2023/12/16 - 2023/12/30
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タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
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「歴史的にみて,スンバ人は周囲の島々に住む諸民族,たとえばサブ人や,ロティ人,フローレス島のエンデ人と比べて,移動性(moblity)の低い民族といえる。スンバ人(スンバ語でtau Humba)は,スンバ島の圧倒的な多数派民族であり,スンバ人はそれぞれ出身の地をもち,そこにはアイデンティティの源となる氏族(kabihu)の同胞が住んでいる。とはいえ,本稿で説明するように島外へ出て行くスンバ人もいれば,逆に,スンバ島に入ってくる人々もいる。東スンバ県の県庁所在地であるワインガプ(Waingapu)の商業地域を歩けば,立ち並ぶ店舗の経営者はほぼすべて華人(Oran Cina)であることが分かる。この点では,インドネシアの他の地方と状況は同じである。ブギス集落(Kampung Bugis)と呼ばれる一画がワインガプの海岸部にあり,また上述のエンデ人が集住している地域もある。ブギス人とエンデ人のようなムスリムの民族がワインガプに住んでいるので,2010年の統計では人口の35.4%がムスリムになっている。またサブ集落(Kampung Sabu)もある。サブ人はスンバ人よりも先にキリスト教化が進み,そのため教育水準も比較的に高く,公務員や学校教師に就くサブ人が多い。この他,警官にはバリ人が多いと言われる。さらに,屋台(warung)で食べ物を商うジャワ人もいる。
スンバの都市部では,上記のように民族的多様性が認められるが,スンバ人以外の民族が農村部に居住しているのはごくまれで,農村部は文化的に均質的な社会を成している。ただし,筆者が2011年に調査したパフンガ・ロドゥ郡のカムトゥック(仮名)は,東スンバ県のなかでも例外的な村である。この村は,政府の推進するトランスミグレーション(transmigrasi)政策に従ってジャワ島から来たムスリムの移民を受け入れている。1982年にジャワ島から6世帯(KK)がカムトゥック村にやって来た。そのうち,1世帯は全員がジャワに戻ったが,それ以外の5世帯はカムトゥック村に残り(成員の一部はジャワに戻った),水田耕作に従事している。また,地元のスンバ人との通婚関係もあり(結婚に伴い,ジャワ女性がキリスト教に改宗したケースも,スンバ男性がイスラームに改宗したケースもある),良好な関係が築かれている。」
「教育・就職のために島外へ出て行くエリート層の移動に加えて,商売のために国際的な観光地として有名なバリ島へ渡るスンバ人も現れてきた。1987年に定期船が就航し,ワインガプからバリ島へ比較的安価に行けるようになると,スンバ人やその他のスンバ出身者(サブ人や華人など)がスンバ独特の絣織の布を持ってバリへ行くようになった。スンバの手織りの布は観光客向けにバリの土産物屋で数多く売られているので,彼らは土産物屋や外国人の買い手に布を売ろうとするのである。布の売り手のなかには,バリ島に住んで,布の商売を始めるものも出てきた。
布の売り手はまだ散発的な人の移動だが,2000年代以降,仕事を求めてバリ島へ行くスンバ男性が増えてきた。スンバは農業と家畜飼養がおもな生業であり,サービス業や製造業などの就職先がほとんど存在しない。彼らの学歴はせいぜい高校卒程度なので,バリでは小規模な工場(家具製造など)の工員や,守衛(sekuriti)として働いている。同じスンバ人の中でも東部よりは西部出身者が多いという。推定で5000人位のスンバ出身者がバリ島に住んでいて,「スンバ社会集団」(HIPMAS=Himpunan Masyarakat Sumba)と「スンバ家族紐帯」(IKES=Ikatan Keluaga Sumba)という,スンバ出身者の二つの組織(organisasi)が存在する。また,スンバ出身者はおもに州都デンパサールの南デンパサール郡セセタン町(Kelurahan Sesetan, Kecamatan Denpasar Selatan)やバドゥン県北クタ郡ダルン村(Desa Dalung, Kecamatan Kuta Utara, Kabupaten Badung)近辺に住んでいる。キリスト教徒が多いので,セセタンにあるプロテスタント系教会(GBI=Gereja Bethel Indonesia)が日曜日にスンバ人の集う場所,つまりスンバ人のネットワークの結節点となっている。」
「これまでバリ島へ働きに行くスンバ人は男性ばかりだったが,近年は女性もバリ島に渡るようになっている。男性労働者の場合は自分の意志で,業者などの仲介を経ずにバリ島に渡るケースが普通である。一方,女性の家事労働者については斡旋業者が介在している。デンパサールにある家事労働者斡旋業者から話を聞く機会があった。経営者はロンボク人で,すでに12年間バリで営業している。以前はロンボクとバリの女性を斡旋していたが,2005年からスンバ女性が来るようになったという。バリの女性は今ではプライド(gengsi)のため,外国人家庭で働くなら良いが,一般のバリ人の家庭では家事労働者として働きたがらなくなった。また,豚肉を食するバリ人の世帯で,イスラーム教徒のジャワ女性が家事労働者として働くことは難しいので,豚肉の禁忌のないキリスト教徒であるスンバ女性など東ヌサ・トゥンガラ州出身の家事労働者がバリで急増している。また,子守を除いて,この斡旋業者はとくに学歴上の制限を設けていないので,小学校すら卒業していないスンバ女性が働いていることもある。
家事労働者として日本人女性の家族で働いているスンバ女性アンナ(仮名)の例を紹介しよう。南西スンバ県コディ・バンゲド郡(Kecamatan Kodi Bangedo, Kabupaten Sumba Barat Daya)の生まれの19歳である。父親が小さな時に亡くなり,さらに実の母も死去したが,2人の義母がいる。同母兄弟姉妹は7人(男子5人,女子2人)で,その中の3番目であり,その他,異母兄弟姉妹が10人いる。家族は水田を所有している。父と生母がいない家庭環境のため,小さな時から実家ではなく,東スンバ県レワ郡(Kecamatan Lewa)の父方オジの元で暮らしていた。まったく小学校に通っていない。実の姉(近所で家事労働者として働く)や村の人が数多くバリで働いているので,彼女もバリで働くようになった。1年契約で月給はRp600,000(約6000円)である。バリに行く前は斡旋業者(Yayasan)に手数料など何も払っていない。業者の主人が逃げようとする女性を殴るので怖かった。最初2ヵ月間はバリ人の家庭で働いたが,いったん業者の元に戻り,そして現在の日本人女性の家庭で働くようになった。クリスマスに帰って,稼いだお金を直に弟妹に渡したい。直接渡さないと親族に取られてしまう心配がある(だから親族から頼まれても,けっして送金しない)。業者にお金を渡すと,帰りの飛行機便と空港までの迎えを手配してくれる。バリに来た時は船を使ったが,帰りは現金を持って帰るので,飛行機で帰りたいと思っている。
9ヶ月前からアンナを雇っている日本人女性にも話を聞いた。アンナとは別に,以前から雇っているバリ人の通いの「お手伝いさん」がいて,小さな子どもの面倒をみている。アンナで3人目で,最初の2人(スンバとロンボク出身)は長続きしなかった。この女性が料理を作り,洗濯機で洗濯している。アンナは電化製品の使い方を知らないので,任せている仕事は皿洗いと掃除程度である。アイロンがけは危険なのでさせない。この日本人女性の話のように,電気がないスンバでの生活と,バリの雇主家族の生活とがまったく違うので,アンナにとって適応が難しく家事労働者としての能力は低いようである。そのことは,『辛抱が大事。仕事させるというよりも,教えるという気持ちが必要』という雇用主の言葉によく表れている。
海外へ家事労働者として働きに出るジャワ島の女性が増えた結果,ジャカルタなどの都市部では家事労働者の成り手が不足するという事態になっている。現時点で,電化製品の使い方など都会的な生活様式に慣れてなくて,家事労働者としての適性に問題があるにせよ,スンバ女性がジャワ島にまで家事労働者として働きに出ることも将来的には十分に考えられる。」
小池誠「スンバ人のバリ島への移動」(桃山学院大学総合研究所紀要第40巻第1号/2014)より
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 船 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
バリ島ブノア港からペルニ船に乗って,ワインガプ(スンバ島)へやって来た。
早朝にホテルにチェックインしたが,ペルニ船での疲労のダメージは大きく,しばらく動きたくない。だが,入浴・洗濯と最低限やらなくてはいけないことがあってそうもいかない。ひと通り終えて,やっとベッドに倒れ込む。
世界的に有名な観光地バリ島と違って,ここスンバ島の知名度は非常に低い。
同じ小スンダ列島に属する「スンバワ島」と間違えられたり,島の名前でも何でもない西部ジャワ島の「スンダ族」(インドネシアでジャワ族に次ぐ第二の民族集団)と取り違えられることもあるようだ。
はっきり言って,インドネシアの片田舎である。スンバ島が属する州はNTT(東ヌサトゥンガラ)州と呼ばれ,インドネシア国内ではパプア2州に次いで貧しい州といわれている。
その中でもスンバ島は,人口密度が希薄な島である。オーストラリア大陸から吹く乾燥したモンスーンのせいで,サバナ気候に属する。まったく雨の降らない季節が一年のうち何か月もある。地質は,東隣にある大きなティモール島と同じく隆起した石灰岩質で,保水力に乏しい。つまり,農業に適していない。
しかし,島には農業以外の産業がほとんどないので,生産性の低い農業に依存しながら,観光業などの新しい産業を育てていくことになる。
スンバ島の西部では,年に一度ニャレの儀礼とそれに伴う勇壮なパソーラ(騎馬戦)が行われたり,世界的に著名なリゾートホテル「Nihi Sumba」があったりと,マイナーなりに観光資源があるのだが,ワインガプのあるスンバ島東部はまだこれからだ。 -
宿泊したのは「Padadita Beach Hotel」というホテルだった。
ワインガプの新市街及び旧市街エリアは,OTA(オンラインの宿泊予約業者)から予約することができる宿がかなり限られており,情報収集に苦労した。
当初は「歩き方」に載っている旧市街の「Lima Saudara(五人兄弟)」という安宿(オンライン予約はできない)に飛び込みで泊まろうと思っていたが(そのときはペルニ船が旧市街にある旧港に入港すると考えていたため),ペルニ船の乗船後で消耗していそうなこと,早朝チェックインになること,スンバ島はキリスト教徒の島なのでクリスマス前後の期間は普段と違う状況(宿や交通機関が大混雑する可能性)が予想されることなどを勘案して,2泊だけ事前に予約をしておくことにした。そして検索しているうち,新市街の宿とほぼ同じような価格で,新市街から徒歩で行ける距離にある上記のホテルを見つけた。Padadita Beach Hotel ホテル
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ホテルから新市街まで徒歩で約20分。
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新市街と旧市街の位置関係はこのようになっている。まずは新市街を見て歩こう。
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道路沿いの民家。
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家の庭でヤギや牛を飼育しているのを多く目にする。
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おっ,仔馬も飼っている。
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日差しが強く,暑い。そして,街はとても静かだ。
脇道だと,道路を走るバイクすらまばらで,自動車は滅多に通りかからない。
商店の数は少なく,あっても開店休業のような片田舎モード。 -
新市街の中心を貫くアフマド・ヤニ通りに出た。ここまで来ると交通量はやや増える。
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この通り沿いにインドネシアの主要銀行の支店が点在し,それぞれATMも併設されている。
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新市街には「マタワイ公設市場Pasar Inpres Matawai」とバスターミナルがあるので,そちらのほうへ行ってみる。
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なんだか妙な形をしたバスが走っているなと思ったら‥‥
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水陸両用車のバスだった。
ワインガプから約65km東南にある海沿いの街ムロロMeloloとの間を結ぶバスのようだが,道中に架橋されていない河川があるのだろう。
ムロロには巨石墓・甕棺墓がある。また,先の大戦では日本軍が駐留し,これがティモール島のクパンと並んで当時最南端にあった日本軍と思われる。 -
マタワイ市場を見て回った。
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路上でサヨリを並べて売っている。
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季節がよくなかったのか,この土地独特の産物を見ることはあまりなかった。
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それより,とにかく目立ったのがスリーピナンを売る店。数が多い。
これはインドのパーン,台湾の檳榔(ビンロウ)と同じようなものだ。パーンは,キンマの葉でビンロウジ+水で練った生石灰+香料(ガンビールなどを原料とするパーンマサラ)を巻いたものを口に入れて噛むのに対し,インドネシア東部のスリーピナンはキンマの葉を使わず実を使う(↑画像のうち輪ゴムで束ねてある細長いのがキンマの実)。
キンマの葉がないのにどうやって巻くのかと思うが,口の中に直接ビンロウジを放り込み,キンマの実をぽきっと折ってその断面に生石灰の粉をちょんちょんとつけて齧り,そのあとビンロウジと一緒に噛むという嗜みかたをするようだ。 -
このときは乾したビンロウジしか売っていなかったが,季節になれば生の実を売っているものと思われる。
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そのあと,大きなカトリック教会(Gereja Katolik Sang Penebus)を眺め,
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大きなモスクの脇を通り,旧市街へ向かった。
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その途中にあった公園の彫像。
スンバ島のアイコンは「馬」である。集団の悍馬が荒々しく走るさまは,サバンナ気候のスンバ島の風景につきづきしい。さほど古くもなさそうなのに,すでにペンキが剥離している馬の姿がやや哀れだが。
一方,すでに一部が欠落している文字サインのほうは「SANDALWOOD」(白檀・びゃくだん)をアピールしている。
スンバ島の旧名は「サンダルウッド島」であり,誰もが知る香木・白檀の原産地とも言われている。
しかし,かつてのスンバ島には,白檀と並んで大きな輸出品があった。それは奴隷である。こういう状況は,同じ石灰岩の隆起列島である東隣のティモール島でも同じだ。農業の生産性が低く,小王国が割拠し,互いに分捕り合戦を繰り返した。 -
新市街のマタワイ市場から旧市街まで徒歩20~30分といったところ。
新市街と旧市街の間は少し小高くなっていて,旧市街の入口あたりでスンバ島西部のワイカブバッWaikabubak方面へ向かう唯一の主要道が分岐する。 -
その付近に,ワインガプとスンバ島西端の街コディKodiを結ぶバスが停車していた。
スンバ島西部へ向かう主要道は山道なので,水陸両用車ではなく普通のマイクロバスである。
経由地としてタンボラカTambolaka空港があるワイタブラWaitabula(南西スンバ県の県都)が車体に書かれているが,おそらくワイバクルWaibakoel(中部スンバ県の県都)やワイカブバッ(西スンバ県の県都)も経由するはずだ。つまり,スンバ島にある4県の県都をすべて網羅する重要路線ということになる。 -
小高い分岐点から旧市街の港までは,なだらかな下り坂になる。
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この途中に,ワインガプでもっとも品揃えが多いスーパーマーケット「ライオン ヌサンタラLyon Nusantara」がある。
このスーパーから旧市街の漁港までの間は魚を売る露店がたくさんある。 -
「おい!写真を撮れとれ!」と呼んでくれた陽気な魚売りの若者たち。
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ワインガプの旧港。フェリーや貨物船が着かなくなっても,漁港としては機能しているようだ。
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ペルニ船ビナイヤ号で着いた海向かいの新港には,今は別のペルニ船が接岸している。
船名を読むと「SABUK NUSANTARA 43」となっていた。貨客船だ。 -
旧港のほうはだだっ広い岸壁があるだけで,がらんとしている。
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旧市街では,安宿「Lima Saudara(五人兄弟)」へ行ってみたが,見事に潰れていた。
結局,スンバ島ではずっと今のホテルに滞在することになった。 -
旧市街では,大きなプロテスタント教会を眺めたり,
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素性はよく分からなかったが,いい感じの建物を見つけたりした。
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この島では,建物の入口にこのような文様が左右に掲げられていたりする。
-
旧市街の郵便局へ行ってみた。絵ハガキを売っていないか訊いてみるが,官製ハガキしかないとのこと。
最近では絵ハガキの入手はとても難しい。仕方がないので,官製ハガキをもらい,その場で文面を書いて日本へ発送しようとした。
ところが,長い間待たされた挙句,局員がスマホの翻訳機能を使ってこう伝えてきた。
「ハガキを日本へ送る方法が分からないので送れません。ごめんなさい。」
おーい‥‥。
今まで世界中から日本へ絵ハガキを送ってきたが,こういう断られ方をしたのはスンバ島が初めてだ。 -
締めくくりにスンバ料理を紹介‥‥したいところだが,残念ながら見当たらなかった。
そもそもワルン(食堂)の数が少なく,あってもジャワ料理とか他島のものばかり。 -
仕方がないので,パダン料理の食堂で皿飯を食べたり,
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ミーバッソを食べる羽目になった。何だかつまらん。
-
もっとも美味しかったのは,泊まったホテルのレストランだった。
インドネシア料理だけで70以上のメニューがある本格的なレストランだったが,残念なことに,ここにもスンバ島の郷土料理らしきメニューはひとつも見当たらなかった。
「ペルニ船の旅5000km その1:バリ島で長い船旅の準備をした」
https://4travel.jp/travelogue/11906247
「ペルニ船の旅5000km その2:ワインガプ(スンバ島)からエンデ(フロレス島)」
https://4travel.jp/travelogue/11906683
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この旅行記へのコメント (2)
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- きなこさん 2024/10/02 15:47:50
- スンバ島
- こんにちは♪
スンバ島楽しそうですね
船で行かれたのですか?
船は島の東側で飛行機は西側が入口になるのでしょうか?
とても行ってみたくなりましたが、旅行記を拝見していると船はハードそうですね
島の観光はあのカラフルなバスですか?
空港や船着場に観光案内所とかあるのでしょうか?
ほんと、行ってみたいです
きなこ
- タヌキを連れた布袋(ほてい)さん からの返信 2024/10/24 02:08:45
- 返信が遅くなり申し訳ありませんでした
- きなこ さま
返信が遅くなり,大変失礼致しました。
いつも旅行記を興味深く拝見しております。
おっしゃるとおり,スンバ島へ空路で入る場合は島の西部,船で入る場合は島の東部からということになります。
目玉は,西部で年1回行われるパソーラとニャレの祭りですが,島の伝統により開催日が直前に決定されるため,観光客泣かせのようです。
島の東部に関しては,まだ「観光案内所」がオープンするような状況ではないように見受けられました。それでも最近,インドネシア映画の舞台及びロケ地になったために,国内観光客がちらほら訪れている感じです。
デンパサールから空路で西部のタンボラカ(TMC)に入って,西部に宿泊しつつ,車をチャーターして日帰り(あるいは1泊)で東部の自然を楽しむというのはギリギリありかなと思います。スンバ島は片田舎の離島ですが,島自体がイメージより大きいのと,道路事情と交通機関の問題があるので,島の西部と東部の間を移動するにはそれなりの時間と労力を要しそうです。
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