東尋坊・越前松島・三国旅行記(ブログ) 一覧に戻る
福井旅行3日目の旅行記です。<br />前日寝る時点ではこの日のスケジュールを決めかねていたのですが、前日福井の丸岡・一乗谷・大野と観光しましたが、東尋坊や永平寺には行けていなかったので両方行くのは難しいかなと思いつつも福井方面に向かう事にしました。初日に天気が悪かったので小松空港到着後すぐに七尾に向かわずに、航空プラザを見ていたので時間を有効的に使えたのは良かったです。<br />旅行企画した当初から行きたかった東尋坊へも向かっていますが、飛行機が保存されている小松市の粟津公園を経由し、福井県と石川県の県境にある越前加賀県境の館を訪れました。ここは現在の県境だけではなく、律令国時代の加賀国と越前国の境でもあった場所で、平地に境があるのは割と珍しいです。<br />その後は東尋坊と三国湊という福井県を代表する観光地を巡ってきました。三国湊は昔から行ってみたかった場所の一つで、昔ながらのかぐら建ての建物や森田銀行本店跡など昔の建築物が残っていました。月曜日という事もあって人は少なく落ち着いて眺める事が出来ました。

北陸でも思った程寒くない?2023年3月歴史と自然をめぐる石川福井旅行記-3日目前編

4いいね!

2023/03/17 - 2023/03/20

410位(同エリア588件中)

かるあみるく

かるあみるくさん

この旅行記スケジュールを元に

福井旅行3日目の旅行記です。
前日寝る時点ではこの日のスケジュールを決めかねていたのですが、前日福井の丸岡・一乗谷・大野と観光しましたが、東尋坊や永平寺には行けていなかったので両方行くのは難しいかなと思いつつも福井方面に向かう事にしました。初日に天気が悪かったので小松空港到着後すぐに七尾に向かわずに、航空プラザを見ていたので時間を有効的に使えたのは良かったです。
旅行企画した当初から行きたかった東尋坊へも向かっていますが、飛行機が保存されている小松市の粟津公園を経由し、福井県と石川県の県境にある越前加賀県境の館を訪れました。ここは現在の県境だけではなく、律令国時代の加賀国と越前国の境でもあった場所で、平地に境があるのは割と珍しいです。
その後は東尋坊と三国湊という福井県を代表する観光地を巡ってきました。三国湊は昔から行ってみたかった場所の一つで、昔ながらのかぐら建ての建物や森田銀行本店跡など昔の建築物が残っていました。月曜日という事もあって人は少なく落ち着いて眺める事が出来ました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
5.0
交通
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
レンタカー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 旅行最終日の朝です。昨日同様めちゃくちゃ天気がいい。初日がなんだったのと思うくらいの快晴です。というか予報では結構暑くなるとなっていてむしろ天気よすぎて困るという状態(笑。<br />余談ですが前年も同じスケジュールで広島旅行していて、3月18日は雨、19日・20日はある程度天気良かったんですよね。

    旅行最終日の朝です。昨日同様めちゃくちゃ天気がいい。初日がなんだったのと思うくらいの快晴です。というか予報では結構暑くなるとなっていてむしろ天気よすぎて困るという状態(笑。
    余談ですが前年も同じスケジュールで広島旅行していて、3月18日は雨、19日・20日はある程度天気良かったんですよね。

    ルートイングランティア 小松エアポート 宿・ホテル

  • 3日目の朝食に取ったものです。前日と同じものも結構ありますが、おかずの品が変わっているのは長期滞在でも飽きないので良いですよね。<br />というか朝食バイキングで豚キムチがあるのは初めてみました。キムチ自体も日本だと少ないですよね。

    3日目の朝食に取ったものです。前日と同じものも結構ありますが、おかずの品が変わっているのは長期滞在でも飽きないので良いですよね。
    というか朝食バイキングで豚キムチがあるのは初めてみました。キムチ自体も日本だと少ないですよね。

    ルートイングランティア 小松エアポート 宿・ホテル

  • チェックアウトをしてホテルから車で10分ちょっとの所にある粟津公園というところにやってきました。工業団地と住宅街の境にある公園で結構な大きさの公園でした。スポーツ広場や児童遊園があったりと休日ならばにぎわいそうな公園ですが、月曜日の早朝なので誰もいませんね。<br />この通路は桜の時期には綺麗なトンネルになりそうです。

    チェックアウトをしてホテルから車で10分ちょっとの所にある粟津公園というところにやってきました。工業団地と住宅街の境にある公園で結構な大きさの公園でした。スポーツ広場や児童遊園があったりと休日ならばにぎわいそうな公園ですが、月曜日の早朝なので誰もいませんね。
    この通路は桜の時期には綺麗なトンネルになりそうです。

    粟津公園 公園・植物園

  • この粟津公園にはかつて中日新聞で使用されたエアロコマンダー680が保存されています。1958年製造で1984年からここで展示されている様です。<br />だいぶ色あせていますが公園保存機にしては状態は良いほうでした。同型機は他には成田に保存されているのを見たことがあります。

    この粟津公園にはかつて中日新聞で使用されたエアロコマンダー680が保存されています。1958年製造で1984年からここで展示されている様です。
    だいぶ色あせていますが公園保存機にしては状態は良いほうでした。同型機は他には成田に保存されているのを見たことがあります。

    粟津公園 公園・植物園

  • 粟津公園には「なかよし鉄道」という子供向けの鉄道があります。よくある交通公園などの子供鉄道に思われがちですが、なんとこのなかよし鉄道かつて小松市内で運行していた尾小屋鉄道の車輛を動態保存して運行しているんです。

    粟津公園には「なかよし鉄道」という子供向けの鉄道があります。よくある交通公園などの子供鉄道に思われがちですが、なんとこのなかよし鉄道かつて小松市内で運行していた尾小屋鉄道の車輛を動態保存して運行しているんです。

    粟津公園 公園・植物園

  • とは言え3月で春休みに入ったくらいのタイミングの平日早朝なので運行しているわけもなく車両も見えませんでした。尾小屋鉄道は鉱山鉄道として1919年に開業し晩年は旅客輸送のみを行っていました。1971年に尾小屋鉱山閉山となった後1977年に廃止となりました。<br />ここで尾小屋鉄道の動態保存が行われているのは知っていましたが、目的はエアロコマンダーだったのでそれが見えただけでも良かったです。

    とは言え3月で春休みに入ったくらいのタイミングの平日早朝なので運行しているわけもなく車両も見えませんでした。尾小屋鉄道は鉱山鉄道として1919年に開業し晩年は旅客輸送のみを行っていました。1971年に尾小屋鉱山閉山となった後1977年に廃止となりました。
    ここで尾小屋鉄道の動態保存が行われているのは知っていましたが、目的はエアロコマンダーだったのでそれが見えただけでも良かったです。

    粟津公園 公園・植物園

  • 粟津公園の次にやってきたのは越前加賀県境の館。下道を走ってくるつもりでしたが、加賀市内で結構な渋滞になっている様だったので北陸道で来ちゃいました。<br />名前の通り越前加賀県境、つまり福井石川の県境にある資料館で律令国時代からここに国境があったそうです。<br />現在では石川県側が加賀市吉崎町、福井県側があわら市吉崎という住所になっています。

    粟津公園の次にやってきたのは越前加賀県境の館。下道を走ってくるつもりでしたが、加賀市内で結構な渋滞になっている様だったので北陸道で来ちゃいました。
    名前の通り越前加賀県境、つまり福井石川の県境にある資料館で律令国時代からここに国境があったそうです。
    現在では石川県側が加賀市吉崎町、福井県側があわら市吉崎という住所になっています。

    越前加賀県境の館 名所・史跡

  • 入口がちょうど県境に建っているので延長線上にある階段も県境になり、このように色分けと県名が記入されて境界がめちゃくちゃわかりやすくなっています。<br />そして僕は福井県・石川県に片足ずつ突っ込んで写真を撮っています。

    入口がちょうど県境に建っているので延長線上にある階段も県境になり、このように色分けと県名が記入されて境界がめちゃくちゃわかりやすくなっています。
    そして僕は福井県・石川県に片足ずつ突っ込んで写真を撮っています。

    越前加賀県境の館 名所・史跡

  • 建物に入ると加賀国と越前国の位置を示す標があります。ただこれ本来はもう少し右側、ちょうど床の色が変わっているところなんです。<br />毎年一回この道の前で綱引きが行われ、それで買った方が1mだけずらすそうです。コロナで数年開催できなかったのですが、今年は越前国(福井県あわら市)が勝ちこの位置になっていました。

    建物に入ると加賀国と越前国の位置を示す標があります。ただこれ本来はもう少し右側、ちょうど床の色が変わっているところなんです。
    毎年一回この道の前で綱引きが行われ、それで買った方が1mだけずらすそうです。コロナで数年開催できなかったのですが、今年は越前国(福井県あわら市)が勝ちこの位置になっていました。

    越前加賀県境の館 名所・史跡

  • 施設は無料で入ることが出来ます。中では福井県と石川県の歴史やここ吉崎にかつてあった吉崎御坊という宿坊についての解説がされていました。<br />1471年に本願寺の蓮如がこの吉崎の地に御坊を開いたのが始まりで、1506年の九頭竜川の戦いで廃墟になるまでの間この地で布教活動が行われていました。御坊は廃坊になったものの現在でもお寺はこの地に多く残っています。

    施設は無料で入ることが出来ます。中では福井県と石川県の歴史やここ吉崎にかつてあった吉崎御坊という宿坊についての解説がされていました。
    1471年に本願寺の蓮如がこの吉崎の地に御坊を開いたのが始まりで、1506年の九頭竜川の戦いで廃墟になるまでの間この地で布教活動が行われていました。御坊は廃坊になったものの現在でもお寺はこの地に多く残っています。

    越前加賀県境の館 名所・史跡

  • 反射でちょっとわかりにくい写真になってしまいましたが、吉崎地区の模型が置かれていました。本当に県境があるなんてわかりにくいごく普通の町並みの地形です。調べてみると小中学校の越境入学も認められているそうで、それだけ県境を跨ぐことが普通なんでしょうね。<br />この中に吉崎御坊などの歴史的遺構もあるので見どころは多い地区だと思います。

    反射でちょっとわかりにくい写真になってしまいましたが、吉崎地区の模型が置かれていました。本当に県境があるなんてわかりにくいごく普通の町並みの地形です。調べてみると小中学校の越境入学も認められているそうで、それだけ県境を跨ぐことが普通なんでしょうね。
    この中に吉崎御坊などの歴史的遺構もあるので見どころは多い地区だと思います。

    越前加賀県境の館 名所・史跡

  • 建物裏にも県境の碑があります。そして手前にあるのは県境ですね。旧律令国の境、そしてそのまま県境になっている場所も多いですが、割と人里離れた場所や川などに境がある事が多いのでこんな集落の真ん中というのは地方だと珍しいと思います。

    建物裏にも県境の碑があります。そして手前にあるのは県境ですね。旧律令国の境、そしてそのまま県境になっている場所も多いですが、割と人里離れた場所や川などに境がある事が多いのでこんな集落の真ん中というのは地方だと珍しいと思います。

    越前加賀県境の館 名所・史跡

  • 建物裏からは鹿島の森と呼ばれる聖域が見えました(おわん型の森の部分です)。森の中には鹿島神社があり、森は日本では珍しくなってしまった原生林が残っているそうです。<br />かつては島だったそうですが、確かに眺めていると神域として祀る気持ちがわかる不思議な形をした山でした。

    建物裏からは鹿島の森と呼ばれる聖域が見えました(おわん型の森の部分です)。森の中には鹿島神社があり、森は日本では珍しくなってしまった原生林が残っているそうです。
    かつては島だったそうですが、確かに眺めていると神域として祀る気持ちがわかる不思議な形をした山でした。

    越前加賀県境の館 名所・史跡

  • 越前加賀県境の館から東尋坊に向かう為305号を走っていると、出発してすぐに湖が見えてきました。湖畔を走っていても車を停めるところがあまりなかったですが、自然のままの姿で残っている湖に感じました。<br />旅行記書くために調べてみるとこの北潟湖は先ほどいた越前加賀県境の館の前の湾と繋がっている様です。同じ湖とは思っていなかったです。

    越前加賀県境の館から東尋坊に向かう為305号を走っていると、出発してすぐに湖が見えてきました。湖畔を走っていても車を停めるところがあまりなかったですが、自然のままの姿で残っている湖に感じました。
    旅行記書くために調べてみるとこの北潟湖は先ほどいた越前加賀県境の館の前の湾と繋がっている様です。同じ湖とは思っていなかったです。

    北潟湖 自然・景勝地

  • そのまま車を進めて東尋坊へ到着。駐車場は有料だと思っていましたが無料の状態でした。奥にある駐車場は有料の様でしたけど、少し手前だからでしょうか。<br />国道305号をそのまま進んでくるつもりでしたが、途中農道方面へ促す看板があり市街地を避けたので少し早く到着した・・・のかな。

    そのまま車を進めて東尋坊へ到着。駐車場は有料だと思っていましたが無料の状態でした。奥にある駐車場は有料の様でしたけど、少し手前だからでしょうか。
    国道305号をそのまま進んでくるつもりでしたが、途中農道方面へ促す看板があり市街地を避けたので少し早く到着した・・・のかな。

  • 駐車場から東尋坊へ向かう道は江の島の参道の様にお土産屋さんが左右にある商店街を抜けていくスタイル。たまたま人の少ない時間に写真を撮れましたが、思った以上に活気がありました。韓国人の方が多かったです。

    駐車場から東尋坊へ向かう道は江の島の参道の様にお土産屋さんが左右にある商店街を抜けていくスタイル。たまたま人の少ない時間に写真を撮れましたが、思った以上に活気がありました。韓国人の方が多かったです。

  • 上の写真から少し進んだところにあった坂井市東尋坊観光交流センター。観光案内所で東尋坊以外のパンフレットも豊富でしたしトイレもあって休憩にもいい感じの場所でした。外観はそんなに新しくはなかったですが、中はリニューアルをしたようで綺麗になっていました。

    上の写真から少し進んだところにあった坂井市東尋坊観光交流センター。観光案内所で東尋坊以外のパンフレットも豊富でしたしトイレもあって休憩にもいい感じの場所でした。外観はそんなに新しくはなかったですが、中はリニューアルをしたようで綺麗になっていました。

  • 商店街を歩いていると左側には東尋坊タワーが見えました。東尋坊を見下ろすことが出来るタワーで50m越えの高さがあるそうです。<br />造りを見ると結構古い?50年くらい前のものっぽいタワーで中もレトロな空間だそうです。<br />ただ東尋坊は直下になるのであまり良く見えず、遠景を眺めるだけになるというので今回は行かずでした。

    商店街を歩いていると左側には東尋坊タワーが見えました。東尋坊を見下ろすことが出来るタワーで50m越えの高さがあるそうです。
    造りを見ると結構古い?50年くらい前のものっぽいタワーで中もレトロな空間だそうです。
    ただ東尋坊は直下になるのであまり良く見えず、遠景を眺めるだけになるというので今回は行かずでした。

    東尋坊タワー 名所・史跡

  • 商店街途中にあったソフトクリーム屋さん。メニューの数がものすごいです(笑。

    商店街途中にあったソフトクリーム屋さん。メニューの数がものすごいです(笑。

  • 商店街を抜けて東尋坊に向けて下って行く途中にあった東尋坊291というカフェ?お店の前の様子を見ると最近開店したのかなと思いきや前からあるお店の様です。

    商店街を抜けて東尋坊に向けて下って行く途中にあった東尋坊291というカフェ?お店の前の様子を見ると最近開店したのかなと思いきや前からあるお店の様です。

    東尋坊291 グルメ・レストラン

  • 売店も多く外国人観光客が結構こういう漢字Tシャツを眺めている人も多かったです。<br />日本人視点で見ても着るかどうかは別としてネタは面白いですね。なかなか着るのは勇気がいりますが・・・。

    売店も多く外国人観光客が結構こういう漢字Tシャツを眺めている人も多かったです。
    日本人視点で見ても着るかどうかは別としてネタは面白いですね。なかなか着るのは勇気がいりますが・・・。

  • 同じお店でがけっぷちTシャツというシャツが売り出されていました。これが一番インパクトあってかつ東尋坊らしさがあるかなと思います。<br />これも着るのは勇気いりますが・・・。

    同じお店でがけっぷちTシャツというシャツが売り出されていました。これが一番インパクトあってかつ東尋坊らしさがあるかなと思います。
    これも着るのは勇気いりますが・・・。

  • 商店街を抜けて一番東尋坊に近いところにはIWABACAFEというカフェがありました。まだ朝の時間だったので入る事は無かったですがお洒落なカフェというイメージです。これは鳥取のスナバカフェからの店名なんですかね(笑。

    商店街を抜けて一番東尋坊に近いところにはIWABACAFEというカフェがありました。まだ朝の時間だったので入る事は無かったですがお洒落なカフェというイメージです。これは鳥取のスナバカフェからの店名なんですかね(笑。

    IWABA CAFE グルメ・レストラン

  • パトロール隊の事務所という部屋がひっそりとあります。何をパトロールするのか少し気になってしまいますが・・・(汗。

    パトロール隊の事務所という部屋がひっそりとあります。何をパトロールするのか少し気になってしまいますが・・・(汗。

  • 国定公園越前海岸と東尋坊の石碑がありました。正式には越前加賀海岸国定公園と呼ばれる様で1968年に指定されていますが、石川県加賀市から福井県敦賀市までと広い国定公園になっています。<br />東尋坊はその中でも有名な景勝地にですね。

    国定公園越前海岸と東尋坊の石碑がありました。正式には越前加賀海岸国定公園と呼ばれる様で1968年に指定されていますが、石川県加賀市から福井県敦賀市までと広い国定公園になっています。
    東尋坊はその中でも有名な景勝地にですね。

    東尋坊 自然・景勝地

  • 東尋坊って見るからに危険な場所ですし、それは実際に行ってみてさらに感じましたが、柵などはなく自由に入れるようになっています。本当に崖の先端まで行ける様になっているんですよね。ちょっと怖いですけどせっかくですので先端まで向かいます。<br />ちょっとじゃなくて本当に怖いですけど(笑。

    東尋坊って見るからに危険な場所ですし、それは実際に行ってみてさらに感じましたが、柵などはなく自由に入れるようになっています。本当に崖の先端まで行ける様になっているんですよね。ちょっと怖いですけどせっかくですので先端まで向かいます。
    ちょっとじゃなくて本当に怖いですけど(笑。

    東尋坊 自然・景勝地

  • 東尋坊の北側には雄島という島があります。東尋坊と同様に島全体が火山岩で出来ていて、海沿いはやはり浸食され東尋坊の様に柱状節理という地形になっているそうです。<br />島内には車で行けませんが、本土と繋がる橋の手前には駐車場があるのでアクセスも簡単らしいです。今回は時間が無くていけませんでしたが・・・。

    東尋坊の北側には雄島という島があります。東尋坊と同様に島全体が火山岩で出来ていて、海沿いはやはり浸食され東尋坊の様に柱状節理という地形になっているそうです。
    島内には車で行けませんが、本土と繋がる橋の手前には駐車場があるのでアクセスも簡単らしいです。今回は時間が無くていけませんでしたが・・・。

    東尋坊 自然・景勝地

  • 東尋坊は危ない場所になるので先端まで行く人はそんなには多くないかなとか思っていましたが結構いました。よく推理ドラマで最後犯人を追い込むとき他に誰もいない場面を見てますが普段は結構混んでいるんだなあと。<br />てかみんなよく怖くないなと思いました(笑。

    東尋坊は危ない場所になるので先端まで行く人はそんなには多くないかなとか思っていましたが結構いました。よく推理ドラマで最後犯人を追い込むとき他に誰もいない場面を見てますが普段は結構混んでいるんだなあと。
    てかみんなよく怖くないなと思いました(笑。

    東尋坊 自然・景勝地

  • 東尋坊の先端に向かうと途中まで歩きやすく舗装されていた物がなくなり火山岩が丸出しになります。結構歩きにくいですし下手に転がったら転落しかねないので注意が必要です。<br />ちょうど写真のところが舗装からそのままの岩質が出ているところへの変化になります。

    東尋坊の先端に向かうと途中まで歩きやすく舗装されていた物がなくなり火山岩が丸出しになります。結構歩きにくいですし下手に転がったら転落しかねないので注意が必要です。
    ちょうど写真のところが舗装からそのままの岩質が出ているところへの変化になります。

    東尋坊 自然・景勝地

  • こんな感じで急に火山岩になりますので注意が必要。てか岩からの転落も怖いんですが普通に足を滑らせて転んでも結構な怪我になりそうで怖いですよね。

    こんな感じで急に火山岩になりますので注意が必要。てか岩からの転落も怖いんですが普通に足を滑らせて転んでも結構な怪我になりそうで怖いですよね。

    東尋坊 自然・景勝地

  • 身を乗り出すのは嫌なので(高所恐怖症)スマホを持って手を出して撮影しています。私の影が映っていますね(笑。<br />当たり前ですがかなり険しい崖なので現地にいるとかなりの怖さがあります。遠くを見ていると絶景なんですけどね。

    身を乗り出すのは嫌なので(高所恐怖症)スマホを持って手を出して撮影しています。私の影が映っていますね(笑。
    当たり前ですがかなり険しい崖なので現地にいるとかなりの怖さがあります。遠くを見ていると絶景なんですけどね。

    東尋坊 自然・景勝地

  • 東尋坊では下から遊覧船で地形を眺められるようになっていました。結構大きな船で遠くからや近くから東尋坊の特徴の柱状節理を見る事が出来るようです。高所恐怖症だからというよりもそもそも東尋坊の上に自分がのっかっているので船から眺めた方が東尋坊らしさはよくわかりそうですね。

    東尋坊では下から遊覧船で地形を眺められるようになっていました。結構大きな船で遠くからや近くから東尋坊の特徴の柱状節理を見る事が出来るようです。高所恐怖症だからというよりもそもそも東尋坊の上に自分がのっかっているので船から眺めた方が東尋坊らしさはよくわかりそうですね。

    東尋坊 自然・景勝地

  • 東尋坊は行ってみたいスポットではあったんですが、実際に来てみると高所恐怖症という事や足が悪くて転びやすい身体という事も考えてすぐに帰る事にしました。見晴らしはとても良いですし、遠くを見ている分にはとても良いところですけどね。真下を見るとちょっと怖い。<br />東尋坊の先端近くから歩いてきた商店街を見てみました。奥に東尋坊タワーも見えますが、展望台の位置的に東尋坊の崖の様子は確かに見にくいのかなと思います。

    東尋坊は行ってみたいスポットではあったんですが、実際に来てみると高所恐怖症という事や足が悪くて転びやすい身体という事も考えてすぐに帰る事にしました。見晴らしはとても良いですし、遠くを見ている分にはとても良いところですけどね。真下を見るとちょっと怖い。
    東尋坊の先端近くから歩いてきた商店街を見てみました。奥に東尋坊タワーも見えますが、展望台の位置的に東尋坊の崖の様子は確かに見にくいのかなと思います。

    東尋坊 自然・景勝地

  • 東尋坊のあとは同じ坂井市の三国湊にやってきました。三国湊は江戸末期から明治にかけて北前船貿易で栄えた商業の街で、現在では廃れてしまっているのは事実ですが当時の面影を残す建築が多く残っている場所でもあります。<br />駐車場は公営のものがあるのは知っていたのですが探すのに苦労してなんとか見つけました(´・ω・`)。

    東尋坊のあとは同じ坂井市の三国湊にやってきました。三国湊は江戸末期から明治にかけて北前船貿易で栄えた商業の街で、現在では廃れてしまっているのは事実ですが当時の面影を残す建築が多く残っている場所でもあります。
    駐車場は公営のものがあるのは知っていたのですが探すのに苦労してなんとか見つけました(´・ω・`)。

  • 三国湊地区で一番目立つ建築物、そして一番見たかった建築物はこの旧森田銀行本店です。三国地区で廻船問屋を営んでいた森田家ですが、廻船業の行く末を考えると先があまりないと考え1894年に銀行業をはじめ森田銀行を発足させます。この本店はその後1920年に建てられたものです。三国地区の他の建物とは違い洋風で重厚なタイル造りの建築物でした。<br />森田銀行はその後福井銀行と合併し、この建物も平成初期まで福井銀行三国支店として活躍したそうです。

    三国湊地区で一番目立つ建築物、そして一番見たかった建築物はこの旧森田銀行本店です。三国地区で廻船問屋を営んでいた森田家ですが、廻船業の行く末を考えると先があまりないと考え1894年に銀行業をはじめ森田銀行を発足させます。この本店はその後1920年に建てられたものです。三国地区の他の建物とは違い洋風で重厚なタイル造りの建築物でした。
    森田銀行はその後福井銀行と合併し、この建物も平成初期まで福井銀行三国支店として活躍したそうです。

    旧森田銀行本店 名所・史跡

  • この建物は案内は何も出ていないものの、古民家をリノベーションされたホテルになっている様です。<br />京都とか鎌倉だとある程度あるのは知っていますが、地方都市でだと結構珍しいですかね。<br />奥にある医院も街並みに溶け込むようなデザインになっていました。

    この建物は案内は何も出ていないものの、古民家をリノベーションされたホテルになっている様です。
    京都とか鎌倉だとある程度あるのは知っていますが、地方都市でだと結構珍しいですかね。
    奥にある医院も街並みに溶け込むようなデザインになっていました。

  • この家屋は案内表示があり元三国大野屋という事でした。大野で前日訪れた旧内山家住宅の内山良休が越前大野藩の財政改善の為に設けた商社大野屋の三国店です。一号店は大阪にあり、全国に展開をしていたそうです。<br />グーグルマップで見ると現在は魚屋となっていましたが、案内では建物の紹介もされていたのでこの建物自体も当時のものなのかもしれません。

    この家屋は案内表示があり元三国大野屋という事でした。大野で前日訪れた旧内山家住宅の内山良休が越前大野藩の財政改善の為に設けた商社大野屋の三国店です。一号店は大阪にあり、全国に展開をしていたそうです。
    グーグルマップで見ると現在は魚屋となっていましたが、案内では建物の紹介もされていたのでこの建物自体も当時のものなのかもしれません。

  • 三国と言えば5月に行われる三国祭が有名ですが、山車は18基あるそうで普段はこの様な蔵に格納されている様です。三国で歩いた範囲は狭かったので3か所くらいしか見ませんでしたが、山車が大きい事もありかなりの大きさの蔵にしまわれているので蔵を見ても迫力がありました。

    三国と言えば5月に行われる三国祭が有名ですが、山車は18基あるそうで普段はこの様な蔵に格納されている様です。三国で歩いた範囲は狭かったので3か所くらいしか見ませんでしたが、山車が大きい事もありかなりの大きさの蔵にしまわれているので蔵を見ても迫力がありました。

  • 三国湊の街中にあるこのお寺は西光寺。三国という観光地にありますが、このお寺は観光地というより地域の檀家としての役目になっている様子だったので門から撮影しただけにしました。<br />この辺りは三国湊が反映していた時代遊郭だったらしく、父親の敵討ちをする「三国小女郎」も三国遊郭の物語だそうです。

    三国湊の街中にあるこのお寺は西光寺。三国という観光地にありますが、このお寺は観光地というより地域の檀家としての役目になっている様子だったので門から撮影しただけにしました。
    この辺りは三国湊が反映していた時代遊郭だったらしく、父親の敵討ちをする「三国小女郎」も三国遊郭の物語だそうです。

  • 三国の街は細長く、西光寺から歩いて三国神社まで向かう事も出来ますが、結構な距離もあり三国神社へは車で移動することにし駐車場当たりまで戻ってきました。<br />こちらは内田本家跡で1703年よりここで廻船業を営んできた家だそうです。現在では当時から庭にあったというタブノキのみが残っています。

    三国の街は細長く、西光寺から歩いて三国神社まで向かう事も出来ますが、結構な距離もあり三国神社へは車で移動することにし駐車場当たりまで戻ってきました。
    こちらは内田本家跡で1703年よりここで廻船業を営んできた家だそうです。現在では当時から庭にあったというタブノキのみが残っています。

    内田本家跡 名所・史跡

  • 内田本家跡には立派な建物があります。ただ三国で多いと言われているかぐら建てではないですね。道から見ても立派だという事がわかりますからね。<br />この昔ながらの建物はリノベーションされてフランス料理店になっているようです。三国はリノベーションが結構あるようですね。

    内田本家跡には立派な建物があります。ただ三国で多いと言われているかぐら建てではないですね。道から見ても立派だという事がわかりますからね。
    この昔ながらの建物はリノベーションされてフランス料理店になっているようです。三国はリノベーションが結構あるようですね。

    内田本家跡 名所・史跡

  • こちらも山車の保管庫ですね。隣の建物と比較すると2階建てと同じくらいの高さのある保管庫なのがわかります。山車も相当な高さがあるのがよくわかりますが、電線大丈夫なのかなと少し気になりました。<br />2023年は三国祭も通常通り開催されたみたいです。大混雑になるのでしょうが、いつか行ってみる事が出来ればいいなあと思います。

    こちらも山車の保管庫ですね。隣の建物と比較すると2階建てと同じくらいの高さのある保管庫なのがわかります。山車も相当な高さがあるのがよくわかりますが、電線大丈夫なのかなと少し気になりました。
    2023年は三国祭も通常通り開催されたみたいです。大混雑になるのでしょうが、いつか行ってみる事が出来ればいいなあと思います。

  • こちらは旧岸名家住宅という住宅で、造りは三国地方独特のかぐら建てという方式です。切妻造妻入の母屋の前方に平入の表屋を付けたこの構造をかぐら建てというそうです。<br />この旧岸名家住宅は中に入り見学をすることが出来ますが、ボランティアガイドさん?の説明が付きます。入場の金額は100円でしたが、このガイドの方の情報量が豊富で大変勉強になります。本当にこの金額でこんな説明を聴けて良いの?というレベルでしたので三国を訪れた際は是非ここも来てほしいです。まあその分時間はかかりますけどね。

    こちらは旧岸名家住宅という住宅で、造りは三国地方独特のかぐら建てという方式です。切妻造妻入の母屋の前方に平入の表屋を付けたこの構造をかぐら建てというそうです。
    この旧岸名家住宅は中に入り見学をすることが出来ますが、ボランティアガイドさん?の説明が付きます。入場の金額は100円でしたが、このガイドの方の情報量が豊富で大変勉強になります。本当にこの金額でこんな説明を聴けて良いの?というレベルでしたので三国を訪れた際は是非ここも来てほしいです。まあその分時間はかかりますけどね。

    旧岸名家 名所・史跡

  • 岸名家は材木商を営んでいた豪商で、北前船の中継点として栄えた三国で繁栄した家です。床に敷き詰められている石材は笏谷石というもので水にぬれると青色に変化する様です。<br />古くは一乗谷や丸岡城でも使われた石材ですが1998年に産出が止まってしまっている様です。

    岸名家は材木商を営んでいた豪商で、北前船の中継点として栄えた三国で繁栄した家です。床に敷き詰められている石材は笏谷石というもので水にぬれると青色に変化する様です。
    古くは一乗谷や丸岡城でも使われた石材ですが1998年に産出が止まってしまっている様です。

    旧岸名家 名所・史跡

  • こちらは入り口の門。この扉は滑車で上から吊るされて上げ下げしますが、基本的には下の位置の扉を左右に開けて通る様になっています。豪商の家なので防犯上重い扉にしているそうですが、体験させてもらいましたがとにかく重い。滑車がついている状態でやっと肩に担いであげられるというレベルでした。

    こちらは入り口の門。この扉は滑車で上から吊るされて上げ下げしますが、基本的には下の位置の扉を左右に開けて通る様になっています。豪商の家なので防犯上重い扉にしているそうですが、体験させてもらいましたがとにかく重い。滑車がついている状態でやっと肩に担いであげられるというレベルでした。

    旧岸名家 名所・史跡

  • 入口にあった巨大な三国箪笥。工芸品として有名なもので福井県指定の郷土工芸品となっています。今購入すると中古でもこの大きさだと数十万円になるみたいですね。<br />古くからの作り方で現在でも造られているようです。

    入口にあった巨大な三国箪笥。工芸品として有名なもので福井県指定の郷土工芸品となっています。今購入すると中古でもこの大きさだと数十万円になるみたいですね。
    古くからの作り方で現在でも造られているようです。

    旧岸名家 名所・史跡

  • こちらは1階に展示されていた三国箪笥の船箪笥。三国湊は北前船で繁栄しましたが、当時の航海はまだまだ危険なもの。当然沈没や水が入ってくることもあったそうですが、この三国箪笥はたとえ船が沈んだとしても浮力で浮くように造られているそうです。なので船が沈みそうになると海に投げ捨てたそうです。もちろん箪笥自体も簡単に開かないように防犯性も高いそうです。

    こちらは1階に展示されていた三国箪笥の船箪笥。三国湊は北前船で繁栄しましたが、当時の航海はまだまだ危険なもの。当然沈没や水が入ってくることもあったそうですが、この三国箪笥はたとえ船が沈んだとしても浮力で浮くように造られているそうです。なので船が沈みそうになると海に投げ捨てたそうです。もちろん箪笥自体も簡単に開かないように防犯性も高いそうです。

    旧岸名家 名所・史跡

  • 二階に上がってくることも出来ます。三国独特のかぐら建てで正面から見ると平屋に見えますが、ちゃんとした二階建てですね。江戸時代の造りの特徴として間口は狭く奥行きが長いという事がありますが三国でもそれは変わらず。保存に当たり途中で止まっていますが、かつては現在の国道のさらに奥九頭竜川まで繋がっていたそうです。<br />ちなみに表通り側は二階ではなくかぐら建てになっていますが、商売人が通りの人々を二階から見下ろしてはいけないという理由もあるそうです。

    二階に上がってくることも出来ます。三国独特のかぐら建てで正面から見ると平屋に見えますが、ちゃんとした二階建てですね。江戸時代の造りの特徴として間口は狭く奥行きが長いという事がありますが三国でもそれは変わらず。保存に当たり途中で止まっていますが、かつては現在の国道のさらに奥九頭竜川まで繋がっていたそうです。
    ちなみに表通り側は二階ではなくかぐら建てになっていますが、商売人が通りの人々を二階から見下ろしてはいけないという理由もあるそうです。

    旧岸名家 名所・史跡

  • 旧岸名家の主人は俳人で2階に俳人を招いて句会を開催したそうです。この部屋はその句会の様子を再現していました。ここで句会を頻繁に開催した事により三国の街は俳句が盛んになったようです。様々な身分の人が参加しましたが、句会の際には身分関係なく句を楽しんだそうです。

    旧岸名家の主人は俳人で2階に俳人を招いて句会を開催したそうです。この部屋はその句会の様子を再現していました。ここで句会を頻繁に開催した事により三国の街は俳句が盛んになったようです。様々な身分の人が参加しましたが、句会の際には身分関係なく句を楽しんだそうです。

    旧岸名家 名所・史跡

  • 三国湊から車で数分で三国神社へやってきました。駐車場は少し離れているけど歩いて1分くらい、三国湊から歩いても15分くらいの距離だとは思います。平安時代には既に名前が残っている歴史ある神社ですが、当時の神社と現在の神社には連続性はないとされ、現在の神社は戦国時代に由来があるものとなっています。<br />北陸三大祭りの三国祭は三国神社の例祭で5月には大変賑わうようです。<br />

    三国湊から車で数分で三国神社へやってきました。駐車場は少し離れているけど歩いて1分くらい、三国湊から歩いても15分くらいの距離だとは思います。平安時代には既に名前が残っている歴史ある神社ですが、当時の神社と現在の神社には連続性はないとされ、現在の神社は戦国時代に由来があるものとなっています。
    北陸三大祭りの三国祭は三国神社の例祭で5月には大変賑わうようです。

    三国神社 寺・神社・教会

  • 1871年に完成した三国神社の楼門。明治に入ってからの建築ですが、大きく迫力がありますしもっと歴史がある門だと思っていました。<br />当時の三国湊は北前船貿易で一番にぎわっていた時期で航海の安全を祈る人も多かったのではと思います。

    1871年に完成した三国神社の楼門。明治に入ってからの建築ですが、大きく迫力がありますしもっと歴史がある門だと思っていました。
    当時の三国湊は北前船貿易で一番にぎわっていた時期で航海の安全を祈る人も多かったのではと思います。

    三国神社 寺・神社・教会

  • 三国神社の拝殿は1840年に完成した歴史あるものです。豪華な造りの唐破風など当時から地域の大事な神社だった事がわかります。<br />現在でも有名な神社ですが、東尋坊や三国湊に比べると人は少なくて落ち着いて参拝が出来ました。<br /><br /><br />三国の観光を終えたので次の目的地に向かいますが、この時点で既に13時。小松空港へ戻る時間を考えると永平寺に行くのは時間的に厳しいかなと思ったのでここから福井市街方面へ向かう事にしました。

    三国神社の拝殿は1840年に完成した歴史あるものです。豪華な造りの唐破風など当時から地域の大事な神社だった事がわかります。
    現在でも有名な神社ですが、東尋坊や三国湊に比べると人は少なくて落ち着いて参拝が出来ました。


    三国の観光を終えたので次の目的地に向かいますが、この時点で既に13時。小松空港へ戻る時間を考えると永平寺に行くのは時間的に厳しいかなと思ったのでここから福井市街方面へ向かう事にしました。

    三国神社 寺・神社・教会

4いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP