2025/02/18 - 2025/02/25
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ミズ旅撮る人さん
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南インド最後の観光地コーチン。アラビア海に面した交易で栄えた港町です。複雑に入り組んだ海岸線にはポルトガルやオランダによる支配の痕跡が残されています。アレッピーから続くバックウォーター地域で、移動手段にボートが大きな存在となっています。観光地はフォート・コーチンに集中しています。ヴァスコ・ダ・ガマの墓のある聖フランシスコ教会、チャイニーズフィッシングネット、ダッチ・パレスと呼ばれるマッタンチェリー宮殿、パラデシ・シナゴーグを見て回りました。珍しく観光地がたくさんあるなと思ったら、夕方のカタカリダンスまで時間がたっぷりあるのに、ツアーで予定しているものだけだと時間が余るので、入場観光を増やしたのだそうです。インドは観光場所に事欠かないので、増えてくれるとはラッキーでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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複雑な地形のコーチンの最もアラビア海に面したフォート・コーチン地区に来ました。海に面しているのにリバー・ロードという通りをバスで移動しています。人気観光地なので、瀟洒な建物が並んでいます。
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聖フランシスコ教会です。インドにある最も古いヨーロッパ教会だそうです。
聖フランシス教会 寺院・教会
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1500年にポルトガル人が建てた教会で、当初は木造で聖アントニオに捧げられました。1663年以降はオランダの支配を受けてプロテスタントに変えられました。1795年にイギリスがコーチンを支配しましたが、教会はオランダの所有のままでした。それは1804年に英国国教会に自発的に明け渡されるまで続きました。現在は南インド教会が所有しています。
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ポルトガル時代に作られた墓石と思われます。教会の床は、こうした石が嵌め込まれていて、その下に埋葬されていました。
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「VASCO DA GAMA TOMB」この教会にはヴァスコ・ダ・ガマの墓がありました。
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ヴァスコ・ダ・ガマは1524年にここに埋葬されました。その後遺体は1538年にポルトガルに移送されました。そのため、この墓は空っぽです。
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ヴァスコ・ダ・ガマの墓は、ポルトガルの首都リスボンのジェロニモス修道院に移されたことが書かれています。写真は左からベレンの塔・ジェロニモス修道院・ヴァスコ・ダ・ガマの現在の墓です。
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2019年にリスボンを訪れた時の写真です。ジェロニモス修道院の中にあるサンタ・マリア教会に安置されています。
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プロテスタント時代によくぞこれらの墓碑銘板が保存されたものです。異教徒ではなく、一応同じキリスト教徒の墓だからでしょうか。
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主祭壇は簡素なものです。そう言えば、南インドに多くいるというキリスト教徒は、カトリック?プロテスタント?まさかの英国国教会?
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インドのキリスト教会には初めて入ったので、ここが特別な造りなのかわかりません。ヨーロッパの教会とはだいぶ異なるようです。
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入って来た入口方向を見ています。ヨーロッパ教会では、入口の上にパイプオルガンが設置されているものですが、普通のオルガンがあるのかな?
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墓碑銘板が壁に塗り込められているという事は、墓の中身はどうなったのでしょう?みんなポルトガルに帰ったのかな?
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祭壇側を見ています。左側に説教壇があります。珍しいのは天井から吊り下げられているカーテンのようなもの。これは何なのでしょうね。
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珍しく本のような銘板です。1916年8月26日マドラスで亡くなった人の墓石です。1819年に始まったイギリス支配は1942年まで続きました。イギリス人の墓なので英語表記です。
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こちらも実は英語表記です。1727年12月4日に亡くなった、COMMANDEUR(司令官)の文字が見て取れます。イギリスが東インド会社を設立したのは1600年で、1690年にはコルカタ(旧カルカッタ)にも設立しました。イギリス人が埋葬されてもおかしくない時代です。彼は海軍の司令官だったのでしょう。
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教会内には、このように大量に銘板があります。
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たまに床にもあります。
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聖フランシスコ教会の外に出ました。右側に白いテントがあります。今日はイベントがあるそうで、教会の周りはごった返していました。
聖フランシス教会 寺院・教会
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ホウガンノキ。果実が砲丸に似ていることから名づけられたサガリバナ科の木です。タイではキャノンボールと呼んでいました。この木はデリーでもたくさん見られました。
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聖フランシスコ教会からは歩いて行かれるほど近いビーチにやって来ました。マハトマ・ガンジー・ビーチです。インドでは彼の名前を付けた場所がたくさんあります。たまにMGロードなどと言われていて、気が付かない事もあります。
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海岸沿いの遊歩道は観光客でいっぱいです。もちろん露店もいっぱい。
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巨大な砲弾が置かれています。この広場はヴァスコ・ダ・ガマ広場と言われています。
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ショッキングなものを見つけました。マンゴーやパイナップルをカットしたものを売っているのですが、その文字の最初に「MASALA」とあります。マサラの粉末をかけてあるのです。フルーツにもかけて食べるんですね。
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ビーチと言っても、インド人には海水浴の習慣はありません。だから砂浜も整備されておらず、人々は衣服を着たまま海に足を浸す程度です。
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ヴァスコ・ダ・ガマ広場で一旦解散。露店などを見て過ごします。
コーチンは今まで通って来た都市の中で最も湿度が高く、暑さを感じます。と言っても日本の夏程暑くはなく、湿度も梅雨とは比べ物にならない程度です。 -
チャイニーズフィッシングネット。中国式漁法と言う名前で呼ばれていますが、マカオのポルトガル人によって伝えられた漁法で、インドでもコーチンだけに見られます。ここでは観光地なので、観光客からお金をとって網を上げます。
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お客がついたのかわかりませんでしたが、網を上げ始めました。魚は捕れたのかな?それとは別に、たまたま撮れた白い鳥が2羽とも同じ格好をしているのがおもしろいです。
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獲物をかき集めると再び網は海に戻されます。人が網を取り付けている棒の先まで歩いて行って、その重みで沈んでいくのです。高い所から重しが垂れ下がっていますが、あれは網を上げてから装置を陸側に固定するための物のようです。
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ピーナツを買いました。最初「マサラ?」と聞かれて袋入りでマサラをふんだんにまぶしたものを勧められましたが、観光客へのパフォーマンスかな?丁重にお断りすると、彼はニカッと笑い、ざるでピーナツをすくい、鍋に入れました。鍋は火が炊かれており、細かい砂が入っています。その砂の中にピーナツを入れて、砂と共に炒るのです。しばらく炒ると、先程のざるでピーナツをすくい、砂を落として紙袋に入れてくれます。料金は両手ですくえるくらいの量で数ルピー(忘れました)程度でした。湿気が飛ばされて、美味しくなっています。インドのピーナツは日本のよりも小振りで丸まっこいです。
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露店はインド人向けが殆どなので、あまり買うものはありません。それでも普段は車窓でしか見られないので、興味津々です。
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ああ、またトウモロコシを売っています。ちゃんと茹でられているんだろうか。すごく綺麗なトウモロコシなのですが、手が出ませんでした。ああ優柔不断・・・
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小麦粉を練ったものを容器に入れて、右手でハンドルを回すと手前の皿に乗っているような形で出て来ます。イタリアなどでは見掛けるけれど、インドでも売っているとは驚きました。
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ツアーでは、ココナッツジュースを1個提供するようになっていました。彼は丸太の上でナタをふるい、ココナツを9個も割り続けました。商売繁盛だね。
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バスで移動します。プリンセス通りに曲がります。
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フォート・コーチン地区は、白い建物が多く、インド様式でありながら洋式でもあり、とても綺麗な街並みです。
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タワー・ロードからTMムハンマド通りに曲がります。ホテルだったのか、おもしろい建物がありました。
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こちらはThe Old Court Houseというホテルです。フォート・コーチン地区の北端の海岸線を走るカルバシー(Calvathy)通りを東に進むと英国風の建物が目を引きました。
アルファ オールド コート ハウス ホテル
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カルバティー運河(Calvatty Canal)を渡ります。この反対側がすぐ内海になります。近くのフェリー乗り場からは、お向かいのウィリンドン島や本土のエルナクラムに行かれます。車だと橋のある場所まで遠いのでフェリーが便利です。
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路上で、レイを売る女性たちがいました。寺院が近いのかな?
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半島の東部分にあるマッタンチェリー地区に来ました。フォート・コーチン地区に比べて古い街並みの静かな町です。
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珍しく山羊の家族が歩いていました。
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命の聖母教会(Church of Our Lady of Life)です。先程見た聖フランシスコ教会によく似ています。
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電線が整理されれば、すっきり綺麗な通りになるのでしょう。
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ダッチパレス・マッタンチェリー宮殿。2021年2月にエントランス付近の改修を終えました。
マッタンチェリー パレス 城・宮殿
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マッタンチェリー宮殿は、ポルトガル時代の1555年にコーチンの藩王のために建てられました。1663年オランダ支配の時代には、総督邸になったのでダッチ・パレスとも呼ばれます。
ダッチ(Dutch)とは、そもそもはドイツを指す言葉で、ドイツとオランダのゲルマン民族を含んでいました。やがてオランダが海上貿易でイギリスと覇権を争うようになると、英語ではオランダだけをダッチと呼ぶようになりました。マッタンチェリー パレス 城・宮殿
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宮殿の横の庭を挟んで時計の付いた建物があります。後で訪れることになりました。本来のツアーでは宮殿も外観だけの見学だったのですが、あまりにも時間が余り過ぎるので、ゆっくり内部の見学をすることになりました。そして、この建物にも行くことになったのです。従来なら添乗員がいる筈のツアーですが、最近では現地ガイドのみになりました。
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見学できるのは2階部分です。
マッタンチェリー パレス 城・宮殿
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入ってまず目につくのが、天井の細工の素晴らしさです。木製だからか、インドよりもネパールのイメージです。
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19世紀にコーチンのロイヤルファミリーが使った輿です。
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エントランスの天井は、ずっと先までこの彫刻が続きます。ポルトガル人が建てたとされているのですが、実際に作業をしたのはインド人?ポルトガル人?
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18世紀の輿です。
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その先端です。
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窓から、先程見た時計の付いた建物が見えます。あそこに行くにはぐるっと回り込んで行かなくてはならないそうです。たまには歩かなくちゃね。
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この部屋にはすごい壁画がありました。上部は修復が不可能だったのでしょう。
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なんともユニークな顔立ちです。
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猿がたくさんいます。これらの壁画はラーマーヤナの全場面を表しているそうです。
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顔がいくつもある神様?が集まっています。中央の大きな神様は腕もたくさんあって、さしずめ千手千眼観音です。チベット仏教ではよく見る神様です。
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それにしても目を大きく見開いた可愛らしい顔です。南インドのドラヴィダ文化でしょうか。
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今回のツアーでは、南インドを巡っていながらも、あまりドラヴィダ文化を感じることはありませんでした。地元の人々の人種が違うのが分かる程度です。この壁画は北インドのものとは全く異なる絵柄で、普段訪れるインドとは違う文化の地域に来たのだと実感しました。
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金の透かしの入った書面に、サインと捺印があります。
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こんな紙があるのですね。
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1914~1932年に使用された切手?何故か1・3はANNAで、2・4・8・10はPIESです。さらに10CASHもあります。切手じゃなくて収入印紙かしら?
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コーチンの地図です。左が北になります。下の地図では、埋め立てられて大きくなったウィリンドン島のかつての姿が見られます。
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フォート・コーチンの図です。
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藩王の肖像画。コーチン藩王国はポルトガル・オランダ・イギリスに支配されつつも存続していましたが、1947年にインドからパキスタンが分離独立した際にインドに帰属して、消滅しました。この時分離したのは西側だけではなく、東側も東パキスタンとして独立しました。しかし、西の支配から東がインドの支援を受けて更に独立して、1971年バングラデシュとなりました。首都ダッカは世界一の過密都市となり、人口1億7千万人を超えています。
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Palanquin。インドで使われた駕籠(かご)。18世紀の物でアイボリー(象牙)と表記されています。
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歴代藩王の肖像画。
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宮殿は伝統的なナアルケトゥ(四角形)の建築様式をモデルにしていて、中央の中庭を囲む4つの異なる棟があります。
中庭には王宮の神パジャヤンヌル・バガヴァティを祀った寺院があります。宮殿の両側には、シヴァ神とクリシュナに捧げられた寺院もあります。 -
藩王所蔵の刀剣です。
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黒い天井は、ライム、植物ジュース、焦げたココナッツの殻、卵白を混ぜたもので塗られています。そこを真鍮のカップが飾っています。
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説明書きを翻訳してみました。「1900年代には、ヨーロッパの影響により、ジャケットやブラウスの概念がインドにもたらされました。ケララ州では、女性たちはランダムンドゥの代わりに、或いはランダムンドゥの下に着るゆったりとしたジャケットであるブラウス、あるいは「ルーカ」を着るようになりました。
サリーの新しい着こなし方が登場するにつれ、ブラウスは体にフィットするトップスブラウスとなり、ランダムンドゥはサリー・パルまたはアンチャルとして着用されるようになりました。一枚で着られるサリーも日常着として流行し、ブラウスは様々な袖やレースの装飾が施され、ファッションの象徴となりました。
髪飾りは、伝統的なクドゥマに代わり、流行のヘアスタイルが取り入れられるようになり、変化しました。宝飾品も純金細工に代わり、石細工が多く使われるようになりました。」流行の中にはきっと日傘も入っていたのでしょうね。 -
これは仏画のようです。光背のような蛇たちは初めて見ました。
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チベット仏教も特徴的ですが、ここのも突出しているなあ。
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寝釈迦じゃなくて、ヴィシュヌ神です。ヴィシュヌ神は宇宙創造の際に竜王アーナンダに寝そべり、世界を創造しました。ヴィシュヌ神のへそからは蓮の花が咲き、そこからブラフマー神が生まれます。
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普通なら玉座なのでしょうが、ブランコのように吊り下げられた板が1枚だけ。
これでマッタンチェリー宮殿の見学は終わりです。 -
マッタンチェリー宮殿を出て、商店街を歩いて行きます。目的地は時計のあった建物で、シナゴーグです。敷地のすぐ隣なので簡単に行かれるのかと思いきや、道が無くて商店街をずっと歩くようになっていました。
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シナゴーグに着きました。1568年に建てられたユダヤ教会です。かつては規模の大きなユダヤ人街を形成していました。先程通ったJew Town Rdがユダヤ人町です。1948年のイスラエル建国によって、コーチンのユダヤ人たちは移住してしまい、現在は数家族しか住んでいないそうです。
パラデシ シナゴーグ 寺院・教会
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ビーチ・スパイダー・リリー。ヒメノカリス属。浜木綿(はまゆう)に似た感じの植物です。
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ベンチの下にユダヤ教を象徴するダビデの星がありました。
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「コーチン・パラデシ・シナゴーグ」1568年建設。10~18時、金曜は10~14時、土曜休み。
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右側から入って来ました。左側が教会です。
安息日について調べたら、おもしろいコラムがありました。
「禁じられている労働は耕す・蒔く・壊す・書く・火をつけることなど。時代に合わせて、電気の作動も火をつける行為にあたると解釈されました。定時になると照明が消えるタイマー、作り置きの料理を一定温度に保つ電熱プレート、ボタンに触れなくとも各階で自動開閉するエレベーター。人々は必要に迫られて、数々の「安息日グッズ」を発明してきた。」そして、それでもどうにもならない時は、異教徒に頼む「安息日の異邦人」というシステムがあるのだそうです。役所や金融機関、交通機関が止まってしまうイスラエル。ただ、厳格に安息日を守っているユダヤ人は意外と少なく、60%は守っていないそうです。 -
教会の中に入って行きます。頭の上には特徴的なランプカバーが吊り下がっています。
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まず驚いたのは床に嵌め込まれたタイルです。あら?ここはポルトガルだったっけ?青いタイルのアズレージョが至る所にある国です。
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こちらの電球カバーにはちゃんと電球が入って点いています。
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教会の境界みたいなものでしょうか。
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シナゴーグには、靴を脱いで入ります。タイルが気持ちいいです。
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おそらくは説教壇なのでしょうが、ここで記念写真を撮りたがる人が途切れないので、端っこだけ撮りました。
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天井は板張りで、たくさんの電球が吊り下がっています。
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説教壇を振り返って撮っています。
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主祭壇。緞帳が中を隠しています。ユダヤ教の唯一神はヤハウェです。他の神や偶像を崇拝することを禁じています。緞帳の後ろには何もないのかもしれません。
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こちらのシャンデリアはかつて蝋燭を入れて使っていたのでしょう。今は飾りですね。
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主祭壇の手前の階段にもタイルが貼られています。
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教会内は人でごった返していて、私たちも外で空くのを待っていました。
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インド人はかなり記念写真が好きです。家族揃っての記念写真が欲しいらしく、こんな風にしているので、あちこちで混んでしまうのです。
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本物のガラスでできたシャンデリア。今では貴重品ですね。
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こちらのシャンデリアには1つ1つにマーガレットのような花が描かれています。おまけに縁にはフリルが付いていて、とてもオシャレです。
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ようやっと説教壇の前から写真を撮れました。全景ではないけれど、これ以上は無理でした。
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入口の真上の天井は、意外と手が込んだ装飾になっていました。
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教会のお向かいの建物には、シナゴーグの歴史が描かれていました。
1805年、マハラジャが司祭に黄金の冠を授けました。 -
1568年マハラジャの宮殿と寺院の隣にシナゴーグが建設されています。この宮殿が先程訪れたマッタンチェリー宮殿です。
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外に出ました。鉄格子にもダビデの星が付いています。
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彼女たちは日本人と一緒に写真を撮りたくて、ツアーの人たちを片端から捕まえて撮っていました。何故そんなに日本人がいいのだろう??欧米人を捕まえているのを見ることは無い気がします。
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再び、ジョー(ユダヤ)タウン通りを歩いて行きます。
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通り抜けるだけでなく、店を見て買い物がしたかったです。今回のツアーでは、4か所の土産物店に連れて行くと決まっていました。それは観光客だけを室内に入れてその中でだけ買うように仕向けた店で、大昔のツアーは大抵やっていました。近年ではなかったのですが、また復活するのかしら?そんな店では買いたくないのだけど。
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色使いが奇抜なので、日本では使いにくいけれど、時折ビシッといいものが見つかるのがインドです。昔のように粗悪品ではなくなったので、すご~く買い物意欲はあるのですが、買い物に関しては自由度がほとんど無かったです。
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ペンキの禿げた古い壁に綺麗な鳥が描かれています。
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この後はバスに乗って、カタカリダンスを見に行きます。
次回はカタカリダンスと翌日のデリーのミニ観光で最終回になります。
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