2023/11/12 - 2023/11/12
741位(同エリア1008件中)
よしめさん
この旅行記スケジュールを元に
2023年11月9日(木)から14日(火)恒例の福岡旅をしました。先月は暖かく、好天続きでしたが、今月は雨に始まり、今季一番の冷え込み。でも、友達や従妹と会って、食事やお茶、おしゃべりを楽しみました。また、日帰りバス旅行にも行き、秋の1日を目とお腹で楽しみ、その一方でハードな階段登りもしました。エステや日帰り温泉にも行き、より美しくなり(笑)心も体も、お腹も温まってきました。その旅行記です。①②③…は、旅行記の番号です。⑬まであります。よろしければご覧ください。主な行程は下記の通りです。
11月9日(木)旅行1日目 ①自宅最寄りのバス停ー成田空港第一ターミナル ピーチ523便 9:45発福岡空港着12:15 ②ラウンジ= 博多駅=小倉駅 ③買い物 アーバンホテルかじまち3連泊
10日(金)2日目 ④買い物 友達とランチ(於:おんどる)&パッチワーク作品展見学(於:北九州市立美術館)&お茶(於:Mooon)従妹とディナー(於:百菜旬)
11日(土)3日目 ⑤第一観光日帰り佐賀バス旅行 小倉ーランチ(於:森清)ー⑥⑦有田泉山ー⑧有田のんのこの郷(買い物)ー大興善寺(紅葉鑑賞)ー小倉
12日(日)4日目 ⑨小倉=博多=天神 ランチ(於うみの食堂)=⑩太宰府 九州国立博物館(古代メキシコ展鑑賞)=⑪天神=博多 買い物 アンカーホテル2連泊
13日(月)5日目 ⑫博多=原田 日帰り温泉(アマンディ)=博多買い物
14日(火)6日目 ⑬博多 買い物 福岡市地下鉄=福岡空港 JAL312便12:00発 羽田着13:15 リムジンバスー自宅最寄りのバス停・・・自宅
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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2023年11月12日(日)旅行4日目の続き
九州国立博物館の古代メキシコ展を鑑賞します。数年前メキシコに行きましたが、中央のこの3点は見なかったような?テオティワカンは記憶にありますが。
紀元前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻まで、3000年以上にわたって栄えたメキシコの古代文明。本展覧会ではそのうち、マヤ、アステカ、テオティワカンという代表的な3つの文明に焦点が当てられています。
火山の噴火や地震、干ばつなど厳しい自然環境のなか、人々は神を信仰し、時に畏怖しながら、王と王妃の墓、大神殿、三大ピラミッドなど各文明を代表する壮大なモニュメントを築きました。普遍的な神と自然への祈り、そして多様な環境から生み出された独自の世界観と造形美を通して、古代メキシコ文明の奥深さと魅力に迫っています。 -
マヤの「赤の女王」奇跡の初来日 とあります。
赤の女王ってどなた?
メソアメリカ文明を象徴する3つの場所ーパレンケ、テオティワカン、テノチティトランのテンプロ・マヨールーから集結した140もの展示品を通じ、先スペイン期メキシコの偉大さの一端を知ることができる展覧会です。
前述の古代都市が誇る芸術的、社会的そして都市計画上の成果は、当時の人々を心酔させ、その壮大さに魅了されるものです。 -
日曜ですが、チケット売り場は空いてます。良かった。2000円カード払い。
「祈り、惧れ、捧げた」 -
左から入場、鑑賞して、右から出てすぐショップ。よく考えられています。
この展覧会は全作品写真撮影可能というのが嬉しいです。見たことを記録しなければすぐ抜けていく、記憶力<忘却力のシニアです。 -
Ⅰ 古代メキシコへのいざない
今から13000年以上前にシベリアからアメリカ大陸に初めて狩猟採集民が渡る。大陸を南下し、メキシコに到達。数千年かけて多様な動植物を食料とした定住生活を営む。その一つがオルメカ文明。記念碑的な建造物を築き、天文学、暦法、文字が発達し、都市が登場。テオティワカン、マヤ、アステカはメキシコの古代都市文明の代表的な存在。 -
地図
メソアメリカとは一般的に、メキシコの大部分と中央アメリカのグアテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、及びホンジュラス、ニカラグア、コスタリカの一部を指す。 -
関連年表
歴史的なことが分かると、鑑賞への理解が深まります。 -
オルメカ様式の石偶
半人半ジャガーの幼児像。前1000年以降の様式
ジュニアガイドの絵が描かれています。ジュニアガイドとは、ジュニア向けのパンフレット。 -
右上の石偶の絵がこれです。子供にもわかりやすいよう、まとめられています。私の頭の中身にぴったり。私、所詮小・中学生レベルってこと???
メキシコ湾岸で最初の文明、オルメカがはじまったんだ!
ふむふむ。なるほど。 -
マスク テオティワカン文明 350~550年
テオティワカンの香炉台を飾った型づくりのマスク。
建築壁に似せた鼻飾りと円形耳飾りを装着した神官か戦士を表している。 -
装飾ドクロ アステカ文明 1469~81年
頭蓋骨を胴体から切り離し、前頭に穴をあけて毛を差し込み、目のくぼみに貝殻と黄鉄鉱を嵌めたマスク。
死者の世界の主であるミクトランテクトリ神を表す。 -
ジャガーの土器 マヤ文明 600~950年
ジャガーの頭部を象った土器。メソアメリカでは、ジャガーは王や戦士の権威の象徴であり、神秘的な力をもつものとして崇拝された。 -
多様な自然環境
活火山が連なるメキシコ中央高原から密林が広がる熱帯のマヤ低地まで、古代メキシコの諸文明は多様な自然環境の下で育まれた。鉱物資源に恵まれ、黒曜石や玄武岩は石器に翡翠は装飾品に加工された。
遺跡では黒曜石の置物などを売っていました。 -
フクロウの土器 マヤ文明 250~600年
フクロウの頭部を表した蓋つきの容器。副葬品。メソアメリカでは、フクロウは死を予言する地下世界の死者と考えられた。 -
クモザルの容器 中央ベラクルス 950~1521年
メソアメリカ低地部に生息するクモザルを象った容器。黒曜石を目に嵌める。小型で素早いクモザルは、道化やいたずら者としてマヤの神話に登場する。 -
チコメコアトル神の火鉢(複製) アステカ文明 1325~1521年
熟したトウモロコシの女神であるチコメコアルト神を表した香炉。手にトウモロコシの穂を二重にした形の笏を握る。
トウモロコシは穀物や発酵飲料として消費されるだけでなく、雨や豊穣の神として信仰され、都市文明の礎となった。 -
夜空の石板 アステカ文明 1325~1521年
夜空を主題とする浮彫の石板。両脇には金星と星、中央にはワシと兵士が表されている。戦争や生贄で亡くなった兵士の魂は、太陽と共に天球上を旅しなければならなかった。 -
ここへは行きました。球技場です。
ゴムのボールを使った球技は、腰で打ち合う物や、グローブやスティックを用いるものなど様々で、球技場の形も異なる。スポーツとしてだけでなく、人身供犠を伴う宗教儀礼や外交使節を迎える儀式として、古くから行われて来た。
負けるとそのチームのキャプテンが心臓を取り出されると、聞いたような? -
人身供犠
人間を生贄とする古代メキシコの慣習は、「万物は神々の犠牲により存続しており、自らも他者のために犠牲を払うべき」という倫理観に基づくもの。斬首や心臓の略奪などの残虐な手法は、国家の覇権の誇示にも利用された。 -
Ⅱ テオティワカン神々の都
メキシコ中央高原の海抜2300mほどの盆地に前100年頃~後550年頃まで栄えた。約25平方㎞に最大10万人ほどが住んでいた、一大宗教都市。死者の大通りを中心に、ピラミッドや儀礼場、宮殿などの建造物が整然と並んでいる。 -
テオティワカンの地図
ここには行きました。 -
Ⅱー1 太陽のピラミッド
死者の大通りに面し、日没の方向を向いて建てられた、高さ64mのテオティワカンで最大の建造物。太陽や火などを象徴し、暦にかかわる儀礼が行われていたと考えられる。
健脚の方は15分ほどかけて登りましたが、私はパス。 -
死のディスク石彫 テオティワカン文明 300~550年
舌を出す頭蓋骨の周囲に、放射状のモティーフを配する。鼻には穴が開き、ナイフを差したとみられる。メソアメリカでは、日没は死、日の出は再生を意味するとされた。西に沈んだ(死んだ)太陽を表すものか? -
火の老神石彫 テオティワカン文明 450~550年
頭の上に火鉢を載せ、火を焚くために用いられた石像。太陽のピラミッド頂上部より出土し、そこでの火や太陽にかかわる儀式のためのものとみられる。 -
Ⅱー2 月のピラミッド
死者の大通りの最奥にある、テオティワカンで2番目に大きな建造物。正面には中小の神殿に囲まれた月の広場があり、背後には聖なる山がそびえる。月や水などを象徴していたと考えられる。
こちらへは登りました。が、一段が高すぎて、私の足の長さと合わず。古代メキシコの方は、足の長い方たちだったのねと思いました。 -
耳飾り、首飾り、ペンダント テオティワカン文明 300~350年
埋葬墓5から胡坐の姿勢で見つかった生贄3体のうち、中央の人物が身に着けていた装飾品。いずれもマヤ様式のもので、3人の被葬者はテオティワカン拡張期に争ったマヤの生贄だった可能性がある。 -
Ⅱー3 羽毛の蛇ピラミッド
死者の大通りの南東に、都市の住民10万人が収容可能な大儀式場がある。その中心神殿が羽毛の蛇ピラミッド。
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羽毛の蛇神石彫、シパクトリ神の頭飾り石彫 テオティワカン文明 200~250年
羽毛の蛇ピラミッドの壁面を飾った大石彫の一部。羽毛の蛇神の波打つ胴体に、創造神シパクトリの頭飾りを配するモティーフが繰り返し彫られる。羽毛の蛇神による戴冠式を表す。 -
羽毛の蛇神拡大
狛犬に似てますね。 -
羽毛の蛇ピラミッドから発見された地下トンネル
2003年、ピラミッド正面の大広場からピラミッドに向けて延びる長さ103mのトンネルが発見された。入口は垂直の穴で、深さは15m。降りた先は水平にピラミッドの中心に向かい、その最奥には王墓があったとみられる。王の埋葬や王権にかかわるものだった? -
トランペット テオティワカン文明 150~250年
巻貝の先端を切り取り、吹き口とした楽器。地下トンネル最奥部より多数出土。
左44には投槍器を持った人物が、右45にはワニに似た神が描かれる。共にマヤ様式の図像に類似し、遠隔地との交流の証拠と言える。 -
嵐の神の土器 テオティワカン文明 150~250年
テオティワカンで最も重要な神の1つで、農業に欠かせない雨を司る嵐の神を表した水差し容器。地下トンネルから多数の破片が出土している。 -
Ⅱー4 都市の広がりと多様性
西暦200年頃までに「太陽」「月」「羽毛の蛇」の3大ピラミッドや死者の大通りなど、都市の中心部が鋭角的に整備され、その周辺部に集合住宅が建設された。テオティワカンが多くの機能をもった国際都市であったことが分かる。 -
嵐の神の壁画 テオティワカン文明 350~550年
嵐の神を描いた壁画。背負い籠と右手にトウモロコシを持つ。テオティワカンでは、多くの建物が赤を中心とした多彩色の壁画で飾られ、都市空間を彩っていた。
赤いジャガーを見たような記憶? -
盾を持つ小像 テオティワカン文明 450~550年
出土地不明ながら顔面装飾やペンダント、ベルト、盾などは典型的なテオティワカン様式である。テオティワカンの土偶は戦士像が圧倒的に多いものの、副葬品としては出土せず、子供の玩具?
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香炉 テオティワカン文明 350~550年
香を焚く胴部と煙突、蓋からなる香炉。型作りのパーツを組み合わせた華美な装飾がみられる。本作では、矢や盾などのモティーフから、戦士の魂を鎮めるために使われたものと推察される。 -
人形骨壺
サボテカ文明 450~550年
都市内のオアハカ移民地区内で出土。デザインはサポテカ族のもので、胎土の分析から、その故郷モンテ・アルバンで作られたとみられる。移民地区内のリーダー、もしくは先祖や神を表す物か? -
Ⅲ マヤ 都市国家の興亡
マヤ地域に、1世紀頃、碑文や王墓を伴う王朝が明確に成立。その後250年から950年頃にかけて、ピラミッドなどの公共建築、集団祭祀、精緻な暦を特徴とする都市文化が花開いた。熱帯低地のマヤ都市では食物の長期保存ができず、権力による経済の統制や、強力な軍隊の保有は困難。その代わりに、建築活動や集団祭祀による共同体の結びつきを維持することが重要視された。祭祀空間を築き、暦に沿って祭祀を執り行うことは王の重要な役割であり、王の功績を顕彰する碑文の存在が王権のよりどころ。マヤ地域が政治的に統一されることはなく、交易や外交使節の往来などの友好的な交流、時には戦争による覇権争いを通じて、群雄割拠する都市国家が攻防を繰り返した。 -
支配者の土偶 マヤ文明 600~950年
大きな口を開けた蛇の冠を被り、壮麗な服を着て、円形の王座か椅子に座っている。このような豪奢な服装は、大きな祭祀の際の装いである。王ないしそれに次ぐ高位の男性を表した土偶。 -
Ⅲー1 世界観と知識
マヤの人々にとって、人生や社会の出来事は神々の行いや天体、山、洞窟などの自然界の事象と深く結びついていた。天体の動きを観察し、それに基づく精緻な暦を造り、都市の広場や周辺に点在する聖なる場所で儀礼を行うことは、世の中に秩序を与えるために必要と考えられた。
人々の行いは、神や先祖の事績を再現するものと考えられ、優れた文字体系を使って描かれた碑文には、その業績などが正確な日付と共に記録された。
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金星周期と太陽暦を表す石彫 マヤ文明 800~1000年
金星の基壇と呼ばれる建物を飾っていた彫刻。左側が金星、右側が太陽暦の年を表しており、盾の某が数字の5を、8つの丸印が8を意味する。584日の金星の周期5回分が、365日の太陽暦の8年に当たることを示していると考えられる。 -
マヤ文字
マヤ文字は表語文字と音節文字から構成される。絵画的に美しく、謎に満ちている。碑文は縦2列の文字列を1組として、左から右に読み進める。多くの場合、暦にかかわる文字列が登場し、その後に動作を表す文字、さらに王の称号を表す紋章、地名、神の名や動物を意味する文字などによって、王と王国の歴史や宮廷の儀礼が記されている。
トニナ石彫159 マヤ文明 799年頃
トニナの王8(名称不詳)に捕らえられたポモイの捕虜が描かれている。碑文には戦いに長けた王8が多数の捕獲者という称号を持っていたこと、西暦799年に先祖の墓に火を入れる儀式を行ったことなどが記されている。 -
星の記号の土器 マヤ文明 700~830年
中央の十字型と4つの円から成る黒い記号は、金星などの星、尾を引く図像は流星と考えられる。メソアメリカでは、金星は太陽と月と並ぶ重要な星として崇められ、観測の対象とされた。 -
Ⅲー2 マヤ世界に生きた人々
大規模な農地造成に向かない熱帯のマヤ低地では、都市と周辺部の境界があいまい。商業や工芸品製作などの経済活動は、都市の住民のみに集中せず、農民もある程度の石器造りなどを行っていた。また、都市に住む上流階級の人々も政治や外交活動だけでなく、儀式の執り行いや公共建築の計画など多様な仕事に従事。 -
Ⅲー3 都市の交流 交易と戦争
マヤでは各地で都市国家が群雄割拠し、盛んな交流が行われた。定期的な儀礼や王の即位の際には他の都市の王や貴族が訪問し、美しい彩色土器などを交換したり、貢物として食料などを贈ったりしていた。王朝間で婚姻関係を結ぶことも重要な外交戦略の1つ。
戦争では位の高い人物を捕虜にすることが重視され、多くの場合捕虜は生贄に捧げられた。 -
首飾り マヤ文明 250~1100年
マヤの人々はヒスイとウミギク貝を珍重した。ヒスイはグアテマラ南東部のモタグア川流域で産出し、ウミギク貝は太平洋沿岸で採取され、各地に流通した。中央のペンダントはトウモロコシ神? -
猿の神とカカオの土器蓋 マヤ文明 600~950年
猿の神を表し、首には猿の好物カカオの実の装飾がみられる。メキシコのチアパス州からグアテマラにかけての太平洋沿岸がカカオの主産地であり、飲料の他、通貨に使われるなど、重要な交易品であった。 -
トニナ石彫171 マヤ文明 727年頃
球技の場面を描いた石彫であり、中央のゴムボールの上にマヤ文字で西暦727年にあたる年が配されている。右がカラクムルの王、左がトニナの王であり、両国の外交関係を象徴するものと考えられる。 -
Ⅲー4 パカル王と赤の女王パレンケの黄金時代
パレンケは古典期マヤを代表する都市の1つで、洗練された彫刻や建築と碑文の多さで知られる。最盛期は615~683年のキニチ・ハナーブ・パカル王の治世。他国の進行を受け荒廃したパレンケの王位に12歳で就いたパカル王は、王宮をマヤ地域有数の壮麗な建造物にするなどの活発な建築活動に取り組み、40歳代以降には戦争と外交により周辺都市への影響力を取り戻した。 -
パレンケの地図
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書記の石板 マヤ文明 725年頃
耳に通された紙の帯は捕虜、左手の旗状のものや右手に掛けられた布は、儀式用の装束を表すと考えられる。儀式を行う捕虜か、捕虜のような姿で儀式を行う神官と見られる。 -
赤の女王発掘調査
1994年、パカル王墓である碑文の神殿の隣にある13号神殿の発掘調査が行われた。中央の墓室で、棺内から辰砂(水銀朱)で覆われた女性の遺骨が、未盗掘の状態で発見された。王墓の特徴をもつ墓の構造と、深紅の朱に覆われた姿からこの女性は「赤の女王」と呼ばれている。DNA分析し、パカル王と血縁がないことが明らかになり、王妃である可能性が高まった。 -
赤の女王のマスク、冠、頭飾り、首飾り、腕飾り、胸飾り、ベルト飾り、足首飾り、貝、小像、針、小マスク
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孔雀石、白翡翠、翡翠輝石岩、貝片、ビーズなど
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Ⅲー5 チチェン・イツァ マヤ北部の国際都市
9世紀にマヤ低地南部の多くの都市が衰退し、マヤ文明の中心はユカタン半島北部に移った。地下水系とつながる大地の陥没穴はセノーテと呼ばれ、貴重な水源かつ信仰の対象として人身供犠を含む儀礼が行われた。
10世紀頃にチチェン・イツァがマヤ地域で最大の都市となった。住民の大半はマヤ人。トゥーラなどメキシコ中央部を含むメソアメリカ各地との交流を進め、チャクモールと呼ばれる像やドクロを多く描いた基壇など各地の文化要素を取り入れたとみられている。 -
チチェン・イツァの地図
ここへは行きました。
セノーテにも潜りましたが、冷たすぎて、直ぐ上がりました。水が澄んでいて美しかったです。 -
トゥ―ラのアトランティス像 トルテカ文明 900~1100年
トゥ―ラでもアトランティス像は王座の支えだったと考えられるが、宮廷人の姿をとるチチェン・イツァのものと異なり、本作は防具を付けた戦士を表している。
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チチェン・イツァのアトランティス像 マヤ文明 900~1100年
王座の下に置かれた、両手で王座と王を支える人物像。チチェン・イツァでは身なりが異なる複数の像があり、宮廷の様々な人物を表すとみられる。
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イクの文字のペンダント マヤ文明 600~1000年
チチェン・イツァのグラン(大きな)セノーテには多くの供物が投げ込まれた。本作はペンダント中央にマヤ語で風を意味し、かつ人の息、生命力、風の神、雨の神なども象徴するT字型の切込み(イクの文字)がある。 -
チャクモール像 マヤ文明 900~1100年
腹の上に皿状のものを持つ石像であり、そこに神への捧げものを置いたと解釈されている。チチェン・イツァとトゥーラから多く見つかり、両都市の関係を示す。その後、チャクモール像はアステカにも受け継がれた。
可愛い姿、記憶にあります。 -
Ⅳ アステカ テノチティトランの大神殿
13世紀メソアメリカ北部からメシーカ人らナワトル語を母語とする人々が、メキシコ中央高原に到来。その後彼らが建国したアステカ王国は、政治、経済的に覇権をふるった。それは都であるテノチティトランの聖なる力が、他者に激しい畏怖心を抱かせたため。
都の中心に位置する大神殿テンプロ・マヨールは当時すでに消滅していたテオティワカンの建築と絵画の様式を再現した2基の神殿に挟まれている。これには、アステカが古典期の文明との間に神話上の関係を結ぶことで、偉大な文明の守護を得るとともに、世界の継承者としての正当性を示す意図があった。メシーカ人は武力や宗教に加え、古の文明の権威のもと統治を進めた。 -
鷲の戦士像 アステカ文明 1469~86年
戦闘や宗教に重要な役割を担った勇敢な軍人である鷲の戦士とみられる像。鷲の頭飾りを被り、羽毛や鉤爪の装束を身に着ける。勇ましく戦死して姿を変えた戦士の魂や、太陽神の姿を表すという説もある。 -
後ろ姿。なかなか後ろまでは見られませんが、ここではぐるりと見られました。
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Ⅳー1 大国への道
1325年頃、テスココ湖に浮かぶ島にメシーカ人が築いた首都テノチティトランは、やがて人口20万人以上の大都市へと成長した。メシーカ人は近隣の都市と同盟を結び、1430年頃にはアステカ王国としての態勢を整えた。征服により現在のメキシコとグアテマラ国境までを判図とし、その広大な領域支配における貢納制が王国の基盤となった。
しかし、征服された都市民の不満が高まるなかスペイン人が到来すると、多くの都市が自主独立を取り戻す好機を捉えて、スペイン人に加担。1521年には首都が陥落し、アステカ王国は滅亡。 -
マスク テオティワカン文明 200~550年
耳飾り アステカ文明 1469~81年
テオティワカンの仮面に、メシーカ人が目や歯、耳飾りを付けるなど、手を加えたもの。彼らは過去の文明の遺物を掘り起こし、それらを魔術的な力をもつ聖なるものとみなし、大神殿に奉納していた。 -
トラルテクトリ神のレリーフ アステカ文明 1325~1521年
大地の主という生の側面と、戦争や人身供犠という死の側面を持つ神。カールした頭髪と手足に鋭い爪をもち、歯をむき出しにした口元からは火打石のナイフを突き出す。 -
テンプロ・マヨール、ツォンパントリ(ドクロの基壇)
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トラロク神の壺 アステカ文明 1440~69年
雨神トラロクは太陽神ウィツィロポチトリと共に大神殿に祀られ、多くの祈りや供物、生贄が捧げられた。水を貯える壺にトラロク神の装飾があり、雨や豊穣の願いが込められたものと考えられる。 -
テスカトリポカ神の骨壺 アステカ文明 1469~81年
「煙を吐く鏡」を意味する、マン物の神テスカトリポカを描いた骨壺。背後にはケツァル鳥の羽毛をまとった蛇がみられる。内部に一部が焼かれた男性の骨が納められており、戦死した指揮官と考えられる。 -
耳飾り アステカ文明 1486~1502年
金星品はメソアメリカでは珍しいものとして注目を集めている。 -
人の心臓型ペンダント アステカ文明 1486~1502年
ドクロとか心臓とか、死はよほど身近だったのでしょうね。 -
エピローグ~今なお続く発掘調査~
1521年にアステカはスペインに征服され、その後マヤも併合。
羽毛の蛇ピラミッドの地下トンネル、パレンケの赤の女王の墓、テンプロ・マヨールの金製品、これらに続きテオティワカン文明の大規模な儀礼空間やマヤ文明の最初期の遺跡アグアダ・フェニックスの発見、アステカ王国におけるまだ見ぬ王墓の探索など、古代メキシコを巡る発掘調査はこれからも続く。 -
古代メキシコ 出品目録
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出品目録
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出品目録
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出品目録
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ジュニア向けのパンフレット
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マヤ文明
赤の女王のマスクなど -
4つのキーワード
1.トウモロコシ
2.天体と暦
3.球技
4.人身供犠
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出口に掲示してあった チチェン・イツア、エル・カスティーヨ(ククルカンのピラミッド)
これは生で見ました。春分と秋分の日には夕日が沈むときに、太陽の光がちょうど階段に当たり、北階段の下の9層のピラミッドに影を映し出します。その影は、羽をもつ蛇の姿をしており、ククルカンが天から舞い降りて来る降臨現象と言われています。その日に見たかったと思った記憶がよみがえりました。
この展覧会では、やはり「赤の女王」が最も印象に残りました。
このメキシコ展を鑑賞して、勉強してからメキシコに行くと、より深く楽しめたかなと思います。逆でしたし、記憶力<忘却力のシニアなので。ただ、やはり、ピラミッド、セノーテなどは現地で、生で、見て、登って、潜って、その壮大さ、冷たさを肌で感じられたのは良かったなと思います。
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⑨マダムの暮らすように旅する福岡+佐賀 11月 4日目の1 小倉~博多~天神ランチ(於うみの食堂)~太宰府~...
2023/11/12~
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旅行記グループ マダムの暮らすように旅する福岡11月+佐賀
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