
2024/12/03 - 2024/12/03
5180位(同エリア6857件中)
エンジュさん
この旅行記スケジュールを元に
大将軍神社 東三條社→合槌稲荷神社→粟田神社→青蓮院の順で観光しました。
京の東の出入口であるこ粟田口には平安時代後期より室町時代にかけて刀鍛冶が多く住み、三條派粟田口派と呼ばれて、後鳥羽上皇の御番鍛冶を勤める刀工を始め数多くの名工を輩出しました。その為この地は山城国の刀鍛冶発祥の地とも呼ばれております。それゆえに「刀剣乱舞」の聖地巡礼しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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その1からの続きです。
粟田神社 入り口・三条神宮道沿いにありました。
粟田神社の石段下を通る道は、旧東海道・東山道で、地名にある「粟田口」(あわたぐち)は「京の七口」(京都にある7つの出入口)のひとつで、京都と各地を結ぶ主要な道でした。人々は「旅の神様」を祀る粟田神社を「京都から離れる最後の地」として、旅の安全を祈願したのです。 -
粟田神社 一の鳥居・三条神宮道からちょっと入った所でした。
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粟田口神社 二の鳥居・ここから坂道が始まります。
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鍛冶神社・ご祭神 天目一箇神( 製鉄・鍛冶の神)
三条小鍛冶宗近命
粟田口藤四郎吉光命
鍛冶神社は、粟田神社の末社で、刀剣女子の聖地として知られています。 -
石碑・明治天皇の句碑「真心をこめて錬ひしたちこそは乱れぬくにのまもりなりけれ」と彫られています。
画像には写ってませんが、石碑の手前に三日月宗近に因み、三日月が埋め込まれているそうです。知らずにお参りしたので、全然気付かなかったです(◎_◎;) -
2018年8月に、社の周辺は、「粟田神社」の氏子町に住む作庭家、小川勝章さんが、刀の名工に相応しい趣讃える境内に整備しました。小川さんは、明治を代表する作庭家の小川治兵衛さんの直系にあたり、京都のさまざまな神社仏閣の庭園の整備・維持なども手掛けています。小川さんがこの「鍛冶神社」の境内に選んだのは、太刀をモチーフにした石柱です。鳥居に替えて2本石柱にしめ縄がかかり、社を囲むように6本の石柱が立っていて、鳥居の神額が絵馬掛けに飾られてました。
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鍛冶神社にお参りしたので、参道の階段の「紅葉のトンネル」を上って行きました。
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参道の紅葉が見事に赤くなってました。グーグルマップで「紅葉スポット 粟田神社」と標記されてたのを見て、ネットで調べてとてもいい所のようで、訪れることにしました。
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御神馬・今にも動き出しそうな銅像でした。
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手水舎・凝った形でした。アヒルのおもちゃが飾られてた時があったそうです。
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神楽殿・神楽(神をまつるために奏する舞楽)を奏するための建物です。
粟田祭の世渡り神事で市内を練り歩く粟田大燈呂のオブジェも展示することもある。
粟田祭に登場する剣鉾(けんほこ)は、長さ約8メートル、重さ約60キロの長い鉾(ほこ)で、祇園祭の山鉾(やまほこ)の原型といわれています。 -
宝物殿・神社に伝わる刀剣や、江戸時代に神社近隣で盛んに製作された粟田焼と呼ばれる焼き物、また例年10月に行われる粟田祭で使用される祭具などが展示され、無料で見学することができます。
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北向稲荷神社・御祭神は雪丸稲荷をはじめとする神様です。雪丸稲荷は三条小鍛冶宗近(平安時代の刀工)が一条天皇の勅命で刀を打った時のエピソードに出てくる稲荷明神といわれています。このお話しは能の演目「小鍛冶」にもなった有名なお話しです。
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太郎兵衛神社・青蓮院の門の西に祀られていた土地の守り神です
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吉兵衛神社・三条神宮道辺りにあった青蓮院の門の東に祀られていた、土地の守り神です。
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池の中は水がなかったです。
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御本殿・主祭神 建速素盞嗚尊
大己貴命(大国主)の名で知られる神
厄除け・病除けの神と崇敬される。京都の東の出入口である粟田口に鎮座する為、古来東山道・東海道を行き来する人々は旅の安全を願い、また道中の無事を感謝して当社にお参りされ、いつしか旅立ち守護・旅行安全の神として知られるようになる。(粟田神社HPより)粟田神社 寺・神社・教会
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桧皮葺拝殿・拝殿は平成21年8月お屋根替え、美しい姿がよみがえりました。
平安時代前期の貞観18年(876)に清和天皇は兵災、疫病を鎮めるために、出羽守・藤原興世を勅使として神院祇園社(八坂神社)で祈願を行いました。
その際に神託を受けて、牛頭天王にゆかりのあるこの地に社を建て、神霊を祀ったのが粟田神社の始まりとされます。 -
聖天社・粟田神社の初代別当である湛海寶山律師が刻んだ聖天像が残されています。
※像自体は現在本殿内に安置されています。 -
朝日天満宮・ 菅原道真公を祀る学問の神様。京洛二十五社の一社。
多賀社・多賀大社の分霊が祀られています。縁結び・長寿の神様。 -
大神宮・元々、鳥居小路家の旧宅地の鎮護神でした。鳥居小路家の先祖は高階師尚といい、師尚の母が伊勢の斎宮であったときに在原業平と密通してできた子供でした。それに怒ったお伊勢さんによって、子孫たちはお伊勢参りをしようとしても、途中で病気になったり災難にあったりするようになりました。そこで大神宮を宅地内にお祀りして参拝するようになったとのことです。
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出世恵美須神社・源義経がまだ牛若丸と呼ばれていた幼少時代に、源氏再興を祈願した恵美須神とされています。出世または門出恵美須と称されました。家運隆盛、商売繁盛の恵美須様です。
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見上げると綺麗な紅葉が陽射しが当たっていい感じでした。
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左側の建物は社務所で、参道を挟んで右側に東屋がありました。
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東屋からの眺めです。平安神宮の大鳥居が見えました。
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美しい紅葉を観ながら、ルバカサブルで買ったサンドウィッチを食べました。とても美味しかったです。
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紅葉が美しく、歴史を感じられるとても良い神社でした。
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佛光寺本廟に行きました。三条小鍛冶の古跡を訪れるためです。
真宗佛光寺派の本山で、鎌倉時代前期の建暦2年(1212)越後に流罪になっていた親鸞聖人が一時帰洛されたとき、高弟源海上人が山科に創建した寺院が始まりです。 -
境内は広くてなかなか立派なお寺さんでした。
安土桃山時代の天正14年(1586)、豊臣秀吉が方広寺を建立したとき、代替地として現在地(下京区高倉通仏光寺)を寄進されて移転しました。 -
三条小鍛冶の古跡・宗近は平安中期の刀匠で姓は橘。信濃守粟田藤四郎と号し、東山粟田口三条坊に住したので三条小鍛冶とも称した。
名刀小狐丸をはじめ幾多の刀剣を造ったが、現存するものとして三日月宗近などがある。祇園祭の長刀鉾の鉾頭の長刀は、宗近が娘の疫病治癒を感謝して鍛造し祇園社に奉納したものといわれ、特に有名である。
拾遺都名所図会によると、佛光寺本廟境内に刀剣を鋳るときに用いた井水があったといわれる。(都名所図会では知恩院山門の傍とある)
なお、粟田口鍛冶町にある粟田神社境内に鍛冶社があり、また神狐の合槌によって名刀を鍛えたと伝えられる合槌稲荷社が粟田口中ノ町にある。
(駒札の文)
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江戸時代の元禄年間(1688-1703)別院を建立してに親鸞聖人の廟堂(お墓)を遷したものです。
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粟田神社の入り口に戻って来ました。
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参道の横の建物のウィンドウに粟田大燈呂のオブジェが展示されてました。
粟田大燈呂は青森のねぶたのルーツともいわれる灯篭でできた山車です。 -
青蓮院門跡に来ました。立派な大楠が見えますね。
青蓮院門跡 寺・神社・教会
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薬医門(山門)から入りました。
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青蓮院(しょうれんいん)は天台宗のお寺で、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡のひとつです。天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡とは、青蓮院、妙法院、三千院の3つのことを指します。また、現在では天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられています。他の京都五箇室門跡は4つあり、妙法院門跡、三千院門跡、曼朱院門跡、毘沙門堂門跡です。このお寺は、皇室や摂関家の住職が代々受け継いできたと言われており、格式が高いお寺です。
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社務所・拝観ご祈祷受付の札が掛けられていて、ここから建物の中に入り、拝観料を納めて先ずは屋内を拝観しました。
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華頂殿から撮影しました。築山泉水庭を望むことが出来ます。
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華頂殿の中は撮影できるので、一枚撮影しました。
木村英輝奉納の蓮の襖絵(60面)があります。
襖の上の方には藤原公任が選んだ『三十六歌仙』の額が飾られています。 -
華頂殿から撮影した、紅葉と石灯籠。
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華頂殿から見た、相阿弥の庭。
華頂殿(かちょうでん)は客殿(白書院)の事だそうです。 -
一文字手水鉢と紅葉
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一文字手水鉢・渡り廊下に面して巨大な一文字の自然石の手水鉢が置かれている。これは太閤豊臣秀吉の寄進といわれている。
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廊下に玄関がありました。右側に庭園に出る出口がありました。
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天明8年(1788)の天明の大火で内裏が焼失した際、後桜町上皇(1740~1813)の仮仙洞御所となり、「粟田御所」と呼ばれ、「青蓮院旧仮御所」として国の史跡に指定され、境内の約三千坪も国の史跡に指定されています。
明治の上知令により、境内は1/5に縮小され、塔頭の金蔵寺が廃寺となりました。 -
日本天台宗の祖 最澄(伝教大師)が比叡山延暦寺を開くにあたって、山頂に僧侶の住坊をいくつも作り、そのひとつの「青蓮坊」が青蓮院の起源であると言われています。
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小御所の外廊下の角からの眺め。
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池に架かる半円形に反った石橋・跨龍橋(こりゅうのはし)が間近に見られました。
跨龍橋は花崗岩の切石二枚で作られた、半円形の反りの美しい石橋です。 -
池の中に錦鯉が優雅に泳いでました。
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井戸にシダのが生えていて、いい感じですね。
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小御所・後桜町上皇が仮御所として使用していた建物でしたが、明治26年(1893)に焼失したため、江戸時代中期の建物が移築されて上段之間が復元され、狩野派により襖絵が描かれています。
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庭園への入口付近です。ここからは靴を履いて、庭園の中を散策しました。
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先程の玄関だと思いますが、今度は外から拝見させてもらいました。
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青蓮院の庭園は、池泉回遊式庭園ですので、歩いて順にまわれます。
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青蓮院は応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失したため、江戸時代の元禄年間(1688~1704)に修復され、明治26年(1893)に焼失した後にも修復されました。
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庭園は「泉水庭(せんすいてい)」と呼ばれ、南北に細長い「龍心池」を配した池泉回遊式庭園です。
天養元年(1144)に相阿弥(?~1525)により作庭され、粟田山を借景とし、山裾が背景とされています。 -
イチオシ
龍心池の中央には二千貫に近い大石があり、あたかも沐浴する龍の背のようでした。
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渡り廊下と石灯籠
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ここからは霧島の庭のようです。
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霧島の庭は、樹齢数百年の霧島つつじともみじが有名です。建物の中からだとよく見えないので、散策しながら見る紅葉を楽しみました。
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霧島の庭を進むと二階建ての和風建築の建物が見えて来ました。
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叢頂殿・世尊融親王の明治維新政変に際して、勤皇の志士と謀議を行った殿舎です。
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霧島の庭は小堀遠州作と伝えられています。
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紅葉の下に石灯籠がありました。
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「霧島の庭」と標記された駒札。
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霧島の庭のきれいな紅葉に癒されました。
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好文亭の駒札・駒札の上に好文亭の建物が見えました。
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好文亭への階段です。
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好文亭・入口付近です。趣きのある屋根付きの門です。
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好文亭・前庭(露地庭)は、江戸時代の茶人・大森有斐(1721-1785)の作庭とされる。
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好文亭・江戸時代中期、1772年、34代門主・尊真親王(1744-1824)が学問所として建立した。1788年、御所炎上の際には、青蓮院が女帝・後桜町上皇(第117代)の仮御所になり、好文亭は学問所になった。近代以降は、茶室として使われる。近代、1893年の火災前には黒書院と続いていた。1993年に放火により焼失する。現代、1995年に再建される。
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日吉社・慈鎮和尚により勧請され、当初は「十禅師社」と称されていました。
応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失後の慶長10年(1605)に再興され、度々の修復を経て現在に至っています。 -
日吉社から、境内を撮影しました。
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粟田口は京都から東海道の出口にあたり、
東国へ向かう旅人は(旧鎮座地で)この十禅師社に旅の無事を祈ったそうです。 -
日吉社・祭神の日吉山王は天台宗の守護神として祀られている。かつて、建物を覆う鞘堂があったそうです。
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左側・稲荷社 祭神は稲荷神
右側・秋葉社 祭神は秋葉権現 -
鐘楼・駒札に「ご自由にお撞き下さい」とあったので、相方が一回鐘を撞くと、良い鐘の音が響き渡りました。
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宸殿と苔庭・工事中でわかりにくいですが、右近の橘と左近の桜がありました。
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親鸞聖人童形像が祀られています。
聖人が青蓮院で得度された時の姿とされ、その時に馬を繋がれた古松がこの辺りに生えていたと伝わります。 -
聖人の歌碑が建っています。
「明日ありと 思う心の 仇桜、夜半に嵐の 吹かぬものかは」
治承5年(1181)、9歳の時に聖人は青蓮院へ入り、慈鎮和尚のもとで得度したのですが、慈鎮和尚が得度を翌日に延期しようとした際に詠まれた歌されています。 -
紅葉でわかりにくいですが、長屋門だと思われる建物が見えました。
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出口からでると、元の坂道に戻って来ました。
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帰り道にあおくすの庭に寄りました。
あおくすの庭 公園・植物園
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公園の中は人が少なく、ゆっくりとできました。
あおくすの庭 公園・植物園
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道路から見て、この紅葉がとても綺麗でしたので、この公園に寄りました。
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坂本龍馬お龍「結婚式場」跡・元治元年(1864年)、坂本龍馬と楢崎龍が、金蔵寺本堂において祝言を挙げた。お龍の父・楢崎将作が、青蓮院の門主を務めた青蓮院宮(久邇宮朝彦親王)の侍医であったことから、この地が選ばれたのではないかといわれている。
坂本龍馬お龍「結婚式場」跡 名所・史跡
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横には、此付近 青蓮院塔頭金蔵寺跡の文字が入っていました。
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再び、京都市営地下鉄 東西線・東山駅まで戻って来ました。
東山駅 駅
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エレベーターに乗って地下鉄の駅の中に行きました。
ここを旅のゴールにしました。東山駅 駅
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旅行記グループ 京都・粟田のもみじ
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