2024/06/19 - 2024/06/24
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ミータさん
この旅行記のスケジュール
2024/06/20
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バルト三国2国目はラトヴィア。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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実質4日足らずでバルト三国とフィンランドのヘルシンキを旅するために、移動は夜遅くと朝早くの飛行機を利用した。まず、リトアニアのヴィリニュスからラトヴィアのリガに移動。22:30着の予定が遅れて23:00着。しかし、夏至だったのでまだ少し明るかった。リガ空港からバス停一つ分、徒歩でも15分ほどのハンプトン・バイ・ヒルトン・リガエアポートに2泊する。本当は旧市街の古い建物を利用したホテルが好みなのだが、深夜、早朝の移動のことを考えると空港近くのホテルに泊まるしかない。
ハンプトン バイ ヒルトン リガ エアポート ホテル
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ホテルの部屋にたどり着いたのが現地時間6月20日23:30、日本時間で翌6月21日5:30。家を出たのが6月19日の6:00前(毎朝ウォーキングしているのでこの時間なの)なので、実に丸2日かかってようやくベッドで休める(6月19日は17時まで仕事をしていた)。しかも6月20日は、イスタンブール空港内での移動やヴィリニュスとトゥラカイ城の観光で37㎞も歩いている。トゥラカイ駅からトゥラカイ城まで片道3㎞近く歩いたしね。最近は訓練によって1日50㎞程度なら歩けるようになった。それでも日本からの飛行機はビジネスクラスでなければ、こんなハードスケジュールはさすがに無理。
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シャワーを浴びて、お洗濯。ようやく就寝。
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6月21日、実質観光2日目。このホテルに2泊するので、朝食はゆっくり(?)7:00からとる。1泊朝食付きで約12,500円(2024年1月のレート、1泊75.5ユーロ)。
クレープみたいなものに、ベーコンやハム、卵料理。 -
新鮮な野菜類もある。海外のホテルではありがたいことだ。
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菓子パン類も豊富だった。
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ワッフルメーカーもある。
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この日も歩き回るので、しっかり栄養補給。
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デザートの菓子パン。
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ホテル前のバス停から22番のバスに乗って旧市街に向かう。チケットは運転手から購入するのだが、現金ではなくクレジットカード払い。今年の1月にクレジットカードの切り替えがあり、タッチ決済式のカードを持っていたので助かった。この大きな建物は図書館。その先のバス停で下車。
ラトビア国立図書館 建造物
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『地球の歩き方 バルトの国々 2015-16』を持っていたので、あまり下調べをしていなかった。それでこの教会を大聖堂と勘違いする。本当は聖ペテロ教会。
聖ペテロ (ペーテラ)教会 寺院・教会
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適当に歩いていたら、雰囲気の良いカフェ(?)があり、朝食をとっている人たちがいた。聖ヨハネ(ヤーニャ)教会のヤーニスの中庭で、レンガ造りの壁はかつての城壁の一部...ということに気付いたのは後のことだった。
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これが聖ヨハネ(ヤーニャ)教会...と気付くのはしばらく後になってから。そう、私は自分がどこか分からず分からず、迷子状態。
聖ヨハネ (ヤーニャ)教会 (リガ) 寺院・教会
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ブレーメンの音楽隊の像。おお、これは『地球の歩き方』に出ていたぞ。それでようやく先ほどの教会が大聖堂ではなく、聖ペテロ教会だと分かる。
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聖ペテロ(ペーテラ)教会。
聖ペテロ (ペーテラ)教会 寺院・教会
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自分がどこにいるのか分かると後は簡単?
ブラックヘッドの会館。ブラックヘッドの会館 建造物
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”RIGA”の看板と一緒に記念撮影もできる。
ここでアジア系のご婦人(中国人かと思ったが、その直後韓国人の団体がいたので、どちらだろう?)に頼まれて、写真を撮ってあげる。
まだ9時過ぎなので、ブラックヘッドの会館は開館前。 -
バスターミナルの方へ移動。公衆トイレがあったので入っておく。
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この公衆トイレはクレジットカード対応。まあ、急いでいるときに小銭がなくても入れるのはありがたい。だが、円安で1ユーロ175円程もしたので、50セントで90円近く。
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線路下を潜り抜けると中央市場がある。ラトヴィア領内にあったドイツのツェッペリン型飛行船の格納庫を移築して使っているのだとか。
中央市場 市場
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中央市場の中。
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フードコート的なものもあり、ここで軽食が食べられる
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バルト三国なのでお魚類も豊富。
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中央市場の外には野菜や果物の屋台もあった。
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中央市場からさらに少し南に行く。
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スターリン様式の建物は科学アカデミー。ソ連時代の名残か。
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10:00になったのでリガゲットー博物館に入る。入場料は無料。
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昨年(2023年)、アウシュヴィッツやナチ・ドイツ関連の地を訪れたが、ラトヴィアのリガにも強制収容所があったのは知っていた。
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この壁には亡くなったユダヤ人たち一人ひとりの名前が記されている。
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向かって右側の倉庫の中が展示室になっている。
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ユダヤ人の老夫婦が描かれた小屋。
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2階建ての家がある。
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2階建ての家の壁には「1941年6月-7月、彼らは戻ってこなかった」とある。
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かつての生活の場が再現されている。
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2階には子供用のベッドの上に熊の縫いぐるみ。黄色のダビデの星を縫い付けた衣服。
この様に迫害を受けたユダヤ人なのに、現在はイスラエルがガザの(ヨルダン川西岸でも)パレスチナ人(しかも大勢の子供たちを含む)を大虐殺している。 -
リガゲットーの地図と説明文。グーグルレンズの翻訳の内容をまとめた。
「1941 年 7 月 1 日、ドイツ軍はリガに進軍した。ナチス政権は1941 年 7 月 27 日、ラトビア初のゲットーを設立されし、約 30,000 人のユダヤ人が隔離された。 10月23日から25日までに、ゲットーは有刺鉄線で完全に囲まれ(1)、ラトビアとドイツの警備員が巡回した(2)。
これに続いて、ドイツとヨーロッパのユダヤ人の流入とともに残りの 5,000 人のラトビア系ユダヤ人を収容する小さなゲットー が形成された。
雇用は労働当局によって集中管理され、仕事の割り当てにより、食料などの配給量が改善された。
当初、一部のユダヤ人はゲットーを都市の敵意からの避難場所とみなしていた。しかし、流入してくるドイツ系ユダヤ人を受け入れるため、大ゲットーはすぐに解体され、1941年11月30日と12月8日に約27,500人のラトビア系ユダヤ人のルンブラ虐殺(リガ近郊のルンブラの森内またはルンブラの森に向かう途中でユダヤ人が殺害された事件)につながった。
ルンブラのような虐殺は再発しなかったが、個別かつ小規模な殺人は続いた。彼らのほとんどはビェルニエキの森で殺されました」 -
地図の拡大図。
地図上の番号の説明。
(8)押収されたユダヤ人の財産の保管場所。
(9)制服製造(強制労働)のためのラトビア系ユダヤ人の女性ゲットー。
(10)ラトビア系ユダヤ人地区。
(11)ドイツ系ユダヤ人地区。 ドイツ系ユダヤ人は、学校に通い、胸にダビデの星を1つだけ付けるなどの特権を享受していた
(14)診療所。
(17)ユダヤ人警察 。警察のあらゆる努力にもかかわらず、闇市場は繁栄していた。
(18)刑務所 。
(19)レジスタンスの武器の隠し場所。
(20)ユダヤ人墓地。 -
リガゲットーの年表。
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ドイツやオーストリア、ドイツ占領下の各地から貨車でユダヤ人たちがここに連れてこられた。
車体にケルン、ウィーン、シュツットガルト、ライプツィヒ、ハンブルクなどの地名が書かれている。 -
貨車の中にも展示があった。小学生高学年くらいの女の子とその母親らしき女性も見学していた。
グーグルレンズの翻訳による説明文。
「ラトビアのゲットーは、西ヨーロッパから追放されたユダヤ人たちの集中場所として機能しました。大多数はドイツ、オーストリア、チェコ共和国、その他のヨーロッパ諸国から移送されてきた。ドイツ系ユダヤ人の最初の輸送隊は、1941 年 11 月末にリガに到着した。ナチスには11月末から到着する西ヨーロッパ各地からの全てのユダヤ人を収容するスペースがなかった」
それで上述の「1941年11月30日と12月8日に約27,500人のラトビア系ユダヤ人のルンブラ虐殺」が行われたのだ。 -
移送されるユダヤ人たち。
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国外追放されたユダヤ人の出身地、追放日時、到着時の人数、生存者が記されている。
例えば、一番上はニュルンベルク(ドイツの都市)、1941年11月29日、1008人(到着)、52人(生存)
下から2番目はベルリン、1942年6月26日、798人(到着)、0人(生存)
一番下がアウシュヴィッツ収容所(ハンガリー系ユダヤ人)、1944年6月5日、約5000人。
他の説明文に「 1943年7月までにヒムラーはリガを含むすべてのゲットーの解散を命じた。生存者はカイザーヴァルト強制収容所に移送されるか、アウシュヴィッツなどの収容所に移送され、戦争を生き延びたのはわずか1000人だけだった」とあるので、最後の1944年のアウシュヴィッツ収容所からの移送者はゲットー解体後ということになるのだが。
最後に係員のいる部屋に立ち寄って5ユーロを寄付した。 -
再び旧市街に戻り、聖ヨハネ(ヤーニャ)教会の見学から行う。
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聖ヨハネ(ヤーニャ)教会の内部。
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聖ヨハネ(ヤーニャ)教会の内部。
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『地球の歩き方』によると、「中世には生きた人間を壁に塗り込めば禍から建物を守れるという信仰があり、この教会でも2人の修道士が志願して壁の中に入った。...19世紀半ばの教会修理の際、壁をたたいて空間を見つけ、彼らの屍が実際に発見された」とある。
この外壁の十字架型の穴は、後に彼らを記念して造られたものだそうだ。 -
聖ヨハネ(ヤーニャ)教会には2人の修道士の顔の装飾もある。分かりにくいが線で囲んだ場所ね。
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修道士その1。
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修道士その2。
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ブラックヘッドの会館のある広場。
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広場にはブラックヘッドの会館のお向かいに市庁舎がある。
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ブラックヘッドの会館の隣にラトヴィア占領博物館がある。
ラトビア占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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第一次世界大戦後、ラトヴィアは独立していた時期もある。第二次世界大戦の時にナチス・ドイツ、続いてソヴィエトに占領された。その占領時代の展示がある。ソ連から再び独立したのが1991年。
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これは第一次世界大戦から第二次世界大戦でラトヴィアがナチ・ドイツに占領されるまでの間の独立時代の写真だろうか。
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盗聴器かな。
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ロシア語で1990年頃のラトヴィアの独立運動の様子が記録されている。
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ラトヴィア占領博物館。
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1988年から1990年頃の独立運動の高まり。
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1991年8月21日、ソ連から独立。
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ヒトラーとスターリンが並んでいるイラストとか。
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牢屋の展示もあった。反体制派、ソ連からの独立運動をしていた人たちを収容したのだろう。
今回は昨年(2023年)の「ちょっとヘヴィーな旅」の続編の様な内容になってしまった。
リガ観光はまだまだ続く。
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この旅行記へのコメント (2)
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- gontaraさん 2024/07/08 07:41:22
- チョットヘビー
- リガにも規模の大きなゲットーが有ったんですね。
ジェノサイドの歴史を抱えながら、どうして現代に同じことをするのか?
ガザでの所業は明らかにジェノサイドだと感じるのは誰しも同じなのに。
ハードな旅程でこんな展示に触れる、お疲れ様でした。
GONTARA
- ミータさん からの返信 2024/07/08 19:25:40
- Re: チョットヘビー
- リガのゲットーは『地球の歩き方2015ー2016』に載っていなかったので、新しくできたのかと思ったら、『歩き方』の地図には記載されていますね。グーグルマップで見つけて、絶対行こうと思った場所です。
現在のイスラエルのガザ爆撃は、終わりが見えませんね。ただ、今回訪れた場所では、ウクライナに対する連帯の意思表示(ウクライナの国旗を掲示するなど)は見かけても、ガザ、パレスチナに対する連帯の意思表示は見かけませんでした。ガザ爆撃に反対することは「反ユダヤ主義」と見られるなど、ヨーロッパの国の反応は複雑です。
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