
2021/12/10 - 2021/12/13
458位(同エリア599件中)
かるあみるくさん
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この旅行記スケジュールを元に
前半の旅行記は飛行機のゴーアラウンド・上空旋回で到着が遅れたこともあって到着までで終了してしまいましたが、ここから本格的に観光がスタートです。
まずは山形市内の山形護国神社に向かったあと、山形駅近くの山形城跡に向かいます。長く運動公園などとして利用されていた城跡の霞城公園ですが、城跡としての復元も進んでいて大手門などが復元されています。また博物館や美術館も訪れました。
その後車で高畠町の山形交通旧高畠駅跡に向かった後、米沢市の上杉神社に向かいました。ここは米沢城跡だった場所で明治になり上杉謙信を祀った上杉神社になっています。また近隣には上杉鷹山や直江兼続らを祀った松岬神社もあり、伝国の杜という米沢の資料館もありと歴史好きにはたまらない場所です。
そのあとは日没が近づいていましたが、現在は山形大学米沢キャンパスになっている、旧米沢高等工業学校本館を見学して車で宮城県の大河原へ。途中栗子峠を通るトンネルを走りながら、高速が出来て米沢と福島のアクセスが容易になった事を実感しました。明治期に必死の思いで車道を通し福島と繋がった道が、時代の進みとともに進化していくのはすごい事だなと本当に感じます。
山形空港へのどこかにマイルですが山形県の観光はこれで終了でこの後宮城県・福島県へと移動していきます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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山形空港から車で40分程でやってきたのは山形県護国神社。山形中心部から少し離れていますが、もう山形市内です。というか歩く気になれば山形駅まで歩ける位置。なぜか国道13号を走ってきたけど、東北中央道を走ればもっと早く着いたかな・・・。仕方ないですけど上空待機がそこそこあったので当初の計画通り回れないので割と適当に走っていました。まあ準備期間も短かったので計画もちゃんと立っていないのは事実です。
山形県護国神社は当初は明治維新で亡くなった薩摩藩士を弔うための招魂社として建てられ後に山形出身の戦没者を祀るための護国神社となりました。現在地に移転したのは1934年で当時既にこの近隣に都市公園が出来ていたそうですね。
晴れていて綺麗な景色になっていますがめちゃくちゃ寒い冬の山形です。山形県護国神社 寺・神社・教会
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護国神社の参道を歩いて拝殿の手前まで来ると祈りと書かれた石碑と巫女様が待っている像がありました。あまり見ないタイプの碑と像ですしかなり新しい石碑の様にも見えました。
山形県護国神社 寺・神社・教会
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山形県護国神社の拝殿は1994年と比較的新しい時期に改築されたそうです。とは言っても27年前か・・・。
天気が良いのもありピカピカと輝いて見えました。既に12月に入っていましたが七五三等で混雑することもあるみたいで列の仕切りがあったのが印象的ですね。調べてみると初詣では県下で一番多くの人が参拝に訪れる神社だそうです。てっきり上杉神社とかなのかと思っていました。これも調べてみると米沢市は山形県下第二の都市ですがそれでも人口は山形市の1/3程度で両都市もかなり離れているので当たり前と言えば当たり前の様ですね。山形県護国神社 寺・神社・教会
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護国神社の裏にあったこの慰霊碑は従軍して亡くなった軍馬の為の「陣殉軍馬慰霊塔」でした。周りを工事用フェンスに囲まれ立ち入りが出来ないようになっていたので傷みが激しいのですかね。かなり古くからこの地にあるようです。
一瞬台座だけになってしまったのかと思いましたがそういうわけでなく元々この形の様です。山形県護国神社 寺・神社・教会
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護国神社は最上川の近くにあり道一本渡ると最上川が見えます。10年以上前に酒田に行ったときに河口近くを見た事はありますが、上流は穏やかな川に見えます。日本三大急流とは言っても盆地内は穏やかな様子ですね。
最上川 自然・景勝地
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護国神社がこの地に移転した1934年でその当時には千歳公園という公園があったそうですが、現在は薬師公園と呼ばれています。現在の薬師公園の由来は下の写真で紹介しますが、千歳公園は初代山形県令三島通庸が整備を命じた都市公園だったそうです。三島は土木県令と呼ばれ山形県と後に赴任する栃木県のあちこちで土木事業、特に道路事業を行っていますが、千歳公園もその一環だったんですかね。
現在の薬師公園は静かな公園で、土曜日の朝でしたが子連れ家族が一組遊んでいるだけでした。まあ氷点下だったというのもあるでしょうけど・・・。薬師公園 公園・植物園
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薬師公園内には公園の名称の由来になった出羽国国分寺薬師堂があります。出羽国の国府は庄内地方か秋田に置かれていたとされ国分寺もその近くにあったはずなので、なぜここに薬師堂があるのかはわからず・・・。
現在の薬師堂は1911年に焼失した後市内のお寺から移築されたものだそうです。国分寺薬師堂 寺・神社・教会
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近づいてみると大きなお堂で風格もありますね。ただ人気がないですし裏手は薬師公園になっているのですが明かりも少ない感じでしたので夜は少し怖いのかなとおも思ってしまいました。
かなり立派なお堂ですし国分寺薬師堂という歴史ある施設ですがあまり注目度も高くないのですかね。私は現地で初めてここに薬師堂がある事を知りました。国分寺薬師堂 寺・神社・教会
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山形県護国神社の発祥となった薩摩藩士を弔う碑が薬師堂の正面にあります。とは言え現在地に移転したのは昭和になってからなので碑も一緒に移動したのかもしれません。
山形藩、というか県下の藩は奥羽越列藩同盟として旧幕府側で参戦したのもありまず最初に県内に建てられた碑が薩摩藩士というのはなんとも言えないものがあります。薬師公園 公園・植物園
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護国神社の後は車で10分程の所にある山形城跡へやってきました。こちらはJR山形駅にも近い市街地の中心部にあり、5年ぶりくらいにやってきました。山形城は規模は大きかったものの天守はなく三の丸に御殿がある城でしたが、明治維新時には御殿も荒廃していたそうです。その後陸軍の基地になり戦後都市運動公園の霞城公園として整備されていました。
山形城跡(霞城公園) 名所・史跡
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野球場や体育館のある霞城公園として整備されていた山形城跡ですが、1978年以降山形城の復元が進められ現在は史跡公園として一部の建物が復元されています。2030年代まで復元を続ける予定の様ですね。
こちらは山形藩初代藩主最上義光の像です。幕末には小規模な藩になった山形藩ですが、最上義光が藩主を務めたころには57万石の大藩でした。山形城跡(霞城公園) 名所・史跡
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山形城は広大な城でしたが三の丸は現在市街地になっており霞城公園として残っているのは二の丸と本丸です。またその部分も戦前には陸軍基地に、戦後運動公園として長く利用されていたので原型をとどめていない部分も多いのですが、2000年代に入り本丸の復元や大手橋・大手門の復元などされています。
本丸は埋め立てられていたそうで、この空堀も近年復元されたものだと思います。山形城跡(霞城公園) 名所・史跡
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二の丸と三の丸を隔てる濠を渡り三の丸跡、つまり市街地へと向かいます。この堀は割と保存状態が良いそうで、二の丸側の石垣は江戸時代の物がそのまま残っているのだと思います。
ただ向かって右側の濠の一部は埋め立てられていて奥羽本線の路盤となっています。 -
線路の部分をアップで撮影してみました。
一見すると複線ですが向かって右手は標準軌化された線路で山形新幹線と通称山形線が、左手は狭軌で左沢線と仙山線が走ります。よく見ると線路の幅が違いますよね。
踏切とかだとよく見ないとなかなかわかりにくいので真上から見る事が出来たのはなかなか面白かったです。 -
線路を渡ったところには山形美術館があります。県立の美術館ですがフランス絵画が多く展示されていてなかなかいい美術館と聞いていたので寄ってみました。800円の入館料ですが良い作品が多くフランス絵画好きなら全然高くないと思うでしょうね。
建物のデザインもなかなか特徴的でお気に入りの美術館になりました。山形美術館 美術館・博物館
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美術館から霞城公園に戻ってきて城内にある山形県立博物館へ。入場料300円で入れます。郷土史や自然・生物などの展示も多いですが、国宝に指定されている「縄文の女神」という土偶を見る事が出来ます。土偶が完全な形で出土することは珍しいそうで、また大きさもかなり大きいので迫力がありました。
山形県立博物館 美術館・博物館
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こちらが上でも書いた復元された本丸に繋がる大手橋、そしてその奥の大手門です。残念ながら冬季は閉鎖になっているそうで入る事は出来ず・・・。前回来たときは真夏だったので入れましたが、夏の山形はとても暑いので見学はしんどかったことの記憶ばかり残ってます(´・ω・`)。
山形城跡(霞城公園) 名所・史跡
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霞城公園の中にあるこの独特な建物は旧済生館本館です。初代県令三島通庸が医療の近代化を目指すために1878年に設置された県立病院の建物です。済生館という名称は三条実美の命名だそうです。その後民営を経て市立病院となりますが、建物老朽化の為建て替えが行われ、1967年にこちらに移築されています。現在では郷土館として利用されていて、移築に関する話も記載されていました。中の回廊はなかなか見事な美しさでした。
旧済生館本館(山形市郷土館) 美術館・博物館
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霞城公園の一角には石垣に利用された石を展示している箇所がありました。石垣の石ってあまり奥まで見る事は出来ないですが、かなり長さのある石で組まれていることがわかります。そして部分によって利用されている石も随分と様子が異なります。
山形城跡(霞城公園) 名所・史跡
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発掘された石垣の石を一つ一つ展示されているのは珍しいのかなと思います。この石にも刻印が掘られているところを示してありました。こうしてくれるとわかりますが、置いてあるだけならまずわからないのでありがたいと思います。
山形城跡(霞城公園) 名所・史跡
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霞城公園では現在も発掘が進められていて立ち入り禁止区域の中を見てみるとこのような状態になっていました。2033年までに発掘調査を終え、その後は二の丸内の施設を移転させて城内を復元するという構想になっているようなので、またいつの日か来てみたいものです。
山形城跡(霞城公園) 名所・史跡
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霞城公園を出て東北中央自動車道で高畠へ向かいます。高畠も観光地はそれなりにあるんですが今回向かいたいのは旧山形交通高畠駅。
山形はかなり高速道が整備されています。割と近年まで細切れだった様ですけどね。こうやって高速道が整備されていると本当に都市間移動も楽で観光のスケジュールも組みやすいです。山形中央インターから入って南下していきますがまずは入ってすぐの山形パーキングエリアで休憩。ここは自販機くらいしかないけどそれでも休憩できますからね。山形パーキングエリア 道の駅
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次の休憩場所は南陽パーキングエリア。本来はここで休憩する予定はなかったんですが、暫定二車線であおられまくったので嫌になりとりあえず避難。そんなにトロトロ走っていたわけではないですが、あまりにもスピード出すのは嫌ですからね。
ここもトイレと自販機程度のパーキングエリアです。南陽パーキングエリア 道の駅
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こんな取り組みを行っているみたいですが、冬で植物も見当たらず・・・。しっかりさがせば見つかったんでしょうけど、既に時間も押していますしとりあえず次の目的地の高畠、さらには米沢に向かっていく事にします。
南陽パーキングエリア 道の駅
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やってきたました高畠町。ラフランスで有名な街でこの近くには「ラ・フランス通り」なんて道がありました。冬なので普通の高規格農道って感じでしたけどね。
この建物は山形交通高畠線高畠駅跡。現在の奥羽本線高畠駅からは数キロ離れたところにあって、高畠町の中心地に近いところにあります。現在の高畠駅は当時は糠ノ目駅と呼ばれていて、糠ノ目駅からこの高畠駅を通り二井宿駅までを結んでいたそうです。1974年に廃線になった後は山形交通バスの待合所として使われていたそうですが現在はそれも廃止になり建物だけが残っています。
この旧駅舎は高畠石という地元で産出された石を使ったもので、なかなかモダンな造りの駅舎です。旧高畠駅舎 名所・史跡
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駅舎横には電車、貨車、電気機関車が保存されています。この電車は高畠線電化の際に自社発注で入線した車両で元々はデハニ1として製造され、1959年に車体更新を受けて現在の姿になっています。その後1974年の廃線まで活躍し続け、廃線後はこの高畠駅で展示されています。古い写真を見ると露天の環境だったようですが、屋根がついた様でいくらか保存環境が良くなるかもしれないですね。
旧高畠駅舎 名所・史跡
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こちらはED1電気機関車。ED1も1929年に電化された際に自社発注した凸型機関車で工業製品の輸送に活躍しました。高畠一帯は製糸業が発達していたようですね。
高畠駅は有名な観光地ではないですが、どうしても寄ってみたかったので米沢に行く前に寄り道してみました。旧高畠駅舎 名所・史跡
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高畠から車で約30分、米沢にある米沢城跡・上杉神社にやってきました。高畠には亀岡文殊堂という日本三文殊の一つがあり時間的余裕があったら行ってみる計画もあったのですが、思ったより時間が押していて冬という事もあり亀岡文殊堂に行くと米沢での時間がまったく無くなりそうだったので・・・。ちょっと残念。
こちらは米沢城跡に隣接する上杉城史苑という観光施設でお土産屋やレストランが入っていました。無料駐車場も台数多く完備しているので米沢城周辺の観光の拠点になります。上杉城史苑 グルメ・レストラン
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上杉城史苑の中はこんな感じでお土産屋、そしてレストランがあります。お土産のスペースはかなり大きくて米沢だけでなく山形地域の物も扱っていました。
だいたいの人が米沢城、上杉神社を見学した後寄ってお土産を買っている感じでした。上杉城史苑 グルメ・レストラン
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昼食は上杉城史苑の横にあったこのべに花庵というお店に入りました。入り口横で山形名物玉こんにゃくを販売していて食欲をそそられます。玉こんにゃくだけでなく米沢ラーメンもありますし、ちょっと高いけど米沢牛串も売っていました。
べに花庵 グルメ・レストラン
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外でも食べる事は出来るのですが、寒いですしラーメンも食べたかったので店内で玉こんにゃくを注文。山形に来ると良く食べていますが、寒い時期の玉こんにゃくはアツアツでうれしいです。
べに花庵 グルメ・レストラン
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後から出てきた米沢ラーメン。今ではいろんなところでご当地ラーメンが出ていますが、米沢と言えばラーメンなのは昔からですよね。今風のラーメンというより、昔ながらの中華そばという雰囲気の縮れ麺と醤油ラーメンでした。
寒かったのもあって本当に美味しかったです。べに花庵 グルメ・レストラン
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べに花庵を出たらなんと雨。すぐにやみましたが、低い気温がさらに下がった気がします。寒いのには強いのですが、さすがに薄手のパーカーで5℃だとちょっと寒く感じます(笑。
上杉神社に行く途中の右手に松岬神社という神社があります。元々米沢城内の上杉神社に合祀されていた上杉鷹山や直江兼続らを分祀するために1902年に建立された上杉神社の摂社で割と新しい神社です。とは言え100年以上昔の神社で風格はありますよね。現地ではもっと古い神社だと思っていました。松岬神社 寺・神社・教会
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堀を渡り上杉神社に入り目立つ位置にあったこの像。「天地人」像として初代米沢藩主上杉景勝と米沢藩家老直江兼続の2人の像です。旅行記書くにあたって調べたら天地人の放映はもうかなりの昔なんですね。2009年放送以後に建立されたものだと思います。
天地人像 名所・史跡
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上杉というと上杉謙信の方が名前は出てくるのかもしれないですが、破綻寸前の米沢藩を改革し建て直すことに成功した江戸時代屈指の名藩主である上杉鷹山像もありました。
反発を浴びながらも改革に成功し幕末まで米沢藩を存続させた立役者です。上杉鷹山公之像 名所・史跡
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鳥居をくぐり上杉神社の境内へと入っていきます。というかこれがたぶん二の鳥居になると思います。
そこそこ人は多かったですが、寒い日だった事や七五三が終わり初詣前という事で混雑しすぎという事はなくてゆっくり参拝出来ました。上杉神社 寺・神社・教会
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神社は江戸時代の米沢城本丸跡に造られている事もあり境内はコンパクトですぐに本殿の前までやってきました。上杉謙信の祠堂を由来とする神社ですが、神仏分離後に現在の形態の神社となっており神社としては比較的新しい神社になるようです。
上杉神社 寺・神社・教会
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もう冬支度が住んだという感じの上杉神社。たまたま誰も人がいない写真を撮れましたが、実際のところ結構混んでいてこれはたまたまです。上の写真でも結構人が見えていますし、この後も次々と参拝客が訪れていました。
1919年米沢大火で社殿も焼失してしまい、現在の社殿は1923年に建築されたものになります。上杉神社 寺・神社・教会
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上杉神社の中にあるなかなか風格のあるこの建物は稽照殿と呼ばれ、上杉神社の宝物殿です。上杉神社が再建された時に合わせて造られた建物なのでおそらくコンクリート製だと思います。訪れた時15時頃でも閉鎖されていてコロナのせいかなと思ったんですが冬季閉鎖になっていたようです。
稽照殿 名所・史跡
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上杉神社と外を隔てる堀は結構幅もあり綺麗に整備されています。上杉神社自体はそんなに広くないので短い時間で参拝と見学は終わったので外に出て米沢の街中を歩いてみます。
米沢城跡・松が岬公園 名所・史跡
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上杉神社を出て歩いているとすぐ南に立派な門が・・・。何か歴史的な施設なのかと思いきや、米沢牛を利用した郷土料理などを提供する高級料理店の門でした。米沢牛とか食べてみたいけどやっぱり高いですよね(笑。
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べに花庵で食事をしている時にお店の方に聞いたのですが、歴史に興味があるのなら上杉神社を参拝した後近くにあるこの伝国の杜にも行ってみると良いと言われたのでやってきました。
伝国の杜の前から先ほど参拝した松岬神社の方面を見てみました。あの一角だけ昔ながらの杜の様に見えていていい雰囲気です(実際は左隣が上杉神社です)。松岬神社 寺・神社・教会
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こちらが伝国の杜。2001年に完成した比較的新しい博物館でなかなか迫力のある建物です。
元々ここには米沢工業高校があったそうですが移転後、上杉神社や松岬神社の近くのこの地に建設されたそうです。早速伝国の杜へと入って見ます。伝国の杜Culture グルメ・レストラン
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伝国の杜に入ってすぐに目に入るのは能舞台。建物に入ってすぐに能舞台というのも斬新ですね。で、後で調べてさらに斬新な事がわかりました。伝国の杜には置賜文化ホールというコンサート等に利用できるホールが併設されているのですが、能を演じる際にはこの能舞台をホバークラフトの原理で持ち上げて置賜文化ホールに入れて実施するそうです。
正直その使い方は想定していませんでした。伝国の杜Culture グルメ・レストラン
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観光では伝国の杜のメインは上杉博物館ですね。音楽好きな身としては置賜文化ホールも興味はありますが・・・。
上杉博物館では中心は上杉氏統治下の米沢藩の生活になりますが、米沢藩成立以前の歴史や伊達氏についての展示もありました。比較的新しい博物館だけあって明るくて雰囲気は良いです。米沢市上杉博物館 美術館・博物館
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江戸時代の米沢の街のジオラマですね。現在では山形県となり県庁所在地は山形ですが、当時は米沢藩として独立した藩でした。藩の規模も山形藩よりは大きかったようですね。御三家の庄内藩のイメージが山形だと強いですが、米沢藩もある程度の規模の藩でした。
米沢市上杉博物館 美術館・博物館
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上杉博物館の奥にあるテラスからガラス越しに見られるこの庭は「置賜の庭」と呼ばれる伝統的な置賜地方の庭を再現したものだそうです。本格的な冬を前に冬の準備というところでしょうか。雪が多い置賜地方では冬は過酷な季節でそれに備えた様子を再現しているのだと思います。
薬草園などもあるそうです。米沢市上杉博物館 美術館・博物館
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伝国の杜を出て少し南にある旧米沢高等工業学校本館へと向かっていきます。こちらは特に有名な建物というわけではないんですが、昔ながらの蔵が建っていたので写真に収めてみました。古くからの城下町で明治になって以降も栄えた場所になりますので歴史的な建物も多いですね。
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現金をほとんど持ってきていなかったのでATM利用と飲み物を買う為にたまたまあったヨークベニマルに入りました。名前の通りイトーヨーカドー系列のスーパーですが東北地方ではヨークマートではなくヨークベニマルをよく見ますね。
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ふと目に入った民家の倉庫?ですが茅葺屋根になっていました。手前の建物もそれなりに年季が入っていそうですが・・・。
茅葺の維持も大変と聞くのでこの様な建物を見る事が出来るのもそんなに長くはないのかもしれません。 -
この建物が見たくて少し歩いてやってきました。旧米沢高等工業学校本館です。ルネッサンス様式の建築で1910年の開校の際に造られました。全国7番目の高等工業学校で現在の山形大学の全身、現在でもここは山形大学米沢キャンパスとして使われている土地で旧校舎自体は資料館になっているそうです。
旧米沢高等工業学校本館 名所・史跡
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正面から見てみましたが全景を収められるポイントがないのが残念・・・。まあそれだけ大きい建築物って事なんですけどね。資料館になっているという事は中を見る事も出来たんだと思うんですけど、この時は中に入れる様子はなかったです。
ちなみに現在山形県立米沢工業高校がありますが、こちらも歴史がある学校、というより旧米沢高等工業学校より古い学校ではありますが直接のつながりはないようですね。旧米沢高等工業学校本館 名所・史跡
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米沢高等工業学校から戻るときには別の道を歩いて上杉神社に向かっていたら先ほど伝国の杜から見た置賜の庭の横を歩くことになりました。
ガラス越しよりも近くに見る事が出来たので思いがけずラッキーでした。 -
ふらふらとそんな距離ではないですが歩いて寒さもあって疲れたので上杉城史苑にてメンチカツを購入。なんと米沢牛入りとのこと(`・ω・´)。
レシートも残っていないので値段は忘れちゃいましたがそんなに高くはなかったです。美味しいですしほかほかで元気が出ますね。 -
イチオシ
コロッケを食べて駐車場に向かうと真っ暗。まだ16時40分頃なんですけどね。これでも肉眼よりはかなり明るく見えているんです。
上杉神社の木々が濠の水に反射して写りなかなか良い雰囲気ですね。 -
肉眼では真っ暗で上杉神社内の明かりが遠くに見えるくらいでしかなく濠に落っこちないよなと思うくらいだったんですが、HDR効果ですごく明るく撮れました。写真だとなかなか幻想的な雰囲気ですね。実際は真っ暗でしたけど。
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上杉神社を出発したあと米沢→福島→大河原というルートで本日宿泊地の大河原町にあるグリーンホテル大河原にやってきました。大河原バイパス沿いで車で来るのには便利な立地でした。
米沢から福島へは東北中央道の栗子トンネルを越えて来ましたが、まあ本当に快適な道ですね。長大トンネルで栗子峠を貫通させているわけですが、明治の初めに萬世大路を苦難の末に通した峠ですが、平成の世の中にこんなすごい道が出来て米沢と福島のアクセスを容易にしたというのは今の技術は本当にすごいものだと思います。
初日の計画があまりしっかりと決まっていなかったので、翌日の移動を考えてこの立地のホテルにしましたが結果的には良かったです。グリーンホテル大河原 宿・ホテル
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グリーンホテル大河原はちょっと古いホテルではありますがWiFiもしっかりありますし何より大浴場付き。客室も必要な範囲のものは揃っていて困る事はありませんでした。普通のシングルルームですがベッドも少し大きめです。
グリーンホテル大河原 宿・ホテル
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8階の部屋から見た夜景です。
大河原町は内陸の街で古くからの街の中心はこの奥の方にあるようです。ホテルは大河原バイパス沿いの地域でバイパス沿いに商店が並びその奥には住宅地はあるものの、田畑の地区も多く明かりは多くないですね。あとこの辺りのお店、飲食店も含めて閉まるのは早いです・・・。グリーンホテル大河原 宿・ホテル
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グーグルマップでいろいろ検索してみると近くに飲食店も何か所かあるようです。
悩んだけどホテルの真下にあるラーメン屋、「拉麺翠鶏」にやってきました。翠鶏で「みどり」と呼ぶ様です。名前的に中華料理的なラーメンのお店かなと思っていましたが、創作拉麺的なお洒落なお店でした。お店の中もなかなか良い雰囲気でしたよ。拉麺 翠鶏 グルメ・レストラン
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ラストオーダー直前の入店になりました。メニューで結構悩みましたが、GAWARABLACKというラーメンを注文しました。
濃い口醬油に胡椒とニンニクが利いたパンチのあるラーメンでなかなか美味しかったです。
ホテルから徒歩1分の位置だったので歩きでお店に来れたのも良かったです。食後はホテルに戻って入浴してすぐに就寝できました。正直飲食店とかあまりない場所と思っていたのでうれしい誤算でした。拉麺 翠鶏 グルメ・レストラン
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