2017/08/16 - 2017/08/26
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eimeiさん
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2011年3月11日に起きた東日本大震災からすでに6年以上の歳月が流れ、人々(私も含む)の記憶から薄れ、歴史の一コマになりつつあります。しかし、原発事故の後処理は、まだ始まったばかりで、原発内部の把握さえできていないのが現状です。また、復興特別税(所得税の2.1%)もあと20年払うことになっています。
2012年の秋に被災地の一部をバスやレンタカーで回ったが、その場所を再度バイクで回るのが、今回の旅の大きな目的です。2012年の東北の旅のブログは、「じじいの東北一人旅 eimei」で検索してみてください。
休暇の関係で、実質 8月16日~8月24日の一週間程度の旅になる予定です。宿は取ってないので、キャンプ場・ライダーズハウス・スーパー銭湯・カプセルホテル等に泊まるつもりです。予算はすべて込みで35,000円程度を予定している。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 船 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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赤線は地道をバイク、青点線がフェリー。
天気予報では、この先一週間、天気が良くないので、地道を走って、一週間で名古屋から苫小牧まで行けるか自信がない。いざというときも、高速を使えない。
太平洋フェリーは、早期予約すれば、8月下旬から運賃が半額になるので、1カ月前にネットで予約した。最悪、仙台からフェリーに乗ることも考えている。 -
8月15日(火)の午後、荷造りは、慣れているので、オイル交換を含め、3時間ほどでこんなパッケージングをした。前かごがあるので、サイドバックは必要ない。こんな110ccのスーパーカブでも、道南程度は楽勝でしょう?
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8月16日(水)は早朝に出発する予定でいたが、朝から本格的な雨。一旦、雨が止んだ10時頃、自宅を出発し、国道19号線を走り、長野をめざしたが、雨が止まない上、暗くなってきたので、松本の美鈴湖オ-トキャンプ場で泊まった。1泊1,200円で、施設はまずまずだが、小雨の中のテントの設営には参った。
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8月17日(木)も朝から小雨。長野県から新潟県へ入る頃から、天気も良くなり、魚沼のコシヒカリの田も美しい。
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長野県から福島県へ入り、会津をめざした。山間部にはスノーシェルターが沢山あり、冬の雪深さを連想させる。だんだん雲行きが怪しくなってきた。
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カッパを着て、福島県の山間部を走っていたら、土砂降りになり、暗くなってきた。カッパ程度では何ともならないので、スプ濡れになりながら走っていたら、奥会津の金山の道の駅(店は閉まり無人)があったので、屋根のある場所へ滑り込んだ。結局、暗くなっても雨が止まなかったので、無断でテントを張らせてもらい、一泊。
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8月18日(金)も朝から小雨で、旅をする気力も減退気味。
道の駅からの風景。 -
仕方ないので、雨天仕様で、道の駅を出発。靴の中には水が溜り、足がふやけそう。
せっかく会津を通るので、鶴ヶ城に寄ってみた。入口にバイクを止め、記念撮影。 -
別の場所からの鶴ヶ城。時間がなかったので入場せず。
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猪苗代湖の横も通ったので、休憩がてらワンショット。
それにしても、雨が降ったり止んだりの天気にうんざり。 -
磐梯山も見えたので、パチリ。
その後、郡山で昼食後、スーパー銭湯へ入り、一服。 -
天気が回復してきたので、南相馬へ向け、郡山を出発。
途中、飯館村の手前で、仮設校舎の小学校があったので、写真を撮っていたら、教頭先生が出てみえて、立ち話をした。飯館小学校の仮設校舎で、もう6年以上になるが、来年の4月から飯館村で現在建設中の新校舎へ移る予定とのこと。
また、飯館村に新しい道の駅ができたので寄ってほしいと言われた。 -
飯館村の道の駅は8月12日にオープンしたばかり。
バイクを入れワンショット。 -
道の駅の近くにも、除染土が山積みになっている場所がいくつもあった。
当然、その近辺では、作物は作られていない。 -
飯館村と浪江町、川俣町山木屋地区に出されていた避難指示は、2017年3月31日に避難指示が解除された。
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放射線測定器も何カ所か設置してある。
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飯館村の6年以上放置してある商店。空き家も半数程度あり、人影がまばら。野外で子供を一人も見かけなかった。
復興庁などが実施した調査で「避難指示解除後に戻りたい」と答えたのは、飯舘村は33.5%だった。 -
新築の家が並ぶ一区画もあった。
そうこうしている間に、日が暮れてしまったので、飯館村の下水処理場の縁にテントを張り、野宿で一泊。 -
8月19日(土)も朝から小雨の中、4年半前訪れた南相馬の小高地区へ向かった。
道路脇には、相変わらず除染土が山積みになっている。 -
南相馬市内の小高地区は、2016年7月12日に避難指示が解除された。
最初に、常磐線の小高駅へ行った。今は電車も通っており、浪江駅まで運転されているが、全線開通には至っていない。
ただ、人影はまばら。トイレは新設され、キレイであった。 -
四年半前の小高駅。全くの無人で、線路が錆び、草も生えていた。
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現在の小高のメインストリート。
空き家が解体され、建物と建物の間に、歯が抜けたような空き地が目立つ。 -
小高のメインストリートにある菓子工房。
垂れ幕のみで営業していない。 -
四年半前の小高の菓子工房に掲げてあった伝言。
平成29年6月末現在の小高区の帰還者2008人、居住率22.5%では、商売は難しい。
ただ、コンビニだけは2軒営業している。 -
現在の南相馬市立小高小学校。夏休み中で児童はいないが、平成29年4月から仮設校舎から戻って、教育活動をしている。
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四年半前の小高小学校。
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現在の南相馬市立小高中学校。
平成29年4月から仮設校舎から戻って、教育活動をしている。
四年半前に「玄関前にはタイムカプセルが埋め込んであるが、2033年にカプセルを開ける中学生がこの中学校にいることを祈ります。」とブログに書いたが、取り越し苦労であったようだ。 -
現在の小高商業高等学校。
平成29年4月に、小高商業高等学校から小高産業技術高等学校へ変えて、再スタートしている。 -
四年半前の小高商業高等学校。
近くにある福島県立小高工業高等学校(校舎建設中で、仮校舎のため写真略)の全校生徒数が現在328名なので、同程度の生徒数と思われる。多分、震災前の半分程度の生徒数だろう。 -
小高工業高等学校近くの空き家。6年の歳月が、新築の家をこのようにしてしまう。
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小高地区より原発に近い南相馬市立福浦小学校にも寄ってみたが、四年半前と同じ状態で、閉校されたまま。作業員の作業および宿泊場所になっている。
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四年半前の福浦小学校。当時は全国から応援に来ている警察官の宿泊施設になっていた。
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福浦小学校近くには、除染土が山のように積まれている一画がある。ものすごい量なので、今後どうすればよいのだろうか?
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海の方にも行ってみたが、海側は津波の被害も甚大であったので、大規模な防波堤をつくっていた。
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四年半前の海沿いの写真。津波で防波堤が決壊し、ほとんど残っていない。
上の現在の写真は、この場所からの海沿いをアップした写真。 -
2017年3月31日に避難指示が解除された浪江町にも行ってみた。今はバリケードがなく問題なく行くことができた。
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四年半前の同じ場所の写真。バリケードがあり、小高地区から浪江町へ行けなかった。
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浪江町へバイクで入ってみた。
小高地区に近い浪江町立幾世橋小学校は閉鎖されたままで、全く人気がない。 -
浪江町の道路を走っていても人の気配がしない。たまに車とすれちがったり、年配の人を見かける程度。
新しい家も放置されたまま。半数以上の家が空き家状態。 -
予定の時間を過ぎたので、浪江町から仙台へ向け6号線を走り始めたが、トイレ休憩のために、南相馬の道の駅に寄った。
そこに展示してあった「震災伝承コーナー」。 -
「震災伝承コーナー」には、破壊された現物も展示してあった。
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更に、6号線を少し走ったところにあった仮設住宅。ほとんどが空き家だが、まだ2~3割程度住んでみえる。
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小雨の中、仙台市内を抜けるのに1時間以上かかった。
石巻市内の45号線を走っていたら、噂に聞いていた朝7時開店のパチンコ店があった。 -
更にもう少し走ったら、もう1軒あった。
噂では、震災補償金をもらい無職の人が相当数いるらしい? -
南三陸町の45号線沿いの高台にあった「さんさん商店街」。
土曜日なので観光客も来ていた。 -
さんさん商店街の裏手に南三陸町の被災地を見渡せる場所が設定してある。
現在はかさ上げ工事中。 -
さんさん商店街には、このような写真館のポスターが何枚も貼られていた。
天気も悪く、先を急ぐので写真館には入らなかった。 -
更に、45号線をもう少し走ったところにあった「南三陸 ハマーレ歌津」。
こちらも土曜日なので、催し物もあり、まずまずの人出。 -
気仙沼へ向かって走っていたら、小雨が土砂降りになり、道の駅で雨宿り。
その道の駅にあった祈祷場所。 -
45号線沿いの小さな町の被災場所。家の土台しか残っていない。
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気仙沼に入ったところにある気仙中学校跡。被災したまま残してある。
現在、気仙中学校は高台へ移転している。
小雨の中、気仙沼に着いたら日が暮れていたので、「気仙沼ほっこり湯」で1泊することにした。入場料+深夜料金で3,600円もした。 -
8月20日(日)も小雨の中出発した。相変わらず45号線を走り、陸前高田を目指したが、かさ上げ工事で昔の面影は全くない。
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更に、45号線を走り、大船渡の街が見渡せる高台へ向かった。
高台の下へバイクを置き、歩いて石段を登った。年のせいか、一気に登れないのが、情けない。
まだ再建途上という感じがする。 -
四年半前の同じ場所から見た大船渡の街。
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大船渡線の線路がバスレーンに変わっていた。
昔の大船渡駅の場所がバスの停留所となり、駅前にはロータリーも整備されているが、人影がほとんどない。 -
四年半前の大船渡駅の跡。
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大船渡の中心街に、新しい商店街も作られているが、人口減で人影もまばら。
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現在の大船渡の田村スポーツ店。
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四年半前の津波で被災した大船渡の田村スポーツ店。
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大船渡から45号線を少し走ったところにある「平田仮設住宅」。ここも大部分は空き家だが、2~3割程度住んでみえる。
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45号線を更に走っていたら、漁港の裏手に長い防波堤が立ててあった。
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45号線を走っていると、海側は防波堤工事、内陸部は嵩上げ工事や復興道路工事で、工事ばかりが目に入る。
当然、働く人の宿泊施設も必要で、このようなプレハブ住宅もよく目にする。 -
宮古へ入る手前の海沿いに残してある(?)被災した建物。
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宮古の海岸沿いに作られた高さ10m以上の大防波堤。上に登って写真を撮ってみた。
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天気も良くなってきた。45号線を気分よく走っていると、三陸海岸の風景が美しい。
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再び天気が崩れ、小雨の中を走っていると、またもや長い防波堤。
三陸海岸の砂浜はほとんどなくなってしまった。 -
予定通り、岩手県久慈にある北侍浜野営場(無料?)に暗くなる前に辿り着くことができた。波の音を聞きながら、爆睡。
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8月21日(月)、旅に出てから初めての晴れ。今日からは完全に観光ツーリングなので、十和田湖に寄り道をして、下北半島の大間まで行くつもりでキャンプ場を気分よく出発。
まずは、十和田湖の乙女の像。観光客でいっぱい。 -
十和田湖の小島。天気が良いので、観光気分になれる。《アート撮影》
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外国人観光客が来るほど有名でないので、十和田湖も観光客の減少に悩まされている。
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次に十和田湖の展望台へ向かったが、このような十和田湖畔の道をバイクで走るのは気分が良い。
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展望台より十和田湖を望む。
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次に下北半島方向へ向かったが、十和田湖の別の場所でバイクを入れパチリ。
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奥入瀬渓流の横を通ったので、バイクを止め、パチリ。
多くの人が渓流歩きを楽しんでいた。 -
小雨の中、下北半島の大間近くの海岸でバイクを入れ、記念撮影。
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大間に着き、温泉に行ったら、こんなチャリダーがいた。
神戸を出発し、本州一周をしている最中とのこと。 -
次に、大間のフェリー乗り場へ行き、明日の朝7時発の函館行きのフェリーの予約をした。
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日が暮れかけていたので、大間のキャンプサイト(無料)にテントを張った。
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8月22日(火)早朝に起き、小雨の中、テントを畳んで、フェリー乗り場へ行った。搭乗券を3,800円(バイク込み)で買い、フェリーに乗った。
1時間半ほどで函館へ着き、下船してパチリ。
小雨が降っていたが、小樽へ向け、走り出した。 -
函館港から少し走ったら、本降りとなり、レイン仕様にしたが、靴の中までビショビショ。途中、何人ものチャリダーに出会ったが、私以上に苦戦していた。
ほとんど走りっぱなしで、小樽近くになったら雨も止み、予定していた「ライダーハウス渡り鳥哲也」に辿り着けた。予約せずに行ったので、オーナーに「ライダーハウスは事前に電話を入れるものだ!」と叱られた。1泊1,500円。 -
ライダーハウスの室内は、こんな感じで、寝袋で雑魚寝。私以外に4人の若者が宿泊した。
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8月23日(水)は朝から晴。札幌の宿泊場所は予約してあるので、小樽観光。
小樽と言ったら、運河と倉庫なので、記念撮影。《アート撮影》 -
午前11時頃、札幌に着いてしまった。チェックインには早すぎるので、バイクを歩道に止め、札幌観光。
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宿は昨日予約しておいた「カプセルイン札幌」で、1泊3,100円。すすきのの交差点近くにあり、立地条件は最高の上、サービスもよいので、一人で札幌へ来たときは、ここに泊まることにしている。ただし、男性専用。
バイクは歩道の邪魔にならないところに留めた。 -
8月24日(木)朝から小雨が降っていたので、宿でネットしたり、無料の朝食をとったりした。10時前にチェックアウトし、苫小牧へ向けて走り出したが、またもや雨。最後まで雨にたたられた。
昼過ぎに苫小牧イオンに到着したら、ヤマハのスクターに乗った若者も来たので、挨拶したら、韓国の若者であった。英語で話したら、プサンから下関へフェリーで渡り、2ヵ月かけ、日本を一周する予定で、すでに1カ月経ったそうだ。
イオンで昼食をとり、午後4時まで、ブログを書いたり、読書して、イオンで時間を潰した。 -
苫小牧イオンから苫小牧港へ移動するときまで雨。
太平洋フェリーの名古屋までの予約がしてあるので、すぐチケットを発行してもらえた。
8月下旬から乗船券が半額になるが、14,000円(バイク込み)もする。ジェットスターの往復航空券の方が安い。
予定通り、フェリーは19時に苫小牧港を出港した。
海を見ながら、吉田拓郎 の「落陽」を口ずさんでいた。 -
フェリーの部屋は二等和室なので、大部屋で雑魚寝状態の中、船内泊。
大部屋は自分の場所が狭いし、飲食禁止なので、ほとんどラウンジで読書をして過ごした。 -
今回の旅で読んでいた本は、弥勒世(馳 星周)の下巻。返還前の沖縄を舞台にした長編小説です。ブックオフで一冊100円で買った文庫本です。
今回、札幌のブックオフにも寄り、100円文庫本を3冊仕入れた。 -
8月25日(金)午前10時頃、仙台港に着いたので、2時間ばかり上陸して、イオンへ歩いて行ってきた。今頃天気が良くなってきたので、暑くて汗びっしょり。
上陸した場所から見たフェリー。 -
今回の旅は、スマホの無料アプリ「Y!カーナビ」を使ってみたが、問題なく使えた。これだけ使えれば、専用のカーナビなど必要ない。電源はバッテリーから配線した。
ケースに入りきらなかったので輪ゴムで押さえ、更に、雨天時はスーパーにある薄いビニール袋をかぶせて走っていた。 -
8月26日(土) 午前10時頃名古屋港着に着き、昼前に無事帰宅。
実質8日間のバイクの旅であったが、被災地の現状と雨に降られた記憶しか残っていない。
全走行距離は2000km弱で、フェリー代を含む総費用は40,000円強であった。
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この旅行記へのコメント (2)
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- まむーとさん 2017/12/25 21:16:24
- 悲しい写真だけど、みんなが見るべきな写真の数々。
- eimeiさん、はじめまして。
言葉を失う程の写真で考えさせられました。
同じ日本に暮らしながらこのような理不尽な事が起こり強いられている現実。
新築のお宅や長く住み慣れた家を離れないといけない苦痛は想像に絶します。
私が出来る事は長く募金をすること、税金が有効に使われる事を祈るばかりです。
記録と発信をありがとうございました。
- eimeiさん からの返信 2017/12/26 14:05:36
- Re: 悲しい写真だけど、みんなが見るべきな写真の数々。
- そこまで言われると、恐縮してしまいます。少しでも記録に残すことができればという、もっと軽い気持ちでアップしています。
しかし、避難先や移住先で、子供がいじめにあっているニュースを聞くたびに、やるせなさを感じます。
また、4~5年後に同じ場所を回りたいと思っていますが、70歳を超えるので、バイクで行けるか不安です。
名古屋の自宅よりeimei
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