2025/02/18 - 2025/02/25
14位(同エリア51件中)
ミズ旅撮る人さん
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南インドの旅2日目は、チェンナイから国内線に乗ってマドゥライに向かいます。空港までの道すがら、バスの窓から見たチェンナイの町の様子を紹介します。南インドの中心的存在で大きな都市です。1639年にイギリスが東インド会社を設立し、マドラスと名付けました。1996年にチェンナイと名前を変えています。旧マドラスから1時間ちょっとのフライトでマドゥライに着きます。名前がややこしいですね。
マドゥライではミナクシ・アンマン寺院とティルマライ・ナーヤカ宮殿を見学しました。ティルマライ・ナーヤカ宮殿はヒンズー建築とムガール建築の複合であるインド・サラセン様式の美々しい建物です。ミナクシ寺院はカーンチープラムの寺院と同様に修復工事中で、巨大なゴプラムはカバーが掛けられて殆ど見ることが出来ませんでした。また敷地内は撮影禁止なので、マドゥライの主要な寺院ですが、写真はあまりありません。代わりに1991年に訪れた時のフィルム写真を載せておきます。ついでと言っては変ですが、1991年にマドゥライに滞在していた時、翌日行く筈だったマドラス(チェンナイ)近郊で起こった重大事件について、忘れようもない記憶を綴っておきます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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チェンナイで泊ったラマダ・チェンナイ・エグモアホテルの部屋からの眺めです。靄が掛かっていて、すっきりとはしていません。クーム川はホテルの前で大きく蛇行し、巾着型になっています。その先2㎞程でベンガル湾に注ぎます。
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川の向こうに巨大な建物が見えます。ものすごく大きな建物で、中央にドームが付いています。ホテルの人に画像を見てもらうと、公立の総合病院との事でした。「Tamil Nadu Government Multi Super Speciality Hospital 」です。元々はタミルナドゥ州議会のために建設され、後に病院に転用されました。
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西側を見ると、赤い十字架が目立つ教会があります。「Sacred Heart Shrine」新しい教会なのか、主祭壇のステンドグラスがとても現代調で色彩豊かです。左手の赤い建物は裁判所です。
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このホテルはチェンナイ・エグモア駅に近く、プールまであります。
昨日デリーからチェンナイに国内線で来た時は6時発の便のため、モーニングコールは2:15でした。インドの国内線は手荷物検査が煩雑でとても時間が掛かるので早く空港に行かなければなりません。手荷物は、電化製品はすべてバッグから出してトレーに並べなくてはなりません。検査を通ってから再びそれらを元に戻すのに時間が掛かります。かなりの確率で、外に出しそびれた物が見つかって戻される人がいるので、検査の列はなかなか進みません。ただ、国際線と違って爪切りが見つかっても現物を確認できればそのまま返してくれていました。また、重量制限が15㎏とされていますが、ツアーの人が18㎏以上でも通過していました。重さは厳密ではないようです。 -
バスに乗って空港に向かっています。先程ホテルの部屋から見た教会です。南インドはインドの中でもキリスト教徒が多い地域です。かなり頻繁に立派な教会を見掛けます。1997年にチェンナイを訪れた際、キリスト教徒の女性ガイドのお世話になりました。彼女もこうした教会に通っているのでしょう。
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大都市だけに立派な教会が頻繁に見られます。教会の外にはすごく目立つキリストやマリア像が立っているのがインドらしいです。
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街中のヒンズー寺院は、こんな感じです。とてもカラフルで神様たちがいっぱいです。
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売っているのはアロエでしょうか?あまり見掛けない商品です。
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男たちがたむろっているのは、ミールスを供する露店。バナナの葉の上に食材を乗せています。数種類のおかずをご飯と手で混ぜ合わせてまとめて、そのまま口に運びます。この時、南インドはデリーなどの他の地域とは使う指が違うのだそうです。現地ガイド(デリー在住)がやって見せてくれましたが、指を3本使うか5本使うかの違いだったようです。
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路線バスには、エアコン付きとそうでない物とがあります。窓が全開ならエアコン無しですね。当然、料金が違うのでこちらの利用者も多いです。
2月はインドでも気温が低くて過ごしやすい時期です。乾季なので湿度もさほど感じません。 -
何気に撮った建物は警察署でした。(モスクかと思った)
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これはすごい。インドは大きなものが好きだなあ。
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今回、南インドを旅して感じたことは、インドの経済発展がすごく進んだという事でした。もちろん貧富の格差はそれなりにありますが、一般庶民の生活レベルが相当向上しています。都市の発展もさることながら、幹線道路沿いに建つ普通の家々も、立派なものが目立つようになりました。砂塵を巻き上げながらデコボコ道を疾走するインドの旅は、もう味わえなくなりそうです。
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都市の発展には、SUBWAYが大きく貢献しているのでしょう。デリーでは9路線総延長390㎞の世界最大規模の路線網が敷かれています。他に20の都市で地下鉄が敷かれて総延長は810㎞にもなります。
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9時前なのでまだ店は閉まっています。それにしても、町並みが小綺麗になりました。
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こんなモスクも建っています。今回の現地ガイドはイスラム教徒です。一緒に食事をする時に、チキンスープは飲めないと言っていました。後日またチキンスープが出たので「飲めないね。」と言ったら、このレストランのオーナーはイスラム教徒なので、ハラルの料理を出しているから大丈夫なのだとニコニコしながら話していました。無宗教の私には、お祈りをしたかどうかで食べられるか食べられないかが決まるという事が理解できません。
千灯回教寺院 寺院・教会
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バス停には出勤・登校の利用客がたくさんいます。
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さとうきびジュース屋さん。これはあちこちで見掛けました。
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消防署。消防自動車が走っているのは、まだ見たことがありません。
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青い建物はメトロの入口です。「AG-DMS」と言うのが駅の名前です。チェンナイにはこのブルーラインの他にグリーンラインがあります。他にMRTSも走っています。ブルーラインはチェンナイ空港とチェンナイ中央駅を結んでいます。
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強烈なので撮ってしまいました。高そうなバスなのに、このペイントは・・・
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ブルーラインのTeynampet駅。駅の色もブルーラインであることがわかるようになっているようですね。
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「Chennai Metro Rail Limited Head Office」地下鉄本社です。
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あれ?隣のNandanam駅は赤色でした。同じブルーラインなんだけど。
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瀟洒な高層アパート。こういうのが増えて来ました。インドの人口は2023年に中国を抜いてしまったのですから、住宅がたくさん必要です。
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Saidapet駅の前のバス停は人でいっぱい。地下鉄でここまで来て、後はバスなんですね。インドの交通渋滞はかなりひどいので、地下鉄が威力を発揮します。
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ヒンズー寺院。門の上にミニチュアゴプラムが乗っています。それにしてもこの色彩感覚はすごいなあ。現地ガイドが、南インドのドラヴィダ人は肌が黒いので、強烈な色を好むのだと言っていました。アフリカもカラフルな所ですからね。
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同じ寺院の塔です。さすがに北インドとは文化が違うのだなと痛感します。
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アディヤ川を渡る手前で地下鉄が地上に出て来ました。ここからは高架線です。
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白い車はTATAの車です。TATAはインドの大財閥ですが、乗用車を生産し始めました。2009年に発売された10万ルピーのNANOが衝撃的でした。バイクに一家4人で乗っている状況を打破しようと安い車を作ったそうです。21万円の車で4MT。上級クラスは34万円でエアコンが付いています。ガイドが言うには「安すぎて(不安で)売れなかった」そうです。しかしながら、TATAモーターズは2024年にタミルナドゥ州に自動車工場を建設することを決定しました。既に商用車市場では国内第一位、EV車でも1位となっています。(JETRO)の「ビジネス短信」より)
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メトロがやって来ました。デリーのメトロは先頭車両が女性専用車両でしたが、チェンナイはどうでしょう。サリーの軍団が歩いて来る様は迫力があります。
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Guindy駅です。隣に鉄道駅もあります。
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Alandur駅。共にチェンナイ空港を目指しているので、地下鉄とは一緒の旅になりました。そろそろ空港です。
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11:45発マドゥライ行きの飛行機が飛び立ちました。空港はとても空いていて、気が抜けるほどすんなり搭乗口に行かれました。搭乗する飛行機が遅れて飛んで来たので、30分の遅延となりました。
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わずか1時間15分のフライトで軽食が出ました。
TATA印のミニペットボトルはこの後重宝しました。飲み物をバッグに入れて持ち運ぶのにちょうどいい大きさでした。 -
今回のツアーは飛行機に計4回も乗ります。搭乗時間は短いけれど、2:15のモーニングコールだったりするし、国内線の手荷物検査はあまりに煩雑で辟易します。昔に比べて飛行機を利用する機会が増えたのは、少しは定期運航に確実性が出て来たということなのでしょう。かつては「飛んだらラッキー」くらいの覚悟が必要でした。過去フライトキャンセルを3回くらっています(成田で1泊したのは2回です)。
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そろそろマドゥライです。高度が下がって来ました。
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最終アプローチに入ります。家々がカラフルです。ヤシの木が多くて南国ムードが漂っています。
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マドゥライの周辺は小さな池・沼だらけです。バイカイ川の左右に展開しているので、北海道の三日月湖のようなものかとも思いますが三日月型ではないんですよね。
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小ぢんまりとしたマドゥライ空港。30分遅れで到着しました。
マドゥライ空港 (IXM) 空港
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後ろの方の座席だったので、後方の扉からタラップを降りて、横付けしているバスに乗り込みました。すると前方はボーディングブリッジが接続していて、乗客が歩いているのが見えました。何故、別々なの?結果、バス組の方が楽でした。何故なら、バスが着いた場所までブリッジ組はずっと歩いて来たからです。わざわざバスを別に出すというのが不思議な空港でした。
マドゥライ空港 (IXM) 空港
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マドゥライ空港は市街地の南10㎞にあります。遅い昼食をとりにホテルに向かっています。
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南国らしい大きな木が街路樹になっています。タミルナドゥ州は人口密度が比較的低いので土地があるから緑が多いのだとガイドは言います。熱帯の国々が緑あふれる場所なのと同じで気候がいいからだと思います。スイカもいっぱい採れるようだし。
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ジャルマナスホテルのそばに来ました。高架道路の脇にホテルはあります。町並みがカラフルです。大きな木と色彩豊かな南国です。
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とってもオシャレな色遣いの教会が現れました。
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正面も実に美しい。インドの観光ではなかなかこういう所には行かれません。有名観光地ばかりでなく、日本人には珍しい場所とかに行かれたらいいのに。
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吊ってあるペットボトルは売り物?カウンターの上にはザクロ・りんご・オレンジが並んでいます。ジュース・ホールと書いてあるので、それらを絞って生ジュースにしてくれるのでしょう。
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ティルマライ・ナーヤカ宮殿に来ました。
ティルマライ ナーヤカ宮殿 城・宮殿
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1636年にティルマライ・ナーヤカ王によって建てられました。インド・サラセン様式の壮麗な宮殿です。
ティルマライ ナーヤカ宮殿 城・宮殿
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入口を入ると広い中庭を囲んで宮殿があることがわかります。
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建物はこれらの太い柱に支えられ、回廊になっています。
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細かい細工が施された美しい宮殿なのですが、何か違和感があります。
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見学順路はまず左に行って歩行者通路に沿って右に曲がります。
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中庭を円柱が囲んでおり、その円柱の内側には殆ど何もない回廊が続いています。
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円柱の上部には綺麗な彫刻が施され、手が込んだ装飾なのがわかります。
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所々に円蓋があり、見事なドーム装飾が目を引きます。蓮の花をモチーフにしています。
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しかし、そうした装飾のある部分は一部で、大多数はこうした味気ない通路になっています。
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どうやら中庭に面した部分にだけこれらの装飾があるようです。
この宮殿は破壊されて、往時の4分の1しか残っておらず、列柱ホールと舞踏場だけになっているのです。 -
ドームだけはとても綺麗で、ヨーロッパの寺院よりも凝っています。
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いったいどんな建築家がこれを創造したのでしょう。ヒンズーともイスラムとも違ってむしろ西洋に近いデザインです。
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彫刻を見て違和感があるのは、石や木に彫り込んであるのではなく、漆喰で出来ているからなのでしょう。
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この空間は確かにとても美しいのですが、何に使ったのでしょう?どこもかしこもだだっ広いだけで、何もありません。宮殿ならいくつもの部屋がある筈なのに。
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ジャイプールのアンベール城とは全く違います。失われた4分の3にはどんな施設があったのでしょうか。
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がらんどうな宮殿です。何しろ部屋が全然ないのです。およそ人々が生活していた気配がありません。
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全体がこんな風にカラフルなら、もう少し華麗な印象になる気がします。イスラミックなデザインにインドの色彩感覚が反映されていて、とても綺麗です。この宮殿はもっとこうしたモチーフが多用されていた筈です。ジャイプールのアンベール城はたくさんの壁画と彫刻で飾られています。
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赤が実にうまく使われています。赤が無ければ凹凸のないのっぺりした印象になってしまいます。
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手が込んだ部分と、全く何もない部分。中途半端な落ち着かない宮殿です。
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修復して綺麗になっているけれど、その前はひどい状態だったことでしょう。
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おお!インドらしい色彩豊かな天井画です。不満足だったのは色が足りなかったからなのです。これがあって嬉しいです。
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これは途中で書くのをやめちゃったのかな?大きなドームなのに半端。
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インドらしくていいなあ。俄然元気が出ました。
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イタリアの建築家を招いたのではと言われても頷けるデザインです。
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謁見の間。
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10分後。学校の遠足のようです。ホール中に響き渡る子供たちの声。空虚な宮殿に生命力が溢れました。
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宮殿の奥には小さな博物館があるのですが、この日は閉館していました。リノベーション中とのことで、いつ再開するのかは不明です。
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イチオシ
巨大な柱を背にゆったりと座り込む女性に目を奪われました。「一幅の絵」です。
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イチオシ
こちらもいい感じです。映画のロケ地にいいのでは?
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子供たちのおかげで、かつて多くの人が集ったホールに活気が戻りました。
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この一角は建設途中だったのかな?
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これを建てた王朝はタミル地方の南半分を治めたそうです。他にもこうした建築物が残っていないのでしょうか?
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マドゥライの中にも同じ様式の建築物は見当たりません。ティルマライ・ナーヤカ王は、伝統的なものより突出して奇抜な建物を創りたかったのでしょうか。
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「音と光のショー」の看板がありますが、去年からずっと中止のままだそうです。ライトアップはすごく素敵でしょうね。
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宮殿を出てバスで移動します。サリーは1枚の布を巻き付けるだけですが、若い女性はパンジャビードレスやこうしたワンピースを着る人が増えました。サリーは脇腹を出さなければならないし、家事をするのに邪魔になります。どうしても時代の流れがあるのでしょう。
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感動的に大きなナンディ君!すっごくひょうきん!
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ミナクシ・アンマン寺院に着きました。寺院の前にはお供え用の花を紐で繋げたレイを売っています。何も知らない外国人には200ルピーで売ろうとしましたが、ガイドが値切り倒して50ルピーになりました。ジャスミンの花はとてもいい匂いなので、1本買って首にかけて参拝しました。
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隣では小さいピーナツとトウモロコシを売っていました。美味しそう!
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寺院の入口まで歩いて行きます。マドゥライ最大の寺院だけあって、周囲は商店だらけです。年代物の建物もいくつか建っています。
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これだけ古いのに1階では店をやっているんですねえ。
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何故か犬たちが寝そべっています。昔は犬はもっと多かった気がします。
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ミナクシ・アンマン寺院には四方に1つずつ巨大なゴプラムが建っています。敷地の中にはそれ以外に少し小さいゴプラムが6つあります。それらは色彩豊かに無数の神像で埋め尽くされています。ところが、ここも修復中で木の足場が取り囲み、カバーが掛けられています。
ミーナークシー アンマン寺院 寺院・教会
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細かく木製の足場が組まれていて、ゴプラムの神像は定かには見えません。
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緑色を基調にしているようですね。
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内部のゴプラムは足場は無いのですが、外からでは遠いです。
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実はミナクシ寺院は、手荷物一切禁止な上に、土足厳禁で、裸足で歩いて行かなければなりません。そこで、ゴプラムのすぐ近くの商店に荷物と靴を預けることになりました。その商店の屋上からはこのようにゴプラムが良く見えます。
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先程のゴプラムは北。これは東です。どこの寺院も一斉に修復作業をしなくてもいいだろうに。まっとうにゴプラムを見られた試しがありません。
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カメラも当然持ち込めないので、内部の写真はありません。
「魚の目をもつ女神」と言われるミナクシは土着の女神でしたが、ヒンズーに取り込まれたため、シヴァ神の化身であるスンダーレシュワラ神の妻となり、シヴァの妻であるパールヴァティーの化身であるとされました。 -
寺院の中には千柱堂をはじめ、スンダーレシュワラ神殿やミナクシ・アンマン神殿、黄金の蓮池などがあります。本殿の中にはヒンズー教徒しか入れません。
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せっかくなので、1991年に訪れた時のフィルム写真を載せておきます。
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30年以上前の写真なので鮮明ではありませんが、細かい彫刻が表面すべてを覆っている様子が分かります。
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寺院の中のどこで撮ったのか、もはや不明です。
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頭や手がたくさんある神様がいっぱい。ヒンズー教の特異さに圧倒された旅でした。でも千手観音や阿修羅像のように、日本の仏教にも結構いますね。
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千柱堂。ここが一番の見どころだったと思います。
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美しい彫像です。
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天井画のようです。30年前は普通に荷物を持って入ることが出来、写真撮影も出来たのに、何故禁止になったのでしょうね。
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さて、1991(平成3)年5月23日の朝日新聞の記事です。
私は21日にマドゥライに着き、22日に観光をしてから飛行機でマドラス(チェンナイ)に向かう予定でした(チェンナイと名前が変わったのは1996年です)。
ところが22日の朝、ホテルのロビーで現地ガイドが信じられない事を言い出しました。「ラジブ・ガンジー氏が暗殺された。暴動が起きるかもしれないので、ホテルから出ないように。」マドラスから50㎞離れたスリペルンブドルで遊説中に、支持者を装った女性が近付き、自爆テロを実行したのです。ラジブ・ガンジーは母がインディラ・ガンジーで6年前に暗殺され、その後を引き継いで首相になりました。1989年に汚職で辞任しています。母のインディラ・ガンジー暗殺の時は暴動があちこちで起こり、3千人以上が殺されました。今回も同じことが起こらないとは言えないので、人々は家に閉じこもって情勢を見ていました。町からは車が消え、人々は自転車で移動していました。私もミナクシ寺院にはガイドと共にリキシャで行きました。 -
インドの初代首相ネルーの孫にあたるラジブ・ガンジーが殺されました。犯人はスリランカの反政府勢力「タミル・イーラム(解放の虎)」で、インド軍がスリランカ政府軍を支援したことの報復としてテロを実行しました。尊敬の念を表すために相手の前に膝まづいて足に祝福をすると見せ掛けて、隠し持っていた爆弾を破裂させたのです。実行犯は女性でした。
1日マドゥライに足止めされた後、飛行機が飛ぶかもしれないという事で、空港に向かいました。殆ど車が走っていない道路を、フロントガラスに大きなラジブ・ガンジーの写真を貼って喪に服していることをアピールして走って行きました。本来ならマドラス・ハイダラバードを観光してからデリーに向かう予定でしたが、急いでデリーに行き、そのまま帰国となりました。私にとって、チェンナイ・マドゥライは、非常に忘れがたい場所なのです。
次回はインドの最南端カニャクマリ(コモリン岬)です。
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