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夏に、「平泉~象潟」間の「おくのほそ道」を旅してきました。皆様の旅の参考になれば幸いです。

おくのほそ道一人旅~4日目(象潟)~

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2022/08/20 - 2022/08/23

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あるさん

夏に、「平泉~象潟」間の「おくのほそ道」を旅してきました。皆様の旅の参考になれば幸いです。

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  •  平泉から始まった、おくのほそ道を巡る旅も、本日で最終日です。今日は鶴岡から象潟に向かい、ほぼ終電で東京に帰着するという弾丸旅行に相応しい旅程です笑<br /><br /> 絶景の温泉で気合を入れなおし、旅のスタートです!

     平泉から始まった、おくのほそ道を巡る旅も、本日で最終日です。今日は鶴岡から象潟に向かい、ほぼ終電で東京に帰着するという弾丸旅行に相応しい旅程です笑

     絶景の温泉で気合を入れなおし、旅のスタートです!

  •  ホテルから鶴岡駅へはタクシー移動にし、途中の善寶寺(ぜんぽうじ)に立ち寄りました。こちら龍神信仰のお寺で珍しいということで興味を持ちまして、訪ねました。<br /><br /> 日本海に面したこの辺りは、海(水)が生活と深く関わっており、こうした龍神の信仰が発展していったのでしょう。

     ホテルから鶴岡駅へはタクシー移動にし、途中の善寶寺(ぜんぽうじ)に立ち寄りました。こちら龍神信仰のお寺で珍しいということで興味を持ちまして、訪ねました。

     日本海に面したこの辺りは、海(水)が生活と深く関わっており、こうした龍神の信仰が発展していったのでしょう。

  •  境内はなかなかに広かったです。写真は龍王殿で、こちらが二龍神を祀っているところです。説明書きによると、屋根は海の波「うねり」を型どり、軒組には波や鯉、鯱といった彫り物がされているそうです。<br /><br /> やはり普通のお寺とは一線を画していますね。もちろん芭蕉はここを訪ねてはいませんが、海運・水運に支えられた鶴岡と酒田の風土の一端を見れたような気がしました。

     境内はなかなかに広かったです。写真は龍王殿で、こちらが二龍神を祀っているところです。説明書きによると、屋根は海の波「うねり」を型どり、軒組には波や鯉、鯱といった彫り物がされているそうです。

     やはり普通のお寺とは一線を画していますね。もちろん芭蕉はここを訪ねてはいませんが、海運・水運に支えられた鶴岡と酒田の風土の一端を見れたような気がしました。

  •  善寶寺を後にして鶴岡駅に向かう道中、タクシー運転手に「いいお土産ないですかねー」と相談したところ、それならばと運転手さんが農産物直売所「しゃきっと」に立ち寄ってくれました。(雨が降り写真汚く、すいません)<br /><br /> 9時オープンの5分前でしたが長蛇の列があり、皆さん「だだちゃ豆」を買うための列だそうです。店内には山のようにだだちゃ豆の袋が積んでありましたが、地元の方はそれぞれ「うちは〇〇産」、というお好みの豆があるそうです。とりあえず言われるがまま、これ買っておけば間違いないという白山産を大量購入し、お土産としました。<br /><br /> だだちゃ豆、めちゃくちゃ美味しいです笑 今回の旅で一番の発見は、このだだちゃ豆の美味しさを知ったことかもしれません!笑 

     善寶寺を後にして鶴岡駅に向かう道中、タクシー運転手に「いいお土産ないですかねー」と相談したところ、それならばと運転手さんが農産物直売所「しゃきっと」に立ち寄ってくれました。(雨が降り写真汚く、すいません)

     9時オープンの5分前でしたが長蛇の列があり、皆さん「だだちゃ豆」を買うための列だそうです。店内には山のようにだだちゃ豆の袋が積んでありましたが、地元の方はそれぞれ「うちは〇〇産」、というお好みの豆があるそうです。とりあえず言われるがまま、これ買っておけば間違いないという白山産を大量購入し、お土産としました。

     だだちゃ豆、めちゃくちゃ美味しいです笑 今回の旅で一番の発見は、このだだちゃ豆の美味しさを知ったことかもしれません!笑 

  • 午前10時17分、特急いなほに乗って、鶴岡駅から北上します。芭蕉は6月15日朝に酒田を発、吹浦に泊。16日、17日と象潟に滞在し、18日に酒田に戻っています。<br /><br /> 酒田~象潟間はおよそ10里で、一日で歩ける距離ではありますが、往路では激しい雨にあい、途中の吹浦に宿泊し移動に2日かけています。「おくのほそ道」には「山を越え磯を傳ひいさごを踏」む道であったと書いてありますが、車窓から、まさにそういった雨中の海岸線を見ることができました。

    午前10時17分、特急いなほに乗って、鶴岡駅から北上します。芭蕉は6月15日朝に酒田を発、吹浦に泊。16日、17日と象潟に滞在し、18日に酒田に戻っています。

     酒田~象潟間はおよそ10里で、一日で歩ける距離ではありますが、往路では激しい雨にあい、途中の吹浦に宿泊し移動に2日かけています。「おくのほそ道」には「山を越え磯を傳ひいさごを踏」む道であったと書いてありますが、車窓から、まさにそういった雨中の海岸線を見ることができました。

  •  象潟駅に到着しました。写真は帰りに撮ったもので、到着時は土砂降りで撮影どころではありませんでした。芭蕉も16日の象潟到着時には「雨強く甚濡」という状態であったようです。<br /><br /> 天候も当時の状況を再現してくれるとは、頼んでもいませんが有り難い限りです。お土産のだだちゃ豆を駅のロッカーにしまい、雨と涙に濡れながら、奇跡的に1台駅前にいてくれたタクシーに乗りました。

     象潟駅に到着しました。写真は帰りに撮ったもので、到着時は土砂降りで撮影どころではありませんでした。芭蕉も16日の象潟到着時には「雨強く甚濡」という状態であったようです。

     天候も当時の状況を再現してくれるとは、頼んでもいませんが有り難い限りです。お土産のだだちゃ豆を駅のロッカーにしまい、雨と涙に濡れながら、奇跡的に1台駅前にいてくれたタクシーに乗りました。

  •  雨に濡れないところということで、まずはにかほ市象潟郷土資料館にきました(入館料150円)。<br /><br /> 象潟は元々、写真のジオラマのように、小さな入江のような湖の中に、いくつもの小島が浮かぶ、風光明媚な場所でした。しかし1804年の大地震により地面が2メートル程隆起したことで、水は全て消え、現在の姿となったそうです。写真だと分かりにくいですが、中央やや右側の光っているところが、芭蕉が宿泊した宿です。

     雨に濡れないところということで、まずはにかほ市象潟郷土資料館にきました(入館料150円)。

     象潟は元々、写真のジオラマのように、小さな入江のような湖の中に、いくつもの小島が浮かぶ、風光明媚な場所でした。しかし1804年の大地震により地面が2メートル程隆起したことで、水は全て消え、現在の姿となったそうです。写真だと分かりにくいですが、中央やや右側の光っているところが、芭蕉が宿泊した宿です。

  •  資料館を後にし、蚶満寺に着きました。ここからは徒歩で巡ります。<br /><br /> 庭園には芭蕉像や西施像がありました。が、ちょっと風雨が激しすぎて、ゆっくり見るということが困難な状態です。芭蕉は17日に蚶満寺を訪れますが、その際は朝からの雨がやみ、寺から象潟の絶景を眺望したようです。18日も快晴で朝鳥海山を望んでいるので、「おくのほそ道」で述べられる象潟の風景描写は、17日と18日に見た景色を、あわせたものだと思われます。

     資料館を後にし、蚶満寺に着きました。ここからは徒歩で巡ります。

     庭園には芭蕉像や西施像がありました。が、ちょっと風雨が激しすぎて、ゆっくり見るということが困難な状態です。芭蕉は17日に蚶満寺を訪れますが、その際は朝からの雨がやみ、寺から象潟の絶景を眺望したようです。18日も快晴で朝鳥海山を望んでいるので、「おくのほそ道」で述べられる象潟の風景描写は、17日と18日に見た景色を、あわせたものだと思われます。

  •  寺には立派な山門があります。ここ象潟は古くは「蚶(形)方」と呼ばれ、「蚶貝」がとれたことがその名前の由来と考えられているそうです。また江戸期に書かれた注釈書「奥細道菅菰抄」によると、この寺はもともとその地名から「蚶満寺」と号していたところ、いつ頃か「干満寺」と改め、さらに神功皇后の持っていた干珠満珠の二珠にちなみ「干満珠寺」と改め、二珠はこの地に埋められた、或いは神功皇后の墓がここに建てられた、という話が伝わるに至った、とあります。<br /><br /> 曽良は「蚶満寺」という呼称をしているので、この時代でもいずれの呼び方もあったようです。芭蕉は「此の處に行幸ありし事いまだ聞かず。いかなる事にや。」と書きつつ「干満珠寺」とう呼び方をしています。物語として、あえて伝説的な呼び方の方をとったのかもしれませんね。

     寺には立派な山門があります。ここ象潟は古くは「蚶(形)方」と呼ばれ、「蚶貝」がとれたことがその名前の由来と考えられているそうです。また江戸期に書かれた注釈書「奥細道菅菰抄」によると、この寺はもともとその地名から「蚶満寺」と号していたところ、いつ頃か「干満寺」と改め、さらに神功皇后の持っていた干珠満珠の二珠にちなみ「干満珠寺」と改め、二珠はこの地に埋められた、或いは神功皇后の墓がここに建てられた、という話が伝わるに至った、とあります。

     曽良は「蚶満寺」という呼称をしているので、この時代でもいずれの呼び方もあったようです。芭蕉は「此の處に行幸ありし事いまだ聞かず。いかなる事にや。」と書きつつ「干満珠寺」とう呼び方をしています。物語として、あえて伝説的な呼び方の方をとったのかもしれませんね。

  •  寺には芭蕉が植えられていました。「おくのほそ道」にちなんで植えられたものだと思いますが、この北国で意外な感もありますね。<br /><br /> ここ象潟には司馬遼太郎も訪れており、「街道をゆく」で、ここ象潟は特異な暖かな気候で、雪も降らない、というエピソードを残しています。

     寺には芭蕉が植えられていました。「おくのほそ道」にちなんで植えられたものだと思いますが、この北国で意外な感もありますね。

     ここ象潟には司馬遼太郎も訪れており、「街道をゆく」で、ここ象潟は特異な暖かな気候で、雪も降らない、というエピソードを残しています。

  •  境内の中を巡ります。「街道をゆく」で司馬さんが訪れた場所が次々と出てきて、同じ場所に立てていることに感動です笑<br /><br /> 写真は「タブの木」でこれも暖地の木だそうです。芭蕉が見た合歓の木も、象潟の気候にあった木とのこと。そういえばここに来るまでのタクシーで、運転手が「この辺りは温暖なので、昔は北の熱海と言われていた」と話していました。そういうのは言ったもん勝ちなところがありますからね、地元の方が言うなら、間違いないのです笑

     境内の中を巡ります。「街道をゆく」で司馬さんが訪れた場所が次々と出てきて、同じ場所に立てていることに感動です笑

     写真は「タブの木」でこれも暖地の木だそうです。芭蕉が見た合歓の木も、象潟の気候にあった木とのこと。そういえばここに来るまでのタクシーで、運転手が「この辺りは温暖なので、昔は北の熱海と言われていた」と話していました。そういうのは言ったもん勝ちなところがありますからね、地元の方が言うなら、間違いないのです笑

  •  親鸞が腰かけたという石です。これは「奥細道菅菰抄」にも出てくるので、真偽はともかく、その言い伝えの歴史は長いですね。

     親鸞が腰かけたという石です。これは「奥細道菅菰抄」にも出てくるので、真偽はともかく、その言い伝えの歴史は長いですね。

  •  北条時頼公のつつじ。時頼が象潟を訪れた際に、田地を寄進したことに由来するそうです。

     北条時頼公のつつじ。時頼が象潟を訪れた際に、田地を寄進したことに由来するそうです。

  •  菅秀才の梅。これも司馬さんの受け売りですが、菅原道真の子で芝居上の存在であり、実在はしません。司馬さんと、当時住職の熊谷能忍さんとのやり取りを読むと、この写真も微笑ましく感じます。

     菅秀才の梅。これも司馬さんの受け売りですが、菅原道真の子で芝居上の存在であり、実在はしません。司馬さんと、当時住職の熊谷能忍さんとのやり取りを読むと、この写真も微笑ましく感じます。

  •  西行法師の歌桜。これらの名所の横には、全て説明がついているのが有難いです。司馬さんが訪れた当時には、ついていたのでしょうか…?

     西行法師の歌桜。これらの名所の横には、全て説明がついているのが有難いです。司馬さんが訪れた当時には、ついていたのでしょうか…?

  •  舟つなぎの石。境内の端にあり、大地震の前にはここに舟がついていたのは事実でしょう。そして「街道をゆく」によれば、熊谷能忍さんがかつての姿を偲ぶためにつくったという、小さな水溜まりもありました。<br /><br /> 江戸時代と昭和時代の2つの時代を感じられる、素敵な場所でした。

     舟つなぎの石。境内の端にあり、大地震の前にはここに舟がついていたのは事実でしょう。そして「街道をゆく」によれば、熊谷能忍さんがかつての姿を偲ぶためにつくったという、小さな水溜まりもありました。

     江戸時代と昭和時代の2つの時代を感じられる、素敵な場所でした。

  •  「象潟や 雨に西施が ねぶの花」の句碑です。司馬さん曰く、「象潟はもはや陸地になっているとはいえ、この一句によって不滅になった。西行は象潟を絵画にし、芭蕉は音楽にした」。こんな素晴らしい批評は、自分にはできません笑<br /><br /> そういえば、拝観料の対応をしてくださった方は、能忍さんの親戚だとおっしゃってました。連綿と続いているのは、自然も人も同じですね。

     「象潟や 雨に西施が ねぶの花」の句碑です。司馬さん曰く、「象潟はもはや陸地になっているとはいえ、この一句によって不滅になった。西行は象潟を絵画にし、芭蕉は音楽にした」。こんな素晴らしい批評は、自分にはできません笑

     そういえば、拝観料の対応をしてくださった方は、能忍さんの親戚だとおっしゃってました。連綿と続いているのは、自然も人も同じですね。

  •  寺の軒で雨宿りをさせていただいたところ、次第に雨がやんできました。これで九十九島観光ができそうです、良かった。ひとまず雨で冷え切った体を温めるべく、道の駅「ねむの丘」にきました。

     寺の軒で雨宿りをさせていただいたところ、次第に雨がやんできました。これで九十九島観光ができそうです、良かった。ひとまず雨で冷え切った体を温めるべく、道の駅「ねむの丘」にきました。

  •  道の駅で、生岩ガキを売っていました。普通のサイズが700円、大きいのが800円。東京で生ガキは地雷でしかないですが、旬の夏の取れたて岩ガキは、精神衛生上も有難いです。両サイズとも、いただきました。最高です笑

     道の駅で、生岩ガキを売っていました。普通のサイズが700円、大きいのが800円。東京で生ガキは地雷でしかないですが、旬の夏の取れたて岩ガキは、精神衛生上も有難いです。両サイズとも、いただきました。最高です笑

  •  海鮮丼もいただきました。芭蕉は象潟でうどんを食べたようですが、海鮮丼を食べたとはでてこないですね。<br /> <br /> 芭蕉一行が連日華やかな食事でもてなされていたら、象潟の哀愁漂う句は生まれなかったかもしれませんね笑

     海鮮丼もいただきました。芭蕉は象潟でうどんを食べたようですが、海鮮丼を食べたとはでてこないですね。
     
     芭蕉一行が連日華やかな食事でもてなされていたら、象潟の哀愁漂う句は生まれなかったかもしれませんね笑

  •  道の駅には温泉施設があります。最上階には日本海と鳥海山を一望できる大浴場があり、最高でした。写真は、1階にある足湯です。冷えた体が一気に回復しました。

     道の駅には温泉施設があります。最上階には日本海と鳥海山を一望できる大浴場があり、最高でした。写真は、1階にある足湯です。冷えた体が一気に回復しました。

  •  道の駅からは、鳥海山の雄大な景色が見えるはずでしたが…なんと雲に覆われ見えず笑 日頃の行いを悔いるばかりです。<br /><br /> ただ、やはり1日しか象潟に滞在できないなら、今日のような天気も良かったかなとも思います。この陰鬱な印象、「松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし」と、宮城松島の陽との対比を感じた芭蕉の気持ちが、少なからず実感できた気がします。

     道の駅からは、鳥海山の雄大な景色が見えるはずでしたが…なんと雲に覆われ見えず笑 日頃の行いを悔いるばかりです。

     ただ、やはり1日しか象潟に滞在できないなら、今日のような天気も良かったかなとも思います。この陰鬱な印象、「松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし」と、宮城松島の陽との対比を感じた芭蕉の気持ちが、少なからず実感できた気がします。

  •  晴れていた時はこのような姿が見れるそうです。あ、やはり晴れが良かったかもですね笑 田植えの時期に水が張られると、かつてのように水に浮かぶ小島の姿がより感じられる景色が見られるそうです。

     晴れていた時はこのような姿が見れるそうです。あ、やはり晴れが良かったかもですね笑 田植えの時期に水が張られると、かつてのように水に浮かぶ小島の姿がより感じられる景色が見られるそうです。

  •  象潟の成り立ちの説明がありました。今から2500年前に、鳥海山が山体崩壊をし、大量の土砂が崩れ落ちてきて日本海を埋め、かつての湖に浮かぶ島々ができたそうです。山頂から25キロ先の海まで土砂が流れたとのことで、ちょっと想像できないようなスケールの話です。

     象潟の成り立ちの説明がありました。今から2500年前に、鳥海山が山体崩壊をし、大量の土砂が崩れ落ちてきて日本海を埋め、かつての湖に浮かぶ島々ができたそうです。山頂から25キロ先の海まで土砂が流れたとのことで、ちょっと想像できないようなスケールの話です。

  •  句に詠まれた西施の像がありました。中国の、悲運にして絶世の美女ですね。芭蕉はこの象潟のはかないイメージを、西施の姿と重ねた訳ですね。説明板によると、この句が縁で、にかほ市と西施の出身市は友好都市となったそうです。

     句に詠まれた西施の像がありました。中国の、悲運にして絶世の美女ですね。芭蕉はこの象潟のはかないイメージを、西施の姿と重ねた訳ですね。説明板によると、この句が縁で、にかほ市と西施の出身市は友好都市となったそうです。

  •  道の駅を後にし、能因島にやってきました。平安期の歌人能因法師がここに3年暮らしたという島です。人が3年暮らすには狭すぎる気もしますが、芭蕉もそういった話が伝わる場所ということで、ここに舟をつけています。

     道の駅を後にし、能因島にやってきました。平安期の歌人能因法師がここに3年暮らしたという島です。人が3年暮らすには狭すぎる気もしますが、芭蕉もそういった話が伝わる場所ということで、ここに舟をつけています。

  •  能因島に登り、周囲を見渡してみるとこのような景色です。地面の水田を全て湖に置き換えてみると、かつての姿が多少なりとも想像できるような気がします。<br /><br /> やはり松島のような、海をダイナミックに進む景勝地という感じではなく、湾内の小島の間を小舟で通り抜けていく、落ち着いた雰囲気があったのではないでしょうか。

     能因島に登り、周囲を見渡してみるとこのような景色です。地面の水田を全て湖に置き換えてみると、かつての姿が多少なりとも想像できるような気がします。

     やはり松島のような、海をダイナミックに進む景勝地という感じではなく、湾内の小島の間を小舟で通り抜けていく、落ち着いた雰囲気があったのではないでしょうか。

  •  最後に芭蕉の宿屋に立ち寄ろうと探しますが、なかなか目印となるものがありません。諦めかけていたところ、道に写真の立札が!9割が破れ去っていますが、冒頭の「奥の細道 芭蕉」という文字だけが残されていました。これで十分です笑<br /><br /> 資料館で、この看板の位置が佐々木孫左衛門の家で、通りの向かい側が「向屋」であることは承知していました。「曾良旅日記」によると、象潟に到着した芭蕉は、まずここ孫左衛門の家で服を乾かし、うどんを食べ休憩します。そして夜は女性客があるとのことで、向屋で宿泊をすることになったのです。資料館を先に行っていて、本当に良かったです笑

     最後に芭蕉の宿屋に立ち寄ろうと探しますが、なかなか目印となるものがありません。諦めかけていたところ、道に写真の立札が!9割が破れ去っていますが、冒頭の「奥の細道 芭蕉」という文字だけが残されていました。これで十分です笑

     資料館で、この看板の位置が佐々木孫左衛門の家で、通りの向かい側が「向屋」であることは承知していました。「曾良旅日記」によると、象潟に到着した芭蕉は、まずここ孫左衛門の家で服を乾かし、うどんを食べ休憩します。そして夜は女性客があるとのことで、向屋で宿泊をすることになったのです。資料館を先に行っていて、本当に良かったです笑

  •  道中、道が3段階に傾斜していることが気になりました。一番奥の道が芭蕉が泊った宿がある道、真ん中が国道7号、手前の自分がいる位置が羽越本線の高さです。<br /><br /> 地震で隆起した高さが2メートルということを鑑みるに、一番奥の道はかつての旧道(土手)、中央の道はぎりぎり陸上だった土地、手前の道は水の中であった名残ではないかと思われます。位置関係を資料館のジオラマと比較してみても、一致しています。まさに芭蕉が歩んだ「奥の細道」を、しっかりと感じることができました。

     道中、道が3段階に傾斜していることが気になりました。一番奥の道が芭蕉が泊った宿がある道、真ん中が国道7号、手前の自分がいる位置が羽越本線の高さです。

     地震で隆起した高さが2メートルということを鑑みるに、一番奥の道はかつての旧道(土手)、中央の道はぎりぎり陸上だった土地、手前の道は水の中であった名残ではないかと思われます。位置関係を資料館のジオラマと比較してみても、一致しています。まさに芭蕉が歩んだ「奥の細道」を、しっかりと感じることができました。

  •  駅前に戻ってきました。到着時は大雨で全く気づきませんでしたが、芭蕉文学碑なる石碑がありました。今回の旅で句碑は何回登場したかわかりませんね笑<br /><br /> 駅前には民芸品店があり、絵葉書を1枚、おみやげとしました。ロッカーに預けただだちゃ豆を回収し、象潟にお別れです。

     駅前に戻ってきました。到着時は大雨で全く気づきませんでしたが、芭蕉文学碑なる石碑がありました。今回の旅で句碑は何回登場したかわかりませんね笑

     駅前には民芸品店があり、絵葉書を1枚、おみやげとしました。ロッカーに預けただだちゃ豆を回収し、象潟にお別れです。

  •  17時31分象潟駅発の電車で、新潟経由で東京へ帰ります。車窓からの越後路は、暗くてよく見えませんでしたが、また次回の旅の楽しみが残ったようにも思います。<br /><br /> 思うままに、おくのほそ道を旅して感じてみたいと思い立ち、4日間という短い期間で怒涛の旅を敢行しました。立石寺や酒田など重要な場所への立ち寄りが一部果たせず、〇〇に寄らなければ旅をしたとは言えない、といったご指摘も多々あろうかとは思いますが、私なりに体力と精神力を詰め込んだプランであったということでご容赦ください笑<br /><br /> やはり旅は、いいものですね~

     17時31分象潟駅発の電車で、新潟経由で東京へ帰ります。車窓からの越後路は、暗くてよく見えませんでしたが、また次回の旅の楽しみが残ったようにも思います。

     思うままに、おくのほそ道を旅して感じてみたいと思い立ち、4日間という短い期間で怒涛の旅を敢行しました。立石寺や酒田など重要な場所への立ち寄りが一部果たせず、〇〇に寄らなければ旅をしたとは言えない、といったご指摘も多々あろうかとは思いますが、私なりに体力と精神力を詰め込んだプランであったということでご容赦ください笑

     やはり旅は、いいものですね~

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