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Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅<br />期間:2012年05月15日(火)〜05月29日(火)15日間の旅・5月26日(土)<br /><br />≪英国ヴィクトリア女王はドイツ人だった!≫<br /><br />Queen Victoriaヴィクトリア女王(1819年5月24日〜 1901年1月22日)は繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王(*イギリス・ハノーヴァー朝第6代女王)として知られ、その治世は特にヴィクトリア朝と呼ばれた。<br />その在位は63年7か月(1837年6月20日〜1901年1月22日)にも及んでいる。<br /><br />(注記)<br />ハノーヴァー家(House of Hanover)はドイツのヴェルフ家( Haus Welf:ブラウンシュヴァイク・リューネブルク家)の流れを汲む神聖ローマ帝国の諸侯の家系で、1692年に成立したハノーファー公国(選帝侯国、後に王国)の君主の家系であったが、1714年にステュアート朝(Stuart dynasty)に代わってイギリスの王家となり、ハノーファー王国とイギリス王国の君主を兼ねる同君連合体制をとった。所が、ハノーファーでは女子の継承を認めていなかったため、1837年のヴィクトリア女王のイギリス王即位をもって同君連合を解消し、ハノーファー王家はイギリス王家から分枝した。 <br />第一次世界大戦中に、敵国ドイツ帝国の領邦名が冠されている家名を避け、1917年に王宮の所在地ウィンザーにちなみウィンザー家(House of Windsor)と家名を改称した。<br />

≪英国ヴィクトリア女王はドイツ人だった!≫

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2012/05/15 - 2012/05/29

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Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅
期間:2012年05月15日(火)〜05月29日(火)15日間の旅・5月26日(土)

≪英国ヴィクトリア女王はドイツ人だった!≫

Queen Victoriaヴィクトリア女王(1819年5月24日〜 1901年1月22日)は繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王(*イギリス・ハノーヴァー朝第6代女王)として知られ、その治世は特にヴィクトリア朝と呼ばれた。
その在位は63年7か月(1837年6月20日〜1901年1月22日)にも及んでいる。

(注記)
ハノーヴァー家(House of Hanover)はドイツのヴェルフ家( Haus Welf:ブラウンシュヴァイク・リューネブルク家)の流れを汲む神聖ローマ帝国の諸侯の家系で、1692年に成立したハノーファー公国(選帝侯国、後に王国)の君主の家系であったが、1714年にステュアート朝(Stuart dynasty)に代わってイギリスの王家となり、ハノーファー王国とイギリス王国の君主を兼ねる同君連合体制をとった。所が、ハノーファーでは女子の継承を認めていなかったため、1837年のヴィクトリア女王のイギリス王即位をもって同君連合を解消し、ハノーファー王家はイギリス王家から分枝した。
第一次世界大戦中に、敵国ドイツ帝国の領邦名が冠されている家名を避け、1917年に王宮の所在地ウィンザーにちなみウィンザー家(House of Windsor)と家名を改称した。

同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の満足度
4.5

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  • さて、ヴィクトリア女王はイギリスよりドイツの血の方がはるかに濃いと云われている。計算上、ヴィクトリア女王に流れるステュアート家の血は256分の1に過ぎず、残りは殆どドイツ人の血だとされる。<br /><br />当時のハノーヴァー王朝の国王は全て、それに連なる王族も殆どがドイツ人の妃を娶っている。ヴィクトリア女王の母ヴィクトリアも、父方の祖母シャーロットもドイツ人であった。<br /><br /><br />写真はケント公妃・母ヴィクトリアと後のヴィクトリア女王

    さて、ヴィクトリア女王はイギリスよりドイツの血の方がはるかに濃いと云われている。計算上、ヴィクトリア女王に流れるステュアート家の血は256分の1に過ぎず、残りは殆どドイツ人の血だとされる。

    当時のハノーヴァー王朝の国王は全て、それに連なる王族も殆どがドイツ人の妃を娶っている。ヴィクトリア女王の母ヴィクトリアも、父方の祖母シャーロットもドイツ人であった。


    写真はケント公妃・母ヴィクトリアと後のヴィクトリア女王

  • その事もあってか、ヴィクトリア女王は日ごろから親独派だったらしい。<br />ドイツ・ザクセン・コーブルク・ゴータ公エルンスト1世(母ヴィクトリア・ケント公妃の兄)の次男であった(つまり母方の従弟に当たる)夫・公子Albertアルベルト(英読みではアルバート)もヴィクトリア女王以上にドイツ人としての意識が強く、親独派であり、英国女王夫妻はドイツ語を日常会話にすることが多かったと云う。<br />アルベルト公はその死に際にも「mein Frauchen(私の可愛い奥さん)」と、女王に声をかけたと伝えられている。<br /><br /><br />写真はアルバート(アルベルト)公

    その事もあってか、ヴィクトリア女王は日ごろから親独派だったらしい。
    ドイツ・ザクセン・コーブルク・ゴータ公エルンスト1世(母ヴィクトリア・ケント公妃の兄)の次男であった(つまり母方の従弟に当たる)夫・公子Albertアルベルト(英読みではアルバート)もヴィクトリア女王以上にドイツ人としての意識が強く、親独派であり、英国女王夫妻はドイツ語を日常会話にすることが多かったと云う。
    アルベルト公はその死に際にも「mein Frauchen(私の可愛い奥さん)」と、女王に声をかけたと伝えられている。


    写真はアルバート(アルベルト)公

  • とはいえ、アルバート公はイギリス女王の夫として、議会から唯一公式に「The Prince Consortプリンス・コンソート」の称号を認められた人物である。<br /><br />   <br />(Wikから抜粋・編集)<br /><br /><br />写真はヴィクトリア女王とアルバート公の結婚式

    とはいえ、アルバート公はイギリス女王の夫として、議会から唯一公式に「The Prince Consortプリンス・コンソート」の称号を認められた人物である。

       
    (Wikから抜粋・編集)


    写真はヴィクトリア女王とアルバート公の結婚式

  • 夫アルバートとの間に4男5女の9子があり、王女達はドイツを中心とした各国に嫁がせ、40人の孫、37人の曾孫が誕生した。<br /><br />晩年にはヴィクトリア女王は「ヨーロッパの祖母」と呼ばれた。<br /><br />ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とロシア皇后アレクサンドラ(ロシア皇帝ニコライ2世妃)は女王の孫にあたる。<br /><br /><br />写真は1841〜45年ウインザー城で女王夫妻一家

    夫アルバートとの間に4男5女の9子があり、王女達はドイツを中心とした各国に嫁がせ、40人の孫、37人の曾孫が誕生した。

    晩年にはヴィクトリア女王は「ヨーロッパの祖母」と呼ばれた。

    ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とロシア皇后アレクサンドラ(ロシア皇帝ニコライ2世妃)は女王の孫にあたる。


    写真は1841〜45年ウインザー城で女王夫妻一家

  • 写真は貫録の付いたヴィクトリア女王(在位50周年)

    写真は貫録の付いたヴィクトリア女王(在位50周年)

  • ≪Coburgコーブルグの町に立つAlbertアルバート公(アルベルト)の銅像≫<br /><br />ドイツを16年ぶりに訪れた時の旅日記がある。<br />2001年5月10日、Bayreuthバイロイトを9:50に出発した。A9・70・B289(Kulmbach・Lichtenfels)を経由し、120kmでCoburgコーブルグだ。 <br /><br />かつてのコーブルグ公爵領は現在のバイエルン州の北部・フランケン地方と呼ばれている。北はテューリンゲンの森、東をフランケンの森、南にマイン・フランケン平野に囲まれた地域で、ドイツの中央部にあたる。<br />町はマインの支流Itzイッツ川(全長80km)に沿って発展し、古城街道でも有数なVeste Coburgフェスト・コーブルク大要塞が有名である。<br /><br /><br />写真はコーブルクのマルクト広場のアルバート公(アルベルト)の銅像

    ≪Coburgコーブルグの町に立つAlbertアルバート公(アルベルト)の銅像≫

    ドイツを16年ぶりに訪れた時の旅日記がある。
    2001年5月10日、Bayreuthバイロイトを9:50に出発した。A9・70・B289(Kulmbach・Lichtenfels)を経由し、120kmでCoburgコーブルグだ。 

    かつてのコーブルグ公爵領は現在のバイエルン州の北部・フランケン地方と呼ばれている。北はテューリンゲンの森、東をフランケンの森、南にマイン・フランケン平野に囲まれた地域で、ドイツの中央部にあたる。
    町はマインの支流Itzイッツ川(全長80km)に沿って発展し、古城街道でも有数なVeste Coburgフェスト・コーブルク大要塞が有名である。


    写真はコーブルクのマルクト広場のアルバート公(アルベルト)の銅像

  • 大要塞はコーブルグの157mの小高い丘にその雄姿を見せている。Vesteフェストにはエーレンブルグ城・公園から登ることもできるようだが、きつそうなので、車で町の裏手を迂回して要塞に近づいた。<br /><br />真っ青な青空と緑の森に映える赤レンガの屋根の要塞が見えてくる。手前に広い駐車場があって、管理人に料金を支払い、歩いて向かう。徒歩10分で要塞だ。<br /><br /><br />写真はコーブルク大要塞の俯瞰<br /><br />

    大要塞はコーブルグの157mの小高い丘にその雄姿を見せている。Vesteフェストにはエーレンブルグ城・公園から登ることもできるようだが、きつそうなので、車で町の裏手を迂回して要塞に近づいた。

    真っ青な青空と緑の森に映える赤レンガの屋根の要塞が見えてくる。手前に広い駐車場があって、管理人に料金を支払い、歩いて向かう。徒歩10分で要塞だ。


    写真はコーブルク大要塞の俯瞰

  • 俯瞰図で見るVeste Coburgは楕円形の要塞で二重の城壁が周囲を取り巻いている。楕円形の真ん中に城門があり、これをくぐって城内に入ると、正面には①Fuerstenbau領主の建物が見える。その右手にルターの礼拝堂があり、その横の階段を上がるとテラス上に素晴らしい眺望が開ける。5月の景色、真黄色の菜の花畑が緑の中に黄色い帯となって横たわっていた。城内には大きな菩提樹があって、その木陰が好ましい。<br /><br />更に向かって左手に古めかしい②Steinere Kemenate石造の部屋の建物が建ち、順に③Carl-Eduard-Bauカール・エドワードの建物(Carl-Eduardはコーブルグの最後の公爵・1945年に退位)、④Herzoginbau公爵夫人の建物、Roter Turm赤の塔、 Blauer Turm青の塔、Hohes Haus高い建物がある。二つの塔のとんがり屋根の色が其々の色をしているのが分かる。その内の①~④の歴史的建造物が連携して、膨大な、様々な美術・ガラス工芸品・武器などの博物館となっている。<br /><br /><br />写真はコーブルク大要塞の俯瞰<br />

    俯瞰図で見るVeste Coburgは楕円形の要塞で二重の城壁が周囲を取り巻いている。楕円形の真ん中に城門があり、これをくぐって城内に入ると、正面には①Fuerstenbau領主の建物が見える。その右手にルターの礼拝堂があり、その横の階段を上がるとテラス上に素晴らしい眺望が開ける。5月の景色、真黄色の菜の花畑が緑の中に黄色い帯となって横たわっていた。城内には大きな菩提樹があって、その木陰が好ましい。

    更に向かって左手に古めかしい②Steinere Kemenate石造の部屋の建物が建ち、順に③Carl-Eduard-Bauカール・エドワードの建物(Carl-Eduardはコーブルグの最後の公爵・1945年に退位)、④Herzoginbau公爵夫人の建物、Roter Turm赤の塔、 Blauer Turm青の塔、Hohes Haus高い建物がある。二つの塔のとんがり屋根の色が其々の色をしているのが分かる。その内の①~④の歴史的建造物が連携して、膨大な、様々な美術・ガラス工芸品・武器などの博物館となっている。


    写真はコーブルク大要塞の俯瞰

  • “Die Fraenkische Kroneフランケンの王冠”と謳われるコーブルク大要塞は面積25000?の台上にある。歴史文書に名が出てくるのは1056年のことで、945年の歴史を誇る、ドイツ屈指の大要塞である。<br /><br />その歴史の断片は1248年Hennebergヘンネベルク伯爵家が居城として、100年の間、要塞とコーブルクの町を支配した。<br />1353年から1918年の565年もの間はザクセンとテューリンゲンを支配した領主Wettinヴェティン家の支配になり、遺産相続によってErnstエルンスト 1世公爵の家系が連綿として続くこととなる。<br />1782〜86年は牢獄・収容所として使用されることもあったが、第二次大戦後の1946年、早々とバイエルン州の所有となった。<br /><br />17世紀に要塞 の防衛機能が強化されたが、新旧キリスト教徒の宗教戦争30年戦争の1632年、旧教の立場である皇帝側の名将Wallensteinヴァレンシュタイン将軍がこの要塞を攻城し、その守りの堅さにわずか一週間で攻めるのを諦めたと云う話は有名である。<br /><br />写真は晩年の在位60周年を迎えたヴィクトリア女王<br />

    “Die Fraenkische Kroneフランケンの王冠”と謳われるコーブルク大要塞は面積25000?の台上にある。歴史文書に名が出てくるのは1056年のことで、945年の歴史を誇る、ドイツ屈指の大要塞である。

    その歴史の断片は1248年Hennebergヘンネベルク伯爵家が居城として、100年の間、要塞とコーブルクの町を支配した。
    1353年から1918年の565年もの間はザクセンとテューリンゲンを支配した領主Wettinヴェティン家の支配になり、遺産相続によってErnstエルンスト 1世公爵の家系が連綿として続くこととなる。
    1782〜86年は牢獄・収容所として使用されることもあったが、第二次大戦後の1946年、早々とバイエルン州の所有となった。

    17世紀に要塞 の防衛機能が強化されたが、新旧キリスト教徒の宗教戦争30年戦争の1632年、旧教の立場である皇帝側の名将Wallensteinヴァレンシュタイン将軍がこの要塞を攻城し、その守りの堅さにわずか一週間で攻めるのを諦めたと云う話は有名である。

    写真は晩年の在位60周年を迎えたヴィクトリア女王

  • さて、マルクト広場の北側の庁舎の前に立派な銅像がある。コーブルグ公爵家の次男Albertアルベルト殿下(ザクセン・コーブルク・ゴータ公子アルベルト殿下=英語読みではアルバート公)の像である。<br /><br />1840年、アルベルト殿下は英王室のヴィクトリア王女と結婚した。王女は大英帝国に繁栄をもたらした、後のヴィクトリア女王である。<br />コーブルグ公爵家と英王室やスウェーデン王室との婚姻関係には新教徒同士だという事があるのだろう。<br /><br />アルベルト殿下が婿の候補となって英国に向かう旅の途中で、美しい令嬢と知り合うが、実はその令嬢がヴィクトリア王女だったと云うエピソードも残されている。<br />女王との婚姻で結ばれたコーブルクの町はそれもあってか、第二次大戦中、この町への英軍の攻撃は全く無かったと云う。<br /><br />XXX<br /><br />写真はコーブルクのマルクト広場のアルバート公(アルベルト)の銅像

    さて、マルクト広場の北側の庁舎の前に立派な銅像がある。コーブルグ公爵家の次男Albertアルベルト殿下(ザクセン・コーブルク・ゴータ公子アルベルト殿下=英語読みではアルバート公)の像である。

    1840年、アルベルト殿下は英王室のヴィクトリア王女と結婚した。王女は大英帝国に繁栄をもたらした、後のヴィクトリア女王である。
    コーブルグ公爵家と英王室やスウェーデン王室との婚姻関係には新教徒同士だという事があるのだろう。

    アルベルト殿下が婿の候補となって英国に向かう旅の途中で、美しい令嬢と知り合うが、実はその令嬢がヴィクトリア王女だったと云うエピソードも残されている。
    女王との婚姻で結ばれたコーブルクの町はそれもあってか、第二次大戦中、この町への英軍の攻撃は全く無かったと云う。

    XXX

    写真はコーブルクのマルクト広場のアルバート公(アルベルト)の銅像

  • 【ドイツ第一のケーキ:エーベルバッハ名物のヴィクトリア・トルテ】<br />第1編で≪Eberbachエーベルバッハに残る英国ヴィクトリア女王のお話≫を書いた。エーベルバッハでは、英国のヴィクトリア王女(後のヴィクトリア女王)の誕生について、人々が特別な思いを持って語られている話がある。<br />ここではその代わりに女王の名を冠した名物のヴィクトリア・トルテの誕生について書き加えた。<br /><br />≪Cafe Viktoria カフェ・ヴィクトリア≫<br />D-69412 Eberbach 、Friedrichstrasse 5-9<br />http://www.cafe-viktoria.de/<br /><br /><br />カフェ・ヴィクトリアは1886年、パン・菓子作りマイスターの初代Heinrich Strohauer Iハインリヒ・シュトロハウアーにより、当地エーベルバッハに設立された。当時は小さなパン屋とワイン酒場を営んでいた。<br />その後、息子の2代目ハインリヒは1923年になると、パン屋とワイン酒場の事業を拡大し、更にカフェを兼営した。<br />1954年、3代目ハインリヒは菓子作りマイスターとして、父の家業を継いだ。<br />1958年には現在の地、Friedrichstrasse 5-9に店舗を移し、今や世界に知られたカフェ・ヴィクトリアとなった。<br /><br />1962年、スウェーデン王室で催された王の祝宴に、彼は世界に名だたる菓子職人と共に招かれ、食事の最後を飾る、“オレンジのデザート”を提供した。<br />この素晴らしいデザートは“エーベルバッハ生まれのヴィクトリア・トルテ”誕生の瞬間であった。<br /><br /><Die weltberuehmte世界に名高い><br /><br />1963年には“エーベルバッハ生まれのヴィクトリア・トルテ”は航空便で英国バッキンガム宮殿に居られるエリザベス女王宛てに送られた。<br />以来、遠近を問わず、たくさんの人がこの美味しい味を味わう為に、カフェ・ヴィクトリアのお客としてやって来るようになった。 <br />現在の経営者であるBirgit Strohauer-Valeriusビルギット・シュトロハウアー・ファーレリウスも従業員一同と共に、そうしたお客様に満足いただけるように日々精進している。<br /><br />写真は”ヴィクトリア・トルテ”

    【ドイツ第一のケーキ:エーベルバッハ名物のヴィクトリア・トルテ】
    第1編で≪Eberbachエーベルバッハに残る英国ヴィクトリア女王のお話≫を書いた。エーベルバッハでは、英国のヴィクトリア王女(後のヴィクトリア女王)の誕生について、人々が特別な思いを持って語られている話がある。
    ここではその代わりに女王の名を冠した名物のヴィクトリア・トルテの誕生について書き加えた。

    ≪Cafe Viktoria カフェ・ヴィクトリア≫
    D-69412 Eberbach 、Friedrichstrasse 5-9
    http://www.cafe-viktoria.de/


    カフェ・ヴィクトリアは1886年、パン・菓子作りマイスターの初代Heinrich Strohauer Iハインリヒ・シュトロハウアーにより、当地エーベルバッハに設立された。当時は小さなパン屋とワイン酒場を営んでいた。
    その後、息子の2代目ハインリヒは1923年になると、パン屋とワイン酒場の事業を拡大し、更にカフェを兼営した。
    1954年、3代目ハインリヒは菓子作りマイスターとして、父の家業を継いだ。
    1958年には現在の地、Friedrichstrasse 5-9に店舗を移し、今や世界に知られたカフェ・ヴィクトリアとなった。

    1962年、スウェーデン王室で催された王の祝宴に、彼は世界に名だたる菓子職人と共に招かれ、食事の最後を飾る、“オレンジのデザート”を提供した。
    この素晴らしいデザートは“エーベルバッハ生まれのヴィクトリア・トルテ”誕生の瞬間であった。

    <Die weltberuehmte世界に名高い>

    1963年には“エーベルバッハ生まれのヴィクトリア・トルテ”は航空便で英国バッキンガム宮殿に居られるエリザベス女王宛てに送られた。
    以来、遠近を問わず、たくさんの人がこの美味しい味を味わう為に、カフェ・ヴィクトリアのお客としてやって来るようになった。 
    現在の経営者であるBirgit Strohauer-Valeriusビルギット・シュトロハウアー・ファーレリウスも従業員一同と共に、そうしたお客様に満足いただけるように日々精進している。

    写真は”ヴィクトリア・トルテ”

  • 同店の品揃え(店のHPに写真あり);<br />Viktoria-von-Eberbach-Tort、Erdbeerjoghurt-Torte 、<br />Graf-Eberbach-Torte、Hochzeitstorte Victoria&amp;Daniel 、<br />Graf-Otto-von-Mosbach-Torte 、Koenigin-Silvia-Torte 、<br />Wiener-Sacher-Torte 、Trueffel Pralinen 、<br />Schoko-Baumkuchen edelbitter 、Schoko-Baumkuchen 、<br />Viktoria Christstollen 、Pistazien-Marzipanstollen 、<br />Mandel-Marzipanstollen etc.<br /><br /><br />写真はエリザベス女王在位60周年祝いのトルテ

    同店の品揃え(店のHPに写真あり);
    Viktoria-von-Eberbach-Tort、Erdbeerjoghurt-Torte 、
    Graf-Eberbach-Torte、Hochzeitstorte Victoria&Daniel 、
    Graf-Otto-von-Mosbach-Torte 、Koenigin-Silvia-Torte 、
    Wiener-Sacher-Torte 、Trueffel Pralinen 、
    Schoko-Baumkuchen edelbitter 、Schoko-Baumkuchen 、
    Viktoria Christstollen 、Pistazien-Marzipanstollen 、
    Mandel-Marzipanstollen etc.


    写真はエリザベス女王在位60周年祝いのトルテ

  • “エーベルバッハ生まれのヴィクトリア・トルテ”は ドイツ最良のケーキに選ばれた。<br />(Viktoria-von-Eberbach-Torte zur besten Torte Deutschland gekuert)<br /><br />エーベルバッハ新聞;2011年12月1日記事: <br />ドイツの情報雑誌Galileo「ガリレオ」によれば、ドイツ国内から選ばれた7つの菓子作りチームが競った10月のベルリン大会に於いて、その審査の結果、“エーベルバッハ生まれのヴィクトリア・トルテ”が最良の一品に選ばれた。<br />“エーベルバッハ生まれのヴィクトリア・トルテ”は厳しい競争に打ち勝ち、今や「ドイツ第一のケーキ」と称される事となった。<br />その受賞した“美味いケーキ”は昨日、完売だったそうです。<br />(中略)<br />3代目のハインリヒ・シュトロハウアーがオレンジのデザートにインスピレーションを得て、ダーク色の軽いビスケット?(ケーキ生地)にクリーム、オレンジジュース、レモンおよびワインを詰め、フルーツゼリーで優雅に包んだものです。<br />受賞後はスイス、オーストリア等の海外からの電話もしっきりなしにかかり、注文が殺到していると、現経営者が述べている。<br />(後略)<br /><br />(店のHP訳とWikipediaから編集)<br /><br />写真は”ヴィクトリア・トルテ”<br />

    “エーベルバッハ生まれのヴィクトリア・トルテ”は ドイツ最良のケーキに選ばれた。
    (Viktoria-von-Eberbach-Torte zur besten Torte Deutschland gekuert)

    エーベルバッハ新聞;2011年12月1日記事:
    ドイツの情報雑誌Galileo「ガリレオ」によれば、ドイツ国内から選ばれた7つの菓子作りチームが競った10月のベルリン大会に於いて、その審査の結果、“エーベルバッハ生まれのヴィクトリア・トルテ”が最良の一品に選ばれた。
    “エーベルバッハ生まれのヴィクトリア・トルテ”は厳しい競争に打ち勝ち、今や「ドイツ第一のケーキ」と称される事となった。
    その受賞した“美味いケーキ”は昨日、完売だったそうです。
    (中略)
    3代目のハインリヒ・シュトロハウアーがオレンジのデザートにインスピレーションを得て、ダーク色の軽いビスケット?(ケーキ生地)にクリーム、オレンジジュース、レモンおよびワインを詰め、フルーツゼリーで優雅に包んだものです。
    受賞後はスイス、オーストリア等の海外からの電話もしっきりなしにかかり、注文が殺到していると、現経営者が述べている。
    (後略)

    (店のHP訳とWikipediaから編集)

    写真は”ヴィクトリア・トルテ”

  • 写真はエーベルバッハの町とネッカー川<br /><br />≪Eberbachエーベルバッハに残る英国ヴィクトリア女王のお話≫<br />旅行時期 2012/05/15 - 2012/05/29 (2014/04/11投稿)<br />http://4travel.jp/travelogue/10875255<br /><br />

    写真はエーベルバッハの町とネッカー川

    ≪Eberbachエーベルバッハに残る英国ヴィクトリア女王のお話≫
    旅行時期 2012/05/15 - 2012/05/29 (2014/04/11投稿)
    http://4travel.jp/travelogue/10875255

  • ヴィクトリア女王夫妻のお気に入りだったヴィッキー。<br /><br />≪ヴィクトリア女王の長女ヴィッキー(Vickyヴィクトリア王女)が愛した古城ホテル クロンベルク城≫<br />旅行時期 2012/05/15 - 2012/05/29 (2014/04/16投稿)<br />http://4travel.jp/travelogue/10877049<br /><br />写真はSchloss Kronbergクロンベルク城:ドイツ皇帝フリードリヒ3世の皇妃ヴィクトリア・皇太子妃時代(ヴィクトリア女王の長女ヴィクトリア)

    ヴィクトリア女王夫妻のお気に入りだったヴィッキー。

    ≪ヴィクトリア女王の長女ヴィッキー(Vickyヴィクトリア王女)が愛した古城ホテル クロンベルク城≫
    旅行時期 2012/05/15 - 2012/05/29 (2014/04/16投稿)
    http://4travel.jp/travelogue/10877049

    写真はSchloss Kronbergクロンベルク城:ドイツ皇帝フリードリヒ3世の皇妃ヴィクトリア・皇太子妃時代(ヴィクトリア女王の長女ヴィクトリア)

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