2024/08/22 - 2024/08/25
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kasekunさん
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最後はケニア(人口約5000万人)。新しくできた列車に乗って世界遺産見て、東アフリカ周遊を終えたかったのですが、列車乗車できず、、。代わりに、サファリ試みてみました。ビッグ5は見れないけど、サイのぶつかり合いを間近で見て、満足満足!
ガーナのモレNPでアフリカ象、スリランカサファリでアジア象、そしてナイロビNPでキリンにサイ。野生動物はやっぱりすごいです!
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8/22。ウガンダ編からの続き、、、。
ここはウガンダとケニアとの国境。
東アフリカツーリストVISA持ってるんですんなり行けると思ってたのに、、、よくわからん事態に!
入国管理官にパスポート出したら、、、「こっちに回って来い!」と。ン?何かあった? 言う通り、後ろに回り込む形で行くと、、、
「この後の予定表を全て出して!」とのこと。??「帰りの航空券なら持ってるけど、後の予定は現地で決めるからない!」
「とにかく、予定がわかる書類、全部出して!」「だから、ないって!VISA持ってるんだから、それでいいっしょ!」
、、、「これはツーリストVISA。観光の為のVISAだ。だから観光の予定表全て見せて!」だって!
「前回、ケニア訪問時には国境でVISAとって入国したけど、何も予定表等必要なかった!」反論したけど、「それはケニアでVISA取ったから。君のVISAはルワンダで取ったVISAだから観光の予定表が必要!空路なら必要ない!」とのこと、、、よくわかりませんが、入国印を押してくれない。
、、、どうしたもんか?、、、「じゃあ、ケニアのVISAをここで取ったらいいのか?」、、、もうめんどくさくなり、ケニアのVISA代50ドル払いました。(ルワンダ発券の東アフリカツーリストVISAでは、陸路でケニア入国には、ホテル、交通機関全ての予約表が必要みたい、、、。でも、、もしかして難癖つけての賄賂要求だったのかも、、よくわかりません。レシートはくれませんでした。) -
50ドル取られちゃった感はありますが、東アフリカツーリスト(ルワンダ、ウガンダ)VISAが100ドル、ケニアVISAが50ドルと思うようにします、、、。旅行を楽しみたいので、、、。
※誰か試みて、真相はどうなのか教えていただければ幸いです。
で、速攻でナイロビ行きのマタツを見つけて乗車!料金2000ケニアシリング(2000円程)。 -
国境付近で買ってきたジャックフルーツ食べてみました。
この味、やっぱりどこかで食ったような気が、、、。 -
道中、、、
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ケニアには2019年冬、コロナが流行する直前に1度訪れました。エチオピアからミニバス乗り継ぎ、ナイロビへ。ただし1泊2日のみ。モヤレという町からナイロビへの道、昔はトラックバスで2泊3日かかった悪路。でもこの時は既に舗装され、昼の2時に出発し、次の日の朝5時にはナイロビに到着できました。
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「ナイロビは治安が相当悪い」との歩き方情報があり、警戒しておそるおそる町歩きして、、、でも、なんだかそんなでもないような。
あれから5年、、今のナイロビはどうなんだろう? -
夜8時、ナイロビ到着。マップスミーで現在地確認したら、ナイロビ駅がすぐ近くだった、、、。(写真中央にあるのがナイロビ駅)。ちょっと覗きに行ったら、ローカル列車に乗れそうな雰囲気。(ここは地方に行く列車の始発駅。モンバサ行きの駅は別の所。) またいつかの機会に、、、。
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さて、どうしようか? 明日、モンバサ行きの列車に乗ろうか?それとも、今日夜行バスでモンバサへ行き、明日の列車で戻って来ようか?(あんまりもう時間もないので、、、)
で、決断!モンバサまで行こう!(この時は列車には簡単に乗れると思ってた、、、) -
どこでモンバサ行きの夜行バスに乗れるか、たまたま声をかけてきた人に尋ねたら、、、。
ケニアの方もホント親切ですね!「俺に着いてきて!」と、、、。で、このバスに!2000シリング(約2000円程) この方に会ってなかったら絶対に見つけられなかったと思う。夜のナイロビ、バスは幾多もあるんです。きっと、「日本から来ました」それから、「ルワンダとウガンダ訪問してから今ナイロビ到着したばかりなんです。」、、、これがよかったのかも?
「ルワンダ、ウガンダ?あそこは人を殺す狂ってる国だ!ケニアは安全ないい国だよ!」、、そう話してくれました。どうやらケニアの人たちはそのように隣国を見ているようです。
で、このバス乗って、世界遺産の町モンバサへ。 -
日付は8/23。朝8時、モンバサ着。ウガンダのトロロから一気にインド洋沿いの町モンバサ、、、。バスの旅も慣れてきました。
バスターミナル近くのチェーン店で朝飯。インド食です。モンバサでの目的は「世界遺産モンバサのジーザス要塞」と、ナイロビ行き列車乗車のみ。 -
通り道にあった「タスクス」まで、まずはてくてく。
故英女王エリザベス2世の王女時代、訪問を歓迎するために造られたのだとか、、、でも結局、急遽女王に即位する事態となり、訪問できずに終わったのだとか、、、。 -
象牙(アルミ製だそうです。)、、、初めはケニアで有名な象で歓迎する為?、そんなもんかなと思ってましたが、なぜに象牙?という疑問が出てきました。もしかして、この象牙には、女王への暗黙のメッセージが込められてるのではないか?と思うようになりました、、、。
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こんなでっかい象牙のオブジェクトです。
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アフリカ象のオブジェクトで出迎えならわかるが、なぜに象牙なんだろう?
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てくてくてくてく、、、
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モンバサは近代的な町です。
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大きなヒンドゥー寺院があったので入ってみました。この町にもインド系の人々が住んでいるようです。
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で、てくてくてくてく、、、やっと世界遺産に到着!
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やはり、世界遺産ともなると観光客もたくさんいます!
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ケニアには文化遺産が4つ程ありますが、そのうちの1つ「モンバサのジーザス要塞」です。
※ちなみにあと3つは
○ミジケンダのカヤの聖なる森林群
○ラム旧市街
○ティムリカ・オヒンガの考古遺跡 -
同じように見学に来た子供たち。ガーナで毎日のように一緒に家まで帰った子供によく似てたんで、写真撮らせてもらいました。(もちろん、お母さんに撮影承諾済み)
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入場、、、ホントめんどくさいんです。お金払って入場ならあっという間なのに、ネット決済しなければ入れません。クチコミにも投稿しましたが、この方法が現在のケニアの観光料徴収の方法。結局いっつも外国人入場に不備があるらしく、そこの係の人の名前でチケット購入してもらい、ケニアシリングで代金渡し、入場してました。政府にしっかりお金が入る仕組みのようですが、とにかく面倒です。
※入場料1250ケニアシリング。(1250円程) -
扉、、、ザンジバル同様、イスラム圏同様ですね。
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調べた所、ここジーザス要塞は、ポルトガルが建設した要塞。後にオマーンのザンジバル王国に摂取されたようです。
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たしかオマーン国旗も一緒に掲揚されてました。
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と、思ったけど、、、あれ、どこの国旗?
※調べてみたら、、、東アフリカ共同体の旗でした。EUと同じように、将来は東アフリカ諸国の統合を目指しているようです。 -
「1500年からの第一次攻撃、1528年からの第二次攻撃、1589年からの第三次攻撃でついに、モンバサはポルトガル(当時はスペイン・ポルトガル同君連合)の手に落ちた。1593年よりフェリペ2世の命令により、イタリア人のジョヴァンニ・バティスタ・カイラティ(Giovanni Battista Cairati)の指導のもと、ジーザス要塞の建設が開始された。要塞の形は、「神の完全なる創造物である」人間の形を模したものであり、ルネサンスの時代背景がこの要塞に残っている。」
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「もっとも、ポルトガル海上帝国の覇権は17世紀に入ると、イギリス、オランダといった西ヨーロッパ勢およびオマーン帝国の挑戦を受けることとなり、1678年には、ポルトガルの北東アフリカにおける唯一の拠点となってしまった。1698年12月には、33ヵ月にわたるジーザス要塞包囲戦の末、ついにポルトガルがジーザス要塞の放棄を決定し、オマーンが支配することとなった。その後、ポルトガルが1728年に一度のみジーザス要塞を奪還することに成功したが、ポルトガルの奪還は18ヶ月で終わり、再度オマーンが保有することとなった。オマーンの支配は、イギリスの植民地化が完成する1885年まで続いた。イギリス統治下のジーザス要塞の用途は牢獄であり、1958年の国立公園化まで継続した。」
以上、ウィキより、、、。 -
歴史で勉強する「大航海時代」に建造されたということですね。
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交易で活躍したスパイス!
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この要塞の外はインド洋。ザンジバルも近くにあります。
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かつてはここにたくさんのスペイン、ポルトガル船が来航してたんでしょうね。
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地元の観光客もたくさん訪れていました。
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ガーナで訪れたたくさんの沿岸におかれた要塞、思い出します。
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マサイ族の方も、観光誘致に歌や躍りで歓迎してくれます。
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要塞から海への出入口。ガーナのケープコースト城でも Door of No Return(帰らずの扉)がありました。ここも、奴隷たちがこの帰らぬ扉をくぐり、世界中に売り渡されて行ったのでしょうか。
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モンバサ、、、いい天気でした。
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近くにはモンバサ旧市街もありましたので、ついでにてくてく、、、。
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やはりザンジバルの町並みと似ています!
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途中、バックパッカー御用達の宿がありました。時間があれば1泊してもいいんですが、帰国日が近づいて来てるので、夕方の列車でナイロビに戻ります。
コーヒーだけ飲んで、、、 -
モンバサ旧市街を少し、、、
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お散歩、、、
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さて、そろそろ駅に向かいます、、、。ここはモスク!緑色が映えてます。
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バス旅も慣れてきました。モンバサ駅はかなり遠いので、マタツを乗り継いで向かってみました。
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道中、、、
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モンバサ駅到着!
※モンバサから駅までの行き方。
町から大陸の方へ向かうミニバスで、終点まで50シリング。そこから駅まで行きたいと示せばミニバスを教えてくれます。で、終点まで。30シリング。そこから2キロほど歩けば駅到着でした。駅まで直接ではミニバスでは行けなかったです。(安全上?かなり厳重に警備してました) -
ワーオ!いっぱい乗りに来てる!
、、、タンザニアでは成功しましたが、ケニアでは失敗でした。荷物検査の行列やっと通ったのに、当日券はフル!、明日もフル!と言われ、撃沈しました。みんなネット予約で乗車してました。 -
いいなあ!うらやましいなあ!と駅に入っていくツーリスト達を横目に、昼飯食いました。
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結局、荷物検査でライター取り上げられただけの結果となってしまいました。いつか絶対乗ってやる!
列車チケットの購入先
https://metickets.krc.co.ke/index.php
次来るときには完全予約ですね。 -
悔しいので「町まで1000シリングだ!」というタクシー達を振り切り、てくてくてくてく、またマタツ乗り継いで町へ戻りました、、、。
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さて、ナイロビ行きのバスはどれ?
戻りはバスではなく、vip乗り合いタクシーで、、、。(たしか料金変わらず2000シリング) -
ちょっと変わった物(これ!)が、この地方の名産品みたい、、、。山積みされて売ってました。
味は、甘酸っぱい、種がある不思議な食べ物でした。 -
日付は8/24。ウガンダからの2泊はバス泊。かなり強硬、、、。早朝にナイロビ到着。まだ真っ暗で、あの不思議な食べ物つまんで朝を待ちました。(危険な匂いは全く感じませんでしたので)
最後の観光はナイロビ・ナショナルパークに。サファリはしないけど、せっかくケニアに来たからにはいろんな動物も見たいので。ちょっと歩くのは遠いけど、最後なので町並み見ながらてくてく行きます。
https://kws.go.ke/node/427
ここは通り道にあった植物園? -
到着しました。かなり歩いたけど、苦にならず、、、最後ですから。
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ここもご多分に漏れず、チケットはネット購入。最初、自分のスマホで試みてみましたが、写真アップがうまくいかず、結局、係の人のチケット購入。それを自分のスマホで撮影し、やっとチケットゲット!ホントめんどくさい!
チケットは「サファリ トゥー ウォーク」。3005シリング。(3000円程) -
ほー、歩きながらのサファリってこういうことか!日本のような檻に入ってる動物を見るのではなく、広い敷地内に飼われてる動物たちを歩きながら見ていくスタイルのようです。
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チーター?レパード?がいるよ!と教えてもらったけど、わかります?
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サイだ!
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あっちに行けばキリンがいるぞ!と飼育員たちに教えてもらいました。そしたら、、、キリンがポクポク、餌探しながら歩いてました。
飼育員から餌をもらい、直にキリンに餌やり!初体験!(後からチップ必要!) -
シンバ!!カッコいいですね!
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グリーンランドのイリルサットように、歩く道がこんな感じに整備されてます!
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地元の方も大勢!ここは何てったってナイロビの中ですから当然ですね。
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道の先にはこんな風景が、、、。
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ここはナイロビ市内、改めて考えてみると実に不思議!
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野生動物が人々の生活の場で一緒に暮らしてる、、、
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道の行き止まりには、小さな滝?が、、。歩くサファリ終了!
で、入り口に戻って来たら、、、あれ?4駆車に乗ってサファリに向かう人たちが、、、本格的なサファリみたい、、、。
どうやったら自分も参加できるんだろう?なんだかうらやましくなり、ゲート入り口の係の人に尋ねてみました。
「右側(入り口の左)に行って尋ねてみな!」
で、ジープが溜まってる所に行ってみると、「全て込みで215ドルだ!」とのこと。ドライバーがネットで入場料を払ってチケットゲット。それを客が現金で買うというシステムのようです。でっかい6人乗りのランクルで、たった1人の客(自分)を乗せ、4時間ほどのサファリに参加しました。
※200ドルは前金で。終了後、15ドル分はケニアシリングで支払いました。(これはドライバーへのチップです。)
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このランドクルーザーです!でっかい車にたった1人の自分、、、。どうやら小さめのランクルは家族用に使われて、残ったのがこの大きなランクルのようです。
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人生初のサファリ(歩きサファリだったかな?)はガーナのモレナショナルパークで。たしか出張の帰り、仲間とみんなで訪れ、アフリカ象を見に行った。
※意外にもガーナで象が見られるのはここしかなかった。 -
※クロコダイルは北部ガーナでも見れる。跨がせてくれる。
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2度目は嫁とのスリランカ旅行で。大名旅行して、アジア象の群れを見に行った。
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オー!野生のキリンじゃー!
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さっき餌やりしてきたけど、でっかいゼー!
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バッファローか?
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このナイロビNP、けっこう広いらしい。ドライバーさん、いろんな車と情報交換しながら、動物たちを追っかけて見せてくれる。
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んー、アフリカの大地ですね。
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ゼブラ発見!リアル「ライオンキング」の世界です。(マサイマラだともっすごいんでしょうけど、、、)
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やっぱり「歩くサファリ」よりずっといいです!
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で、このナイロビNPでの1番の目玉!クロサイ発見!スッゲー!
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ホントにホントにスッゴーい!
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このクロサイのぶつかり稽古の光景はマジでよかったです。この光景見に、他のランクルがたくさん集まってきました、30分くらいずっと見てました。
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ドライバーは、「クロサイがこんなに見れるのはここだけだ!」と言ってました。マサイマラでも見れないらしい、なんか、サイを保護するためにこのナイロビNPに集められたんだとか。
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それから、「TOYOTAのランドクルーザーは最高の車だ!」とも。たしかに、ここのサファリ、ランクルだらけ。
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これは、、、?名前、知りません。アンテロープか?
そうそう、なぜに車が近づいても動物たちは逃げないのか?ドライバーさんに聞いてみると、、車から人が降りたら速攻で動物たちは逃げるとのこと。、、、どうやら、動物たちには、車は安全な生き物として認識されてるらしい。 -
で、サファリ終了!でも、ホントの最後の最後に連れてかれた所が、、、
(写真撮ったのに、保存されてなかった!)
そこは、、、象牙が燃やされた場所。Ivory burning site。(1989年に密猟者から押収した象牙の焼却処分をした場所。これは密猟根絶のため、象牙取引を今後一切認めないという意思表示のために行われた。)
野生動物たちを見たあとにここに行く、、、まさに「プロジェクトワイルド」(環境教育プログラム)そのものですね。
考えさせられました。、、、 -
せっかくなので、動物孤児院にも、、、
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ここに設置されてるオブジェ。「共生」を意味してるのかな?
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この日は、なんだかいっぱい考えました。
象牙の印鑑を高級品として扱うアジア人。サイの角を高価な漢方薬として使うアジア人。象牙、サイの角は貴重な収入源として扱われ、それが密猟の原因となってきた。
てくてくてくてく歩いているといろんなことを考えてしまう、、、
この日はナイロビ町中のホテルに1泊。(たしか2500シリングだったかな?) 夕飯はスーパーで特売されてた49シリングのホットドック、、、ケニアの物価も思ってた以上に安い!
(追記)そうそう、街中のホテルの近くにストリートチルドレン(年齢的には中学生)たちが、、、。ちょこっと話聞いてみたら -
8/25。とうとうアフリカでの最終日。最後の朝飯はこれ! 東アフリカの主食?ウガリ!! なんだかんだで避けてたウガリ、、、最後はやっぱり手食で食べて帰ろうと、、、。15年ぶりに食べました。ガーナのバンクーとは違い、酸味はなかった。なーんだ、けっこういけるじゃないか、、。
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そして、この旅で学習したミニバス乗り継いで空港へ、、、。
※ケニアのミニバス、進化してます。なんとモニター付き。プロモーション音楽ビデオ流れてました。
※行き方
①町からマップスミー頼りに空港行きの道をてくてく。ミニバス乗り場を見つけ、エアポートジャンクションに行きたいことを告げたらこれに乗れと。100シリング。 -
②途中、ここで降りてこのバスに乗車。(車掌が案内してくれる。)で、このバス(50シリング)で、エアポートジャンクションまで。
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③そこで降りててくてく5キロ程歩けば空港到着。
※空港近くにバス停発見!きっと町から空港行きもあるようですが、どこで乗るのかはわからず。
※ケニアの治安、古い「歩き方」に記載されてる程、悪くはないように感じました。夜も昼も自分歩き回りました。コロナで一変したのかも?
ナイロビ16時45分発ームンバイ翌日1時30分着。のはずが、ディレイ!バンコク行きの乗継便に間に合わず、、、。仕事に間に合わせるため、別の航空券(ムンバイ→デリー→成田)を購入するものの、今度はデリー行きがディレイ! -
航空会社持ちで、デリー5つ星ホテルに宿泊。
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3度の飯、全て無料だとはいうものの、職員会議に間に合わず、、、。年休も1日追加。ただでさえ年休少ないのに!
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あーあ、、。デリーではどこにも行かず引きこもり、、、。せっかく歩いて痩せたのに、また太っちゃいました。
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8/28。日本にやっと帰ってきて、、、ラーメン、餃子食いました。(結局、リバウンドしちゃう、、、)
※実はこの後の成田→千歳の春秋航空もディレイ。最後はディレイ続き、、、。そして、1ヶ月駐車してた車はバッテリーあがってて動かず。JAF呼んで、、8/29夜中2時自宅に到着しました。(´ω`)
それでもアフリカ旅行楽しかったです。今回の旅のキーワードは「共生」ですね。他民族との共生、人間と動物たちの共生、、これにつきますね。
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