永平寺・丸岡旅行記(ブログ) 一覧に戻る
北陸旅行2日目の旅行記です。<br />実は前日寝た時点では福井方面へ行くか、富山方面へ行くかは決めていませんでした。旅行前に福井・富山ともに計画はたてていたのでどちらでもしっかりと観光は出来そうだったのですが、朝起きてしっかり晴れていたので以前から行ってみたかった北陸唯一の現存天守丸岡城と戦国時代に繫栄し織田信長に焼き払われた都市一乗谷を訪れる事にしました。<br />ホテルは石川県の端にある小松でしたが、ここから福井は近いですね。福井の中でも敦賀とかだと遠いのでしょうが、丸岡や福井まではあっという間です。<br />丸岡城は現存天守ですが小ぶりな天守。とは言え歴史ある建築で、また天守台の高さが結構あるため天守の大きさ以上に迫力を感じました。<br />丸岡城の後は福井市内にある一乗谷遺跡へ。遺跡にたどり着く前に開館してまだ半年程度の福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館(あさみゅー)を訪れて勉強してから一乗谷へ。あさみゅーはまさかの無料開放でしたが、正規料金払ったとしても行きたい場所に感じます。それくらい見どころのある博物館でした。一乗谷は復元部分とそのままの状態の部分に分かれますが、まずは復元されていない遺構を見てから復元町並みへと向かう事にしました。このパートでは遺構見学の部分までで復元町並みは後編へと回しています。

北陸でも思った程寒くない?2023年3月歴史と自然をめぐる石川福井旅行記-2日目前編

5いいね!

2023/03/17 - 2023/03/20

314位(同エリア458件中)

かるあみるく

かるあみるくさん

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北陸旅行2日目の旅行記です。
実は前日寝た時点では福井方面へ行くか、富山方面へ行くかは決めていませんでした。旅行前に福井・富山ともに計画はたてていたのでどちらでもしっかりと観光は出来そうだったのですが、朝起きてしっかり晴れていたので以前から行ってみたかった北陸唯一の現存天守丸岡城と戦国時代に繫栄し織田信長に焼き払われた都市一乗谷を訪れる事にしました。
ホテルは石川県の端にある小松でしたが、ここから福井は近いですね。福井の中でも敦賀とかだと遠いのでしょうが、丸岡や福井まではあっという間です。
丸岡城は現存天守ですが小ぶりな天守。とは言え歴史ある建築で、また天守台の高さが結構あるため天守の大きさ以上に迫力を感じました。
丸岡城の後は福井市内にある一乗谷遺跡へ。遺跡にたどり着く前に開館してまだ半年程度の福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館(あさみゅー)を訪れて勉強してから一乗谷へ。あさみゅーはまさかの無料開放でしたが、正規料金払ったとしても行きたい場所に感じます。それくらい見どころのある博物館でした。一乗谷は復元部分とそのままの状態の部分に分かれますが、まずは復元されていない遺構を見てから復元町並みへと向かう事にしました。このパートでは遺構見学の部分までで復元町並みは後編へと回しています。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
レンタカー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 2日目3月19日の朝です。前日の雨とどんよりとした空が嘘のような天気になりました。ちなみに前日の最高気温は8℃でしたが、この日は20℃近い予報と体調を崩しかねない気温になりそうです。今日も結構歩くのになあ。<br />朝になると外の光景がしっかりと見えましたが本当に何もないところにホテルがあるようです。遠くには白山連峰も見えて見晴らしはなかなかですね。

    2日目3月19日の朝です。前日の雨とどんよりとした空が嘘のような天気になりました。ちなみに前日の最高気温は8℃でしたが、この日は20℃近い予報と体調を崩しかねない気温になりそうです。今日も結構歩くのになあ。
    朝になると外の光景がしっかりと見えましたが本当に何もないところにホテルがあるようです。遠くには白山連峰も見えて見晴らしはなかなかですね。

    ルートイングランティア 小松エアポート 宿・ホテル

  • テレビをつけると準々決勝が終わったばかりのWBCの特集でした。アメリカに日本が向かったタイミングでしたけども、既に盛り上がりはすごい状態でしたね。<br />その後のメキシコ戦、アメリカ戦は本当に久しぶりに大興奮する試合を見せてくれました。<br />日本代表選手の皆さん本当にありがとうございました。

    テレビをつけると準々決勝が終わったばかりのWBCの特集でした。アメリカに日本が向かったタイミングでしたけども、既に盛り上がりはすごい状態でしたね。
    その後のメキシコ戦、アメリカ戦は本当に久しぶりに大興奮する試合を見せてくれました。
    日本代表選手の皆さん本当にありがとうございました。

    ルートイングランティア 小松エアポート 宿・ホテル

  • ルートイングランディアという事で普通のルートインと朝食がどう違うかなとか気になっていたのですが、内容としては他のルートインとあまり変わらないと思います。ルートインの朝食はメニュー数が多いので選ぶ楽しみがありますし、割と偏食なので品数が多いのは助かります。

    ルートイングランディアという事で普通のルートインと朝食がどう違うかなとか気になっていたのですが、内容としては他のルートインとあまり変わらないと思います。ルートインの朝食はメニュー数が多いので選ぶ楽しみがありますし、割と偏食なので品数が多いのは助かります。

    ルートイングランティア 小松エアポート 宿・ホテル

  • 「ふんわりご飯盛り付けロボット」というものが置かれていました。ごはんの量も調整できますしなかなか便利なものかなと思いますが、普通にご飯を盛るほうが楽かな・・・。<br />なかなか面白いですけどね。

    「ふんわりご飯盛り付けロボット」というものが置かれていました。ごはんの量も調整できますしなかなか便利なものかなと思いますが、普通にご飯を盛るほうが楽かな・・・。
    なかなか面白いですけどね。

    ルートイングランティア 小松エアポート 宿・ホテル

  • 朝食で盛ったメニューはこんな感じになりました。<br />めちゃくちゃ盛りすぎに見えますが、これを食べきりさらにお代わりもしています(笑。<br />わらび餅が美味しかったです。

    朝食で盛ったメニューはこんな感じになりました。
    めちゃくちゃ盛りすぎに見えますが、これを食べきりさらにお代わりもしています(笑。
    わらび餅が美味しかったです。

  • ホテル近くの小松インターから北陸道へと入り、すぐの所にある尼御前サービスエリアでちょっと休憩。なんでここに寄ったのかはイマイチ覚えていないですが、時間もあるしちょっと寄ってみただけのはず。GPSログを見ると滞在も5分程で出発しています。

    ホテル近くの小松インターから北陸道へと入り、すぐの所にある尼御前サービスエリアでちょっと休憩。なんでここに寄ったのかはイマイチ覚えていないですが、時間もあるしちょっと寄ってみただけのはず。GPSログを見ると滞在も5分程で出発しています。

    尼御前サービスエリア (上り) 道の駅

  • 尼御前サービスエリアにあった芭蕉の句碑。芭蕉の句碑は全国いろいろなところで見ますが、こちらは芭蕉が1689年夏に北陸を訪れた際に加賀市内の寺で詠んだ句「庭掃いて井でばや寺に散る柳」というものを刻んだ句碑でした。<br />尼御前サービスエリアはこれを見ただけですぐに出発です。

    尼御前サービスエリアにあった芭蕉の句碑。芭蕉の句碑は全国いろいろなところで見ますが、こちらは芭蕉が1689年夏に北陸を訪れた際に加賀市内の寺で詠んだ句「庭掃いて井でばや寺に散る柳」というものを刻んだ句碑でした。
    尼御前サービスエリアはこれを見ただけですぐに出発です。

    尼御前サービスエリア (上り) 道の駅

  • 北陸道の丸岡インターを降りて車で数分で丸岡城の駐車場にやってくることが出来ました。9時前に到着しているので車はほとんどありませんが10時すぎに出発した時には結構な混雑になっていました。春の連休という事もあったと思いますが、丸岡城は結構人気のスポットです。

    北陸道の丸岡インターを降りて車で数分で丸岡城の駐車場にやってくることが出来ました。9時前に到着しているので車はほとんどありませんが10時すぎに出発した時には結構な混雑になっていました。春の連休という事もあったと思いますが、丸岡城は結構人気のスポットです。

  • 駐車場から階段を登ってくると広場があり、ここから登っていくとすぐ丸岡城の様です。<br />左手の建物が入場券売り場と休憩所になっていて、休憩所では丸岡城について少しですが解説がされていました。

    駐車場から階段を登ってくると広場があり、ここから登っていくとすぐ丸岡城の様です。
    左手の建物が入場券売り場と休憩所になっていて、休憩所では丸岡城について少しですが解説がされていました。

    霞ケ城公園 公園・植物園

  • この広場にはかなり高い位置に建っている銅像があります。この方は友影賢世という方で福井地震の際の丸岡町長だった方です。福井地震の時点で既に79歳でしたが都市の復興と丸岡城の復元に精力的に取り組んだ町長でここに銅像が建てられた様です。1870年生まれで1970年没、今から50年ほど前の時代に100歳まで生きた長寿の方でもありました。

    この広場にはかなり高い位置に建っている銅像があります。この方は友影賢世という方で福井地震の際の丸岡町長だった方です。福井地震の時点で既に79歳でしたが都市の復興と丸岡城の復元に精力的に取り組んだ町長でここに銅像が建てられた様です。1870年生まれで1970年没、今から50年ほど前の時代に100歳まで生きた長寿の方でもありました。

    霞ケ城公園 公園・植物園

  • 広場の一角には石棺が置かれていました。一瞬丸岡城に関係あるのかと思いましたがそうではなく、旧丸岡町内の古墳から出土したとされる石棺で牛ヶ島石棺と呼ばれているものです。県内で出土した他の石棺よりも細長く、角が丸くなっているなどの差があるそうですが、一番驚いたのは1970年まで橋として転用されていたという事でした。石棺を橋として利用するとは・・・。

    広場の一角には石棺が置かれていました。一瞬丸岡城に関係あるのかと思いましたがそうではなく、旧丸岡町内の古墳から出土したとされる石棺で牛ヶ島石棺と呼ばれているものです。県内で出土した他の石棺よりも細長く、角が丸くなっているなどの差があるそうですが、一番驚いたのは1970年まで橋として転用されていたという事でした。石棺を橋として利用するとは・・・。

  • チケット売り場の横には八幡神社がありました。神社と言っても祠のような小さい神社ですが、丸岡城内鎮守社として築城以来城を守ってきた神社です。明治の廃城以降荒れ果ててしまっていたものの、福井地震後の丸岡城再建の際に建て直されて今に至っているそうです。

    チケット売り場の横には八幡神社がありました。神社と言っても祠のような小さい神社ですが、丸岡城内鎮守社として築城以来城を守ってきた神社です。明治の廃城以降荒れ果ててしまっていたものの、福井地震後の丸岡城再建の際に建て直されて今に至っているそうです。

    霞ケ城公園 公園・植物園

  • 丸岡城の入口まではすぐに登ってこられます。独立楼閣型の天守で小ぶりな形をしています。ただ安土桃山時代に築城されたとされ現存天守の中でも古い部類に値すると言われていましたが、最近になり調査委員会が江戸時代初期の築城と判断したとか・・・。まあそれでも古い部類の天守にはなります。<br />ちなみに1948年の福井地震で倒壊してしまい、その後倒壊した材料を利用して1955年に再建されています。

    丸岡城の入口まではすぐに登ってこられます。独立楼閣型の天守で小ぶりな形をしています。ただ安土桃山時代に築城されたとされ現存天守の中でも古い部類に値すると言われていましたが、最近になり調査委員会が江戸時代初期の築城と判断したとか・・・。まあそれでも古い部類の天守にはなります。
    ちなみに1948年の福井地震で倒壊してしまい、その後倒壊した材料を利用して1955年に再建されています。

    丸岡城 名所・史跡

  • 階段を登りお城の中に入りました。階段は一直線ですが、江戸時代規格の為(笑)優しくないです。足が悪いので現存天守ではいつも苦労しますが、丸岡城も登るのに相当大変でした。江戸時代の人は脚力あるなあと毎回思います。<br />知名度はちょっと低いのですが丸岡城は北陸地方唯一の現存天守。もっと混んでいるのかと思ったのですがガラガラでした(´・ω・`)。まあ朝早いという事もあると思いますが・・・。

    階段を登りお城の中に入りました。階段は一直線ですが、江戸時代規格の為(笑)優しくないです。足が悪いので現存天守ではいつも苦労しますが、丸岡城も登るのに相当大変でした。江戸時代の人は脚力あるなあと毎回思います。
    知名度はちょっと低いのですが丸岡城は北陸地方唯一の現存天守。もっと混んでいるのかと思ったのですがガラガラでした(´・ω・`)。まあ朝早いという事もあると思いますが・・・。

    丸岡城 名所・史跡

  • ロープがついていくらか昇降しやすいようにはされていますが、基本的には現存天守なので結構急勾配ですし昇降は怖いですね。<br />まあこれはどこの現存天守でもそうなりますけど・・・。江戸時代の武士はすごいですよね。

    ロープがついていくらか昇降しやすいようにはされていますが、基本的には現存天守なので結構急勾配ですし昇降は怖いですね。
    まあこれはどこの現存天守でもそうなりますけど・・・。江戸時代の武士はすごいですよね。

    丸岡城 名所・史跡

  • 丸岡城の江戸時代以前の姿の模型です。現在では天守と天守台の石垣程度しか往時のものは残っておらず、少数の建築物が移築されて現存しているそうです。堀もまったく残っていない様で現存天守ですが天守しか残っていないという珍しい城になってしまっています。<br />現在復元計画も始まっているようですが・・・。

    丸岡城の江戸時代以前の姿の模型です。現在では天守と天守台の石垣程度しか往時のものは残っておらず、少数の建築物が移築されて現存しているそうです。堀もまったく残っていない様で現存天守ですが天守しか残っていないという珍しい城になってしまっています。
    現在復元計画も始まっているようですが・・・。

    丸岡城 名所・史跡

  • 丸岡城は二重三階建て構造で天守台を含めてもそこまでの高さはありませんが、かなり高台にあるのと近隣はほとんど二階建ての町並みなので遠くまで見通すことが出来ます。<br />かなり遠くに日本海が見えた他、2024年3月の北陸新幹線敦賀延伸へ既に完成している高架橋なども見えました。

    丸岡城は二重三階建て構造で天守台を含めてもそこまでの高さはありませんが、かなり高台にあるのと近隣はほとんど二階建ての町並みなので遠くまで見通すことが出来ます。
    かなり遠くに日本海が見えた他、2024年3月の北陸新幹線敦賀延伸へ既に完成している高架橋なども見えました。

    丸岡城 名所・史跡

  • こちらは東方面です。眼下に見える空き地は霞ヶ城公園庭園として2022年秋くらいまで公開されていたそうです。ただ丸岡城周辺整備事業の一環として解体され、ここにいずれ観光センターが出来る事になっています。<br />おそらく上記の復元計画にも関係していると思うのですが、庭園を見る事が出来なかったのは少し残念・・・(´・ω・`)。

    こちらは東方面です。眼下に見える空き地は霞ヶ城公園庭園として2022年秋くらいまで公開されていたそうです。ただ丸岡城周辺整備事業の一環として解体され、ここにいずれ観光センターが出来る事になっています。
    おそらく上記の復元計画にも関係していると思うのですが、庭園を見る事が出来なかったのは少し残念・・・(´・ω・`)。

    丸岡城 名所・史跡

  • お城の北側にあるのは坂井市立平章小学校。城の付近に学校があるのは日本全国共通になっていますね。たぶん明治初期に出来た学校なのかなと思います。<br />現在では丸岡城周囲は住宅地になっていますが、江戸時代は武家屋敷があったのだと思います。

    お城の北側にあるのは坂井市立平章小学校。城の付近に学校があるのは日本全国共通になっていますね。たぶん明治初期に出来た学校なのかなと思います。
    現在では丸岡城周囲は住宅地になっていますが、江戸時代は武家屋敷があったのだと思います。

    丸岡城 名所・史跡

  • 丸岡城の後は隣接する丸岡歴史民俗資料館にやってきました。右手の階段を登ると丸岡城、後ろは駐車場なので実は丸岡城より先に来たのですがチケットは丸岡城と共通券で一旦城の近くまで登る必要があったので先にお城を見学してきました。

    丸岡城の後は隣接する丸岡歴史民俗資料館にやってきました。右手の階段を登ると丸岡城、後ろは駐車場なので実は丸岡城より先に来たのですがチケットは丸岡城と共通券で一旦城の近くまで登る必要があったので先にお城を見学してきました。

    丸岡歴史民俗資料館 美術館・博物館

  • 丸岡歴史民俗資料館は二階建てで展示は二階部分が中心、一階は丸岡町のお祭りについての説明でした。お城の歴史などの展示はありましたが、展示室はこの一部屋で共通券だから来るかな、という程度の展示でした。

    丸岡歴史民俗資料館は二階建てで展示は二階部分が中心、一階は丸岡町のお祭りについての説明でした。お城の歴史などの展示はありましたが、展示室はこの一部屋で共通券だから来るかな、という程度の展示でした。

    丸岡歴史民俗資料館 美術館・博物館

  • 丸岡歴史民俗資料館を出て近くにある「一筆啓上日本一短い手紙の館」へ向かう途中にはふれあい広場という広場がありました。まだ桜の時期には早い感じでしたが、桜祭りの準備が進められていて広場にボンボリの準備がされていました。この辺りも江戸時代は堀だったのだと思います。

    丸岡歴史民俗資料館を出て近くにある「一筆啓上日本一短い手紙の館」へ向かう途中にはふれあい広場という広場がありました。まだ桜の時期には早い感じでしたが、桜祭りの準備が進められていて広場にボンボリの準備がされていました。この辺りも江戸時代は堀だったのだと思います。

  • ふれあい広場を抜けてやってきたのは一筆啓上日本一短い手紙の館。坂井市の前身である丸岡町時代に町おこしとして一筆啓上賞をはじめ、その記録を残すための博物館です。一筆啓上賞は日本一短い手紙コンクールとして知られ、1994年に始まり地域どころか日本各地から応募されるコンクールになっています。

    ふれあい広場を抜けてやってきたのは一筆啓上日本一短い手紙の館。坂井市の前身である丸岡町時代に町おこしとして一筆啓上賞をはじめ、その記録を残すための博物館です。一筆啓上賞は日本一短い手紙コンクールとして知られ、1994年に始まり地域どころか日本各地から応募されるコンクールになっています。

    一筆啓上日本一短い手紙の館 美術館・博物館

  • 中はコンクールが始まってからの入選作品を展示したり、近年の表彰式や表彰過程についての説明などでした。毎年テーマが決まっていてそれに沿って応募作品を集めている様です。その時のテーマでだいたいどんな時期だったかも思い出せますし、詠んでいて共感できる手紙も多く思っていた以上に楽しめる場所でした。涙を流すものも多かったです。

    中はコンクールが始まってからの入選作品を展示したり、近年の表彰式や表彰過程についての説明などでした。毎年テーマが決まっていてそれに沿って応募作品を集めている様です。その時のテーマでだいたいどんな時期だったかも思い出せますし、詠んでいて共感できる手紙も多く思っていた以上に楽しめる場所でした。涙を流すものも多かったです。

    一筆啓上日本一短い手紙の館 美術館・博物館

  • 一筆啓上日本一短い手紙の館の二階にある展望台から丸岡城方面を見てみるとこんな感じ・・・。電線が・・・(´・ω・`)。<br />小高い丘の上にある平山城で丸山城の付近だけ盛り上がっている地形なのがよくわかりました。展示室内の写真は撮っていないのでここでの撮影はこれだけです。

    一筆啓上日本一短い手紙の館の二階にある展望台から丸岡城方面を見てみるとこんな感じ・・・。電線が・・・(´・ω・`)。
    小高い丘の上にある平山城で丸山城の付近だけ盛り上がっている地形なのがよくわかりました。展示室内の写真は撮っていないのでここでの撮影はこれだけです。

    一筆啓上日本一短い手紙の館 美術館・博物館

  • 次の目的地は一乗谷!出来る限りいろいろと見たいのですぐに移動開始です。<br />レンタカーの燃費はいい車だったと思うんですけど前日七尾に向かい福井までやってきたので早めに給油をしたいなという事で丸岡城を出てすぐに給油しました。思ったより高かったけど土地勘ない場所なので早めに給油しておいた方が安心ですからね。<br />この後一乗谷に行きその後大野か勝山に行くつもりだったのでどこまで給油できる場所があるかわからなかったというのもありますが・・・。

    次の目的地は一乗谷!出来る限りいろいろと見たいのですぐに移動開始です。
    レンタカーの燃費はいい車だったと思うんですけど前日七尾に向かい福井までやってきたので早めに給油をしたいなという事で丸岡城を出てすぐに給油しました。思ったより高かったけど土地勘ない場所なので早めに給油しておいた方が安心ですからね。
    この後一乗谷に行きその後大野か勝山に行くつもりだったのでどこまで給油できる場所があるかわからなかったというのもありますが・・・。

  • 丸岡から国道8号を南下し、福井市街地から158号で一乗谷方面へ向かってきました。高速使ってもいいかなと思いましたが、特に混雑がなかったのでそんなに時間かからず良かったです。<br />一乗谷の入口には道の駅「一乗谷あさくら水の駅」という道の駅がありました。2015年に福井市で最初の道の駅になった施設です。

    丸岡から国道8号を南下し、福井市街地から158号で一乗谷方面へ向かってきました。高速使ってもいいかなと思いましたが、特に混雑がなかったのでそんなに時間かからず良かったです。
    一乗谷の入口には道の駅「一乗谷あさくら水の駅」という道の駅がありました。2015年に福井市で最初の道の駅になった施設です。

    道の駅 一乗谷あさくら水の駅 道の駅

  • 上の方でも書きましたがこの時は本当に日本中がWBCで盛り上がっていた時期でした。福井県出身選手は福井出身で敦賀気比卒業の吉田正尚選手、大野出身で福井商業卒業の中村悠平選手、そして県外出身ですが追加招集された山崎颯一郎選手が敦賀気比卒業と3名の選手がいた様です。<br />ここでもパブリックビューイングが行われた様ですが、相当に盛り上がったんだと思います。準決勝は私も飛び上がって喜んでいました。

    上の方でも書きましたがこの時は本当に日本中がWBCで盛り上がっていた時期でした。福井県出身選手は福井出身で敦賀気比卒業の吉田正尚選手、大野出身で福井商業卒業の中村悠平選手、そして県外出身ですが追加招集された山崎颯一郎選手が敦賀気比卒業と3名の選手がいた様です。
    ここでもパブリックビューイングが行われた様ですが、相当に盛り上がったんだと思います。準決勝は私も飛び上がって喜んでいました。

    道の駅 一乗谷あさくら水の駅 道の駅

  • 道の駅一乗谷あさくら水の駅の裏には足羽川が流れています。さすがに水の駅と名乗っているだけありますね。これから行く一乗谷が栄えた時期には水運の手段としても利用された川です。今ではとても長閑な川に見えました。ちなみにこの後方には頭首工が設置されていて水量の調節を行っていました。<br />足羽川は下流では桜の名所として知られていいるそうです。

    道の駅一乗谷あさくら水の駅の裏には足羽川が流れています。さすがに水の駅と名乗っているだけありますね。これから行く一乗谷が栄えた時期には水運の手段としても利用された川です。今ではとても長閑な川に見えました。ちなみにこの後方には頭首工が設置されていて水量の調節を行っていました。
    足羽川は下流では桜の名所として知られていいるそうです。

    道の駅 一乗谷あさくら水の駅 道の駅

  • こちらは足羽川から少し中に入った場所にあった三連水車。この三連水車には粉ひき小屋が設置されていて、水車の動力で米やそばの実を挽くことが出来るようになっています。そばの実の粉が舞っていると怖いので私は入っていないですが・・・。<br />こんなところも水の駅と名乗っている謂れかもしれません。ちなみにこの道の駅にはビオトープも設置されていました。

    こちらは足羽川から少し中に入った場所にあった三連水車。この三連水車には粉ひき小屋が設置されていて、水車の動力で米やそばの実を挽くことが出来るようになっています。そばの実の粉が舞っていると怖いので私は入っていないですが・・・。
    こんなところも水の駅と名乗っている謂れかもしれません。ちなみにこの道の駅にはビオトープも設置されていました。

    道の駅 一乗谷あさくら水の駅 道の駅

  • 道の駅を出発して一乗谷の遺構に直接行っても良かったんですが、その前に2022年10月に新装オープンした福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館にやってきました。通称は「あさみゅー」だそうです。まだ完成して半年も経っていない博物館で本当にピカピカです。

    道の駅を出発して一乗谷の遺構に直接行っても良かったんですが、その前に2022年10月に新装オープンした福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館にやってきました。通称は「あさみゅー」だそうです。まだ完成して半年も経っていない博物館で本当にピカピカです。

    福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館

  • まったく知らなかったんですがこの日は「家庭の日」という事で基本展示は無料になっていました。特に福井市民とか福井県民とかそういう限定はなく、全員無料になっていました。ちなみに普段は大人700円という値段の博物館ですが、見学した後に思うのは歴史が好きな人なら700円払っても全然惜しくない博物館でした。

    まったく知らなかったんですがこの日は「家庭の日」という事で基本展示は無料になっていました。特に福井市民とか福井県民とかそういう限定はなく、全員無料になっていました。ちなみに普段は大人700円という値段の博物館ですが、見学した後に思うのは歴史が好きな人なら700円払っても全然惜しくない博物館でした。

    福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館

  • 券売機のとなりにあったボードです。<br />前にどこかの旅行記でも書いた気がしますが、戦国大名の顔が信長の野望でインプットされつつある今日この頃・・・(笑。みんなイケメンですね。

    券売機のとなりにあったボードです。
    前にどこかの旅行記でも書いた気がしますが、戦国大名の顔が信長の野望でインプットされつつある今日この頃・・・(笑。みんなイケメンですね。

  • 左側は入場してすぐのところにある一乗谷の歴史を解説するビデオが見る事が出来るコーナー。新しい博物館なので綺麗ですし展示もとてもわかりやすいんですよね。<br />前から一乗谷は来てみたかったんですが、新しい博物館が出来た後のいいタイミングで来ることが出来たと思います。

    左側は入場してすぐのところにある一乗谷の歴史を解説するビデオが見る事が出来るコーナー。新しい博物館なので綺麗ですし展示もとてもわかりやすいんですよね。
    前から一乗谷は来てみたかったんですが、新しい博物館が出来た後のいいタイミングで来ることが出来たと思います。

    福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館

  • 令和4年10月1日にオープンして11月にはもう5万人の入場者を達成したそうです。オープン当初は予約制(おそらくコロナのせい)で運営していたと聞いているのですごいですよね。<br />記念して一乗小学校の5・6年生児童が描いた絵が飾られていました。

    令和4年10月1日にオープンして11月にはもう5万人の入場者を達成したそうです。オープン当初は予約制(おそらくコロナのせい)で運営していたと聞いているのですごいですよね。
    記念して一乗小学校の5・6年生児童が描いた絵が飾られていました。

    福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館

  • 一乗谷朝倉氏遺跡博物館の地下には大きな遺構が眠っています。解説によれば長さ38m、幅5.6mの石敷で、川が埋まって少し高くなった場所に盛り土をしその上に石が敷かれているそうです。<br />船着き場という意見がある一方、他の用途の為のものという見方もあり今のところ用途が正確には解っていない遺構です。

    一乗谷朝倉氏遺跡博物館の地下には大きな遺構が眠っています。解説によれば長さ38m、幅5.6mの石敷で、川が埋まって少し高くなった場所に盛り土をしその上に石が敷かれているそうです。
    船着き場という意見がある一方、他の用途の為のものという見方もあり今のところ用途が正確には解っていない遺構です。

    福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館

  • 上の写真ではHDRで明るく撮れていますが実際はこんな感じの明るさで結構暗いです。この角度だと実際の大きさがとてもよくわかりますし、どういう用途で使ったのかはわかりませんが、ここを数百年前に多くの人が利用したと思うとロマンがありますね。

    上の写真ではHDRで明るく撮れていますが実際はこんな感じの明るさで結構暗いです。この角度だと実際の大きさがとてもよくわかりますし、どういう用途で使ったのかはわかりませんが、ここを数百年前に多くの人が利用したと思うとロマンがありますね。

    福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館

  • 2階は一乗谷で出土した遺物や一乗谷の歴史について詳しく解説されています。展示品の数も多いですし見やすいですし、感覚的に理解しやすいように展示されていてやはり新しい博物館だなと感じますね。まあただ一乗谷自体は焼け落ちてしまっているので、遺っているものは少し地味なものが多いですかね。<br />一乗谷はかなり発展していた地域なんだなというのがとてもよくわかります。

    2階は一乗谷で出土した遺物や一乗谷の歴史について詳しく解説されています。展示品の数も多いですし見やすいですし、感覚的に理解しやすいように展示されていてやはり新しい博物館だなと感じますね。まあただ一乗谷自体は焼け落ちてしまっているので、遺っているものは少し地味なものが多いですかね。
    一乗谷はかなり発展していた地域なんだなというのがとてもよくわかります。

  • 一乗谷の街並みを復元した模型。一乗谷は最盛期には人口1万人を超えて越前の中心地として繁栄していて、当時の他の地域の町と比べてもかなり先進的な街並みだったと言われています。1573年織田信長に朝倉氏が敗れ一乗谷を放棄し大野へ撤退した後火をつけられ町は焼失、その後一時的にこの地に館は置かれたものの江戸時代になると現在の福井城周辺へ中心は移りこの地は放棄されたそうです。

    一乗谷の街並みを復元した模型。一乗谷は最盛期には人口1万人を超えて越前の中心地として繁栄していて、当時の他の地域の町と比べてもかなり先進的な街並みだったと言われています。1573年織田信長に朝倉氏が敗れ一乗谷を放棄し大野へ撤退した後火をつけられ町は焼失、その後一時的にこの地に館は置かれたものの江戸時代になると現在の福井城周辺へ中心は移りこの地は放棄されたそうです。

    福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館

  • 足羽川から一乗谷城までの鳥観図です。福井の山奥、と言っては失礼ですが京都から離れた場所にこれだけの都市が発達していたのはロマンを感じます。何年か前のブラタモリではかなり先進的な都市だったと解説されていました。

    足羽川から一乗谷城までの鳥観図です。福井の山奥、と言っては失礼ですが京都から離れた場所にこれだけの都市が発達していたのはロマンを感じます。何年か前のブラタモリではかなり先進的な都市だったと解説されていました。

    福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館

  • 2階は展示室の他に、朝倉氏館を実寸大で復元したものが展示されていて、別料金がかかることなく見学ができます。<br />新しいのでピカピカ過ぎて妙な感じがするくらいに綺麗な屋敷でした。とは言え全盛期の一乗谷は京都から公家や幕府、というか足利氏が上洛を求めてやってくるような場所。当時の朝倉氏館もこれくらいピカピカだったのかもしれないですね。

    2階は展示室の他に、朝倉氏館を実寸大で復元したものが展示されていて、別料金がかかることなく見学ができます。
    新しいのでピカピカ過ぎて妙な感じがするくらいに綺麗な屋敷でした。とは言え全盛期の一乗谷は京都から公家や幕府、というか足利氏が上洛を求めてやってくるような場所。当時の朝倉氏館もこれくらいピカピカだったのかもしれないですね。

    福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館

  • 庭園と屋敷の一部が再現されています。さすがに原寸大と言ってもすべて復元されているわけではないようですが、庭もあってすごく美しい屋敷だなと思いました。<br />この後焼け落ちてしまった跡の遺構に向かいますが先にこちらで屋敷の復元を見る事が出来たので良かったですし、出土品を見ていたのも良かったと思っています。

    庭園と屋敷の一部が再現されています。さすがに原寸大と言ってもすべて復元されているわけではないようですが、庭もあってすごく美しい屋敷だなと思いました。
    この後焼け落ちてしまった跡の遺構に向かいますが先にこちらで屋敷の復元を見る事が出来たので良かったですし、出土品を見ていたのも良かったと思っています。

    福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館

  • 悩んだのですが一乗谷朝倉氏遺跡博物館の1階にある「CARAMON asakura」というレストランで昼食をとることにしました。博物館内のレストランとは言え新しくて雰囲気も良いですし何よりメニューもおしゃれで良かったです。

    悩んだのですが一乗谷朝倉氏遺跡博物館の1階にある「CARAMON asakura」というレストランで昼食をとることにしました。博物館内のレストランとは言え新しくて雰囲気も良いですし何よりメニューもおしゃれで良かったです。

    CARAMON asakura グルメ・レストラン

  • 蕎麦があったりするので選べるメニューはかなり限られる、というか御膳を頼もうかと思ったんですがこれもそばが入っているので断念し宗滴カレーというメニューを注文しました。<br />一乗谷復元町並み内にある落ちない石をモチーフにしたハンバーグカレーで、カレーはトマトカレーでした。結構おいしかったですよ。

    蕎麦があったりするので選べるメニューはかなり限られる、というか御膳を頼もうかと思ったんですがこれもそばが入っているので断念し宗滴カレーというメニューを注文しました。
    一乗谷復元町並み内にある落ちない石をモチーフにしたハンバーグカレーで、カレーはトマトカレーでした。結構おいしかったですよ。

    CARAMON asakura グルメ・レストラン

  • 食事後にちょっと歩いて一乗谷駅までやってきました。博物館は一乗谷駅から徒歩3分程度の場所にありますが、北陸でも思った程寒くない?2023年3月歴史と自然をめぐる石川福井旅行記の本数が少ないのであまりアクセス機関としては利用されていなさそうです。ちなみに正式名称は越美北線で通称が九頭竜線になっていますが、「くずりゅうせん」と聞くとるろうに剣心の「九頭龍閃」をイメージしてしまいます。

    食事後にちょっと歩いて一乗谷駅までやってきました。博物館は一乗谷駅から徒歩3分程度の場所にありますが、北陸でも思った程寒くない?2023年3月歴史と自然をめぐる石川福井旅行記の本数が少ないのであまりアクセス機関としては利用されていなさそうです。ちなみに正式名称は越美北線で通称が九頭竜線になっていますが、「くずりゅうせん」と聞くとるろうに剣心の「九頭龍閃」をイメージしてしまいます。

    一乗谷駅

  • そのまま駐車場に戻り一乗谷に出発しようと思ったら踏切が鳴っていたので待ち構えてみるとJR西日本キハ120系がやってきました。1日片道8本運転の九頭竜線、その半分だけが終点の九頭竜湖駅に行く列車、残りは越前大野駅止まりの列車というローカル線です。ステンレス車両ですが旧国鉄気動車のような塗装になっていました。

    そのまま駐車場に戻り一乗谷に出発しようと思ったら踏切が鳴っていたので待ち構えてみるとJR西日本キハ120系がやってきました。1日片道8本運転の九頭竜線、その半分だけが終点の九頭竜湖駅に行く列車、残りは越前大野駅止まりの列車というローカル線です。ステンレス車両ですが旧国鉄気動車のような塗装になっていました。

    福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館

  • その後車で5分ほどの所にある一乗谷遺跡にやってきました。駐車場は道路沿いにあり、復元町並に隣接している形でした。復元町並の南北に位置する第1・第2駐車場は満車に近い形でしたが、少し離れた場所にはまだ空きのある駐車場があるようです。<br />一乗谷遺跡は復元町並と遺構が残る地区にわかれていますがまずは遺構の部分を見学していきます。

    その後車で5分ほどの所にある一乗谷遺跡にやってきました。駐車場は道路沿いにあり、復元町並に隣接している形でした。復元町並の南北に位置する第1・第2駐車場は満車に近い形でしたが、少し離れた場所にはまだ空きのある駐車場があるようです。
    一乗谷遺跡は復元町並と遺構が残る地区にわかれていますがまずは遺構の部分を見学していきます。

  • 一乗谷は非常に大きな区域を持つ都市でしたが、1573年織田信長の侵攻を受け都市は焼失してしまいました。その後一時期越前一向一揆勢がこの地域の支配権を奪還も再度信長に平定され、以降福井の中心地が現在地に移った為土砂に堆積され当時の姿はほとんど残っていません。こうやってみると普通の山間部にしか見えない状態になっています。

    一乗谷は非常に大きな区域を持つ都市でしたが、1573年織田信長の侵攻を受け都市は焼失してしまいました。その後一時期越前一向一揆勢がこの地域の支配権を奪還も再度信長に平定され、以降福井の中心地が現在地に移った為土砂に堆積され当時の姿はほとんど残っていません。こうやってみると普通の山間部にしか見えない状態になっています。

  • 一乗谷の遺跡ですが少し登ったところにも遺構が多くこちらにも自由に登ることが出来ます。<br />高いところに登ってみると山の奥の方に集落が見えました。現在の一乗谷の集落は遺跡よりも高いところにあり、小学校などの施設もあの周囲にあるそうです。

    一乗谷の遺跡ですが少し登ったところにも遺構が多くこちらにも自由に登ることが出来ます。
    高いところに登ってみると山の奥の方に集落が見えました。現在の一乗谷の集落は遺跡よりも高いところにあり、小学校などの施設もあの周囲にあるそうです。

  • 登ってきて最初に目に入ったのは諏訪館跡庭園。こちらは越前朝倉氏十一代、そして最後の当主となった朝倉義景が側室である小少将のために建築した諏訪館に併設されている庭園です。<br />諏訪館も一乗谷の焼失により灰となりましたが、発掘復元されています。<br />余談ですが小少将は大野で捕らえられたあとに丹羽長秀によって殺害されたというのが有力ですが、私が2021年6月に観光した岐阜県御嵩にある願興寺に落ち延びたという説もあるそうです。<br />全然その話は描いていないですが、願興寺に行った時の旅行記はこちら↓<br />なかなか珍しいルートで行った愛知・岐阜2日間の旅-2日目<br />https://4travel.jp/travelogue/11716154

    登ってきて最初に目に入ったのは諏訪館跡庭園。こちらは越前朝倉氏十一代、そして最後の当主となった朝倉義景が側室である小少将のために建築した諏訪館に併設されている庭園です。
    諏訪館も一乗谷の焼失により灰となりましたが、発掘復元されています。
    余談ですが小少将は大野で捕らえられたあとに丹羽長秀によって殺害されたというのが有力ですが、私が2021年6月に観光した岐阜県御嵩にある願興寺に落ち延びたという説もあるそうです。
    全然その話は描いていないですが、願興寺に行った時の旅行記はこちら↓
    なかなか珍しいルートで行った愛知・岐阜2日間の旅-2日目
    https://4travel.jp/travelogue/11716154

    諏訪館跡庭園 名所・史跡

  • 高台にも整地されなにもない区画が結構残っています。この辺りも一乗谷が反映していた時代には朝倉氏の館が建っていた様で、門などのあった場所の説明がされていました。<br />そういう予備知識がなければ山肌にあるグラウンドなどに見えなくもないですが、ここはかつて京都と同様に栄えた館があった場所なのです。

    高台にも整地されなにもない区画が結構残っています。この辺りも一乗谷が反映していた時代には朝倉氏の館が建っていた様で、門などのあった場所の説明がされていました。
    そういう予備知識がなければ山肌にあるグラウンドなどに見えなくもないですが、ここはかつて京都と同様に栄えた館があった場所なのです。

  • 高台を歩いてきてふと見下ろすと復元町並み地区が眼下に見えました。この辺りは朝倉氏一族の館などがあった地区なので、朝倉氏はこんな感じで街を見下ろしていたのだと思います。一乗谷朝倉氏遺跡博物館で見たジオラマではこの辺り一帯家屋だった様なので壮大な街並みが見えたんでしょうね。

    高台を歩いてきてふと見下ろすと復元町並み地区が眼下に見えました。この辺りは朝倉氏一族の館などがあった地区なので、朝倉氏はこんな感じで街を見下ろしていたのだと思います。一乗谷朝倉氏遺跡博物館で見たジオラマではこの辺り一帯家屋だった様なので壮大な街並みが見えたんでしょうね。

  • こちらは湯殿跡庭園という庭園だった場所です。大きな石が並べられている庭園だった様です。朝倉氏館の背後にあった湯殿に併設されている庭園で、一乗谷の庭園の中でも古い部類の物だそうです。<br />力強く石を置いておりそれが戦国時代の力強さだそうです。

    こちらは湯殿跡庭園という庭園だった場所です。大きな石が並べられている庭園だった様です。朝倉氏館の背後にあった湯殿に併設されている庭園で、一乗谷の庭園の中でも古い部類の物だそうです。
    力強く石を置いておりそれが戦国時代の力強さだそうです。

    湯殿跡庭園 公園・植物園

  • この日は昨日の雨と寒さと打って変わって初夏のような陽気の日でした。春を迎えて草木も綺麗に彩られていて一番いい季節ですね。私は花粉症で辛いですけど・・・。<br />こうやって眺めていると500年前に滅んだ町にいるとはとても思えません。

    この日は昨日の雨と寒さと打って変わって初夏のような陽気の日でした。春を迎えて草木も綺麗に彩られていて一番いい季節ですね。私は花粉症で辛いですけど・・・。
    こうやって眺めていると500年前に滅んだ町にいるとはとても思えません。

  • 高台を歩いてだいぶ北までやってきました。一乗谷の範囲はとても広くこのまま高台を歩いていく事も出来るのですが時間もあるのでどうしようか考えていたら眼下に朝倉館跡が見えました。越前国を治める戦国大名としてい大きな館だった朝倉氏館。上から見ても広大な敷地というのがわかります。<br />下に降りる事も出来るみたいなのでここで下ってみる事にします。

    高台を歩いてだいぶ北までやってきました。一乗谷の範囲はとても広くこのまま高台を歩いていく事も出来るのですが時間もあるのでどうしようか考えていたら眼下に朝倉館跡が見えました。越前国を治める戦国大名としてい大きな館だった朝倉氏館。上から見ても広大な敷地というのがわかります。
    下に降りる事も出来るみたいなのでここで下ってみる事にします。

    朝倉館跡庭園 公園・植物園

  • 階段を利用して朝倉館跡まで降りてきました。戦後発掘作業は断続的に続いている様ですが今もまだまだ作業が行われている様で今後しばらくしたらまた展示の仕方は変わっているかもしれません。<br />こうやって降りてきてみると上から見ていた時に比べさらに広く感じます。

    階段を利用して朝倉館跡まで降りてきました。戦後発掘作業は断続的に続いている様ですが今もまだまだ作業が行われている様で今後しばらくしたらまた展示の仕方は変わっているかもしれません。
    こうやって降りてきてみると上から見ていた時に比べさらに広く感じます。

    朝倉館跡庭園 公園・植物園

  • 朝倉館跡庭園内には朝倉義景の墓所がありました。最後に自害をした大野市内にも墓所がありこの後訪れていますが、こちらの方が古くからあるようです。<br />朝倉館跡内にある事もあり参拝者はこちらの方が多かったです。

    朝倉館跡庭園内には朝倉義景の墓所がありました。最後に自害をした大野市内にも墓所がありこの後訪れていますが、こちらの方が古くからあるようです。
    朝倉館跡内にある事もあり参拝者はこちらの方が多かったです。

    朝倉館跡庭園 公園・植物園

  • 朝倉館跡庭園の出入り口には歴史を感じさせる唐門がありました。私は丘の上から階段で降りてきているので、ここを通るのは出るときが初めてでした。朝倉氏時代の一乗谷は全て燃えてしまっているのでいつの物かとおもいましたが、江戸時代の再建だそうです。結構歴史がある門なんですね。<br />京都から多くの文化人が訪れ文化の面でも繁栄した一乗谷の朝倉館。当時はどんな姿だったのかと想像してみるのも楽しいです。

    朝倉館跡庭園の出入り口には歴史を感じさせる唐門がありました。私は丘の上から階段で降りてきているので、ここを通るのは出るときが初めてでした。朝倉氏時代の一乗谷は全て燃えてしまっているのでいつの物かとおもいましたが、江戸時代の再建だそうです。結構歴史がある門なんですね。
    京都から多くの文化人が訪れ文化の面でも繁栄した一乗谷の朝倉館。当時はどんな姿だったのかと想像してみるのも楽しいです。

    唐門 名所・史跡

  • 唐門を出て下側の道を歩いていると祠と碑がありました。左の祠は朝倉氏を祀る朝倉神社で、右側の碑は招魂碑でした。朝倉神社がいつからあるのかはわかりませんが、恐らく一乗谷が滅んだあとに建立されたのだと思います。<br /><br />ちょっと中途半端な位置になりますが、写真枚数的に区切りが良いのでこの後訪れる一乗谷復元町並みは後編で載せます。

    唐門を出て下側の道を歩いていると祠と碑がありました。左の祠は朝倉氏を祀る朝倉神社で、右側の碑は招魂碑でした。朝倉神社がいつからあるのかはわかりませんが、恐らく一乗谷が滅んだあとに建立されたのだと思います。

    ちょっと中途半端な位置になりますが、写真枚数的に区切りが良いのでこの後訪れる一乗谷復元町並みは後編で載せます。

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