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氷見線の終点駅・氷見から、伏木に移動してきました。<br />高岡市の北端に位置する伏木駅周辺には、歩いて回れる範囲で観光スポットが集まっています。<br /><br />目玉スポットは、令和4年に本堂と大広間及び式台の2棟が、国宝に指定された勝興寺。昨日拝観した瑞龍寺と共に、高岡市が誇る国宝建造物です。<br />氷見線の列車時刻の関係であまりゆっくりと廻る事は出来ませんでしたが、時間をかけて観光したいなと思える場所でした。

富山訪問2023⑤(令和4年に国宝に指定された勝興寺を拝観:高岡市Ⅱ・勝興寺、伏木気象資料館、伏木北前船資料館)

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2023/03/10 - 2023/03/11

211位(同エリア629件中)

旅行記グループ 富山訪問

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64

赤い彗星

赤い彗星さん

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氷見線の終点駅・氷見から、伏木に移動してきました。
高岡市の北端に位置する伏木駅周辺には、歩いて回れる範囲で観光スポットが集まっています。

目玉スポットは、令和4年に本堂と大広間及び式台の2棟が、国宝に指定された勝興寺。昨日拝観した瑞龍寺と共に、高岡市が誇る国宝建造物です。
氷見線の列車時刻の関係であまりゆっくりと廻る事は出来ませんでしたが、時間をかけて観光したいなと思える場所でした。

旅行の満足度
4.5
  • 氷見駅から、氷見線に乗って20分弱。伏木駅に到着しました。

    氷見駅から、氷見線に乗って20分弱。伏木駅に到着しました。

    伏木駅

  • 伏木駅前には、歌舞伎の勧進帳で有名なシーンが再現された銅像が置かれています。<br />義経主従ではないかと疑われた一行は、武蔵坊弁慶が義経を扇で打ち据える機転を効かせ、窮地を乗り切ったと云われています。<br />高岡市伏木には、如意の渡しと呼ばれる渡し舟があり、義経主従が奥州への逃避行で如意の渡しを通りかかった際の逸話として、「義経記」に記されているそうです。

    伏木駅前には、歌舞伎の勧進帳で有名なシーンが再現された銅像が置かれています。
    義経主従ではないかと疑われた一行は、武蔵坊弁慶が義経を扇で打ち据える機転を効かせ、窮地を乗り切ったと云われています。
    高岡市伏木には、如意の渡しと呼ばれる渡し舟があり、義経主従が奥州への逃避行で如意の渡しを通りかかった際の逸話として、「義経記」に記されているそうです。

  • 伏木駅正面の坂道を登っていくと、勝興寺に到着します。

    伏木駅正面の坂道を登っていくと、勝興寺に到着します。

  • 坂の下には、高岡市伏木に越中国国府が置かれていたことを示す石碑が立っていました。

    坂の下には、高岡市伏木に越中国国府が置かれていたことを示す石碑が立っていました。

  • 坂の途中に置かれた自動販売機の側面。<br />ちょっと休んでいるとは思えないくらいに、リラックスしてくつろいでいる鬼の絵が描かれていました。

    坂の途中に置かれた自動販売機の側面。
    ちょっと休んでいるとは思えないくらいに、リラックスしてくつろいでいる鬼の絵が描かれていました。

  • 先程の自販機を少し登った開けた場所に立っている「越中国守館址」の石碑。<br />坂の上の高台に位置している勝興寺の敷地も含め、古代の越中国国府の守館が置かれていた場所と伝わっています。

    先程の自販機を少し登った開けた場所に立っている「越中国守館址」の石碑。
    坂の上の高台に位置している勝興寺の敷地も含め、古代の越中国国府の守館が置かれていた場所と伝わっています。

  • 越中国守館址石碑前には、高岡市伏木気象資料館が建っています。測候所庁舎は、明治期の小学校のような形状をしています。横に建っている塔は、3階建ての側風塔です。

    越中国守館址石碑前には、高岡市伏木気象資料館が建っています。測候所庁舎は、明治期の小学校のような形状をしています。横に建っている塔は、3階建ての側風塔です。

    高岡市伏木気象資料館 美術館・博物館

  • 外からは中の様子が分かりませんが、開館中になっているので入場してみます。<br />入館料は300円です。

    外からは中の様子が分かりませんが、開館中になっているので入場してみます。
    入館料は300円です。

  • 平成29年3月にリニューアルされたということで、建物内部は、壁面も塗り直されていてムラもありません。

    平成29年3月にリニューアルされたということで、建物内部は、壁面も塗り直されていてムラもありません。

  • 旧伏木測候所は、伏木港近代化や富山初の小学校設立などに力を尽くした明治期の実業家・藤井能三氏らにより、日本初の私設測候所として、伏木燈明台に併設する形で建設されました。<br />明治42年に現在地に移転し、現在見る事が出来る洋風木造建築物の庁舎が建てられています。

    旧伏木測候所は、伏木港近代化や富山初の小学校設立などに力を尽くした明治期の実業家・藤井能三氏らにより、日本初の私設測候所として、伏木燈明台に併設する形で建設されました。
    明治42年に現在地に移転し、現在見る事が出来る洋風木造建築物の庁舎が建てられています。

  • 平成10年に無人化されましたが、気象観測所として設立されてから、100年以上経った現在も現役で気象観測が続けられています。

    平成10年に無人化されましたが、気象観測所として設立されてから、100年以上経った現在も現役で気象観測が続けられています。

  • 坂を登り切った場所に立っている大伴家持像と歌碑。<br />万葉集に多くの歌が収められている歌人として有名ですが、越中守として越中国国府に赴任したこともあり、旧国府址近くに銅像が建てられています。

    坂を登り切った場所に立っている大伴家持像と歌碑。
    万葉集に多くの歌が収められている歌人として有名ですが、越中守として越中国国府に赴任したこともあり、旧国府址近くに銅像が建てられています。

  • 駅からの道路の突き当りに、勝興寺の総門が見えてきました。

    駅からの道路の突き当りに、勝興寺の総門が見えてきました。

  • 総門を通り過ぎるとすぐに目に入る重要文化財の鼓堂。<br />望楼型の建物を見ていると、壁面の色などから諏訪の高島城が思い浮かびました。

    総門を通り過ぎるとすぐに目に入る重要文化財の鼓堂。
    望楼型の建物を見ていると、壁面の色などから諏訪の高島城が思い浮かびました。

  • 重要文化財の唐門。<br />明治26年に京都の興正寺から譲り受け移築されたもので、明和6年(1769)に京都で建立された唐門です。

    重要文化財の唐門。
    明治26年に京都の興正寺から譲り受け移築されたもので、明和6年(1769)に京都で建立された唐門です。

    勝興寺 寺・神社・教会

    令和4年に国宝に指定されたばかりの寺院 by 赤い彗星さん
  • 唐門前に「勝興寺の七不思議」なる看板が立っていました。<br />時間が無いので全て確認する事は難しそうですが、何個か目にすることが出来るかもしれません。

    唐門前に「勝興寺の七不思議」なる看板が立っていました。
    時間が無いので全て確認する事は難しそうですが、何個か目にすることが出来るかもしれません。

  • 唐門に掛けられている「雲龍山」の扁額。

    唐門に掛けられている「雲龍山」の扁額。

  • 唐門を通り抜けると、正面に国宝の本堂が現れます。<br />寛政7年(1795)に京都の西本願寺阿弥陀堂を模して建立されました。<br />平成10年から令和3年まで、23年かけて伽藍の大修理が行われ、建立当時の姿を取り戻しました。令和4年に「本堂」と「大広間及び式台」の2棟が、国宝に指定されています。

    唐門を通り抜けると、正面に国宝の本堂が現れます。
    寛政7年(1795)に京都の西本願寺阿弥陀堂を模して建立されました。
    平成10年から令和3年まで、23年かけて伽藍の大修理が行われ、建立当時の姿を取り戻しました。令和4年に「本堂」と「大広間及び式台」の2棟が、国宝に指定されています。

  • 勝興寺七不思議の一つ、実ならずの銀杏。<br />銀杏の実を取ろうと木に登った子供が木から落ちて怪我をしたり、銀杏の実を巡って争いごとが起こったりと、銀杏の実に纏わる不幸が続いたため、住職がこのような事が起こらないようにと祈願したところ、実をつけなくなったと伝わる銀杏です。

    勝興寺七不思議の一つ、実ならずの銀杏。
    銀杏の実を取ろうと木に登った子供が木から落ちて怪我をしたり、銀杏の実を巡って争いごとが起こったりと、銀杏の実に纏わる不幸が続いたため、住職がこのような事が起こらないようにと祈願したところ、実をつけなくなったと伝わる銀杏です。

  • 勝興寺七不思議の一つ、天から降った石。<br />数百年前に伏木の砂浜に空から落ちてきた石と伝わっています。<br />この大きさの隕石だと、大きな穴が開いて周辺が吹き飛ぶほどの被害が生まれそうな気がするので噴石なのかな。

    勝興寺七不思議の一つ、天から降った石。
    数百年前に伏木の砂浜に空から落ちてきた石と伝わっています。
    この大きさの隕石だと、大きな穴が開いて周辺が吹き飛ぶほどの被害が生まれそうな気がするので噴石なのかな。

  • 文化2年(1805)に建立された重要文化財の経堂。<br />浄土真宗寺院では珍しい禅宗様式の建物です。<br />内部には、極彩色で彩られた輪蔵が格納されています。

    文化2年(1805)に建立された重要文化財の経堂。
    浄土真宗寺院では珍しい禅宗様式の建物です。
    内部には、極彩色で彩られた輪蔵が格納されています。

  • 勝興寺七不思議の一つ、水の枯れない池。<br />勝興寺が火災に見舞われた際に、経堂の龍の彫刻がこの池の水を口に含んで火を消したという言い伝えがあり、干ばつにみまわれても水の干上がらない池として、本堂横に存在し続けています。

    勝興寺七不思議の一つ、水の枯れない池。
    勝興寺が火災に見舞われた際に、経堂の龍の彫刻がこの池の水を口に含んで火を消したという言い伝えがあり、干ばつにみまわれても水の干上がらない池として、本堂横に存在し続けています。

  • 水の枯れない池の脇に立っている「越中國庁跡」石碑。

    水の枯れない池の脇に立っている「越中國庁跡」石碑。

  • 本堂入口に安置されている獅子頭の香炉。<br />現在のマスコットキャラクターとしても、そのまま使用出来るくらい愛嬌のある顔をしています。

    本堂入口に安置されている獅子頭の香炉。
    現在のマスコットキャラクターとしても、そのまま使用出来るくらい愛嬌のある顔をしています。

  • 本堂内を拝観します。勝興寺の本堂は、国宝・重要文化財指定の建物の中でも、10指に入る巨大建造物です。

    本堂内を拝観します。勝興寺の本堂は、国宝・重要文化財指定の建物の中でも、10指に入る巨大建造物です。

  • 本堂内に聳え立っている1.8Mの巨大ローソク。(燭台込みで3M)<br />集落が毎年交代で寄進していたローソクの大きさを競い合った結果、このような大きなローソクが法要で使用されるようになったそうです。

    本堂内に聳え立っている1.8Mの巨大ローソク。(燭台込みで3M)
    集落が毎年交代で寄進していたローソクの大きさを競い合った結果、このような大きなローソクが法要で使用されるようになったそうです。

  • 加賀前田家五代藩主・前田吉徳の十男で兄たちの相次ぐ早世により、後に十代藩主となった治脩が、若い頃に勝興寺住職であったこともあり、勝興寺への多くの支援を行い、現在の本堂が建立されました。

    加賀前田家五代藩主・前田吉徳の十男で兄たちの相次ぐ早世により、後に十代藩主となった治脩が、若い頃に勝興寺住職であったこともあり、勝興寺への多くの支援を行い、現在の本堂が建立されました。

  • 天蓋を下から覗いた風景。

    天蓋を下から覗いた風景。

  • 本堂の象の彫刻。

    本堂の象の彫刻。

  • 本堂の孔雀(もしかしたら鳳凰かも)の彫刻。

    本堂の孔雀(もしかしたら鳳凰かも)の彫刻。

  • 本堂の龍の彫刻。顔だけの彫刻はよく見かけますが、胸像?と呼ぶものなのか、龍の胴体部分まで加わった彫刻です。

    本堂の龍の彫刻。顔だけの彫刻はよく見かけますが、胸像?と呼ぶものなのか、龍の胴体部分まで加わった彫刻です。

  • 境内にポツンと立っている重要文化財の宝蔵。<br />漆喰塗りで海鼠壁の蔵で、境内の建物からの類焼を防ぐために離れた場所に建てられたと思われます。

    境内にポツンと立っている重要文化財の宝蔵。
    漆喰塗りで海鼠壁の蔵で、境内の建物からの類焼を防ぐために離れた場所に建てられたと思われます。

  • 重要文化財の式台門。<br />大広間・式台の斜め前に位置しています。

    重要文化財の式台門。
    大広間・式台の斜め前に位置しています。

  • 唐破風が設けられた式台玄関から、大広間に入場します。

    唐破風が設けられた式台玄関から、大広間に入場します。

  • 襖や床の間の壁紙が、菊と桐の御紋なので皇室に関係の深い建物のようです。

    襖や床の間の壁紙が、菊と桐の御紋なので皇室に関係の深い建物のようです。

  • 大広間の釘隠しは、前田家の家紋ではなさそうですね。

    大広間の釘隠しは、前田家の家紋ではなさそうですね。

  • 大広間は本堂と共に、令和4年に国宝に指定されました。<br />会合や集会に使用された広間と住職が来客と対面する対面所などで構成されています。

    大広間は本堂と共に、令和4年に国宝に指定されました。
    会合や集会に使用された広間と住職が来客と対面する対面所などで構成されています。

  • 上段の間に坐している勅使人形。<br />上段の間は御簾で覆われており、住職などと面会する際に使用されていたそうです。地方寺院で上段の間を備えていること自体が珍しいそうで、勝興寺が寺格の高い寺院であったことの証明となっています。

    上段の間に坐している勅使人形。
    上段の間は御簾で覆われており、住職などと面会する際に使用されていたそうです。地方寺院で上段の間を備えていること自体が珍しいそうで、勝興寺が寺格の高い寺院であったことの証明となっています。

  • かなり傷んでしまっていますが、対面所の床の間には、鶴図が描かれています。

    かなり傷んでしまっていますが、対面所の床の間には、鶴図が描かれています。

  • 欄間の彫刻は、梅の木のようです。<br />それにしてもかなり手の込んだ欄間です。

    欄間の彫刻は、梅の木のようです。
    それにしてもかなり手の込んだ欄間です。

  • 梅鉢紋蒔絵女乗物と名付けられている大名駕籠。<br />加賀藩五代藩主・前田吉徳の十男時次郎(治脩)が、住職として勝興寺に入寺する際に使用されたと伝わる駕籠です。

    梅鉢紋蒔絵女乗物と名付けられている大名駕籠。
    加賀藩五代藩主・前田吉徳の十男時次郎(治脩)が、住職として勝興寺に入寺する際に使用されたと伝わる駕籠です。

  • 文久3年(1863)に建立された重要文化財の台所。<br />井戸と囲炉裏を見る事が出来ますが、多数の竈も設けられていました。

    文久3年(1863)に建立された重要文化財の台所。
    井戸と囲炉裏を見る事が出来ますが、多数の竈も設けられていました。

  • 台所と書院を繋いでいる廊下。雪の少ない地域であれば、壁のない渡り廊下だったかもしれないですね。

    台所と書院を繋いでいる廊下。雪の少ない地域であれば、壁のない渡り廊下だったかもしれないですね。

  • 十代藩主・前田治脩と十一代藩主・斉広を祀った御霊屋が奥に見えています。手前の奥書院と今私が立っている書院に囲まれた空間は、庭園になっていました。<br />

    十代藩主・前田治脩と十一代藩主・斉広を祀った御霊屋が奥に見えています。手前の奥書院と今私が立っている書院に囲まれた空間は、庭園になっていました。

  • いくつもの部屋が連なっている書院。

    いくつもの部屋が連なっている書院。

  • 洛中洛外図屏風 勝興寺本のレプリカ。<br />勝興寺住職に嫁いだ鷹司関白の娘もしくは、本願寺12代門主・准如の娘が、嫁入りの際に持参したものと伝わっています。

    洛中洛外図屏風 勝興寺本のレプリカ。
    勝興寺住職に嫁いだ鷹司関白の娘もしくは、本願寺12代門主・准如の娘が、嫁入りの際に持参したものと伝わっています。

  • 本願寺八世蓮如上人が、越中の浄土真宗布教の拠点として、南砺市福光土山に土山御坊を開いたのが勝興寺の始まりです。<br />永正14年(1517)に寺号を勝興寺とすることを認められ、越中一向一揆の拠点として、戦国期に2度の移転を経て、天正12年(1584)現在地に至りました。

    本願寺八世蓮如上人が、越中の浄土真宗布教の拠点として、南砺市福光土山に土山御坊を開いたのが勝興寺の始まりです。
    永正14年(1517)に寺号を勝興寺とすることを認められ、越中一向一揆の拠点として、戦国期に2度の移転を経て、天正12年(1584)現在地に至りました。

  • 先程は境内側から眺めましたが、表側から見た式台門。

    先程は境内側から眺めましたが、表側から見た式台門。

  • 式台門の装飾。

    式台門の装飾。

  • 伏木のマンホール蓋。<br />勝興寺の本堂が描かれています。

    伏木のマンホール蓋。
    勝興寺の本堂が描かれています。

  • 途中通りかかった村社八幡社。<br />時間がないので写真だけで、北前船資料館に向かいます。

    途中通りかかった村社八幡社。
    時間がないので写真だけで、北前船資料館に向かいます。

  • 高岡市伏木北前船資料館に到着。<br />大きな邸宅ですが、街の風景に溶け込んでいるので入口はあまり目立ちません。

    高岡市伏木北前船資料館に到着。
    大きな邸宅ですが、街の風景に溶け込んでいるので入口はあまり目立ちません。

    高岡市伏木北前船資料館 美術館・博物館

  • 本当はもっとゆっくり見たかったのだけど、次の電車に乗らないと2時間以上列車の便がなく、次の便まで残り15分程で入場。事情を説明して、一番のお薦めと云われた望楼に向かいます。<br />高岡市伏木気象資料館でガイドさんの説明を時間がないからと最初に断ったのに、構わず説明を開始され、次の電車に乗る必要があること、他にも見学したい場所があることを説明しても納得してくれず、なかなか帰してもらえずに北前船資料館見学時間が無くなってしまった。。

    本当はもっとゆっくり見たかったのだけど、次の電車に乗らないと2時間以上列車の便がなく、次の便まで残り15分程で入場。事情を説明して、一番のお薦めと云われた望楼に向かいます。
    高岡市伏木気象資料館でガイドさんの説明を時間がないからと最初に断ったのに、構わず説明を開始され、次の電車に乗る必要があること、他にも見学したい場所があることを説明しても納得してくれず、なかなか帰してもらえずに北前船資料館見学時間が無くなってしまった。。

  • 港への船の出入りを見張るための望楼は、四方に窓が設けられているたった3畳の小さな部屋です。明るくて風のよく通る気持ちのいい部屋でした。

    港への船の出入りを見張るための望楼は、四方に窓が設けられているたった3畳の小さな部屋です。明るくて風のよく通る気持ちのいい部屋でした。

  • 望楼からの眺め。現在も街並みの先にある港を眺める事が出来ます。

    望楼からの眺め。現在も街並みの先にある港を眺める事が出来ます。

  • 望楼は、衣装蔵の3階にあたります。この部屋は2階部分。

    望楼は、衣装蔵の3階にあたります。この部屋は2階部分。

  • 北前船で使用していたと思われる大きな碇も展示されています。

    北前船で使用していたと思われる大きな碇も展示されています。

  • 衣装蔵、調度蔵などの蔵と邸宅に囲まれた中庭の風景。

    衣装蔵、調度蔵などの蔵と邸宅に囲まれた中庭の風景。

  • 近江八景の刺繍が織り込まれた打掛。

    近江八景の刺繍が織り込まれた打掛。

  • 高岡市伏木北前船資料館は、旧秋元家住宅と付いている通り、江戸時代に宿の経営から始まり、後に回船問屋となった秋元家の邸宅が資料館として使用されています。<br />主屋は明治の大火で焼失した後再建されたもので、衣装蔵などの蔵は江戸時代後期の建造物です。

    高岡市伏木北前船資料館は、旧秋元家住宅と付いている通り、江戸時代に宿の経営から始まり、後に回船問屋となった秋元家の邸宅が資料館として使用されています。
    主屋は明治の大火で焼失した後再建されたもので、衣装蔵などの蔵は江戸時代後期の建造物です。

  • この斜めの丸窓風情があっていいなと思うのだけど、北前船寄港地の日本地図が掛かってしまっている。。

    この斜めの丸窓風情があっていいなと思うのだけど、北前船寄港地の日本地図が掛かってしまっている。。

  • 越中八尾曳山祭の提灯山の模型。

    越中八尾曳山祭の提灯山の模型。

  • 駅から勝興寺へは、あまり建物のない坂道を真っ直ぐに登りましたが、伏木北前船資料館から、駅までの道は市街地を通ります。

    駅から勝興寺へは、あまり建物のない坂道を真っ直ぐに登りましたが、伏木北前船資料館から、駅までの道は市街地を通ります。

  • 伏木駅まで戻ってきました。<br />また氷見線に乗って、高岡に戻ります。

    伏木駅まで戻ってきました。
    また氷見線に乗って、高岡に戻ります。

    伏木駅

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  • チャムンパスさん 2024/06/30 16:26:46
    旅のスケジュールは予定通りにいかないこともあります。
    赤い彗星さん、こんにちは。

    旅のスケジュールは時に狂うことが前提、伏木気象資料館のガイドさんはガイドの仕事に誇りを持っていらっしゃったのでしょう。

    北前船資料館の見学時間が短くて残念でしたが、見れただけでも良しとしましょう。

    いつも丁寧なご説明で、私は勉強しながら拝読しています。

    これからも旅行記の投稿を楽しみにしています。

                チャムンパス

    赤い彗星

    赤い彗星さん からの返信 2024/06/30 19:06:56
    RE: 旅のスケジュールは予定通りにいかないこともあります。
    チャムンパスさん、こんにちは。

    いつも訪問頂き、ありがとうございます。

    公共交通機関で巡る旅は色々な制約があるので、
    その中で旅行プランを考えるのも楽しみの一つですね。
    勿論予定通りに行かないことも多いので、
    上手くいかなかった場合は、またいつか訪れようとも思えます。

    チャムンパスさんは、温泉に造詣が深いようなので、
    駅近のビジネスホテルばかり利用するのではなく、
    たまには温泉宿も良さそうだなと、いつも旅行記を参考にさせて頂いています。

    これからも旅行記を楽しみにしています。

     赤い彗星


    > 赤い彗星さん、こんにちは。
    >
    > 旅のスケジュールは時に狂うことが前提、伏木気象資料館のガイドさんはガイドの仕事に誇りを持っていらっしゃったのでしょう。
    >
    > 北前船資料館の見学時間が短くて残念でしたが、見れただけでも良しとしましょう。
    >
    > いつも丁寧なご説明で、私は勉強しながら拝読しています。
    >
    > これからも旅行記の投稿を楽しみにしています。
    >
    >             チャムンパス

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