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2022年1月25日(火)1時45分、宮川町筋から2本東の大和大路通にある京都ゑびす神社へ。兵庫の西宮神社、大阪の今宮戎神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「京のゑべっさん」として京都の人々から親しまれている<br /><br />鎌倉時代の1202年に日本の臨済宗の祖である栄西禅師が建仁寺を建立するにあたり、その鎮守社として創建したもの。ただし、この地に移転したのは応仁の乱の後。<br /><br />「商売繁盛」「家運隆昌」の守り神として一月の十日ゑびすは多くの人たちで賑わう。また、主祭神の恵美須神は栄西禅師が1191年に中国の南宋から帰国の際に海上で暴風雨に遭遇した際に守ってくれたものと云うことから「旅ゑびす」とも云われ、交通安全の神としても信仰を集めている。<br /><br />今日ゑびす様と言えば「商売繁盛の笹」をイメージするが、ゑびす信仰の象徴とも言える笹はこの神社独自の「御札」の形態が広まったもの。笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となった。<br /><br />大和大路通に面した一の鳥居から境内に入る。昭和7年に建てられたもの。鳥居を抜けると左手に手水舎。手水鉢の南東隅の臥龍像の口から水が流れ出すようになっているのだが、コロナ禍のためであろう、まだ水は流されていなかった。<br /><br />一の鳥居の奥には二の鳥居。こちらは江戸末期の1863年(文久3年)の建立だが、この鳥居はお賽銭を投げ上げる鳥居として有名。鳥居の中央正面、普通なら一の鳥居のように神社名などの扁額が掛かるのだが、この鳥居にはゑびす様の福箕(ふくみ:穀物の脱穀や選別、運搬などに使用される農具)が掛かる。<br /><br />二の鳥居にも昔は普通に青銅製の扁額が掛かっていたのだが、戦時中の金属供出でなくなり、戦後は何もない状態が続いていた。1977年になって、当時の宮司が彫刻家の小山由寿氏に依頼してお参りの人が親しみを持てるものをと云うことで造られたそうだが、福箕の下の部分に「入ったら縁起がええんや」と云うことで賽銭を投げる人が出てきた。それで、入り易くするために網を付け、さらに熊手も取り付けたそうだ。<br /><br />そして奥に拝殿。本殿は見えないが、なかなか立派。「正面お詣りの後左側の奥へお廻りになってお詣り下さい」の指示に従って、まずは左手の角を曲がると奉納された酒樽が並び、上部には1908年(明治41年)に奉納された三十六歌仙の絵額が飾られている。こちら側に半分の18人、拝殿の右手側面に残りの18人がある。<br /><br />社殿の南側を進むと厚板の戸の上に注連縄が張られたところがある。下に「賽銭箱」とあり、「優しくトントンと叩いてください」と。実はこちらのゑびす様はかなりのご高齢で耳が遠いので格子を叩いて知らせて欲しいとのこと。初めてやね、こう云うのは。<br /><br />この先には新道通に通じる西門があるが、その左手は神さまの乗り物である御鳳輦の格納庫があり、さらにその隣に神馬舍が並んでいる(下の写真1と2)。<br /><br />社殿前に戻ると南側に社務所(下の写真3)がる。反対側の北側の突き当りには小松天満宮。洛陽天満宮二十五社順拝第16番札所で天拝天満宮とも呼ばれる。堂内には「天拝山荒行の像」と称される菅原道真像が安置されている。無実の罪によって太宰府の配所にあった道真が、筑紫の天拝山で行をしている忿怒の姿を表わしたものとのこと。なお、小松はこの辺りの町名。<br /><br />そこから社殿の右手奥に進むと末社の白太夫社、八幡神社、猿田彦神社が東向きに並び、北向きに岩本稲荷大明神、さらにその角に北野天満宮遥拝所がある。<br /><br />白太夫社は道真公の守役であったと伝えられる渡会春彦(わたらいはるひこ)がご祭神。若かりし頃から白髪であったことから白太夫と呼ばれる。白太夫の安産祈願で道真が無事生まれたことから、子授け・安産のご利益がある。<br /><br />八幡神社は武運、勝運の神の応神天皇を祀る。猿田彦神社は猿田彦大神をお祀りし、道案内・みちびきを司る。岩本稲荷大明神は商売繁盛の神・倉稲魂命(ウカノミタマのみこと)を祀る。ただし、ご神体は、鎌倉時代の女流歌人・阿仏尼の作と伝えられる在原業平像だそうだ。<br /><br />二の鳥居を抜けて一の鳥居方向に戻ると左手、北側にゑびす像が2体。奥の方が新しくて右手に竿を持ち、左脇には釣った鯛を抱えているのがよく分かる。2体とも建立の経緯は不明。<br /><br />一の鳥居の北側の奥には名刺塚と財布塚が並ぶ。名刺塚は吉村孫三郎さんが、財布塚は松下幸之助さんが寄進した。パナソニック創業者の松下さんを知らない人は少ないだろうが、吉村さんは私も知らなかった。1921年(大正10年)に山科でシルクで名をなしたヨシボーを創業された方。ヨシボー自体を知らないわ・・・<br /><br />この神社が商売繁盛のご利益があると云うことで、商売に関連する財布と名刺を供養するために建立されたそうだ。毎年9月の第四日曜日には、名刺感謝祭の神事が行われ、古くなった名刺が神職の手により庭火で焚きあげられ供養される。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9608710355865569&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />建仁寺の塔頭、禅居庵へ進むが続く

京都 東山 京都ゑびす神社(Kyoto Ebisu Shrine,Higashiyama,Kyoto,Japan)

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2022/01/25 - 2022/01/25

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旅行記グループ 建仁寺イベント

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年1月25日(火)1時45分、宮川町筋から2本東の大和大路通にある京都ゑびす神社へ。兵庫の西宮神社、大阪の今宮戎神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「京のゑべっさん」として京都の人々から親しまれている

鎌倉時代の1202年に日本の臨済宗の祖である栄西禅師が建仁寺を建立するにあたり、その鎮守社として創建したもの。ただし、この地に移転したのは応仁の乱の後。

「商売繁盛」「家運隆昌」の守り神として一月の十日ゑびすは多くの人たちで賑わう。また、主祭神の恵美須神は栄西禅師が1191年に中国の南宋から帰国の際に海上で暴風雨に遭遇した際に守ってくれたものと云うことから「旅ゑびす」とも云われ、交通安全の神としても信仰を集めている。

今日ゑびす様と言えば「商売繁盛の笹」をイメージするが、ゑびす信仰の象徴とも言える笹はこの神社独自の「御札」の形態が広まったもの。笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となった。

大和大路通に面した一の鳥居から境内に入る。昭和7年に建てられたもの。鳥居を抜けると左手に手水舎。手水鉢の南東隅の臥龍像の口から水が流れ出すようになっているのだが、コロナ禍のためであろう、まだ水は流されていなかった。

一の鳥居の奥には二の鳥居。こちらは江戸末期の1863年(文久3年)の建立だが、この鳥居はお賽銭を投げ上げる鳥居として有名。鳥居の中央正面、普通なら一の鳥居のように神社名などの扁額が掛かるのだが、この鳥居にはゑびす様の福箕(ふくみ:穀物の脱穀や選別、運搬などに使用される農具)が掛かる。

二の鳥居にも昔は普通に青銅製の扁額が掛かっていたのだが、戦時中の金属供出でなくなり、戦後は何もない状態が続いていた。1977年になって、当時の宮司が彫刻家の小山由寿氏に依頼してお参りの人が親しみを持てるものをと云うことで造られたそうだが、福箕の下の部分に「入ったら縁起がええんや」と云うことで賽銭を投げる人が出てきた。それで、入り易くするために網を付け、さらに熊手も取り付けたそうだ。

そして奥に拝殿。本殿は見えないが、なかなか立派。「正面お詣りの後左側の奥へお廻りになってお詣り下さい」の指示に従って、まずは左手の角を曲がると奉納された酒樽が並び、上部には1908年(明治41年)に奉納された三十六歌仙の絵額が飾られている。こちら側に半分の18人、拝殿の右手側面に残りの18人がある。

社殿の南側を進むと厚板の戸の上に注連縄が張られたところがある。下に「賽銭箱」とあり、「優しくトントンと叩いてください」と。実はこちらのゑびす様はかなりのご高齢で耳が遠いので格子を叩いて知らせて欲しいとのこと。初めてやね、こう云うのは。

この先には新道通に通じる西門があるが、その左手は神さまの乗り物である御鳳輦の格納庫があり、さらにその隣に神馬舍が並んでいる(下の写真1と2)。

社殿前に戻ると南側に社務所(下の写真3)がる。反対側の北側の突き当りには小松天満宮。洛陽天満宮二十五社順拝第16番札所で天拝天満宮とも呼ばれる。堂内には「天拝山荒行の像」と称される菅原道真像が安置されている。無実の罪によって太宰府の配所にあった道真が、筑紫の天拝山で行をしている忿怒の姿を表わしたものとのこと。なお、小松はこの辺りの町名。

そこから社殿の右手奥に進むと末社の白太夫社、八幡神社、猿田彦神社が東向きに並び、北向きに岩本稲荷大明神、さらにその角に北野天満宮遥拝所がある。

白太夫社は道真公の守役であったと伝えられる渡会春彦(わたらいはるひこ)がご祭神。若かりし頃から白髪であったことから白太夫と呼ばれる。白太夫の安産祈願で道真が無事生まれたことから、子授け・安産のご利益がある。

八幡神社は武運、勝運の神の応神天皇を祀る。猿田彦神社は猿田彦大神をお祀りし、道案内・みちびきを司る。岩本稲荷大明神は商売繁盛の神・倉稲魂命(ウカノミタマのみこと)を祀る。ただし、ご神体は、鎌倉時代の女流歌人・阿仏尼の作と伝えられる在原業平像だそうだ。

二の鳥居を抜けて一の鳥居方向に戻ると左手、北側にゑびす像が2体。奥の方が新しくて右手に竿を持ち、左脇には釣った鯛を抱えているのがよく分かる。2体とも建立の経緯は不明。

一の鳥居の北側の奥には名刺塚と財布塚が並ぶ。名刺塚は吉村孫三郎さんが、財布塚は松下幸之助さんが寄進した。パナソニック創業者の松下さんを知らない人は少ないだろうが、吉村さんは私も知らなかった。1921年(大正10年)に山科でシルクで名をなしたヨシボーを創業された方。ヨシボー自体を知らないわ・・・

この神社が商売繁盛のご利益があると云うことで、商売に関連する財布と名刺を供養するために建立されたそうだ。毎年9月の第四日曜日には、名刺感謝祭の神事が行われ、古くなった名刺が神職の手により庭火で焚きあげられ供養される。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9608710355865569&type=1&l=223fe1adec


建仁寺の塔頭、禅居庵へ進むが続く

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  • 写真1 西門に左手が御鳳輦蔵

    写真1 西門に左手が御鳳輦蔵

  • 写真2 神馬舍

    写真2 神馬舍

  • 写真3 社務所

    写真3 社務所

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