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2022年1月25日(火)2時頃、京都ゑびす神社から大和大路通を少し下がったところの東側にある禅居庵へ移動。臨済宗建仁寺派の寺院で、本尊は聖観音菩薩。秘仏の摩利支天を祀る寺として知られる。<br /><br />禅居庵の北東に広がる大本山建仁寺の14院残る塔頭の一つで、鎌倉末期の元弘年間(1331年-1333年)に信濃守護だった小笠原貞宗が、自身が帰依している鎌倉建長寺の清拙正澄(せいせつしょうちょう)のために創建した。<br /><br />清拙正澄は1274年中国福建省福州に生まれ。1326年8月に招請されて来日、博多に入る。翌年、京都入りの後に北条高時に迎えられ鎌倉建長寺、浄智寺、円覚寺に住山。鎌倉幕府滅亡後の1333年に後醍醐天皇の招請により京都建仁寺に住し、引き続いて勅命により南禅寺住持に就任。<br /><br />1335年には小笠原貞宗の招きで信州伊賀良(飯田市)の開善寺へ移り、1338年に京都に帰り、禅居庵に退院するも南禅寺へ再任される。1339年、禅居庵にて遷化(せんげ)。世壽(せす=享年)66歳。大鑑禅師と諡(おくりな)される。<br /><br />禅居庵は戦国時代の天文年間(1532年-1555年)の兵火で焼失するが、1547年に織田信長の父・織田信秀が再建した。江戸時代の元禄年間(1688年-1704年)、享保年間(1716年-1736年)、安政年間(1855年-1860年)に整備や改修がなされている。また1875年(明治8年)に小屋組み、1995年に屋根の改修が行われている。京都府指定文化財。<br /><br />大和大路通に面した冠木門形式の西門から境内に入ると突き当りの左側に摩利支天堂がある。清拙正澄が来日の際、袈裟に包み持参したと云う自ら刻んだ摩利支天像が祀られている。庵は非公開だが、摩利支天堂は常時参拝可能。ただし、この像は秘仏で、毎年10月20の大祭でのみ御開帳される。<br /><br />「摩利支」はサンスクリット語「Marici(マリーチ)」の音写で、威光、陽炎が神格化した古代インドの女神。実態の無い陽炎は捕らえられ害されることがなく、その威光から戦国の武将たちにその信仰が広まった。顔が3つ、腕が6本の三面六臂で七頭の猪に坐すお姿から、開運・勝利の利益、特に亥年生まれの人々には守り本尊として信仰されている。<br /><br />この摩利支天像は東京・アメ横の摩利支天徳大寺、金沢市卯辰山の宝泉寺のものと共に日本三大摩利支天の一つに数えられている。猪は摩利支天の眷属で、狛猪を始めとして境内のいたるところに猪の像がある。<br /><br />南側の八坂通に面する摩利支天堂の南門からの表参道から正面の摩利支天堂前に2対の狛猪が鎮座しているが、西門の前、その奥にも2対ある。手水舎で水を出しているのも猪。それぞれに違いがあり楽しい。<br /><br />さらに摩利支天堂左手の亥堂の猪像の足元にはたくさんのミニ猪像が置かれている。これは陶製の亥みくじで、この中にはおみくじが入っていた。もちろん持ち帰ってもいいが、こうして猪像の下に並べるも良し。<br /><br />お参りを終えて公開はされていないが、庵の庭園を抜けて建仁寺に進むことが出来る。ゆずりあいの道と名付けられており、なかなか素晴らしい庭園を通らせていただける。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9670815129655091&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />ゆずりあいの道から本坊玄関を抜けると建仁寺だが、続く

京都 東山 禅居庵(Zenkyoan,Higashiyama,Kyoto,Japan)

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2022/01/25 - 2022/01/25

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旅行記グループ 建仁寺イベント

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年1月25日(火)2時頃、京都ゑびす神社から大和大路通を少し下がったところの東側にある禅居庵へ移動。臨済宗建仁寺派の寺院で、本尊は聖観音菩薩。秘仏の摩利支天を祀る寺として知られる。

禅居庵の北東に広がる大本山建仁寺の14院残る塔頭の一つで、鎌倉末期の元弘年間(1331年-1333年)に信濃守護だった小笠原貞宗が、自身が帰依している鎌倉建長寺の清拙正澄(せいせつしょうちょう)のために創建した。

清拙正澄は1274年中国福建省福州に生まれ。1326年8月に招請されて来日、博多に入る。翌年、京都入りの後に北条高時に迎えられ鎌倉建長寺、浄智寺、円覚寺に住山。鎌倉幕府滅亡後の1333年に後醍醐天皇の招請により京都建仁寺に住し、引き続いて勅命により南禅寺住持に就任。

1335年には小笠原貞宗の招きで信州伊賀良(飯田市)の開善寺へ移り、1338年に京都に帰り、禅居庵に退院するも南禅寺へ再任される。1339年、禅居庵にて遷化(せんげ)。世壽(せす=享年)66歳。大鑑禅師と諡(おくりな)される。

禅居庵は戦国時代の天文年間(1532年-1555年)の兵火で焼失するが、1547年に織田信長の父・織田信秀が再建した。江戸時代の元禄年間(1688年-1704年)、享保年間(1716年-1736年)、安政年間(1855年-1860年)に整備や改修がなされている。また1875年(明治8年)に小屋組み、1995年に屋根の改修が行われている。京都府指定文化財。

大和大路通に面した冠木門形式の西門から境内に入ると突き当りの左側に摩利支天堂がある。清拙正澄が来日の際、袈裟に包み持参したと云う自ら刻んだ摩利支天像が祀られている。庵は非公開だが、摩利支天堂は常時参拝可能。ただし、この像は秘仏で、毎年10月20の大祭でのみ御開帳される。

「摩利支」はサンスクリット語「Marici(マリーチ)」の音写で、威光、陽炎が神格化した古代インドの女神。実態の無い陽炎は捕らえられ害されることがなく、その威光から戦国の武将たちにその信仰が広まった。顔が3つ、腕が6本の三面六臂で七頭の猪に坐すお姿から、開運・勝利の利益、特に亥年生まれの人々には守り本尊として信仰されている。

この摩利支天像は東京・アメ横の摩利支天徳大寺、金沢市卯辰山の宝泉寺のものと共に日本三大摩利支天の一つに数えられている。猪は摩利支天の眷属で、狛猪を始めとして境内のいたるところに猪の像がある。

南側の八坂通に面する摩利支天堂の南門からの表参道から正面の摩利支天堂前に2対の狛猪が鎮座しているが、西門の前、その奥にも2対ある。手水舎で水を出しているのも猪。それぞれに違いがあり楽しい。

さらに摩利支天堂左手の亥堂の猪像の足元にはたくさんのミニ猪像が置かれている。これは陶製の亥みくじで、この中にはおみくじが入っていた。もちろん持ち帰ってもいいが、こうして猪像の下に並べるも良し。

お参りを終えて公開はされていないが、庵の庭園を抜けて建仁寺に進むことが出来る。ゆずりあいの道と名付けられており、なかなか素晴らしい庭園を通らせていただける。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9670815129655091&type=1&l=223fe1adec


ゆずりあいの道から本坊玄関を抜けると建仁寺だが、続く

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