2021/12/10 - 2021/12/13
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かるあみるくさん
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どこかにマイルあたった山形空港往復チケットの旅行3日目、最終日です。
浪江中心部のホテル双葉の杜に宿泊していたので、浜通りからスタートです。浪江町の一つ南の町、双葉町に移動し「東日本大震災原子力災害伝承館」、「請戸小学校」の二つを中心に東日本大震災と原発事故についての展示を見ていきます。山形県が荒天なのは把握しており念のため予定より2時間ほど早く双葉を発ったため見学できたところが少ないのがとても心残りです。2日目後編でも書きましたが、またいつか訪問して勉強したいと考えさせられた旅行でした。
だいたい国内旅行は1日を前後編でわけてアップしている事が多いですけどこの日は午後は移動ばかりだったので1つにまとめました。とは言え写真が思った以上に多苦70枚とちょっとダラダラと長いですがよろしくお願いします。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ 徒歩
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旅行三日目の朝です。起きた直後なのですが7:34、珍しく旅行先でというか自宅でもここまで遅く起きる事はなかなかないくらい爆睡出来ました。寝心地が良いホテルでしたね。
畳に寝る形ではないですが、和風の雰囲気もあるホテルで落ち着きました。
ホテルの部屋から見た浪江中心部の様子ですが空き地が目立ちますね。ストリートビューを見ると以前はそこそこお店があったようですが・・・。ホテル双葉の杜 宿・ホテル
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寛げるお気に入りのホテルでしたが、早々にチェックアウトして目的地に向かいたいところです。それが理由だったか他の理由かは忘れましたが朝食を付けていないでした。自分にしては珍しいです。
こちらはホテルフロントです。落ち着いた雰囲気で、宿泊客のほとんどが観光ではなく仕事で来ているという事もあってうるさい事もなく良かったです。
もっとも観光でほとんど人が来ないという事がこの地域が現在置かれている状況を示しているので喜んではいられないですが・・・。ホテル双葉の杜 宿・ホテル
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8時ちょっと過ぎにチェックアウトして出発です。明るい時に見ると昨日到着した時に見た感じと違い現代風のホテルに見えました。入り口や内装の関係か到着時はもっと和風のイメージだったんですけどね。
と、ここでトラブル発生。なんと財布がない(´・ω・`)。
すぐにフロントに戻り部屋を確認させてもらいましたが見つからず・・・。少し考えて前日深夜に風呂に行ったときに財布を持って行っていた事を思い出しロッカーのど真ん中で見つかりました。どうもそのあと誰も利用する人いなかったみたいですね(汗。
冷や汗をかきましたが無事に見つかって良かったです。ホテル双葉の杜 宿・ホテル
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ちょっとアクシデントはありましたが、ホテルすぐ近くの道の駅なみえに向かいます。昨日夜に訪れたので当然閉店後でしたが、この日は逆に早朝過ぎて閑散としていました。
すごくいい天気ですけど寒かったですね(´・ω・`)。道の駅なみえ 道の駅
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月曜日の早朝という事で誰もいませんでしたが道の駅なみえには「ラッキー公園 in なみえまち」があります。というかこの旅行記を書くのにあたり調べてみたらこの開園は2021年12月12日。つまり訪れる前日にオープンしていました。
現状浪江町を訪れる観光客、それも子供はほとんどいないと思いますが、いつかここが賑わってくれる事が待ち遠しいですね。道の駅なみえ 道の駅
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ベロリンガの滑り台。ベロリンガとか初代からいるポケモンですけど割と存在感が薄い気もしますが、ラッキーと同じピンク色のポケモンという事で利用されているのでしょうかね。私も初代世代の人間ですが、なんてポケモンか少し悩んでしまいました。
まあ最近でもポケモンGOとかやってはいたんですけどね。道の駅なみえ 道の駅
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浪江町から南側にある双葉町にやってきました。長らく立ち入りが規制されていた区域ですが、現在ここまでは自由に入る事が出来ます。福島第一原発から小高い丘を越えて約4キロ程度の位置です。
この近辺は復興拠点になっていて産業交流センターや工場、会社などが並ぶ区域になっています。そしてこの一角に東日本大震災原子力災害伝承館が2020年9月にオープンしています。
東日本大震災の中でも原発事故とそれに伴う避難、風評被害等に特化した博物館です。
ここまで数キロ移動してきましたが、昨日は日曜日で本日は月曜日。平日となった事もあり国道には様々な地域のナンバーの大型ダンプカーがあふれていました。除染活動だと思いますが、まだまだ除染・復興途上の現実をさっそく見せつけられました。東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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9時の開館数分前でしたが入る事が出来ました。風が強く屋外は相当寒かったので助かりました。
震災直後の写真が展示されていました。ここは入場料がかからないエリアですが震災の事をよく理解できる展示も多いです。
震災関係の記録本を結構買っていたので写真の半分くらいは覚えがありました。読売新聞が提供をしているようです。東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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屋外には双葉町消防団の被災した車両が展示されていました。津波からの避難を呼び変えている最中に被災したそうです。消防団員は避難して無事だったそうで、昨日のパトカーよりは見ていて負担はないですが、この破壊力を見せつけられると言葉が出ません。
東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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入場するとまずホールがあり、ここで東日本大震災と福島第一原発事故についての映像を見ます。その後はスクリーン後ろにあるらせん状のスロープを登り2階の展示室に向かう形でした。
スクリーンの裏は原発事故を写真付きで展示していて3月11日から3月末まで原発で何が起きていたか知ることが出来ます。東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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二階に入ると正面に見えたのはこの展示。「原子力明るい未来のエネルギー」という標語は双葉町の当時小学校6年生が宿題で出したもので、他にもいくつかの標語が町内に掲げられましたが、国道6号から近いところにあった事もありこれが一番有名になったようです。
震災前から老朽化が進んでいた事もあり現在は取り外され、この東日本大震災原子力災害伝承館に移設されるそうです。東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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震災後の福島第一原子力発電所のジオラマです。汚染水タンクが見当たらず残骸も散らばっているので比較的初期のものだとは思います。
大変な事故な反面、よくこれで済んだよなというのも私の実感です。NHKで自衛隊のヘリから原子炉に向かって海水を散布しているのを見た時には「もう終わりかな」と思いましたから・・・。東京をはじめとする各消防の決死の放水などその後関係者の努力で一番の最悪の事態だけは防げた、それでも浜通りには甚大な被害が出てしまった・・・そんな風に考えています。東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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福島第一原発だけでなく南側にある第二原発でも危機的な状況になりベントを検討する事態になっていたそうです。ただ敷地内に外部電力が来ていた事で人海戦術でケーブルを這わせつなぎ、ベントを行うリミット2時間前になんとか電源を供給し危機を脱したそうです。
結果的に大事故になった第一原発ばかりクローズアップされますが、第二原発も非常に危険な状態になり、それを間一髪で回避したというじょうたいだったのですね。東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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展示品の一つ。浪江小学校では避難の際に上履きのまま避難したので、登校時に履いてきた外履きはそのまま学校に残されました。その後原発事故で学校に戻る事が出来なくなり10年近くそのまま学校に置かれていたそうです。
なんとも言えない気持ちになりますね。東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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こちらも上と同じ状態のものですね。
楢葉町の楢葉北小学校の教室に被災後長く置かれていたランドセルなどだそうです。お守りがついていたりと生活感があふれていますが、まさかこんなに長く教室に置き去りになるとは思ってもいなかったでしょうね。東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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被災直後のオフサイトセンターの様子を再現したものです。当時の混乱がよくわかります。
右手に少し写っている町役場の被災状況を表したホワイトボードの再現も避難状況や犠牲者の数、病院の状況など緊迫した様子があらわされていました。東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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福島第一原発事故は世界中で大きく報道され、世界が日本の様子を見守っていました。アメリカやウクライナからの日本への励ましの手紙が展示されていました。ウクライナではチェルノブイリ原発事故から25年の年に福島原発事故が起きた事もあり関心は高かったようです。
東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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こちらは原発事故前、事故直後、10年後の放射線量を視覚でわかりやすいようにしたものですね。真ん中が2011年4月で2.74マイクロシーベルト、一番右が2021年3月で0.12マイクロシーベルトになっていました。関係者の努力で震災前とそう変わらない程度まで空間放射線量は下がった事がよくわかります。
東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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震災直後はかなりの風評被害がありましたね。線量という目に見えないものだけに仕方ないところもあるのでしょうが、それを解消するために全数検査なども行っていました。まだ日本産、福島産の輸入を認めない国もあるのでその解消のためには引き続きやっていくしかないのでしょうね・・・。
東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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現在の1~4号炉の状態をわかりやすく解説してありました。運転停止中だった4号炉が一番マシな状態に見えますかね(5・6号炉は致命的な被災はせず廃炉になりました)。
30~40年で本当に終わるのだろうか、と思ってしまうところもありますが現場の方々の必死の思いと技術革新を信じて私が生きている間には廃炉が完了してほしいなあと思います。東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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昨日から見ている施設はどこも展示が重くて辛い思いになりますがこれも現実として知る必要があると思ってやってきました。でも見ると疲れてしまうのも事実ですね。
原子力災害伝承館に隣接して建っているこの建物は双葉町産業交流センター。一階にフードコートとお土産コーナー、最上階は展望デッキになっています。まだ昼食という時間ではないので次の目的地の請戸小学校跡に行った後に戻ってくることにします。双葉町産業交流センター グルメ・レストラン
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次は震災遺構請戸小学校へと車で向かっています。目には見えているのですが、入り口となる道がわかりにくく少し迷ってしまいました。被災前は普通に生活している街があったこの場所も津波ですべてが流されています。双葉・浪江は原発のイメージが強いですが、津波でも甚大な被害を出しています。
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車で5分かからないくらいの距離でしたが請戸小学校跡にやってきました。町の境もいまいちわかりにくい道路でしたが、ここに来るまでに双葉町から浪江町へと行政区画を跨いでいます。
この建物は震災後震災遺構としてオープンする際に造られたもので管理棟兼資料室になっています。請戸小学校は2021年10月に震災遺構としてオープンしています。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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こちらが請戸小学校の校舎。前日訪れた中浜小学校同様二階建ての校舎です。ただデザインはこちらの方が昔ながら、というか校舎らしいデザインですね。とは言え1998年竣工で中浜小学校より新しくこの辺りはなかなか興味深いものがあります。
二階のベランダの部分に津波が来た高さが表示されています。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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震災後に新設された管理棟で入場券を購入し入場していきます。管理棟には請戸小学校の歴史や東日本大震災での被災状況の展示や休憩コーナー、書籍なども置いてありました。
震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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管理棟を抜けると請戸小学校の遺構に入ります。前日に訪れた中浜小学校に比べ中の通路は広く確保されています。双葉町に近い事もありツアーなどで訪れる人も多いようですね。私が訪れてから10分後くらいに大勢のツアーの方がいらしていました。
震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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解説はしっかりとしているのでここが何の教室だったか、や3月11日当日の様子を詳しく知ることが出来ます。
この写真の後ろ側が海なのですが、写真を見ると左(南側)から強い力を受けた様に見えますので、中浜小学校同様海側から直接津波が押し寄せてきたのではないのかもしれません。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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ここは大破した職員室です。中央やや左にあるのは配電盤で津波によって本来あった場所から流され、漏電や配線の切断により停電に至りました。それまでは請戸小学校へは給電されていたそうで、小学校内時計は津波が直撃した15時37分を刻んで止まっています。
震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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震災前の請戸小学校周辺の様子はわかりませんが、後に出てくる昭和61年の地図や他の資料を見ると漁業の町として漁港もありある程度栄えていた様です。少なくとも小学校周りにはそれなりに住宅や建物があったはずですが・・・。
今は周囲には何もなく、また西側には廃棄物置き場が広がっている状況になってしまっています・・・。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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この時期なのでわかりにくいですが桜の木です。アスファルトの割れ目がから震災後に芽吹いて春には花を咲かせているそうです。
震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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校舎の外側の通路から中をのぞくことが出来ます。一階は校舎内で見られる場所はそんなに多くなく途中から校舎外に出て通路を歩きます。
そして吹き付ける風がめちゃくちゃ強くかなり寒かったです。相当な暑がりでまずコートなど着ない私でも身震いする寒さ。ちなみに一階の校舎内も窓も壁も壊れているので外同然で相当寒いですね。外気を遮られるのはこの後二階に行った後になります。
ここは給食室だったそうですが、大破してしまい内装もほぼなくなっている状態でした。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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見学ルートはしっかりと整備されているので迷う事はないのですが、校舎の周りを通り裏側へと歩いていくルートになっています。校舎内の様子を見ると津波はこの反対側から来たのは間違いないと思うのですが、この校舎西側も建物は大きな被害が出ています。浪江は地震の被害も相当あったのでその影響かもしれません。
震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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校舎の裏側の通路から体育館跡を覗くことが出来ます。手前部分の床が大きく崩れて波打っています。津波というより自身で壊れたのですかね。
浪江町は震度6強の揺れだったそうです。原発や津波だけでなく地震でも大きな被害を受けています。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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翌日が卒業式予定だったとの事で当日は卒業式準備も行われていたそうです。舞台の様子は2011年3月11日から変わっていないのでしょうね。
行われるはずだった卒業式も出来ず、当時の小学校六年生はこの時点で22歳、一年生も17歳になっています。子供たちにとってはとても長い時間ですよね。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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上の写真でいうところの舞台の裏に位置する部分ですが、元々はここから体育館に入れたのだと思います。ただ階段の部分には津波で運ばれてきた瓦礫が散乱している状態のままになっていました。
震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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途中から校舎の外に出て一周してくるコースになっています。ここが本来の校舎入口だったんですね。最後に入り口にやってくる形になっています。
一見すると原型をとどめているように見えましたが、階段やスロープ、玄関など至る所に津波の爪痕が見られます。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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最後に再び校舎の中に入り二階へと上がっていきます。左手はロープで仕切られていますが、最初に通ったルートが奥にあります。ちょうど校舎内の写真の一枚目の右奥です。
昨日訪れた中浜小学校に比べると入り口付近は原型をとどめている様に見えます。これは津波が入ってきたのが中浜小学校は入り口付近だったのに対し、請戸小学校では反対側だったからですかね。
ただ足元の下駄箱の基礎らしきものが丸見えですし、コンクリートがむき出しになっているところもあり津波の破壊力も見てとれます。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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校舎入口には昭和61年に制作された「わたしたちのまち請戸」という絵地図がありました。おそらく小学校だった時代からここにあるんだと思います。卒業記念とかなのかな。
請戸と書かれていますが浪江駅周辺まで書かれていて35年前のこの地区がどうだったのかがよくわかります。請戸地区も賑わっていたんだろうなあと感じますね。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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玄関から入った先は二階へと階段を登り、二階のいくつかの教室が公開されています。この奥は非公開エリアでガラス越しに撮影した形です。
二階へは津波の被害はほとんどなかったようでほぼ原形が残っています。またガラスなどもそのままなので風が吹き抜けて寒いという事はなかったです。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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二階の教室から先ほど訪れた双葉町方面を見てみます。震災の事を意識しなければ何もない原っぱが広がっているようにも見えます。
ただ肉眼でははっきりととあるものが見えました。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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上の写真ではほとんどわからないですが、ズームしてみるとしっかり見えますね。山の向こうに見える煙突、それは福島第一原子力発電所のものです。正直なところじっくり見ないと見えない距離ですし、福島第一原発があそこにあり原発事故を引き起こしたという知識が無ければなんとも思わないただの景色でしかないんですが・・・。
残念ながら望遠レンズを車に置いてきているのでここまでしかズームできませんでしたが、後ほど双葉町産業交流センターでしっかりと見る事になりました。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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公開されている教室の一つ、6年製教室の黒板に書かれていたメッセージ。被災してから公開される10年の間に書かれたのですかね。
現在は手を触れないで下さいという事で記入がされないようにされています。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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この黒板は有名だったので知ってはいたのですが、実は元々はこのメッセージが書かれていました。上の写真にも同じ位置に残っています。
これは震災後捜索活動を行っていた自衛隊の第44普通科連隊の舞台が請戸小学校の児童に向けていったメッセージでした。
部外者からするとこのまま残してもらえたらなという気持ちもありますが、地元の卒業生や関係者からするとメッセージを残したかったんでしょうね。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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いくつか公開されている教室のうち一つでは校歌、校旗、学校での活動の写真が展示されていました。そんなに大きい学校ではなかったですが、地域に根付いて東日本大震災まで小学校だったんですよね。中浜小学校に比べると学校としての証の展示は少なかった気がしますが、少ない展示にも郷土愛が感じられます。
いつの日か在学していた児童の方々がまた請戸に戻ってくることが出来ればな、と思います。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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町のお祭りで鼓笛隊として請戸小学校も参加をしていた様です。当時の写真と使われていた楽器が置かれていました。
楽器は学校管理だったんですね。
上の写真庫そうですがこういうものを見ると近い時期までここで子供たちが暮らしていたという事を実感します。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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1998年に完成した請戸小学校校舎。校舎の海側には可愛い絵が描かれていました。展望塔の様な建物もあった様ですね。頂上が幅広いわけではないので津波の避難棟というわけではないと思います。
震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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最後に旧校庭を見学して帰ります。これはなにかと思いましたがプールにある金属製の階段だそうです。一番手前はほぼ原形を留めているように見えますが他は全て変形してしまっています。
ほぼ無人の広場を自動の芝刈り機?が回っていたのが印象的でした。
これで請戸小学校の見学を終えてこの地域の拠点になりそうな双葉町産業交流センターに戻ります。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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請戸小学校見学後車で再び双葉町産業交流センターへやってきました。ちょうどこの二か所の間に福島県復興祈念公園という公園を整備する計画があるようですが、現在のところは空き地のままでした。浪江近辺か原発を挟んで南側の富岡地区に行く以外はこの二か所以外は今は見る事が出来る場所はないようです。
産業交流センターの一階にはフードコートがあり二店舗お店がありました。
こちらのせんだん亭はなみえ焼そばや麺類などを扱っているお店でした。せんだん亭 グルメ・レストラン
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なみえ焼そばとスープ餃子を頼みました。スープ餃子はある日とない日に分かれるみたいです。正直この近辺ではここ以外に食事を出来るところはないので、こうやって温かいところで食事が出来るのはとてもうれしいです。
焼きそばももちもち太麺と七味がとても美味しかったです。せんだん亭 グルメ・レストラン
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フードコート内にはペンギンというお店もありハンバーガーや軽食を扱っています。こちらは元々双葉駅前にあったお店で震災前に閉店していたものが復活してこちらに入居したそうです。せんだん亭とペンギンの他にもう一店開店準備をしていたので3店舗体制になるみたいですね。レストランも別にあります。
観光客相手というよりはこの産業交流センターに震災復興関連企業のオフィスが多く入っているのでその方々向けの意味合いが強いと思います。ペンギン グルメ・レストラン
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ペンギンではフィッシュバーガーを注文しました。ほかほかで美味しかったです。ボリュームも満点で安価だとも思います。
浪江焼そばでお腹いっぱいになりつつあって目で食べたかった状態ですが、でも美味しかったですね。他にも軽食が多くて気になりましたがさすがにそこまで食べられず・・・。 -
双葉町産業交流センターの屋上には展望スペースがあり360°見渡せるようになっています。食事の後にちょっと上がってみました。エレベーターで上がって見たら自由に出る事が出来るのですが、外がものすごい強風。ドアを開ける事も危ない状態だったのでここで周りを見る事にしました。この位置からだと東側方面はエレベーターで何も見えないですが他の方面は見る事が出来ます。
双葉町産業交流センター グルメ・レストラン
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展望台の外に出る事は出来ませんでしたがガラス越しに福島第一原発の煙突、そしてクレーンも見えました。一番手前に見えるのは4号炉?それとも6号炉?どちらかはわかりません。ただ山を一つ越した場所にあの大惨事を引き起こした福島第一原発がある、それだけはわかります。
こうしてみると、津波の被害は目に見えてわかりますが放射線被害はそうではないので大きな事故が起きた場所なんと感じないんですよね。知っているからわかるのであって・・・。
この事故が無ければこの地区の復興も少しずつ進んでいるんだろうと思うと残念でなりません。双葉町産業交流センター グルメ・レストラン
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実はこの日の朝の時点で山形県側はかなり天気が荒れるという予報が出ていまして、単純に車で移動だけならもう少し太平洋側に滞在していても良いのですが早めに移動を開始しました。なのでここから先はひたすら移動です(´・ω・`)。
天候さえ良ければもう1時間半くらい滞在してみたかったところです。東電の資料館に行けなかったのは結構心残り。
復興まではまだまだ時間がかかる区域ですがこのように道路工事は至る所で行われていました。廃炉作業に使うトラックがメインだと思いますが、少しずつ進むことが出来れば・・・と思います。 -
この地区に来てこの2日間至る所でこの表記を見ました。ここは常磐双葉インターの直前の県道から分岐する細い林道の様な道でした。
幹線道路などは通れますが路地などは入る事が出来ません。除染もまだまだ進んでいないですし帰還困難区域という事でこの付近にはもう入る事が出来ないのかもしれないです。 -
常磐双葉インターから常磐道に入り昨日南に向けて走っていた時に利用していたセデッテかしままでやってききました。とは言え食事は先ほど済ませていますし、このサービスエリアは上下集約型なので昨日も来ていますし特に真新しいものはなく休憩のみで北へと向かいます。
セデッテかしま 道の駅
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常磐道をさらに北上して鳥の海パーキングエリアです。少しずつ山形に近づいてきていますね。そんなに休憩スポットがない常磐道ですが、ここは自販機とトイレ程度があるパーキングエリアでした。
既に宮城県亘理町に入っていて暫定二車線が多かった常磐道も片側二車線になっていました。
福島浜通りから山形空港へ向かう道は大きく分けて3通り、相馬福島道路→東北中央自動車道と通る福島・米沢ルート、常磐道→仙台東部道路→南部道路→東北道→山形道と進むルート、そして途中までは第二ルートと同じく進み東北道を北上して愛子を抜けていくルート。
ここに来ている時点で最初に挙げたルートは利用しない事は決めていましたが、悩んだ末に土地勘のある愛子を抜けて国道で山形県に入る事にしました。鳥の海パーキングエリア (上り/下り線) 道の駅
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その土地勘のある愛子にやってきました。亘理からそんなに距離はないですがかなり天気が悪くなってきています(´・ω・`)。
ここはちょっとしたショッピングモールになっている愛子のヨークベニマルです。マックがあったり本屋もあったり愛子近辺の人には便利な場所です。
ちなみにこのあたりの土地勘があるとは言えせいぜい落合・愛子付近までで自分で運転して山形側へ抜けた事はないんですよね。そして作並街道の県境、関山トンネルのある方面は雲で覆われて山が見えないのはちょっと不吉です。
ここを最後の休憩地として買い物と休憩してから出発します。 -
ヨークベニマルで買い物をしていたら雪がぱらついてきてしまいました。経験的に愛子で降っているってことは作並あたりじゃ積もっている可能性あるわけで・・・。時間的にはここで引き返して東北道に乗り村田JCTから山形に抜けるというのもギリギリ間に合いそうでしたが、通行不可のほど作並街道は積もっていないだろうと判断してそのまま進むことにしました。
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作並街道を進んでいくと作並付近で随分と山肌が白くなってきていました。結構登ってきていますね。
ここで休憩を取る必要はなかったんですが、ちょっと不安もあり道路沿いにあった作並湯野駅ラサンタにちょっと寄ってみました。道の駅の様な施設でしたが客はまったくおらず閑散としていました。
仙山線に関する本があったので購入しちゃいました。作並湯の駅 ラサンタ 名所・史跡
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ここからまだ少し登り関山トンネルを抜ければ山形です。ネットなどで情報を見ても関山トンネル周囲がどうなっているかわからなかったですが、東根は積雪がほぼない事はわかりました。若干の不安はありましたがこのまま山形東根へ向かいます。
実際のところ関山トンネル付近は山肌にはそこそこ積雪があり真っ白でしたが、さすがに作並街道は幹線だけあって走りにくさを感じるような事はまったくありませんでした。作並湯の駅 ラサンタ 名所・史跡
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関山トンネルを抜けて無事に東根側まで降りてきました。ここまで降りてくればもう安全ですね。そして空が綺麗でした。
山形県側は雪は降ったみたいですが凍結もなく、走行には問題はなかったです。ただこの写真で16時50分ですが、この後凍結しそうだなあという感じです。やっぱり夜は怖いですよね。 -
午後の予定を早めに切り上げて山形空港へ向かって来ましたが大きなトラブルなく到着した為にかなり時間が余る事に・・・。13時ちょっと前に双葉町を出て空港着が17時20分頃でした。結構早く着きましたね。搭乗便出発2時間前です・・・。
そして地方空港の常というか早くついてしまうとすることがない状態になるのでちょっと展望デッキに出てみたら大阪行きのE170が出発していくところでした。
とは言え寒いですしこの一機しか離陸便はないので空くにターミナルへ引き返します。
でも本当に何もないんだよなあ(´・ω・`)。山形空港 空港
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行きに搭乗した山形空港への便はそこそこ混んでいましたが、どうやら羽田への便はガラガラの様子。というよりアプリで座席指定の画面を出してみると本当にほとんど乗客がいない状態です。まあ利便性で見れば新幹線の方が遥に便利ですけど、山形便大丈夫ですかね。
実際にこの後知り合った米沢出身の方は関東との往復は新幹線か車と言っていましたし(まあ当たり前なんですけど)、かつてはB727の退役フライト、A320の初便フライトもあったANAも撤退して随分と時間が経っていますし・・・。
とりあずやることもないので制限エリアに入ります。山形空港 空港
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空いているので搭乗待合室に入るのも一瞬です。入った後設備あるかなと思いましたが、そもそも制限エリア外もほとんど施設がないので・・・。
使用機材遅れで羽田からの機材はまだ到着していませんでしたが、しばらく待つとスポットインしてきました。羽田からの便にはそこそこ人が乗っていたように見えました。山形空港 空港
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搭乗開始ですぐに乗り込めました。優先搭乗は誰もいなかったかほぼ0だったかだと思います。本当に搭乗者が少なくてあっという間に終了になるほどでした。大阪線はE170で運航していますがそれでも十分な量だったと思います。今後が心配だ・・・(´・ω・`)。
山形空港 空港
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ゆっくりとくつろぎたい、乗降時に落ち着いて過ごしたいので基本的に最後尾を取ることが多いのですが今回も最後尾の座席を選択しました。ただ周囲には誰も座っていないフライトでした(笑。まあその方が良いですしだからこそ後方席を押さえる事が多いんですが・・・。
前方にはそこそこいましたが後方は本当に数えるほどでした。
19:37にRW19から離陸し一旦西に向かったあと東へ針路を変えそのまま南へと向かっていきました。山形空港 空港
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羽田進入が北側からだと関東平野の夜景が本当に綺麗に見えますね。前回北海道旅行帰りのエアドゥもそうでしたけど北からの便はこの景色見るためだけにでも乗りたいもんですね。
どうしても西側の方が観光で好きな場所が多いのですが、西側からの進入だと房総半島になるので夜景はあまり面白くないのがちょっと残念。
もう千葉県上空でここまでくれば羽田への着陸まであと少し。空路だと山形空港はかなり近いですね。 -
飛行機は20時20分に羽田空港RW34Rに着陸。ゴーアラウンドあり空中旋回ありの行きとは違いフライト時間は40分程でした。
行きと同様帰りも沖止めスポットでしたのでバス移動でターミナル1へ移動です。
いつもは沖止めだと飛行機を撮影したりしていることが多いんですが、今回はあまりにも搭乗者が少ないうえに最後尾に乗っていたのでバタバタと降りてバスに乗る事になったので撮影できたのはターミナル到着後でした(笑。羽田空港 第1旅客ターミナル 空港
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ターミナル1に到着しましたが手ごろな場所が思い浮かばず地下通路を通ってターミナル2にやってきて丸亀製麺で夕食を食べました。ただ冬とは言え着こんでいる状態で移動するとめちゃくちゃ暑いですよね。てなわけでぶっかけの冷たいうどんを注文しました。
これで「2回目のどこかにマイルは山形空港!南東北3県の旅」は終了になります。2021年12月に旅行してから完走まで約11か月かかってしまいました。仕事が忙しい時期が続いたりそれ以外でも忙しい事があったりとなかなか旅行記を書くことが出来ない時期もありました。そしてやはり震災遺構、原発事故という内容で旅行記を書くのは難しかったですね。気軽に書くわけにもいかないですし間違いが内容に調べながら書いていたので。
ただ旅行記にするかは別としてこれからも震災関連の遺構は見に行ってみたいと思っています。
これで2021年の旅行記は全てアップしましたが、2022年広島、2022年滋賀・岐阜の旅行記はまだほとんど手を付けていません(´・ω・`)。そして今は韓国ソウルに滞在しています。旅行記の完成はいつになるかわかりませんが、これからもお願いいたします。丸亀製麺 羽田空港第2ビル店 グルメ・レストラン
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