2022/09/17 - 2022/09/18
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益田市といえば雪州や柿本人麻呂といった文化人が晩年に過ごした町でもある。鎌倉時代以後は藤原氏の血を引く益田氏がこの地を治め、関ヶ原合戦まで続いた。そのため文化的な建築物も多く残り、意外と見どころがある町でもある。益田市は交通の便が悪いためなかなか生きにくい場所でもあるが、今回の旅では3回に渡り紹介したい。
今回は第2回目。雪舟にゆかりのある寺院や益田氏の館があった場所などを見ていきたい。
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順念寺は少なくとも安土桃山時代に順念寺は建てられていた歴史ある寺院だ。
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山門の木材を見てもすすんだ様子がいにしえより歴史の生き証人のように感じてしまう。
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山門をくぐると寺院は立派な姿を我々に見せてくれる
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本堂の内部はとてもきらびやかだ。浄土真宗なのだろうか。付近の3寺院の中では中の様子が明らかに異なる様相だ。
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七尾城下徒歩で巡ったあと、5分ほど車を走らせて訪れたのが益田氏城館跡 (三宅御土居跡)。
三宅御土居跡 名所・史跡
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ここは残念ながら少々期待外れだった。かつては益田氏の館があった場所で、高さ5メートルの土塁があったのだという。
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現在この場所では館があったと思しきものはほとんど再建されておらず「ここにあった」ことが記されている程度である。
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これだけではピンとこない。
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今後再建されるのかな。。
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この広場はおどい広場と呼ばれるようだ
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当時の様子を物語るのは、この絵ぐらいか。
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益田市内を流れる益田川
益田川 自然・景勝地
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再びレンタカーを走らせて続いて訪れたのは萬福寺。
萬福寺雪舟庭園 寺・神社・教会
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萬福寺は平安時代に建立された歴史ある寺院だ。しかしその後大津波にさらわれてしまい、1319年に再興された。
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その後1479年に15代城主益田兼堯が歌聖・雪舟を招き、石庭を造らせた。現在も雪州の所縁が残る寺院だ。
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雪舟の像
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萬福寺の歴史が書かれている
萬福寺雪舟庭園 寺・神社・教会
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萬福寺のすぐ横にある清瀧山天満宮
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続いて訪れたのは益田兼堯ノ墓。前回のブログで銅造を紹介した益田家の礎を築いた武将だ。
残念なことに墓をしっかりと撮れていることを確認することなく立ち去ってしまったので非常に悔いが残る。 -
続いて車を走らせて向かったのは医光寺
医光寺雪舟庭園 寺・神社・教会
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医光寺には益田氏の居城、七尾城の大手門だったものを移築し総門としている。益田元祥の代に関ケ原の合戦で毛利は敗北し、防長2カ国に転封となってしまい、益田元祥もこの地から須佐に移ることになった。
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その際に医光寺に七尾城は廃城になることから、総門をこちらに移築した。益田元祥は鎌倉より栄えてきた益田家の証を少しでも残そうと七尾城からこちらに移築したのかもしれない。 -
1363年に崇観寺として創建され益田兼見に庇護された寺院。1469年から1486年に第七代住職となった雪舟はこの寺院に庭園を残し、文化財となっている。
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寺院はその後衰退したが、1530年にから1540年頃に17代当主、益田宗兼によって医光寺と名を改められ現在に至っている。
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医光寺には医光寺を再興させた益田宗兼墓がある。
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益田宗兼は生誕は不明だが1544年になくなった戦国時代中期の武将。大内氏の縁戚関係にあるため大内義興に従い、九州方面への遠征や京都への遠征にも参陣し、京都においても有力な国人でもあった。
一方で石見においては周辺豪族とも争っていた。宗兼は医光寺を再興させ文化的なことにも力を入れていたようだ。宗兼の後継は息子の尹兼ではなく、孫の藤兼となった。これは尹兼が藤兼の力を見抜いて継がなかったといわれている -
雪舟焼き?
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四苦八苦の身代わりになってくれる水かけ地蔵。
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医光寺には雪舟の灰塚がある。
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雪舟は別な寺院で晩年を過ごしたが、医光寺で荼毘に付された。
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雪舟の灰塚
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医光寺から続いて車を回して訪れたのが染羽天石勝神社。
染羽天石勝神社 寺・神社・教会
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創健はなんと725年と古く、「瀧蔵権現」と呼ばれていた。1581年に1583年に20代当主、益田元祥によって再建された寺院だ。
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桃山文化の名残を残す神社は国の重要文化財にも指定されている。益田市の観光では一番醍醐味のあった建物だった。
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神社のすぐ横には丘があり、そこには益田氏の墓所がある。
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ここには10代当主益田兼方と、11代当主益田兼見の墓所を見ることができる。
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11代当主の益田兼見は1391年に亡くなっており、足利尊氏の時代から足利義満の時代の激動時代に生き抜いた。当初は足利尊氏についたが、その後南朝方につくなどし、石見地方の版図を拡大し、益田氏の礎を築いた武将でもある。兼見の墓のすぐ横には、父兼方のはかもある。
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一族の墓
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墓所からの眺め。高校野球でおなじみの益田東高等学校が見える
再び車を走らせる -
続いて訪れたのは泉光寺。創健は安土桃山時代と江戸時代の間であり、浄土真宗の寺院だ。関ケ原合戦後に毛利に従って益田元祥が須佐への転封を余儀なくされてしまった。その際益田に残ることとした一部の家臣団が益田家の阿弥陀堂を元に創建されたと言われている。
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山門が昔ながらのふんいきがある。
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続いて訪れたのが雪舟ゆかりの場所だ。
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ここは雪舟の終焉の地として知られる大喜庵がある。
大喜庵 名所・史跡
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雪舟の時代にはこの地は東光寺という寺院があり、雪舟はここで余生を暮らした。
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東光寺はざんねんながら1580年に焼け落ち荒廃してしまったが、その後僧侶の大喜庵松祝は雪舟の終焉地の荒廃を嘆き1702年に大喜庵を創建した。
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大喜庵には雪舟の墓もある。
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雪舟は1420年に備中で生まれ、その後京都の相国寺で修業を積んだ。大内の庇護を受けて明にわたり、中国の画法を学ぶなど教養を身に着けて帰国した。その後大内氏領内にとどまった後、益田の地で晩年を過ごすことになった。そのため益田市には雪舟ゆかりのものが多く残る。
雪舟の墓 名所・史跡
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雪舟の墓墓の付近を歩いていると多根兼政の墓があると記載がある。名前に「兼」がついているので恐らく益田家の一族なのだろうということは想像できた。
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多根兼政は5代目当主、益田兼孝の5男であり、元寇の役や、弘安の役の時代、つまり鎌倉幕府の執権でもある北条時宗の時代(1270年代)に活躍した。室町時代に雪舟が晩年過ごした東光寺はこの多根兼政が建立したものである。
多根兼政は弘安の役のときに石見に防塁や砦をつくり元寇に備えていたのだという。 -
雪舟禅師面影石
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丘になっているので見渡しが良い雪舟山水郷展望地
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雪舟の郷記念館の駐車場の場所は雪舟山水郷展望地と呼ばれる観光名所でもある。少しだけ木々が視界を遮っているが、雪舟の郷記念館ヶ丘の上にあるため、展望地から益田市内を一望することができるおすすめの場所
雪舟の郷記念館 美術館・博物館
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東光寺の由来が記載されている
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