーツが並んでいます。<br />葡萄、いちじく、ざくろ、ブルーベリー、ラズベリー、プルーン等々です。<br />冷たいジュースもあるようです。

    新鮮なフルーツが並んでいます。
    葡萄、いちじく、ざくろ、ブルーベリー、ラズベリー、プルーン等々です。
    冷たいジュースもあるようです。

  • Girl Playing the Flute(フルートを吹く少女)の像です。<br /><br />ブロンズ製です。<br />この少女についての記述は書いてませんでした。<br />木陰から今にも音色が聞こえてきそうでした。

    Girl Playing the Flute(フルートを吹く少女)の像です。

    ブロンズ製です。
    この少女についての記述は書いてませんでした。
    木陰から今にも音色が聞こえてきそうでした。

  • 歩行者専用道路なので安心して歩けます。<br />アルバニアにこんな整備された歩きやすい道があるなど想像もしていませんでした。<br />この意外さが楽しいです。

    歩行者専用道路なので安心して歩けます。
    アルバニアにこんな整備された歩きやすい道があるなど想像もしていませんでした。
    この意外さが楽しいです。

  • CITY GRILL<br />この日のランチは、このお店です。

    CITY GRILL
    この日のランチは、このお店です。

    City Grill Berat-Bar & Restaurant ステーキ・グリル

  • メニューはこんな感じです。

    メニューはこんな感じです。

  • 店内の様子です。

    店内の様子です。

  • 店内は明るく雰囲気もいいです。

    店内は明るく雰囲気もいいです。

  • ランチメニューです。<br />スープとムサカです。<br />もっと食べたような気がしますが、写真はこれだけになってしまいました。(-_-;)<br />

    ランチメニューです。
    スープとムサカです。
    もっと食べたような気がしますが、写真はこれだけになってしまいました。(-_-;)

  • 食後は広場に向かいます。<br />右側には大聖堂、左側にはモスクがあります。

    食後は広場に向かいます。
    右側には大聖堂、左側にはモスクがあります。

  • The Cathedral of Saint Demetrius(聖デメトリウス大聖堂)<br /><br />正教会の大聖堂です。外観はビザンチン様式です。<br />1994年に設立されました。

    イチオシ

    地図を見る

    The Cathedral of Saint Demetrius(聖デメトリウス大聖堂)

    正教会の大聖堂です。外観はビザンチン様式です。
    1994年に設立されました。

    Saint Demetrius Orthodox Cathedral 寺院・教会

  • 殉教者の聖デメトリウス・ミルラ・ストレプティスト(4世紀)に捧げられました。<br />2009年4月に開館し、2014年10月に奉献されベラートの大聖堂となっています。<br />この大聖堂は1851年の地震の後に遺跡の近くに建てられました。<br /><br />大聖堂はドームを持つ正方形の十字に刻まれたビザンチン様式の建築です。<br />広さ527m、高さ22mです。<br />鐘楼は2つあります。<br />ティラナ及びアルバニア大主教の指導と資金提供で建設されました。<br />中庭の東側には共産主義崩壊後の最初の大主教である故ベラート大主教イグナティオス(1998-2024年)のお墓があります。<br /><br />大聖堂の祝日は毎年10月26日に祝われます。

    殉教者の聖デメトリウス・ミルラ・ストレプティスト(4世紀)に捧げられました。
    2009年4月に開館し、2014年10月に奉献されベラートの大聖堂となっています。
    この大聖堂は1851年の地震の後に遺跡の近くに建てられました。

    大聖堂はドームを持つ正方形の十字に刻まれたビザンチン様式の建築です。
    広さ527m、高さ22mです。
    鐘楼は2つあります。
    ティラナ及びアルバニア大主教の指導と資金提供で建設されました。
    中庭の東側には共産主義崩壊後の最初の大主教である故ベラート大主教イグナティオス(1998-2024年)のお墓があります。

    大聖堂の祝日は毎年10月26日に祝われます。

  • 聖デミトリオリウスの黄金のイコンです。<br /><br />騎馬姿の凛々しいです。敵を倒し勝利しています。<br />槍や十字架を持ち、戦いの象徴です。<br />豪華な黄金のイコンは深い敬意と祈りの対象として重要です。

    聖デミトリオリウスの黄金のイコンです。

    騎馬姿の凛々しいです。敵を倒し勝利しています。
    槍や十字架を持ち、戦いの象徴です。
    豪華な黄金のイコンは深い敬意と祈りの対象として重要です。

  • イコノスタシスです。<br />確か右側だったと思います。

    イコノスタシスです。
    確か右側だったと思います。

  • よく見ると、この照明にはアルバニア国旗の双頭の鷲を象ったものもありました。

    よく見ると、この照明にはアルバニア国旗の双頭の鷲を象ったものもありました。

  • 洗礼者ヨハネです。また、手に持っているのは、彼自身の切断された頭部です。<br /><br />これはヘロデ王により斬首され殉教したことを表しています。<br />正教会のイコンでは、洗礼者ヨハネは「荒野の天使」または「荒野の使者」を意味する「angelos(アンゲロス)」という称号で呼ばれることが多く「使者」という意味から天使の翼を伴って描かれています。<br />彼がキリストの来臨に備えて道を用意するという神聖な使命を帯びた「神の使い」であることを示しています。

    洗礼者ヨハネです。また、手に持っているのは、彼自身の切断された頭部です。

    これはヘロデ王により斬首され殉教したことを表しています。
    正教会のイコンでは、洗礼者ヨハネは「荒野の天使」または「荒野の使者」を意味する「angelos(アンゲロス)」という称号で呼ばれることが多く「使者」という意味から天使の翼を伴って描かれています。
    彼がキリストの来臨に備えて道を用意するという神聖な使命を帯びた「神の使い」であることを示しています。

  • イエス・キリストです。<br />ちなみに毛糸で編んだ白い薔薇で覆われています。<br />どなたかが編んだのでしょうね。<br />モヘアのようでふわふわしています。<br />

    イエス・キリストです。
    ちなみに毛糸で編んだ白い薔薇で覆われています。
    どなたかが編んだのでしょうね。
    モヘアのようでふわふわしています。

  • こちらもイコノスタシスです。<br />左側だったと思います。

    こちらもイコノスタシスです。
    左側だったと思います。

  • ドームです。<br />窓からは木漏れ日が・・・・。

    ドームです。
    窓からは木漏れ日が・・・・。

  • イコノスタシスです。<br />上部には最後の晩餐が描かれています。<br />これは中央のイコノスタシスで、中央は王門になっています。

    イコノスタシスです。
    上部には最後の晩餐が描かれています。
    これは中央のイコノスタシスで、中央は王門になっています。

  • 聖母マリアと幼子イエスです。

    聖母マリアと幼子イエスです。

  • 聖デミトリウスです。<br /><br />このイコンはおそらくテッサロニキ(デミトリウスの故郷)の城壁です。<br />火を囲んで座る人々や戦いの場面、殉教の場面などが描かれているようです。<br />デミトリウスはキリスト教信仰のため殉教しました。

    聖デミトリウスです。

    このイコンはおそらくテッサロニキ(デミトリウスの故郷)の城壁です。
    火を囲んで座る人々や戦いの場面、殉教の場面などが描かれているようです。
    デミトリウスはキリスト教信仰のため殉教しました。

  • このイコンはイエス・キリストのようです。<br /><br />キリストを表す「IC XC」の文字が見られます。また右側には「大祭司」とあります。この図像は正教会において、「大司祭キリスト」または「王の王」です。<br />豪華な大司祭の祭服を着用し王冠(またはミトラ冠らしき帽子」を被り、王座に座って福音書を持っています。

    このイコンはイエス・キリストのようです。

    キリストを表す「IC XC」の文字が見られます。また右側には「大祭司」とあります。この図像は正教会において、「大司祭キリスト」または「王の王」です。
    豪華な大司祭の祭服を着用し王冠(またはミトラ冠らしき帽子」を被り、王座に座って福音書を持っています。

  • よく見ると、ファサードにはアルバニアの国旗もありました。

    よく見ると、ファサードにはアルバニアの国旗もありました。

  • 広場の先にはモスクがありました。<br />Lead Mosque(鉛のモスク)

    広場の先にはモスクがありました。
    Lead Mosque(鉛のモスク)

    鉛のモスク 寺院・教会

  • ゴロンと横たわるワンちゃん。<br />暑すぎてダレちゃってます。

    ゴロンと横たわるワンちゃん。
    暑すぎてダレちゃってます。

  • 広場を後にします。

    広場を後にします。

  • The King Mosque(王のモスク)<br /><br />バヤジド・モスクとも呼ばれています。<br />バヤジド2世により建てられました。<br />この先にある複合体建築には不可欠な存在のモスクです。<br /><br />モスクの北側には記念碑的なお墓もあります。<br />モスクは崩壊の危険性があったため、1832年から1833年に大規模な再建が行われました。<br />ミフラーブや説教壇なども再建されました。

    The King Mosque(王のモスク)

    バヤジド・モスクとも呼ばれています。
    バヤジド2世により建てられました。
    この先にある複合体建築には不可欠な存在のモスクです。

    モスクの北側には記念碑的なお墓もあります。
    モスクは崩壊の危険性があったため、1832年から1833年に大規模な再建が行われました。
    ミフラーブや説教壇なども再建されました。

  • The living Quarters of the dervishes(托鉢僧の住居(生活空間))<br />Konakët e dervishve(コナケート・エ・デルヴィシュヴェ)<br /><br />デルヴィッシュ・ハウス(修道僧の住居(宿泊施設))、通称「コナクス」は、ユネスコ世界遺産に登録されているベラートのマンガレム地区に位置しています。<br />これらの建物は教団の精神的かつ共同体的な生活の一端を垣間見ることができます。建築はオスマンのデザイン要素と地元のアルバニアの特徴を組み合わせています。東西軸に沿って伸びており、石造りや木のアクセントが特徴です。<br /><br />居住区は建物の上層階にあります。石の壁は耐久性があり、木製の屋根によって涼しくできました。<br />このエリアは日陰を提供し修道僧が集まり、社交的な場所として機能しました。

    The living Quarters of the dervishes(托鉢僧の住居(生活空間))
    Konakët e dervishve(コナケート・エ・デルヴィシュヴェ)

    デルヴィッシュ・ハウス(修道僧の住居(宿泊施設))、通称「コナクス」は、ユネスコ世界遺産に登録されているベラートのマンガレム地区に位置しています。
    これらの建物は教団の精神的かつ共同体的な生活の一端を垣間見ることができます。建築はオスマンのデザイン要素と地元のアルバニアの特徴を組み合わせています。東西軸に沿って伸びており、石造りや木のアクセントが特徴です。

    居住区は建物の上層階にあります。石の壁は耐久性があり、木製の屋根によって涼しくできました。
    このエリアは日陰を提供し修道僧が集まり、社交的な場所として機能しました。

  • Halveti Tekke(ハルヴェティ修道場)<br /><br />イスラム神秘主義教団ハルヴェティ教団の修道場です。<br />創始者Omaru&#39;l-Halvetiuに由来。14世紀の修道僧Otman Babaによってプリズレンにハルヴェティ教団が創設され、その修道場として1835年創建されました。<br />2階にあるバルコニー席では楽器の演奏が行われました。<br />バロック様式で装飾された天井があります。

    Halveti Tekke(ハルヴェティ修道場)

    イスラム神秘主義教団ハルヴェティ教団の修道場です。
    創始者Omaru'l-Halvetiuに由来。14世紀の修道僧Otman Babaによってプリズレンにハルヴェティ教団が創設され、その修道場として1835年創建されました。
    2階にあるバルコニー席では楽器の演奏が行われました。
    バロック様式で装飾された天井があります。

  • ハルヴェティ・テッケ(ハルヴェティ修道場)は、1782年にアフメト クルト パシャによって建てられ、スーフィー派のハルヴェティ教団に属していました。<br />この修道場は、正方形の礼拝堂、特別な宗教儀式のための小さな空間、礼拝堂の入り口の前の優雅な柱廊から構成されています。<br />礼拝堂には木彫り装飾があり、礼拝堂の東側には石の鍾乳石で飾られたミフラーブがあります。内壁には、住居、イスラム教の宗教的建造物、風景を描いた8つのフレスコ画が飾られています。礼拝堂の天井は木製で、絵画で飾られています。

    ハルヴェティ・テッケ(ハルヴェティ修道場)は、1782年にアフメト クルト パシャによって建てられ、スーフィー派のハルヴェティ教団に属していました。
    この修道場は、正方形の礼拝堂、特別な宗教儀式のための小さな空間、礼拝堂の入り口の前の優雅な柱廊から構成されています。
    礼拝堂には木彫り装飾があり、礼拝堂の東側には石の鍾乳石で飾られたミフラーブがあります。内壁には、住居、イスラム教の宗教的建造物、風景を描いた8つのフレスコ画が飾られています。礼拝堂の天井は木製で、絵画で飾られています。

  • ハルベッティ・テッケ(ハルヴェティ修道場)<br /><br />中央には礼拝堂があり、南側には埋葬室(墓室)、西側にはポルティコがあります。礼拝堂は南側が正方形で、東側と北側にはバルコニーの形をした女性用の祈祷室があり、ポルティコ内の2つの傾斜した階段で外に出る事ができます。<br />内部の装飾は壁に絵画や碑文が描かれ、天井には木彫と絵画が施されています。

    ハルベッティ・テッケ(ハルヴェティ修道場)

    中央には礼拝堂があり、南側には埋葬室(墓室)、西側にはポルティコがあります。礼拝堂は南側が正方形で、東側と北側にはバルコニーの形をした女性用の祈祷室があり、ポルティコ内の2つの傾斜した階段で外に出る事ができます。
    内部の装飾は壁に絵画や碑文が描かれ、天井には木彫と絵画が施されています。

  • 井戸のようです。

    井戸のようです。

  • 入場時間は次のとおりです。<br />8-12時<br />15-20時です。<br />木製の扉の上には美しいアラビア文字が刻まれています。

    入場時間は次のとおりです。
    8-12時
    15-20時です。
    木製の扉の上には美しいアラビア文字が刻まれています。

  • この広場は太陽が照り付け、日を遮るのはこの木ぐらいです。

    この広場は太陽が照り付け、日を遮るのはこの木ぐらいです。

  • 白とこげ茶の建物にひと際目立つ赤地に黒の国旗です。

    白とこげ茶の建物にひと際目立つ赤地に黒の国旗です。

  • こちらは建物の1階部分に無造作に置かれている石碑のようなものです。<br />草木花模様やアラビア文字が刻まれたものもあります。

    こちらは建物の1階部分に無造作に置かれている石碑のようなものです。
    草木花模様やアラビア文字が刻まれたものもあります。

  • 木枠から覗いて見ています。

    木枠から覗いて見ています。

  • ハルヴェティ教団とは、カルワティ教団とも言います。<br />特にトルコやアルバニアではハルワティヤ、ハルワティヤ、ハルヴェティとも呼ばれています。<br />イスラム教のスーフィー教団です。<br />エジプト、アルバニア、ボスニア、トルコで最も広く分布しており、やや少ないもののアゼルバイジャンも見られます。<br />この修道会の名前は、アラビア語の「khalwa(隠遁所)」に由来しています。<br />オスマン帝国の下でスンニ派化を遂げました。<br />ムハンマド・ヌール・アル・ハルワティとその息子ウマル・アル・ハルワティによって、ヘラート市周辺(現在のアフガニスタン西部)に設立されました。<br />ただ、「カルワティ道」を実践として創始したのはウマルの弟子ヤヒヤ・シルヴァニでした。<br />歴史的に、この修道会は個人の禁欲主義(ズフド)と隠遁(カルワ)を推進し、当時の他の修道会と区別していました。この教団は多くの他のスーフィー教団の源泉の一つとして知られています。<br />

    ハルヴェティ教団とは、カルワティ教団とも言います。
    特にトルコやアルバニアではハルワティヤ、ハルワティヤ、ハルヴェティとも呼ばれています。
    イスラム教のスーフィー教団です。
    エジプト、アルバニア、ボスニア、トルコで最も広く分布しており、やや少ないもののアゼルバイジャンも見られます。
    この修道会の名前は、アラビア語の「khalwa(隠遁所)」に由来しています。
    オスマン帝国の下でスンニ派化を遂げました。
    ムハンマド・ヌール・アル・ハルワティとその息子ウマル・アル・ハルワティによって、ヘラート市周辺(現在のアフガニスタン西部)に設立されました。
    ただ、「カルワティ道」を実践として創始したのはウマルの弟子ヤヒヤ・シルヴァニでした。
    歴史的に、この修道会は個人の禁欲主義(ズフド)と隠遁(カルワ)を推進し、当時の他の修道会と区別していました。この教団は多くの他のスーフィー教団の源泉の一つとして知られています。

  • アルバニアの車のナンバープレートにも双頭の鷲の国旗が描かれていました。

    アルバニアの車のナンバープレートにも双頭の鷲の国旗が描かれていました。

  • 「千の窓の街」ベラートです。<br /><br />オスマントルコ時代に建設された家々です。<br />丘陵地であるため、限られた土地での中で、住居の部分を広くとるために建造されてます。<br />2階以上の上の階は道に張り出してます。<br />細い路地に家々が密集した状態で並んでるため、上の部屋が張り出してほとんど陽が当たりません。<br />それを補うために窓を多くして陽が入るように設置されたのだそうです。<br />昔はオスマントルコの典型的な街の形体でした。<br />現在はトルコの山岳部に少し残っている程度で、時代の変遷と共に様変わりしました。<br />このベラートは、トルコでもなかなか見られない1700年代の姿を残しています。

    「千の窓の街」ベラートです。

    オスマントルコ時代に建設された家々です。
    丘陵地であるため、限られた土地での中で、住居の部分を広くとるために建造されてます。
    2階以上の上の階は道に張り出してます。
    細い路地に家々が密集した状態で並んでるため、上の部屋が張り出してほとんど陽が当たりません。
    それを補うために窓を多くして陽が入るように設置されたのだそうです。
    昔はオスマントルコの典型的な街の形体でした。
    現在はトルコの山岳部に少し残っている程度で、時代の変遷と共に様変わりしました。
    このベラートは、トルコでもなかなか見られない1700年代の姿を残しています。

  • ベラートは古くは紀元前4世紀頃にイリュリア人の集落がありました。「パルサ」という名前です。<br />紀元前1世紀にはローマ帝国に征服されました。<br />そしてローマが東西に分割され、東ローマ帝国の領土となりました。<br />後の9世紀頃、ブルガリア帝国などに支配されました。<br />「ベラート」という名前はブルガリア人が「ベオグラード(白い)」と呼んだことから名付けられました。

    ベラートは古くは紀元前4世紀頃にイリュリア人の集落がありました。「パルサ」という名前です。
    紀元前1世紀にはローマ帝国に征服されました。
    そしてローマが東西に分割され、東ローマ帝国の領土となりました。
    後の9世紀頃、ブルガリア帝国などに支配されました。
    「ベラート」という名前はブルガリア人が「ベオグラード(白い)」と呼んだことから名付けられました。

  • Sarajet e Pashait<br />The Former Sarays of the Pasha<br />パシャの宮殿(パシャの元サライ)<br /><br />18世紀後半から1945年まで存在したベラト・パシャの住宅団地はマンガレム地区の南部と東部に広がっていました。一連の建物や関連施設の建設に最適でした。<br /><br />この石造りの建造物は一枚岩の石柱とアーケードを特徴としており、卓越した品質と優美な建築様式を誇っています。<br /><br />共産主義政権によってベラト・パシャの大規模な団地の多くの部分が破壊されため、今日では旧邸宅、そしてパシャ門が保存されています。<br /><br />長年にわたり2度の再建が行われました。<br />最初の再建は19世紀後半に、2回目は1912年から1918年にかけて行われました。1961年、この建築はベラート建築様式において非常に特殊な例であり、石材の室の高さに際立っていることから、第一級の保護文化財に指定されました。

    Sarajet e Pashait
    The Former Sarays of the Pasha
    パシャの宮殿(パシャの元サライ)

    18世紀後半から1945年まで存在したベラト・パシャの住宅団地はマンガレム地区の南部と東部に広がっていました。一連の建物や関連施設の建設に最適でした。

    この石造りの建造物は一枚岩の石柱とアーケードを特徴としており、卓越した品質と優美な建築様式を誇っています。

    共産主義政権によってベラト・パシャの大規模な団地の多くの部分が破壊されため、今日では旧邸宅、そしてパシャ門が保存されています。

    長年にわたり2度の再建が行われました。
    最初の再建は19世紀後半に、2回目は1912年から1918年にかけて行われました。1961年、この建築はベラート建築様式において非常に特殊な例であり、石材の室の高さに際立っていることから、第一級の保護文化財に指定されました。

  • 建物の入口のようです。右側にだけレリーフのようなものがあります。

    建物の入口のようです。右側にだけレリーフのようなものがあります。

  • よく見ると、ラフティングなどもできるようです。

    よく見ると、ラフティングなどもできるようです。

  • The Bachelors Mosque(バチェラーズ・モスク)<br /><br />スレイマン・パシャのモスクとしても知られるバチェラーズ・モスクはベラートの重要な文化財です。<br />19世紀初頭に建てられて歴史的及び建築的価値を持っています。<br />モスクは1961年6月に文化の記念碑に指定されました。

    The Bachelors Mosque(バチェラーズ・モスク)

    スレイマン・パシャのモスクとしても知られるバチェラーズ・モスクはベラートの重要な文化財です。
    19世紀初頭に建てられて歴史的及び建築的価値を持っています。
    モスクは1961年6月に文化の記念碑に指定されました。

  • このモスクはマンガラム・クォーターの下部にあり、市内の様々なギルドのバチェラーが使用するために建てられました。<br />それは夜の間にバザールを守るため団結した未婚のアルティ・サンズ組合によって使用されました。<br /><br />この記念碑の主な特徴の1つは、外側と内側のファサードに壁画を使用していることです。<br />これらの絵画は1827年から1828年に遡り、その高レベルの構図で際立っています。壁画は礼拝堂の内側に2列の水平に並んでいます。<br />モスクは急な地形に適応するために2階建てでした。<br />下の階は灰色の円形の石で作られた柱のあるポルティコがあります。

    このモスクはマンガラム・クォーターの下部にあり、市内の様々なギルドのバチェラーが使用するために建てられました。
    それは夜の間にバザールを守るため団結した未婚のアルティ・サンズ組合によって使用されました。

    この記念碑の主な特徴の1つは、外側と内側のファサードに壁画を使用していることです。
    これらの絵画は1827年から1828年に遡り、その高レベルの構図で際立っています。壁画は礼拝堂の内側に2列の水平に並んでいます。
    モスクは急な地形に適応するために2階建てでした。
    下の階は灰色の円形の石で作られた柱のあるポルティコがあります。

  • ベラトと南部のジロカストラは世界遺産になっています。<br />どちらもオスマン帝国時代に建築された町並みが残る都市です。<br />また、そんな伝統的な家屋には現在も人々が住み続けています。<br />その継続性も評価されています。<br /><br />このような建築はトルコは勿論、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、北マケドニアでも見かけました。<br />でも、このベラートが凄いのは、この家屋がずらーりと数多く残っているところです。これだけ多く残っているので圧巻です。<br />そして、今も住み続けていけるのは素晴らしいことです。

    イチオシ

    ベラトと南部のジロカストラは世界遺産になっています。
    どちらもオスマン帝国時代に建築された町並みが残る都市です。
    また、そんな伝統的な家屋には現在も人々が住み続けています。
    その継続性も評価されています。

    このような建築はトルコは勿論、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、北マケドニアでも見かけました。
    でも、このベラートが凄いのは、この家屋がずらーりと数多く残っているところです。これだけ多く残っているので圧巻です。
    そして、今も住み続けていけるのは素晴らしいことです。

  • 登録基準は以下のとおりです。<br /><br />登録基準<br />現存する又は消滅した文化的伝統または文明の、唯一の又は少なくとも稀な証拠。<br /><br />登録基準<br />人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

    登録基準は以下のとおりです。

    登録基準
    現存する又は消滅した文化的伝統または文明の、唯一の又は少なくとも稀な証拠。

    登録基準
    人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

    ベラットとギロカストラの歴史地区 旧市街・古い町並み

  • Historic Centres of Berat and Gjirokastra<br />(ベラートとジロカストラの歴史地区群)<br /><br />元々2005年にジロカストラは世界遺産に登録されていました。<br />「ジロカストラの博物館都市」の拡大登録という形で追加登録されました。<br />ベラートは2008年に加えられました。

    Historic Centres of Berat and Gjirokastra
    (ベラートとジロカストラの歴史地区群)

    元々2005年にジロカストラは世界遺産に登録されていました。
    「ジロカストラの博物館都市」の拡大登録という形で追加登録されました。
    ベラートは2008年に加えられました。

  • ベラートは、オスマン帝国時代に造られました。<br />そのため外敵に備えた防御構造をしています。<br />1階部分にはほとんど窓のない石造りの構造です。<br />小さな穴は銃眼用の穴です。<br />2階部分は生活空間で採光を重視して縦長の窓がたくさんあります。<br />白い漆喰の壁が整然と並んでいて美しいです。<br /><br />狭い土地故に工夫されているのですが、光を取り込むために窓をたくさん設置しました。<br />白い壁にたくさんの窓が美しく整然と並んでいます。<br />しかも実際に、今も人々は生活しています。

    ベラートは、オスマン帝国時代に造られました。
    そのため外敵に備えた防御構造をしています。
    1階部分にはほとんど窓のない石造りの構造です。
    小さな穴は銃眼用の穴です。
    2階部分は生活空間で採光を重視して縦長の窓がたくさんあります。
    白い漆喰の壁が整然と並んでいて美しいです。

    狭い土地故に工夫されているのですが、光を取り込むために窓をたくさん設置しました。
    白い壁にたくさんの窓が美しく整然と並んでいます。
    しかも実際に、今も人々は生活しています。

  • では、橋を渡って行きます。

    では、橋を渡って行きます。

  • 実は橋の真ん中に物乞いの親子がいました。<br />そういえば、この日の朝、首都のティラナでも見かけました。<br />今回、スロベニア~クロアチア~ボスニア~モンテネグロと周って来ましたが、他では見かけませんでした。<br />この国の現況を垣間見たような気がしました。

    実は橋の真ん中に物乞いの親子がいました。
    そういえば、この日の朝、首都のティラナでも見かけました。
    今回、スロベニア~クロアチア~ボスニア~モンテネグロと周って来ましたが、他では見かけませんでした。
    この国の現況を垣間見たような気がしました。

  • オスム川の橋の上からの1枚です。<br />遠くに山が見えます。

    オスム川の橋の上からの1枚です。
    遠くに山が見えます。

    オスム川 滝・河川・湖

  • こちらは振り向いて撮った写真です。<br />つまりマンガレム地区です。

    こちらは振り向いて撮った写真です。
    つまりマンガレム地区です。

  • St.Michaerl’s Church(聖ミカエル教会)(聖ミハイル教会)<br /><br />かなり見えにくいのですが、この写真の中央より少し左上付近にあります。<br />こちらは大天使ミカエルを祀ったアルバニア正教会の教会のようです。<br />14世紀に建造されています。<br />ここから見ただけですが・・・・。

    St.Michaerl’s Church(聖ミカエル教会)(聖ミハイル教会)

    かなり見えにくいのですが、この写真の中央より少し左上付近にあります。
    こちらは大天使ミカエルを祀ったアルバニア正教会の教会のようです。
    14世紀に建造されています。
    ここから見ただけですが・・・・。

    聖ミハイル教会 寺院・教会

  • この先に、石の橋が見えます。

    この先に、石の橋が見えます。

  • ゴリツァ地区方面です。

    ゴリツァ地区方面です。

  • The Goricia Quater(ゴリッツァ地区)<br /><br />ゴリッツァ地区は丘のふもとに位置し、その頂上には古代の要塞の遺跡が聳え立っています。<br />オスム川がゴリッツァとベラートの地域を隔てています。<br />最近まで歴史的なゴリツァ橋がこの地区と街を結ぶ唯一の交通手段でした。<br />17世紀、有名なオスマン帝国の旅行家エヴリヤ・チェレビは、ゴリッツァには約2000軒の家があったと記しています。<br />1851年の壊滅的な地震の後、ゴリッツァとベラートの歴史的中心部全体は大規模に再建されました。<br />多くの家屋やドアには19世紀後半を示すこの再建期の建造物が今も残っています。<br /><br />上層の家屋群は地形が高く急勾配であるため、家々が密集してコンパクトに配置されています。<br />丘のこの部分が点在するこれらの家々は、典型的には小規模から中規模のものです。対照的に川に近い下層の家屋群は、均一な配置ではなく、大きな家々が特徴で、その多くは18世紀に遡ります。<br />これらの大きな家々は伝統的なチャルダック(木製のバルコニー)を備えていることが多く、かつては街の上流階級が所有していました。<br />一方、丘の上の方にある家々は典型的に中流家庭が住んでいました。この地区の注目すべき特徴は、ゴリッツァの中心部に建つバシリカ様式の聖スピリドン教会で連続した家々の列を分断しています。

    The Goricia Quater(ゴリッツァ地区)

    ゴリッツァ地区は丘のふもとに位置し、その頂上には古代の要塞の遺跡が聳え立っています。
    オスム川がゴリッツァとベラートの地域を隔てています。
    最近まで歴史的なゴリツァ橋がこの地区と街を結ぶ唯一の交通手段でした。
    17世紀、有名なオスマン帝国の旅行家エヴリヤ・チェレビは、ゴリッツァには約2000軒の家があったと記しています。
    1851年の壊滅的な地震の後、ゴリッツァとベラートの歴史的中心部全体は大規模に再建されました。
    多くの家屋やドアには19世紀後半を示すこの再建期の建造物が今も残っています。

    上層の家屋群は地形が高く急勾配であるため、家々が密集してコンパクトに配置されています。
    丘のこの部分が点在するこれらの家々は、典型的には小規模から中規模のものです。対照的に川に近い下層の家屋群は、均一な配置ではなく、大きな家々が特徴で、その多くは18世紀に遡ります。
    これらの大きな家々は伝統的なチャルダック(木製のバルコニー)を備えていることが多く、かつては街の上流階級が所有していました。
    一方、丘の上の方にある家々は典型的に中流家庭が住んでいました。この地区の注目すべき特徴は、ゴリッツァの中心部に建つバシリカ様式の聖スピリドン教会で連続した家々の列を分断しています。

  • Pruga Nikolla Buhurと文字が刻まれています。<br />ドアには十字架が2つあります。<br /><br />Church of Saint Thomas(聖トーマス正教会)でしょうか・・・。

    Pruga Nikolla Buhurと文字が刻まれています。
    ドアには十字架が2つあります。

    Church of Saint Thomas(聖トーマス正教会)でしょうか・・・。

  • マンガレム地区です。

    マンガレム地区です。

  • よく見ると窓が6個もある家もあります。<br />縦長の窓が特徴的です。<br />

    よく見ると窓が6個もある家もあります。
    縦長の窓が特徴的です。

  • 川の向こうの左にドームが見えます。<br />何かと思ったらHotel Colombo Beratのようです。(-_-;)

    川の向こうの左にドームが見えます。
    何かと思ったらHotel Colombo Beratのようです。(-_-;)

  • 戻って来ました。

    戻って来ました。

  • バスに乗ってベラート城に向かいます。<br />

    バスに乗ってベラート城に向かいます。

  • The Castle of Berat(ベラート城)<br /><br />見どころ<br />1 オヌフリ図像博物館<br />2 アクロポリス<br />3 監視塔

    The Castle of Berat(ベラート城)

    見どころ
    1 オヌフリ図像博物館
    2 アクロポリス
    3 監視塔

  • 城は「カラ」と呼ばれています。<br /><br />ベラートの街を見下ろす要塞です。<br />この地域にはビザンツ時代のアルバニア正教会やオスマン時代のモスクが多くあります。川の右岸の岩の上にあります。<br />アクセスするのは南側からのみです。<br />標高214mです。<br /><br />

    城は「カラ」と呼ばれています。

    ベラートの街を見下ろす要塞です。
    この地域にはビザンツ時代のアルバニア正教会やオスマン時代のモスクが多くあります。川の右岸の岩の上にあります。
    アクセスするのは南側からのみです。
    標高214mです。

  • Barbican(城門の前の防衛塔)<br /><br />実は右の上には銃眼があります。<br />それにしても暑いです。

    Barbican(城門の前の防衛塔)

    実は右の上には銃眼があります。
    それにしても暑いです。

  • Main Gate(正門)

    Main Gate(正門)

    ベラト城 城・宮殿

  • 城内の案内図です。<br /><br />現在地は門の手前です。<br />城内には居住者もいます。<br />また、教会がたくさんあるのがわかります。

    城内の案内図です。

    現在地は門の手前です。
    城内には居住者もいます。
    また、教会がたくさんあるのがわかります。

  • せっかく案内がありますが、ご覧のように破れていて見えません。(-_-;)

    せっかく案内がありますが、ご覧のように破れていて見えません。(-_-;)

  • Muzeu Ikonografise Onufri(オヌフリ図像博物館)<br /><br />「Berat&#39;s Iconographic Treasure Trove(ベラートの図像の宝庫)」<br /><br />5-10月は毎日9時から19時まで<br />11-3月は火曜から土曜は9時から16時まで<br />日曜は9時から14時まで<br />月曜は休館です。

    Muzeu Ikonografise Onufri(オヌフリ図像博物館)

    「Berat's Iconographic Treasure Trove(ベラートの図像の宝庫)」

    5-10月は毎日9時から19時まで
    11-3月は火曜から土曜は9時から16時まで
    日曜は9時から14時まで
    月曜は休館です。

  • 紀元前200年にローマ人によって焼き払われました。<br />その後、5世紀にはローマ皇帝テオドシウス2世のもとでバルカン半島への蛮族の侵入を防ぐために城壁が強化されました。<br />紀元前7世紀から5世紀にかけて、初期の都市集落として重要な戦略拠点として城壁を持つ要塞都市へと変貌を遂げました。<br />そして、6世紀に皇帝ユスティニアヌス1世の時代に再建されました。<br />13世紀にはビザンツ皇帝の従兄弟であるエピロスのデスポット、ミカエル1世・コムネノス・ドゥーカスによって再建されました。<br />この最後の段階は、城の壁に埋め込まれた赤レンガによって形成されたモノグラムとして見ることができます。<br />城は14世紀半ばにヨハン・コムネノス・アセンの支配下にありました。北側の正面入口は要塞化された中庭で守られており、3つの小さな入口があります。<br />かつては24の塔がありました。<br /><br />ベラート要塞はかなり損傷しています。<br />ただ、壮麗な景観を眺めることができます。<br /><br />また、敷地面積は、かなりの住民を収容しています。<br />要塞内の建物は13世紀に建てられ、その特徴的な建築様式から文化的記念物として保存されています。<br />要塞の住民はキリスト教徒で、約20の教会(ほとんどは13世紀に建てられた)があります。<br />要塞の教会は長年にわたり損傷し、一部だけが残っています。<br />トルコ軍駐屯軍のためのモスクは1つだけで、現存するのはわずかな廃墟とミナレットの基部のみです。

    イチオシ

    紀元前200年にローマ人によって焼き払われました。
    その後、5世紀にはローマ皇帝テオドシウス2世のもとでバルカン半島への蛮族の侵入を防ぐために城壁が強化されました。
    紀元前7世紀から5世紀にかけて、初期の都市集落として重要な戦略拠点として城壁を持つ要塞都市へと変貌を遂げました。
    そして、6世紀に皇帝ユスティニアヌス1世の時代に再建されました。
    13世紀にはビザンツ皇帝の従兄弟であるエピロスのデスポット、ミカエル1世・コムネノス・ドゥーカスによって再建されました。
    この最後の段階は、城の壁に埋め込まれた赤レンガによって形成されたモノグラムとして見ることができます。
    城は14世紀半ばにヨハン・コムネノス・アセンの支配下にありました。北側の正面入口は要塞化された中庭で守られており、3つの小さな入口があります。
    かつては24の塔がありました。

    ベラート要塞はかなり損傷しています。
    ただ、壮麗な景観を眺めることができます。

    また、敷地面積は、かなりの住民を収容しています。
    要塞内の建物は13世紀に建てられ、その特徴的な建築様式から文化的記念物として保存されています。
    要塞の住民はキリスト教徒で、約20の教会(ほとんどは13世紀に建てられた)があります。
    要塞の教会は長年にわたり損傷し、一部だけが残っています。
    トルコ軍駐屯軍のためのモスクは1つだけで、現存するのはわずかな廃墟とミナレットの基部のみです。

  • 城壁内にはお店もたくさんありました。<br />ホテルやレストランもあります。<br />

    城壁内にはお店もたくさんありました。
    ホテルやレストランもあります。

  • 城壁からの眺めです。<br /><br />実はこの城壁への入場については、入場料は取られませんでした。<br />トイレチップは50セントでした。<br />写真1枚なら撮ってもいいとのこと。<br />ただ、居住者もいるため、入口付近より先には行けませんでした。<br />思えば普通は門に入場料等の説明がありますが、ありませんでした。<br />しかもゲートも特になかったと思います。

    城壁からの眺めです。

    実はこの城壁への入場については、入場料は取られませんでした。
    トイレチップは50セントでした。
    写真1枚なら撮ってもいいとのこと。
    ただ、居住者もいるため、入口付近より先には行けませんでした。
    思えば普通は門に入場料等の説明がありますが、ありませんでした。
    しかもゲートも特になかったと思います。

  • ベラート城の20の教会は、城内に建てられたアルバニア正教会の教会です。<br />これらの建物には、オヌフリ、コスタンディン・シュパタラク、ゾグラフィ兄弟など著名なアルバニアのイコン画家によるフレスコ画やイコノスタシスが収められています。<br />次のリストです。<br />Church of the Holy Trinity (Berat)(聖三位一体教会(ベラト))<br />Church of St. Michael (Berat)(聖ミカエル教会(ベラト))<br />St. Mary of Blachernae Church (Berat)(ブラケルネの聖マリア教会(ベラト))<br />Church of St. Nicholas.(聖ニコラス教会)<br />Church of Saints Constantine and Helen(聖コンスタンティヌスとヘレン教会)<br />Church of St. George(聖ゲオルギウス教会)<br />Evangelistria Church(エヴァンジェリストリア教会)<br />Church of St. Theodore (Berat)(聖テオドール教会(ベラト))

    ベラート城の20の教会は、城内に建てられたアルバニア正教会の教会です。
    これらの建物には、オヌフリ、コスタンディン・シュパタラク、ゾグラフィ兄弟など著名なアルバニアのイコン画家によるフレスコ画やイコノスタシスが収められています。
    次のリストです。
    Church of the Holy Trinity (Berat)(聖三位一体教会(ベラト))
    Church of St. Michael (Berat)(聖ミカエル教会(ベラト))
    St. Mary of Blachernae Church (Berat)(ブラケルネの聖マリア教会(ベラト))
    Church of St. Nicholas.(聖ニコラス教会)
    Church of Saints Constantine and Helen(聖コンスタンティヌスとヘレン教会)
    Church of St. George(聖ゲオルギウス教会)
    Evangelistria Church(エヴァンジェリストリア教会)
    Church of St. Theodore (Berat)(聖テオドール教会(ベラト))

  • 城壁から下を見下ろした様子です。

    城壁から下を見下ろした様子です。

  • 城門からは車も入ることができます。<br />

    城門からは車も入ることができます。

  • 城門に入る道は坂道になっています。<br />1台の車が入ろうとしていましたが、石畳の坂道でスリップして上手く登れません。<br />ガイドさんが、大きく左にハンドルを切って登るようアドバイスをしたところ、何とか上手くいきました。

    城門に入る道は坂道になっています。
    1台の車が入ろうとしていましたが、石畳の坂道でスリップして上手く登れません。
    ガイドさんが、大きく左にハンドルを切って登るようアドバイスをしたところ、何とか上手くいきました。

  • 紀元前4世紀に建造されてから、幾度からの修羅場を潜り抜けてきました。<br />ベラート包囲戦(1280年1281年)<br />ベラート包囲戦(1455年)<br />ベラート包囲戦(1833年)<br />ベラート包囲戦(1834年)<br />ベラート包囲戦(1839年)<br />ベラート包囲戦(1847年)<br />ベラートの戦い(1943年)

    紀元前4世紀に建造されてから、幾度からの修羅場を潜り抜けてきました。
    ベラート包囲戦(1280年1281年)
    ベラート包囲戦(1455年)
    ベラート包囲戦(1833年)
    ベラート包囲戦(1834年)
    ベラート包囲戦(1839年)
    ベラート包囲戦(1847年)
    ベラートの戦い(1943年)

  • 今も銃眼から睨みをきかせてます。

    今も銃眼から睨みをきかせてます。

  • ベラートともこれでお別れです。<br />広場というかラウンドアバウトのようです。<br /><br />よく見ると、この中央のモニュメントのような柱には包囲戦などについて刻印されているようです。

    ベラートともこれでお別れです。
    広場というかラウンドアバウトのようです。

    よく見ると、この中央のモニュメントのような柱には包囲戦などについて刻印されているようです。

  • アルバニアの墓地です。

    アルバニアの墓地です。

  • オリーブの樹々と遠くに山が見えます。<br />のんびりした光景です。

    オリーブの樹々と遠くに山が見えます。
    のんびりした光景です。

  • 北マケドニアに向かっています。<br />今までの景色とは少し違ってきました。

    北マケドニアに向かっています。
    今までの景色とは少し違ってきました。

  • 鉄橋のようなものが見えました。<br />今は使われていないようです。

    鉄橋のようなものが見えました。
    今は使われていないようです。

  • 周囲には何もなかったのですが、この付近だけ工事中でした。<br /><br />アルバニアの主要産業は、農業、建設業、販売業、製造業です。<br />(2019年の統計より)<br /><br />主要な貿易品は<br />輸出では、繊維・靴、鉱物・燃料・電力、建設資材・金属類、食料品・飲料品・タバコなどです。<br />輸入では、機械類・部品、鉱物・燃料、食料品・飲料品・タバコ、建設資材・金属類、化学薬品・プラスチック製品などです。<br /><br />輸出国は、イタリア、コソボ、ドイツ、ギリシャ、スペインなどです。<br />輸入国は、イタリア、トルコ、中国、ギリシャ、ドイツなどです。<br /><br />では、日本との貿易品は<br />輸出では、機械類、化学製品です。<br />輸入では、鉄鋼、衣類、はき物、魚介類(まぐろなど)、原材料(金属鉱など)です。<br />(2022年の貿易統計より)

    周囲には何もなかったのですが、この付近だけ工事中でした。

    アルバニアの主要産業は、農業、建設業、販売業、製造業です。
    (2019年の統計より)

    主要な貿易品は
    輸出では、繊維・靴、鉱物・燃料・電力、建設資材・金属類、食料品・飲料品・タバコなどです。
    輸入では、機械類・部品、鉱物・燃料、食料品・飲料品・タバコ、建設資材・金属類、化学薬品・プラスチック製品などです。

    輸出国は、イタリア、コソボ、ドイツ、ギリシャ、スペインなどです。
    輸入国は、イタリア、トルコ、中国、ギリシャ、ドイツなどです。

    では、日本との貿易品は
    輸出では、機械類、化学製品です。
    輸入では、鉄鋼、衣類、はき物、魚介類(まぐろなど)、原材料(金属鉱など)です。
    (2022年の貿易統計より)

  • サービスエリアです。

    サービスエリアです。

  • サッカーのゲーム機のような物もありました。<br />こちらはカフェです。

    サッカーのゲーム機のような物もありました。
    こちらはカフェです。

  • マッサージ機がありました。<br /><br />アルバニアの南東部にはオフリド湖があります。<br />ちなみに、同じオフリド湖のある北マケドニアに向かっている最中です。<br /><br />最後の写真が、マッサージ機というのも、変ですが・・・・。<br />アルバニアを少しだけ理解したような、そんな旅でした。<br />ただ、まだまだ知らないこと、謎も多いです。<br />それが魅力なのかもしれません。<br />

    マッサージ機がありました。

    アルバニアの南東部にはオフリド湖があります。
    ちなみに、同じオフリド湖のある北マケドニアに向かっている最中です。

    最後の写真が、マッサージ機というのも、変ですが・・・・。
    アルバニアを少しだけ理解したような、そんな旅でした。
    ただ、まだまだ知らないこと、謎も多いです。
    それが魅力なのかもしれません。

120いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (4)

開く

閉じる

  • sanaboさん 2026/05/21 00:46:17
    「千の窓の街」
    noelさん、こんばんは~

    今日は夏のような日差しでしたね。
    でもまたちょっと気温が下がるみたいでホッ。

    暑い中、バスを降りてランチへ向かう途中に見かけたら
    トルコアイス食べたいな~と思いますよね^^
    いちじく、ザクロ、ラズベリーも日本では気軽に食べられないから
    食べたいわ~。
    ムサカもギリシャで食べて以来だから食べたいな~と
    食べ物にばかり反応してしまいスミマセ~ン(^^ゞ

    聖デメトリウス大聖堂に飾られた、切断された自身の頭部を手にした
    洗礼者ヨハネのイコンがショッキングでした。
    ヘロデ王により斬首され殉教したのですね~、知らなかったわ。
    毛糸で編んだ白い薔薇も印象的ですね。
    信者のご婦人が丹精込めて作られたのでしょうね。

    「千の窓の街」ベラートは今までにも何度か4トラの旅行記で
    拝見してましたけど、noelさんの旅行記で初めて、
    なぜ窓がたくさんあるのか分かりました。
    狭い土地を有効利用するために建物の上の階が迫り出していて
    それで陽の光を少しでも多く取り入れるためにたくさんの窓が
    設けられたそうですね。
    そこまで説明してらしたのはnoelさんだけでしたので
    いつもながら流石だと感心しながら読ませていただきました^^

    ベラート要塞は長い歴史がある場所ですね。
    かなり広い(大きい)ようでひとつの街として機能しているようですね。
    ホテルやレストランもあるとのことですけど、
    「ただ、居住者もいるため、入口付近より先には行けませんでした。」と
    書かれてて、観光客は中には入ってはいけないということなのですか?
    それにしても20も教会があることにも驚きました。
    noelさんのお蔭でアルバニアとはどんな国なのか、少しだけ
    知ることが出来ました。でもまだまだ未知の国だわあ。
    続きもまた楽しみにしていますね♪

    sanabo

    noel

    noelさん からの返信 2026/05/21 20:35:52
    Re: 「千の窓の街」
    sanaboさん、こんばんは~!

    いつもありがとうございます。

    アイスにコメントしていただき、ちょっと嬉しいです。
    確かに日本では、なかなか食べられませんよね。
    すぐにランチでなかったら、食べたかったです。

    聖デメトリウス大聖堂の洗礼者ヨハネのイコン、強烈ですよね。
    サロメが彼の首を持つ絵画はよく見ますが。
    正教会では、ヨハネが翼のある天使のように描かれることがあるようです。生前は自分の首を持つなど不可能ですし。
    でも、日本人の感覚ではぎょっとしますよね。
    温かみのある毛糸の薔薇の花とのギャップが大きいです。

    「千の窓の街」は整然と窓が並んでいて圧巻でした。
    本場のトルコでは失われつつあるのに。
    イスラム文化が残っている町とはいえ、驚きです。ちなみにお隣の北マケドニアでも、この造りの家はありました。
    ただ、ずら~りと並んでいるのは、ここだけのようです。

    それからベラート城(要塞)、未だに不思議です。
    たくさんの教会があるのに、入口付近しか見られませんでした。
    ただ、入場料を徴収する人もいませんでしたし、払ってもいません。
    私の勝手な想像ですが、ツアーの自由行動だと、周辺を散策したい人もいるため、結果的に居住者のプライバシーが守れないとか(日本でも最近よくありますが)。
    添乗員さんに、くれぐれもと釘をさされました。
    個人旅行の場合はどうなのでしょう。
    オーバーツーリズム状態は、確かに迷惑に思われそうですが、少人数だとどうなのかは不明です。
    写真を撮られるのを嫌がるということはあるかもしれませんが。

    ・・・とまだまだ謎の多い国ですが、思い出すと懐かしいです。
    sanaboさんの次回作も楽しみにしてます。

    20日までは夏のような暑さでしたが、今日の夕方は一挙に気温が下がってしまいましたね。この気温差で体調を崩さないようにお気をつけてくださいね~~!

    noel
  • しんちゃんちかさん 2026/05/15 12:39:34
    こんにちは^ ^
    Noelさんへ

    今回も見応えある内容でした♪
    ランチは、あの2品だけでしたよ。

    ベラト城、もやもやしますよね。入場料、調べてみましたが、北にある正門からですと無料、100レク、300レク、400レクなどいろいろでした…
    南にある、知る人ぞ知る入り口からなら無料(合法)という記事もありました。
    もちろんチケット売り場や入場料が書かれたものなども無かったと思います。

    そうなんです、添乗員さんから全員指摘を受けて、思い返してみたのですが、入場するときに係員と何か話したのか、渡したのか、接触があったのかな、とも思いました。
    確かに、入場バーのようなものも無かったですし、入場券の半券のようなものも手元に残ってないと思うんですよね。
    「私たちのチケットでは入場門周辺と城壁入ってすぐ左手のトイレぐらいしか行けないので」という言い方をされていたんです…
    写真は1枚だけ、と言われたのですか…それも何だか変ですね。
    城壁内に住人は居たとしても、ホテルやレストラン、お土産屋さんやカフェ、商店があって、明らかに観光客対象の施設があるのですから、城壁内に入らないでって添乗員さんから言われるのは、やはりおかしいよね、なんで?と皆さん言っていました。
    私は暑くて、商店でアイスを買っただけでしたが、体力がある方々は一目散に上の方に散らばって行きましたから(笑)
    では添乗員さんはどう過ごされていたのか、というと、座るところも無かったので、日陰でしゃがんでおられました…

    しんちゃんちかより

    noel

    noelさん からの返信 2026/05/21 19:35:00
    Re: こんにちは^ ^
    しんちゃんちかさん、こんばんは

    いつもありがとうございます。
    お返事が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。

    ランチのこと、教えていただきありがとうございます。
    写真がなかったので、記憶だけだと曖昧になっていました。((;^_^A)

    ベラート城、いったい何をみたのか、ちょっと未だに不思議に思ってます。(笑)
    とにかくトイレに50セント払えば、写真1枚OK!!
    ってよくよく考えても面白すぎです。
    ただ、添乗員さんに、くれぐれも先には行かないように念押しされたので、皆さん、約束をしっかり守っていたようです。

    住民の方々がいらっしゃるので、プライバシーなどを考えてのことでしょうか・・。日本でもオーバーツーリズムの問題などもありますし。
    仮に教会などの見学を自由行動とすると、その時間であちこち散策し、結果的にプライバシーが守れなくなるとか・・。それとも単に時間の問題だったりして。
    勝手に考えてみました。(-_-;)

    入場料を払ってないので、得したような、入場料払ってでも教会等々、見たかった・・・という気持ちもあります。
    ただ、料金徴収する人がいませんでしたから仕方ないですね。

    しんちゃんちかさんのツアーの添乗員さんは、日陰でしゃがんでいたんですね。(笑)
    確かに、日を遮る場所がほぼなくて、ゲートとトイレくらいでしたね。
    今、思い出してあの暑さも含めて、懐かしく思います。

    ありがとうございました。
    今後もよろしくお願いします。

    noel

noelさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

アルバニアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
アルバニア最安 614円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

アルバニアの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP