2024/01/07 - 2024/01/14
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タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
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「1988年8月2日早朝。この日は朝から雨がちだった。私は,バンガイ島の市場の前に立って,あるものを探していた。
前日,ティナキン・ラウト村という,海洋民族バジャウ人の村を訪れた私たちは,村長に,村の主食が何かを尋ねた。人びとが何を作り,何を運び,何を食べているのかが私たちの関心だったからだ。村長は答えた,『サグです』。サゴヤシでんぷんのことだ。どこで手に入れるのですか? 『町の市場で買ってきます』
町の市場は,じつは私たちの宿の目の前であった。翌日,私はさっそく町の市場を歩いた。前日も歩いていたのだが,サゴでんぷんの存在には気がつかなかった。そもそも私は,それまでサゴでんぷんというものを見たことがなかったのだ。しかし,この日,市場の端で,若い女性が,逆円錐状のかごに白いものを詰めて売っているのを見たとき,ピンと来るものがあった。『これは?』『サグだよ』。これだ。1かご1800ルピア(当時のレートで約150円)。よく見ると,市場の中では,この女性以外にも,サゴでんぷんを売っている女性が数人いた。ぜひサゴでんぷんを作っている現場を見たい。私たちの願いを伝えると,彼女は恥ずかしがりながらも,OKしてくれた。
女性の名はハティジャさん(21歳=当時)。夫のシャフルディンさん(20歳=当時)が別の男性とともにサゴヤシでんぷんを作っている。ハティジャさんは,町の市場に売りに来る役割だ。
町からほど近いところに,サゴヤシの密林があった。無秩序なジャングルのように見えるが,住民が植えたサゴヤシ群である。サゴヤシは湿地帯に生える。そのため,一般の目にはなかなか触れにくい。足を水びたしにしながら,密生するサゴヤシのなかを歩いていくと,忽然と,サゴでんぷんの作業場が現れた。
インドネシアと言うと,水田のイメージが強い。しかし,スラウェシ島以東へ来ると,水田は消え,サゴ文化圏に入る。ここでは,米に代わってサゴでんぷんが主食である。
サゴヤシ(Metroxylon sagus あるいは Metroxylon rumphii)は,マレーシア,インドネシアからパプアニューギニアにかけての地域を中心に植生しているヤシである。その幹の髄に豊富なでんぷんを有しており,これが食用として非常に重要な食料源になっている。
バンガイ島で私たちが初めて見た,サゴヤシからでんぷんを抽出する作業は,大きくふたつの工程に分かれていた。
第一の工程は,サゴヤシの髄を掻き落とす工程である。まずは,10年以上の成熟したサゴヤシを花が咲く前に切り倒す。花が咲き実がなってしまうと,幹の髄が乾いて枯れてしまう。だから,花が咲く前の,十分にでんぷんを貯蔵した段階で切り倒す。切り倒した幹にくさびを入れ,ふたつの半円柱に割る。薄い樹皮のすぐ内側にある髄はやわらかいので,ごく簡単に割れる。そして,髄の部分を,L字型の道具を使って掻き落とす。サゴヤシの髄の,いくらか湿った木屑が出来る。この木屑にでんぷんがたくさん含まれているのだ。
もうひとつの工程は,ハティジャさんの夫のシャフルディンさんが担当している部分で,サゴでんぷんを抽出する工程である。掻き落としたサゴヤシの木屑には,でんぷんのほか,繊維質などの不純物が含まれている。ナイロンで編まれた,細かい目の米袋を利用し,水と混ぜてこねながら濾過すると,不純物は米袋に残り,下にはでんぷんと水分のみが落ちる。受け皿は,サゴヤシの樹皮でつくった数メートル長の容器である。この細長い舟のような容器には,ゆるやかな傾斜がもたせてあるので,うわずみの水が流れ落ち,容器にはサゴでんぷんがたまる。
雨が激しくなってきたので,私たちは,作業現場を離れ,ハティジャさんの家へ向かった。道すがら,子どもたちが大きなタロイモの葉をかざして雨をしのいでいた。
ダーウィンとともに進化論を提唱したイギリス人アルフレッド・ウォーレスは1860年にこの地域を訪れてサゴヤシに出会い,次のような記録を残している。
『長さ20フィート,幹回り4,5フィートもあるこの木の幹が全部食べものに化けるなんて,しかもそのための労働や準備が少ししか要らないなんて,本当に驚きだ』(Alfred Russel Wallace, The Malay Archipelago,1869)
これは,ウォーレスの130年後に訪れた私たちの驚きでもあった。
バンガイ島で聞いたところでは,一本のサゴヤシからでんぷんを抽出するのに一週間かかり,この島でボイスと呼んでいる独特の逆円錐状のかごに100個分のサゴでんぷんができるという。ウォーレスは,『大きいサイズの木なら30トマンのサゴでんぷんを作り出す』という記録を残している。バンガイ島のあと私たちが訪れた他の島じまでは,サゴでんぷんをトゥマンと呼ばれる低い円筒状の容器に入れていた。ウォーレスが言うトマンはこのトゥマンに違いない。いずれにせよ,一週間程度の労働で,かなりの量の主食が手に入る。木全体にでんぷんを詰め込んだこの木の不思議の前に,私たちはただ驚くばかりであった。
驚いたのは木の不思議ばかりではなかった。ここででんぷんを抽出するために使われる道具は,徹底して現場のものだった。サゴヤシの外皮,葉柄,ココヤシの葉鞘,竹,籐。すべて現場の有機物だった。唯一の無機物は,濾すのに使われている米袋のみだった(別の村では,米袋ではなく,ココヤシの樹皮を使っていた)。そして使い終わったものは,その場に捨てられ,大地に戻る。生産から生まれるものばかりでなく,捨てられるものにも注目していた私たちは,このシンプルでしかも巧妙なシステムに感心した。この方法は,ウォーレスが130年前に見たのと,基本的に変わっていない。
ところで,サゴでんぷんそのものは,ただのでんぷんである。したがって,特別,味もにおいもしない。しかし,バンガイ島のハティジャさんの家で生まれて初めて食べたサゴ料理は,たいそう美味なものであった。
いったん水でといておいたサゴヤシでんぷんに,熱湯をさっと加えると,一瞬のうちに,どろりとした,半透明の糊状のものになる。これを魚のスープなどと一緒に食べる。サゴヤシの葉を葺いた屋根の,素朴な造りのハティジャさんの家で,これをごちそうになった。
戸外の雨は,いつのまにか,小降りになっていた。
私は,ハティジャさんの家のサゴヤシを見せてもらってから,とりつかれたように,サゴヤシを追いかけるようになった。
日本で生きる私たちは,あまりに多くのモノに囲まれながら,それらが,何を材料に,どこでどんなふうに作られているのか,その生産現場から,ますます遠ざけられている。もちろん生産現場はいろいろな問題を抱えている。しかし,生産現場を見るということは,とにもかくにも楽しく,また面白いものなのだ。そこにも人が生きていて,生活をしている。
市場で,サゴヤシを入れた容器”トゥマン”に出会うたび,私の心は躍った。
このトゥマンという容器そのものについて,実は,私は当初間違った認識をしていた。最初これに出会ったとき,私はこれをバナナの葉で作ったものだと思い込んでしまった。フィールドノートにもそのように記述した。包む葉と言えばバナナの葉という先入観のなせるわざだった。それがバナナの葉ではなく,三種類のヤシを巧妙に組み合わせて作った容器だということを知ったのは,旅も終わりに近づいてきたころだった。」
「思い込みが見事に壊されるとき,私たちは,快い驚きに包まれる。偏見が崩れるということは,同時に,そこに新しい認識の枠が出来上がるということだ。認識の枠は,出来上がっては壊れ,出来上がっては壊れる。それこそが旅の醍醐味だ。」
宮内泰介「サゴヤシの興奮」(村井吉敬・藤林泰編『ヌサンタラ航海記』リブロポート1994収録)より
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
アンボンの街に着いて,どうやらここは,これまでとは雰囲気が違うぞ,と思った。
ワインガプ,エンデ,クパンといった東ヌサトゥンガラの街は,基本的に田舎っぽい雰囲気で静かだし,人びとも素朴で正直そうな感じがする。
マカッサルは大都市すぎて,ひと言で表現することはできないが,ここアンボンは,街は雑然とし,喧騒に包まれ,抜け目なさそうな人びとがこちらを見やってくる。私の肌は,「あ,ここはインドだ」という信号を脳に送ってきた。 -
そういう雰囲気の街なので,アンボンではまず市場へ向かった。
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アンボンの中心部から徒歩圏内に,マルディカMardika市場というのがあるので行ってみる。
このエリアには,常設市場のほかに,露店の青果市場・魚市場,市内・近郊のアンコタのターミナルがある。また,アンボンの対岸(旧ヒトゥHitu島側)のWayameという集落への渡船もここから出ており,空港へアンコタ利用で行く人はこれを利用することになる。 -
おっ,アンボンではまだベチャが健在のようだ。
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渡船の桟橋が見えてきた。
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見ていると,ちょうど対岸からモーターボートが到着。10人乗りくらいの大きさか。
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この辺りから青果市場が始まる。
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魚を売る露天商も出始める。どうやら,青果市場と魚市場は截然と分かれているのではなく,入り乱れているようだ。
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三尺ささげ,ハヤトウリ,きゅうり,ゴーヤ,ナス。インドネシアの青果市場で定番のものが並ぶ。
ハヤトウリは,インドネシアで”Labu Siam”(シャムかぼちゃ)という。 -
サツマイモとキャッサバ,泥だらけなのはタロイモかな?
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白いのは豆腐とテンペ,そして中華麺bakmiとバッソbakso(肉団子)が並ぶ。
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ちょっと見えにくいが,ツツイカを売る露店。
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ビニールシートの上に広げられたサラクsalak。
サラクはサラクヤシの実で,「青リンゴ味のアイスキャンデー」のようなさわやかな甘味がおいしい。果汁は少なく,日本では出会わないカリコリとした食感。
どこの産か訊いてみたら,マナドということだった。 -
紫色・赤色・緑色・白色とカラフルなのは,クルプッkerupuk(揚げせんべい)の揚げる前のもの。
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ティモール島で食べたパパイヤの花だ。
それはいいとして,左に見える炭団(たどん)のような丸いものは何だろう? -
ここにもある。濃い緑色のと白いのと。この店でも,パパイヤの花と一緒に売っている。
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数は多くないが,マルク諸島の特産品イカンアサールikan asar(マグロやカツオの燻製=なまり節)を売る店があった。
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もやしと並んでいるこれは何だろう。パパイヤの花と一緒に売っていた丸いのとは違うものだが,おからのように丸めて売られている。
もしかしたら,これはマルク諸島周辺でしか見られない(クエ・)スアミkue suami(イモから作られる主食のひとつ)というものだろうか?とか考えてみたりする。しかし,さっきのイカンアサールと一緒に売られていたならその可能性は高いが,もやしと一緒ではちょっと違うかな。
アンボンの市場では,地域独特のものにいくつも遭遇して面白い。 -
そして,この市場でついに出会えたサグルンプンsagu lempeng。サゴ文化圏に入った,という感慨が湧いてくる。
うっすら紅色のサグルンプンは,サゴでんぷんで作った乾パンのようなもので,そのまま食べることも可能な保存食である。しっとりした食感のものから,固くてパリッとしたものまである。
通常,サゴルンプン自体に味はついておらず,スープや甘いコピに浸して食べると手軽で食べやすい。
ここで気がついた。さっき,もやしと一緒に売られていたおからのボールのようなもの,あれは生のサゴでんぷんsagu basah mentahだ。ちょうどパペダ一食分ほどの量を丸めて小売りしていたに違いない。 -
これは一緒に買ったバゲア(サゴクッキー)。
やたらと押しの強いおばさんが売っていて,1袋20kIDRだった。
どうせ倍くらいに吹っかけているんだろうと思っていたが,あとから考えるとそうでもなかった。
クナリナッツが入っていて,香ばしくおいしい。
(1kIDR=約10円) -
さらに押しの強い隣の婆さんが「ごれも買え"~」と迫ってくる。なんだかインド人より怖いぞアンボン婆さん。「10kIDRぶんだけちょうだい」と紙幣を渡して大人しくしてもらう。
これもサゴの菓子で,サグトゥンブsagu tumbuというものだ。サゴとクナリの粉とグラメラを練ったようなものを飴のようにセロファンで包んでいる。柔らかく,ざらりとした舌触り。
ドドルdodolに似ているが,サグトゥンブにはもち米を使っていない。素朴な菓子だ。
(1kIDR=約10円) -
久しぶりに,こんなに大きなアジアの市場を堪能した。ここには滞在中何度も通うことになるだろう。
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市場の中に,アンコタ(乗合いバス)のターミナルがある。
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周辺はターミナルに入ろうとするアンコタで渋滞しているが,すべてのアンコタがターミナルで発着するわけではない。市場の路地に,行き先別にアンコタが屯し,乗客が集まったら順次発車していく。
アンボンのアンコタは行き先(や路線名)が車体に記載されているので,比較的分かりやすい。 -
ここらで市場をいったん離れ,今度はアンボンのスーパーマーケットに入ってみる。
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スーパーマーケットの生鮮食料品は,利便性を考えたものが並んでいる。
これは1回分の豆のスープの材料をパックにしたもの。
材料はいずれも加工されておらず(生の豆,皮をむいていない馬鈴薯・ニンジン,カットされていない香草),付加価値は低い。 -
こちらはサンバルロアという燻製魚のサンバルの材料パック。
材料が一目で分かるので,見ていて面白い。 -
野菜は洗浄されたものがポリ袋詰めになっている。これはモリンガの葉。
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これはクナリナッツのサゴクッキー「(クエ)スルックナリkue serut kenari」。バゲアと違って加糖されていて甘く,食感はさっくりしていて(たぶん小麦粉も混ぜている)誰でも食べやすい。アンボンみやげとして定番ということだ。
市場で買ったバゲアは,個人的には素朴で好きだが,かなり固いものなので歯の悪い人には向かない。 -
これはアンボン特産のものではないが,ジェンゴルjengol(ジリン豆)のクルプッ(揚げせんべい)を見つけたので購入。独特の苦味が利いていて,好みの味だった。
さて,次はアンボンの食堂を巡っていこう。
(つづく)
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