2022/12/08 - 2022/12/09
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ココ&ナッツさん
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サイクリングで回る奈良の世界遺産ひとりたび
1180年に起きた平家の南都(奈良)焼き討ち事件に想いを寄せながら
興福寺
春日大社
東大寺
大仏殿、法華堂(三月堂)、二月堂、裏参道、講堂跡、正倉院、転害門
元興寺
ならまち
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 自転車 新幹線
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クラシカルな建物はJR奈良駅旧駅舎
奈良市総合観光案内所 (JR奈良駅旧駅舎) 名所・史跡
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朝方の駅
駅のレンタサイクルで自転車を借りて
興福寺、春日大社、東大寺という世界遺産、国宝を巡ろう
いざ出発 -
興福寺 東金堂(国宝)
薬師如来、日光、月光菩薩立像、四天王像など国宝の仏像
建物も国宝なら、中にいらっしゃる仏像も国宝
それに宝物館の収蔵品も含めて国宝だらけ
そう、興福寺は国宝の宝庫なのだ
こんなに国宝の密度が高いところはないのではないか、と思うほど
調べてみると建物4,仏像18が指定されている
やはりというか、国宝の多さは法隆寺とともに日本一だそう
お坊さんの案内がわかりやすくて親切で、色々興味深い案内をしていただいた
東金堂は5回の火災にあったという
こういう木造建築にとって火災は大の大敵
泥棒に入ってロウソクの火が燃え移ったとか、南都の焼き討ちという人為的なものは悲しいが、天災もやりきれない興福寺東金堂 寺・神社・教会
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興福寺 五重塔(国宝)
屋根を支える三手先の組み物で軒が深く、陰影が強い重厚で風格がある
この建物も5度焼失しているという
中でも落雷で3度も焼失
当時避雷針のようなものはないし、高い建物も他ないので雷の格好の餌食になってもおかしくない、自然相手ならなすすべもない
この塔に落ちてお隣の東金堂にも燃え移った、と説明があった
五重塔が巨大な火の柱となり、飛び火が隣の東金堂に燃え移る
その様を想像すると劇的に恐ろしい
当時の人々も雷は恐ろしかったのだろう、五重塔には「光明電王」という雷避けの護符が各階層、東西南北20枚掲げられている、これができうる精いっぱいのことだったんだろう
ちなみに日本で2番目に高い塔で50.1mある
今でも奈良市内で一番高い建物興福寺五重塔 寺・神社・教会
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興福寺 五重塔
夜のライトアップにも行ってみた
下方からライトアップしているので、屋根下の豪華で骨太の力強い組み物の様子がよくわかる
昼間は太陽の影になって暗めになってしまっていたけど
現在の五重塔は6代目、何度も焼失しながら不二鳥のように蘇っている
そして2023年から大規模修理を8年かけて行う、明治以来約120年ぶりとなる -
興福寺 中金堂
とても色鮮やかできれいだと思ったら、2018年に再建復元されていた
なんと1717年に焼失して以来、300年ぶりの悲願達成
この建物は7度も焼失しているというから再建も大変だ
大陸唐文化の影響が色濃く残っている
直径約77センチ、長さ約10メートルの建物を支える柱36本を始め、巨木が必要だったので、アフリカケヤキが使われた
唐招提寺で説明してくれたお坊さんが、興福寺には外国産木材が使用されたけど、唐招提寺の修復には国産材が使われたとちょっと自慢そうに言っていたことを思い出した
奈良では、約12年にわたった薬師寺東塔、それから唐招提寺の解体修理が終わり
興福寺中金堂の再建も終わった、そして五重塔の大規模修理の前にその姿を見ることができた、運よくうまく修理の合間を縫って拝観でき良かった
そういえば3年前の京都の清水寺の檜皮葺きの屋根の修繕が終わり、桁の修理に入る前の間にも見ることができた、宝くじには当たらないが、この辺は運が良いと思う興福寺 中金堂 寺・神社・教会
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興福寺 南円堂
興福寺の建物のなかでは奈良っぽくないな、と思ったら、やはり江戸時代に正面に唐破風を足したという興福寺 南円堂 寺・神社・教会
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興福寺 北円堂(国宝)
日本で現存する八角円堂の中で最も美しいと称される
ただ柵があり近寄れない、もっとじっくり建物を見たかった
西のはずれにあるのでお見逃しないよう・・興福寺北円堂 寺・神社・教会
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興福寺 国宝館
文字通り国宝の宝庫 国宝仏オールスターが集う
だからこの建物だけはコンクリート造りの耐火収蔵の建物となっている
金剛力士立像の写実性と迫力に驚き、仰ぎ見る千手観音菩薩像に圧倒された
特に興味をそそったのは乾漆八部衆立像(画像)、これぞ天平文化の傑作のひとつ
皆大体1.5mで背が揃っているし、少年のような表情、工法から同じ仏師によるものだろうと私は思った
この八部衆は、異教(インド)の神々で仏様を守護する衆
・五部浄(ごぶじょう)像
・沙羯羅(さから)像
・鳩槃荼(くばんだ・くはんだ)像
・乾闥婆(けんだつば)像
・迦楼羅(かるら)像
・緊那羅(きんなら)像
・畢婆迦羅(ひばから)像
この脱活乾漆像という工法は内部が空洞で、火災の時持って逃げやすいという利点もあった、確かに一木造りや、石造りなどは重くて持てないよね
度重なる火災の難から奇跡的に助かってくれてありがとう、というしかない
この八部衆、よくみると本当に変わっている様相をしている
それぞれ獅子頭の兜、象頭の兜、蛇が頭に巻いている、鬼の顔、ガルーダ(鳥)の顔、目が3つ、顔が3つ・・・など見ていて楽しい
手元に置きたくて八部衆のファイルを買ってしまった(画像)興福寺国宝館 美術館・博物館
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八部衆のひとり、飛びぬけて有名になった阿修羅(あしゅら)像
阿修羅はインドラ神と女性を巡ってよく戦ったという、いわば暴れん坊将軍だね
修羅場という言葉もここから出ている、線の細い外見からは想像つかないけど、人は(神様だけど)外見では判断してはいけない、ということだね
端正でかすかな憤怒の表情も見える中、憂い、初々しさ、穏やかさ、爽やかさ、清々しさ、厳しさ、色々な感情が感じられる不思議な表情
また三面の顔はを少しずつ表情が違って見えた
このような微妙な表情も、当時の最先端技法であった乾漆技法のおかげ、確かにこれまでの石や木を削る技法より、盛り付け整えながらのが繊細な表現ができやすいことは想像できる
表現も細やかに写実的になったというメリットのほか、乾漆技法は中身が空洞なので軽くて、火災時の持ち出しが楽になったのは前述したとおり
この阿修羅像は15㎏、幼児ほどなので大人がかついで持ち出せられる
南都焼き討ちの際にも無事避難し災難を免れた -
身に着けている物に注目、他の7人は甲冑を付け戦闘態勢に入っていてごつい感じだが、阿修羅だけは甲冑を装着していない、暴れん坊将軍なのに
たおやかな上半身に布を巻き、下は裙・・巻きスカートのような柔らかい素材で、美しい宝相華文の文様が入っていて、一人だけ感じが違う
当初は朱色だったことも驚きだ、特に御顔に朱色がかなり残っている
今や日本一人気の少年といってもいいかもしれない、人気者だからさぞかし他の美術館、博物館から展示したいという要望に応えてあちらこちらに巡回しているのではないか、と、東金堂で親切に案内してくれたお坊さんに尋ねると、その答えが意外なものだった
最近は、2009年建物の補修工事の時に、国立東京博物館と九州国立博物館のみ巡回しただけ、それもほぼ半世紀ぶりの出展のみだという
忘れもしない、上野の東博での興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」の出展の時、確かに私も喜び勇んで見に行った、今回は13年ぶりの再会だったのだ
そしてこの展覧会は、その年の世界の展覧会の入場者数で第1位になった、入場者数世界一だって、何気にスゴイ、本当に人気者なんだ
そんな大人気者も外にはほぼ出ない、箱入り少年(神様)というわけで、会いたかったら興福寺に来るほかないのだ
ただお寺での拝観では、照明が暗く数mと遠くて見ずらく、しかも正面からしか拝観できないところが残念で不満が残る、不届き者が近づきすぎたり、ダメージ軽減、保護のため仕方ないことだとは理解はできる
その点東博では、より明るく、より近いところで、360度ぐるりと像を回れて、横面、背面までもじっくり拝むことができて、とても嬉しかったことを覚えている
背面はどうなっているのだろう、という好奇心を満たしてくれたり、左右のお顔の表情もはっきりわかり、とても満足したものだった
興福寺国宝館では、暗くて遠いのはさて置いて、この阿修羅像をはじめとして傑作揃いの国宝八部衆が揃っていることが嬉しい、それ以外の国宝級の展示も素晴らしく、何時間でも見ていられる -
奈良の猿沢池
興福寺の五重塔が水面に映り、1300年奈良を象徴する風光明媚な光景
しかし1200年前には、この猿沢池の周りに数十のクビが並べられていたというのも事実だ
興福寺や東大寺を語るとき、忘れてはならないのは。南都焼き討ち事件
南都とは京都から見ての奈良のこと
南都焼き討ちは、超簡単にいうと
平家vs.奈良の寺院勢力(主に東大寺・興福寺)の戦いで、1180年12月25日、平清盛は、東大寺・興福寺の反平家勢力を一掃するため、平重衡を南都に向かわせ28日には放火して奈良の主要な建物、寺院、仏像を焼いてしまったという出来事
当時お寺には僧兵・・戦うお坊さんがいて、特に興福寺、比叡山延暦寺、園城寺の僧兵は有名、強力武装集団だった
僧侶というと穏やかに説法というイメージが強いけどね
兵士は殺生するのだからそぐわない気がするけど、自分の身は自分自身で守らざるを得ない社会情勢だったのだろう
この頃の平家は「平家にあらずんば人にあらず」とばかりに趨勢を誇っていた
そんなおごり高ぶる平家に、人々が反発するのは当然のこと
もともと東大寺・興福寺の反平家勢力を懐柔しようと穏やかに話し合うため清盛は兼康を頭に兵500を送ったが、南都の大衆勢は60余人を捕らえて斬首し、猿沢池の端に並べるという挙に出て清盛の怒りを買い、焼き討ちする思いに拍車がかかた
興福寺では発掘中の場所があり、南都焼き討ちで焼けてしまった瓦などが発掘されているそうだ、それにしても清盛、何ということをしでかしたんだ、焼き討ちがなければ、もっとたくさんの文化遺産が残っていただろうに・・
灰燼に帰す、とはこのこと
神社仏閣、仏様を焼き、平家は人々の非難を浴び仏敵とされ、その後はご存じの通りの最後、「驕る平家は久しからず」盛者必衰のことわりをあらわす猿沢池 名所・史跡
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次に行く春日大社まで続く長ーい参道、でも自転車なら楽
鹿に気を付けてゆっくり運転
自転車を駐輪場に置き、歩いてすぐに春日大社に到着 -
春日大社
藤原氏の氏神をまつっている
朱色がまぶしい春日大社 寺・神社・教会
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灯篭がずらり
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中には徳川綱吉の灯篭もある
その他歴史上有名人の寄進したもの多数 -
これはすごい、屋根職人さんGJ
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千木の屋根、芙蓉の花が彩っていた
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一角には暗室があって、灯りの入った灯籠が多数
万燈籠再現 藤浪之屋 (ふじなみのや) -
万燈籠の幽玄の美
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違う世界に迷い込んだようだ
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外に出ても灯籠群
春日大社は燈籠がたくさんあることで有名で
平安時代から現在までに奉納された燈籠がおよそ三千基ある -
春日大社摂社・若宮神社の方へ行ってみた
20年に一度の本殿の式年造替が終わって1か月少し
画像にはないけど、鮮やかな朱色の社や明るい色の檜皮葺きの屋根が美しかった
案内を伺っていたら、砂袋もいただけた
この後は東大寺へ若宮神社 寺・神社・教会
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東大寺南大門(2022年4月撮影)
南都焼き討ち後の東大寺復興により建てられ現存しているという点でも貴重
運慶、快慶による金剛力士像も有名
南大門と大仏殿は前年度春に訪問したので今回は寄らなかったが、初めて奈良に行くのなら絶対に外せない場所なので記した
ちなみに奈良公園の鹿は野生だそうだ
奈良や東大寺が飼っているわけではない
東大寺 寺・神社・教会
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東大寺大仏殿、堂々とした建物(2022年4月撮影)
南都焼き討ちの際、平家に追われ、老人、女性子どもが、仏様のおそばにいれば大丈夫だと思ったのだろう、この大仏殿に逃げ込んだが、ここも激しく燃え3000人近くが亡くなった、大仏も首が落ち、み手も崩れ熔けたという
840年前のここは地獄絵そのものだった、何たる悲劇、想像するにも恐ろしい東大寺 寺・神社・教会
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東大寺大仏殿
南都焼き討ち事件で奈良の主要な建物は焼け落ち、死者10000人に上がったという
結局、東大寺はこれから行く二月堂、法華堂、転害門、正倉院などごく一部だけが残った
人々のアイコン、シンボル的存在、心のよりどころのお寺や仏様が文字通り灰燼に帰し、どれほど落胆したことだろう
近年だと、那覇の首里城、パリのノートルダム大聖堂が焼け、地震で熊本城が壊滅的被害を受けた・・・地元民でなくても心理的に大きなダメージを受けた出来事 -
奈良公園春日野フォーラム、一般人がはいれるのかどうか迷うのだけど、入ってみた
入り口前には屋根に置く鴟尾が展示されていた
東大寺のかな
すると庭園が無料で開放されていた -
中に入ると広々とした庭園
紅葉した三角錐の大木がひと際目立っていた -
向こうには若草山の頭が見えた
この横に見笠山(春日山)がある
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 阿倍仲麻呂
有名で好きな句の一つ、光景が想像できる -
紅葉がひと際明るい
無料だし開放的でよく手入れされた庭園、これは穴場だ
客どころかスタッフの姿も見当たらなかった -
法華堂(三月堂)国宝
東大寺内でもっとも古いお堂、東大寺の出発点
南都焼き討ちで焼けなかった、次の二月堂とともに数少ないお堂、大仏殿からはだいぶ東に離れて高台に建っていることが火災から免れたのかな、と想像した
建物の中の天平の仏像様も国宝、拝観料600円
四天王像の守護神に囲まれた不空羂索観音像
南 増長天 槍を持ち兜をかぶった武将 下に鬼を踏みつける
西 広目天 千里眼 巻物を持つ
東 持国天 刀を振り上げている
北 多聞天 多宝塔と宝棒を持つ
四天王を統率する 左には仏教の守護神帝釈天、右に梵天
そして金剛力士像に囲まれ、不空羂索観音様の守りは鉄壁 -
三月堂の北に建つ東大寺二月堂
高台に建っている -
二月堂
巨大行灯がアクセントのようになっている
ここで3月に行われる752年から続く修二会は1200年以上続く不退の行法
お水取りでも有名 11人の僧侶が身を挺して懺悔を行う法要 -
この舞台からは奈良の街が一望できる
修二会では巨大松明に火をともし、ここから盛大に火の粉を振りまくのだが、木造建築に火の粉は大丈夫なのかと心配してしまう
今までそれによる火災はなかったのかな?大丈夫なのか・・・どの仏閣神社も火事防止にはすごく敏感なのに、ここだけ火の粉の振りまきはとても違和感があるんだよね
その火の粉・・・これをかぶると無病息災のご利益があるというが -
大仏殿の屋根の向こうに生駒山、奈良市内が一望
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二月堂のご本尊は秘仏で僧侶さえ目にすることもできないという
ミステリアス -
長い回廊を下る
とても見ごたえがあった、南都焼き討ちで無事でよかった -
裏参道に出た
ここは階段になっているので、自転車は道路脇の坂を利用して降りた -
振り返ると石畳と土塀越しの二月堂
フォトスポットでもある
BS-TBS奈良ふしぎ旅図鑑のタイトルのバックにも登場する場所 -
右はベージュっぽい瓦土塀、左は石積みの上に白壁、緩やかな登り坂の奥には二月堂
なんと美しいたたずまい
表参道とのにぎわいとは逆に、静寂に包まれている
私も大好きな風景のひとつ -
大仏殿の裏手あたり
何やら工事中 -
僧房跡を整備中
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正倉院
日本人には超有名な建物
高床式、校倉造りという言葉もここで知った正倉院正倉 名所・史跡
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屋根の端はこうなっていた
結構シンプル
そして正倉院はその校倉造りが有名で外観の画像はよく見るが、内部はどうなっているのだろう
その問いに答えるかのように看板が立っていた -
案内板によると
中は3室に分かれていて、フロアは2階分 木のはしごがかかっているようだ -
東大寺北西にある大仏池
あまり見ることがない横からの大仏殿が望める -
東大寺転害門(てがいもん)国宝
創建当時そのままの一番古い建物
場所的に南都焼き討ちをよく免れたね
二月堂、法華堂はだいぶ東の高台にあり焼失を免れたのはわかるけど、般若寺から火の手があがり北風にあおられる状況から、この転害門、正倉院が残ったのは奇跡的なことではないか東大寺転害門 名所・史跡
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今回のサイクリングコースはピンクの部分を回った
奈良に行ったら東大寺で大仏を見て鹿と戯れるだけで帰るのはもったいない
ぜひ二月堂、三月堂、裏参道、正倉院まで回って、興福寺の国宝群、春日大社を回ることをお勧めしたい、1日で歩くのは大変な距離なのでサイクリングが最適
この後さらに、地図中央上にある転害門を出て北上し、奈良道と呼ばれる道を行ってみた -
東大寺転害門を出て北上しゆるやかな坂を上がっていくと、間もなくレンガ造りの瀟洒なヨーロッパ風の建物が見えてきた
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門扉アイアンも凝っている
奥に見えるはホテルか迎賓館か・・・と思いきや・・
なんとここは刑務所だったところ、旧奈良監獄
中には入れず、さらに行くと旧奈良監獄 名所・史跡
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牧場もあるんだ、こんな街中に
植村牧場
その向かいには植村牧場 直販コーナー グルメ・レストラン
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般若寺 閉門していて中には入れなかったけど、花の寺として有名
もう一つ私が思い浮かぶのは、猿沢池のところでも触れた南都焼き討ちのこと
1180年12月25日、平清盛は、東大寺・興福寺の反平家勢力を一掃するため、五男平重衡を南都(奈良)に向かわせ、28日には奈良を焼き尽くしてしまう
wikiの説明によると
「平氏の軍勢は木津・奈良阪・般若坂の各防衛線を突破して南都に入り、大衆との間で激戦が展開された。しかし依然として決着はつかず、夕方に入ると平氏軍は奈良坂と般若坂を占拠したまま本陣を般若坂沿いの般若寺内に移した。『平家物語』によると、その夜、重衡が陣中にて灯りを求めたところ、配下が周囲の民家に火を放った。それが折からの強風に煽られて大火災を招いたとする」
重衡はこの般若寺に本陣を置き、この般若坂のあたりから火災が発生したらしい
折からの強風で火が奈良の町、興福寺、東大寺を焼き尽くした
ここまで徹底して焼き尽くすのが重衡の意図だったのか、それとも本意ではなく、おりからの強風で悲劇が拡大してしまったのか‥今となっては本人に聞いてみないとわからない
ちなみに重衡は風雅なイケメンで人気者だった、最後には木津川で打ち首になるがその死を悼む人は少なくなかったという般若寺楼門 名所・史跡
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般若寺から少し北、道沿いには鹿せんべい製造のお店 武田商店
鹿せんべいの原材料は、米ぬかと小麦粉
砂糖などの調味料や添加物は入っていないとのこと、ヘルシー
ここでUターンして奈良の街中へ戻った -
ならまちを通って最後に元興寺に着いた
南都七大寺の一つ
もともとは日本最古のお寺飛鳥寺が、平城遷都の際ここに移り、元興寺となった
とても由緒ある寺
飛鳥寺に使われていた建築材も運ばれ再利用され、瓦もそのまま使われている
この後自転車を奈良駅に返し、1日の奈良世界遺産巡りは終わり
とても充実した一日だった元興寺 寺・神社・教会
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さて、奈良平城京の東に東大寺があれば、西には西大寺(さいだいじ)がある
実際、近鉄西大寺駅があり、その駅前に建っている西大寺
765年建立、南都七大寺の一つに数えられ、110もの堂が立ち並ぶほど栄えた
現存のものは、焼失したのちに江戸時代に再建されたもの
東大寺に比べればずいぶん縮小されたようだ西大寺 寺・神社・教会
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とても静か、東大寺のような賑わいはなく、ひっそりとしていた
前日には飛鳥時代の中心舞台になった明日香もサイクリングで回ってきた
明日香もサイクリングでまわるのにぴったり、それは次回に
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