2022/09/17 - 2022/09/18
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益田市といえば雪州や柿本人麻呂といった文化人が晩年に過ごした町でもある。鎌倉時代以後は藤原氏の血を引く益田氏がこの地を治め、関ヶ原合戦まで続いた。益田氏は江戸時代には毛利家の永代家老を務めた。益田氏は毛利の関ヶ原合戦の敗北により益田市を去らなければならなくなったが、文化的な建築物も多く残り、意外と見どころがある町でもある。益田市は3回に渡り紹介したい。
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大内弘直の墓に訪れたあと、益田市中心部へと入った。まず訪れたのが妙義寺。妙義寺の駐車場に車を置いて散策した。
妙義寺 寺・神社・教会
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妙義寺の前には解説もありよくわかる。
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妙義寺は益田氏第13代、益田兼家が室町時代に建立した曹洞宗の寺院。
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1264~1275年頃に創建されたと伝わっている。
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幕末の石州口の戦いでは、長州軍の本陣と野戦病院が置かれたこともあった。このエリアでは曹洞宗の中核的な寺院であり、毛利元就に付き従った第19代当主、益田藤兼の位牌もある
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妙義寺の直ぐ側には益田兼堯像がある。
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何か分からなかった祈祷場
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妙義寺石橋
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益田兼堯は、室町時代後期の第15代当主でもある。雪州により描かれた肖像画ものこされている。生誕は不明だが1485年に亡くなった。大内氏に従い、九州や美作国、播磨国、伊予国、河内国、紀伊国など各地を転戦した。その一方で分家の三隅氏や吉見氏との関係改善にも務め安定した統治をしていた。応仁の乱でこの貞兼が西軍につく一方で兼堯は東軍にも通じており、両軍の狭間を巧みに切り抜けた。
益田兼堯像 by worldspanさん益田兼堯像 名所・史跡
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益田兼堯像がある付近は小さな庭園ある
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石橋を、渡ることができる
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参道はもはや参道かどうかもわからない
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橋の下には現在水を引き込んではいない
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次に向かったのは第19代当主、益田藤兼公の墓だ。
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矢印はあったがホンマにあるんかわからんほどの場所にある。
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脇浦農場という農場があり養鶏場となっている。そこの土地ではないかと思うような場所を進んでいく
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おそらくここに第13代当主で兼堯の孫に当たる、益田兼家の墓があったのだろう
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その横には第19代当主、益田藤兼の墓がある。益田藤兼の時代に益田家は大きく変わった。これまでは大内の陶の外戚として陶家の急先鋒として従った政策だったが、藤兼の時代に陶が毛利に滅ぼされると、真っ先に益田家は毛利や周辺豪族のターゲットにされた。
益田藤兼の墓 by worldspanさん益田藤兼の墓 名所・史跡
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しかし藤兼は毛利の軍門に降ると、多くの諸将は処刑を求めたが元就の次男吉川元春は彼の武勇を惜しみそれを許すことを進言したことで益田家は潰されることなく今にまで家が続いている。以降益田家は毛利家に付き従い、藤兼の子、元祥は知略が長けており関ヶ原合戦後に徳川家康から引き抜きもあったが、それを断り毛利家を支えた。毛利が今にあるのはこの益田藤兼が毛利と戦うことをさっさと諦め軍門に下ったことによるものだ。
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再び養鶏場の横を通って散策
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益田水源地と呼ばれる場所。
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元々益田家の居城、七尾城の内堀だった場所だったが、湧き水があり、益田市内の水源を支えている
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続いて訪れた場所は住吉神社日本のいたる場所にあるが、益田の住吉神社ノ創健は不明とされる。この地に移されたのは益田兼高の時代、1192年とされる。益田兼高源平合戦のとき、石見で唯一源氏に組みしその後の戦の功績を讃えられ所領が決まり七尾城を築城したが、その時住吉神社もこの地にうつったといわれている。
住吉神社 寺・神社・教会
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七尾城は山城でその中腹に位置するためかなり階段を登らなければならない。
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階段途中にくまが出没の看板が! え!?こんなところにツキノワグマがでるん!?
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この階段は結構長い
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二の鳥居はとても印象的だ
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鳥居が朽ちかけている
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本殿
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本殿付近から見た益田市内かつてはかつては石見国の中で最大の町だった。
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住吉神社に行くと、七尾城に登る道があることがわかった。
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さすが要害の城だけあって登り坂はかなり急だ
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人が歩いたと思われる場所を歩いていく。特に標識はないので心配になるが、所々には矢印がある
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こんな感じで。
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クネクネと曲がった山道を上がっていき、ようやく七尾城跡に。ここまで藪蚊が多いので長袖必須だ
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関ヶ原合戦後に廃城になっているので木々が生い茂る
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本丸に通ずる道
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開けた場所に出てきた
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本丸から益田市内を一望できる
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眺めが良い
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本丸の跡だが、今となってはわかりにくい
七尾城跡 名所・史跡
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下山を開始。結局誰一人とも出会わなかった
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下山した場所に益田氏の七尾城の全貌の地図がある
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続いて訪れたのは暁音寺
暁音寺 寺・神社・教会
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寺院の門の前は七尾城の城下の東西と南北の基準となる道が交わる場所で、敵が直進して攻めてこられないに鍵曲がり構造となっている。
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鐘楼がきれいな印象が強い
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本堂だ。
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益田市内ではこの袴を着たような姿は唯一らしい
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明治時代に裁判所があった場所
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妙義寺の途中に現れる中原家住宅。かつてはかつて銘酒「金冠白菊」というお酒を醸造していた蔵元の建物だ。益田家の七尾城城下町だった頃の雰囲気をそのまま今に伝える建物として、文化財ともなっている。
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