2022/01/25 - 2022/01/25
6825位(同エリア6950件中)
ちふゆさん
2022年1月25日(火)2時半から建仁寺の方丈で開催された京都仏教会主催の対談シリーズ、京都文化遺産のなかの都人たち「建仁寺に想いを寄せて」に参加した。この日の外出の主目的。私が登録している「明日の京都 文化遺産プラットフォーム」が後援しており、その縁で参加した。JR東海も特別協賛していた。
京都仏教会は京都府内の約1千の寺院が加盟する一般財団法人。宗派を超えた仏教諸行事、文化活動、福祉活動、社会問題への取り組み、関連諸団体との連携などを行っている。現在は相国寺管長の有馬底氏が理事長を務められている。
「明日の京都 文化遺産プラットフォーム」は2010年に結成された団体で、京都の有形・無形の文化遺産を毀損することなく後世に継承していくことを目的に活動している。
今回のイベントは「禅茶一心」と云うテーマで、臨済宗建仁寺派管長の小堀泰巖氏と一般社団法人今日庵茶道資料館顧問の筒井紘一氏の対談が行われた。方丈はコロナ対策のため、襖が開け放たれており、暖房器具は置かれていたものの冷え込んだ。
小堀さんは1943年生まれなので、この時点で78歳(もしくは79歳)。滋賀県長浜の、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての近江小室藩主で有名な茶人、建築家、作庭家、書家の小堀遠州の息子の宗慶(正之)が創建した寺院、近江孤篷庵が生家。同じ苗字なのでその子孫かしら。1966年、鎌倉の建長僧堂に掛搭、湊素堂老師に参じる。1980年、素堂老師の建仁僧堂への転住に従い転錫、嗣法する。1999年、臨済宗建仁寺派管長・建仁僧堂師家・建仁寺住職・霊洞院住職・高台寺住職に就任。
筒井さんは1940年なのでこの時点で81歳(もしくは82歳)。福岡県生まれで、早稲田大学文学部東洋哲学科卒業し、同大学院文学部研究科修士課程を修了。文学博士。一般財団法人今日庵の文庫長、茶道総合資料館副館長を経て、同資料館顧問に就任。今日庵は堀川寺之内近くの、裏千家が所持する茶室で茶道総合資料館や茶道会館も併設している。氏は京都府立大学客員教授、文化継承機構理事長も務めておられる。
1時間ほどの対談はなかなか深い話で面白かった。禅寺である建仁寺とお茶との関係は、開山栄西禅師が中国よりお茶の種を持ち帰り、日本で栽培することを奨励したのがことから始まっている。茶道の始まりでもある。そう云えば、栄西は一般には「えいさい」と呼ばれるが、建仁寺の寺伝では「ようさい」となっているそうだ。
禅師は平安末期の1141年に備中吉備津宮に生まれる。日本における臨済宗の開祖。14才で落髪、比叡山で天台密教を修め、その後二度の入宋を果たし、日本に禅を伝えた。また、上述のように中国から茶種を持ち帰り、日本で栽培することを奨励し、喫茶の法を普及した茶祖としても知られる。
会場となった方丈には海北友松の襖絵が京都文化協会とキヤノンが共同で取り組む綴プロジェクトで複製されているが、キヤノンの名前の元となった前身の精機光学研究所時代の最初のカメラ試作機「KWANON(カンノン)」は当時八王子にある臨済宗南禅寺派広園寺の師家で、建仁寺の元管長だった中村老師の命名だそうだ。「観音様の御慈悲にあやかり世界で最高のカメラを創る夢を実現したい」との願いを込めたもので、その後カメラの本格的な発売開始に向けて世界で通用するブランド名として「キヤノン(CANON)」を商標登録したそうだ。
対談終了後、広報の方の案内で境内を見学。なお、対談参加は無料だったが、以後の見学は特別拝観料1000円が必要だった。まずは方丈のかつて盗難にあった十一面観音像の説明、そして方丈前に広がる庭園・大雄苑の説明。この庭園に置かれている七重石塔の織田信長供養塔は安土桃山時代の1582年に信長の弟・織田有楽斎が兄の追善の為に建立した十三重石塔だったと云われている。江戸時代に開山塔の南の溝の底に隠され、1898年(明治31年)に現在の場所に移された。
続いて方丈と渡り廊下で繋がった南側に建つ法堂に移動し、ご本尊の釈迦如来坐像を拝ませて戴き、小泉淳作画伯の天井水墨画、「双龍図」の説明を聞く。龍は一匹は口を開けて、もう一匹は閉じており、阿吽の呼吸を表している。
2002年に建仁寺の創建800年を記念して描かれたもの。2年の歳月をかけて創られ、畳108枚分の大きさがあるそうだ。北海道の廃校の体育館を使って制作され、完成後にここに移されたそうで、私にはその制作過程が想像できんわ。
小泉淳作氏は1924年(大正13年)、神奈川県鎌倉市生まれの画家、陶芸家で、特定の美術団体に属さず、画壇とも距離を置いたことから「孤高の画家」と呼ばれた。東京藝術大学美術学部・大学院美術研究科の前身、東京美術学校卒業。北海道の中札内村(帯広市の南)に小泉淳作美術館がある(2002年開館)。2012年に満87歳で亡くなった。
この後、大書院に移動し、綴プロジェクトで複製されたレプリカや鳥羽美花さんや細川護煕元首相の襖絵の説明を受けた後、最後に入場した本坊を出て、参道を南に進み、東側の一段高いところに建つ開山堂へ。
開山堂は開山塔とも呼ばれ、開山栄西禅師の墓所。旧名を護国院、古くは興禅護国院と呼ばれていた。現在のお堂は1884年(明治17年)に再建されたもの。通常非公開で、内部は撮影禁止だったので、楼門前以外の写真はない。
楼門は宝陀門と呼ばれる3間1戸2重門、入母屋造、本瓦葺の門で、南北両脇に山廊を構える。開山堂竣工の翌年に京都宇多野鳴滝にある建仁寺派妙光寺より移築したもので、江戸中期の建築。開山栄西祖師八百年大遠諱の慶讃事業として修復工事が行われ、2013年に完了した。
楼門は通れないので、左手の通用門から内部に入る。楼門の内側から内部を拝観できる。3間2間の1室の形を成し、鏡天井に四半敷の床、花頭窓付と云う禅宗様を備えている。また、上層には陶製の16羅漢像が祀られている。
楼門の正面に開山塔が建つ。前庭左右の菩提樹は栄西禅師が宋より持ち帰り、寺の東北隅に植えた零墨と云われる。開山塔は一般的な凸字形をなし、前が7間3間の礼堂、その奥に石段を築いた相の間があって、最も奥まったところに真室があり、1664年制作の尊像が安置されている。
相の間の石段上、木の柵に囲われたところにある方丈の石塔を入定塔と呼び、その下に栄西禅師のご神体が眠っていると伝わる。また、向かって右脇壇に1753年作の開基源頼家公の東帯座像、左脇に亀の姿をした龍の背に乗った木碑祖塔塔名が安置されている。
この他、入場してないが江戸後期の1805年建築の妙心寺塔頭の玉龍院の方丈を1877年(明治10年)に移築した客殿、1885年(明治18年)に建仁寺塔頭の瑞光庵(現在は廃寺)の開山昭堂の古材で修復された経蔵も建つ。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9690847677651836&type=1&l=223fe1adec
花見小路に出て帰路に付くが、続く
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
建仁寺イベント
-
前の旅行記
京都 東山 建仁寺(Kennin-ji temple,Higashiyama,Kyoto,Japan)
2022/01/25~
東山・祇園・北白川
-
次の旅行記
京都 東山 祇園 花見小路(Hanami-koji,Gion,Higashiyama,Kyoto,Japan...
2022/01/25~
東山・祇園・北白川
-
京都 東山 宮川町(Miyagawa-cho,Higashiyama,Kyoto,Japan)
2022/01/25~
東山・祇園・北白川
-
京都 東山 京都ゑびす神社(Kyoto Ebisu Shrine,Higashiyama,Kyoto,Jap...
2022/01/25~
東山・祇園・北白川
-
京都 東山 禅居庵(Zenkyoan,Higashiyama,Kyoto,Japan)
2022/01/25~
東山・祇園・北白川
-
京都 東山 建仁寺(Kennin-ji temple,Higashiyama,Kyoto,Japan)
2022/01/25~
東山・祇園・北白川
-
建仁寺 京都仏教会主催対談シリーズ(Kennin-ji temple,Higashiyama,Kyoto,J...
2022/01/25~
東山・祇園・北白川
-
京都 東山 祇園 花見小路(Hanami-koji,Gion,Higashiyama,Kyoto,Japan...
2022/01/25~
東山・祇園・北白川
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
東山・祇園・北白川(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 建仁寺イベント
0
0