2021/12/10 - 2021/12/13
86位(同エリア107件中)
かるあみるくさん
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この旅行記のスケジュール
2021/12/12
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大野駅周辺~大熊町役場付近を見学
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アクアマリンふくしま周辺のイルミネーション見学
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この旅行記スケジュールを元に
どこかにマイルで山形空港往復特典航空券を手に入れての2021年12月南東北旅行記の2日目後半になります。
2日目前半で訪れた山元町中浜小学校見学後に車で南下し福島県浜通りを訪れています。2011年3月の東日本大震災と震災による福島第一原子力発電所事故により居住が困難になってしまった大熊町、近年やっと規制が解除されつつある富岡町を見学しています。
この近辺は震災遺構や震災に関する博物館などの展示も多く大変勉強になります。明るい観光ではないですが、日本で近年起きた災害についても学べます。翌日午前中も含めて1日半かけて南宮城から福島県浜通りを回りましたが、回りたかったところの半分くらいしか回れていない形になってしまいました。
北宮城や岩手県も含めいつか時間をかけてじっくりと回りたいと思っています。
2022年11月6日にフォートラベルでの5万アクセスを達成いたしました。エストニア旅行記を投稿始めてから3年程でここまでのアクセスになりました。いつも皆様ありがとうございます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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山元南ICから常磐道に入り南相馬鹿島サービスエリアにやってきました。本当は相馬市の伝承館なども行きたかったのですが時間が思った以上にかかっているので常磐道を南下することに。
このサービスエリアは上下集約型で上下の駐車場の間にセデッテかしまという施設がありここで休憩や物販、食事などが出来るようになっています。セデッテかしま 道の駅
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セデッテかしまには神社もありました。浮田稲荷神社という神社で、SA設置前にこの付近にあった天野神社をSA内に移転し、古来からの農業の発展と豊作祈願に加え交通の安全も祈願する神社だそうです。
これからの旅の安全を願って参拝してきました。 -
相馬と言えば相馬野馬追ですね。等身大の模型が入り口に展示されていてなかなかの迫力です。ちょうど人が途切れた瞬間を狙いましたが、常に混雑していてみんなの注目の的でした。
後ろには野馬追の写真が映し出されていました。 -
フードコートでなみえ焼そばを食べました。太麺でもちもち、中華麺を使った焼そばです。とても美味しかったです。ただサービスエリアでよくある話ですがちょっとボリューム少な目。この後なかなか食べる場所がないのはわかりきっていたので何か追加で購入するか悩んだんですが、結構な混雑だったのでこれだけにしました。
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セデッテかしまに貼られていたポスターにはTOKIOの城島さんが写っていました。日本テレビの「ザ!鉄腕!DASH!!」で村を作ろうという企画で浪江町でDASH村という企画を長らくやっていました。線量が高い地域だったので企画は継続できなくなってしまい、愛媛県でDASH島という企画が始まっていますが、今でも福島の復興の為に様々なところで協力されているそうです。
セデッテかしま 道の駅
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セデッテかしまを出てから次の目的地へ。ここに来るかどうかは正直直前まで悩み、セデッテかしまを出た時点でもどうするか決めかねていました。ただ一度は見ておいた方が良いだろうと思い大熊インターチェンジで常磐道を降りました。
福島県双葉郡大熊町。福島第一原子力発電所の立地自治体であり、原発事故で多くの町域が帰還困難区域に設定された町です。
車を停めてみましたが、見える光景は他の農村地帯とそんなに変わらないのに・・・。 -
道路脇を見てみると道路に比べて低くなっていて沼の様になっています。
これは道路がかさ上げされているのではなく(多少はあるかもしれませんが)、道路脇の農地の土地を削り取ったから・・・。
除染の為に表面の土地を放射線物質ごと削り、放射線量を下げようとしているからです。 -
常磐線大野駅までやってきました。まったく人気がない中を進んできましたがここでパトカーと警官2名に会う事が出来ました。何か言われるかという気持ちもありましたが好意的に対応していただいて少し驚いた・・・。ただ日中は良いけど夜間は野生動物が走り回るので、日没前にこの地区を離れた方が良いと注意を受けました。
大野駅は設置当時大野村にあった事から大野駅と名付けられ、その後大野村と熊町村と合併し大熊町となった後もそのままの駅名となっています。現在の駅舎が建てられたのは1987年で、震災後鉄道再開に伴い2020年までに大規模に改修されています。大野駅 駅
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駅前にあった歓迎の碑。現在ではフェンスの奥にあって役目を終えたように見えます(実際は線量的な問題でしょうが)。基本的にこの辺りに来る人は車で訪れるのでしょうが、観光需要以外でも駅の近くには双葉翔陽高校や大野病院もあり、特急停車駅でもあったのでそこそこ乗降がある駅だったのだと思います。
大野駅 駅
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大野駅前にあるプレハブ小屋。線量計を貸し出す場所でした。営業時間だと思いますが営業している気配は感じられず。常磐線の再開に伴い大野駅まで来るビジネスの方も増えたと聞きますのでその方々がターゲットでしょうか。
大野駅 駅
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大野駅駅舎近くにはソーラーパネルで発電していると思われる表示機があります。示しているのは線量です。
現在の線量は0.242μSv。関係者の血のにじむような努力でここまで下がりましたがまだまだ本来であれば考えられない高値です。甲府駅北口にも以前ありましたが、福島以外ではガイガーカウンターの数値を表記するのはだいぶ減っていますがこの近辺ではまだ必要な計器です。常磐道の沿線にも設置されていました。大野駅 駅
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大野駅の駅舎を上がってみました。ホームを眺めると真新しい綺麗なホームと線路。2020年に運転再開されていますが、真新しいホームに降りる人もほとんどおらずというのが実態の様です。震災前は複線区間だったそうですが再開時に避難通路確保の為に単線化されています。
大野駅 駅
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こちらは東口方面です。一見すると駅前も新しい雰囲気ですし、これから開発されていく地域なのかなと感じますが・・・。
大野駅周辺には入れるもののまだ立ち入りが認められない地域も多いのが実情です。大野駅 駅
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大野駅近辺は少しずつ工事が進んでいます。とは言え新築ではなく解体工事ばかりなのが寂しいですが・・・。ただこの後進んだ区域と違い大野駅周辺にはそれなりに交通があるみたいで舗装やガードレールなどが綺麗にはなっていました。
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駅から少し離れるとこの光景が・・・。いくらか解体されている建物もありますが、基本的には2011年3月11日のまま・・・。いや、そのまま風雨にさらされ年月も経ち直後よりも状態は悪化していると思います。
語弊があるかもしれませんが、この場所は日本のプリピャチと言っても過言はないです。そして人工都市で原子力発電所関係者しかいなかったプリピャチと違い、古くからこの土地に多くの人が住んでいた場所なのです。 -
二階部分が崩れてしまっているお店。居酒屋だったようですね。2013年のストリートビューでは屋根瓦が崩れてはいるものの二階部分は健在なのでそれ以降に壊れたのだと思います。この時点で震災から10年半たっていますが、何のダメージもない家屋でも10年経てば屋根の補修や外壁塗装などのメンテをすることが多いので、一部崩壊後の状態での10年の経過というのは家屋にはとてつもないダメージを与えているのだと思います。
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大野駅周辺が活気のある元気な街だった時につけられた標語でしょうか。
「好きです。この街この通り。」
現状を見るととても悲しい気分になります。 -
駅前地区公民館がありました。あの日まではここで地区の住民が集まり話し合ったり団らんの場になったり・・・。日本の他の地区と何ら変わらない生活を送っていたはずです。
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震災から10年半ほどが経ち少しずつですが大野駅周辺も解体工事が進んでいるのだと思います。綺麗に整地された区画も結構ありました。
整地されても後に住宅が立つことがない、悲しい光景です。 -
被災前のストリートビューはないのですが、2013年のものがあり帰宅後それを見ながら状況の変化を知りました。ここにも大きな民家があって奥のツルハドラッグは見えませんでしたが、現在は更地になり遠くまで見えます。
奥のツルハも当然閉店しています。 -
この辺りは解体工事も進んでいて奥には住宅跡も見えますが道路沿いは区画だけが残されている土地が増えていました。冬場だったので雑草も枯れそれなりの視界がありますが、夏場だと鬱蒼としてあまり見えないのかななんて感じる状況です。
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町役場の前の二車線道路。今でこそ建物が取り壊されて閑散とした風景ですし、町役場もお店もないのですが震災前はこのあたりは活発に人通りがあった場所なのでしょうね。
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この奥には大熊町役場があったそうです。現在は会津若松で業務を行っているそうでここの先は何もない様子です。
町役場にしては比較的規模の大きい建物だったのかなと思いました。 -
ファミリーマート大熊町新町店・・・だった建物です。
恐らく被災した直後のままなのではないでしょうか。中は相当に荒れ果てている様子です。
町役場からも近く震災前は賑わったのだと思います。 -
国道6号に向かう途中の道路脇にあった何らかの施設。除染関係の設備だとは思います。
この様な施設や機材が車で走っていると次々に見えます。この日が日曜日だったのでゴーストタウンに見えますが、実際除染に携わる方でこの辺りはそこそこの人が居るそうです。翌日は巨大なダンプが走っているのをこれでもかと見る事になりました。 -
国道6号の交差点まで来ました。ここから南へ進み富岡町方面へと向かっていきます。今までいたところはあの閑散とした状況でも特定復興再生拠点と呼ばれる地区で、いずれ避難指示解除を目指している地区です。
正面に見える交通規制されている地区は「帰還困難区域」。国が公式に帰る事が難しいと認めている地域で立ち入りは原則できません。これが10年経った現状です。 -
大熊町を抜けて富岡町にやってきました。富岡に来て最初に訪れた施設はとみおかアーカイブミュージアム。富岡の歴史を保存・展示するための施設で2021年7月にオープンしました。まだ帰還が進められない大熊町と違い富岡町は一部帰還が進んでいるのでこの様な施設もあります。
近隣には東京電力が運営している廃炉資料館というのもあるのですが、この日も翌日もスケジュール上行けなかったです。そこも行きたかったんだけどなあ。とみおかアーカイブミュージアム 美術館・博物館
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無料の資料館とは思えないほど展示は充実していますしコーナーもわかりやすくまとまって展示されています。
東日本大震災と福島第一原発事故に関する展示が中心ですが(旅行記でもそちらを掲載しました)、町の歴史や近代以前の富岡の地区の出来事についても解説がありました。とみおかアーカイブミュージアム 美術館・博物館
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大破したパトカーが置かれています。大破しすぎてパトカーというのもわかりにくい状態になっていますが・・・。
このパトカーは震災時に避難誘導の為海岸付近で活動していたもので二人の警察官が乗り込み避難支援を行っていました。富岡町仏浜付近で活動していましたが津波により被災、40代と20代の二人の警察官は殉職されました。
警察、消防、その他さまざまな方が命を懸けて行動し、その結果命を落とした方が大勢いらっしゃった事実は忘れてはいけないと思います。とみおかアーカイブミュージアム 美術館・博物館
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ふと上を見上げるとこんな展示もありました。
国道6号にかかっていた歩道橋に掲げられた横断幕、を再現したものだと思います。「富岡は負けん!」。とみおかアーカイブミュージアム 美術館・博物館
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この模型はかつての夜ノ森駅の再現です。夜ノ森駅は富岡町内の駅で福島第一原発から南西に7キロほどの位置にある駅です。かつては桜の名所として知られホームにはつつじの植栽、ホームからも桜が見え、駅前通りは桜並木で観光客が訪れた駅でした。内陸部にあるため津波被害は受けませんでしたが線量が高く、また駅舎自体の老朽化もあり2020年の運転再開前に旧駅舎は解体されて新しい駅舎になっています。
ツツジは除染で伐採されたそうです。かつて常磐線で通っていますが、その時に写真を撮れていなかったです・・・。とみおかアーカイブミュージアム 美術館・博物館
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夜ノ森駅の備品もとみおかアーカイブミュージアムで展示されています。津波被災はなかったので備品はどれも綺麗ですね。当時の時刻表もありますが、列車本数は多くない駅でした。まあこの辺りは車社会ですからね。
それでも桜の時期は結構な賑わいだったそうです。とみおかアーカイブミュージアム 美術館・博物館
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こちらは震災直後の富岡町役場の災害対策本部を再現したジオラマです。当時の緊迫した様子と、町内至る所で起きた被災状況の深刻さを物語っています。
テーブルに広がっている資料なども丁寧に再現されていました。とみおかアーカイブミュージアム 美術館・博物館
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こちらは富岡駅の被災後の様子を再現しています。改札口の枠は実際に被災したものを移して、奥は被災後の写真です。夜ノ森駅と異なり海岸線に近いところにあった富岡駅は津波により被災し、2017年10月運転再開時には同じ場所で駅舎を建て替え再開しています。
とみおかアーカイブミュージアム 美術館・博物館
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止まってしまった時計たち。
でも止まっている時間がそれぞれ違います。地震自体で止まった時計と停電で止まった時計とがあります。
この写真に写ってはいないのですが印象的なのはいつ止まったかわからない目覚まし時計。持ち主が避難して電池交換される事なく止まった、という時計も置かれていました。とみおかアーカイブミュージアム 美術館・博物館
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展示室は1階ですが2階も見学することが出来ます。二階は整理作業室や資料の収蔵庫になっていて展示するまでの資料を一時的に保管したり、津波などで被災した資料を復元したりしているそうです。
これは富岡小学校の8年ぶりの運動会ポスターですね。令和元年、2019年に行われていますが、小学六年生が制作した様ですがこの子たちにとって地元での最初で最後の運動会だったんですね。とみおかアーカイブミュージアム 美術館・博物館
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こんな感じで展示を待つ資料や復元作業中の資料がガラス越しに眺められました。とみおかアーカイブミュージアムは今でもかなりの資料収蔵がありますが、これからも富岡の歴史を伝える資料が増えていくのでしょうね。またいつか来てみたいところです。
とみおかアーカイブミュージアム 美術館・博物館
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収蔵室や作業中の資料を意図的に見れるようにしてくれる博物館ってあまりないと思います。奥には民俗資料の様なものも多くあるのが見えますので、いろいろと展示が増えるんでしょうけど、スペースがどうなるのかは少し気になりました。
ちなみにこのとみおかアーカイブミュージアムは入館料無料です。来訪者はあまりいない様には見えましたが、浜通りに来たら是非訪れて欲しい施設です。とみおかアーカイブミュージアム 美術館・博物館
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とみおかアーカイブミュージアムからさくらモールとみおかへ移動する最中に見た看板。窃盗などが多かったからでしょうか、「富岡町内防犯カメラ作動中!」と書かれていました。
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富岡町の中心地にあるさくらモールとみおかにやってきました。2017年に帰還が始まった際にリニューアルオープンしたショッピングモールでヨークベニマルが旗艦店、ツルハドラッグなども入っていました。
品ぞろえが豊富、というか仙台や山形と同じものがあるのでここで相当に買い込みました。仕方のない事ですが、この近辺で買い物を出来る場所は少なく、被災地域を観光するとなるとここで購入すると便利なんだと思います。さくらモールとみおか ショッピングモール
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もう少し見たいところもあったのですが、時間が遅くなってしまいこれ以上見る事が出来ず移動することに。ホテルは浪江町に予約しているのでそのまま移動すればすぐなのですが、浪江に行っても夜にすることがない+食事を取れない可能性もあったのでいわきまで車でやってきました。
小名浜のアクアマリン福島の横の岸壁では海保の船がライトアップされていました。 -
18時ちょっと過ぎですが時期が時期なので真っ暗ですね。広場全体がライトアップされていてとても綺麗です。
小名浜は震災から1年後の2012年3月に訪れているのですがその時はアクアマリン福島は再開していたもののまだまだ震災の爪痕が強く残っている状態でした。
奥に写っているイオンが建築されたり、そのほか小名浜港の様子を見ていると少なくとも見かけはだいぶ復興が進んでいるのかなと思います。 -
綺麗ですね。まあいつもの通りNote10によるHDR効果もありますけど。
日曜日の夕方という事もあって結構な人の数がいました。後ろの「潮目の駅」という建物は小名浜の海産物を中心とした料理を食べられるレストランが入っている様ですが、17時閉店の様でこの時間は閉まっていました。 -
小名浜港のライトアップは綺麗でまだまだ見ていたい気持ちもあるのですが、港で風が吹きつけるのでこの時期はさすがに寒いです。気温的には前日居た山形より結構暖かいのですがやはり風は堪えます。
そんなわけで暖房の効いているイオンモールに入って食事にします。 -
イオンモールの中にあった台湾点心房という中華料理屋で点心房セットを夕食に食べました。お昼の南相馬鹿島SAで食べたなみえ焼そば以来何も食べていなかったのでセットでも物足りないと感じ位(笑。いつもなら買い食いすることもあるんですが、コンビニ含め食事をするところが何もなかったので・・・。
麻婆炒飯が良い感じの辛さで美味しかったです。台湾点心房 イオンモールいわき小名浜店 グルメ・レストラン
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イオンモール小名浜の一角を歩いていると会津の伝統工芸、赤べこが置かれていました。そして巨大なマスクをしているという・・・。
赤べこのマスコットのあかべぇとも思ったのですが、これは赤べこそのものなのかな。イマイチわからない・・・。 -
いわき市はハワイアンズの街、ということで「フラおじさん」というゆるキャラ?がいるようです。どうしてこんなゆるキャラが・・・と思ってしまいましたが、イオンの目立つところに置いてあるので市民権は割と得ているのでしょうか(汗。
横のポストは本物の様ですね。 -
帰りは少し道を間違えて遠回りしてしまいましたが常磐道で宿泊するホテルがある浪江に向かいます。常磐道に入ってすぐにあった湯の岳パーキングエリアで休憩。と言ってもトイレと情報コーナーがある小さなパーキングエリアです。
ここのトイレの自動ドアが面白く、電力ではなくてドア前に立った人の重さでドアが開くという仕組みでした。考えてみれば簡単ですがなかなかエコで面白い仕掛けですね。湯ノ岳パーキングエリア 道の駅
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この地域らしい案内もあります。どちらにしても問題ないとされる被曝量ですが、やはりバイクの方が明確に多くなるんですね。頻繁にこの区間を通るとなるとそこそこの線量になってしまうのでしょうか。
湯ノ岳パーキングエリア 道の駅
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いわきへは国道6号を進んでいきましたが戻りは常磐自動車道。浪江にやってきましたがやはり高速は早いです。いわき市街は下道は結構渋滞していましたしね。ずいぶんと時間がかかった様に思いますが、ホテル着は21時前、国内旅行ではかなり早いホテル着です。
本日泊まるのは浪江町中心部にあるホテル双葉の杜。近年できたホテルでなかなか良さそうだったのでここに予約を入れました。
まあ正直現在この近辺ではホテルの選択肢は数えるほどしかないのは事実ですが、なかなか良いホテルでこういうホテルが増えると良いなあと思ったり。ホテル双葉の杜 宿・ホテル
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このホテル、ベッドのホテルなんですが床が畳敷きになっているんです。そして入り口で靴を脱ぐ旅館スタイル。そんなわけでエレベーターも廊下も靴下か素足で歩くわけですがそれが嫌な人はちょっと辛いかもしれないですが、個人的にはめちゃくちゃ寛げました。大浴場もありますし、部屋はシャワーブースとトイレが独立しているタイプで使い勝手も良いです。おそらく廃炉作業の関係で長期滞在者が多いからだと思うんですがジムもあり、漫画も読め無料のランドリーもありととても素晴らしい設備のホテルでした。
ホテル双葉の杜 宿・ホテル
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車で到着した際に道の駅なみえがライトアップされていたのが見えたので歩いて1・2分なので来てみました。ライトアップは綺麗でしたがもう夜遅いので店は何もやっておらずです。ちょっと眺めて帰りました。
ホテルの場所は浪江町役場のすぐ近くで国道6号沿い、浪江駅から1キロほどの位置なのですが、すぐ近くのイオンが夜になり閉店してしまうと、1キロちょっと南にあるコンビニが最寄になるようです。現状を考えると不便なのは仕方ないですが、それがこの地区の現状なのですよね。道の駅なみえ 道の駅
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散歩をしても何もない状態ですし疲れもあるので早々にホテルに戻ってきました。
畳に寝っ転がってみるテレビはとても心地よくて元々カーリング好きな事もあり結構しっかりと見ていました。こういう感じで寝て過ごせるホテルも良いですね。
本当はこういうホテルに毎回泊まれたら・・・(笑。ホテル双葉の杜 宿・ホテル
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