2023/10/07 - 2023/10/07
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morisukeさん
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オッサンネコです。
2011年3月11日、私は宮城にいました。
地震が発生してから家の帰るまでの道のり。
無事家族と会えたことの安堵感。
インフラが止まった中での生活。
被災地への支援活動と支えあった人たちの顔。
今でもひとつひとつを鮮明に思い出すことが出来るのですが、
不思議とその後の復興に向けた期間に関しては、ほぼ記憶にないのです。
多分、あの時は無我夢中だったんだと勝手に自己解釈してましたが、
徐々に震災のキヲクが自分の中から失われつつあるのもまた事実。
そんな折、津波の被害にあった小学校/中学校の校舎が、
震災遺構として次々に一般公開されている事をニュースで知りました。
記憶の中から薄れつつある震災時の苦しかった日々…。
そんな話を聞いてしまったからには、行かねばならぬでしょう。
今回は、今なお十分に復興が進んでいない福島県浜通りの震災遺構、
請戸小学校にロックオンして、震災の痕跡を辿ってみるのでした。
その時の記録です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自転車 JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
どうもどうも、オッサンネコことモリネコです。
私は今、いわきを出発した電車にポクポク揺られています。
いわきから今回の目的地である双葉町までは1時間弱の鉄道旅。
最初こそ休日の部活動に勤しむ中高生で車内は溢れていましたが、
双葉町に着く頃には、もはや一車両貸し切りのぼっち状態 ( ゚Д゚)
元々乗客が少ない路線なのか、いやはや震災の影響が尾を引いてるのか、
原子力発電所の功罪に揺れる双葉の町にまもなく到着なのです。 -
JR双葉駅に到着。
結局降車したのは私一人でした。さみしいのぅ ( ゚Д゚)
改札口を通る時に否が応にも目に入るのがこの放射線線量計。
現在、双葉駅の放射線量は1時間当たり0.08マイクロシーベルト。
国の指針では、1日屋外に出ている時間を8時間に想定して、
0.23シーベルト以下であれば除染が完了した状態であるとしています。
この後、町の至る所でこの放射線線量計の数値を見る事になるのですが、
線量計が設置されている事自体、異質な空気を感じてしまうのです。 -
双葉駅前のロータリーから。
駅舎はこんなにピカピカなのに、人の気配が全くない異様な状況。
ぞぞっ ( ゚Д゚)
今日はまず震災遺構の請戸小学校まで行く予定なのですが、
今回モリネコさんの足を務めてくれるのが… -
恒例のチャリンコ様ですぅ (゚∀゚ノノ゙パチパチ。
100円玉を突っ込めばロックが解除できる仕組みなのですが、
乗り終わったら100円玉が返ってくるというキセキの様な乗り物。
於々…なんと太っ腹なサービスですのぅ。 -
国道6号線を超え、浪江町に入る頃には一面に荒野が広がるのみ。
浪江町では津波の被害がひどかった地域を災害危険区域に認定したため、
事実上、このエリアに人が住む事はできなくなってしまいました。
昔は青々とした田畑が広がっていたと思うのですが、今はご覧の通り。
後に残ったのは漠然とした荒野と、おびただしい数の太陽光パネルだけ。
これも津波が残したリアルなのです。 -
道すがら所々に請戸小学校への道標となる看板が立っています。
こんなトコ、ちゃりを必死でこいでいる変態は私一人だろうな… -
イチオシ
請戸小学校に到着しましたヾ(*´∀`*)ノ
水色の校舎が青空に映え、なんと爽快で美しい校舎じゃないでしょうか。
ちょうど2階のバルコニーの下に津波到着点の印がありますが、
震災時、請戸小を襲った津波は2階の床下10cmまで浸水したそうです。
だから一見しても校舎の2階部分はきれいで何の違和感もありませんが、
1階は窓枠も何もない、柱だけの吹き抜け状態になっています。 -
請戸小学校を見学するにはまず受付でチケットを購入します。
窓口で入場料300円をお支払い。ちゃりーん。 -
それでは請戸小学校の中に潜入します。
ルートはざっくり言って、1階の廊下・教室を通ってバルコニーへ。
その後校舎の外周を回り、2階の展示室に行く流れになります。
それではバルコニー側から入場…。 -
まずは1階校舎の廊下から。
廊下には柵できれいに見学者通路が整備されていますが、
柵の外側は津波の痕跡がそのまま残されています。
2011年当時、この請戸小学校には93名の生徒が通っていたそうです。
人数の割には非常に広く立派な小学校だったんだろうなぁ (´ω` ) -
がんばれ!の言葉が響く黒板のメッセージ。
こちらはレプリカですが、それでも希望を感じるのは不思議。 -
2年生の教室。壁が完全に教室側に押し倒されています。
壁を破壊し、すべてを押し流した津波のエネルギーの凄さ…。
もう12年も経っているのに、爪痕だけは今も鮮明に残っています。 -
次はその隣にある1年生の教室。
さっきの2年生の教室と違って、廊下の壁は何とか原型を留めています。
こっちの柱は廊下側にひしゃげているのが分かるでしょうか?
同じフロアでありながら全く逆の水流が発生していた事になるのです。 -
教室の片隅に放置された机。
もうこの机を使う人はないが、よく頑張ったと誉めてあげたい。 -
こちらは保健室。
地震が発生した後、児童たちはこの保健室から校庭に避難したそうです。
児童が校庭で待機している間、教職員は状況を確認すべく校舎に戻ったのですが、偶然にも新設したソーラーパネルから供給された電力でテレビが付き、大津波警報が発令されている事を知ることができたそうです。 -
こちら教職員と児童の避難経路を示したもの。
請戸小学校は屋上がないため、昔から津波が来るときの避退避行難場所は大平山だと決まっていたそうです。
すぐに教職員が避難を決定し皆で一路大平山を目指したのですが、児童の多くは急いで教室から飛び出したため上着を持っておらず、雪がちらつく中での凍える様な退避行となったそうです。 -
改めて請戸小学校に残された津波の爪痕を探してみます。
こちらは津波でぶっ壊された電源スイッチ。
節電と貼られたネコのシールが当時の生活感の面影を残している。 -
続いてがれきに埋もれた手洗い場。
手前の蛇口は完全に別方向に折れ曲がっている。 -
中央部分がえぐられた非常灯。
どうしたらこんな瑕がつく事になるのか… -
イチオシ
職員室にあったパソコンとマウスも当時のまま。
津波に飲まれても、お互いに離れまいと繋がり続けた姿に涙が出てしまう。
ってちょっと妄想しすぎか (-_- )ウンウン -
教職員が使っていたマニュアルやプリントも当時のまま。
ある日を境に分断された日常。
悲しさ、悔しさ、憤り、あらゆる感情を越えて前に進むしかないのだ。 -
イチオシ
職員室。特に目を見張るのが、壁から引き抜かれた複合盤。
恐らく廊下側に設置されていたのじゃないかと思うのですが、
壁自体が流されてむき出し状態になっています。
この複合盤が津波に飲み込まれ、機能停止に陥ったのが15時37分。
なので校舎内の時計は皆、その時間で時が止まった状態になっています。 -
職員室を別アングルから。
天井から鉄筋やら梁が崩れ落ちているのが本当に痛々しい…。 -
職員室の隣の更衣室。
こちらもしっちゃかめっちゃかで、もはやワケわからん事になっている… -
こちらは校長室。
真ん中に転がっている黒いものは金庫。
震災後長年放置されていたのですが、2016年に開けられたそうです。 -
こちらは小学校にしては珍しいランチルーム。
昼食の時間では全児童がここに集まって給食を食べていたそうです。
この部屋では調理室を隔てるシャッターがそのまま残っているのですが、
シャッターのサイドが信じられないくらいに不揃いになっている…。
これも津波の影響… なのでしょうか…。
って言うか、そんなことってある (゚Д゚;)!? -
こちらは調理場。
大規模調理に適した釜が昔と変わらぬ姿で残されています。
この調理場では、他の小学校や中学校の給食もつくっていたそうで。
その奥の搬入口がエライ事になっていますが… -
出口側に回ってみると、その惨状を目の当たりにすることができます。
無造作に積み重なった調理設備の数々。
どれだけ強い津波の水流が流れ込んだのか…。
神様のいたずらなら、あまりにも無慈悲すぎる。 -
校舎の最後は体育館を見学しておしまい。
当日、体育館では卒業式の準備が在校生たちで進められていたそうです。
体育館は比較的きれいな状態で残っている様に見受けられましたが、
所々で床が抜けている等、少なからず津波の被害を受けています。 -
体育館を回ったら正面玄関から2階に上がります。
踊り場の少し上に津波到着点があるので、今写真で見えているところは、津波の時にはすべて水没していた事になります。 -
津波が町を襲った直後の請戸地区の空撮写真。
教職員と児童たちは地震の直後に大平山に避難していますが、もう少し判断が遅ければ、間違いなく津波に飲み込まれていたのでしょう。
この写真を見ると、有事の際に避難場所と経路を決めておく事の大切さがよく分かる気がします。 -
こちらは津波が来る前の請戸地区の写真。
ここに来る前に何もない荒野をちゃりで走ってきただけに、震災前はこれだけ家屋があった事に、ただ言葉を失うばかりです。
命を守るために災害危険区域として居住区を制限する事に理解はしつつ、果たして復興とは何なのかを考えさせられる一枚の画でした。 -
展示室では震災の状況を記録にした20分の動画も流れていました。
3月12日の明朝、原発1号機の事故を受け、政府は原発から半径10km圏に避難指示を出していますが、その情報が浪江町の人たちに伝わる事はありませんでした。
行政や東京電力から具体的な指示もなく、浪江町の人たちはTVやラジオから自分たちで情報を拾い、自分たちで他の地区への避難を決めるという酷い有様だったそうです。
20分の動画には行政や東電に対する不信感や恨み節がふんだんに盛り込まれていますが、やり場のない怒りが沸くのは当然の様に思えました。 -
6年生の教室に残された黒板。
卒業生や地元の方の熱い想いがダイレクトに伝わってきます。
時計は津波が到達した15時37分で止まっていますが、
あきらめない心は止まることなく未来に紡がれている気がします。 -
見晴台。
上部に続く階段は途中で寸断され、今はもう上がることはできません。
でも不屈のシンボルとして、末永く大事にされて欲しいと強く思います。
というわけで請戸小学校の探索はこれで終了。
地震や津波に限らず、自然災害はいつも身近にあるものであり、どう自分事として捉え備えていくのか… 震災遺構は何も語らず、事実をそっと伝えてくれる貴重な場所だと思いました。
そんで、これで終わらないのがモリネコ流でして (*゚∀゚*) ムッハー -
イチオシ
今回どうしても見たかった風景がこれ。
海。
美しい砂浜がずっと入り江状に続いています。
今は立ち入る人もなく、ただ静かで穏やかな空気に包まれています。 -
請戸新港の防波堤に上ってみました。
防波堤には釣り人立ち入り禁止の警告板がありましたが、モリネコはただの旅ネコなので… まぁ問題ないでしょうと自己判断 (¯ー¯ )ゞ
海側から見て、請戸小学校がどれだけ海に近いのかよく分かりますね。 -
そして遥か沖合に見える煙突は東京電力の原子力発電所。
原発の事故さえ無ければ、双葉や浪江の復興はもっと進んでいたでしょう。 -
新しく建設された堤防の上から。
東日本大震災の津波を受けて、防波堤への考え方も変化してきました。
最も顕著な考えが、ひとつの堤防で津波を防ごうとするのではなく、内陸側にも道路などで盛土を設け、第2堤防として津波の侵入を防ぐ二線堤構造が採択されつつあります。
なので、津波を乗り越えさせる前提で堤防を築くので想像以上に高さは低いのです。
また、震災以降、堤防はなだらかな台形型が主流になりつつありますが、これは津波の戻り波が堤防を越えやすくする効果を狙っています。
戻り波が後から堤防を乗り越えてくる後続の波とぶつかる事で、波の威力を相殺する効果が期待されるそうです。
ただこの堤防によって、海を見る事はできなくなってしましました。
海岸線を走っても見えるのは無機質な灰色の壁だけ。これも致し方のない事実なのです。 -
堤防の内側にある松の苗木。
失われた景色が戻る事はないのですが、未来に向けた歩みは始まったばかり。いつかこの苗木が大きな松林に成長した姿を夢想して、請戸地区を後にしますヾ(・д・。)
この話、続きます。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 琉球熱さん 2023/12/04 23:37:37
- 私も
- morisukeさん、こんにちは
いつもありがとうございます
震災遺構の校舎、言葉がありません
仙台と郡山に赴任していたことがあって、当然現地には友人がいて、彼らから「その後」のリアルな状況を耳にしていました
遅ればせながら私も今年の3月に仙台の震災遺構(荒浜小学校など)を訪問したのですが、校舎の損壊もさることながら、周辺の更地には絶句でした
まだ終わっていないんですよね
私が何ができるわけではありませんが、せめて忘れずにいようと思っています
---------琉球熱--------
- morisukeさん からの返信 2023/12/08 00:22:38
- RE: 私も
- 琉球熱様
こんばんは。書き込みありがとうございます。
当時、私が住んでたとこは山側の方だったので直接的な津波の被害はなかったのですが、情報が全く入ってこない事は非常にストレスでした。人伝に福島の原発の事故の話を聞き、放射能の雨が降るなんて噂をみんな信じる様な、俄かには信じがたいような事が起こっていました…。
私の地区では震災後の翌水曜日の夕方に電気が復旧したのですが、帰り道、街灯に明りがついているのが嬉しすぎて、跳ねるように家に帰った事を今でもよく覚えています(笑)
震災遺構は他に、山元町の中浜小学校も訪問してきました。なぜかサライを歌っているおじいちゃんがいて、こっちまでもらい泣きしちゃいました(笑)
私もずっと忘れずにいる事と、福島県産の魚を食い続けよう…と心に誓った次第です。
今後ともよろしくお願いします!(^^)!
Mori Neko
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