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国宝に指定された際には、街中が大きな喜びに包まれたと説明頂いた伏木の勝興寺を拝観した後、高岡市街に戻ってきました。<br />高岡古城や高岡大仏を観光しながら、昨日、開館時間に間に合わなかった山町筋の旧商家などを散策します。

富山訪問2023⑥(高岡の歴史的建造物を見学:高岡市Ⅲ・高岡古城公園、射水神社、高岡大仏、土蔵造りのまち資料館、金屋町他)

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2023/03/10 - 2023/03/11

225位(同エリア628件中)

旅行記グループ 富山訪問

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赤い彗星

赤い彗星さん

この旅行記スケジュールを元に

国宝に指定された際には、街中が大きな喜びに包まれたと説明頂いた伏木の勝興寺を拝観した後、高岡市街に戻ってきました。
高岡古城や高岡大仏を観光しながら、昨日、開館時間に間に合わなかった山町筋の旧商家などを散策します。

旅行の満足度
4.0
  • 氷見線の越中中川駅で下車し、駅から歩いて5分程の場所にある高岡古城公園にやってきました。

    氷見線の越中中川駅で下車し、駅から歩いて5分程の場所にある高岡古城公園にやってきました。

    高岡古城公園 公園・植物園

  • 水堀沿いに紅白の梅が咲いていました。(白い梅は、端っこにちょっとだけ。)<br />訪問した際には気付きませんでしたが、すぐ近くに梅林があったようです。

    水堀沿いに紅白の梅が咲いていました。(白い梅は、端っこにちょっとだけ。)
    訪問した際には気付きませんでしたが、すぐ近くに梅林があったようです。

  • 本丸と小竹薮を堀越しに結ぶ朱色の太鼓橋・朝陽橋を渡って、本丸方面に向かいます。

    本丸と小竹薮を堀越しに結ぶ朱色の太鼓橋・朝陽橋を渡って、本丸方面に向かいます。

  • 高岡城は、満々と水をたたえた大きな水堀を備えた堅城だったようです。

    高岡城は、満々と水をたたえた大きな水堀を備えた堅城だったようです。

  • 本丸跡は、建物跡なども無くただただ広い広場が拡がっています。<br />本丸を囲む周囲の土塁だけ残っていますね。<br />高岡城は、加賀前田家二代当主・前田利長が暮らしていた富山城の焼失によって新たに築城されましたが、一国一城令に伴い、約5年ほどしか使用されなかった城郭です。<br />棄教せずに領地を取り上げられ、前田家に客将として仕えていた元キリシタン大名の高山右近による縄張りと伝わっています。

    本丸跡は、建物跡なども無くただただ広い広場が拡がっています。
    本丸を囲む周囲の土塁だけ残っていますね。
    高岡城は、加賀前田家二代当主・前田利長が暮らしていた富山城の焼失によって新たに築城されましたが、一国一城令に伴い、約5年ほどしか使用されなかった城郭です。
    棄教せずに領地を取り上げられ、前田家に客将として仕えていた元キリシタン大名の高山右近による縄張りと伝わっています。

  • 本丸跡に鎮座する射水神社は、古代から明治時代に現在地に遷座するまで一千年以上もの間、現在地から5kmほど北にある二上山の山麓に鎮座していた神社です。

    本丸跡に鎮座する射水神社は、古代から明治時代に現在地に遷座するまで一千年以上もの間、現在地から5kmほど北にある二上山の山麓に鎮座していた神社です。

  • 明治8年(1875)に二上山山麓から、高岡城本丸跡に遷座されたことを記念して、高岡市民から奉納された八重の紅梅。樹齢400年以上と伝わる梅です。

    明治8年(1875)に二上山山麓から、高岡城本丸跡に遷座されたことを記念して、高岡市民から奉納された八重の紅梅。樹齢400年以上と伝わる梅です。

  • 鳥居を挟んで、紅梅の向かいに植えられている白梅。

    鳥居を挟んで、紅梅の向かいに植えられている白梅。

  • 大きな屋根が付き出ているようにも見える外拝殿。<br />社殿は、明治8年に高岡城本丸跡に遷座された後、明治35年に造営されたものです。

    大きな屋根が付き出ているようにも見える外拝殿。
    社殿は、明治8年に高岡城本丸跡に遷座された後、明治35年に造営されたものです。

    射水神社 寺・神社・教会

  • 外拝殿に掲げられている射水神社の扁額は、加賀藩十二代藩主・前田斉泰の筆によるものです。

    外拝殿に掲げられている射水神社の扁額は、加賀藩十二代藩主・前田斉泰の筆によるものです。

  • 干支のウサギが、現代アート風に描かれ奉納されていました。

    干支のウサギが、現代アート風に描かれ奉納されていました。

  • 昭和50年に行われた遷座百年祭による修復で、銅板で巻かれた大鳥居。

    昭和50年に行われた遷座百年祭による修復で、銅板で巻かれた大鳥居。

  • 高岡古城公園の案内板。<br />加賀前田家三代当主の利常は、利長の意向を組んで廃城となった高岡城の構造をそのまま残しました。現在公園となっている城郭跡は、江戸前期に築城された当時の城郭構造を見る事が出来ます。

    高岡古城公園の案内板。
    加賀前田家三代当主の利常は、利長の意向を組んで廃城となった高岡城の構造をそのまま残しました。現在公園となっている城郭跡は、江戸前期に築城された当時の城郭構造を見る事が出来ます。

  • 高岡古城公園の本丸跡から、歩いて10分程の場所にある高岡大仏にやってきました。

    高岡古城公園の本丸跡から、歩いて10分程の場所にある高岡大仏にやってきました。

  • 完全に逆光ですが、現在の高岡大仏は三代目の大仏だそうです。<br />初代と二代目の木造大仏が、大火で類焼してしまったため、三代目は青銅製大仏として昭和8年(1933)に造立されました。

    完全に逆光ですが、現在の高岡大仏は三代目の大仏だそうです。
    初代と二代目の木造大仏が、大火で類焼してしまったため、三代目は青銅製大仏として昭和8年(1933)に造立されました。

    高岡大仏 寺・神社・教会

  • 境内の時鐘。まだ時計が普及していない時代、高岡市民に時間を知らせるために文化3年(1806)時鐘が鋳造されました。大火による移転を繰り返しましたが、昭和6年(1931)大仏寺に寄進され、現在に至っています。

    境内の時鐘。まだ時計が普及していない時代、高岡市民に時間を知らせるために文化3年(1806)時鐘が鋳造されました。大火による移転を繰り返しましたが、昭和6年(1931)大仏寺に寄進され、現在に至っています。

  • 高岡大仏は、日本三大仏の一つにも挙げられていますが、以前拝観した岐阜の正法寺に鎮座している岐阜大仏も三大仏の一つとなっていましたね。<br />奈良東大寺の大仏と鎌倉大仏は確定で、残りの一つは諸説あるようですが、本来は今は失われてしまった京都の方広寺に鎮座していた大仏が三大仏の一つだったようです。

    高岡大仏は、日本三大仏の一つにも挙げられていますが、以前拝観した岐阜の正法寺に鎮座している岐阜大仏も三大仏の一つとなっていましたね。
    奈良東大寺の大仏と鎌倉大仏は確定で、残りの一つは諸説あるようですが、本来は今は失われてしまった京都の方広寺に鎮座していた大仏が三大仏の一つだったようです。

  • 道路の標識にもかわいい大仏様が描かれています。

    道路の標識にもかわいい大仏様が描かれています。

  • 古い街並みが残る山町筋に向けて歩いている途中に振り返ると、まだ大仏様が見えていました。

    古い街並みが残る山町筋に向けて歩いている途中に振り返ると、まだ大仏様が見えていました。

  • 昨日、時間切れで閉まっていた土蔵造りのまち資料館を訪れました。<br />入場して通り土間を進み、暖簾をくぐった途端、「あら~」と受付の方に声を掛けられました。なんと、昨日瑞龍寺で説明して頂いたボランティアガイドさんが、受付に座っていました。ガイドさんは施設専属だと思っていたので、「ローテーションで担当代わるんですね。」と言うと、「そうなのよ~。」とおっしゃっていました。

    昨日、時間切れで閉まっていた土蔵造りのまち資料館を訪れました。
    入場して通り土間を進み、暖簾をくぐった途端、「あら~」と受付の方に声を掛けられました。なんと、昨日瑞龍寺で説明して頂いたボランティアガイドさんが、受付に座っていました。ガイドさんは施設専属だと思っていたので、「ローテーションで担当代わるんですね。」と言うと、「そうなのよ~。」とおっしゃっていました。

    土蔵造りのまち資料館 名所・史跡

    古い街並みが残っている山町筋に面した土蔵造りの商家を利用した資料館 by 赤い彗星さん
  • 入館料は300円。2024年5月1日より、平日の見学は事前予約制となったようです。

    入館料は300円。2024年5月1日より、平日の見学は事前予約制となったようです。

  • 土蔵造りのまち資料館は、昭和20年まで綿糸や綿布の卸売業を営んでいた旧室崎家住宅で室崎氏の転居に伴い、土蔵造りの住宅を高岡市が資料館として整備したものです。瑞龍寺に続いて、連日同じガイドさんに説明して頂きました。

    土蔵造りのまち資料館は、昭和20年まで綿糸や綿布の卸売業を営んでいた旧室崎家住宅で室崎氏の転居に伴い、土蔵造りの住宅を高岡市が資料館として整備したものです。瑞龍寺に続いて、連日同じガイドさんに説明して頂きました。

  • 座敷の床の間に面した壁は、朱壁になっています。<br />金沢のお茶屋などで伝統的に使用されている様式のようです。<br />ベンガラの産地であった岡山県高梁市の吹屋を訪れたことがありますが、ベンガラ色は当時の高級仕様だったので、室崎家の財力がよく分かりますね。

    座敷の床の間に面した壁は、朱壁になっています。
    金沢のお茶屋などで伝統的に使用されている様式のようです。
    ベンガラの産地であった岡山県高梁市の吹屋を訪れたことがありますが、ベンガラ色は当時の高級仕様だったので、室崎家の財力がよく分かりますね。

  • 壁の色に合わせて家具もベンガラ色が施されています。<br />扉には装飾もされており、一般家庭では見かけないような高級家具だと思われます。

    壁の色に合わせて家具もベンガラ色が施されています。
    扉には装飾もされており、一般家庭では見かけないような高級家具だと思われます。

  • 段々にはなっていませんが、牛車や輿なども付随した豪華なお雛様。

    段々にはなっていませんが、牛車や輿なども付随した豪華なお雛様。

  • 祭りで使われていた法被が展示されています。

    祭りで使われていた法被が展示されています。

  • 高岡御車山祭で使用される山車の模型が、ずらりと並んでいます。

    高岡御車山祭で使用される山車の模型が、ずらりと並んでいます。

  • 二つの部屋の間に設けられたステンドグラス。

    二つの部屋の間に設けられたステンドグラス。

  • 土蔵造りのまち資料館と同じ山町筋に面している、重要文化財の菅野家住宅にやってきました。入館料は、300円です。

    土蔵造りのまち資料館と同じ山町筋に面している、重要文化財の菅野家住宅にやってきました。入館料は、300円です。

    菅野家 名所・史跡

  • 現在も居住されている住宅ということで、特別な配慮で見学させて頂ける貴重な土蔵造りの商家です。

    現在も居住されている住宅ということで、特別な配慮で見学させて頂ける貴重な土蔵造りの商家です。

  • ちょうどひな祭りの季節という事で、小さな変わり雛が販売されていました。<br />人形ごとに帽子のデザインが違うので手作りかもしれないですね。

    ちょうどひな祭りの季節という事で、小さな変わり雛が販売されていました。
    人形ごとに帽子のデザインが違うので手作りかもしれないですね。

  • 菅野家は、江戸時代から明治期にかけて廻船の通商などで財を築き、明治22年に高岡銀行を設立、明治36年に高岡電燈を創立し、政界にも進出するなど、高岡政財界の中心的な存在だったそうです。

    菅野家は、江戸時代から明治期にかけて廻船の通商などで財を築き、明治22年に高岡銀行を設立、明治36年に高岡電燈を創立し、政界にも進出するなど、高岡政財界の中心的な存在だったそうです。

  • 菅野家住宅の中庭。

    菅野家住宅の中庭。

  • 黄鐘と書かれた複数の鐘がぶら下がっています。<br />雅楽の十二律の音律の基本となる音を出す鐘のようです。

    黄鐘と書かれた複数の鐘がぶら下がっています。
    雅楽の十二律の音律の基本となる音を出す鐘のようです。

  • 千保川に面した金屋町に向かう際に渡る鳳鳴橋上には、細身の鳳凰像が立っていました。

    千保川に面した金屋町に向かう際に渡る鳳鳴橋上には、細身の鳳凰像が立っていました。

    鳳鳴橋 名所・史跡

  • 鳳鳴橋を渡った角にある金屋緑地公園に寄ってみます。

    鳳鳴橋を渡った角にある金屋緑地公園に寄ってみます。

  • 高岡の産業である鋳物で作成された彫刻。

    高岡の産業である鋳物で作成された彫刻。

  • 公園内には、高岡鋳物発祥地の記念碑が、ひっそりと建っています。

    公園内には、高岡鋳物発祥地の記念碑が、ひっそりと建っています。

  • 千本格子の家並みが残る金屋町の通り。<br />加賀前田家二代当主の前田利長が、高岡の産業発展を図るために、砺波郡西部金屋から7人の鋳物師を招いて現在の金屋町に住まわせたことが、後世の高岡鋳物としての銅器の産地へと繋がりました。

    千本格子の家並みが残る金屋町の通り。
    加賀前田家二代当主の前田利長が、高岡の産業発展を図るために、砺波郡西部金屋から7人の鋳物師を招いて現在の金屋町に住まわせたことが、後世の高岡鋳物としての銅器の産地へと繋がりました。

    金屋町(千本格子の家並み) 名所・史跡

  • 通りに面した高岡市鋳物資料館に立ち寄ってみます。

    通りに面した高岡市鋳物資料館に立ち寄ってみます。

  • 資料館前の通り土間には、高岡鋳物が展示されています。

    資料館前の通り土間には、高岡鋳物が展示されています。

  • こちらは無料で見学が出来ます。<br />鋳物の制作方法や色々な種類の鋳物が展示されており、範囲は狭いですが、無料と考えると十分な展示品が用意されていると感じました。

    こちらは無料で見学が出来ます。
    鋳物の制作方法や色々な種類の鋳物が展示されており、範囲は狭いですが、無料と考えると十分な展示品が用意されていると感じました。

  • 高岡市鋳物資料館は、通り土間を通った奥に位置しています。

    高岡市鋳物資料館は、通り土間を通った奥に位置しています。

    高岡市鋳物資料館 美術館・博物館

  • 高岡開町400周年を記念して、2009年に青銅で作成された前田利長の兜、銀鯰尾形兜。

    高岡開町400周年を記念して、2009年に青銅で作成された前田利長の兜、銀鯰尾形兜。

  • 高岡市鋳物資料館の展示室は、一部屋だけの小さな資料館でした。

    高岡市鋳物資料館の展示室は、一部屋だけの小さな資料館でした。

  • 千本格子の家並みに軒を連ねる大寺幸八郎商店。<br />銅器や錫製品の販売などを行っているようです。

    千本格子の家並みに軒を連ねる大寺幸八郎商店。
    銅器や錫製品の販売などを行っているようです。

  • 大寺幸八郎商店前の銅像。<br />ラジオ体操の一コマかな。大人になるとこの角度では、なかなか体が曲がらない。。

    大寺幸八郎商店前の銅像。
    ラジオ体操の一コマかな。大人になるとこの角度では、なかなか体が曲がらない。。

  • 金屋町を散策している最中に見つけた宗泉寺。<br />由来なども書かれていなかったので、どのようなお寺かは不明。

    金屋町を散策している最中に見つけた宗泉寺。
    由来なども書かれていなかったので、どのようなお寺かは不明。

  • 宗泉寺の本堂。

    宗泉寺の本堂。

  • 銅製品を扱っている店舗の前には、子供の銅像が飾られているようです。

    銅製品を扱っている店舗の前には、子供の銅像が飾られているようです。

  • サッカーボールを持った少年と大黒さんの銅像。

    サッカーボールを持った少年と大黒さんの銅像。

  • 時間の合うバスが無く、金屋町から高岡駅に歩いて戻ってきました。高岡駅北口の末広町周辺は、歩道にアーケードが掛かっており、飲食店なども多く並んでいます。

    時間の合うバスが無く、金屋町から高岡駅に歩いて戻ってきました。高岡駅北口の末広町周辺は、歩道にアーケードが掛かっており、飲食店なども多く並んでいます。

  • 高岡駅に向かう地下通路には、高岡の名所写真が掲載されています。

    高岡駅に向かう地下通路には、高岡の名所写真が掲載されています。

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