2025/04/12 - 2025/04/12
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薔薇の咲く庭さん
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2025/04/12
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クイーンエリザベス号は昨日の夕方、釜山港を出港して、次の朝には長崎港に着岸しました。釜山は近いのですね。
昨年もクイーンエリザベス号で長崎に来ています。昨年は大浦天主堂、卓袱料理のランチ、シーボルト博物館へ行きました。
今年はグラバー園、ふくの湯、浦上天主堂、平和公園へ行くことにしました。
ふくの湯は昨年ディナーをいつもご一緒させていただいた姉妹の方に教えていただいた温泉です。
今年は日本の寄港地(別府、長崎、鹿児島、高知)ですべて温泉に入ることが出来て温泉巡りの旅になった感じがします。
クルーズの旅は寄港地の観光時間が限られているのでせわしいのですが、タイムテーブルをきちんと作って移動すると温泉をそれなりに楽しめることが分かりました。
ご覧いただけると幸いです。
温泉巡りの旅 38 ふくの湯温泉
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
どこか見覚えのある景色。それは昨年見ているからでしょう。
エリザベス号は予定通り長崎港に入港しようとしています。 -
見覚えのある丘陵の中にグラバー邸が見えます。
昨年も来ているので、ここからどのような道を通ってあそこまで行くことが出来るかが分かるので余裕です。
松が枝の国際ターーミナルに着岸しています。長崎港松が枝国際ターミナル 乗り物
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今日もリドレストランへ朝食を食べに行きました。
好きなものを見て選ぶことが出来るのでやはりブッフェはルームサービスより安心して食べられます。 -
リドレストランの様子です。
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いつも窓側の席が混んでいます。やはり、景色を眺めながら食事をしたからでしょう。
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国内なのでエリザベス号の寄港地ツアーに参加する必要がなく、自分たちのペースで旅を楽しむことが出来ることは嬉しいです。
ここは松が枝の国際ターーミナルを出て最初の交差点にある旧香港上海銀行 長崎支店 記念館です。
ここの脇の道を真っすぐに進むと、 -
大浦天主堂に出ました。昨年見学しているので写真だけとってグラバー園へ向かいました。
大浦天主堂 寺・神社・教会
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グラバー園の中は階段を上ることなくこの動く長い坂道のようなエスカレーターに乗りました。
グラバー園 名所・史跡
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エレベーターで頂上にある旧三菱第2ドッグハウスまで来ました。
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建物の中に展示されている掲示物はグラバーの息子(倉場富三郎)、娘のハナ等のグラバー家の歴史資料でした。
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二階のテラスから見えた長崎港です。すぐ前に停泊している船がクイーンエリザベス号です。
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長崎でも桜が綺麗に咲いていました。昨日は釜山で桜を見たのを思い出します。
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水が流れる壁面がありました。去年は気づかずに見落としているようです。
初めて見ました。 -
旧ウオーカー邸
ロバート・N・ウォーカーは1898年(明治32)に荷揚げ業の事業を始め、清涼飲料などで成功した方の家だそうです。 -
旧ウオーカー邸の中です。1831年に来日し、荷揚げ商会を設立し成功した方です。明治時代にこのような佇まいの家はかなりモダンだったのでしょう。
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居間です。あまり広くありませんが、くつろげそうです。
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昨年は下調べ不足でリンガー家とオルト住宅を見逃してしまいました。今年は地図を頭に入れておいて見落とした2つの住宅を見たいと思っていましたが、オルト住宅は行ってみると保存修理工事中で入ることが出来ませんでした。
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リンガー住宅の中に展示されていたグラスです。
実際に使っていたものでしょう。
フレデリック・リンガーは中国・九江で茶葉検査官を務めた頃にグラバー商会に招かれ、1865(慶応元)に、リンガー商会を立ち上げてグラバー商会の茶葉貿易を引き継いでいます。事業を拡大し、明治期の産業経済界に大きな功績を残したそうです。 -
使われていた食器です。
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暖炉がありました。
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外見を撮りました。
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リンガー住宅の向こうに旧ステイル記念学校がありました。ここを見る予定は立てていなかったのですが行ってみました。アメリカ人宣教師が早世した息子を偲んでつけられた学校の名前で英語と神学を教えていたようです。海星学園校舎にもなっていたそうです。
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外見です。中にはグラバー園の歴史が展示されていました。
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グラバー園前史
1858年に幕府は米・蘭・露・英・仏の五各国と修好通商条約を結びました。
長崎では翌年から1870年(明治3)にかけて居留地が造成され、グラバー園のある南山手はかって居留地として栄えた場所だそうです。
旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅はその時期に建築された建物だそうです。 -
居留地であった東山手から大浦、南山手を見た景色。1864年~1865年
小さいのですが1864年に竣工した大浦天主堂が見えます。右斜め上にグラバー住宅が建っています。
手前の大浦エリアに建つ建物は明治元年から2年に撮られた写真と考えると近代的です。 -
1865年の写真。手前の洋館はオルト住宅で、左奥に見える瓦屋根がグラバー住宅です。オルト住宅前には噴水があります。モダンですね。この二つの建物の間にリンガー住宅が建てられますが当時はまだありません。
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1867年以前の写真。1863年(文久3)にグラバー住宅は建てられました。建築以前にここには大きな松の木があったそうで、グラバーはこの住宅に「IPPONMATSU」というニックネームをつけたそうです。屋根より高い松の木があったのですね。
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1893年(明治26)頃のグラバーと三菱関係者。グラバー住宅の温室前で撮られた写真。1863年の建築後、増改築を繰り返しているそうで、温室も増築された部分だそうです。松の木を囲うように増築されています。
皆さん帽子を持たれていますね? -
1897年にグラバーの娘ハナが結婚した際の写真。新郎はイギリス人のウォルター・ベネットでリンガー商会に努めていました。
国際結婚ですね。新郎の左後ろがグラバーだそうです。 -
1900年(明治30)にグラバー住宅の中の写真。左の女性はハナ(グラバーの娘)と富三郎の妻ワカ。
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1939年(昭和14)にグラバー住宅を三菱重工長崎造船所が買収しています。写真は小さいのですが前列右から3番目の人がグラバーの息子の倉場富三郎です。
顔立ちがハーフです。4番目が三菱社長 岩崎小彌太です。 -
昭和初期の写真です。小さくてよく見えませんが倉場富三郎と妻のワカが温室前で写した写真です。グラバーは1911年(明治44)に東京で亡くなったそうです。
倉場富三郎夫妻は1909年(明治42)~1939年(昭和14)までここで暮らしました。
グラバーの子孫について調べてみると、息子の倉場富三郎夫妻には子供はいませんでした。娘のハナには子供が4人いますが、そのうちの一人だけに子供がいるので孫は一人。その一人の孫の子供は、現在はアメリカに暮らす長男ロナルドです。日本の近代化に貢献したトーマス・グラバーのたった一人のひ孫になります。 -
この写真は昭和30年に観光地となったグラバー邸をお土産用の絵ハガキにしたものです。なぜか「長崎、お蝶婦人ゆかりの地」となっています。シーボルトと混同している?
国の重要文化財となった時の名称は「旧グラバー住宅」だそうです。 -
グラバー園をぐるっと回ってグラバーカフェの所まで降りてきました。野外にあるカフェです。まだ誰も人はいません。
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自由亭の喫茶室。開店時間の9:30前に並んでいる人の列に加わって並びました。
昨年は卓袱料理の予約時間が迫っていて時間がなくてコーヒーを飲むことが出来ませんでした。
今日も長崎駅に11:10に出る「ふくの湯」行のシャトルバスに乗りたいので、あまり時間はありません。自由亭喫茶室 グルメ・レストラン
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開店早々なので人はほとんどいませんでした。
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長崎港が見える席に座って、モーニングコーヒーを飲んできました。桜が咲き、港が見える席で飲むコーヒーの味は格別です。
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グラバー邸の所まで降りてきました。ここは前回見ているので割愛。
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プロの記念撮影カメラマンがいたので記念撮影をしました。夫は杖を持たされて不満足そうでしたが・・・。
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大浦天主堂駅から1系統の蛍茶屋行きに乗り、新地中華街で赤迫行に乗り換えて長崎駅に向かいます。
昨年、クルーズでご一緒させていただいた方に「ふくの湯」があることを教えていただき、今回は行ってみようと思いました。長崎電気軌道/長崎の路面電車 乗り物
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長崎駅からバスに揺られて15分くらいで「ふくの湯」に着きました。
天然温泉です。高台にあるので長崎の街を眺めながら入浴で来ます。ふくの湯 温泉
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とても長めのよい場所にあります。
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温泉の一部です。
景色を眺めながら温泉に浸かりました。 -
お昼に食べた天ぷらうどん。ごぼうの天ぷらが付いてきて驚きました。
麺類を食べるのは久しぶりなのでとても美味しかったです。 -
レストランから見えた景色。浴槽の中からもこのような感じの景色が見えました。
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嬉しいことにここのシャトルバスは、浦上天主堂方面にも行ってくれるのです。
バスに乗りました。 -
長崎は本当に坂の多い街だと思います。車窓から見える景色は私が住んでいる街とはまるで別世界でした。あんな高い所に家はありませんから。
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電車は平面を走っていました。長崎本線です。踏切を渡りました。
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バスに乗って30分くらいすると見えてきました。浦上天主堂。
浦上天主堂 寺・神社・教会
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坂を上っていくと見事な教会が現れました。
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参道にはマリア様の像がありました。
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真下に来ました。大きな教会です。
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1567年に長崎の街に宣教を開始した記録があることから、隣接する浦上村にも伝えらっれたということです。キリシタン大名の有馬晴信は1584年に永年の宿敵佐賀の龍造寺隆信に勝利したことを感謝して、浦上村をイエズス会に寄進し知行地としたそうです。ローマに浦上村の名前が知られるようになり、キリシタンの村となったそうです。
1584年は小牧・長久手の戦いの年なのでキリシタン大名の有馬晴信がキリシタン大名の有馬晴信が寄進することが出来たのですね。
その後、1858年に日仏通商条約が締結された中に「居住地内にフランス人のための礼拝堂建設を認める」の条文があったので大浦天主堂を建設することが出来ました。 -
中に入りました。被爆マリア像がありました。原子爆弾の脅威を残しています。
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悲しみの聖母と使徒聖ヨハネ像の写真がありました。
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天主堂はロープが張られていて入り口付近しか見ることはできませんでした。
天主堂のすぐ下にある浦上天主堂原爆遺物展示室へ行ってみました。 -
浦上天主堂の被爆前の写真です。
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被爆後の写真です。
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言葉になりません。破壊された建物を見て人々は言葉を失ったでしょう。
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原爆遺物が床に並べられていました。
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浦上天主堂から平和祈念像までは徒歩7~8分の距離なので、グーグルマップで調べたおいた道を歩いて行きました。
平和記念像も小高い丘の上にあり、階段を上って振り返ると浦上天主堂を見ることが出来ました。平和公園 公園・植物園
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記念撮影をしました。
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記念撮影です。
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しばらく祈念像を見学して、次の爆心地公園へと向かいます。
平和公園の中を進みます。 -
長崎の鐘です。浦上天主堂アンジュラスの鐘がモチーフで長崎を最後の被爆地にするために設置された鐘です。
1988年には旧ソ連連邦・レニーグランド市、1990年には瀋陽市とホノルル市にも寄贈されているそうです。
プーチンさんはレニーグランド市にある鐘の音を聞いたことがあるのでしょうか? -
この像はチェコスロバキア社会主義共和国から送られた像だそうです。女性が両手で男の子を差し上げ母親と子供の喜びを表現しています。
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この像の下にはなんと「寄贈 ソビエト社会主義共和国連邦」と刻まれていました。
ロシアは原子爆弾を使うことに反対の意思表示をしているではありませんか! -
平和の泉です。
被爆者は水を求めて「水を」とうめき叫びながら死んでいったそうです。
痛ましい霊に水を捧げて、冥福を祈り、世界の恒久平和を祈念するために長崎市が設置したそうです。
直径が18m、噴水の高さ0.5~6m -
平和の泉を後にしてエスカレーターを降りて爆心地公園に来ました。
原爆殉難者名奉安の碑がありる所に出ました。 -
令和6年8月9日現在で198785人の方のお名前が奉安されています。
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原子爆弾落下中心地には表示がありました。
「原子爆弾による惨状は筆舌に尽くしがたい」の言葉が胸に刺さります。爆心地公園 公園・植物園
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爆心地の地図がありました。
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ここには旧浦上天主堂 遺壁が移転されて残されていました。
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説明書きがありました。
爆心地から約500mの小高い丘の上にあった浦上天主堂は1895年(明治28)~1925年(大正14)の30年間をかけて作られました。大小の鐘がつるされて東洋一の壮大さを誇っていましたが、1945年8月9日の原爆により破壊されわずかに周りの壁を残すのみとなりました。この側壁は聖堂の南側の一部です。壁上の石像はフランシスコ・ザビエルと使徒だそうです。二度とこのような惨禍が起こらないことを願って銘板を設置しています。 -
帰りは平和公園停留場駅から1系統の崇福寺行の市電に乗り、新地中華街で5系統石橋行の市電に乗り換えて6分で大浦海岸駅に着きました。
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ここからはもうクイーンエリザベス号が見えます。歩いて帰りました。
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国際ターミナルビルが入り口です。
長崎港松が枝国際ターミナル 乗り物
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夕食でブリタニアレストランへ行くと、出港で見送りをしてくれる人々が見えました。雨が降って来たようです。雨の中ありがとうございます。これが最後になるかもしれませんね。名残り惜しいです。
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レストランでは日本人のご夫婦がお隣の席になりました。日本語で話ができるのでクルーズの話をしたり、旅行の話をしたりして楽しく夕食を食べました。
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今日はドイツのビールです。乾杯!
今日もいい旅が出来ました。 -
前菜のマッシュルームのパテ
季節のマッシュルーム、パン、マスタードです。 -
ビーツと青リンゴのサラダ
サイダー・ヴィネグレットです。 -
ブロッコリーとブルーチーズのスープでした。
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メインディシュです。お料理の名前の記録がありません。話に夢中になっていたのでしょう。牛肉のステーキですね。
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デザートも記録が残っていませんでした。
チョコレート? -
この夜のロイヤルコートシアターのショーはピアニストのアダム・ジョンソンさんでした。
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「踊る鍵盤」の名にふさわしく、軽やかな演奏でした。
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この夜のクイーンズ・ルームはメイド・イン・ブリテン・パーティーナイトで昨夜とは打って変わって英国のヒットナンバーの曲が流れ、ダンススタイルを問わないパーティーナイトで盛り上がっていました。
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私は参加しませんでしたが・・・。
今日もいい旅が出来ました。昨年とはまた違った長崎観光が出来て同じ所を二回訪ねるとおっしゃっていたポーランド人ご夫婦のクルーズ旅が少し理解できたように思いました。
明日は高知へ着岸します。
~旅は続く~
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この旅行記へのコメント (2)
-
- yamayuri2001さん 2025/09/30 11:50:51
- 長崎
- 薔薇の咲く庭さん、こんにちは。
長崎を回られたんですね。
グラバー園は私も数年前に訪問しましたけれど、
横浜山手の異人館と比べると、
あまりに老朽化していて驚きましたが、
薔薇の咲く庭さんが訪問なさった時には、
少しは手入れされていたのでしょうか・・・
坂の町横浜も真っ青の、長崎の急坂を歩きまわったので、
長崎の坂がとても険しい事が、印象に残っています。
長崎も原爆で大変な目に遭いましたけれど、
結構古い町並みが残っていて、驚きますね。
ふくの湯でお召し上がりになったごぼう天の
天ぷらの大きさに驚きました。
最近、九州のうどん屋さんが東京で幅を利かせているようですけれど、
あんな大きい牛蒡天なんでしょうかね?
yamayuri2001
- 薔薇の咲く庭さん からの返信 2025/10/03 18:09:33
- Re: 長崎
- yamayuri2001さま
コメントをいただきありがとうございました。
大阪万博に9/30,10/1と行ってまいりまして、返信が遅れてすみません。
長崎の異人館は数が少ないので、見るものが少なくて少し物足りない感じがしました。写真の掲示が多く、お勉強にはなりますが、物がなくて残念です。
私はまだ横浜の異人館をお訪ねしていないので老朽化については比べようがありません。そのうちにお伺いしようと存じます。
数か所あるそうですがオランダ坂はごく普通の坂で特別な坂の感じがしないので、よく観光名所になっているかと存じました。
ふくの湯でごぼう天が付いてくるとは思わないで注文をしましたので驚きました。関西の食文化はまた関東とは違うのですね。
大阪のエスカレーターは皆さん右側に乗られるので、違和感を感じながら関東での習慣の左側に乗りました。
万博は凄い人で、それでも朝7:30からあの凄い行列に並んで先着順で、日本館とアメリカ館に入ることが出来ました。努力すれば結果は得られると自信になりました。(おかしな自信ですが)
テニスの方も勝ちたい相手に4-0で勝ち、努力が報わた感じです。
来週の9日に長安へ出かけます。兵馬俑をまだ見ていないので、行ける時に行ってこようと存じます。
やっと涼しくなり、活動ができるようになりました。限られているよい季節を有効に使おうと存じます。お体くれぐれもご自愛くださいね。
コメントありがとうございました。
薔薇の咲く庭
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