2024/12/03 - 2024/12/03
4390位(同エリア6948件中)
エンジュさん
この旅行記スケジュールを元に
大将軍神社 東三條社→合槌稲荷神社→粟田神社→青蓮院の順で観光しました。
京の東の出入口であるこ粟田口には平安時代後期より室町時代にかけて刀鍛冶が多く住み、三條派粟田口派と呼ばれて、後鳥羽上皇の御番鍛冶を勤める刀工を始め数多くの名工を輩出しました。その為この地は山城国の刀鍛冶発祥の地とも呼ばれております。それゆえに「刀剣乱舞」の聖地巡礼しました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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京都市営地下鉄 東西線・東山駅に着きました。この駅からスタートです。ここから大将軍神社 三條社 を目指します。2出口のエレベーターで地上に出ました。
東山駅 駅
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ルバカサブル (Le bac a sable)・東山三条のパン屋さんです。フランス語で「le bac à sable」で砂場という意味だそうです。
スモークチキンとサーモンのサンドウィッチ(小さめのフランスパン)とパン・オ・レと洋ナシのタルトを買いました。サンドウィッチはお昼ご飯です。
以前に大将軍神社三條社に行く時、おしゃれな店だなあと思いながら、通り過ぎて、帰って調べたら美味しいパン屋さんだったので、大将軍神社に行く途中で寄りました。ルバカサブル グルメ・レストラン
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大将軍神社三條社 東の鳥居
大将軍とは陰陽道における八将神のひとつに数えられる星神大将軍のことを指します。
粟田に行く前に気になっていた、荒熊稲荷社と御神木のイチョウをお参りしました。大将軍神社 寺・神社・教会
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本社殿・御祭神は素戔鳴尊(すさのおのみこと)相殿 関白藤原兼家
素戔嗚尊を主祭神とし、藤原兼家を配祀する。794年(延暦13)平安京造営の際、桓武天皇が大内裏鎮護のために都の四方に祭祀した大将軍神社の東南方角の一つ。特にこの地は京に入る七口の一つ、三条口の要地に当るため、邪霊の侵入を防ぐ意を以って重要視されてきた。 -
御神木のイチョウの前に来ました。この間はお参りするのを失念しておりましたので、念入りに拝んできました。
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見上げると少し黄色くなったイチョウの木が天高く伸びていた。
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荒熊稲荷社・御祭神 荒熊大神
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この稲荷社の台座の上にいた白い狐像二体が何者かに持ち去ってしまわれたので、参拝に来られた方がキツネさんのことを気にかけてくださっており、手作りの親子だるまキツネを 奉納してくださったそうです。
この後、Xで知ったのですが、神社のXで「お稲荷さんの周りをお掃除しているとき留守中の白いおキツネさんの場所にどなたか心優しい方がキツネの置き物を奉納して下さっていました。残念なニュースや出来事が多い中、幸せな気持ちになった日でした~ありがとうございました」とつぶやいてました。
画像をみると小振りですが大小のお稲荷さんの置き物が左右の台座に鎮座されてました。ほっこりとした気持ちになりました。 -
拝殿・樹齢数百年の御神木モチノキが台風で倒れ拝殿を直撃し倒壊、再建されました。
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東三条殿の森は、かつては鵺の森と呼ばれ、源頼光の鵺退治の伝説の場所です。
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右側に白龍弁財天・白龍は弁財天の化身で、人間を改心に導き、自然界の神と崇められたといわれています。
左側に雪天神・天満宮ですので、祭神は菅原道真公です。
真ん中に東三条社の石柱が建ってます。
藤原兼家の東三条殿が「大将軍神社」のある東山三条周辺にあり、「応仁の乱」で荒廃したが、現在は神社境内の「東三条社」として名跡を留める。 -
大将軍神社 西鳥居
大将軍は、陰陽道において方位の吉凶を司る「八将人」の一つ。
大将軍(金星の精)のいる所は万事にとって凶で、同じ方位に三年間留まる。そのため、三年塞がりの大将軍と呼ばれる。
桓武天皇は大内裏鎮護のため、都の四方に大将軍神社を配置して、厄災に遭わぬようにしたのだという。 -
御神木のてっぺんはハートの形をしており、見てて嬉しくなりますね。
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境内は綺麗な花々が咲いてました。
大将軍神社三條社は「京の紫陽花と花菖蒲(1)」に詳しくしてますので、そちらを見てください。
https://4travel.jp/travelogue/11835561 -
古川町商店街・昔は「東の錦」「京の東の台所」と呼ばれていました。 ゆったりとした時間が流れるレトロな商店街です。いにしえより若狭街道(通称:鯖街道)として南北に通っています。
古川町商店街 市場・商店街
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さらに三条通りを東に向かって歩くと橋が見えて来ました。
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三条通白川橋の京都最古の道標・江戸時代の延宝6(1678)年に建てられました。
反対側には「京都為無案内旅人立之」の文字が刻まれているそうです。実際には見てないです。
「京都、無案内の旅人の為に之を立てる」ということで、当初からはるばる京都の町へとやってきた旅人のために建てられたそうです。三条通白川橋 名所・史跡
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京都最古の道標・「是よりひだり ちおんゐん ぎおん きよ水みち」 と刻まれています。建てられた江戸時代から知恩院や祇園・清水は今と変わらず観光地であったようです。
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合槌稲荷神社の鳥居・三条神宮道(平安神宮へ至る道)沿いにあります。
相槌稲荷神社に行く時、スマホのナビは、この鳥居を目的地に設定するのが良いです。本殿で設定して行くと、迷ってしまいました(◎_◎;) -
路地のような参道を通ります。参道は私道で数軒の家が軒を並べています。 (静かに参拝しましょう)
参道は夜間は防犯のため閉鎖されるらしい、参拝には注意してください。
宗近は、橘仲遠の子ともいわれ藤原兼家に仕えましたが、事件を起こし薩摩へ流罪となりました。そこで鍛冶を学んだともいわれ、永延年間(987‐989)に赦されてこの地に住みました。 -
突き当りに拝殿・本殿がありました。石の鳥居は比較的新しい様に感じました。
平安中期に活躍した刀工・三条小鍛冶宗近(10世紀末?~12世紀?)の邸宅跡に建てられた神社です。この地にあった三条小鍛冶の屋敷には、信仰した稲荷神の祠堂が敷地にあったといわれています。宗近が鍛えた刀として、「天下五剣」に数えられる「太刀 銘三条 名物 三日月宗近」(国宝)が現存しています。 -
合槌稲荷神社 拝殿・本殿は拝殿の下にあります。
平安時代 一条帝が夢で、「名工三条小鍛冶宗近に御剣を打たせよ」とのお告げがあり、勅使を送りその由を伝えます。
宗近は突然の宣旨に驚き相槌を打つ者がいないと辞退しようとしますが、帝のご霊夢によるものゆえ必ず仕れと命令されます。刀匠 三条宗近 は名剣を打つための優れた相槌(刀を打つ時の相棒)がいないので、氏神だった稲荷明神に祈願すると、満願に近い日、立派な刀打ちになりたいという童子が現れた。宗近はこの童子を合槌に名刀『小狐丸』を打ち上げた。この童子の正体は稲荷の狐の化身であったという。狐はその刀を「小狐丸」と命名し、表に「小鍛冶宗近」、裏に「小狐」と銘を入れ、曇に飛び乗り再び稲荷山へ帰って行ったそうな。 -
合槌稲荷神社 本殿・祭神は正一位合槌稲荷大明神
三条小鍛冶宗近が「小狐丸」を鍛刀した際に相手をつとめた稲荷神を祀ったとも言われてます。 -
境内社・祭神はニノ富弁財天 芸能の神様
境内社があり、なかなか立派な稲荷神社だと感心いたしました。 -
本殿の裏側に鳥居が設けられていました。
祇園祭・山鉾巡行の不動の先頭 くじ取らずの長刀鉾の長刀 (なぎなた)の逸話が伝わっています。ある時、宗近の娘が病魔に襲われます。心配した宗近が娘の病気治癒を祇園社(現、八坂神社)に祈願したところ無事、完治しました。宗近は神に感謝し、祇園社に長刀を奉納したのが長刀鉾のはじまりだそうです。 -
入口付近に手水鉢があり、横に小鍛冶水と記した小さな碑がありました。剣を打つための水に関係があるのでしょうか。奥に石灯籠が置かれてました。
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粟田神社 入り口・三条神宮道沿いにありました。
続きはその二で…粟田神社 寺・神社・教会
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旅行記グループ 京都・粟田のもみじ
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