2021/06/25 - 2021/06/27
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かるあみるくさん
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アップが遅くなりましたが6月に行った愛知・岐阜旅行記の2日目です。この日は午前中観光していますが、午後は夕方まで私用で過ごしていたので午前中までとセントレアから羽田へ戻る部分への旅行記になります。
可児市のホテルをチェックアウトした後可児市の飛び地である兼山地区の戦国山城ミュージアムを見学した後木曽川沿いに進み、八百津町にある人道の丘公園と杉原千畝記念館の見学、その後御嵩宿に向かいました。
人道の丘公園と杉原千畝記念館中心で考えていましたが、戦国山城ミュージアムは展示も建物もとてもよく気に入った博物館でした。
なかなか珍しいルートで行った愛知・岐阜2日間の旅-初日前半
https://4travel.jp/travelogue/11689928
なかなか珍しいルートで行った愛知・岐阜2日間の旅-初日後半
https://4travel.jp/travelogue/11706486
なかなか珍しいルートで行った愛知・岐阜2日間の旅-2日目
https://4travel.jp/travelogue/11716154(←イマココ
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2日目、前泊も入れると3日目の朝食です。ABホテル可児は追加料金なく朝食バイキングが付いていました。メニューはすごく多いというわけではないですが、無料バイキングならこんなもんかな、という感じの内容。
しっかり食べて出発できます。ABホテル可児 宿・ホテル
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ABホテル可児のチェックアウトは最近造られたホテルらしくチェックアウト専用の端末で行う形でした。安価でコンパクトなホテルでしたが、利用しやすい良いホテルでした。
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ABホテル可児を出て最初の目的地は可児市北部にある戦国山城ミュージアムです。ここは戦国山城ミュージアムに隣接する可児市観光交流館で美濃金山城に関する展示などもあります。この地区は合併前の兼山町の中心部だった場所の様で、ここも公民館と併設ですし他にも行政機関らしきものも付近にありました。
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観光交流館の中には戦国時代の甲冑が展示されているスペースがあります。歴史好きですが基本的に江戸~が好きで特に幕末史ばかり勉強しているので戦国時代は正直そんなに詳しくなく・・・。好きな人が見たらとても気に入ると思います。
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こちらが来たかった戦国山城ミュージアムです。元々は兼山小学校校舎として1885年に竣工した建物で1932年まで校舎として利用された様です。その後どの様に利用されていたかわかりませんが平成に入り改修工事を行い兼山歴史民俗資料館になり、平成30年から戦国山城ミュージアムとして再オープンしました。
ちなみに移転した兼山小学校は現在美濃金山城の城郭の傍にありますが、かなりの坂だったので小学生は鍛えられそうだなと・・・。可児市戦国山城ミュージアム 美術館・博物館
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入口には線路が展示されていました。名鉄八百津線が近くを走っていて兼山地区に兼山駅もあったのでそのゆかりだと思います。過去には名鉄に関する資料も展示されていた時期があるようですね。
可児市戦国山城ミュージアム 美術館・博物館
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1階は森蘭丸や美濃金山城などの可児市にある山城についての紹介でした。戦国山城ミュージアムの正面にある山には戦国時代美濃金山城という山城がありました。その山城を復元したモデルが置かれていました。
写真でだとわかりにくいかもしれないですが、相当に繊細な造りのモデルでした。可児市戦国山城ミュージアム 美術館・博物館
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戦国山城ミュージアムは法地に建っているので入り口から見て地下と2階、合計三層構造です。現在は2階が公開されていないので見れるのは1階と地下になっていました。下って行ってみます。平成29年の耐震工事の際に中をリニューアルしたようで明治期の建築物というイメージはないほど綺麗になっていて、仕方ないですがそれはちょっと残念でした。
可児市戦国山城ミュージアム 美術館・博物館
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とは言え階段を下りたところにはこのようなものが・・・。兼山小学校として利用されていた当時の欄干が残っていました。
可児市戦国山城ミュージアム 美術館・博物館
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地下は兼山地区の文化や商業について展示がされていました。江戸時代から昭和初期にかけての兼山は木曽川の水運もあり近隣地区で随一の商業の町だったそうです。
兼山地区の古写真の展示などもあったので地元の人はこちらの方が身近かもしれませんね。
戦中に建造された兼山ダムの紹介もされていました。可児市戦国山城ミュージアム 美術館・博物館
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先ほど入り口での写真をあげましたが裏側から見るとこの様に見えます。同じ建物とは思えませんよね。階段の所で書いた通り表から入るとこの写真で二階に見えるところになり、そこから階段で降りると一階に見える一番下の階の位置になります。
以前は二階も公開していたそうですが、残念ながら現在は公開されていませんでした。 -
戦国山城ミュージアムに写真も展示されていた兼山ダムです。1939年着工、1943年竣工ととても歴史のあるダムで建設中は当時の国際情勢により発電機の部品が入手できないなどのトラブルもありました。兼山ダムはダムサイトに近づくのは難しいのですが、下流に橋が架かっているので遠くから眺める事は簡単にできました。
兼山ダム 名所・史跡
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車を八百津町へと進めていくと途中の交差点横にこの様なモニュメントがありました。ここは名鉄八百津線八百津駅跡。名鉄広見線の明智駅から分岐してこの八百津駅まで7キロ程度の短い路線でした。2001年に廃止された時には電化設備を撤去しレールバスが走る路線になっていました。
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現在はこんな交差点になっています。奥の道路が八百津線の廃線跡が道路化されたもののようです。実際の所の駅はもう少し後方だったようですが、現在は宅地化されて痕跡は残っていない状態でした。
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八百津駅跡から車を少し進めると木曽川沿いに蘇水公園という公園がありました。蘇水峡から名前を取っていますが、木曽川を眺める公園というよりは運動公園の様です。ただ川の水がとても綺麗だったので木の間から一枚・・・。
写真で見るより川は綺麗でしたね。蘇水公園 公園・植物園
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蘇水公園を出て木曽川を渡り八百津町の中心部にやってきました。先ほどの名鉄八百津線八百津駅跡から道なりで1キロちょっとある位置です。八百津駅は郊外に設置されていたのですね。
古くからの街並みが残っていて雰囲気は良いのですがあまり活気は感じられませんでした。 -
八百津町中心部には熊野神社がありました。鳥居と社殿の間には珍しい目隠門があり、この門が特徴の神社の様です。
創建不明の由緒ある神社だそうです。熊野神社 寺・神社・教会
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熊野神社の脇には八百津町の観光マップがありました。ちなみに杉原千畝誕生の地とされていますが、生誕地は美濃市と今はされていて居住していた事もないようです。どちらにしても幼少期には父の仕事で転々とし名古屋で旧制中学を卒業後上京しています。
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上の写真の八百津町中心部から車で10分弱、山の上にある人道の丘公園にやってきました。上で書いた通り八百津町は杉原千畝誕生の地として町をアピールしていて1992年にこの地に公園をオープンしました。ふるさと創生資金を活用していますが、アメリカとイスラエルのユダヤ人協会からも多くの資金提供を受けて造られたそうです。
この奥にはモニュメントが置かれていました。人道の丘公園 名所・史跡
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リトアニアのナウセダ大統領が2019年の即位礼正殿の儀参列の為に来日した際に、杉原千畝記念館を訪問してこのメッセージの除幕式を行ったそうです。リトアニアでは杉原千畝は有名で、当時領事館が置かれた臨時首都カウナスにはスギハラ通りもあります。
人道の丘公園 名所・史跡
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メッセージの記された銘板の奥にはこのモニュメントがあります。パイプオルガンを模したモニュメントで、パイプの数はこの公園を整備した当時の1990年に国連に加盟していた160か国をイメージして160本だそうです。
人道の丘公園 名所・史跡
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モニュメントの入口には杉原千畝像が建立されています。戦後は外務省に残ることが出来ずロシア語力を生かしてロシアで商社などの仕事をしました。日本では藤沢・鎌倉に住み昭和末期に亡くなっています。
日本外務省の指示に背いてビザを発行し続けた事で戦後外務省に残れなかったのではと言われており、その功績の評価は彼に助けられイスラエル独立宣言に署名・後に宗教大臣になったバルハフティク氏によるところが大きいと言われ、イスラエルでは1985年に”諸国民の中の正義の人”を受賞しています。人道の丘公園 名所・史跡
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モニュメントから道路を渡り記念館へと向かいます。
実は杉原千畝氏の息子の内の一人が私の母校の先輩にあたります。私の通っていた当時はなかった(というか当時は修学旅行に飛行機利用できず北海道への修学旅行コースは新幹線+夜行というありさま)のですが、現在はそのつながりをいかしてリトアニア・ポーランドへ希望者のヒストリーツアーを行っていてそのあたりもあって彼の功績をめぐってみたいと思った次第です。
2017年にはリトアニアのギムナジウムから学生を受け入れたり交流もしている様で、この交流が長く続いてくれればなあと思います。人道の丘公園 名所・史跡
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こちらが杉原千畝記念館です。記念館は左の建物で右は研修棟で入れませんでした。中は撮影禁止ですが、杉原千畝に対してだけではなくヨーロッパのユダヤ人やナチスドイツの行い、彼によって助けられた人々とヨーロッパに残らざるを得なかった人々のその後について、日本を経由した際の敦賀や神戸でのユダヤ人の出来事などとても多くの事を学べます。表記は日本語・英語の他ヘブライ語でも書かれていてイスラエル人が訪問することを前提とした造りになっていました。
そのほかにも当時のリトアニアの臨時首都、カウナスに置かれていた日本領事館の執務室を再現した部屋があり、当時のカウナスの様子も学べます。
「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。」という言葉は彼の立場を考えると決して簡単にいえる・行える言葉ではなくとても深い言葉だと思います。杉原千畝記念館 美術館・博物館
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人道の丘公園の一角には久田見村開拓団の碑がありました。久田見村というのは現在の八百津町北部にあった村で、そこから満州に開拓団として88戸が入植し開墾したものの、敗戦により脱出する際に半数が亡くなるという結果に終わった事を祈念し建立されたそうです。
人道の丘公園 名所・史跡
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少し離れたところには命のビザのモニュメントが置かれていました。杉原千畝記念館からは車で移動した位置です。
三つのモニュメントには鐘がつけられていて鳴らすことが出来る様になっています。それぞれの鐘は勇気・心・愛を示しているそうです。人道の丘公園 名所・史跡
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命のビザのモニュメントの建立されている場所からは八百津の町を見下ろすことが出来ました。天気がイマイチなのと写真では伝わりにくいですが素晴らしい絶景でした。民家は現代風になりましたが、古くからここから見える景色は変わってないんだろうな、感じる景色でした。
人道の丘公園 名所・史跡
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人道の丘公園の近くにある丸山ダムの展望台にやってきました。展望台と言ってもちょっとした高台の広場みたいな感じでしたけど・・・。
水害が相次いだ1950年代に治水機能も持たせた造られたダムで、当時としては最先端の技術を使い造られたそうです。
奥に見えるダム湖は丸山蘇水湖と呼ばれています。丸山ダム 名所・史跡
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車で走ってダム下流にやってきました。この写真でわかる通り現在丸山ダムは新丸山ダムの建設が始まっています。日本の大規模ダムの先駆けとなった丸山ダムだそうですが、近い将来完全に水没してしまうそうです。
丸山ダム 名所・史跡
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上の写真やこの写真でもわかりにくいですが、今撮影しているところは地面から相当高いところにある橋の上です。その上から見てもこんな感じで見えるダムです。1952年から本体工事に入っていたそうですが、相当な難工事だったんだろうなというのは想像に難しくないです。
丸山ダム 名所・史跡
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丸山ダムを出て御嵩宿へとやってきました。途中に山があるのですが直線の長いトンネルで抜けれるのでアクセスは良かったです。観光駐車場が御嵩駅のすぐそばなので駅にも寄っていきます。
御嵩駅は名鉄広見線の終点ですが無人駅化していて観光案内所に人が居るのみでした。御嵩駅 駅
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ちょうど広見線の電車が到着しました。サボに書かれている様に新可児駅で系統分離していて新可児-御嵩はワンマン列車での30分おきの運転になっています。
やはり経営的に良い状態ではなく廃線の可能性も高い路線になってしまっているようですね。御嵩駅 駅
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御嵩宿で一番有名であるだろうお寺、願興寺は御嵩駅を出てすぐの所にあります。地元の人の寄進により建立されたお寺だそうですがかなり荒れてしまっていたそうで現在数年かけて行う解体工事の真っ最中でした。解体の様子はテレビでも取り上げられたそうです。
願興寺 寺・神社・教会
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願興寺の前にある御嵩宿わいわい館です。休憩所と喫茶店になっている様です。コロナ禍で営業は限定的になっていたのが残念でした・・・。
でもトイレがとても綺麗で良かったです。観光おもてなし施設「御嶽宿わいわい館」 グルメ・レストラン
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旧中山道御嵩宿は往時の建物はほぼ残っていなく新しい建物が多いのですが、このように雰囲気を旧宿場町に調和させて街づくりが行われている様です。
とはいえ昨日行った鵜沼宿の様な人気がある宿場町ではないようであまり観光客は見ませんでした。 -
御嵩宿には古くからの建物はあまり残っていないですが数軒このような明治時代の建築物が残っています。こちらは商家竹屋という建物で、豪商の方の家だったそうです。建築は江戸時代ではなく1877年頃の建築だそうですが、江戸の雰囲気を残す立派な建物です。
中山道御嶽宿 商家竹屋 名所・史跡
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中は明治時代にこの竹屋での生活を再現したものになっていました。ここは台所ですが生活スペースが多く当時の生活を読み取ることが出来ました。とは言えこの竹屋は商家だったので商家に必要だったものや襖絵、神棚などはとても立派に展示されていましたし、当時来訪された人物についての展示などもありました。
中山道御嶽宿 商家竹屋 名所・史跡
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竹屋の中庭には蔵が2棟建っていました(右側の建物はトイレ)。右手の蔵は公開されていませんでしたが恐らく明治期のものなのだと思います。扉が立派ですね。
左手の蔵は公開されているので入ってみます。中山道御嶽宿 商家竹屋 名所・史跡
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上の写真左手の蔵の中では民俗文化が展示されていました。これは機織り機ですね。
他にも古写真が展示されていたりと展示そのものは多くありませんが勉強になるものが多くありました。中山道御嶽宿 商家竹屋 名所・史跡
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竹屋の隣には図書館と併設される形の中山道みたけ館があります。こちらも無料の施設で一階は図書館、二階は中山道みたけ館で御嵩町の民俗文化や御嵩宿の歴史について展示していました。無料の施設ですが展示内容は割と深かったです。
中山道みたけ館 美術館・博物館
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こちらが二階の中山道みたけ館の入口です。子供から大人まで楽しめるような施設内容で展示も多くスペースも広いです。残念ながらここから先は撮影禁止でした。
この後は個人的な用事で名古屋市に移動、昼食などもチェーン店なので割愛します。中山道みたけ館 美術館・博物館
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所要も終わり名二環から知多半島道路へと進みセントレアへと向かいます。割と頻繁に来ることのある阿久比パーキングエリアですが、2018年頃に改装工事が行われてすごく綺麗なエリアになっています。
残念ながらお店などは閉まった直後だった様でトイレのみの利用でした。セントレアで食事できるかなあ・・・。
この後セントレアの空港島の直前で給油してセントレアへ向かいました。阿久比パーキングエリア 道の駅
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無事にセントレアへ到着しました。まだ離陸までは2時間近いですがレンタカーの営業時間を考えるとだいたいこれくらいにしないといけなかったので・・・。6月なので7時だとまだ明るいですね。
羽田に戻るとたぶん食事をとれないのでセントレアで夕食を探すことにします。中部国際空港セントレア 空港
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MABUSHIYAというセンターピアにあるお店で夕食を食べました。牛まぶしやお茶漬けがメインのお店です。開業したてだったようですが美味しかったです。セットとかにもできるのですが昼に相当食べていたので単品にしました。
当時の愛知県は7時30分までで店が閉まる状態だったかな。街中だったら空いているお店を探すのもできると思いますが、空港だと指示に従う店ばかりだと思うので、急いで探して開いているお店に入りました。そもそも7時の時点で閉まっているお店も多く、というか休業しているお店もあるので探すのも一苦労で下。MABUSHIYA グルメ・レストラン
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食事後スカイデッキに出てみました。日が一年で一番長い時期ですがさすがに8時ちょっと前だともう真っ暗ですね。鹿児島行きのソラシドエア117便がスポットアウトしていました。
国内線スポットも相変わらず寂しい雰囲気です。国際線は何も駐機していませんでした・・・。スカイデッキ (セントレア) 名所・史跡
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スカイデッキにいると国内線スポットに日本航空のB737-846、JA324Jがトーイングされていきました。この後出発する日本航空便は搭乗する便しかないのでこの機材で確定の様ですが、この機材国内線機材なんですよね。
国際線機材が投入される便で短距離用とは言え国際線機材のビジネスクラスに座れると思ってクラスJでチケットを購入しましたが、どうやら通常の国内線機材になってしまいそうです(´・ω・`)。スカイデッキ (セントレア) 名所・史跡
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もうこの日の出発便は私が乗るJL208のみ・・・。それでも搭乗手続きで多少の人はいました。到着した時も思いましたけど、羽田以上に減便が多く搭乗客もとても少ない印象でした。
余談ですがこういう島型のチェックインカウンターはなんとなく国際線の雰囲気があり気持ちが盛り上がりました。とは言え搭乗するのは国内の短距離路線ですけどね。中部国際空港セントレア 空港
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搭乗手続きを済ませた後カードラウンジに寄ってみました。セントレアのカードラウンジは全て制限エリア外にあるので同じカードだと内際どちらの利用でも同じラウンジになります。また到着後でも搭乗券を見せれば利用できるのも利点です。
上に書いた通りもう残りの離陸便が一便だけということもありガラガラでした。
ドリンクサービスと飴などが置かれているだけでしたが、休憩するにはちょうどいいラウンジでした。プレミアムラウンジ セントレア 空港ラウンジ
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日本航空に乗り始めたのは今年3月に岡山旅行の帰りに利用してからですが、初めてクラスJを利用してみました。クラスJは+1000円で利用できるのでANAのプレミアムシートよりはお手頃感があります。中部→羽田だと飛行距離が短いですが・・・。
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制限エリア内に入りましたがガラガラです・・・。まあラスト一便だから仕方ないですけどね。
セントレアから出発するのは初めての事なのでなかなか新鮮でしたが、お店などは全て閉まっていたのが残念です。
構造としては羽田2タミの様に完全に出発・到着が分離されている構造でした。中部国際空港セントレア 空港
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出発ゲートが当日になって変更になっていました。とは言え隣のゲートに変わっただけなので大きな変更ではなかったです。国内線機材に変更になった事と関係があるのかはわかりません・・・。
中部国際空港セントレア 空港
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羽田空港ではRW34Lへのアプローチとなりました。RW22だと思っていたのですが、名古屋からだとRW34Lの方が数分早く着くことが出来るので良かったです。もう時間も結構遅くなってますしね。
到着寸前に見えた木更津の夜景です。 -
降機時に撮影しました。やはりスカイデッキで見たように国内線機材でした。まあ国内線機材でもクラスJに乗った事がなかったので初体験で良かったです。シートピッチもですがシートそのものも疲れにくい構造になっているみたいです。元々2-2のシートの機材の予定だったからか中央席が空席だったのも良かったです。
搭乗者数はそこそこいたように感じましたが、2021年11月現在この便は運休中になっているようです・・・。名古屋には頻繁に行くので使いたいなと思っているんですが、運休だとあきらめざるを得ないので・・・(´・ω・`)。
こんな感じで旅行記としては中途半端な形ではありましたが、この時は観光もしていたので旅行記にまとめてみました。
明日もまた名古屋に行きますが今回は観光なしなのでたぶん旅行記のアップはないです。
遅れている2010年の福岡旅行記と2021年秋の北海道旅行記も徐々にアップしていくのでこれからもよろしくお願いします。
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