
2024/09/20 - 2024/09/25
11位(同エリア1087件中)
コタ(Kota)1号さん
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- 旅行記1219冊
- クチコミ1690件
- Q&A回答79件
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ああ、なんだかバンコクも雨が多くなってきた。
昨年、一昨年に比べて雨が少ないなぁぁ...と思っていたのだが、流石に10月が近くなって来ると、
「雨期」が、本気を出してきた。
こうなって来るともう諦めるしかない...タイ北部から南部まで、大雨が続くので、タイ国内の逃げ道が無くなる...
まあ、この時期は家でジィ~っとしてればいいのだが、なんか行くな、行けないと言われると、お尻がムズムズしてくる...
そうだ...「インドネシアへ行こう!」と思い付く。
実は、以前から、福岡にいる昔の仲間が、インドネシアでゴルフがしたいと言っていたなぁぁ...
この時期、赤道を越えた向こう側のインドネシアは、乾期の筈。
(まだインドネシアで働いている先輩に)向こうの状況を再確認した上で、福岡に連絡して、インドネシアはジャカルタに集合という事に相成った。
みんな仕事しているのに、凄い行動力...いやはや、全く恐れ入る...笑)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
さて、『現)プルマン(旧プレジデントのちJALホテル)ホテル』の前にあるバス停からバスに乗って、『コタ』地区に行く事にした。トランスジャカルタ バス系
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
昨日まで、日本人/外国人住居地が多い「ジャカルタ・スラタン(南部)」を歩き廻って嘗ての自分の足跡探しをしたので、本日からウタラ(北部)を歩いてみる事にした。
写真:二階に上がると、展望台がある模様...プルマン ジャカルタ インドネシア ホテル
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
さて、その前に...
あのホテルの目の前のバスに乗る(宇宙船みたいな停留場に行く)には、どうしたらいいんだぁ~?この車両の往来の激しいタムリン通りを渡れるのか?
写真:この「BRT(Bus Rapid Transit)」は、物凄く仰々しい専用のレーン(+バス停)が設置されており、ブロックで、一般の車やバイクが走る道路と分けられている...私がいた時代は、こんなのなかった...マンダリン オリエンタル ジャカルタ ホテル
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
ホテルのロビーで聞いてみたら、ホテルの敷地から出て右に行ったすぐの所に、信号のある横断歩道があるらしい...「あ、本当だ!!渡れた...」...パンパシフィックジャカルタ ホテル
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
横断歩道を渡り、大通りの真ん中にあるあの(宇宙船のような)バス停に渡る事ができた...(多分、自分の駐在期も含めて、このスディルマン通りやらタムリン通りの様な大通りを歩いて渡った経験は殆どない...駐在員って守られていたんだなぁ...つくづく思う...)
私がここジャカルタにいた頃(1992年-2000年間)は、バスは冷房なんか着ている筈もなく、ボロボロのちょっと傾いたオレンジ色のバスが殆ど...
写真:停留所の向こう側は、グランドハイアットホテルとプラザインドネシアモールが見える。紀伊国屋書店 (グランド インドネシア店) 専門店
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
運転も酷く、真っ黒の排気ガスを吐き出し、とてもとても外国人が乗れる代物では無い時代だった...まだ赴任したばかりの頃(バックパッカーの血が騒ぎ)バスで帰ります...と日本人上司に言ったら、えらく怒られた覚えがある...
当時は、バスだけでなく、タクシーもほぼ危なかしっく(雲スケばかりだった...)迂闊に乗れない...当然、今の様に「電車/地下鉄」なんかも存在しない時代...
写真:なんか、今のバス停は凄く綺麗で、危険という感覚は一切ない...シャングリラ ジャカルタ ホテル
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
蛇足ではあるが、当時のジャカルタは、「歩道」の整備も進んでいなく、横断歩道や信号(あっても壊れている)も、かなり少ない状態で、安心して歩ける街では無かった。
そんな環境下、企業から派遣員として送られてきた外国人駐在員達は、必ず一人に一台、運転手付きで貰えていたので、
写真:こういうバスシステムは、以前生活していたブラジルにもあったなぁぁ...パパイヤフレッシュギャラリー (シティウォーク) スーパー・コンビニ
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
どこへ行くのも運転手付きの社有車で移動していたので、ここで生活した8年の間、公共交通機関等はほぼ利用した経験は皆無(=ブルーバード=タクシーぐらいは乗る機会はあったが...)
更に、家の近所以外で、道を数百mですら歩いた事さえ無かった...8年間も...まったく...
写真:現代のバスの乗車には、現金ではなく、電子カードを購入する必要がある模様。バス乗り場にいる係員のおねーさん(英語が通じる方が多い)に聞いて、近くの販売機で(マルチか、シングルを選んで←ちょっと意味がわからなかった)カードを購入すれば直ぐに乗れるとの事...クリスタル ジェード パレス 中華
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
当時は、何処へ行くにも、社有車でドア to ドアが当たり前...
これは、決して「贅沢」とかではなく、それ程、交通網もダメ ダメで、治安上も危なっかしく、車無しではお気軽に出歩ける街では無かった時代(まあ、駐在員は今でもそーかもだけど...)。イビス ジャカルタ ハーモニ ホテル
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
なので、今回、『ジャカルタでバスに乗るのは』...実は、私にとって人生初めて。
写真:乗り方/降りる位置は至って簡単(時間帯によっては混んでいそう...)。このバスは電車の様に、真っ直ぐに進むだけなので、外の景色を見ながら、或いは車内放送(停留場名)或いはグーグルマップを見ながら、目的地に近づいたら降りればいい...凄くわかりやすい。今は、コタ地区に入ると「地下鉄の延伸工事が大々的に進められており」、途中でこのバスが工事の為、真っ直ぐ進めず、本線を離れて迂回道に入った時は、ちょっと焦ったが...ファタヒラ広場 広場・公園
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
さて、そんな「生まれて初めてのジャカルタバス」に乗って、『コタ』に行ってみた。バスは冷房付きで、ピカピカで、快適であった~。
この『コタ(Kota)』というのは地域の総称で、ジャカルタの「中華街」のある場所の事を指す...まあ、バンコクの「ヤワラー」みたいな感じやね...イビス スタイルズ ジャカルタ ガジャマダ ホテル
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
まさにこの「ジャカルタのコタ地区」が、私の4Tのハンドルネームの所以であるのだが...
私がいた当時は、ボロボロの街で(まあ、今でもそんなに変わらないのであろうが)...廃墟感が凄まじかった...
写真:なんか、自分の立っている場所に違和感を覚え(視線を感じ...)、視線を上げてみると...あれれれ...女性ばっか?マックスワンホテルズドットコム アット プラチナム ハヤム ウルク ジャカルタ ホテル
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
当時、ジャカルタの街の中心部でも夜は照明灯の数が少ない上、照度自体も非常に弱く、ジャカルタの街全体が真っ暗の街だったのだが...(真っ暗過ぎて、信号で停車中の車のすぐ横に人が立っていたりして良く驚いた...全く気が付かない程暗かった...)
写真:注意書きを深く読んでみると、連結バスの前の車両は「女性専用(のシート)ルアン クルス ワニタ」と書いてある...おおっ...でも、女性専用の車両じゃ無いので、どうやら男性が居ても問題ない...っぽい...。以前、マレーシアのクアラルンプールの地下鉄でも女性専用の車両に気が付かずに乗ってしまったし...ジャカルタ国立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
この「コタ地区」の街並みは更に暗く、しかも街並みがボロボロだったので、なんかすっごく怖い感じで...
陽が暮れた後は、ちょっと寄り付きたくない雰囲気を醸し出していた。
写真:後ろの席をみると、胡散臭い男性がどどっと座り、不気味感満載なのだが、女性はこちらも問題無しらしく、おばちゃん達は後ろに堂々とおっさん達の間に割って座っていた...ワヤン博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
まだ会社に入社して3年も経っていない、学生気分の抜けていない駆け出しサラリーマンで、元気だけはあり...何にでも興味津々の若きし頃の若者にとっては、レッドドアーズ プラス ニア ジャカルタ コタ ステーション ホテル
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
この危なっかしく、不気味な夜の「コタ地区」は、「興味」の対象としては十分過ぎるぐらい...ドキドキ、ワクワクするぐらい艶美な怪しい光を放つ場所であった...
写真:このコタ地区には、「オランダ統治時代」の面影を残す白い建物/広場が文化財として今なお残されている。カフェバタビア 創作料理
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
当時、私の年齢で海外赴任している者は、自社/他社共にそう多くは無く、何処に行っても、1番の若造の時代だった...
写真:この広場は、かつては、オランダ植民地政府に対する反逆者や犯罪者の公開処刑をする場であったんだそう...マンガ ドゥア モール ショッピングセンター
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【トランス・ジャカルタでコタへ行く】
そんな当地に赴任していた日本人の中でも、数少ない(学生気分が抜けない)同年代の若者が何人か集まれば、
それはそれは若さと体力に任せ、時間を惜しむ事なく、興味に任せて、ジャカルタの街中を縦横無尽に徘徊し周り、仕事に必要/不要な知識(遊び・穴場の知識)をどんどんと蓄えていった...
写真:市庁舎/裁判所等のオランダ統治時代に建てられた歴史的建造物が残っている。昔はなかったのだが、今は「歴史博物館/美術館/ワヤン博物館」があったりする(そこはインドネシア人観光客が多かった)。メルキュール コンベンション センター アンコール ジャカルタ ホテル
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
その当時、90年代前半のインドネシアは、経済成長の波に乗り、右肩上がりで、毎年二桁成長が続く好景気に恵まれる時代であり(会社の業績も絶好調)、
写真:その広場の端っこに、その時代の商館だった建物を利用した『カフェバタビア』がある〔因みに、バタビア(Batavia)とは、ジャカルタのオランダ植民地時代の名称〕。アンチョール テーマパーク・動物園・水族館・植物園
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
ジャカルタの街もどんどん巨大なビルが建設され、会社もどんどん拡大し、本当にバブルを感じる程、忙しく、国も会社も勢いのある、忙しいけど楽しい時代であった事を思い出す。
写真:この建物はオランダ植民地時代1805年に建設され、VOC(オランダ東インド会社)の事務所として使われていたものであり、それまでは廃墟だったものを綺麗に手を加え、(私がジャカルタに赴任した次の年の)1993年より「カフェ」として再出発した。モナス (独立記念塔) モニュメント・記念碑
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
当時は、私が勤めていた会社は、結構海外生活は自由奔放、車の免許も自由に取れたので、平日の勤務時間(通勤時間含む)は運転手が付いていたのだが、
写真:当時はオープンしたばかりのこのカフェに週末、女房を連れて何度となく、足を延ばしたりしたものである。菊川 和食
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
土日祝祭日は、自分で運転(運転に自信が無い方は、運転手を呼び出し自費で給与を日割りで払う事になっていた)しても良い事になっていた。
写真:当時は、まだできたばかりであったこの洒落たカフェは人気があり、以前から週末は既に欧米人観光客(在住外国人)で溢れていた記憶がある。日本食レストランミドリ 和食
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
また、平日でも仕事が終わった後、プライベートで食事に行くとか遊びに行く時は、運転手を先に帰し、後は、自分で運転すると言うのが当たり前だった。
写真:最初から歴史のある古い建物は今現在も昔のままであった(まあ、当たり前だけど)。パーク ハイアット ジャカルタ ホテル
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
他社の同年代の友人たちは、(しっかりした名の通った一流会社に勤める彼らは)当然、当時から(リスク管理の観点から)自分で運転など許されている筈もなく、運転できるのは私だけだったりしたので...
写真:私が入るのは早かったので、まだお店はガラガラであった...グロドック プラザ ショッピングセンター
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
夕方になると(仕事が終わる頃)、同年代の友人らから「今晩もコタ号(私の社有車に付けられた名称)を出動して下さ~い!」と、悪戯に連絡が来たものである(当時はインターネットなんか無い時代なので、電話で...笑)...
写真:ああ、いいわぁ~、この暗がりが凄く落ち着くわぁ...グランド メルキュール ジャカルタ ハルモニ ホテル ホテル
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
スデイルマン通り沿いにあるオフィスに彼らをピックアップした後、皆で「コタ地区」に向かうと言う日々...あゝ、懐かしい...マンガブサール通り 散歩・街歩き
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イチオシ
【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
そんな夜の遊び場に満ちたコタ地区ではあったのだが...
そんな安穏な生活も「1996年」まで..
翌年の「1997年」に突如、タイ発で発生した「アジア通貨危機」の波が一気に広がる...
写真:気怠そうに不器用に回るこのシーリングファン(天井扇)。私がジャカルタ赴任直前に日本で観た『ジャカルタ』という映画を昨日の事の様に思い出す...まあ、チープな内容の洋画なのだが、その主人公がクーラーもない安宿のベッドの上で、天井でクルクル回るこのファンを見上げていた退廃的な光景がまさに当時のジャカルタの印象に直結する...マンディリ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
突然、タイバーツの大暴落で始まったこの『アジア通貨危機』は、次々と各隣国に派生し...あっという間にマレーシア、シンガポール、台湾を巻き込む程の歴史的な一大事件に発展していった...コタインタン橋 観光名所
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
インドネシアにもその影響が及び始めた当初、(あらゆる業界の専門家たちによると)インドネシアに投資されている外貨は、殆どが土地購入/工場建設/機械購入等々、実需による外貨投資が行われているもので、(タイなどと比較すると)影響は少ないのではないか...と認識されていたのだが...
写真:夜になるとバンドも入る舞台も用意されている。インドネシア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
当時、US$1=2,300RP(インドネシアルピア)程度だったものが、徐々に通貨安が始まり、2ヶ月~半年の間に、US$1=5,000RP台に暴落してしまった...
通貨価値が、数ヶ月で半分になってしまう訳だから、そら大変な事であった...
写真:二階にも上ってみる。ノボテル ジャカルタ ガジャ マダ ホテル ホテル
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
ルピア通過で給料を貰っていた方は、その価値が半分になり(物の価格が半額になる訳ではなく、逆に輸入品が多い為、ドンドン物価が高騰して行く状況...今の日本とスピードこそ異なるが...同じ状況...と言えるかな...)
写真:本当は、二階の方が明るくて素敵なんだけど...ジュノ タナ アバン ジャカルタ ホテル
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
ルピアを現金で持っている者(或いは法人)は、慌てて手持ちのルピアキャッシュをドル転(要は、ドルに両替...ルピアを大慌てで市場で売って、ドルを買う事を)し始めた。
写真:ここは大人数で食事を取る場所なので、一人では無理め...徐々に、欧米人観光客で一杯になってしまった。ギャラクシー ホテル ホテル
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
私は、会社で正に財務担当者でもあった為、こんな経験のない若年の私には、最初は起きている事の理解が追いつかず、のんびりしていたものの(こう言う「異常は」一時的で、何れ正常に戻るだろうと呑気に構えていた...いや、私だけでなく当時、既にインドネシアに長いベテランの方々も殆どが同じ目線で考えていた...)、ル グランドール マンガー ドゥア ジャカルタ ホテル
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イチオシ
【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
そのうちに、ある程度時間が経っても、ルピア安が全く止まらない事に、市場が焦り出し...
私も当時、グループ会社合わせて、何十億円分もあったルピアキャッシュ残高を、一気にドル転せざるを得ない状況になっていった...(そんな金額これまでに見た事も、いじった事ないし...そらチビりそうな程ビビったわい...)
写真:ただの「ナシゴレン」を頼んだだけなのに、なんじゃこりゃぁぁ~!?...すっごい小盛りのお洒落なナシゴレンがやって来た...むむむ...これじゃあ、足りなんなぁぁ...グゥ~ドプリマホテル ITC マンガ ドゥア ホテル
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
こう言うのって、それまでの経験とか勘・敏感さ・臆病さ・用心深さetcetc等、アンテナの高さが物凄く重要で(今になるとだが...)、
(数年前のコロナ禍と同じで...)個人/会社それぞれ、危機感の感じ方の各々温度差が非常に激しく、なかなか決断する/どっちかに舵を切るかの判断が、本当に難しい...
写真:ここのトイレが昔から有名なので...「半世紀ぶりに」入ってみた...笑)ベストウェスタン マンガドゥア ホテル&レジデンス ホテル
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イチオシ
【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
結局、そんなこんなで、判断が遅れてしまい、現地通貨ルピアを、外貨転できなかった人達(法人含む)は(その内、銀行がほぼ封鎖状態になり)、外貨購入したくても出来なくなってしまい...ただ、ただルピアが暴落して行くのを呆然と黙って見ている以外は、何も出来なくなってしまった...
写真:まずはこれ!アメリカ人が好きそーなやつ...まるでハードロックカフェやねぇ...カフェバタビア 創作料理
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
最終的に大損してしまった方々や法人が、死屍累々と市場に溢れて行ったのであった...
写真:...で、ここ!男性の小便器!!(女性は見たくもないだろうが...)...ここに立ち、「自分」と睨めっこしながら用を足す....。ここで酔っ払ったデカイ欧米人と、背の低いイエローモンキーが立ち並んでいる光景を想像して欲しい...カフェバタビア 創作料理
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
最終的には、US1=10,000ルピアを越えてしまい、あっという間にインドネシア通貨の価値が、『1/5』になってしまったのである...
その数値の世界が、実生活に表面化する/影響を与え出すのは、そう時間は掛からなかった...
写真:そして、終わると...自動的に、天井から水がジャ~っ...カフェバタビア 創作料理
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
政治や経済が安定した国、ハードカーレンシー(通貨が短期間に上下しない先進)国に住んでいると、長い時間掛け少しづつ進むインフレやらデフレ/自国通貨価値の増減等の影響が、じんわりとゆっくりと実生活に現れてくるので余り気が付かないのだが...
写真:当時は、夜が更け仕事が終わった後に真っ暗の中、車を運転し目的地を一途に目指し、ここまで来て、「コタ駅」の前をいつも通り過ぎていた。ジャカルタ コタ駅 駅
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イチオシ
【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
経済の弱い不安定国家では、数週間/数ヶ月のうちに、実生活にどんどん影響を及ぼして来るので、
机上の数値が、自分達の生活にどの様な影響を与えるのかを直ぐに学べる世界であった。
写真:嘗ては、真っ暗の中に不気味に佇むこの「コタ駅」を、車の中から遠目に見るだけで、下りたり、直接見に行くという事はなかった。(コタ地区自体、怖いし、自家用車が無いとなかなかお気軽に近づける場所でもなかったし)近くて遠い存在であった。ジャカルタ コタ駅 駅
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
実際に、市場(マーケットやショッピングセンター、商業施設等)からあっという間に「モノ」が消え始めた(産業を牛耳っていたインドネシア国内に住む華僑商人達が、今売ったら損をするという事に気が付き、店を閉めたり、物を売らないという売り控えを始めたのであった)...
写真:昼間に見たコタ駅の駅舎は、非常にクラッシカルで歴史の重みを感じる建築様式、まるでバンコクのファランポーン駅の小さい版のような建物。ジャカルタ コタ駅 駅
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
その為、街中で商品の購入が徐々に難しくなり、一般のインドネシア市民はもとより、我々外国人ですら、「モノ」が買えない世界が急にやってきた...
写真:へぇー、こうなっていたんだぁ…嘗て、この地に8年間も住んでいて、コタ地区には本当に頻繁に来ていたにも関わらず(仕事上がりの深夜になってからだけど)、今日まで君の顔をまともに見た事がなかったわ...本当に、ごめん...ジャカルタ コタ駅 駅
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
我々がその時一番に困った事は、「米が買えない」...という時期が続き、そのうち「今日はどこどこで米が売られていた!!」...という情報を探す事が毎日の仕事となって行った...
写真:若い頃(の30年前は)本当にここは恐ろしげな場所、こんなところウロウロしていたらろくな事にならない…と思っていたここコタ地区は…時代を経て、公共機関も整い、雰囲気も徐々に明るくなり、観光客がお気軽に近づける場所に様変わりしていた...マンディリ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
こんな状況下で、仕事どころではなく、生き残るのに必死だった(とその時は感じていた)...あの時代、あの頃。
そうこうしている内に、(翌年98年半には)食品も入手が困難になってきたインドネシア人達が、華僑が住む場所や家を、次々に襲い出し、それが全国を巻き込んだ大きな暴動へと発展していった...
インドネシア人(イスラムの方々)は、ムシャクシャすると直ぐに「火」を点ける...街中の彼方此方から、まるで「狼煙が上がる」様に煙が上がっていた...
写真:ここは行き先が異なるバスがあるので、「ブロックM方面行き」のバスはどれか?と停留所常駐の職員に聞いて「1番」バスに乗らないといけない...ホテル メンテン 1 ホテル
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
特に、ここ「中華系インドネシア人達が多く住んでいた街:コタ」は(イスラム教の)人々の格好のターゲットとなり...
写真:バスは次々に来るのだが、「1番」がなかなか来ない...間違えて乗らん様に...イビス バジェット ジャカルタ チキニ ホテル
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
シャッターを閉めていた商店は、無理やりこじ開けられ、略奪され、火を放たれ、燃やし尽くされた...タマン イスマイル マルスキ (TIM) 博物館・美術館・ギャラリー
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
その間、3000人以上もの(主に中華系インドネシア人達が)殺された事が、当時の新聞記事には載っていた。本当にエゲツなく、無惨な写真が大量に出回り、世界を震撼させた...(その後、駐在員やその家族は、大慌てでこの国を脱出する事になる...)
写真:あゝ、懐かしい...足元にインドネシア語...言葉が理解できるってやっぱええなぁぁ...メルキュール ジャカルタ チキニ ホテル
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イチオシ
【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
その後、現政権にずぅっと不満を募らせていた知識人達も加わり、シュプレヒコールを挙げ始め、
当時、アトマジャヤ大学(あれ?トリサクティ大学だったかなぁ...)という大学の学生が軍の発砲により亡くなった事件を発端に、スハルト政権に対する不満が一気に爆発...インドネシア中にデモが広がり収拾がつかなくなっていった...この機に乗じて、軍隊も大統領派、反大統領派(市民派)に別れ仲違いが起こり...
...長期に及んだ第二代スハルト軍国独裁政権が、一気に倒れる事となったのである...(ちなみに今の大統領プラボゥ氏は、スハルトの三男の放蕩息子で、当時は親の七光で軍幹部に付けたどうしょうもない男との評判であったので、今回、ジョコと代わり第8代大統領になったという情報に触れるに付き、なんだか思うものがあった...)
写真:確か...この奥に、良く遊びにきていたお店があったなぁぁ...とか思い出す...アーヤドゥタ メンテン ホテル
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【コタ・バタビアカフェの朝食を...】
それ以降、大統領が次々と代わる事となり(グスドゥル/ハビビ/メガワティ等)、政治も経済も安定しない状態が3~5年に及び続く事となった...(我々駐在員達は、家族を皆日本へ帰し、それ以降、1年間以上は単身赴任が続き、我々自身もいつでも脱出できるオープンエアチケットといくばくかのUSドルキャッシュを常に手元に保たねばならない時代が続いた...)
当然、その暴動、経済混乱以来、この崩壊してしまった『コタ地区』には近づけなくなってしまい、私の「コタ」は、そこで終わったのであった...
...終わり...サリナ 百貨店・デパート
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この旅行記へのコメント (2)
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- れいろんさん 2024/12/01 17:44:03
- コタ1号さんの「コタ」は?
- コタ1号さん、こんにちは。
コタ1号さんのコタとは、かつて赴任していた(?)このコタだったのですか?
人に歴史ありとは言いますが、コタさんは「海外歴あり」すぎです。
個人的には、「コタ1号さん+ブラジル」×私+南部住経験あり = 親しみ深し&や共感強し だったのですが、コタ1号さん=コタ=インドネシア=親近感、という人も多いのでしょうね。
ワールドワイド過ぎです。
タイは暑季になるのですか?
私の住む富山は12月に入って、本格的に冬の日本海側の天候になってきました。
真っ青な空とはしばらく会えないかなぁ?
機会があれば、帰国時に富山にもおいでください。
れいろん
- コタ(Kota)1号さん からの返信 2024/12/02 10:07:53
- RE: コタ1号さんの「コタ」は?
- れいろんさま
こんにちは。ご無沙汰でございます。
そうなんです。
私は生まれて初めての赴任先がジャカルタだったんです。当時は、赴任先としては人気がなく(誰も希望するものがおらず)生活するのは本当に大変な国でした(今考えると、現在は、インド/バングラ/パキ等西アジアまで事業が拡大し、そこに行かざるを得ない若者を見ていると、ネシアはまだマシだった...と思わざるを得ませんが...)。
そんな最初の国は、当時は本当に大変(に感じ)で、思い出すのも辛いぐらいだったのですが、振り返ると思い出深い国(その国自体というより、そんな国で当時支えあっていた日本人上司たちや日本人の仲間に対する思い出が深すぎ)なんです。
前ばかりを見て歩いてきた人生ですが、自然に年月が経ってしまい、嘗てお世話になった諸先輩方も鬼籍に入られる方が増え、そろそろ自分の過去を振り返り、思い出に浸る年齢になって参りました...あゝ、人生二生ぐらい欲しいですね...
ところで、私の女房は富山出身なのですが(あ、お伝えした事ありましたっけ?)、もう数年...いや、10年近く富山には足を延ばしておりません...食事(海の幸)も空気も水も全てが美味しく、景色も素晴らしくetcetcいい所というのは重々承知しているのですが、やっぱり私は...寒いのは...どうしてもダメなんです...
なので、毎年の里帰りは、女房と娘だけ...先方のお父さんにはもう顔も忘れられております...しょぼ---ん...
では、では。メッセージありがとうございました。
コタ@
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