2023/12/15 - 2023/12/31
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タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
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広い海に,さまざまな輪郭を持つ島じまがちりばめられた東部インドネシア。
ここを旅したいと思った。
地図を眺めると,「モルッカ諸島(香料諸島)」「フロレス島」「ティモール海」「小スンダ列島」「バンダ海」「セラム海」‥‥といった単語が眼に飛び込んでくる。
さまざまな名称がつけられた海,海域,海洋。そして地図上では点になってしまう小さな島じま,そして四国に迫る広さを持つ大きな島。四国よりずっと大きいティモール島もある。
ここを旅するなら「船」でしなければ,という気がした。
そこで,この東部インドネシアの島々を結ぶ航路がどの程度あるのか,それに乗り込んで旅をすることが可能かどうかということを調べ始めた。
- 旅行の満足度
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩 バイク
- 航空会社
- ベトジェットエア
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2億7千万人以上の人口を擁する島嶼国インドネシアでは,国営の船会社ペルニPERNIが大小の貨客船を使って国土をつないでいる。
いわば,昭和の日本の国鉄だ。まずはペルニ社の航路のスケジュールを調べて,補助的にローカルな「私鉄」の航路の情報を集めれば旅のアウトラインは描けると思った。
しかし,そんな考えは甘かった。
「国鉄」であるペルニ社の船は,通常の日本人が考える「定期航路」とはかなり異なるものであることが次第に分かってきたのだ。
どういうことか。
たとえば,日本で敦賀と苫小牧を結ぶ新日本海フェリーだったら,一定の曜日の一定の時刻に敦賀港を出港して,寄港地の新潟や秋田へ一定の日時に入出港し,最終の苫小牧に一定の日時に到着する。
記号化すると,船はA→B→C→D/D→C→B→Aのように反復するルートを,あらかじめ決められたスケジュールに従って航行するのである。航路の定期性が維持されている。もし船がメンテナンスのためドックに入ったりするならば,可能な限り別の船を代替して定期性を維持しようとするだろう。それならば,あらかじめ航行スケジュールは明らかなわけだから,乗客のほうは先々の予定を組んだ上で安心して切符を予約することができるし,船会社も安心して切符を売ることができる。
ところが,ペルニ船は違う。まるで惑星のような動きをしたりする。さっきの記号でいえば,A→B→C→DのあとD→C→D→Bと動き,それからB→E→Aなどと動いて一航海を終えるというような動きをするものがある。そして次の航海のとき,それと同じルートを辿るのかといえばそうともいえない。次の航海は違うルートだったりするのである。ただし,これは船長の気分で無秩序に動いているわけではなく,上記の例であれば,最初のAを出港する時点でどこを回って一航海を終えるかということは決定されていて,それはペルニ事務所へ足を運べば掲示されている(そのペルニ事務所がある街に寄港する航路のものだけ)。 -
ペルニ社は,大きな人口をかかえるインドネシアの人流を支えるために,たくさんの船を運航している。そしてそれらの船が上記のように複雑な動きをする(中には単純往復のような動きをする船もあるからややこしい)。その結果,たとえばある外国人旅行者が「来年の正月休みにはバリ島から船でマカッサルまで行ってみよう」と思いついたとしても,そんな先のペルニ船のスケジュールなんぞてんで分からないのである。
つまり,いつ来るのか,そしてどこへ行くのか直前まで分からないのがペルニ船なのだ。 -
ペルニ社のウェブサイトでは,だいたい数週間先のスケジュールであれば検索に上がってきて,(インドネシア人は)予約をすることができる。外国人の私がウェブサイトで予約しようとすると,ID番号入力の際にパスポート番号を入力したら「アルファベットを入力することはできません」と撥ねられた。
結局,ペルニ船のスケジュールはせいぜい数週間前になってやっとウェブサイト上で知ることができ(実際にスケジュールどおりに船が来るかどうかはまた別の話),外国人旅行者が乗船券を購入するには基本的に現地のペルニ社支店か旅行代理店へ足を運ばねばならないのである(2024年1月現在)。
また厄介なことに,ペルニ社のウェブサイトは英語選択が可能なのはありがたいが,独特のクセがあって,慣れるまで使いにくいところがある。たとえば,Ticket Reservationの画面から出発地や目的地に「アンボン」を入力しようとするとプルダウンメニューに「Ambon」がふたつあってどちらかすぐに分からない(正解はAmbon(AMQ)と書かれているほう)とか,「ララントゥカLarantuka」を探して「L」のところを探しても見つからず,上からひとつひとつ読んでいくと「Flores Timur(東部フロレス島)」の「F」のところにあったとか,バリ島のブノアBenoa港は「Denpasar」の「D」のところにあったとか。都市名から探すのか島名から探すのか基準がよく分からない。
そして,航路マップのようなものが存在しないので,片っ端から検索をかけて船舶名と寄港地を割り出していかなければならない。一区間だけの乗船とかならまだしも,いくつかの航海をつないで移動しようとするとかなりの労力を要する。まだ航行スケジュールが上がってきていない航路は,検索をかけるたびに「Whoops!」というエラー表示ばかりが出てきてイライラさせられる。
また,ウェブサイトはしばしば重たくなり,航路・便を調べたいのにどうにも動かないということはままある。 -
というわけで,東部インドネシアを船で旅しようと思ったものの,どこまで行けるのかさっぱり分からないままデンパサール空港に降り立つこととなった。
マカッサルより東のインドネシアにはまだ行ったことがない。とりあえずバリ島のブノア港から東へ東へと進んでいくことにする。
ともかくも,まずはペルニ船の乗船券だ。
ペルニ社のデンパサール支店はクタにある。クタの中心部から空港方向へ20~30分ほど歩いたラヤ・クタ通り沿い(Jl.Raya Kuta no.299)。ここに朝イチで行ってみる。 -
案内板に従って予約窓口へと進む。
-
オフィスの一角に船のスケジュールが掲示されていた。
今後ペルニ船に乗ってみようと考えている人のために,少し長くなるが具体的に説明してみよう。
ここに掲示されているのは,バリ島ブノア港に2023年12月中に入出港するペルニ船のスケジュールである。翌1月以降のスケジュールはまだ掲示されていない。
一番左の列が客船の名前だ。ペルニ社の客船はすべてインドネシア国内の山から名前を取っている。
冒頭のKMに続く「AWU」は,マナドの北方,フィリピンとの国境近くに浮かぶサンギヘSangihe諸島にある火山の名前である。
一方,旅客の乗船が可能な貨物船(貨客船)は,例えば「KM SABUK NUSANTARA 100」のような番号が入る名前になっている。貨客船については現在のところウェブサイトからスケジュールの確認・予約することができない。
客船の名前の右側の列にブノア港入港予定日時,その右に直前の寄港地,続いてブノア港出港予定日時,続いて今後のすべての寄港地が記載されている。
このスケジュール表を読み取ると,客船「KM AWU」は次のようなルートで運航していることが分かる。
スマラン(ジャワ島)ークマイ(カリマンタン島南岸)-スラバヤ(ジャワ島)-ブノア(バリ島)-ビマ(スンバワ島)-ワインガプ(スンバ島)-エンデ(フロレス島)-クパン(ティモール島)ーカラバヒ(アロール島)
そして客船「KM AWU」は,少なくともこの2023年12月については,起点のスマランから終点のカラバヒまで上記のルートで航行し,カラバヒに到着後はスマランまでまた同じルートを辿って戻っている。
これなら分かりやすい。翌2024年1月のスケジュールが掲示されていなくても,「KM AWU」が1月の何日頃にブノア港に入港しそうか予想することができる。
では次の客船「KM BINAIYA」はどうか。ちなみに,ビナイヤ山はマルク諸島セラム島にそびえる高山だ。
ラブアンバジョ(フロレス島)-ブノア(バリ島)-ビマ(スンバワ島)-ラブアンバジョ-マカッサル(スラウェシ島南部)-パレパレ(スラウェシ島南部)-ボンタン(カリマンタン島東岸)-Awerange(スラウェシ島南部)
というルートを航行したあと,
ビマ-ブノア-ワインガプ(スンバ島)-エンデ(フロレス島)-クパン(ティモール島)
というルートを航行し,そのあと
ワインガプ-ブノア-ビマ-ラブアンバジョ-マカッサル-Awerange-ボンタン-(一部ルート不明)-ラブアンバジョ-ブノア-ワインガプ-エンデ-クパン
と航行していることが分かる。とても複雑なルートだ。一定の規則性があるのかどうか分からない。こうなってくると,掲示されていない1月の「KM BINAIYA」のルートやスケジュールの予想は難しい。実際に掲示されてみないと分からない。
次の「KM TILONGKABILA」はどうか。これはもっとも分かりやすい。12月13日0800に入港し,12月14日0900に出港。そのあと,ちょうど2週間後の同時刻に入港して同時刻に出港している。そして「今後の寄港地」の欄には2便ともまったく同じことが書かれている。つまり,この船は「上り」と「下り」の別がない周回ルートを定期的に航行しているということだ。
一番下の「KM LEUSER」はどうだろう。次のようなルートだ。
バトゥリチン(カリマンタン島南岸)-スラバヤ-ブノア-ビマ-ラブアンバジョ-マカッサル-バウバウ(ブトゥン島)-ワンギワンギ島-アンボン-サウムラキ(ヤムデナ島)-トゥアル(カイ諸島)-ドボ(アルー諸島)-ティミカ(パプア南岸)-アガツ(パプア南岸)-メラウケ(パプア南岸)
すごい。スラバヤを出発してマカッサルからアンボン,そのあとアラフラ海の島々に寄港してパプア南岸の主要都市を回る,こんな長大な航路があるのだ。「KM LEUSER」は12月19日にブノア港を出港して,終点のメラウケに到着したあとのスケジュールは掲示されていない。同じルートを逆向きに戻ってくるのかどうかも分からない。 -
ペルニ社デンパサール支店の予約窓口はこんな感じ。窓口係員は一人だけだった。
英語が通じないことを想定して,購入する乗船券の内容をメモにして持って行った。
そのため,乗船区間とクラス(エコノミー)についてはスムースに意思を伝達をすることができた。
乗船券代金の支払いの段階で,現金で支払おうとすると拒絶された。クレジットカードかデビットカードでのみ支払いが可能だという。
そこでクレジットカードを出して決済しようとすると‥‥使用できない。久しぶりに海外で利用したからカード会社の不正利用検知システムが働いてロックされたようだ。ああもう‥‥確かに,コロナ禍を挟んで久しぶりの海外だったせいで,カード会社への事前連絡を忘れていた。
そして替わりに差し出した2枚目のクレカもロック,3枚目でやっと決済することができた。
色々なことがどんどん不便になっていく。
さて,決済ができたので発券を待っていると,窓口の係員が滔々と何かを説明してくる。インドネシア語は理解しやすい言語だと思うが,立て板に水で喋られると何を言っているのか分からない。適当に相槌を打っているとA4用紙2枚にプリントされた予約確認書を渡してきた。
あとから考えると,このとき係員は「すでにブノア-ワインガプの便は満席で『無座』の切符しかないがそれでもいいか?『無座』の切符とは‥‥」ということを一生懸命説明してくれていたのではないだろうか。
「無座」。懐かしい響きだ。30年以上前に中国の鉄路でほんの数回だけ「無座」の切符で過酷な旅の経験をしたことがある。要するに,すでに満席のところに割って入る切符だから,鉄道なら床に座るか立ちっぱなしになる。船は広いのでさすがに立ちっぱなしということはないだろうが,ベッドが確保されていない以上はどこか空いている床の上に寝転がるしかない切符だ。
ペルニ社のウェブサイトからこの「無座」の切符を予約することはできない。満席になればそれ以上の予約は受け付けない。
では「無座」でもいいから乗船しなければならない場合はどうすればよいか。それは,出港する場所のペルニ社支店で訊いてみるしかない。今回の旅の経験からは,「無座」の切符は出港当日か前日くらいから発売を開始するように思う。たぶん「無座」の切符をどう売るかは各支店の裁量で決められているのだろう。
「無座」の切符については,次の点を留意してほしい。例えばある旅行者がX港に滞在中で,数日後にAというペルニ船でY港からZ港まで移動したいという場合,X港のペルニ支店で「Y港→Z港」の乗船券の予約確認書を発行してもらうことは,空席さえあれば可能である。しかし,すでにその便が満席で,それでも「Y港→Z港」の「無座」の切符がほしいという場合,X港の支店ではその「無座」の乗船券の予約確認書を発行することはできず,出港地であるY港の支店まで直接行かなければならない。つまり,「無座」の切符は各出港地の支店の裁量権の下にあるものなので,他の支店は手出しができないようなのだ。
ここデンパサール支店では,「ブノア(バリ島)-ワインガプ(スンバ島)」の切符(正確に言うと乗船券の予約確認書,367kIDR)と「ワインガプ(スンバ島)-エンデ(フロレス島)」の切符(90kIDR)を手に入れた。「ブノア-ワインガプ」は無座で一日半,「ワインガプ-エンデ」はエコノミーで半日の航海である。
ちなみに,「無座」でも運賃はエコノミーと同額である。
(1kIDR=約10円) -
切符を手に入れたので,次は船旅の準備だ。
無座ということは床に寝なければならない。まあ,床に寝るだけなら何か敷いてバックパックに身を寄せて眠ればよいわけだが,事前の情報収集によればペルニ船内はゴキブリだらけらしい。
ゴキブリというのは,床やら壁やらを這いまわるものだから,それが多数徘徊する床に寝そべって眠るというのはいささかぞっとしない。
ではどうするか。折りたたみ椅子を手に入れて,それに座って眠ればよいと考えた。
昼間はそれを持って甲板に出て,海を眺めることもできる。
さっそく,クタの周辺で折りたたみ椅子を物色する。最終的に,クタから近い「モルバリギャレリア Mal Bali Galeria」のハイパーマートへ行ってみる。カルフールへも行ってみたが,すでに潰れていた。 -
ハイパーマートにあったこの折りたたみ椅子,価格は180kIDRである。
なかなか頑丈そうだが,少し重い。
日本でならアウトドア用のもっと軽量の製品が安く手に入りそうだが,仕方がないのでこれを購入する。
(1kIDR=約10円) -
ついでに,マルキストクラッカー・アボンサピ(牛肉田麩)・ドゥアクリンチ(二匹の兎印)のニンニク風味落花生などを非常食として買い込む。ペルニ船は,エコノミーや無座でも三食の給食(弁当)つきだが,何が起きるか分からないから一応食料と飲用水は確保しておきたい。
↑はそのとき購入したウエハースのパッケージ。
「JASUKE味」のウエハースだが,JASUKEというのは,熱いスイートコーンの上にごく細かいシュレッドチーズをのせ,さらに練乳をたっぷりと注入して食べるというインドネシアで人気のスナック。オプションでハーゲルスラッハ(オランダ人がバタートーストの上にふりかけるチョコスプレーのようなもの)をトッピングすることもある。 -
ワインガプ(スンバ島)まで乗船するペルニ船ビナイヤ号は,バリ島のブノアBenoa港から出港する。
ブノア港は,クタ中心街から10kmほど離れたところにある。港まで行く公共交通機関を調べようとしたが,バリ島だからどうせ無駄だろうと考え,タクシーで行くことにした。
出港は21時である。予約確認書の運送約款には「乗客は出港2時間前までに港へ来ること」と書いてある。ホテルのレセプションで相談すると「そんなに早く行かなくてもいい。19時にここを出れば十分だ」ということだったので,その言に従うことにする。
レセプションが呼んでくれたブルーバードタクシーに荷物を積み込んで,いざ港へ向かって出発。港へはなかなか立派な高速道路が通じているようだ。
ブノア港は思っていたより遠かった。高速道路を使っても,到着するまで小一時間かかった。途中から乗船に間に合うのか少し不安になってくる。結局,着いた時点でメーターは120kIDRちょっとを示し,高速道路料金が別途31kIDRかかった。
着いた場所はとても殺風景で,フェリーターミナルというよりただの岸壁に見えた(夜だったせいもあるかも知れない)。
ただし,その暗闇の中にすごい数の人々が蝟集している。それでここが間違いなくベル二船の乗り場だということが分かる。 -
まずは,A4用紙に印刷された予約確認書を乗船券に交換しなければならない。
どこで交換するのか分からなかったので,乗船客だけが通れるゲートのところで予約確認書を広げて見せてみると,そこにいた守衛の男の一人が書類を取り上げ,事務所のようなところへ走って行って乗船券と交換してきてくれた。なんて親切なんだ。ありがとう。
ゲートの外は駐車場になっていて,乗客を送ってきた車などが多数駐車されている。また,乗船客相手に食べ物や飲用水のボトルなどを売る露天商が商品を並べている。ただし,数はそんなに多くない。コンビニや商店のたぐいは一軒もない。
船旅に必要なものは港に向かう前に買い揃えておいたほうがよいと思う。
乗船券を持ってゲート(鉄格子の扉)を通り,建物の中に入って正式な改札を受ける。乗船券のQRコードを読み取られ,手の甲にインクのゴム印をベタッと押捺される。
運送約款によれば,ペルニ船の乗客の手荷物は一人40kgまで。さすが船舶だけに太っ腹だ。
また,乗船の際にX線などのセキュリティチェックは全然なかった。大丈夫なんだろうか。まあ,航空機と異なり,テロリストが船舶を狙うとしたらLNGやケミカルタンカーの乗っ取りが相場だという考えなのかもしれない。 -
改札を終えると,いよいよペルニ船ビナイヤ号に乗船だ。
ビナイヤ号は6000総トン級の客船で,このサイズはペルニの中型客船として標準的である。
6000総トンというと,日本のさんふらわあとか新日本海フェリーと較べると2分の1とか3分の1とかの容積ということになるが,見た印象ではそんなに小さな感じはせず,十分に「でかい船」である。
なお,ペルニ客船は日本のフェリーのようにトラックや乗用車を積載することはない。人間と貨物だけを運ぶ。
待合室では,制服Tシャツを着たポーターたちが仕事を待っている。彼らは乗船客の手荷物を船上に運ぶ担ぎ屋だ。
私のような外国人旅行者がいたら「鴨ネギだ!」とばかりに声をかけてくるのかと思いきや,ほぼ敬遠された。 -
船に乗るタラップの入口でもう一度乗船券をチェックされる。
このタラップを20kgのバックパックを担ぎながら上がるのは結構しんどかった。
ちなみに,この↑画像は出港直前に撮影したもので,乗船時のタラップは押しあいへしあいの阿鼻叫喚であった。 -
乗船すると,涼やかな白い制服を着た船員が待ち構えていて,乗船券をチェックして船室を指示案内してくれる。
私は無座の乗船券だが,船員さんは「ついてこい」みたいなジェスチャーをして先導してくれる。
そして案内されたのがこの場所。階段の踊り場の軒下という感じのところである。
倉庫から無座の乗客用に緑色のマットレス(座席のある乗客のベッドに置かれているものと同じ)を運んできてくれ,「ここで寝ろ」と言う。まだ事情の分からない私は,とりあえずその言に従うことにする。
せっかく出してくれたマットレスだが,衛生度に大いなる疑問があるし,ゴキブリの侵入を防ぐこともできないので,折りたたみ椅子に座って,マットレスはとりあえず脇に立てかけておいた。
すると,それを見たインドネシア人の乗客が次々と「それは使わないのか。私によこせ」みたいなことを言ってくる。どうやらこの船内でマットレスは貴重品らしい。「Saya pakai ini waktu saya tidur.(私,眠るときにこれ使う。)」などと言って断る。 -
壁の上のほうに「無座の乗客の場所 3042-3045」のような掲示がある。無座の乗客が寝る床の場所まで番号が割り振ってあるのだ。
ペルニ船は,出港の1時間前に汽笛を一発鳴らし,30分前に2発鳴らし,出港のときに3発鳴らす。
ほぼ定刻すぎにビナイヤ号は出港した。ここからワインガプ(スンバ島)まで680kmほどの航海だ。
暑い。船内の気温はとても高い。常に扇子で身体を扇いでいる状態だ。
出港後の船内を見て回ったが,船室はすべて満席,それ以外の床には無座の乗客がマットレスやらゴザやらを敷いて寝そべり,足の踏み場もない。甲板にもたくさんの人が出ている。これはもう,往年の中国鉄路の硬坐の旅と同じことを覚悟しなければならなさそうだ。
階段下のねぐらに戻る。汗が噴き出してくる。扇子をバタバタと動かす。向こうからゴキブリが這ってくるのが眼に入る。
事前情報のとおりだ。落ち着いて床や壁に目を凝らすと,いるわいるわ。うじゃうじゃいる(主に体長10-15mm)。とはいえ,その中からこちらへ向かってくる奴らというのは,昭和時代のインベーダーゲームのごとき感じである。
つまり,うじゃうじゃいる中から,数匹がこちらへ向かってくる。それをひとつずつ排除する。すると,また次の数匹がこちらへ向かってくる。また排除する。するとまた‥‥。
これは,眠られんパターンなのではないか?一気にこちらから積極攻撃を仕掛けなければならんのではないか?
事前に購入しておいたBaygon(東南アジアの強力な殺虫スプレー。日本のものよりはるかに殺傷力が高い)を構えて,攻勢に出ようとする。しかし,周囲にはインドネシア人の乗客が所狭しと寝そべっている。彼らは誰もゴキブリに対処しようとしていない。ここでいきなりBaygonを大量噴霧するのはまずいような気がする。
そこで,向かってきた奴らにだけ少しずつ噴霧してみる。Baygonは強力なので,噴霧されたゴキブリはほぼ即死する。ボトボトと壁から落ちて骸と化す。しかし,いかんせん数が多い。いくら即死させようが,インベーダーゲームのように機械的に次々と繰り出してくる。
ほどなく,ねぐらの周辺はBaygonのにおいがたちこめ,これ以上噴霧するのは憚られるようになってしまった。
そこで作戦転換。Baygonを使用せず,向かってきたゴキブリを扇子ですくって床に落とし,すかさずサンダルで叩き殺すという原始的な戦法に出ることになった。
殺しても殺しても,あとからあとからやってくるゴキブリ。やっぱり眠られん‥‥と絶望しながら,いつしか敵も数に限りが出てきたらしい。数時間は折りたたみ椅子の上でうつらうつらすることができた。 -
うつらうつらしながら朝になった。6時台に弁当箱に入った朝食の配給が始まる。アナウンスがあったのかどうかは憶えていないが,弁当箱を4つ5つと抱えて歩く乗客の姿を見てそれと分かった。
どこで配給しているのか探し歩き,長い人の列を発見。乗船券を持って列に並ぶ。配給を受けるときには乗船券が必要となる。ただし,たとえば家族5人分の乗船券を一人が持参してもちゃんと5人分の配給を受けることができる。配給所は「Pantry」と呼ぶ。
長い列を待って,弁当箱に入った給食,飲用水(ペットボトルではなくカップ型のポリ容器にパックされたもの)1個,ウエハース(Tango)1個が支給される。 -
給食の内容はこんなの。米飯と,ビーフンゴレンと,ゆで玉子とサンバルアスリのポーション。
「貧相な食事だなあ」と思う向きがあるかもしれないが,私にはこれで十分である。なぜかといえば,ペルニ船の中では,なるべくトイレに行きたくないからだ。尾籠な話なので多言はしないが,中国鉄路の硬坐旅でトイレに行きたくないのと同じことである。そうであれば,ペルニ船上の食事は粗食であればあるほどありがたい。
それに,あの船上で,あれだけの乗客に対して三度の給食を提供するペルニ船の烹炊員さんのご苦労には頭が下がる。むやみにケチをつけるような真似はしたくない。 -
良好な天候の下,船は順調にフロレス海へと進む。
昨夜ゴキブリ退治に忙殺されているうちに,いつの間にかビナイヤ号はウォレス線を越えていた。感慨も何もあったものではない。 -
航海中は,当然ながら何もすることがない。いつかはペルニ船のエコノミーにもWifiが導入される日が来るのかも知れないが,その頃には旅客運送の主力は完全に航空機へ移っているのかもしれない。
とりあえず,時間潰しのために本を読み,あるいはインドネシア語の単語帳をめくってみたりする。
そのうち読書にも飽きて甲板に出た。
しばらく海を眺めて,またねぐらに戻ろうと船室に戻る扉を開けようとするが,開かない。おかしいな?この扉から甲板へ出たはずだが‥‥と思っていたら,一斉に検札が始まった。ペルニ船では,船上でも検札があり,そのときは船内を移動できないように扉をロックしてしまうようだ。
結局,扉は小一時間くらいロックされ,その間,甲板にいた乗客は締め出されたままだった。 -
そのうち昼食のアナウンスが入る。朝食と同じように乗船券を持って配給所へ弁当箱を取りに行く。
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毎回同じく長蛇の列である。列に並ばずに給食を手に入れる妙案はないものか。
-
昼食はこんなの。わずかとはいえ野菜のおさいがあるのがうれしい。
これに飲用水のパケット(カップ型)と薄ら甘い清涼飲料のパケット,そして再びウエハースが付く。 -
午後も海を眺めて過ごす。暑い船室より風がある甲板のほうが過ごしやすい。
スンバワ島を南に見ながら,船は東へと進む。
海上警察(あるいは海上保安庁?)の士官学校生だという若者が,上手な英語で話しかけてきた。訓練の一環としてこの船に乗り組んでいるという。「この船は現在13ノットくらいで走っている」とか「ワインガプには明朝3時には到着するだろう」とか,会話の端々にプロらしさがにじみ出ている。それにしても,この船は定刻(明朝0600)より3時間も早くワインガプに入港するのか。夜が明けるまで港で待つしかない。
このあと,乗船して初めてトイレへ行ってみたが,すさまじかった。
まず,ひどい悪臭。故障して使えない便器。排水口が詰まっているのか水たまりになった床。
ご存じのとおり,インドネシアのトイレは水浴び場を兼ねている。このすさまじい悪臭の中で,インドネシア人の父子が水浴びをしている。父親より先に水浴びを終わったらしい小さな子供が,トイレの水たまりをバシャバシャと跳ね上げながら歓声を上げて走り回っている。
こんな騒ぎにもかかわらず,船室にいるのとはまったくサイズ感の違う丸々と太ったゴキブリが,物陰に何匹も張りついてあたりの様子をうかがっている。
すでに船の汚水タンクが満タンなのか,船が波に傾くたびに洗面台のシンクの排水口から汚水が逆流して噴き出してくる。恐ろしい。こんなところで歯磨きや洗顔をしたらどんな病気になるか分からぬ。 -
当たり前のことだが,一日中船上にあって三食付きであれば,金銭の遣いようがない。
船の売店は,もちろん商品の値段が市価より高い。大まかに「2倍以上」と考えてよい。インドネシア人の乗客は,船上で消費するカップ麺やらコーヒーやらは持ち込んでおり,高価な売店で購入する人は少ない。
また,船内にはあまたの露天商が乗り込んでおり,甲板への出入口や階段の踊り場などでタバコ・菓子・カップ麺・弁当(ナシアヤムやナシクニンが多い)などを売っている。船内を売り歩く振売り商人も多数おり,こっちはコーヒー,カップ麺(湯を注いでくれる),弁当,氷入りの清涼飲料,果物,ナッツ,うちわ,レジャーシートなどを売っている。
やはり露天商や振売り商人のほうが乗客のニーズをよく掴んでいて,船の売店よりよく売れている印象だ。
この日の唯一の支出は,後部甲板の売店で買ったウォールズのカップアイス↑だった(15kIDR)。氷菓を売るには冷凍庫が必要なので,露天や振売りが売ることはない。
暑い船上の昼下がりに舐めるアイスクリームの口福。ペルニ船の厳しい住環境がなくてはここまでのプレミア感は湧き上がらないだろう。眼前に広がるのはワラセアの青い海。
と調子に乗ってはみたが,甲板には乗客の親に連れられた子供たちの眼があるので,隅のほうにこっそり隠れて舐めた。 -
17時台に夕食のアナウンスが入る。
夕食は,昼の鶏肉のおさいが煮魚に替わり,野菜は昼と同じくカチャンパンジャン(十六ささげ)。
熱帯の人々は宵っ張り(よいっぱり)なので,夕食の時間が早いことにやや驚く。もしかして21時頃に「夜食」が配給されるのかしらと考えたりする(無かったが)。
今夜は昨夜の教訓を活かして,周辺の乗客が甲板へ夕涼みに出ている間にゴキブリの殲滅を図る。あらかじめBaygonを使って周辺広域の潜伏場所を掃討し,生き残りは扇子とサンダルで待ち伏せして虱潰し(しらみつぶし)にすることにする。
事前掃討はなかなか功を奏したようで,昨夜に較べてゴキブリの出没率はかなり減った。まあ,周囲のインドネシア人乗客がどう思っていたかは分からないが(迷惑に思われていたかも知れない)。 -
近くにいる幼児数人の超特大の泣き声の輪唱で眠れないうち(もちろんゴキブリ警戒のせいもある),深夜2時頃には船内がざわざわし始めた。昼間の士官学校生が言ったとおり,ワインガプ(スンバ島)にまもなく入港するのだ。
ゴキブリだらけの環境のため「荷を解く」という行為をしていないので,荷造りはほぼ不要で下船準備完了。
それにしても,ペルニ船の下船時の騒乱ぶりは日本のそれとはまったく違う。下船客の数の単位が違うし,それぞれが持っている荷物の量も桁違いだ。「オラオラ,怪我すんぞ!そこどけや!」という感じで下船客の奔流がタラップを下っていく中を,いち早く船に乗り込もうとする到着港のポーターや振売り商人が逆走する。無茶苦茶だ。
私は朝3時に港に下りてもすることがないので,怪我をしないように一番後ろから下船する。 -
下船したあとは夜明けまで時間を潰したいので,迎えを待っている乗客らと一緒に岸壁で過ごす。
-
やがて,乗客らは迎えの家族のバイクや自動車に乗って三々五々去り,港の喧騒は収まっていった。
-
岸壁から乗船待合室のある小さな建物のほうに移動して,周辺の様子を観察する。
建物の周辺では,乗船客相手にコーヒーやカップ麵を売る露天商が数人だけ商品を並べている。
どうやら,ここはワインガプの旧市街にある港ではなさそうな気がする。港の周辺に何もないからだ。
ただし,ここがワインガプであることは間違いない。ここは一体どこだろう。 -
ペルニ船ビナイヤ号が接岸したのは,ワインガプの新港だった。
ワインガプ新港は,旧市街にある旧港と海を挟んで目と鼻の先にあるのに,陸路で行こうとするとずっと南のほうを回り込んでいかなくてはならない不便な場所にある。
どうしてこんな不便なところに新港を建設したのか事情はよく分からないが,これだと夜が明けたとしても,新港から宿のある市街地へ行く交通手段がない。
周辺を探してみたが,ベモやベントールの姿はない。大きな荷物を抱えているので,オジェk(バイタク)は危険。困った。 -
本来なら,夜が明けてから旧市街あるいは新市街までの道(約6km)を歩き,その道中で何らかの交通手段を探すところだが,ペルニ船の旅で気力・体力ともに消耗していた。
そこで,港にいた数人のポーターたちと交渉して,ある男のピックアップトラックで宿まで送り届けてもらうことになった。かなり吹っかけられたが,ここは致し方ない。
宿は朝6時にすんなりチェックインさせてくれ,ここに第1回のベル二船の旅はほうほうの体で完了した。
(つづく)
「ワインガプ逍遥」
https://4travel.jp/travelogue/11906638
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