二本松旅行記(ブログ) 一覧に戻る
今年は、昨年大晦日にインフルエンザに罹り、あまりにも寂しい年明けとなった。しばらく自重していたのだが、一月も過ぎようとする週末、今年最初の旅へ出ることにした。ところが、計画していた旅がふたつあり、ひとつは二本松への歴史旅。もうひとつは、角館の冬景色を観る旅である。しかし、仕事の都合などもあり、草々休む訳にもいかない。そこで閃いたのが、ふたつの旅をひとつにすることであった。別々に作っていた計画が、思いのほか簡単に繋がり、宿も列車も上手く確保することが出来た。少々強引な旅となったが、これも旅らしいと感じている。<br /><br />(2025.02.02 投稿)

冬旅みちのく~二本松の歴史と角館の冬~

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2025/01/25 - 2025/01/26

4位(同エリア234件中)

旅猫

旅猫さん

今年は、昨年大晦日にインフルエンザに罹り、あまりにも寂しい年明けとなった。しばらく自重していたのだが、一月も過ぎようとする週末、今年最初の旅へ出ることにした。ところが、計画していた旅がふたつあり、ひとつは二本松への歴史旅。もうひとつは、角館の冬景色を観る旅である。しかし、仕事の都合などもあり、草々休む訳にもいかない。そこで閃いたのが、ふたつの旅をひとつにすることであった。別々に作っていた計画が、思いのほか簡単に繋がり、宿も列車も上手く確保することが出来た。少々強引な旅となったが、これも旅らしいと感じている。

(2025.02.02 投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス 自転車 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 大宮駅を8時9分に出る『やまびこ205号』に乗車。土曜日の朝なので、先発する列車はどれも混み合ったていたが、乗り込んだ列車は臨時であったため、車内はガラガラであった。那須塩原駅が近付いて来ると、車窓には、雪を頂いた那須の山々綺麗に望めた。

    大宮駅を8時9分に出る『やまびこ205号』に乗車。土曜日の朝なので、先発する列車はどれも混み合ったていたが、乗り込んだ列車は臨時であったため、車内はガラガラであった。那須塩原駅が近付いて来ると、車窓には、雪を頂いた那須の山々綺麗に望めた。

  • 郡山駅で降り、9時46分発の東北本線の福島行普通列車に乗り換える。初日の訪問先である二本松までは、20分余りである。

    郡山駅で降り、9時46分発の東北本線の福島行普通列車に乗り換える。初日の訪問先である二本松までは、20分余りである。

  • 二本松駅の構内にある観光案内所で自転車を借り、二本松の史跡巡りへと出発する。駅を出てすぐ、ご当地マンホールを見つけた。その意匠は、市の花である菊と、市の木である桜、そして、市の鳥である鶯である。

    二本松駅の構内にある観光案内所で自転車を借り、二本松の史跡巡りへと出発する。駅を出てすぐ、ご当地マンホールを見つけた。その意匠は、市の花である菊と、市の木である桜、そして、市の鳥である鶯である。

  • まずは、二本松の総鎮守である二本松神社に参拝する。祭神は、二本松藩初代丹羽光重の領民を愛する思いから、上座に領民の守護神を、下座に藩主丹羽家の守護神を祀っている。社殿は、文化三年(1806)に再建されたものだそうだ。

    まずは、二本松の総鎮守である二本松神社に参拝する。祭神は、二本松藩初代丹羽光重の領民を愛する思いから、上座に領民の守護神を、下座に藩主丹羽家の守護神を祀っている。社殿は、文化三年(1806)に再建されたものだそうだ。

    二本松神社 寺・神社・教会

  • 境内に、奉納された酒樽が置かれていたが、中には廃業となった酒蔵のものもある。『大七』で知られる大七酒造、『奥の松』を醸す奥の松酒造、『千功成』の檜物屋酒造店は現役だが、『奥州二本松』の福央酒造、『天三光』の天三光酒造、『菊水』の大内酒造は廃業となっている。大内酒造は、2007年創業の人気酒造が設備を受け継いでいる。

    境内に、奉納された酒樽が置かれていたが、中には廃業となった酒蔵のものもある。『大七』で知られる大七酒造、『奥の松』を醸す奥の松酒造、『千功成』の檜物屋酒造店は現役だが、『奥州二本松』の福央酒造、『天三光』の天三光酒造、『菊水』の大内酒造は廃業となっている。大内酒造は、2007年創業の人気酒造が設備を受け継いでいる。

  • 地元の神様にご挨拶を済ませたので、早速、二本松の歴史を探訪する。まずは、市街地の東にある『安達ケ原の鬼婆』伝説の地を訪ねる。安達ヶ橋で阿武隈川を渡ると、河川敷に『黒塚』と言う史跡がある。そこは、成敗された『安達ケ原の鬼婆』を埋葬した場所と云われている。

    地元の神様にご挨拶を済ませたので、早速、二本松の歴史を探訪する。まずは、市街地の東にある『安達ケ原の鬼婆』伝説の地を訪ねる。安達ヶ橋で阿武隈川を渡ると、河川敷に『黒塚』と言う史跡がある。そこは、成敗された『安達ケ原の鬼婆』を埋葬した場所と云われている。

    黒塚 名所・史跡

    『安達ケ原の鬼婆』の墓 by 旅猫さん
  • そこから少し離れた場所に、観世寺と言う寺がある。境内には、鬼婆が棲み処としていたという岩屋などがあった。そこは、芭蕉や子規も訪れていた。一句捻りたかったが、思い浮かばなかった。

    そこから少し離れた場所に、観世寺と言う寺がある。境内には、鬼婆が棲み処としていたという岩屋などがあった。そこは、芭蕉や子規も訪れていた。一句捻りたかったが、思い浮かばなかった。

    観世寺 (安達ヶ原の鬼婆) 名所・史跡

  • 観世寺のすぐ北側に、『安達ケ原ふるさと村』と言う観光施設があったので立ち寄ってみる。子供向けの施設のようだが、園内には、古い民家が移築保存されていた。他にも、先人館と言う二本松が輩出した著名な方々の資料を展示する施設もあったが、すっかり忘れて出て来てしまった。

    観世寺のすぐ北側に、『安達ケ原ふるさと村』と言う観光施設があったので立ち寄ってみる。子供向けの施設のようだが、園内には、古い民家が移築保存されていた。他にも、先人館と言う二本松が輩出した著名な方々の資料を展示する施設もあったが、すっかり忘れて出て来てしまった。

    安達ヶ原ふるさと村 テーマパーク

  • そこから引き返し、阿武隈川を渡り返すと、その左岸にも史跡があった。そこは、戊辰戦争の際、二本松藩の農兵司令官三浦権太夫義彰が西軍を迎え撃った供中口古戦場であった。三浦義彰は、味方を離脱させた後、自刃したそうである。ここには、彼の供養塔が立っていた。

    そこから引き返し、阿武隈川を渡り返すと、その左岸にも史跡があった。そこは、戊辰戦争の際、二本松藩の農兵司令官三浦権太夫義彰が西軍を迎え撃った供中口古戦場であった。三浦義彰は、味方を離脱させた後、自刃したそうである。ここには、彼の供養塔が立っていた。

    供中口古戦場 名所・史跡

  • 安達ケ原を後にして、市街地へと戻る。そして、目に付いた食堂に入り、早目のお昼とした。その店は、明治40年(1907)創業の二本松で最も古い食堂だそうだ。煮込みカツ丼がおすすめだと言うので食べてみたが、これが、出汁の効いたとても美味しいカツ丼であった。

    安達ケ原を後にして、市街地へと戻る。そして、目に付いた食堂に入り、早目のお昼とした。その店は、明治40年(1907)創業の二本松で最も古い食堂だそうだ。煮込みカツ丼がおすすめだと言うので食べてみたが、これが、出汁の効いたとても美味しいカツ丼であった。

    やなぎや グルメ・レストラン

    煮込みカツ丼が美味しい by 旅猫さん
  • 食後、今度は二本松城址を巡ることにする。市街地を北へ進むと、すぐに石垣が現れた。そこは、かつて二本松城の大手門があった場所である。ここから、久保丁坂と言う長い坂が続いている。初代藩主丹羽光重が入府した時には、その坂上に久保丁門があり、そこが大手の役割をしていたそうだ。その門の礎石が、近くに残されていた。

    食後、今度は二本松城址を巡ることにする。市街地を北へ進むと、すぐに石垣が現れた。そこは、かつて二本松城の大手門があった場所である。ここから、久保丁坂と言う長い坂が続いている。初代藩主丹羽光重が入府した時には、その坂上に久保丁門があり、そこが大手の役割をしていたそうだ。その門の礎石が、近くに残されていた。

    二本松城大手門跡 名所・史跡

    石垣だけが残っています。 by 旅猫さん
  • 久保丁坂は峠のようになっていて、北側は谷となっていた。坂を下り切った場所には、『にほんまつ城報館』と言う施設が立っていた。館内には、二本松城に関する歴史資料が展示されていた。中には、丹羽長秀が織田信長から拝領したと言う采配や軍扇などもあった。

    久保丁坂は峠のようになっていて、北側は谷となっていた。坂を下り切った場所には、『にほんまつ城報館』と言う施設が立っていた。館内には、二本松城に関する歴史資料が展示されていた。中には、丹羽長秀が織田信長から拝領したと言う采配や軍扇などもあった。

    にほんまつ城報館 美術館・博物館

  • 『にほんまつ城報館』で二本松城址の地図を入手し、城跡へと向かう。まず目に付いたのは、二本松少年隊の像であった。会津鶴ヶ城における白虎隊の悲劇が知られているが、ここ二本松城においても、少年兵が西軍と闘い、その多くが戦死しているのだ。

    『にほんまつ城報館』で二本松城址の地図を入手し、城跡へと向かう。まず目に付いたのは、二本松少年隊の像であった。会津鶴ヶ城における白虎隊の悲劇が知られているが、ここ二本松城においても、少年兵が西軍と闘い、その多くが戦死しているのだ。

  • 城の正門である箕輪門から城内へ入る。二本松城は、戊辰戦争で灰燼に帰したため、この箕輪門は、昭和57年に再建されたものである。門を潜ると、大きな赤松が四本生えていた。樹齢は、約350年ほどだそうだ。

    城の正門である箕輪門から城内へ入る。二本松城は、戊辰戦争で灰燼に帰したため、この箕輪門は、昭和57年に再建されたものである。門を潜ると、大きな赤松が四本生えていた。樹齢は、約350年ほどだそうだ。

  • 塀重門跡を過ぎると、三の丸跡である。そこから、城跡の東側を登って行くと、松森館跡に出た。松森館は、蒲生氏時代、城代が二人置かれたことがあり、そのひとりが詰めた場所であり、東城とも呼ばれていたそうだ。

    塀重門跡を過ぎると、三の丸跡である。そこから、城跡の東側を登って行くと、松森館跡に出た。松森館は、蒲生氏時代、城代が二人置かれたことがあり、そのひとりが詰めた場所であり、東城とも呼ばれていたそうだ。

  • さらに歩いて行くと、本丸の北側に出た。そこには、土塁や堀切が残されていた。それにしても、城跡を歩き始めてから、誰にも出会っていない。駐車場のある『にほんまつ城報館』は混んでいたので、多くの人は、城報館と箕輪門しか観ないのであろう。

    さらに歩いて行くと、本丸の北側に出た。そこには、土塁や堀切が残されていた。それにしても、城跡を歩き始めてから、誰にも出会っていない。駐車場のある『にほんまつ城報館』は混んでいたので、多くの人は、城報館と箕輪門しか観ないのであろう。

  • 西側に回り込み、本丸を目指す。途中、天守台直下に、二段石垣と言う場所があった。上下二段に積まれた古い石垣で、穴太積みで組まれている。

    西側に回り込み、本丸を目指す。途中、天守台直下に、二段石垣と言う場所があった。上下二段に積まれた古い石垣で、穴太積みで組まれている。

  • さらに登ると、本丸の石垣の脇に出た。東北の城の多くは、石垣ではなく土塁が多いが、戦国時代も終わり頃になると、石垣が造られるようになった。ここ二本松城も、蒲生氏以降、本丸を中心に石垣が造られるようになった。現在の石垣は、新たに積み直して整備したものである。実際の石垣の一部は、移築され別に保存されているが、観るのを忘れてしまった。

    さらに登ると、本丸の石垣の脇に出た。東北の城の多くは、石垣ではなく土塁が多いが、戦国時代も終わり頃になると、石垣が造られるようになった。ここ二本松城も、蒲生氏以降、本丸を中心に石垣が造られるようになった。現在の石垣は、新たに積み直して整備したものである。実際の石垣の一部は、移築され別に保存されているが、観るのを忘れてしまった。

  • 本丸跡には、天守台と東西の櫓の石垣が整備されている。震災で被災したこともあり、少々綺麗すぎる感じであった。

    本丸跡には、天守台と東西の櫓の石垣が整備されている。震災で被災したこともあり、少々綺麗すぎる感じであった。

  • 天守台の脇には、戊辰戦争での落城時、切腹した城代丹羽和左衛門と勘定奉行安部井又之丞の供養碑が立っていた。安部井の切腹は、かなり凄絶だったそうだ。

    天守台の脇には、戊辰戦争での落城時、切腹した城代丹羽和左衛門と勘定奉行安部井又之丞の供養碑が立っていた。安部井の切腹は、かなり凄絶だったそうだ。

  • 天守台の上から西側を眺める。本来なら、美しい山容の安達太良山が望めるのだが、残念ながら、雲の覆われて観ることは出来なかった。

    天守台の上から西側を眺める。本来なら、美しい山容の安達太良山が望めるのだが、残念ながら、雲の覆われて観ることは出来なかった。

  • 東側を眺めると、素晴らしい眺めが望めた。かつての城下と、その向こうには山々が横たわっている。奥州管領の居城らしい、雄大な眺めである。この二本松城は、室町時代、奥州管領畠山満泰が築いた城とされている。その頃は、土塁と堀切だけの構えであったが、景色は変わらないだろう。

    東側を眺めると、素晴らしい眺めが望めた。かつての城下と、その向こうには山々が横たわっている。奥州管領の居城らしい、雄大な眺めである。この二本松城は、室町時代、奥州管領畠山満泰が築いた城とされている。その頃は、土塁と堀切だけの構えであったが、景色は変わらないだろう。

  • 本丸からの眺めを堪能した後、下山する。途中、古い石垣の下方に、『日影の井戸』と言うものがあった。『日本の三井』のひとつと呼ばれているそうだ。あとの二つは、『月影の井』(印西市)と、『星影の井』(鎌倉市)である。深さは16mほどあり、今でも豊富な水が湧いているそうだ。

    本丸からの眺めを堪能した後、下山する。途中、古い石垣の下方に、『日影の井戸』と言うものがあった。『日本の三井』のひとつと呼ばれているそうだ。あとの二つは、『月影の井』(印西市)と、『星影の井』(鎌倉市)である。深さは16mほどあり、今でも豊富な水が湧いているそうだ。

  • そこから西の方へ歩いて行くと、新城館跡に出た。蒲生氏による二城代時代、西城と呼ばれていた場所である。最近の発掘調査で、かつては本城として機能していたと分かったそうである。その跡地には、二本松少年隊の顕彰碑や浮彫が置かれていた。

    そこから西の方へ歩いて行くと、新城館跡に出た。蒲生氏による二城代時代、西城と呼ばれていた場所である。最近の発掘調査で、かつては本城として機能していたと分かったそうである。その跡地には、二本松少年隊の顕彰碑や浮彫が置かれていた。

  • さらに西へと進むと、立派な石垣が現れた。搦手門跡である。加藤氏時代に冠木門から高麗門形式に変えられたそうである。この搦手門の手前からの眺めがなかなか良かった。

    さらに西へと進むと、立派な石垣が現れた。搦手門跡である。加藤氏時代に冠木門から高麗門形式に変えられたそうである。この搦手門の手前からの眺めがなかなか良かった。

  • そこから一旦引き返し、二本松藩士自刃の地を経て、二合田用水沿いに再び西側へと歩いて行く。その先に、安達太良山が望める東屋があったが、まだ雲の中である。その上の高台に、『智恵子抄詩碑』があった。二本松出身で、彫刻家高村光太郎の妻であった智恵子の生涯を回想した詩集『智恵子抄』の中にある『樹下の二人』の冒頭部分が刻まれている。残念ながら、智恵子の愛した『ほんとの空』は拝めなかった。

    そこから一旦引き返し、二本松藩士自刃の地を経て、二合田用水沿いに再び西側へと歩いて行く。その先に、安達太良山が望める東屋があったが、まだ雲の中である。その上の高台に、『智恵子抄詩碑』があった。二本松出身で、彫刻家高村光太郎の妻であった智恵子の生涯を回想した詩集『智恵子抄』の中にある『樹下の二人』の冒頭部分が刻まれている。残念ながら、智恵子の愛した『ほんとの空』は拝めなかった。

  • 城跡から降り切り、駐車場の外れにある『戒石銘碑』を拝見。巨大な自然石に、『爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺 寛延己巳之年春三月』と刻まれている。第五代藩主丹羽高寛が、藩士の戒めとして、一夜で刻ませたそうである。趣旨は、「支給される俸禄は、民の汗と脂の結晶である。民は虐げ易いが、神を欺くことは出来ない。」で、要するに、「民を虐げれば、必ず天の報いを受けるから戒めよ」と言うことだ。名君である。

    城跡から降り切り、駐車場の外れにある『戒石銘碑』を拝見。巨大な自然石に、『爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺 寛延己巳之年春三月』と刻まれている。第五代藩主丹羽高寛が、藩士の戒めとして、一夜で刻ませたそうである。趣旨は、「支給される俸禄は、民の汗と脂の結晶である。民は虐げ易いが、神を欺くことは出来ない。」で、要するに、「民を虐げれば、必ず天の報いを受けるから戒めよ」と言うことだ。名君である。

    旧二本松藩戒石銘碑 名所・史跡

    名君の言葉が刻まれた石 by 旅猫さん
  • 二本松城城址から、智恵子の生家へと向かう。市街地から少々離れているが、自転車なので問題ない。しばらく走ると、古い造り酒屋の建物が見えて来た。そこが、智恵子の生家である。現在の建物は、修繕をして再現したものだそうだ。裏手に記念館があり、彼女の油絵や紙絵が展示されていた。特に、病床で作り続けたと言う紙絵は、抽象的だが、とても温かみのある素晴らしい作品ばかりであった。

    二本松城城址から、智恵子の生家へと向かう。市街地から少々離れているが、自転車なので問題ない。しばらく走ると、古い造り酒屋の建物が見えて来た。そこが、智恵子の生家である。現在の建物は、修繕をして再現したものだそうだ。裏手に記念館があり、彼女の油絵や紙絵が展示されていた。特に、病床で作り続けたと言う紙絵は、抽象的だが、とても温かみのある素晴らしい作品ばかりであった。

    二本松市智恵子記念館 美術館・博物館

  • 智恵子の生家から、市街地と二本松城址の間を抜け、西側にある大隣寺へと向かう。大隣寺は、藩主丹羽家の菩提寺である。創建時は白河にあり、寺名は、丹羽長秀の法名に因むそうである。

    智恵子の生家から、市街地と二本松城址の間を抜け、西側にある大隣寺へと向かう。大隣寺は、藩主丹羽家の菩提寺である。創建時は白河にあり、寺名は、丹羽長秀の法名に因むそうである。

    大隣寺 寺・神社・教会

  • その裏手の高台には、歴代藩主の墓所があった。葬られているのは、初代光重と、三代長之から九代長富までの八名である。五輪塔のようだが、それぞれ独特な形をしていて興味深い。境内には、二本松藩士の慰霊碑や少年隊の墓もあった。門前には、大壇口から撤退中、西軍と遭遇し戦死した少年隊副隊長二階堂衛守の戦死之地碑も立っていた。

    その裏手の高台には、歴代藩主の墓所があった。葬られているのは、初代光重と、三代長之から九代長富までの八名である。五輪塔のようだが、それぞれ独特な形をしていて興味深い。境内には、二本松藩士の慰霊碑や少年隊の墓もあった。門前には、大壇口から撤退中、西軍と遭遇し戦死した少年隊副隊長二階堂衛守の戦死之地碑も立っていた。

  • 大隣寺を拝観した後、南にある大壇口古戦場を観に行く。そこは、少年隊が西軍を迎え撃った場所である。この戦いで、出陣した二十二名のうち、隊長の木村銃太郎ら十六名が戦死している。隊長以外は、十二歳から十七歳くらいのまでの少年たちであった。薩長が引き起こした理不尽な内戦の犠牲者が、ここにも多くいる。

    大隣寺を拝観した後、南にある大壇口古戦場を観に行く。そこは、少年隊が西軍を迎え撃った場所である。この戦いで、出陣した二十二名のうち、隊長の木村銃太郎ら十六名が戦死している。隊長以外は、十二歳から十七歳くらいのまでの少年たちであった。薩長が引き起こした理不尽な内戦の犠牲者が、ここにも多くいる。

    大壇口古戦場 名所・史跡

  • 16時を回り、陽がかなり傾いて来たので、宿へと向かうことにする。ところが、地図を見ると、二本松神社の近くに奥州探題畠山家墓所と言う場所がある。17時までには自転車を返さないといけないのだが、何とか間に合いそうなので、訪れることにした。そこは、称念寺と言う寺の境内であったが、場所が分からない。諦めかけた時、ようやくその場所を見つけた。そこは、昭和8年に、二十二代当主により整備された墓所であり、粟ノ巣の戦いで討ち死にした家臣二十三名も祀られていた。

    16時を回り、陽がかなり傾いて来たので、宿へと向かうことにする。ところが、地図を見ると、二本松神社の近くに奥州探題畠山家墓所と言う場所がある。17時までには自転車を返さないといけないのだが、何とか間に合いそうなので、訪れることにした。そこは、称念寺と言う寺の境内であったが、場所が分からない。諦めかけた時、ようやくその場所を見つけた。そこは、昭和8年に、二十二代当主により整備された墓所であり、粟ノ巣の戦いで討ち死にした家臣二十三名も祀られていた。

    称念寺 寺・神社・教会

  • 自転車を返し、二本松駅前にある今宵の宿『アーバンホテル二本松』に入る。いかにもビジネスホテルと言った宿であるが、泊るだけであれば問題ない。ところが、この日は近くでスポーツ競技会があるらしく、ジャージ姿の女子高生が大勢泊まっていた。最初に案内された部屋は、その女子高生たちに囲まれ賑やか過ぎたので、静かな階へと移ることをお願いした。すると、他に宿泊者のいない最上階を提供してくれた。

    自転車を返し、二本松駅前にある今宵の宿『アーバンホテル二本松』に入る。いかにもビジネスホテルと言った宿であるが、泊るだけであれば問題ない。ところが、この日は近くでスポーツ競技会があるらしく、ジャージ姿の女子高生が大勢泊まっていた。最初に案内された部屋は、その女子高生たちに囲まれ賑やか過ぎたので、静かな階へと移ることをお願いした。すると、他に宿泊者のいない最上階を提供してくれた。

    アーバンホテル二本松 宿・ホテル

  • すでに17時を過ぎていたので、すぐに夕食に出掛けることにする。地酒が飲める店を宿で尋ねると、たくさんあると言う。その中から、宿のすぐ近くにある『こんどこそ』と言う店が、お酒も豊富で料理も美味しいとのことなので、迷わず決めた。中へ入ると、両脇に小上がりがあり、奥に四席だけカウンター席があった。お酒の種類は、確かに多く。しかも『央』があったので、それをまずはいただいた。

    すでに17時を過ぎていたので、すぐに夕食に出掛けることにする。地酒が飲める店を宿で尋ねると、たくさんあると言う。その中から、宿のすぐ近くにある『こんどこそ』と言う店が、お酒も豊富で料理も美味しいとのことなので、迷わず決めた。中へ入ると、両脇に小上がりがあり、奥に四席だけカウンター席があった。お酒の種類は、確かに多く。しかも『央』があったので、それをまずはいただいた。

    こんどこそ グルメ・レストラン

  • 肴には、豚バラ串としらすおろしを注文。豚バラは、肉の量が結構あり、なかなか美味しかった。

    肴には、豚バラ串としらすおろしを注文。豚バラは、肉の量が結構あり、なかなか美味しかった。

  • しばらくして、併せて頼んだほっけ焼きが出て来た。半身でやや痩せていたが、ちょうど良い脂の乗り具合であった。

    しばらくして、併せて頼んだほっけ焼きが出て来た。半身でやや痩せていたが、ちょうど良い脂の乗り具合であった。

  • 二杯目は、隣の方が呑んでいた品書きに無いお酒が気になったので注文する。それは、地元二本松市の檜物屋酒造店が醸す『千功成 特別純米酒 甑峯』である。福島県産美山錦を使ったお酒で、これがふくよかな味わいでとても美味しかった。 

    二杯目は、隣の方が呑んでいた品書きに無いお酒が気になったので注文する。それは、地元二本松市の檜物屋酒造店が醸す『千功成 特別純米酒 甑峯』である。福島県産美山錦を使ったお酒で、これがふくよかな味わいでとても美味しかった。 

  • 追加の肴は、やはり隣の方が食べていた、烏賊の天婦羅を注文。青のりが掛かっていて、これがまた美味しかった。

    追加の肴は、やはり隣の方が食べていた、烏賊の天婦羅を注文。青のりが掛かっていて、これがまた美味しかった。

  • 締めには、江戸時代から続く地元の奥の松酒造の『金紋 奥の松』を、半分の量でお願いした。肴には、焼き鳥の正肉をいただく。この店は、確かに料理も美味しく、地酒も品書きに載っているだけで二十二種類もあった。品書きに無いお酒もカウンター上などに置いてあり、どれも注文が可能であった。この店は気に入ったので、二本松に来る機会があれば、また寄りたいものである。

    締めには、江戸時代から続く地元の奥の松酒造の『金紋 奥の松』を、半分の量でお願いした。肴には、焼き鳥の正肉をいただく。この店は、確かに料理も美味しく、地酒も品書きに載っているだけで二十二種類もあった。品書きに無いお酒もカウンター上などに置いてあり、どれも注文が可能であった。この店は気に入ったので、二本松に来る機会があれば、また寄りたいものである。

  • 翌日は、岩代界隈を歩く。数年前、大河ドラマ『独眼竜政宗』の再放送を観た際、小浜城や宮森城に興味を持ったのだが、すっかり忘れていた。ところが、今年、再び放送が始まり、思い出したのだ。宿からほど近い二本松駅入口バス停から、7時45分発の小浜行のバスに乗車。乗客は、私だけであった。

    翌日は、岩代界隈を歩く。数年前、大河ドラマ『独眼竜政宗』の再放送を観た際、小浜城や宮森城に興味を持ったのだが、すっかり忘れていた。ところが、今年、再び放送が始まり、思い出したのだ。宿からほど近い二本松駅入口バス停から、7時45分発の小浜行のバスに乗車。乗客は、私だけであった。

  • 25分ほど揺られると、小浜新町バス停に着いた。降りてすぐ、ご当地マンホールを見つけた。しかも、2005年に二本松市に吸収合併された岩代町のものであった。描かれているのは、町の鳥である『鶯』、枝垂桜は、名の知れた『合戦場のしだれ桜』、山は、岩代町から綺麗に見える安達太良山だと思われる。

    25分ほど揺られると、小浜新町バス停に着いた。降りてすぐ、ご当地マンホールを見つけた。しかも、2005年に二本松市に吸収合併された岩代町のものであった。描かれているのは、町の鳥である『鶯』、枝垂桜は、名の知れた『合戦場のしだれ桜』、山は、岩代町から綺麗に見える安達太良山だと思われる。

  • バス停から少し歩き、道沿いを流れる小浜川を渡ると、対岸に小さな祠と石碑が置かれている。そこは、伊達輝宗拉致事件を起こし、伊達政宗に殺害されたとされる二本松城主二本松義継の遺体が晒された場所である。

    バス停から少し歩き、道沿いを流れる小浜川を渡ると、対岸に小さな祠と石碑が置かれている。そこは、伊達輝宗拉致事件を起こし、伊達政宗に殺害されたとされる二本松城主二本松義継の遺体が晒された場所である。

  • かつての岩代町の中心部を通り抜けてしばらく歩くと、右手に鳥居が見えて来た。塩松神社と言う。なかなか立派な社であったので、ここでご挨拶をすることにする。長い石段が手強いが、境内は凛とした空気感がある。帰ってから調べてみると、平安時代に創建されたものらしい。

    かつての岩代町の中心部を通り抜けてしばらく歩くと、右手に鳥居が見えて来た。塩松神社と言う。なかなか立派な社であったので、ここでご挨拶をすることにする。長い石段が手強いが、境内は凛とした空気感がある。帰ってから調べてみると、平安時代に創建されたものらしい。

    塩松神社 寺・神社・教会

    塩松地域の鎮守 by 旅猫さん
  • さらに歩くと、伊達政宗所縁の御堂と言うものがあった。万人子守地蔵尊と呼ばれるもので、六百年以上の歴史があるそうである。子どもを守る地蔵菩薩としては、奥州唯一なのだそうだ。ただ、政宗との繋がりは分からなかった。

    さらに歩くと、伊達政宗所縁の御堂と言うものがあった。万人子守地蔵尊と呼ばれるもので、六百年以上の歴史があるそうである。子どもを守る地蔵菩薩としては、奥州唯一なのだそうだ。ただ、政宗との繋がりは分からなかった。

  • その先の高台に、奥州探題宇都宮氏廣が造営し、伊達輝宗が愛したと言う御花畠の跡があるようなので訪れてみる。ところが、そこは公園などになっていて、場所はわからなかった。

    その先の高台に、奥州探題宇都宮氏廣が造営し、伊達輝宗が愛したと言う御花畠の跡があるようなので訪れてみる。ところが、そこは公園などになっていて、場所はわからなかった。

  • その後、宮森城址へと向かう。その途中、道の脇に『腹切石』と言う岩があった。足利氏の庶流である塩松石橋氏四天王の一人である宮森城主大河内備中が、同じく四天王であった小浜城主大内義綱に攻められた際、進退窮まった甥の大河内宗四郎が切腹した場所だそうだ。大内義綱は、前年の永禄11年(1568)に主君の石橋尚義を追放しているので、戦国時代の武将そのものである。

    その後、宮森城址へと向かう。その途中、道の脇に『腹切石』と言う岩があった。足利氏の庶流である塩松石橋氏四天王の一人である宮森城主大河内備中が、同じく四天王であった小浜城主大内義綱に攻められた際、進退窮まった甥の大河内宗四郎が切腹した場所だそうだ。大内義綱は、前年の永禄11年(1568)に主君の石橋尚義を追放しているので、戦国時代の武将そのものである。

  • 次に現れたのは、『輝宗公御膳清水』と呼ばれる湧き水。宮森城主となった伊達輝宗の御膳用に使われた清水だそうだ。澄んだ水が今でも湧き出していた。

    次に現れたのは、『輝宗公御膳清水』と呼ばれる湧き水。宮森城主となった伊達輝宗の御膳用に使われた清水だそうだ。澄んだ水が今でも湧き出していた。

  • そして、ようやく宮森城址に辿り着いた。本丸跡には、矢取八幡神社と言う社が鎮座している。宮森城は、元は、奥州探題宇都宮氏廣により築城された四本松(しおのまつ)城とされるが、同名の城が別の場所にもあるので定かではない。そもそも、地名としては『塩松』であり、塩松城と宮森城が同時期に存在するため、異なる城だと思われる。

    そして、ようやく宮森城址に辿り着いた。本丸跡には、矢取八幡神社と言う社が鎮座している。宮森城は、元は、奥州探題宇都宮氏廣により築城された四本松(しおのまつ)城とされるが、同名の城が別の場所にもあるので定かではない。そもそも、地名としては『塩松』であり、塩松城と宮森城が同時期に存在するため、異なる城だと思われる。

    宮森城跡 名所・史跡

    伊達輝宗所縁の城 by 旅猫さん
  • 宮森城は、大河内備中を滅ぼした大内義綱の子定綱の時、伊達政宗に攻められ落城。政宗の父輝宗が在城したが、その後、二本松義継による拉致事件が起きている。本丸跡には、大きな石がいくつも転がっているが、かつての礎石や庭石と考えられているそうだ。ようやく、大河ドラマの舞台に立て、歴史に思いを馳せながら、しばし佇んだ。

    宮森城は、大河内備中を滅ぼした大内義綱の子定綱の時、伊達政宗に攻められ落城。政宗の父輝宗が在城したが、その後、二本松義継による拉致事件が起きている。本丸跡には、大きな石がいくつも転がっているが、かつての礎石や庭石と考えられているそうだ。ようやく、大河ドラマの舞台に立て、歴史に思いを馳せながら、しばし佇んだ。

  • 宮森城址を後にして、地図に表示されている『伊達輝宗公遺愛櫻』と、気になる『旧領主大内氏五聯壇遺蹟』を観に行く。しかし、少々迷ってしまい、目に付いた塚のような場所へ向かうと、『競石三さる桜』と言うものであった。

    宮森城址を後にして、地図に表示されている『伊達輝宗公遺愛櫻』と、気になる『旧領主大内氏五聯壇遺蹟』を観に行く。しかし、少々迷ってしまい、目に付いた塚のような場所へ向かうと、『競石三さる桜』と言うものであった。

  • その近くからは、昨日は見えなかった安達太良山が綺麗に見えていた。

    その近くからは、昨日は見えなかった安達太良山が綺麗に見えていた。

  • おかげで大体の場所が分かり、ようやく輝宗所縁の桜のある場所に辿り着いたが、探しても見つからない。諦めて戻りかけると、岩代に来て、初めて人に出会った。そこで尋ねてみると、何と枯れてしまったそうである。石碑があると言うので戻って探したが、確認出来なかった。

    おかげで大体の場所が分かり、ようやく輝宗所縁の桜のある場所に辿り着いたが、探しても見つからない。諦めて戻りかけると、岩代に来て、初めて人に出会った。そこで尋ねてみると、何と枯れてしまったそうである。石碑があると言うので戻って探したが、確認出来なかった。

  • そして、『旧領主大内氏五聯壇遺蹟』も、結局見つからなかった。仕方が無く、小浜城址へ向かうことにする。途中、『稚児の墓』と言うものがあった。宮森城落城の際、大河内備中の側室と子が、敵将大内備前に発見され、子はその場で斬殺されたそうである。

    そして、『旧領主大内氏五聯壇遺蹟』も、結局見つからなかった。仕方が無く、小浜城址へ向かうことにする。途中、『稚児の墓』と言うものがあった。宮森城落城の際、大河内備中の側室と子が、敵将大内備前に発見され、子はその場で斬殺されたそうである。

  • その先には、『かっか石』と言う大岩があった。それは、大内備前に捕まった側室が、その後、この岩のそばに庵を結び、亡き夫と子の冥福を祈った場所だそうである。

    その先には、『かっか石』と言う大岩があった。それは、大内備前に捕まった側室が、その後、この岩のそばに庵を結び、亡き夫と子の冥福を祈った場所だそうである。

  • 朝食が早かったので、お腹が空いて来た。歩いていると、ちょうど『相模屋食堂』と言う食事処があったので、迷わず入ることにする。そして、看板料理だと言うカツ丼をいただいた。考えてみれば、前日のお昼もカツ丼であった。食べてみると、昨日のカツ丼の方が美味しかった。

    朝食が早かったので、お腹が空いて来た。歩いていると、ちょうど『相模屋食堂』と言う食事処があったので、迷わず入ることにする。そして、看板料理だと言うカツ丼をいただいた。考えてみれば、前日のお昼もカツ丼であった。食べてみると、昨日のカツ丼の方が美味しかった。

    相模屋食堂 グルメ・レストラン

    名物はカツ丼 by 旅猫さん
  • 食後、岩代町の中心部に戻り、今度は、その北側にある小浜城址へと向かう。その大手口は、二本松市役所岩代支所の前にあり、そこから急な上り坂が続いている。その坂を登り切ると、小浜城址の本丸跡であった。土塁と石垣が残り、綺麗に整備されている。

    食後、岩代町の中心部に戻り、今度は、その北側にある小浜城址へと向かう。その大手口は、二本松市役所岩代支所の前にあり、そこから急な上り坂が続いている。その坂を登り切ると、小浜城址の本丸跡であった。土塁と石垣が残り、綺麗に整備されている。

    小浜城跡 名所・史跡

    伊達政宗若き日の居城 by 旅猫さん
  • その奥には、二曲輪も見えているが、整備はされていない。小浜城は、奥州探題が置かれた四本松(塩松)城の支城として築かれたものだが、現在の城址は、会津を領した蒲生氏の時代に改修されたもののようだ。戦国時代末期には、伊達政宗が在城したこともあり、城の規模もかなり大きい。

    その奥には、二曲輪も見えているが、整備はされていない。小浜城は、奥州探題が置かれた四本松(塩松)城の支城として築かれたものだが、現在の城址は、会津を領した蒲生氏の時代に改修されたもののようだ。戦国時代末期には、伊達政宗が在城したこともあり、城の規模もかなり大きい。

  • 本丸跡に登ると、急に風が強まり、雪が降って来た。城下の方角を眺めると、向かいに神社が見えている。二ツ石稲荷神社と言う社で、小浜城の出城が築かれていたそうである。

    本丸跡に登ると、急に風が強まり、雪が降って来た。城下の方角を眺めると、向かいに神社が見えている。二ツ石稲荷神社と言う社で、小浜城の出城が築かれていたそうである。

  • 本丸跡は公園となっていたが、二曲輪跡に近い御殿が立っていた場所は、遊具なども無く、城跡らしい雰囲気があった。

    本丸跡は公園となっていたが、二曲輪跡に近い御殿が立っていた場所は、遊具なども無く、城跡らしい雰囲気があった。

  • 小浜城址から降り、岩代支所にあるバス停でバスを待つ。思ったよりも時間が余り、雪が降る中、30分ほど待つことになった。そして、12時40分発のバスに乗り、岩代を離れた。

    小浜城址から降り、岩代支所にあるバス停でバスを待つ。思ったよりも時間が余り、雪が降る中、30分ほど待つことになった。そして、12時40分発のバスに乗り、岩代を離れた。

  • 10分ほどで着いた、木の崎バス停で下車。そこから歩いて、粟ノ須古戦場へと向かう。数分で辿り着いた場所には、立派な石碑や供養塔などが立っていた。この辺りで、戦国時代、伊達政宗の父輝宗を拉致して二本松城へ逃げる二本松義継と、追い付いた伊達政宗が対峙した場所である。結局、輝宗は殺され、義継も自刃。家臣は伊達勢に打ち取られた。名門二本松畠山氏の当主と、伊達家の先代当主が共に命を落とすと言う、歴史上稀に見る事件の舞台である。

    10分ほどで着いた、木の崎バス停で下車。そこから歩いて、粟ノ須古戦場へと向かう。数分で辿り着いた場所には、立派な石碑や供養塔などが立っていた。この辺りで、戦国時代、伊達政宗の父輝宗を拉致して二本松城へ逃げる二本松義継と、追い付いた伊達政宗が対峙した場所である。結局、輝宗は殺され、義継も自刃。家臣は伊達勢に打ち取られた。名門二本松畠山氏の当主と、伊達家の先代当主が共に命を落とすと言う、歴史上稀に見る事件の舞台である。

    粟ノ須古戦場 名所・史跡

  • バスの時間までかなりあるので、予定していた一本木バス停の一つ先にある赤坂バス停まで歩いてみることにする。すると、地図上に『高田館跡』と言う場所がある。行ってみると、案内板のようなものは無い。土塁のようなものがあったが、それが館跡なのかもわからなかった。

    バスの時間までかなりあるので、予定していた一本木バス停の一つ先にある赤坂バス停まで歩いてみることにする。すると、地図上に『高田館跡』と言う場所がある。行ってみると、案内板のようなものは無い。土塁のようなものがあったが、それが館跡なのかもわからなかった。

  • 赤坂バス停から、13時40分発のバスに乗り、二本松駅に戻る。そして、14時03分発の福島行に乗り、福島駅で下車。さらに、14時37分の『やまびこ139号』で仙台駅に出て、15時19分発の『はやぶさ59号』に乗り換えて、今宵の宿がある盛岡駅へと向かった。

    赤坂バス停から、13時40分発のバスに乗り、二本松駅に戻る。そして、14時03分発の福島行に乗り、福島駅で下車。さらに、14時37分の『やまびこ139号』で仙台駅に出て、15時19分発の『はやぶさ59号』に乗り換えて、今宵の宿がある盛岡駅へと向かった。

  • 盛岡駅には、16時前に到着。まずは、『えびすけ』に立ち寄り、軽く呑む。先客は、三人で、うち二人は女性。全員、一人呑みである。ここは、店主が女性なので、女性一人でも入りやすい店なのだ。今回は、せんべろセットとした。

    盛岡駅には、16時前に到着。まずは、『えびすけ』に立ち寄り、軽く呑む。先客は、三人で、うち二人は女性。全員、一人呑みである。ここは、店主が女性なので、女性一人でも入りやすい店なのだ。今回は、せんべろセットとした。

    立呑 えびすけ グルメ・レストラン

  • そして、永久串一本無料のキーホルダーで、正肉をいただく。夕食は別に食べる予定なので、ここはすぐに打ち止めとした。

    そして、永久串一本無料のキーホルダーで、正肉をいただく。夕食は別に食べる予定なので、ここはすぐに打ち止めとした。

  • 宿は、盛岡での定宿である『ダイワロイネットホテル盛岡駅前』。土曜日以外は手軽に泊まれるので、重宝している。

    宿は、盛岡での定宿である『ダイワロイネットホテル盛岡駅前』。土曜日以外は手軽に泊まれるので、重宝している。

    ダイワロイネットホテル盛岡駅前 宿・ホテル

  • 17時前となったので、秋に訪れて気に入った『宵待金魚』に向かったのだが、日曜日は定休日であった。仕方が無いので、すぐ近くの『金宝堂』の開店を待つことにする。初めて開店と同時に入ったが、客は私だけであった。今回は、ハンバーグの単品に、エーデルワインの『かぐみ』を合わせた。ハンバーグはとても美味しかったのだが、ワインは少々軽かった。

    17時前となったので、秋に訪れて気に入った『宵待金魚』に向かったのだが、日曜日は定休日であった。仕方が無いので、すぐ近くの『金宝堂』の開店を待つことにする。初めて開店と同時に入ったが、客は私だけであった。今回は、ハンバーグの単品に、エーデルワインの『かぐみ』を合わせた。ハンバーグはとても美味しかったのだが、ワインは少々軽かった。

    洋食 金宝堂 グルメ・レストラン

  • もう少し呑みたくなったので、白ワインを注文。チーズの盛り合わせも頼もうとしたのだが、品書きに無い。店員さんに尋ねると、あると言う。定番からは外してしまったそうだ。二日目は、岩代の歴史を巡る旅となったが、訪ねてみると、旧領主である大内氏や二本松氏の史跡が、今でも大切に残されていることが感慨深かった。

    もう少し呑みたくなったので、白ワインを注文。チーズの盛り合わせも頼もうとしたのだが、品書きに無い。店員さんに尋ねると、あると言う。定番からは外してしまったそうだ。二日目は、岩代の歴史を巡る旅となったが、訪ねてみると、旧領主である大内氏や二本松氏の史跡が、今でも大切に残されていることが感慨深かった。

  • 旅の三日目は、角館へ向かうため、7時58分発の『こまち95号』に乗車した。盛岡駅を出てすぐ、車窓に岩手山が綺麗に見えた。

    旅の三日目は、角館へ向かうため、7時58分発の『こまち95号』に乗車した。盛岡駅を出てすぐ、車窓に岩手山が綺麗に見えた。

  • そして、角館駅には、8時45分に到着。今年は雪が多いと思っていたのだが、降り立った角館の駅前は、それほどでもない。しかも、武家屋敷街にはほとんど雪は無かった。雪景色を観に来たのだが、がっかりである。

    そして、角館駅には、8時45分に到着。今年は雪が多いと思っていたのだが、降り立った角館の駅前は、それほどでもない。しかも、武家屋敷街にはほとんど雪は無かった。雪景色を観に来たのだが、がっかりである。

  • それでも、武家屋敷の敷地には、そこそこ雪が積もっていた。

    それでも、武家屋敷の敷地には、そこそこ雪が積もっていた。

  • 秋にも前を通ったうどん屋の建物を何気なく観ると、江戸時代に寺小屋として使われていた建物であった。

    秋にも前を通ったうどん屋の建物を何気なく観ると、江戸時代に寺小屋として使われていた建物であった。

  • 建物には雪囲いがしてあり、いつもと違う感じだ。

    建物には雪囲いがしてあり、いつもと違う感じだ。

  • 枝垂桜で彩られる場所も、雪が無いと寂しい。

    枝垂桜で彩られる場所も、雪が無いと寂しい。

  • 名の知れた武家屋敷も、どこか寂しげである。

    名の知れた武家屋敷も、どこか寂しげである。

  • 拍子抜けしたので、いつもなら立ち寄らない店にも入ってみる。『生もろこし』と言う名前に惹かれて入った店では、試食が出来た。試しに食べてみると、なかなか美味しかったので、お土産として購入した。

    拍子抜けしたので、いつもなら立ち寄らない店にも入ってみる。『生もろこし』と言う名前に惹かれて入った店では、試食が出来た。試しに食べてみると、なかなか美味しかったので、お土産として購入した。

  • 桧木内川の土手に出てみる。そこには、結構雪が残っている。

    桧木内川の土手に出てみる。そこには、結構雪が残っている。

  • ようやく雪景色に出会えた感じだ。

    ようやく雪景色に出会えた感じだ。

  • 桜並木が美しい土手も、冬はまた違った美しさがある。

    桜並木が美しい土手も、冬はまた違った美しさがある。

  • 河川敷に積もった雪の上には、動物らしき足跡が付いている。

    河川敷に積もった雪の上には、動物らしき足跡が付いている。

  • 桧木内川に架かる横町橋の上からは、綺麗な景色が望めた。

    桧木内川に架かる横町橋の上からは、綺麗な景色が望めた。

  • 町中に戻り、また武家屋敷街を歩く。稲庭うどんの名店『佐藤養助』にも立ち寄ってみる。個人的には、別の店のものがお気に入りなのだが、時間を潰すために入ったのだ。しかし、店内には人気が無く、そのまま出るには忍びなく、結局、うどんと蕎麦を買い込んでしまった。

    町中に戻り、また武家屋敷街を歩く。稲庭うどんの名店『佐藤養助』にも立ち寄ってみる。個人的には、別の店のものがお気に入りなのだが、時間を潰すために入ったのだ。しかし、店内には人気が無く、そのまま出るには忍びなく、結局、うどんと蕎麦を買い込んでしまった。

  • 11時になったので、お昼を食べることにする。向かったのは、秋に入って気に入った『さくら小路』。今回は、比内地鶏の親子丼を単品でいただいた。やはり美味しく、満足であった。

    11時になったので、お昼を食べることにする。向かったのは、秋に入って気に入った『さくら小路』。今回は、比内地鶏の親子丼を単品でいただいた。やはり美味しく、満足であった。

    さくら小路 グルメ・レストラン

  • 前回は、稲庭うどんのセットで満腹となってしまったが、今回は比内地鶏の串焼きを食べてみる。併せて、『雪の茅舎 純米吟醸 山田穂』も注文。比内地鶏の串焼きは、しっかりとした歯応えがあり、噛めば噛むほど旨味が出てくる。お酒も、笹濁りと言った感じで、とても美味しかった。

    前回は、稲庭うどんのセットで満腹となってしまったが、今回は比内地鶏の串焼きを食べてみる。併せて、『雪の茅舎 純米吟醸 山田穂』も注文。比内地鶏の串焼きは、しっかりとした歯応えがあり、噛めば噛むほど旨味が出てくる。お酒も、笹濁りと言った感じで、とても美味しかった。

  • 最後に、角館温泉の『町宿ねこの鈴』で立ち寄り湯をする。混んでいるかと思ったが、貸切であった。湯船に大きな岩があり、少しだけ趣がある。湯温が高く、入る時に我慢が必要だが、入ってしまうと気持ちよかった。

    最後に、角館温泉の『町宿ねこの鈴』で立ち寄り湯をする。混んでいるかと思ったが、貸切であった。湯船に大きな岩があり、少しだけ趣がある。湯温が高く、入る時に我慢が必要だが、入ってしまうと気持ちよかった。

    かくのだて温泉 温泉

  • 駅へ戻り、12時57分発の『こまち24号』に乗車。考えてみれば、秋と全く同じ行程であった。ふたつの旅の計画をひとつにまとめた今回の旅。二本松の歴史探訪は面白かったが、角館の雪景色が観られなかったのは残念であった。いつかまた、雪が多い時に訪れてみたいものである。

    駅へ戻り、12時57分発の『こまち24号』に乗車。考えてみれば、秋と全く同じ行程であった。ふたつの旅の計画をひとつにまとめた今回の旅。二本松の歴史探訪は面白かったが、角館の雪景色が観られなかったのは残念であった。いつかまた、雪が多い時に訪れてみたいものである。

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この旅行記へのコメント (11)

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  • hot chocolateさん 2025/02/13 10:15:48
    2つの旅を1つに
    旅猫さま

    おはようございます。
    すっかりご無沙汰してしまい申し訳ありませんでした。
    未読の旅行記もありますが、美味しそうなかつ丼の表紙の旅行記から・・・

    年末年始はインフルエンザで、散々でしたね。
    今年はインフルエンザが猛威を振るっていたので、少し前、夫が鼻炎で
    耳鼻咽喉科に行った時、午後1時に行って予約し、予約時間が午後6時なのに、
    さらに2時間待って、終わったのが午後8時過ぎでした。

    私も、5月に全く方向の違う旅先を1つにして出かける予定です。
    最近は東北に出かけることも少なく、ましてや二本松は未踏の地です。
    会津鶴ヶ城の白虎隊は有名ですが、二本松城でも、少年兵が西軍と闘い、
    その多くが戦死したというのは知りませんでした。

    雪の角館・・・
    写真で見るには風情があっていいのですが、寒いのは苦手です。
    寒い冬は温泉につかって、温かい鍋でも戴きたいものです。

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2025/02/13 18:59:34
    RE: 2つの旅を1つに
    hot chocoさん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    今回の旅では、昼食がすべて卵とじの丼物でした。

    インフルエンザに初めて罹りました。。。
    それでも軽い方だったので、酷いことにはなりませんでした。
    でも、年越し蕎麦も初詣もお雑煮も無い年末年始でした。

    二本松は、かなり地味な場所ですよね。
    それでも、歴史があり、二本松少年隊は結構有名です。
    白虎隊に比べれば、かなり知名度は低いですけど。

    雪の積もった武家屋敷街を歩きたかったのですけど、雪はほとんど無く。。。
    寒い中、やはりお隣の国方々がかなり来ていました。
    冬は、温泉とお鍋ですね。

    旅猫
  • ねもさん 2025/02/09 16:10:23
    二本松と角館
    旅猫さん お久しぶり、でもない?
    どちらも東北ですが、なかなか二つを結びつけないような😅 でも、こうして拝見すると違和感なく、旅猫さんお得意のお酒もしっかりあって(笑)、うれしく読ませていただきました。年末年始のインフルエンザを吹き飛ばすに十分な旅路でした👍

    お互い元気に楽しく旅を続けましょう!

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2025/02/09 22:20:41
    RE: 二本松と角館
    ねもさん、こんばんは。

    少々お久しぶりでした。
    福島と秋田なので、普通は一緒に行かないですよね。
    どちらも別々に計画していたのですが、インフルなどの影響もあり、仕事の休みが取れず、思い切って繋げてみました(笑)。
    結構、上手くいったと思います。
    お酒も程よく味わえましたし、食事も今回は良かったです。
    やっぱり、健康が一番ですね。

    旅猫
  • ポテのお散歩さん 2025/02/07 02:19:50
    二本松
    旅猫さん こんばんは。

    今年の年越しはインフルエンザで大変でしたね!
    年末に同じように苦しまれた方を数人知っているので
    猛威を振っていたのが理解出来ます。

    二本松は福島と郡山の中間地点として知っているだけでした。
    二本松城も戊辰戦争での犠牲になったのですね。
    まだ若い男の子が戦わなければならなかったのは、
    すでに主力部隊の人数が少なくなっていたのでしょうね。

    『独眼竜政宗』がまた再放送されているのですね。
    再び片倉小十郎が観られるのは嬉しいです(*^-^*)

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2025/02/07 08:05:16
    RE: 二本松
    ポテさん、おはようございます。

    いつもありがとうございます。
    インフルで年越しをしてしまいました。。。
    年末年始にお酒を一滴も呑まなかったのは、初めてです。

    戊辰戦争時の二本松城は、会津鶴ヶ城に比べれば短期間で戦闘が終わりましたが、白虎隊よりも死傷者の数は多いくらいです。
    白虎隊は、撤退後に落城と見誤って自刃ですが、二本松少年隊は戦死です。
    何故か知名度が低く、訪れる人も少ないのが不思議です。
    当時、二本松藩の主力は、奥羽越列藩同盟の他藩へ援軍として出陣していたため、その隙を突かれてしまいました。
    そのため、老兵、農兵、少年兵が西軍を迎え撃っています。

    『独眼竜政宗』は一月から再放送されています。
    最近のお笑い系の軽い大河と違って、まさに大河ドラマです。
    出演者も錚々たる顔ぶれで、今では出来ない布陣です。
    片倉小十郎は、西郷輝彦さんでしたね。
    第四話以降なので、すでに出演されています。

    旅猫
  • NAKANISHIさん 2025/02/02 22:58:11
    旅行記拝見しました
    旅猫さん こんばんは
    いつも渋い雰囲気の旅行記を拝見しております。
    最近、残念に思うことは広告が目立ちすぎて他の人も含めて、自分の旅行記も魅力が落ちてしまいました。
    NAKANISHI

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2025/02/03 22:31:13
    Re: 旅行記拝見しました
    NAKANISHIさん、こんばんは。

    いつも読んでいただきありがとうございます。
    広告が多いと言うのは、わかります。
    とても煩わしいですよね。
    以前は、こんなことは無かった。。。

    旅猫
  • あるき虫さん 2025/02/02 18:03:24
    二本松。。
    旅猫さん、こんにちは。
    年末年始にインフルエンザとは、高熱に苛まれて大変だったかと思います。その後のお加減は回復されましたでしょうか?

    二本松は、私の家系の本家がある所で、大隣寺には我が家系のお墓があります。現段階で私が他界すると、大隣寺に葬られます(微妙)。白虎隊は有名ですが、二本松少年隊を知る人はどの程度いるのでしょう……もっと脚光を浴びても良い存在だと思います。

    二本松の地酒、奥の松は秀逸ですね。久々二

    あるき虫

    あるき虫さん からの返信 2025/02/02 18:07:20
    Re: 二本松。。
    …コメントが途中になってしまって、申し訳ありません。

    久々に私も、二本松の古い街並を歩きながら、奥の松や大七を堪能してみたいなぁ…と思いました。。

    あるき虫

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2025/02/02 19:18:39
    RE: 二本松。。
    あるき虫さん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    今年の年明けは、インフルエンザで最悪でした。
    年越しそばも、お雑煮も食べられず、初詣も行けませんでした。。。
    今はすっかり元気です。

    二本松に本家があるのですね!
    と言うか、本家と言う言葉が驚きです。
    しかも、あの大隣寺にお墓があるとは。
    私は、父方も母方も都内で、普通の家なので、本家も分家もありません(笑)

    二本松少年隊は、何故かあまり取り上げられませんよね。
    白虎隊の悲劇が余りにも有名過ぎて、陰に隠れてしまっていますね。

    『奥の松』は美味しいですよね。
    新宿の馴染みの居酒屋でもたまにあるので、呑んでいます。
    『大七』は、かなり有名ですね。
    前を通りましたが、酒蔵とは思えない立派な建物で驚きました。
    儲かっているようです。
    週末はお休みなので、立ち寄れなかったのは残念でした。

    旅猫

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