2024/08/10 - 2024/08/13
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bajicoさん
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8月10日、旅もそろそろ大詰めです。ドレスデン最後の日は、終日ドイツ連邦軍の軍事史博物館で過ごしました。ドイツ史という結構デリケートなテーマを、ドイツ軍が公式にどう扱っているのか、興味がありますね。でも、私としては、子供のお供のつもりなので、あまり難しく考えず、気楽に訪問しました。
そして、翌日、8月11日はフランクフルトへ移動、DBはちゃんと私たちを運んでくれるかな。
旅の日程
7月29日 羽田からANAでフランクフルトへ
30日 鉄道でベルリンへ移動
30日~8月6日 ベルリンに7泊
シャルロッテンブルク宮殿、ゲメルデガレリー、ティーアガルテン、ブランデンブルク門、ポツダム、旧ナショナルギャラリー、地下社会ツアー、DDR博物館、空軍博物館、シュパンダウ要塞
6日 鉄道でドレスデンへ移動
6日~11日 ドレスデンに5泊
マイセン、アルベルティーヌム、レジデンツ、旧絵画館、陶磁器コレクション、ケーニヒシュタイン要塞、バスタイ橋、ドイツ連邦軍軍事史博物館
11日 鉄道でフランクフルトへ移動 フランクフルト泊
12日 ルフトハンザ機で羽田へ(翌日着)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今日も、アルベルト広場近くのパン屋さんのイートインで朝食だ。2日前とは別の店、本当にパン屋が多いね。
チーズがかかったプレッツェルがおいしかった。 -
お店の名前は「Wiener Feinbäcker Heberer」
日本語にすると「ウィーンの高級ベーカリー・ヘベラー」、フランクフルト近くの町に本社がある、ドイツの代表的なパン屋のチェーンらしい。創業者の息子がデメルで修業したんだって。さすが、ウィーンはお菓子とパンの都、ドイツの大手パン屋だって名前にウィーンって付けちゃう。 -
今日は、アルベルト広場から旧市街とは逆の、北に向かうトラムに乗る。「Stauffenbergallee」で降りた。
しばらく歩くと、こんなものが建っていた。第2次世界大戦で亡くなった赤軍兵士のためのソビエト戦争記念碑だ。ベルリン以外にもあるんだね。 -
10時半頃、軍事史博物館に到着した。
兵器庫だった古めかしい建物に、新しくクサビ形の構造物が突き刺さったカッコいい外観だ。1972年に開館した旧東ドイツ軍の博物館が、ドイツ統一後連邦軍に移譲され、一旦閉館。アメリカの建築家ダニエル・リペスキンドの設計により改築され、2011年にリニューアルオープンした。 -
正面玄関にはお迎えの彫刻
入場料は一人5ユーロ(825円)
広い館内の展示は、大きく2つの流れに分かれている。一つは時代別の展示、もう一つは分野別の展示。
私たちは時代別の展示を中心に、時々、分野別の展示にも目を配りながら、見学していった。何しろ広いんだもの。 -
ハンス・ボールト「アルテ・リーベ」
1909年
クックスハーフェン港を出発する旗艦「SMSドイッチュラント」と、それに手を振る桟橋「アルテ・リーベ」の人々を描いている。 -
「竜の壺、或いは竜騎兵の壺」
1717年以前 景徳鎮製
アウグスト強王は17世紀の初め、自国に騎兵を削減して、余った騎兵600人をプロイセンに贈った。その見返りとしてプロイセン国王は、151点もの磁器を強王に贈った。
なんだか嘘みたいな話だ。磁器の名前は、竜の絵柄から来ているの、それとも騎兵と引き換えに手に入れたエピソードから来ているの、よくわからない。 -
鎧を着た兵士が鉄砲を持っているのは、何を説明しているのかしらん。
銃器が戦い方を変えていったって事かしら。 -
「グリボーバル・システムの説明」
グリボーバル・システムは、18世紀、フランスのグリボーバルさんが開発した大砲に関するシステムだ。
大砲の性能がアップしただけでなく、大砲や弾の大きさが標準化され、様々な省力化が図られた。
展示されているのは砲弾の運搬車。砲弾の大きさが決まっているので、それを入れる箱や荷車も標準化され、大量生産できるようになった。 -
「アドルフ・メンツェルが描いたビスマルクとモルトケの肖像」
1871年ドイツ統一の展示で、二人の大きな肖像画が飾られていたが、博物館の膨大な展示の中では、そう扱いが大きいとは思えなかった。
博物館の展示は特定の人物の事績を追うのではなく、できるだけ物、それも兵器ではない、道具や手紙、写真などによって説明する手法がとられているように感じた。
ところで、ビスマルクとモルトケはあまり仲が良くなかった。ビスマルクは外交官、政治家、モルトケは軍人だから、普仏戦争の進め方に関しては、よく対立したようだ。 -
「ユリウス・フォン・ローゼンから妻ベネディクテへの手紙」(複製)
1870年9月15日
ユリウス・フォン・ローゼンは、生まれた娘に、自分が戦ったグラヴェロットにちなんだ名前を付けるように、書いている。グラヴェロットは普仏戦争の激戦地。
実際、娘はアレクサンドリーネ・ベネディクテ・ヨハンナ・グラヴェロッテと名付けられた。 -
「鉄十字章をあしらったブレスレット」
プロイセン将校の娘、アレクサンドリーネ・グラヴェロッテ・フォン・ローゼン(1870-1946)が贈られた特別なブレスレット。
祖父がワーテルローの戦いでもらった勲章をあしらっていて、彼女は生涯身に着けていた。 -
「1906年ミラノ万国博覧会の写真」
1906年4月28日から11月11日まで開催され、40か国から35000の出展者が参加した。この見本市では、陸海空の輸送に焦点があてられた。
写真はエッセンを拠点とするクルップ社が発表した戦艦用の砲塔。
この時代は万博でも兵器が展示されたんだ。 -
「288個の肩章で作られたパッチワーク」
1910年頃
下士官たちは自分の所属軍団を示すため、様々な肩章を身に着けていた。
肩賞コレクションの壁掛け、きれいだ。 -
「ワイマール共和国末期の社会情勢」
第1次世界大戦後成立したワイマール共和国は、政治的に不安定で、選挙の時は極右から極左まで入り乱れて、街頭で乱闘を繰り広げていた。1932年の国政選挙では300人が死亡し、1100人以上が負傷している。
息子の説明によると、こうした状況に対する国民の不信感が、安定をもたらす体制なら何でもいいという方向に向かい、やがてヒットラーの台頭に繋がった。
フムリ、今の私たちの状況に近い気もする。大いに気を付けなくては。私たちのちょっとした選択が、戦争に繋がっているかもしれないんだ。 -
確か、東ドイツ時代、軍推奨の髪型ポスターだったと思う。
-
テルモス(サーモス)も展示されてる。
テルモスは元々ドイツで1904年に設立された会社だったっけ。その後1907年には米、英、カナダでもライセンス生産が始まり、世界中で販売されている。今は日本の会社。
さて、空軍の飛行士は飛んでる間ずっと寒さに耐えなきゃならないので、温かい飲み物が欲しい。それで、テルモスの魔法瓶が飛行士の必需品になった。 -
潜水艦「アイゼルナー・ゼーフント」または「ブランドタウハー」
1850年キールで建造
日本語にすると、アイゼルナー・ゼーフントは鉄のアザラシ、ブランドタウハーは潜水火船。
バイエルン生まれの発明家、ヴィルヘルム・バウアーが製作したドイツ初の潜水艦だ。軍が開発に資金を出し渋り、バウアーが考えた性能には到達できないまま、1852年にキールで公開実験を行った。実験は失敗に終わり、潜水艦は沈没した。1887年に引き上げられている。
バウアーの方は、その後ロシアに行き、潜水艦をもう一隻製作した。 -
「80cm列車砲ドーラの1/50模型」
史上最大の大砲、砲口の直径が80cm、総重量1350トン、砲身だけで400トンの重さがあった。列車砲だから移動は線路だけど、引っ張る機関車が必要。
第2次世界大戦の時、マジノ線突破のためにドイツ軍が開発したが、結局殆ど実戦には使用されなかった。
何で、こんな物を作ったんだろう。戦争って、こういう無駄な物も必要に思えてきちゃうんだね。
でもこの大砲、一部の人には人気があって、アニメにも登場してるみたい。 -
こちらはドーラの砲弾
でかい。威力はそれなりにあったようだが、打つために必要な膨大な労力を考えるとね。 -
ミサイルを上から吊り下げて、落ちてくるように展示しているので、ビクッとしちゃう。
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戦争と音楽のコーナーに、意外にも、マレーネ・ディートリヒがいた。
彼女はドイツ人だが、ハリウッドにわたって活躍した。第2次世界大戦で慰問したのは、連合国側だ。 -
これは、マレーネ・ディートリヒの前線でのユニフォーム
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頭を使い過ぎて疲れた。
最上階の展望台に登り、ドレスデンの町を眺めて、ひと休みだ。
博物館を見学して、説明文が日本語ではないので、はっきりしない所もあるが、特に愛国的な感じはしなかった。努めて、理性的、客観的な立場で説明しようとする姿勢が感じられた。今、私たちに必要なのも、理性的な思考と行動、感情的になってはいけないな、そんな事を思いながら、博物館の建物を出た。ドイツ連邦軍軍事歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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そうだ、外にも展示があるんだ。
外は戦車だらけ。 -
建物をぐるりと囲んで、戦車が展示してある。
私には種類なんてよくわからない。 -
ただ、旧東ドイツと旧西ドイツの戦車を平等に展示していたように思う。
午後5時過ぎにやっと博物館を後にした。 -
ここで、ドレスデンで利用したスーパーを紹介しよう。
アルベルト広場にある「Simmel-Markt」だ。品数が豊富で、牛乳、ジュースや夕食の寿司など、毎日利用した。お土産も買ったよ。 -
これはスーパー入口にあったペットボトルの自動回収機
ここに、リサイクルマークの付いているペットボトルを入れると、QRコードが付いたクーポン券が出て来て、そのクーポンをスーパーの支払い時に使うことができる。
慣れないとうまくできなくて、成功するまで、2,3日かかった。 -
Simmel-Marktで買った物の一部
お土産のワインとスピリット、それにZOTTのザーネヨーグルト
ザーネヨーグルトはちょっとクリームみたいでカロリー高めかもしれないが、おいしい。 -
ドレスデン最後の夕食は、賑やかだったホテル裏のパブの隣の寿司屋で
ちゃんと普通においしい握りでした。みそ汁もほっとした。Cuchi Restaurant 中華
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寿司屋とパブへ続く路地
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折角だから、最後のドレスデン散歩
今日は夕日がきれい。カトリック旧宮廷教会 (三位一体大聖堂) 寺院・教会
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エルベ川沿いのブリュールのテラス
ブリュールのテラス 散歩・街歩き
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ドレスデンHbf駅まで歩き、帰りはトラムで戻った。
ドレスデン中央駅 駅
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8月11日、朝食はホテルのテラスでゆっくり食べた。鳥がやって来て、暫く賑やかにしていた。
さあ、チェックアウトして出発だ。 -
ドレスデンからフランクフルトまでは、午前10時18分発のICEを予約していたのだが、ちょっと心配なことがあった。
DBのアプリにこの列車の情報が表示されないのだ。どうしてかなと思っていたら、前日になって告知が来て、列車番号が変わった事、発車時刻の変更はない事がわかり、少しほっとした。ただ、指定した席がどうなるのかはわからない。
ノイシュタットの案内窓口で聞いてわかったこと、「座席指定はなくなったので、列車に乗ってから自分で空席を捜してください。」
フランクフルトには行けそうだから、まあ良いか。幸い、ひと駅手前のドレスデンHbf駅始発だったので、席は空いていた。 -
結局、そんなに遅れることもなく、ちゃんと席にも座れて、無事にフランクフルトに到着した。
ホテルは行きと同じフレミングスホテル・フランクフルトセントラルなので、迷うことなくチェックイン。
まだ、午後3時過ぎ、街歩きだ。
息子はフランクフルト駅のファストフード店で何か買っている。 -
そう、フランクフルトソーセージ。
フランクフルト中央駅 駅
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フランクフルトのビルは高い。
観光客も、ベルリンやドレスデンより多いような気がする。
そして暑い。 -
レーマー広場まで来た。
ただ、日曜日なので、休みの店が多い。レーマー広場 広場・公園
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ぶらぶら歩いてザクセンハウゼンの居酒屋に入った。
リンゴ酒(シードル)で乾杯
やっぱり最後はシュニッツェルとフライドポテト
間違いない味だ。ドイツの良い所はシュニッツェルがあること。だって私が大好きなトンカツだもの。フィヒテクレンツィ 地元の料理
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12日朝、ドイツ出発の日、今日もゆっくりホテルで朝食を取り、空港に向かう。
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息子は、パタパタの旧式掲示板だと喜んでいた。
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珍しく2階建ての大型飛行機だ。
この飛行機はアメリカから飛んできたのだが、1時間遅れて着いたので、出発も1時間遅れた。
羽田に着いたら暑かった。ドイツの気候に慣れた体には、日本の猛暑は耐え難く、数日間自宅のエアコンを止めることができなかった。これは私にしてはかなり珍しいことだ。フランクフルト国際空港 (FRA) 空港
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それではお土産
今回は、と言うか、今回も、お土産は少なめ
アンペルマンのTシャツは24.95ユーロ(4117円)とちょっと高かったが、他に良いTシャツが見つからないので買った。持参したTシャツが少なかったから、買う必要があったのだ。 -
お土産、その2
コースターは居酒屋(ビアホール)でもらったものだ。我が家で使っている。
電気コードは、持参した携帯湯沸かしポット用。肝心のコードを持っていくのを忘れて、慌ててドレスデンで買った。 -
お土産、その3
これが一番ちゃんとしたお土産かな。
息子がバウハウスの臨時ショップで買ったポスター。
持ち帰り用の筒も入れて17ユーロ(2805円)
ベルリンとドレスデン、旅の目的地としては2番手だったけど、すごく良かった。特にベルリンは首都にしてはのんびりした雰囲気でまた行きたいな。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ねもさん 2025/07/07 09:26:18
- ドレスデン
- 尾瀬に返信ありがとうございます。
ドレスデンでゆっくりされて(^^) うらやましく拝見しました。
8年前にプラハに滞在したとき、ドレスデンが近いじゃんと思いましたが、市内やプラハ周辺には見所が多くて😅
次はドレスデンやハンブルクに!と思っていたら、コロナ禍やフライト料金の値上がり(((゚д゚;)))
- bajicoさん からの返信 2025/07/07 10:05:04
- Re: ドレスデン
- ドレスデンの南、ケーニヒシュタイン要塞に行ったら、チェコから来たのかな、と思われる観光客がたくさんいらっしゃいました。ヨーロッパは国と国が本当に近いですね。
ヨーロッパ旅行に、円安と物価高は応えますね。フライト料金は、なかなか下がりそうにもありませんが、ドレスデンやベルリンは、パリやロンドンに比べれは、比較的ホテル代などの物価が安かったと思います。
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