2023/10/07 - 2023/10/07
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morisukeさん
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オッサンネコです。
前回、JR双葉駅で自転車をレンタルし、請戸小学校を訪問したのですが、
実は双葉駅の駅前にも見ておきたいものがありまして。
ひとつは双葉町の町中に描かれたウォールアート
そしてもうひとつは、原発事故に翻弄された町の現在地
特に後者は、昨年の8月に帰宅困難区域の一部の避難指示が解除され、
ようやく住民の帰還が認められたのが記憶に新しいのですが、
生活環境の整備が中々追い付いていない現状がまだまだあるのです。
今回は双葉町のリアルを実際に確認すべく町の中心地を散策すると共に、
津波災害地区に新設された「東日本大震災・原子力災害伝承館」を訪問してきました。
能登地方の地震災害が収束しない中でこの内容を出すことを思料しましたが、
原発事故のリアルを知ってもらう上でも公開に踏み切りました。
その時の記録です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自転車 JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
どうもどうも、オッサンネコことモリネコです。
時間は少し戻りまして、もう一度JR双葉駅からリスタートです。
双葉駅は地方には珍しい橋上駅で、西側と東側を自由通路で繋いでいます。
駅前周辺に指定されていた帰宅困難区域が解除されたのはつい最近のこと。
駅舎は復興の象徴として新たに建て替えられた感が否めないのですが、そこを利用する人がまだ追い付いていないのもリアルなのです。
今回は最も原発事故の影響を受けた双葉町の現在をこの目で確認するのと、津波災害エリアに新設された「東日本大震災・原発事故伝承館」の訪問を予定しております。 -
それでは双葉町の現在を見るべく、ちゃりんこで探索を開始します。
まず紹介したいのが「Futaba Art District」。
双葉町の駅前には被災にあった人たちを元気付けようと、複数の場所で双葉町に関連するアートが描かれています。
駅を出て一番最初に目に付くのが空き地に描かれたこちら。
Here we go !! ここから全てが始まるって意思を感じますね。
本来ならもう少し「手」が大きく描かれていたのですが、塀の上部が崩れてしまったのが残念…。 -
続いて、建物の壁一面に大きく描かれた子供の壁画。
大きな花を描いているのがとても印象的。
基本的に「Futaba Art District」に描かれている題材は全て双葉町に関連していて、この子のモデルも、震災当時2歳だったこの建物のオーナーのお子様だそうです。 -
イチオシ
そして先ほどのアートを正面には「Back to the Futaba」というアート。
青を基調とした繊細で美しい壁画。
震災から10年ぶりに家族が車で双葉町を訪れるというストーリーになっていて、バックミラーに映る少年は先ほどの子どもの10年後の姿だという事です。
カーナビには震災直後の日付、10年後、20年後の日付が刻まれており、過去から未来に向かって走る姿が描かれています。
双葉町にとって20年後の未来が希望に溢れるものでありますように。 -
続いて双葉町の人たちの笑顔を描いたアート。
近い将来、双葉の町に人が戻ってくる事を先行して描かれています。 -
こちらは消防団の詰所ですね。
先ほどと同じく壁面一帯にめちゃくちゃいい笑顔が描かれています♪ -
詰所の裏側にも。
この笑顔を見ていたら「ラーゲリより愛を込めて」を思い出しました。
日本に帰ることが絶望的な収容生活の中でも、自分や仲間が生きる希望を持つことを決して諦めなかった話。
何もなくてもそこには絶対希望があるんです! -
詰所の正面に回るとシャッターが変な形に折れ曲がっているのが目を引きます。
震災直後、消防団が被災地域に救助に向かおうとしたところ、停電でシャッターが開かなかったため、内側からポンプ車でシャッターを押し開けたそうです。
あの時、誰しもが無我夢中だったことを今に伝える貴重な遺構なのです。 -
今は誰も利用する事がないバス停とベンチ。
周囲には更地が広がっていますが、かつてはここに商店や民家が軒を連ねていたそうです。
震災後、帰宅が認められなかった区域では、地震で家屋に被害があっても放置してこの地を離れざるを得ませんでした。
放置された家屋は傷みが加速していき、最終的に国が推し進める除染作業とも相まって、次々と家屋の解体が進められたそうです。 -
イチオシ
続いて東邦銀行の壁面に描かれたダルマ。
ダルマは双葉町の象徴で、今年の1月には12年ぶりに伝統のダルマ引きが行われた事が記憶に新しいかと。 -
その裏手にはまたまた双葉町の皆様の力強い顔ぶれが。
HUMAN POWERの言葉が示す通り、人間の可能性は無限大なのである。 -
ただ、町の復興という観点においては、まだまだ進んでいないのが現状です。
例えば、駅前にある住宅の塀はいまだ傾いたまま。
普通この状態ならすぐに虎テープが引かれてもおかしくないのですが、12年前から崩壊のリスクを抱えたまま、手付かずの状態で放置されています。 -
小さなバス停もあの日から時間が止まっているかのよう。
座る人がいないベンチもどこか少し物寂しげ。 -
ここは民家の前が薬局になっていたのでしょうか。
完全に軒下が倒壊し、撤去もされないままの状態になっています。 -
ファミリーショップわたや
後で調べてみたら衣料販売店だったようです。
今はシャッターが閉ざされたまま、町の風景に溶け込んでいます。 -
町の酒蔵もこの通り。
この日、町中をちゃりんこでうろうろしてみたのですが、結局工事関係者以外の方とすれ違うことはありませんでした。
規模は違えど町ごと立入禁止区域になるのはチェルノブイリと同じ。
改めて放射能に翻弄された町のリアルをひしひしと感じます。 -
こちらは寺の門でしょうかね?
完全に足元から転けていますが、片付けられる事なく残されています。 -
放置された車。
苔むしたボディが放置された年月を物語っています…。 -
そして町の至る所でみかけるこのフレコンバッグ。
除染した土壌や廃棄物を仮置きしていると思うのですが、こんな民家の空きスペースに置いといていいんかいなと、老婆心ながらちょっと不安になる…。 -
続いて国道6号線を渡り、津波の被害を受けた海側の地区までやって来ました。
病院やヘルスケアセンターの廃墟群を横目に海を目指します。 -
海側の地区にも「Futaba Art District」があります。
こちらはアスコンという会社の敷地の壁一面に描かれた綱引きの情景。
復興を手繰り寄せる人々の手をイメージして描かれています。
ここでは綱を引っ張る人の手が色彩豊かに描かれているのですが、立場や個性(色)が違っても、復興という同じ目的に向かって進もうとしている事が伝わってきます。 -
イチオシ
いやはや、それにしても… でかい ( ゚Д゚)!!
当然一眼レフには収まり切るはずもなく…、
とんでもないスケール感にただただ圧倒されっぱなし。 -
同じくアスコンの外周壁に描かれたもう一つの壁画、相馬野馬追。
武者がもうめちゃくちゃかっこいいんです。 -
続いてやってきたのは、東日本大震災・原子力災害伝承館。
名前が長いぞ… (;´・ω・)
もう名前が示すまんま、未曽有の震災と原発事故で起きたことを「教訓」として、後世まで語り継ごうという趣旨で設立された施設。
何もない荒野と化した復興エリアに突如現る全面ガラス張りの美しき建物。
総工費用の53億円は国が負担(要は税金…)。
駐車場には大型バスが何台も乗りつけられる用意周到さ。
どことなく商業的なきな臭さを感じるのですが、それでは中に入ってみませう。 -
中に入ると早速係員が館内の説明をしてくれます。
入館料は大人600円也。ちゃりーん。
少しお高い気がするけど、この一部が復興に充てられるなら問題なし。
語り部の聴講もあったのですが、時間の都合上、泣く泣く割愛しました。
まずは大型スクリーンでプロローグを上映する仕組みになっていて、その後、螺旋状のスロープを上がって展示エリアに入る流れになりやす。
スロープには震災や原発事故の発生状況、復興への道のりが時差系列で展示されているので、あの時何が起こっていたのかを簡単に理解できる仕掛けになっています。
上映内容は録画・撮影不可でしたが、要点を纏めると、
・ナレーションは郡山市出身の西田敏行さん
・高度成長期、首都圏の電力を支えるために原発は必要だったこと
・いろんな事があったけど復興に向けてしっかり歩みだしていること
なるほどなるほど。 -
螺旋状のスロープを上がるといよいよ展示エリアに突入します。
まずは、震災前の双葉町の象徴、原発のすばらしさを讃える標語ですね。
かつて高度成長期の福島の浜通りは産業と呼ばれるものがなく、冬の時期は仕事を求めて、多くの人が東京へ出稼ぎに出る事が慣例化していたそうです。
そんな閑散とした町の縮図を変えたのが原子力発電所の建設。
原発需要で雇用は促進され、町は莫大な交付金で豊かになります。
当然、原発の建設を推し進めたい東電や国は、原発反対への抑え込みとして原発のプロパガンダを進めていきます。
原発が描く未来が明るかったのは紛れもない事実であった反面、意図的に明るい要素だけが強調され、陰の部分から目をそらせるアジテーションが働いていたのもまた事実なのです。
原発は安全という虚構が崩れ去った今、自分たちが信じる道は自分たちで決めなくてはいけない局面に来ているのだと思います。 -
さて展示室。
展示室は、震災の脅威を物語るモノの展示があり、当時の緊迫した状況を伝える展示があり、除染作業の話があり、復興に向けて頑張っている姿があり、ストーリーとしてはよくできているのですが…。
うーん、包み隠さず言わせてもらえば、ぺらい。
正直、この程度で本当に未来に向けてのアーカイブなのかと思ってしまう。
例えば、このひしゃげたグレーチング。
津波の威力が実際に分かる展示がこの程度でいいのかい? -
津波の被害にあったポスト。
これを見て、津波ってヤバイって程度が本当に伝わるのか…
人の記憶に残したいなら、どれだけ人の心に強烈なインパクトを与えるか、それに尽きると思うのです。
アウシュビッツ収容所、トゥールスレン博物館、原爆資料館、各地の負の遺産を訪れた時に感じた心のざわつきを全く感じないんだよなぁ…。
まぁ負の遺産とは趣旨が違うと言われればそれまでなんですが。 -
当時の新聞が展示されてあったり。
目新しさは微塵も感じない(失礼)
ただ、懐かしく感じるだけ。 -
これは当時の写真。
そうそう、ガソリンは本当に欲しかった。
地震の後、給油所にはガソリンを求める車の行列ができてましたね。
ほとんどはデマだったんですが。
当時の話ですが、モリネコ家では生後間もない娘がいたので、ひとまず嫁と娘を実家のある千葉に戻す決断をしました。
その時、義父が8時間以上かけて迎えに来てくれたのですが、携行缶にいっぱいのガソリンを持ってきてくれた事に涙が出そうになりました。
今では懐かしい思い出です。 -
あとは除染作業の話やら、復興に向けての話やら。
非常に残念な点は、本施設の教訓が原発による人災も含めているのなら、事故の原因追究があまりにも少なすぎる点でしょうか。
「除染作業こんなに頑張りました」
「復興こんなに頑張ってます」
要は、原発事故の本質や、避難で苦しんだ人たちのリアルを、復興という美談の中に隠そうとしているのが何となく見えてしまうのです。
そりゃね、東電も国も失敗は認めたくないからねぇ。
結局、国はこれから原発をどうすんの?っていう議論もないし…。
まぁそういうスタンスだと言われれば、それまでなんですけどね。 -
最後は震災の記録を残した写真展。
展示があまりにもパっとしなかったので、期待もせずにぼーっと眺めていたのですが、気づけば涙が出ているくらい写真にのめり込んでいました。
震災の話は包括的に語られる事が多いのですが、そこには確かに被災者ひとりひとりの真実があって、その真実こそ後世に後世に残すものではないかと思ってしまいました。 -
避難先の弓道場でパイプ椅子を机にして勉強をする少女。
床からの冷えが厳しい中でも一心な姿にただ心を打たれます。 -
震災1週間後、がれきの中で海に向かって黙祷をする親子。
-
わずかな時間だけ一時帰宅が許され、避難所に持っていくものを選ぶ姉妹。
原発事故に揺れる人々の姿が写真を通じて痛々しいほど伝わって来ます。
写真展のエリアはそこまで大きくはありませんが、正直、この写真を見るだけでも価値はあると感じました。 -
伝承館の屋上から見える風景。
ここから太平洋を一望する事ができますが、海岸線には無骨な堤防が延々と続いています。
その内、日本中の海岸線に堤防が築かれる日が来るんでしょうか。
まぁしょうがないよなぁ。 -
続いて双葉町からお隣りの浪江町までやってきました。
浪江駅は地方にありがちな昔の駅舎って感じですな。
ただ、駅前は双葉駅と同じくらい閑散した空気が漂っています。
そうそう、浪江駅に来た目的はたった一つ。
焼きそば食べたい、他に理由が要るのかい? -
駅前の大通り。
やはり道が整備されず、荒れ放題になっているのが痛々しい限り…。 -
だだっ広い更地はかつての小学校があった場所。
彫像がなければ、誰もここに小学校があったことなんてわからないだろうな。 -
イチオシ
本日お目当てのB級グルメは、道の駅なみえにありました。
なみえ焼きそば大盛り 880円也。
麺はもちもちの太麺。
具材は豚肉ともやし。
味付けはご飯が欲しくなるほど濃厚なソース味。
これこそB級グルメどストライクを行く安定のウマさ。
生きてて良かった…(≧∀≦*)
というわけで今回の福島旅はこれでおしまい。
ささやかながら復興の手助けができればなぁなんて思いながら
帰りの電車の中でビールをぐびっとした静かな秋の一日でした。
それではまた~。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- アルカロイド ダリルさん 2024/01/03 10:53:14
- 福島訪問ありがとうございます
15年経ち、忘れ去られそうな被災地に訪問ありがとうございます
能登の地震が起き、トラウマが再発しちゃった~な、お正月になりました! 羽田で救援物資は燃えちゃう事故もあり、満員のJALに死者がいなかったのは、奇跡のようでちょっと安堵しました
でも、海上保安庁に弟がいるダリルには、心底、怯えた出来事でしたが、、、
ギリ定年退職してたんだっけ?と、我に帰り膝がカックンしちゃいましたよ~
とんだお正月になりましたが、浪江焼きそばを気に入っていただけて、嬉しく思います! ダリルはあそこから50キロくらい南でしたが、風向きが風上だったから、千葉の柏よりは放射線濃度が低く済み、3号機の爆発では、さすがに福島県を逃げ出しました
震災まで、浪江焼きそばって知らなかったのですが、B級グランプリになってからは、いわきのスーパーでも売られるようになり、食べられるようになりました! 焼きうどん?ってくらい太い麺で、モチモチとして美味しかった~
被災地アートが、あんなにたくさんあるんですね! バンクシーも来て描いてくれないかな~
年末年始は鉄道組合のオフ会ざんまいだったダリル
- morisukeさん からの返信 2024/01/14 11:57:28
- RE: 福島訪問ありがとうございます
- ダリル姉さま
おはようございます。
バタバタしていてすっかり返信が遅くなりました。
毎度のことながら、誠に申し訳ありませぬ <(_ _)>
実は私の親族も今回の能登地方地震で被災し、先日まで避難所のお世話になっておりました。南海トラフとか首都直下地震とか、結局日本じゃどこに住んでも地震のリスクはあるわけで、来るべく日を想定して準備をしておく必要があるなぁと今回改めて思いましたのです。
JALのあんな映像見た日には飛行機に乗るのが一瞬怖くなりましたが、結局1週間後には普通に乗っていました(笑) まぁ私は都合の良い事を忘れて生きる様にできているようで、日常的に忘れない事を意識するためにも、福島の旅はよい刺激になったと思っています('◇')ゞ
そう言えば、姉さんはいわき出身なんですね。失礼ながら、いわきと言えばハワイア〜ン的なやつしか思い浮かばず、都市の規模の割には何も知らないなぁと。ぜひ面白そうな珍スポがあったら教えてくださいませ。ちなみに私は浪江で「食べるなみえ焼そば」たるご飯のお供を買って帰りました。これも「珍」ですかね(笑)
それでは今年も一年、お互いによい旅を楽しみませう。
Mori Neko
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