2024/09/12 - 2024/09/12
250位(同エリア6430件中)
ベリーニさん
いよいよウィーン最終日。
最後はハプスブルク家の墓、カプツィーナ霊廟(カイザーグルフト)へ詣で別れを告げるつもりだった。
マリア・テレジアの荘厳な棺を見ると…前には不釣り合いな簡素な棺…彼女の息子の棺だった。
また、不幸だった美青年ナポレオン2世の棺は、ヒトラーによってこの霊廟からパリへと運ばれていた事を知る。
第一次世界大戦の弾き金となった有名なサラエボ事件で暗殺された皇太子の棺もここにはなかった。
身分が低かった妻は、ハプスブルク家の墓に入る事を許されなかったそう…
2人は別の墓へと一緒に葬られた。
そして、他にもハプスブルク家の墓に入れない皇帝が居る。
ハプスブルク家の最後の皇帝カールだ。
第一世界大戦で敗れたオーストリアは皇帝の支配を許さなかった。退位したカールはマデイラ島に流されて、バターすら買えない困窮の果てに亡くなった。
その遺体は未だに、オーストリアに帰ることは許されない。
ハプスブルク家の霊廟には彼の白い胸像のみが有る…
あぁ、墓を知ると時代と共に生きた皇帝達の生き様を知ることとなった。
幸せな皇帝って居たのかなぁ…ズーンと沈んだ気持ちになって霊廟を出た。
-
ウィーンは冷たい雨。もう晴れ間は出ない。
夏服しか持ってないのに季節外れの寒さが襲う。 -
『リングシュトラーセの中は天国、外は地獄』
と言われたリングシュトラーセの外に出かけてみます。 -
【マリアヒルファー通りのゲルングロス】
ウィーンで地元の方が行くデパートと聞いて出かけて行った。
魅力的な物はなかったけど、暖かくなれる服を買って早々に退散。
準備オッケー。
これから行くのは…ハプスブルク家の霊廟です。
ガイドツアーもあるそう。(残念だけど日本語なし) -
(写真はHPから)
ウィーン最終日にはここに来ようと決めていた。
ハプスブルク家の代々の遺体が安置されているカプツィーナ霊廟へ。 -
ハプスブルクの青い血の方々、150人が葬られている。
青い血というのは、『俺たち普通の人とは流れている血が違うんだ』っていう意味らしい。 -
地下へ入る…寒い…と思っていたら、アレッ…外よりこの中の方が暖かかった。
そうか…外は、大嵐ボリスの為に異常な寒さだったんだ。地下だから気温は逆に変化がなく一定に保たれているんだね。
霊廟では…
ハプスブルク家の方々の遺体は、しきたりに従い腐敗処理を施される。
葬いの儀式の為、長期の保存が必要だったから。 -
その為、亡くなると内臓を体内から取り出し…
取り出された内蔵は、心臓を除き、銅の壺に詰められてシュテファン大聖堂の地下のカタコンベに安置される。
カタコンベは、おととい、訪ねた場所だよ。 -
【写真はパンフレットより カプツィーナ霊廟の中の内臓保管】
一方で、心臓は、ホーフブルク宮に近いアウグスティーナ教会に安置される。 -
その後、体はワックスに漬けられてこちらの霊廟に葬われている。
この様な形で葬られた最後の人は、皇帝フランツ・ヨーゼフの父親だそう。 -
小さな棺は子供の物。
近親婚を繰り返したハプスブルク家、遺伝的な問題はあるあるだったそうで…奇形や障害…有名な外見はしゃくれ顎。 -
僅か一歳だった…
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マリア・テレジアの母 エリザベート・クリスティーナの棺
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エリザベート・クリスティーナ(マリア・テレジアの母)
夫のカール6世との間に男の子の嫡子が無く、長女のマリア・テレジアが帝国を相続する。 -
マリア・テレジアの母の棺 全景
男子を産む事が出来なかった母は、テレジアの男子出産を狂喜乱舞して喜びます。 -
カール6世の棺
マリア・テレジアの父。
そして、こちらの霊廟で最大の棺は…もちろん…わかりますか? -
【マリア・テレジアと夫・フランツ・シュテファンが2人で入っている棺。】
ここから偶然、ガイドさんの説明を聞けた。右の写真の方がガイドさん。博識だった。
2人は当時としては異例の恋愛結婚で、マリア・テレジアは幼い頃から思い続けたフランツ・シュテファン公と結ばれた。
フランツ・シュテファン公は、戦争は苦手で、戦地へ赴いても直ぐに逃げて帰って来る様な夫であったらしい。
でも、財政家、経営者として手腕に長けていたそうで…ハプスブルク家の財政を潤します。 -
フランツ・シュテファン(テレジア夫)は、ウィーン宮廷の中で、テレジアの添え物的な扱いをされ何度も屈辱を味わったそうで…
末席に座らされたり、『殿下』の敬称をつけられないなどなどは日時茶飯事…意地悪は酷かったそうです… -
【天井画は天使達】
妻・マリア・テレジアのハンガリー女王として戴冠式にも式典に入れず…窓をよじ登り中を覗いたそうです。
うーん…あんまりじゃないかと思よ。
優しく家族思いの父でだったシュテファン。
障害のあった次女を庇護していたのは父親のシュテファンだったそう。
(マリア・テレジアは背骨に障害のある次女を産んでいますが、愛情を注がなかったそう) -
【喪服のマリア・テレジア 写真はパンフレットから】
愛する夫・シュテファンが亡くなると、テレジアは生涯を喪服で過ごした。
マリア・テレジアは道徳に厳しかったそうで…不倫を許さず該当者が居た場合には密告させて処罰していた。
また化粧をしたり着飾ったりする事を嫌った。
ある時は女官の厚化粧を厳しく叱りとばした…と、その女官は怒って実家の伯爵家に帰ってしまったそう。
女官は、『私の顔はテレジア様から頂いた物ではなく、神から頂いた物です。自分の顔を好きにお化粧させて下さい。』と言って抗議して来た。
マリア・テレジアはさすがに自分がやり過ぎた…と気がついてそれからは、お化粧を許したそうですよ。 -
マリア・テレジアの荘厳な棺の手前にある、あまりにも質素な棺に気が付きますか?
これは【2人の息子ヨーゼフ2世の棺】
オスマン・トルコのウィーン包囲の時に戦った皇帝。
人民に寄り添い、余計な儀礼、冗費の支出を極端に嫌い、次々と(素晴らしい)改革を行いましたが…(その時代には)貴族にも、人民に受け入れられず…1人空回り。
失意と無念の中で亡くなります。
人民にも薄葬(葬式に無駄なお金をかけるな)を強制したので皇帝自身の棺も『質素過ぎる物』になってるそう…
棺を知ると人生を知る…みたいな気持ちになって来て…気持ちがどんよりして来ました。 -
国旗が手向けられいる【マクシミリアン(同名が多い)の棺】
メキシコ王となりますが…民衆の支持は得れず…
フランツ・ヨーゼフ(エリザベートの夫)の弟です。 -
【皇帝マクシミリオンの処刑 エドゥアール・マネの絵 パンフより】
メキシコで、革命軍によって銃殺刑で処刑されます。
真ん中がマクシミリオン、両側の2人は将軍。
常に夫を支え続けた妻のカルロッタは、発狂…
周囲の裏切り、憤怒、恐怖…皇后の精神は崩壊します。
ガイドさんの説明が素晴らしいです。ただ、知れば知るほどズーンと落ち込んで行きます。 -
有名な…フランツ・ヨーゼフ一家。
左からエリザベート妃、フランツ・ヨーゼフ、皇太子ルドルフ -
3人の中で1番早く亡くなってしまったのが皇太子であり1人息子だった『ルドルフ』
拳銃で心中自殺をしていますが…謎の多い死。
後、エリザベートは3人の女の子を産んでいます。
長女のソフィアは、2歳で病死。エリザベートが反対を押し切って連れて行ったハンガリーへの旅の最中でした。
これで、エリザベートと姑との不仲は決定的となった… -
エリザベート妃の棺
172cm 50kg、髪の重さが5kgだったそうだから実際には45kg…
61歳で殺害されるまで変わらなかったそうで。
宮廷には帰らず旅に明け暮れたエリザベート妃…
彼女は、英国女王から借りた大型ヨットに乗って、地中海の島々を巡り、特にコルフ島が気に入ったそうで…
自分の骨をコルフ島の沖合に撒いて欲しいと願っていたそう。 -
エリザベートは旅先のスイス、レマン湖でアナーキストのイタリア人『ルイジ・ルケーニ』に紙やすりの様な物で胸を細く刺されます。
コルセットのせいだったのか、本人には刺された自覚はなかったらしく…『時計を盗みに来た暴漢とぶつかった』と話し、何事もなかった様に…一旦は蒸気船に乗ったそうですが…船の中で容態が急変。
侍女がエリザベート妃の服を緩めて…傷に気がついた時には…妃は「私、どうしちゃったのかしら?」と言い、それが最後の言葉になったそう。
心タンポナーゼで亡くなっています。 -
【写真はGoogleより】
この霊廟に葬られてない事で有名な方を紹介されました。
この美青年が
ナポレオンの嫡子、ハプスブルク家のマリー・ルイーズとナポレオンの間に産まれた子。 ナポレオン2世。 -
美男子で聡明…
21歳で結核で亡くなって…1940年まで、こちらの霊廟に母と葬られていたそうですが…
(ナポレオンを尊敬していた)ヒトラーが、ここからパリのアンバリッド聖堂(ナポレオンが葬られている)に移しています。
今は、父と一緒に眠っているいう事ですね。 -
【フランツ・フェルディナントとゾフィー】
彼らもこの霊廟に入っていない事で有名だそう。
身分違いの恋で知られる2人は共にサラエボで暗殺されています。
(第一世界大戦の弾き金となった…あのサラエボ事件です)
妻は身分が低い為に、元からハプスブルク家の墓に入れない事が決まっていて… -
【フェルナンドとゾフィーの墓 Googleより】
夫は、妻と一緒にアルトシュテッテン城の地下の聖堂に埋葬されました。
フランツ・フェルディナンドは若い時に日本にも来ていて明治天皇にも会っているんだそう。 -
こちらは、最後の皇后・ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ(ドイツ語: Zita von Bourbon-Parma)
美貌のツィタですが、兄姉に知的障害者が多かったりと…カールとの結婚には紆余曲折あったそう。 -
【夫がこちらカール1世 Carolus】
胸像だけです。
遺体はこの霊廟には入れず…亡命先のマデイラ島に有る…
フランツ・ヨーゼフ(エリザベートの夫)の死後、カール1世として即位する事になった。
本来ならサラエボ事件で亡くなったフェルディナンド皇太子のが即位するはずだった…
2人が暗殺されて即位がやって来た。
これが運命だったのか…
即位後たったのの2年…第一世界大戦で敗れたオーストリアは皇帝の支配を許さなかった。
ハンガリーで捕まって
ポルトガル領のマデイラ島へ流された。
薪も買えず、風邪をひいても医者に見せるお金も無かったとか…
カール34歳…風邪を悪化させ亡くなります。困窮の果てだった…(バターも買えなかったくらい)
ハプスブルク家…最後の…皇帝の姿です。 -
【イシュトバーンの王冠を戴くある日のカール1世・マーチャーシュ聖堂にて】写真はパンフレットから
ハンガリー王となる為には、イシュトバーンの王冠を被らなくてはならないそうです。
…(ブダペストの旅行記『あぁ、女神様この王冠を… のアレですね。)
場所は、ハンガリーのマーチャーシュ聖堂
…(何百段の階段を登ってクイズに参加したあの聖堂ですね。)
皇帝として復権しようと試みたそうですが…時代には勝てませんでした。 -
最後の皇后 96歳で死去
カール1世の退位を否定し続け、ハプスブルク家の崩壊に立ち会った皇后。
彼女も、金銭的にも苦しい苦しい生活を送ります。
各地を転々とし最期はオーストリア国境のスイスの修道院で数十年間を暮らし亡くなったそう。 -
【写真は霊廟のHPより】
ツィタ、90歳…
娘の墓参りに来る事を許された…やっと…
その時にはオーストリア国民はこの最後の皇后を歓迎して迎えたそう。 -
1989年
スイスの修道院で亡くなったツィタは、ウィーンのハプスブルク家の墓(こちらですね)に葬られます。
心臓は(他の方とは違い)スイスのムリ修道院に葬られています。カールの心臓も一緒だそう… -
【オットー Otto 2人の子供・最後の皇太子】
98歳で亡くなる。幼少期のほんの少しだけシェーンブルン宮殿で過ごした。
この時フランツ・ヨーゼフ老帝(エリザベートの夫)と一緒に過ごす。
ヒトラーや、時の権力者から、ハプスブルク家の再興を持ちかけられたそうですが…(傀儡政権にしてオーストリアを支配しようという考え)
オットーは、ハプスブルク家の再興よりもオーストリアの独立を選んだそう。
また自分が働いたお金もオーストリアの為に使い、自分は借金だらけだったそうですよ。
彼をオーストリアの国民は愛しているそう。
贅沢だったハプスブルク家のかつての皇帝達の姿とは…違う姿。 -
亡くなったのは、2011年…13年前。最近です。
手紙が手向けられています。
母・ツィタは、彼には帝王学を仕込み、オットーは自分の領地に当たる数カ国語を話せたそう。
母・息子はハプスブルク家の墓に葬られるも…父は…未だに帰れず…胸像だけ。
博識のガイドさんありがとうございました。 -
皇帝達の墓を知ると、皇帝の生き様死に様を知る事に繋がった。
処刑や発狂…
華麗な部分だけを見ていたけど、幸せな皇帝っていたのかなぁ…
重い気持ちになって心はズーンと沈んで霊廟を出た。外の空気は冷たい。ウィーンは変わらず土砂降りの雨が降り続く。
これから、王室御用達のゲルストナーに寄って食事を頂きます。
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