2025/05/30 - 2025/05/31
988位(同エリア3876件中)
芦花さん
2025年5月から6月にかけて、イタリア中部を個人旅行。
個人的にJALグローバルクラブの会員なので、ワンワールドグループのカタール航空を利用し、ドーハ経由でローマ着。
鉄道とレンタカーを使って中部イタリア訪問。以下に分けて紹介します。このうち今回は、
②2度目のフィレンツェ編:ルネサンス花ひらくメディチ家の遺産
それにしてもメディチ家の圧倒的財力がもたらしたルネサンス芸術の規模感とそのレベルの高さに驚くばかりでした。
①交通編:カタール航空を利用したイタリアと鉄道移動について
②2度目のフィレンツェ編:ルネサンス花ひらくメディチ家の遺産
③ウルビーノ編:アグリツーリズモとルネサンスの地方都市
④サンマリノ編:レンタカーによるサンマリノを中心とした中部イタリアの山岳地帯
⑤ラヴェンナ編:旧市街に宿泊し、ビザンチン文化を体現した世界遺産を体験
⑥モデナ&マラネッロ編:フェラーリ博物館
⑦2度目のローマ編:古代ローマとカトリック教会
⑧ローマにてジロ・デ・イタリア生観戦
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ローマのフィウミチーノ空港から鉄道を乗り継ぎフィレンツェへ。ホテルは駅近くのアドラー カヴァリエリ ホテル。
駅近で便利、かつ開放的な中庭とともにくつろげる宿 by 芦花さんオテル アドラー カヴァリエリ ホテル
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評判通り、過ごしやすいホテルで、そこそこ客室も広く
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バスタブもあるのが嬉しい。
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夕飯は、さっそくフィレンツェの名物、牛肉の炭火焼き(ビステッカ)を食べに駅前にあるTrattoria Osteria Dall'Oste SMNへ。
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白トリュフのカルボナーラは、日本人的にはちょっと味が濃すぎか。
とはいえ、ホンモノのアルデンテのパスタにトリュフの香り充満で非常に美味。 -
これがメインのビステッカ。スペシャリテのTボーンステーキは1.2kgあるので、少食の私たち二人では到底無理でした。
なので名物キアニーナ牛のリブロースのミディアムレアでいただく。写真の通り日本の霜降りとは全然違う西洋ならではの霜降り皆無の赤身オンリー牛肉で、赤身のレアな感じが独特。 -
夕飯後、フィレンツェ市内を散策。まずは駅から近い、ドメニコ会のサンタ・マリア・ノヴェッラ協会。
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フィアット500みたいな電気自動車も走っている。
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さらに足を伸ばしフィレンツェ最大の教会、サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会。
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ここは2度目ですが、ルネサンスの建築家フィリッポ・ブルネレスキ(1377ー1446)の最高傑作の呼び声も高いこの協会の壮大さと美しさは、後日参拝するローマの主要な巨大教会とはまた一線を画すデザインの教会で、華やかな雰囲気。
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そして宿に戻り、
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朝のレストラン。
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ホテルの中庭側にはこんな素敵な場所もあります。そしてレンタカーで中部イタリアを回ってきました。
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3日後、レンタカーでラヴェンナからマラネッロ・モデナ経由でフィレンツェに戻ってくる(詳細は別途「2025春イタリア個人旅行」ウルヴィ-ノ・サンマリノ・ラヴェンナ・マラネッロ編を参照)。
夕飯は、ホテル向かいにあるこちらTrattoria Il Giardino -
まずは定番ビールのペローニ
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そしていつものサラダに
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今回のメインはポルチーニ茸をふんだんに使った牛肉のロースト。これはなかなか日本では見かけないパターン。
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そしてパスタはアラビアータ頼んだのですが、極太のパスタもべっちょりしておらず、適度な芯のある食感でこの辺りもさすがの本場だなという印象。
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そして宿に戻り、
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翌朝の朝食ビュッフェをいただく
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豊富なパンや菓子類
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もちろんチーズやハムなども各種取り揃えてあります。
「カプチーノは朝しか飲まない」というのがイタリアンスタイルらしいのですが、私たちも朝はカプチーノにしました。 -
今日は夕方のローマ行きの鉄道に乗るまで、フィレンツェ市内を周遊。まずはアルノ川を渡る(奥の橋は観光名所のポンテヴェッキオ)。
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あらゆる場所に6つの玉のメディチ家の紋章があります。
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そして向かったのはピッツィ宮殿。ピッツィ家はメディチ家と並ぶフィレンツェの名門家系。
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奥のチケット売り場に向かい、ピッツィ宮殿内にあるパラティーナ美術館へ
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まずは客間ともいうべき宮殿内の豪華なシャンデリアを見学。
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窓からは広大なボーボリ庭園を望むことができる。
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以下、特に印象的だった絵画を紹介。
まずは「アルケースティスを救い出すヘラクレス」。ヘラクレスとアルケースティスの表情が何とも印象的。
新古典主義の画家ピエトロ・ベンヴェヌーティ(1769-1844)作。
死期が迫ったテッタリア地方ペライの王アドメートスが、アポローンの好意によって身代わりを出せば命が助かることとなり、最終的に妃のアルケースティスが身代わりとなって死ぬが、ヘーラクレースが彼女を救い出すというギリシア神話から。 -
懐妊の肖像(ラ・グラヴィータ)。ルネサンスの巨匠ラファエロ・サンツィ(1383ー1520)作。
ラファエロが素晴らしいのは、顔の表情や肌の感じなど、とても筆で描いたとは思えないようなふくよかなで繊細な感じな点。
もちろん写真でもこんなビジュアルは作れないでしょう。 -
これもラファエロ作。枢機卿「トマス・インジラーミ」の肖像。
こちらも枢機卿の独特な表情と繊細な描写に立ち止まらざるを得ません。 -
ラフェエロで特に素晴らしかったのがタイトル写真にもしたこちらの「小椅子の聖母」。
マリアががイエスを抱いているこの円形の絵画は、マリアのイエスを抱いているときの母としてのなんとも言えない表情がいやでも記憶に刻まれてしまうような表情。
決して暖かくはなく、むしろ子供を守るんだという強い意志を感じるようなそんな表情。
『読んで旅する世界の歴史と文化 イタリア』176頁より
「イタリアでは、聖母マリアのことを「マドンナ」(我が淑女)と呼ぶ。そしてマドンナは、つねにバンビーノ、つまり幼児イエスとともに表される。」
同じく177頁
『美しい聖母の複雑で悲しげな表情と幼児イエスの奔放なる生きる喜びの対比!それはイタリア人の人生に対するアンヴィヴァレントな思いが凝縮している。マンミズモ(母親崇拝)で知られる男たちの口からは、今でも同じ意味合いの「マンマ・ミーア」という感嘆詞がひっきりなしに飛び出す。』 -
赤ちゃんのイエスの足の表情が尋常ではない。これが天才ということか。
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そして毎日ラファエロが一時期会っていただろうと言われるイル・マニーフィコ(ロレンツォ・デ・メディチ)の息子ローマ教皇「レオ10世」(1475-1521)の肖像。
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エンリコ・ポラスティニ(1817ー1876)作、「セルキオ沿いの洪水から救われた家族」の一部。
時代も進み、宗教画や肖像画ばかりの世界から、だいぶ写実的な作品になってきました。
人間は危機一髪の時には、こんな表情をするのかもしれません。思わずじっくり見てしまった作品。 -
ジョルジオ・ベッローニ(1861ー1944)作。「夕暮れ」
さらに時代が進むと風景画も増えてきます。 -
そして、描かれる対象も王様や貴族、枢機卿から一般庶民に変わる。
エジスト・フェローニ(1835-1912)作。「In the fields」 -
溢れるような名画たちですっかり疲れてしまったので、いつものジェラートをいただく。
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グイッチャルディーニの通りにある”Gelateria de' Guicciardini”
グイッチャルディーニはこの通りに居を構えていたルネサンス時代のフィレンツェのメディチ家に使えた政治家・歴史家。
マキアヴェッリの親しい友人でマキアヴェッリもこの近くに住んでいたといいますが、その旧宅は残存していないようです。
グイッチャルディーニ曰く「宗教を敵に回してはならない。また、神と関係することはすべては、敵に回さないように心がけるべきである。なぜなら、この対象たるや、馬鹿者どもの頭に、あまりにも強力な影響力を持っているからである(塩野七生著『我が友マキアヴェッリ』414頁」
いかにもルネサンスの人らしい言葉。 -
さて、購入したジェラートは、マンゴーとピスタチオの組み合わせ。ここも濃厚で程よい粘りのあるアイスで実にうまい。これで4ユーロ。
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そしてポンテヴェッキオを通る。
同じく『我が友マキアヴェッリ』41頁より、塩野七生曰く
「ポンテベッキオ(古い橋)は、その名のとおりフィレンツェでは最もはやくつくられた橋だが、古代ローマ時代から中世の間ずっと橋脚だけが石造で、その上にわたした部分は木造という時代が長く続いた。1177年まで、これであったのである。橋の幅だけは、古代ローマ時代が起源の橋の常で、二車線の車道と両側の歩道があったから広かった。だがこれも1177年になって、オール石造の橋につくりかえられた。ただ、人々の足にふれる部分はローマ時代のような敷石ではなく、中世後期の舗装のやり方にのっとって、赤煉瓦を敷き詰めたものだった。ところがこれが、1333年の大洪水の折に、完全に流されてしまう。三つのアーチ型の橋脚にささえられ、頑丈で橋脚も広く、舗装もローマ式にもどって石をしきつめた橋がかかったのは1345年になってからである。この時に橋の両側の店が立ち並び、中央部だけ空間を残して人々の眺望に供する型の、橋がつくあっれて現在に至っている。」
さらに42頁
「橋の上に立ち並ぶ店は、それがつくられてから200年の間、肉屋が使っていた。・・・このようなポンテヴェッキオでは外聞が悪いと考えたのが、トスカーナ大公になったメディチ家である、公邸と私邸をつなぐ回廊も、ポンテ・ヴェッキオの上をとおらせるしかない。渡り廊下の下に展開される光景が肉屋では、息女をフランス王に嫁がせるようになった大公メディチにとっては具合が悪かったのだろう。肉屋は移転を強制され、そのあとに貴金属製品を商う店が移って来た。そして、この形のまま、現代に至っている。」 -
そんな由緒ある橋を渡り、シニョーリア広場へ。
塩野七生曰く
「政庁前のシニョーリア広場は、ほぼ現代と同じ広さであったはずである。しかし、舗装は、石ではなくて赤いレンガの時代だった。政庁を正面にすれば、左側に立つブロンドの騎馬像は、フィレンツェ共和国崩壊後のトスカーナ公国初代大公コシモ・デ・メディチの像だから、共和国顕在の当時はまだない。政庁に近接して水を噴き上げる海神ネプチューンとニンフたちの群像も、マキアヴェッリの時代にはまだない。政庁の正面を飾るミケランジェロ作のダヴィデの巨像は、1504年の完成だから、初登庁の当時は眼にしなかったにしろ、そのあとは毎日いやでも眼に入る存在だったろう。これ以外は、ドナテッロ作のジュデッタの像をのぞいて、ロッジアと呼ばれる屋根つきの集会所の中に現在は置かれている多くの像は、マキアヴェッリの時代にはなかった。ロッジアは、雨が降っても市民の集いに支障をきたさないためという当初の目的を、当時はまだもちつづけいていたのである。フィレンツェが、都市国家の中心であった時代が過ぎ、市民の憩いの場から、君主の権勢を示す展覧会の場に変わってしまうことになる。」『我が友マキアヴェッリ』155頁 -
そしてこちらが、そのトスカーナ公国初代大公コジモ1世(コシモ・デ・メディチ:1519-1574)。いわゆる大公家のメディチは、イル・マニーフィコ擁する直系メディチ家の傍流で「祖国の父」といわれたコジモ・デ・メディチの兄弟を始祖とする家系。
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こんなところにもフィレンツェの百合の紋章
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塩野七生曰く
「パラッツォ・ヴェッキオといえば、ポンテ・ヴェッキオと同じに現代では固有名詞になっているが、14世紀に建てられたこの政庁は、広場に面した正面から見る限り、建設当初からマキアヴェッリの時代を経て現代に至るまで大した変容はない。城砦建築の基本に沿って、1階は高く窓も小さく、最上部に並ぶ列のギザギザの胸間城壁も700年昔と変わらず、高い塔の壁に取り付けられた大時計も、700年動いているわけだ。ただ、マキアヴェッリの時代には誰も時計を持つことなど望めなかったから、大時計が始業、昼休み、午後の始業、そして就業時刻を示すたびに、塔の上の鐘も鳴らされるしくみになっていた」(『我が友マキアヴェッリ』154頁) -
そしてヴェッキオ宮殿の中に入る。
500人広間では、ヘラクレスの彫刻が並び立つ(ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作)。 -
この500人広間は、コジモ1世を讃えての広間なので、コジモ1世お抱えの芸術家(画家・建築家・美術史家)ジョルジョ・ヴァザーリ(1511ー1574)がコジモ1世が勝利したピサとの戦いとミラノとの戦いを壁面に描写。
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こっちは「ピサとの戦い」の様子
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500人広間にはミケランジェロがコジモ1世に贈ったという《勝利》の彫刻も。
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可愛らしいイルカをかかえる天使。
こっちはホンモノ。 -
上からの500人広間は壮観でした。
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フランチェスコ・サルヴィアティ(1510-1530)作。ヴァザーリと親しかったというサルヴァルティ描くこのおどけた顔の表情が印象的。
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ルネサンスの大公らしく、コジモ1世は地球規模で世界を俯瞰。
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ちゃんと日本も描かれてました。GIAPAN
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壮観なるパラッツォを出て、フランチェスコ会のサンタ・クローチェ聖堂へ。
アッシジの聖フランチェスコが1211年フィレンツェを訪れた際、その追随者たちがアルノ川の中洲だったこの地に小さな祈祷所を設けたのが始まりだそう。 -
ズダ袋のような超質素な衣服しか着なかった聖フランチェスコの教会がこんなに豪華だとは、彼自身が生きていたら絶対認めないかもしれませんが、ここもルネサンス芸術の宝庫!
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マキアヴェッリの墓。
マキアヴェッリ自らがサンタ・クローチェ教会で永眠したいと望んだらしい -
ダンテの記念碑(お墓はラヴェンナにあります)。
以下参照。
https://4travel.jp/travelogue/11989213 -
そしてヴァザーリ作「ミケランジェロの墓」
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コジモ1世の宮廷画家アーニョロ・ブロンズィーノ(1503-1772)作。
”The Descent of Christ into Limbo”(キリストのリンボへの降下、1552年) -
相当に目の方はお腹いっぱいになったので胃袋の方も、ということでこちら花の教会近くの”La Cantinetta”
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特にブックマークもせずにふらっと入ったお店でしたが、さすがのフィレンツェだけあって、ここも漏れなく美味しくいただきました。
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このラザニアも相当に美味。濃厚なミートソースのしっかりしたラザニアの食感。
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そしてシーザーサラダで胃袋を満たす。
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さらに向かったのは、歴代メディチ家の菩提寺サン・ロレンツォ聖堂。
メディチ家菩提寺にしては、あまりにもさっぱりしたファザードですが、本当はメディチ家出身のローマ教皇レオ10世がミケランジェロにファサードを発注していたらしい。ですが未完成になってこのまま放置されたらしい。 -
それでも中に入れば圧倒されるほど豪華。
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ボッティチェッリの師でもあったというフィリッポ・リッピ(1406ー1409)作 。「マルテッリの受胎告知」。典型的な遠近法の絵画ですね。
天使が持つユリは聖母の清純さを表し、アーチは受胎告知がまさにこの礼拝堂の中で起こったかのように思わせる視覚的効果を狙っているとのこと。
リッピは修道女を孕ませてしまって修道院から勘当されるも、コジモ・デ・メディチの計らいにより還俗が許可されて、晴れてこの修道女を結婚したという逸話の持ち主。 -
ドナテッロ作だという「説教檀」。
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そして中庭を通り、最後のメインイヴェントはメディチ家の礼拝堂。
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ここはサン・ロレンツォ聖堂とは別途料金必要ですが、必ず訪問すべき驚愕の礼拝堂。
トスカーナ大公のコジモ1世とその息子フェルディナンド1世が中心になって建築家マッテオ・ニゲッティが設計したという。 -
一歩足を踏み入れれば、もう言葉はない。
これは行っていただくしかありません。あまりにも豪華な礼拝堂。絵画で内装を飾るのではなく、大理石と半貴石の組み合わせで内装を成立させているため、時間が経ってもまっったく色褪せないからかもしれません。 -
天井を見上げれば眩いばかりの装飾。
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メディチ家の紋章がこれでもかとばかりに飾ってあります。
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そしてフィレンツェ周遊はタイムオーバー。
これでフィレンツェとは、お別れし、夕方ローマに向かいました。いやフィレンツェは凄かった。そしてローマも凄かったのでローマも別途展開します。
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