元興寺
寺・神社・教会
3.85
元興寺 クチコミ・アクセス・周辺情報
奈良市 観光 満足度ランキング 17位
飛鳥寺を創建とする大寺元興寺僧房の一つを改築したもので、智光曼荼羅・五重小塔など、寺宝が多い。かつては南都七大寺の一つといわれた。現在は極楽坊境内、東大塔(五重塔)跡や西小塔院跡が国の史跡として指定されている。世界遺産「古都奈良の文化財」の8資産群のうちのひとつ。 【料金】 大人: 500円 ・秋季特別展期間中は大人のみ600円 ・20名以上団体料金400円/1人(秋季特別展期間中540円) 高校生: 300円 中学生: 300円 小学生: 100円
ピックアップ クチコミ
クチコミ・評判
3.85
(156件のクチコミ)- アクセス:
- 3.64
- 近鉄「奈良駅」2番出口から徒歩約13分950mですが、途中ならまちの素敵なお店が一杯あります。是非、歩いてみてください。 by Lily-junjunさん
- 人混みの少なさ:
- 3.75
- 他の世界遺産のお寺に比べると空いていました。拝観した時間が少し遅かったせいもあるかもしれません。 by Lily-junjunさん
- バリアフリー:
- 3.04
- 対応しています by mappy23377803さん
- 見ごたえ:
- 3.90
- お寺自体は小さいものでした、寺宝である仏像などは沢山ありました。 by Lily-junjunさん
1~20件(全156件中)
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世界遺産・古都奈良の文化財~元興寺
- 3.5
- 旅行時期:2025/07(約5ヶ月前)
- 1
妹と甥っ子のともちゃんと奈良を周りました。古都奈良の文化財は、日本の奈良県奈良市内にある8件の地域遺産(神社仏閣6〈神社1... 続きを読む、仏閣5〉、史跡・名勝1、天然記念物1)で構成されるユネスコ世界遺産(文化遺産)ですが、まず元興寺に参拝。かつては、南都七大寺の一つとして現在「ならまち」と呼ばれる界隈の大半を含む広大な寺院だったが、現在は、僧坊遺構の極楽堂と禅室を残すのみとなっています。「元興寺」は飛鳥時代に蘇我馬子が、甥にあたる崇峻天皇が即位したのを機会に創建された「法興寺(飛鳥寺)」を前身に持っています。この「法興寺」が平城遷都に伴い718年に奈良の地に移され、寺名が「元興寺」と改められたのが始まりです。境内にはたくさんの桔梗が咲いていました。
閉じる投稿日:2025/09/07
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東大寺や興福寺に比べて、衰退しているのが、そう、それが歴史です。
- 3.5
- 旅行時期:2025/03(約9ヶ月前)
- 0
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世界文化遺産構成資産の一つ
- 3.5
- 旅行時期:2024/08(約1年前)
- 0
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元興寺は1300年の歴史がある由緒ある寺院で、国宝や重要文化寺など多数の寺宝があります。
- 4.0
- 旅行時期:2023/11(約2年前)
- 0
最初に、「元興寺」の歴史と概要を紐解いてみると、「元興寺」は「蘇我馬子」が建立したといわれる日本最古の寺院で、甥にあたる「... 続きを読む崇峻天皇」が即位した際に創建された日本最初の本格的伽藍である「法興寺」(飛鳥寺)がその前身です。この「法興寺」が平城京の遷都に伴い養老2年(718年)に現在の地に移され、「元興寺」と改められました。奈良時代の「元興寺」は、「東大寺」、「興福寺」と並んで隆盛を誇り、「南都七大寺」の一つとして現在「ならまち」と呼ばれる界隈の大半を含む広大な寺院でした。しかし、平安時代以降は衰退・縮小が進み、現在は、僧坊遺構の国宝である「極楽堂」と「禅室」を残すのみとなっています。「極楽堂」と「禅室」には建立以前の柱や瓦が今もなお一部に使われています。「禅室」は天平時代の僧坊の形をとどめる貴重な遺構です。「法輪館」には「五重小塔」(国宝)や「聖徳太子立像」(重要文化財)等を安置しています。また、石塔、石佛群である「浮図田」は、昭和63年(1988年)に整備され、「興福寺大乗院門跡墓所」に関連して祀られた、中世から江戸時代にかかる供養石造物1500基が保存されています。毎年 8月23日、24日には「地蔵会万灯供養」として灯明皿による総供養がなされます。
「元興寺」への入口は、「ならまちとおり」沿いにあります。白い塀と大きな「元興寺」の看板が目印です。入口を入るとすぐ右手に「世界遺産の碑」が、正面には「東門」、その左手に「拝観受付」がありますので、ここで拝観料を支払います。
《「元興寺」のお薦め拝観順路》
①「東門」⇒②「元興寺極楽堂(本堂)」⇒③「元興寺禅室」⇒④「旧講堂礎石」⇒⑤「法輪館」⇒
⑥「「浮図田」」⇒⑦「獅子国型仏足石」⇒⑧「泰楽軒」⇒⑨「小子坊」⇒⑩「影向桜」⇒⑪「かえる石」⇒
⑫「万葉歌碑」
《東門》
「元興寺」の参拝は、山門である「東門」から入ります。重要文化財に指定されている「東門」は、「元興寺極楽坊」の正門として、鎌倉時代に建立された「東大寺西南院四脚門」を移設したものです。「東門」の建築様式は、伝統的な「四脚門」と呼ばれる6本の柱から成り立ち、切妻造の本瓦葺が使われています。
《元興寺極楽堂(本堂)》
「東門」の正面には、国宝である「元興寺極楽堂」(極楽坊本堂・曼荼羅堂)があります。「元興寺極楽堂」は、奈良時代までは僧侶の住居である「僧房」でした。鎌倉時代に入ると、「僧坊」の3房(室)分を4方向に屋根を持つ寄棟造、本瓦葺六間四面の聖堂に改造が行われました。また、一般的な寺院と違うのは、約1,400年前の飛鳥時代から現在まで引き継がれている極楽浄土を描いた「智光曼荼羅」が御本尊がとなっていることです。「元興寺極楽堂」は、南都における浄土教発祥の聖地として、昔から有名な堂宇です。
《元興寺禅室》
次は、「元興寺極楽堂」の裏手、西側に位置する細長い建物が国宝の「元興寺禅室」(極楽坊禅室・春日影向堂)です。「元興寺禅室」は、「僧坊」の4房(室)分を寄棟造、本瓦葺六間四面の聖堂に改造したものです。「元興寺禅室」は、中世には、経典を納めていた「影向間」だったので「春日影向堂」とも呼ばれていました。近世には、「客殿」、近代には「学校舎」にも使われてきました。南西1間は「影向間」・「須弥壇」・「宮殿厨子」、北西1間は中世「僧房」として使われています。「元興寺本堂」と同様に屋根の一部に飛鳥時代の瓦が使用されています。ちなみに、「極楽堂」の西南隅、「禅室」の南東隅の屋根瓦は、一般の本瓦と違い古代の軒平瓦である「古式瓦」が残っています。文字通り、日本最古の屋根瓦が今もなお使われているが使われている訳です。「浮図田」の一番奥の付近から見るとよく分かるので、そこでその瓦の色にも注目してください。
《旧講堂礎石》
次は、「法輪館」の入口手前にある3基の礎石「旧講堂礎石」です。この「礎石」は、平成10年(1998年)に奈良市教育委員会が中新屋町で発掘調査を行った際に発見したものだそうです。「礎石」は、柱を据えて建物を支持するための石材で、「講堂」に使用されていたものと考えられています。いずれの「礎石」も上面に直径80 cm~90cmほどの「柱座」と呼ぶ造り出し(突出部)を持ちます。「柱座」は、柱を据える都合上、当然柱径より大きくなります。それから考えると、礎石の上には柱座と同規模の太さ80~90cmもの柱が立てられていたと想定でき、目をつぶりその光景を想像してみると「講堂」がいかに立派なものであったかを分かりますね。
《法輪館》(第一収蔵庫・第二収蔵庫)
次は、「旧講堂礎石」のすぐ先の左手にある「法輪館」です。「法輪館」は、「第一収蔵庫」と「第二収蔵庫」からなります。「法輪館」の主な展示は「第一収蔵庫」に、国宝の「五重小塔」、重要文化財の「木造阿弥陀如来坐像」、重要文化財の「木造聖徳太子立像」(十六才孝養像)、重要文化財である「木造弘法大師坐像」、極楽浄土を描いた重要文化財の「智光曼荼羅」(板絵)、奈良県指定文化財の「木造南無佛太子像」(聖徳太子二才像)などがあります。「第二収蔵庫」には、鎌倉・室町時代の重要有形民俗文化財に指定されている「元興寺庶民信仰資料」が収蔵されています。この中でも特に印象に残ったのは、国宝の「五重小塔」です。「五重小塔」は、「光明皇后」の発願により建立された「元興寺西小塔堂」に安置されていました。残念ながら中に入れるサイズではありませんが、手作業によって繊細かつ忠実に表現された彫刻や色彩が美しく、内部まで実際の建築物のように造られていました。そして、現存する奈良時代盛期の五重塔としては唯一のものとして有名です。「極楽堂」の床を落として収蔵していたといわれています。それと重要文化財の「木造聖徳太子立像」(十六才孝養像) は、「聖徳太子」が16歳の時に、父「用明天皇」の病気平癒を祈る姿も献身的な感じがあり印象に残りました。
《「浮図田」と「獅子国型仏足石」》
「法輪館」を出ると正面に「浮図田」と「獅子国型仏足石」があります。
「浮図田」は、境内の南側に並べてある石塔、石佛群のことで、その壮観なさまは否が応でも目に入ってきます。
「浮図田」は、昭和63年(1988年)に整備され、「興福寺大乗院門跡墓所」に関連して祀られた中世から江戸時代にかかる供養石造物1500基が保存されています。そして、もっとも目に付くのは5つの部品を組み合わせて造る「五輪塔」です。実際に私もこのようにたくさん並べられた「五輪塔」を見るのは初めてでした。「五輪塔」は密教の教義をもとに造りだされた塔で、地・水・火・風・空という宇宙を構成する五大要素を体現し、「大日如来」と「阿弥陀如来」を塔の形で表したものだそうです。毎年 8月23日、24日には「地蔵会万灯供養」として灯明皿による総供養がなされます。ちなみに「浮図」とは仏陀のことであり、「浮図田」とは、文字通り仏像、仏塔が稲田のごとく並ぶ場所という意味です。
「浮図田」の正面には、75㎝四方、厚さが15cmの「庵治石」に刻まれた「佛足石」が据えられています。「庵治石」は、香川県高松市東部の庵治町・牟礼町でのみ産出される高級石材です。「佛足石」は、古代インド仏教圏で仏像がない時代の仏陀そのものを象徴するものでした。「佛足石」、生きた釈迦の両足尊として信仰されたそうです。本来、信者は足跡を両手で仰ぎ、頭を付け礼拝したといいます。手を触れるだけでも有難い功徳があると信じられてきたそうです。その他、「浮図田」の付近には、「家形石棺型手水鉢」、「極楽坊保育園発祥の碑」、「影向桜」などもありました。
《「泰楽軒」と「小子坊」》
次に、「家形石棺型手水鉢」の手前を左に曲がると茶室の「泰楽軒」があります。「泰楽軒」四畳半の「茶室」と三畳の「水屋」からなっています。「泰楽軒」は、指物師の「川崎幽玄」によって平成6年(1994年)に建築されたものです。ちなみに、「指物師」とは釘などを使わずに木や板の組み合わせで建物を造る職人のことです。庭には梅・菊・蘭・竹が植えられ、茶道の世界で愛好されている「鞍馬石」など複数の石が配置されているため、見応えがあります。通常は非公開となっており見学には予約が必要になります。残念ながら予約していなかったので見ることができませんでした。
その先の右手奥には、県指定文化財の「小子坊」(極楽院旧庫裡)もあります。「小子房」は、もと「禅室」の北側にあった、東室南階「小子房」の一部を改築して、「北厨房」あるいは台所と呼ばれていました。寛永3年(1663年)に「極楽院庫裏」として改築されましたが、昭和24年(1949年)に「本堂」の南側に移転増築して「極楽院保育所」建物とし、さらに昭和35年(1960年)に現位置に移動して復旧されました。ともすると見逃してしまいそうな場所にありますので注意してください。私もたまたまトイレを借りるために、行ったところにこの二つの建築物を発見しました。
《元興寺影向桜》
「浮図田」から「禅室」の方に向かうと、「元興寺」の隠れた桜の名所である「影向桜」があります。残念ながら今の時期には見ることができませんが、「影向桜」の品種は、「染井吉野」です。「影向桜」は例年4月上旬頃に見ごろを迎え、「影向桜」と「禅室」と「浮図田」などの光景が一層美しく見えるといわれています。また、「元興寺」には「八重桜」も植えられ、例年4月中旬頃に見ごろを迎えます。なお元興寺には「源平しだれ桃」も植えられ、桜と梅の共演を見ることもできるそうです。ちなみに、「染井吉野」は、2月1日以降の日々の最高気温の合計が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるそうです。
《かえる石》
「禅室」の裏手を回り「北門」を過ぎたあたりに「かえる石」と「丘本風彦句碑」が並んであります。この「元興寺」の境内北側にあるガマガエルのような石は、古くから有名な奇石で「かえる石」と呼ばれています。この「かえる石」は、もと河内の川縁にあった殺生石を、「豊臣秀吉」が気に入り、大坂城内に移したものだといわれています。また、大阪城落城の際に、亡くなった淀君の遺骸をこの蛙石の下に埋めたとされ、そのために淀君の怨念がこの石に籠もったともいわれています。そして、昭和33年(1958年)に「元興寺」に安置され、「福かえる」や「無事かえる」の語呂合わせで、「元興寺」の縁起物となったそうです。
《万葉歌碑》
「かえる石」をさらに進むと突き当りに塀があります。そこに「杉本健吉」の書による「万葉歌碑」があります。白いペンキで見やすいようになっている「万葉歌碑」には、「白珠は人に知らえず知らずともよし知らずとも吾れし知れらば知らずともよ志」と刻まれています。この歌は天平10年(738年)に詠まれたものです。この歌の訳は、「白玉はその真価を人に知られない。しかし、知らなくてもよい。人知らずとも、自分さえ価値を知っていたら、知らなくてもよい。」ということだそうです。
急ぎ足になりましたが、これで世界文化遺産に指定されている「東大寺」、「春日大社」、「唐招提寺」、「薬師寺」、「興福寺」そして「元興寺」の参拝を無事に全て済ませました。この6寺を巡って感じたのは、やはり、京都のお寺と比べ、寺社数はそんなにありませんが、その規模の大きさと一つ一つのお寺が所有する文化財の数の多さには驚かされました。とても一泊二日では、自分自身が納得のゆくまで見学することはできませんでした。中学生以来の奈良旅行で、その良さを改めて発見しました。これから帰途につきますが、京都駅までの途中に「平等院鳳凰堂」があるので、ちょっと立ち寄ってみたいと思います。
01_【「元興寺」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒630-8392 奈良市中院町11 電話:0742-23-1377
⑵ 拝観時間…9:00~17:00(入館締切16:30)
⑶ 拝観料…大人・大学生500円、高校生・中学生300円、小学生100円
※ 秋季特別展期間は大人・大学生の拝観料が変更になります。大人・大学生600円
02_【「元興寺」へのアクセス】
⑴ 電車を利用して
① JR「奈良駅」西口から徒歩約20分1400m
② 近鉄「奈良駅」2番出口から徒歩約13分950m
⑵ バスを利用して
① JR「奈良駅」から
[JR奈良駅)] ⇒[奈良県総合医療センター行]≪奈良交通:50・65他系統≫
・バス乗り場:「JR奈良駅(東口)」(1番のりば)
・「JR奈良駅」から5停留所目(「奈良ホテル」の次の停留所) 所要時間約8分
・9時から15時の間に1時間平均2~3便
・「福智院町」停留所で下車して「元興寺」入口まで徒歩5分400m
② 近鉄「奈良駅」から
[JR奈良駅)] ⇒[市内循環]≪奈良交通:[2]市内循環外回り≫
・バス乗り場:「近鉄奈良駅(5番出口)」(1番のりば:セブンレブン前)
・10停留所目(「紀寺町」の次の停留所) 所要時間約15分
・9時から17時の間に1時間平均4便
・「田中町」停留所で下車し「元興寺」入口まで徒歩7分500m
閉じる投稿日:2023/12/09
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元は飛鳥の日本最古の仏教寺院が前進
- 4.0
- 旅行時期:2023/11(約2年前)
- 0
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7月の元興寺はききょうが綺麗です!!
- 4.0
- 旅行時期:2023/07(約2年前)
- 10
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木造五重塔
- 3.0
- 旅行時期:2023/06(約3年前)
- 3
-
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古都奈良の世界遺産「元興寺」を訪れました!!
- 5.0
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 5
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大伽藍が並んだかつての元興寺境内の広さは、現在のならまちとほぼ一致する:元興寺
- 3.5
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
- 0
-
世界遺産!
- 3.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 0
-
古都奈良の文化財の一つとして 世界文化遺産に登録
- 3.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 0
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ならまちへ行ったなら立ち寄りたい!
- 4.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 10
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(元興寺)木造五重小塔と僧坊が国宝となっています。
- 4.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 0
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元興寺の子院が名乗っています。
- 3.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 0
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「元興寺」は東大寺などとならんで世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産です
- 4.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 0
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地元で愛されるお寺
- 3.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 0
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ならまちの入口に建つ世界文化遺産のお寺
- 4.0
- 旅行時期:2022/09(約3年前)
- 0
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街中に埋もれるかつての大寺院
- 3.0
- 旅行時期:2022/09(約3年前)
- 3
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日本最古の寺
- 4.0
- 旅行時期:2022/09(約3年前)
- 4
-
世界遺産!
- 4.0
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
- 0
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