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盛岡2日目の午後の観光は「白龍(パイロン)」からぶらぶら歩いて、中津川を越えた先にある「岩手銀行 赤レンガ館」に向かいます。一目見ただけで分かる辰野金吾の設計した辰野ルネッサンスと呼ばれる外壁の赤レンガに花崗岩の帯を回し、屋上にドームを載せる点などに辰野の作風が感じられます。東京駅の外観が思い出されると共に、6月に行った小樽の「旧日本銀行小樽支店」の建物と比較してしまいます。辰野ルネッサンスの流れを感じる建物としては台湾総統府や中国の瀋陽の駅舎を見に行ったことも思い出されます。続いての街歩きでは「旧盛岡銀行」の盛岡信用金庫本店の建物も素晴らしかったです。1階から2階まで伸びる6本の太い円柱、花崗岩に施した石彫りのパターン、内部のステンドグラスなどが重厚感を与え、昭和初期のモダンな表現と近代的デザインを感じさせます。そして「もりおか啄木・賢治青春館」の建物は「旧第九十銀行」だったということも知りました。小樽の町も北のウォール街と呼ばれた時期があり、銀行建築の素晴らしい建物が数多く残されていましたが、盛岡もそれに近いものがあるのだと感じました。そんなことを感じながらも近隣にある「釜定本店」では家にあるすき焼き鍋と同じデザインの小振りの鍋を買い求め、「こざ九・森九商店」では何故か経木まで買いました。「プラザおでって」の「まちの驛もりおか さんさん広場」ではちょうど出始めの「さんさ」という林檎を1箱買い求めて宅急便で家に送りました。そして行き忘れていた「白沢せんべい店」で南部せんべいも買うことが出来ました。買い物をしていたらかなり時間が経ってしまい、慌てて「盛岡バスセンター」からバスに乗って、乗り継ぎ時間のギリギリに盛岡駅に戻ることが出来ました。<br /><br />

トラピックス 盛岡つなぎ温泉2泊3日の旅(3)旧岩手銀行本店と旧第九十銀行と旧盛岡銀行に在りし日の盛岡の姿を感じる。

9いいね!

2022/09/12 - 2022/09/12

516位(同エリア957件中)

旅行記グループ 2022盛岡つなぎ温泉

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kojikoji

kojikojiさん

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盛岡2日目の午後の観光は「白龍(パイロン)」からぶらぶら歩いて、中津川を越えた先にある「岩手銀行 赤レンガ館」に向かいます。一目見ただけで分かる辰野金吾の設計した辰野ルネッサンスと呼ばれる外壁の赤レンガに花崗岩の帯を回し、屋上にドームを載せる点などに辰野の作風が感じられます。東京駅の外観が思い出されると共に、6月に行った小樽の「旧日本銀行小樽支店」の建物と比較してしまいます。辰野ルネッサンスの流れを感じる建物としては台湾総統府や中国の瀋陽の駅舎を見に行ったことも思い出されます。続いての街歩きでは「旧盛岡銀行」の盛岡信用金庫本店の建物も素晴らしかったです。1階から2階まで伸びる6本の太い円柱、花崗岩に施した石彫りのパターン、内部のステンドグラスなどが重厚感を与え、昭和初期のモダンな表現と近代的デザインを感じさせます。そして「もりおか啄木・賢治青春館」の建物は「旧第九十銀行」だったということも知りました。小樽の町も北のウォール街と呼ばれた時期があり、銀行建築の素晴らしい建物が数多く残されていましたが、盛岡もそれに近いものがあるのだと感じました。そんなことを感じながらも近隣にある「釜定本店」では家にあるすき焼き鍋と同じデザインの小振りの鍋を買い求め、「こざ九・森九商店」では何故か経木まで買いました。「プラザおでって」の「まちの驛もりおか さんさん広場」ではちょうど出始めの「さんさ」という林檎を1箱買い求めて宅急便で家に送りました。そして行き忘れていた「白沢せんべい店」で南部せんべいも買うことが出来ました。買い物をしていたらかなり時間が経ってしまい、慌てて「盛岡バスセンター」からバスに乗って、乗り継ぎ時間のギリギリに盛岡駅に戻ることが出来ました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス 新幹線 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
阪急交通社

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  • 中津川に架かる中の橋の欄干にもきれいなプランターが並んでいます。ホテルのある御所湖から流れる川筋は盛岡市を越えると北上川となり太平洋に注がれます。鮭の遡上が見られないか覗き込んでみましたが、まだ数週間早いようです。

    中津川に架かる中の橋の欄干にもきれいなプランターが並んでいます。ホテルのある御所湖から流れる川筋は盛岡市を越えると北上川となり太平洋に注がれます。鮭の遡上が見られないか覗き込んでみましたが、まだ数週間早いようです。

  • 橋を渡り切ったところに「岩手銀行赤レンガ館」の建物が見えてきます。

    橋を渡り切ったところに「岩手銀行赤レンガ館」の建物が見えてきます。

    岩手銀行赤レンガ館 名所・史跡

  • その姿は見た瞬間に東京駅に似ていると感じます。建築は日本銀行本店などを手がけた辰野金吾と、盛岡出身の葛西萬司が設計を担当しています。辰野の作品の中では東北地方で唯一現存する建物でもあります。交差点の角地に建ち、東南隅に八角形の塔、南面の西寄りには四角形の塔を設け、東面北端には切妻屋根が突出するなど、立体感に富んだ構成になっています。

    その姿は見た瞬間に東京駅に似ていると感じます。建築は日本銀行本店などを手がけた辰野金吾と、盛岡出身の葛西萬司が設計を担当しています。辰野の作品の中では東北地方で唯一現存する建物でもあります。交差点の角地に建ち、東南隅に八角形の塔、南面の西寄りには四角形の塔を設け、東面北端には切妻屋根が突出するなど、立体感に富んだ構成になっています。

  • ほぼ四角形の建物の角から中に入ると無料で見学できる左側のコーナーと、有料の展示のある右側のコーナーに分かれています。エントランスホールの天井は八角形の美しい装飾が施されています。

    ほぼ四角形の建物の角から中に入ると無料で見学できる左側のコーナーと、有料の展示のある右側のコーナーに分かれています。エントランスホールの天井は八角形の美しい装飾が施されています。

  • 建材には約91万個の岩手県産の煉瓦と、内装材には青森ヒバが使用されています。辰野金吾の設計としてはこの6月に小樽市にある「日本銀行小樽支店」を見学してきたばかりですが、盛岡のこの建物の方が優雅な姿を残しています。

    建材には約91万個の岩手県産の煉瓦と、内装材には青森ヒバが使用されています。辰野金吾の設計としてはこの6月に小樽市にある「日本銀行小樽支店」を見学してきたばかりですが、盛岡のこの建物の方が優雅な姿を残しています。

  • 入場料は300円なので、チケットを買い求めます。数分後に2階の映像コーナーで13分の映画が始まるということで先を急ぎます。

    入場料は300円なので、チケットを買い求めます。数分後に2階の映像コーナーで13分の映画が始まるということで先を急ぎます。

  • 1階の中央部は対面カウンターが続き、事務スペースは吹き抜けの美しい空間が広がっています。

    1階の中央部は対面カウンターが続き、事務スペースは吹き抜けの美しい空間が広がっています。

  • 1階のカウンターの腰にも使われていた蛇紋岩は2階の暖炉にも使われていました。岩石の表面に蛇のような紋様が見られることから蛇紋岩と命名され、2016年に日本地質学会によって「岩手県の岩石」に選定されています。

    1階のカウンターの腰にも使われていた蛇紋岩は2階の暖炉にも使われていました。岩石の表面に蛇のような紋様が見られることから蛇紋岩と命名され、2016年に日本地質学会によって「岩手県の岩石」に選定されています。

  • 2階の各コーナーからは吹き抜け部分を眺めることが出来ます。銀行としての業務が増えるにしたがってスペースが足りなくなり、これらの吹き抜けに床が設けられたこともあるそうです。また、アイアンの手摺りは第2次世界大戦中に金属供出され、木製のものに変えられたこともあるそうです。

    2階の各コーナーからは吹き抜け部分を眺めることが出来ます。銀行としての業務が増えるにしたがってスペースが足りなくなり、これらの吹き抜けに床が設けられたこともあるそうです。また、アイアンの手摺りは第2次世界大戦中に金属供出され、木製のものに変えられたこともあるそうです。

  • 辰野が得意とした赤煉瓦に白い石を帯状にめぐらせるデザインは、ヴィクトリアン・ゴシックに影響を受けたもので、辰野式建築(たつのしき けんちく)とか辰野ルネッサンスと呼ばれています。時代的にもこの暖炉のデザインはアール・デコを感じます。

    辰野が得意とした赤煉瓦に白い石を帯状にめぐらせるデザインは、ヴィクトリアン・ゴシックに影響を受けたもので、辰野式建築(たつのしき けんちく)とか辰野ルネッサンスと呼ばれています。時代的にもこの暖炉のデザインはアール・デコを感じます。

  • 2階への階段は3か所あり、手摺も手摺子(支柱)も親柱もすべてが欅の無垢材が使われています。この北側の階段は行員が日常的に使うものなのでデザインもシンプルです。

    2階への階段は3か所あり、手摺も手摺子(支柱)も親柱もすべてが欅の無垢材が使われています。この北側の階段は行員が日常的に使うものなのでデザインもシンプルです。

  • コーナーの窓からは交差点側のドーム屋根がきれいに見えます。近くで見れば見るほど東京駅の駅舎のデザインに似ていると思います。辰野式建築は明治から大正にかけて多くの建築家がこれを模倣しています。

    コーナーの窓からは交差点側のドーム屋根がきれいに見えます。近くで見れば見るほど東京駅の駅舎のデザインに似ていると思います。辰野式建築は明治から大正にかけて多くの建築家がこれを模倣しています。

  • 現在でも台湾総統府として使用されている旧台湾総督府庁舎は辰野が監修した作品の1つです。近いうちに内部の見学をしたいと思いながら、外観の見学だけで願いは叶っていません。

    現在でも台湾総統府として使用されている旧台湾総督府庁舎は辰野が監修した作品の1つです。近いうちに内部の見学をしたいと思いながら、外観の見学だけで願いは叶っていません。

  • 旧満州の南満州鉄道の奉天駅(瀋陽駅)は辰野の学生であった太田毅と吉田宗太郎によって設計されています。東京駅と外観が似ており、遼寧省文物保護単位に指定されています。旧大和ホテルを泊まり歩きながら、旅順から大連、瀋陽、長春と哈爾濱を巡った旅でした。

    旧満州の南満州鉄道の奉天駅(瀋陽駅)は辰野の学生であった太田毅と吉田宗太郎によって設計されています。東京駅と外観が似ており、遼寧省文物保護単位に指定されています。旧大和ホテルを泊まり歩きながら、旅順から大連、瀋陽、長春と哈爾濱を巡った旅でした。

  • 吹き抜けの廻廊に取り付けられた手摺りは緑色に塗られた金属製の手摺りになっています。これはパルメットと呼ばれる棕櫚模様を組み合わせたものです。

    吹き抜けの廻廊に取り付けられた手摺りは緑色に塗られた金属製の手摺りになっています。これはパルメットと呼ばれる棕櫚模様を組み合わせたものです。

  • ホールの周囲の廻廊の手摺りはシンプルなものに変わっていますが、これは第2次世界大戦中の金属回収令によって供出されたことによるものです。

    ホールの周囲の廻廊の手摺りはシンプルなものに変わっていますが、これは第2次世界大戦中の金属回収令によって供出されたことによるものです。

  • 旧総会室には壁面に装飾が施されています。2か所のコーナーが丸くデザインされ、上部に漆喰装飾が施されています。先ほどの事務用階段の手摺の上部の球体をあしらったデザインにアカンサス(葉アザミ)の葉があしらわれています。バロック様式で多用されるカルトゥッシュ(装飾枠飾り)と呼ばれます。

    旧総会室には壁面に装飾が施されています。2か所のコーナーが丸くデザインされ、上部に漆喰装飾が施されています。先ほどの事務用階段の手摺の上部の球体をあしらったデザインにアカンサス(葉アザミ)の葉があしらわれています。バロック様式で多用されるカルトゥッシュ(装飾枠飾り)と呼ばれます。

  • 豪華なドア枠は典型的なバロック様式のデザインです。

    豪華なドア枠は典型的なバロック様式のデザインです。

  • 天井のモールディングなども美しいまま残されています。

    天井のモールディングなども美しいまま残されています。

  • 南西にある階段は総会室へ通じた賓客が利用するもので、親柱の上には壺状の松かさの様な彫刻が乗っています。これらも欅の無垢材を使っています。

    南西にある階段は総会室へ通じた賓客が利用するもので、親柱の上には壺状の松かさの様な彫刻が乗っています。これらも欅の無垢材を使っています。

  • ドア枠のデザインはそれぞれ違ったデザインが使われています。

    ドア枠のデザインはそれぞれ違ったデザインが使われています。

  • 階段室へ至るアーチの柔らかい意匠と、階段室の中の堅い格天井の違いが面白いです。

    階段室へ至るアーチの柔らかい意匠と、階段室の中の堅い格天井の違いが面白いです。

  • こちらからも外壁の煉瓦がきれいに見渡せます。赤レンガの外観が特徴ですが、1936年に岩手殖産銀行本店になってから1958年までは白く塗装され、「白い明治館」と呼ばれていたそうです。

    こちらからも外壁の煉瓦がきれいに見渡せます。赤レンガの外観が特徴ですが、1936年に岩手殖産銀行本店になってから1958年までは白く塗装され、「白い明治館」と呼ばれていたそうです。

  • 美しいデザインの階段室を下って1階の無料見学コーナーに向かいます。館内は無料の「岩手銀行ゾーン」と有料の「盛岡銀行ゾーン」に分かれているようです。

    美しいデザインの階段室を下って1階の無料見学コーナーに向かいます。館内は無料の「岩手銀行ゾーン」と有料の「盛岡銀行ゾーン」に分かれているようです。

  • 日本銀行本店などを手がけた辰野金吾と、盛岡出身の葛西萬司が設計を担当していますが、葛西はその後東京で辰野葛西設計事務所を開設しています。葛西の作品はすぐ近くに旧盛岡貯蓄銀行(現盛岡信用金庫本店)が残されています。

    日本銀行本店などを手がけた辰野金吾と、盛岡出身の葛西萬司が設計を担当していますが、葛西はその後東京で辰野葛西設計事務所を開設しています。葛西の作品はすぐ近くに旧盛岡貯蓄銀行(現盛岡信用金庫本店)が残されています。

  • 1階のホールを囲んで蛇紋岩のカウンターが設けられています。開口部のアーチに沿ったバロックスタイルの意匠も美しいです。

    1階のホールを囲んで蛇紋岩のカウンターが設けられています。開口部のアーチに沿ったバロックスタイルの意匠も美しいです。

  • 周囲の天井の低さが中央のホールの天井の高さを強調しているようです。

    周囲の天井の低さが中央のホールの天井の高さを強調しているようです。

  • ホールの中に入ると周囲にめぐらされた廻廊のデザインが目に止まります。床を支える鉄製のブラケットのデザインが小樽の日本銀行小樽支店のホールを思い出させます。

    ホールの中に入ると周囲にめぐらされた廻廊のデザインが目に止まります。床を支える鉄製のブラケットのデザインが小樽の日本銀行小樽支店のホールを思い出させます。

  • 1階の旧支配人室への木部のデザインも素晴らしいです。若い頃ラルフローレンのショップの施工にあたって廻し縁やパネルの詳細の図面を徹夜で描いたことを思い出しました。

    1階の旧支配人室への木部のデザインも素晴らしいです。若い頃ラルフローレンのショップの施工にあたって廻し縁やパネルの詳細の図面を徹夜で描いたことを思い出しました。

  • この周辺の意匠には孔雀なのか鳳凰なのか鳥の透かしデザインが使われています。

    この周辺の意匠には孔雀なのか鳳凰なのか鳥の透かしデザインが使われています。

  • ホールには柱が1本も無いので、大屋根は鉄骨のトラスで支えられているのかもしれません。1912年竣工の日銀小樽支店は鉄骨トラスを使われていましたが、1911年竣工のこの建物も同じかまでは分かりませんでした。

    ホールには柱が1本も無いので、大屋根は鉄骨のトラスで支えられているのかもしれません。1912年竣工の日銀小樽支店は鉄骨トラスを使われていましたが、1911年竣工のこの建物も同じかまでは分かりませんでした。

  • このアングルはイスラム教のモスクを想像させました。最後に行った海外旅行はトルコの周遊で、すでに2年以上の月日が過ぎ去っています。

    このアングルはイスラム教のモスクを想像させました。最後に行った海外旅行はトルコの周遊で、すでに2年以上の月日が過ぎ去っています。

  • 銀行としての余計なものが撤去されているので建築の美しさを堪能できました。ホールとして使われているので、展示物が少ないのも良かったです。

    銀行としての余計なものが撤去されているので建築の美しさを堪能できました。ホールとして使われているので、展示物が少ないのも良かったです。

  • 交差点の対角線の位置から全体の写真を撮りました。やはりこの位置からの眺めが一番美しいです。

    交差点の対角線の位置から全体の写真を撮りました。やはりこの位置からの眺めが一番美しいです。

  • 妻に長時間付き合ってもらったので、この後はお買い物モードに変更します。

    妻に長時間付き合ってもらったので、この後はお買い物モードに変更します。

  • 近くに残る「旧盛岡貯蓄銀行本店」は昭和2年の1927年に建てられた近代建築です。昭和10年に岩手貯蓄銀行に名称を改めています。昭和18年に岩手殖産銀行(現在の岩手銀行)、昭和33年に盛岡信用金庫に所有が移っています。鉄筋コンクリート造2階建て、外壁は花崗岩で設計は盛岡市出身の葛西萬司です。当時の銀行建築で多用されたギリシャ風の要素を取り入れ、正面外壁には6本の丸柱が神殿をモチーフにして重厚な印象を引き立ています。

    近くに残る「旧盛岡貯蓄銀行本店」は昭和2年の1927年に建てられた近代建築です。昭和10年に岩手貯蓄銀行に名称を改めています。昭和18年に岩手殖産銀行(現在の岩手銀行)、昭和33年に盛岡信用金庫に所有が移っています。鉄筋コンクリート造2階建て、外壁は花崗岩で設計は盛岡市出身の葛西萬司です。当時の銀行建築で多用されたギリシャ風の要素を取り入れ、正面外壁には6本の丸柱が神殿をモチーフにして重厚な印象を引き立ています。

    盛岡信用金庫本店 (旧貯蓄銀行) 名所・史跡

  • その先にある「釜定本店」が目的の店です。盛岡市内には数多くの鉄器店がありますが、観光客が行くには一番便利な場所にあります。<br /><br /><br />

    その先にある「釜定本店」が目的の店です。盛岡市内には数多くの鉄器店がありますが、観光客が行くには一番便利な場所にあります。


    釜定 (本店) 専門店

  • 盛岡の南部鉄器は南部藩主が京都から呼び寄せた釜師に茶の湯釜を作らせたのがはじまりとされるようです。良質な原材料に恵まれたことに加え、藩が保護育成に努めたことで発展し、以来400年の歴史を刻んでいます。

    盛岡の南部鉄器は南部藩主が京都から呼び寄せた釜師に茶の湯釜を作らせたのがはじまりとされるようです。良質な原材料に恵まれたことに加え、藩が保護育成に努めたことで発展し、以来400年の歴史を刻んでいます。

  • 釜定の製品はすべて店舗の裏手に建つ工房で造られるそうです。店舗は車道の高さから数段上がると土間になり、さらに小上がりに商品が並んでいます。中津川に近い場所にあるので、昔は川が氾濫することもあったのだろうかと想像してしまいます。

    釜定の製品はすべて店舗の裏手に建つ工房で造られるそうです。店舗は車道の高さから数段上がると土間になり、さらに小上がりに商品が並んでいます。中津川に近い場所にあるので、昔は川が氾濫することもあったのだろうかと想像してしまいます。

  • 入れ代わり立ち代わりお客さんが出入りしていますが、店の奥に声を掛けないと誰も出てきません。気に入った小型の鍋を買うことにしました。

    入れ代わり立ち代わりお客さんが出入りしていますが、店の奥に声を掛けないと誰も出てきません。気に入った小型の鍋を買うことにしました。

  • いろいろな種類の灰皿が並んでいますが、タバコをやめて15年ほど経つので興味は湧きません。上の花生けのように灰の中落しを逆さまにしてみようかと思いますが、よいアイデアが浮かびません。いくつかのデザインは岡本太郎の作品の顔に見えてきます。

    いろいろな種類の灰皿が並んでいますが、タバコをやめて15年ほど経つので興味は湧きません。上の花生けのように灰の中落しを逆さまにしてみようかと思いますが、よいアイデアが浮かびません。いくつかのデザインは岡本太郎の作品の顔に見えてきます。

  • 妻が若い頃に買った柳宗理のデザインしたすき焼き鍋は今でも家で使っています。今回は同じようなデザインの小型の鍋を買い求めました。2人でアヒージョを作るにはちょうど良さそうなサイズです。

    妻が若い頃に買った柳宗理のデザインしたすき焼き鍋は今でも家で使っています。今回は同じようなデザインの小型の鍋を買い求めました。2人でアヒージョを作るにはちょうど良さそうなサイズです。

  • 鉄瓶や羽釜は注文しても1年以上の納期が必要だそうです。羽釜を買おうとされた年配の男性がいらっしゃいましたが、1年待ちと言われて、「1年先に生きてるか分からないからな。」と呟いて店を出ていきました。最近新しく時計を買おうとしているのですが、残りの人生を考えると本当に必要か迷ってしまいます。

    鉄瓶や羽釜は注文しても1年以上の納期が必要だそうです。羽釜を買おうとされた年配の男性がいらっしゃいましたが、1年待ちと言われて、「1年先に生きてるか分からないからな。」と呟いて店を出ていきました。最近新しく時計を買おうとしているのですが、残りの人生を考えると本当に必要か迷ってしまいます。

  • 午前中に立ち寄った「光原社」の奥で見掛けたトルコで作られたアイアンのキャンドルも気になっていたのですが、このスタンドも気になります。この旅の翌週に能登へ行く予定で、ろうそくも買おうと思っていたのですが、台風14号の影響で飛行機がキャンセルになりました。

    午前中に立ち寄った「光原社」の奥で見掛けたトルコで作られたアイアンのキャンドルも気になっていたのですが、このスタンドも気になります。この旅の翌週に能登へ行く予定で、ろうそくも買おうと思っていたのですが、台風14号の影響で飛行機がキャンセルになりました。

  • 「釜定本店」の次は「こざ九・森九商店」に向かいます。<br />

    「釜定本店」の次は「こざ九・森九商店」に向かいます。

  • 黒壁が印象的な2階建ての建物は増築を重ね、全長は24メートルもあり、盛岡市の保存建造物に指定されているそうです。くの字に曲がった建物をつなぐような不思議な構造物は”うだつ”の様な役目もありそうです。

    黒壁が印象的な2階建ての建物は増築を重ね、全長は24メートルもあり、盛岡市の保存建造物に指定されているそうです。くの字に曲がった建物をつなぐような不思議な構造物は”うだつ”の様な役目もありそうです。

  • 看板などは何も出ていませんが、立て掛けられた竹ぼうきが商店だと感じさせます。

    看板などは何も出ていませんが、立て掛けられた竹ぼうきが商店だと感じさせます。

    ござ九 森九商店 専門店

  • ほうきが逆さまに立てられていると躊躇してしまいます。子供の頃の夏休みに京都の祖父母の家の掃除を手伝っていて、玄関を上がった和室にほうきを逆さまに立てて置いたら怒られたことを思い出してしまいます。

    ほうきが逆さまに立てられていると躊躇してしまいます。子供の頃の夏休みに京都の祖父母の家の掃除を手伝っていて、玄関を上がった和室にほうきを逆さまに立てて置いたら怒られたことを思い出してしまいます。

  • 建物は間口だけではなく奥行きもあり、突き当りの蔵の奥は中津川の土手になります。

    建物は間口だけではなく奥行きもあり、突き当りの蔵の奥は中津川の土手になります。

  • この中庭の雰囲気が素晴らしかったので写真を撮らせていただきました。文化13年の1816年の創業で、江戸後期から明治にかけて灯明用の灯心売や藁工品などを扱っていたそうです。現在も昔ながらの商家建築で荒物や日用品を扱い、籠(かご)や笊(ざる)なども数多く並んでいます。

    この中庭の雰囲気が素晴らしかったので写真を撮らせていただきました。文化13年の1816年の創業で、江戸後期から明治にかけて灯明用の灯心売や藁工品などを扱っていたそうです。現在も昔ながらの商家建築で荒物や日用品を扱い、籠(かご)や笊(ざる)なども数多く並んでいます。

  • 興味深い竹製品もありますが、東京での普段の生活では使いこなせないので諦めました。笊などは中国の地方都市で同じようなものが安く買えましたし、籠などもヨーロッパのクリスマスマーケット巡りで意外に安い値段で手に入ります。

    興味深い竹製品もありますが、東京での普段の生活では使いこなせないので諦めました。笊などは中国の地方都市で同じようなものが安く買えましたし、籠などもヨーロッパのクリスマスマーケット巡りで意外に安い値段で手に入ります。

  • ここで失敗したのは「こざ九・森九商店」の先にある「白沢せんべい店」へ行くのを忘れて、「もりおか啄木・賢治青春館」へ戻ってしまったことです。あまり離れていないので後で戻ることにします。

    ここで失敗したのは「こざ九・森九商店」の先にある「白沢せんべい店」へ行くのを忘れて、「もりおか啄木・賢治青春館」へ戻ってしまったことです。あまり離れていないので後で戻ることにします。

    もりおか啄木 賢治青春館 美術館・博物館

  • 「もりおか啄木・賢治青春館」の陳列物にはあまり興味が感じられませんでしたが、建物が素晴らしいことには訪れてから気づきました。

    「もりおか啄木・賢治青春館」の陳列物にはあまり興味が感じられませんでしたが、建物が素晴らしいことには訪れてから気づきました。

  • 館内に展示してあった「若き日の石川啄木」の頭像は舟越保武の作品でした。前日にホテルのある御所湖の湖畔で見た「シオン」の作者でもあります。

    館内に展示してあった「若き日の石川啄木」の頭像は舟越保武の作品でした。前日にホテルのある御所湖の湖畔で見た「シオン」の作者でもあります。

  • じっくり見ていると息子の舟越桂の作品のやさしさを感じてきます。保武はこの作品を造るにあたり苦労したので、いつも身近に置いていたそうです。もしかすると息子に影響を与えていたのだろうかなどと考えてしまいます。

    じっくり見ていると息子の舟越桂の作品のやさしさを感じてきます。保武はこの作品を造るにあたり苦労したので、いつも身近に置いていたそうです。もしかすると息子に影響を与えていたのだろうかなどと考えてしまいます。

  • こちらは高田博厚の「宮沢賢治」のブロンズ像です。賢治の弟の清六氏の依頼で制作されたものだそうです。高田博厚は東京外語学校でイタリア語を学んでいましたが、高村幸太郎との交友から彫刻を始め、昭和6年から32年までパリに滞在してロマン・ロランやマルチネと交流があったようです。

    こちらは高田博厚の「宮沢賢治」のブロンズ像です。賢治の弟の清六氏の依頼で制作されたものだそうです。高田博厚は東京外語学校でイタリア語を学んでいましたが、高村幸太郎との交友から彫刻を始め、昭和6年から32年までパリに滞在してロマン・ロランやマルチネと交流があったようです。

  • 2階にあるイベントホールでは盛岡のグラフィック・デザイナーの山崎文子という方の企画展が開催されていました。全く存じ上げないのですが、岩泉ヨーグルトのロゴなど見覚えのある作品が数多くありました。渋谷PARCOのオープンに衝撃を受けたとありましたが、山口はるみの作品に似たイラストにその思いの強さを感じました。

    2階にあるイベントホールでは盛岡のグラフィック・デザイナーの山崎文子という方の企画展が開催されていました。全く存じ上げないのですが、岩泉ヨーグルトのロゴなど見覚えのある作品が数多くありました。渋谷PARCOのオープンに衝撃を受けたとありましたが、山口はるみの作品に似たイラストにその思いの強さを感じました。

  • 1階のフロアには2階の床と屋根を支えるための柱が林立しています。そのデザインに苦労が感じられます。明治43年の1910年12月に第九十銀行本店本館(現:もりおか啄木・賢治青春館)は旧呉服町の現在地に建てられます。 設計は盛岡出身の若き設計技師の横濱勉です。年表を読むと赤レンガの盛岡銀行よりも、約5ヶ月早く竣工しています。

    1階のフロアには2階の床と屋根を支えるための柱が林立しています。そのデザインに苦労が感じられます。明治43年の1910年12月に第九十銀行本店本館(現:もりおか啄木・賢治青春館)は旧呉服町の現在地に建てられます。 設計は盛岡出身の若き設計技師の横濱勉です。年表を読むと赤レンガの盛岡銀行よりも、約5ヶ月早く竣工しています。

  • 第九十銀行は19世紀末の大正期の黎明を感じさせ、時代を先取りしたスタイルです。横濱は啄木や賢治と同じ盛岡中学出身で東京帝国大学建築学科を卒業しています。若い感性を最大限に活かし、第九十銀行の外観と営業室をロマネスクリバイバル式、その他の諸室をセセッション式として、当時の欧州の自由な建築運動をいち早くこの建物に反映させています。

    第九十銀行は19世紀末の大正期の黎明を感じさせ、時代を先取りしたスタイルです。横濱は啄木や賢治と同じ盛岡中学出身で東京帝国大学建築学科を卒業しています。若い感性を最大限に活かし、第九十銀行の外観と営業室をロマネスクリバイバル式、その他の諸室をセセッション式として、当時の欧州の自由な建築運動をいち早くこの建物に反映させています。

  • 1日歩き続けているので1階の「喫茶あこがれ」で少し休憩を挟みました。

    1日歩き続けているので1階の「喫茶あこがれ」で少し休憩を挟みました。

    もりおか啄木・賢治青春館 喫茶あこがれ グルメ・レストラン

  • 建物の外観は11世紀から12世紀のドイツ風ロマネスク様式の流れを汲んで、各所に重厚な意匠が施されています。スレートと銅板葺きのドーマー窓(換気口)を持ち、四方から中央の避雷針に向かって寄せた尖り屋根が美しいです。釉薬を掛けて艶やかに焼き上げられた黄褐色の化粧煉瓦などは日本国内に建つ建物ではないようです。

    建物の外観は11世紀から12世紀のドイツ風ロマネスク様式の流れを汲んで、各所に重厚な意匠が施されています。スレートと銅板葺きのドーマー窓(換気口)を持ち、四方から中央の避雷針に向かって寄せた尖り屋根が美しいです。釉薬を掛けて艶やかに焼き上げられた黄褐色の化粧煉瓦などは日本国内に建つ建物ではないようです。

  • 1階正面や2階窓のアーチ・コーナーに配された重厚さと斬新さを漂わす割肌の盛岡産花崗岩は正面から見ると、アンシンメトリーに配置され、縦のシンプルなラインが際立つ鎧戸の大きさも違います。若き横濱勉が情熱を傾けて郷里の盛岡に遺した、現存する唯一の作品です。

    1階正面や2階窓のアーチ・コーナーに配された重厚さと斬新さを漂わす割肌の盛岡産花崗岩は正面から見ると、アンシンメトリーに配置され、縦のシンプルなラインが際立つ鎧戸の大きさも違います。若き横濱勉が情熱を傾けて郷里の盛岡に遺した、現存する唯一の作品です。

  • 同じ時代にフィンランドで活躍したエリエル・サーリネンの作品を思い出しました。ヘルシンキ中央駅よりはアレクサンドル通りにある「ポホヨラ(Pohjola)」という建物です。インターネットも無い時代にどうやって思想やデザインが伝わったのか不思議な気がします。

    同じ時代にフィンランドで活躍したエリエル・サーリネンの作品を思い出しました。ヘルシンキ中央駅よりはアレクサンドル通りにある「ポホヨラ(Pohjola)」という建物です。インターネットも無い時代にどうやって思想やデザインが伝わったのか不思議な気がします。

  • 近くにあった三陸の料理屋のイラストが可愛らしかったです。潜水服にホヤの組み合わせが面白いです。

    近くにあった三陸の料理屋のイラストが可愛らしかったです。潜水服にホヤの組み合わせが面白いです。

  • 「まちの驛もりおか」のさんさん広場に並んだリンゴや桃や梨に足が止まってしまいます。早生の「さんさ」というリンゴが美味しいということなので1箱家に送ることにしました。

    「まちの驛もりおか」のさんさん広場に並んだリンゴや桃や梨に足が止まってしまいます。早生の「さんさ」というリンゴが美味しいということなので1箱家に送ることにしました。

  • 10キロで40個以上入っていました。さすがに担いで持っては帰れません。地元の友人や弟に配りましたがとても喜ばれました。

    10キロで40個以上入っていました。さすがに担いで持っては帰れません。地元の友人や弟に配りましたがとても喜ばれました。

  • 立ち寄り忘れた「白沢せんべい店」に戻る途中に「南部しぼり」の店がありました。南部紫染は”岩手根紫(いわてねむらさき)”の名のもとに、鎌倉時代にはすでに全国に周知されていたようです。

    立ち寄り忘れた「白沢せんべい店」に戻る途中に「南部しぼり」の店がありました。南部紫染は”岩手根紫(いわてねむらさき)”の名のもとに、鎌倉時代にはすでに全国に周知されていたようです。

  • 南部信直公の盛岡治城以後は代々国産として保護奨励され、良質な山野自生の紫草根と、独自の染技法が確立されていきます。NHKの「新日本風土記」の「北上川」の回でも岩手根紫(いわてねむらさき)は紹介されていました。

    南部信直公の盛岡治城以後は代々国産として保護奨励され、良質な山野自生の紫草根と、独自の染技法が確立されていきます。NHKの「新日本風土記」の「北上川」の回でも岩手根紫(いわてねむらさき)は紹介されていました。

  • 大枡や小枡や立涌などいくつもの絞りの技法があるようですが、この”立涌しぼり”はどのように糸を結んでいくのか理解できません。

    大枡や小枡や立涌などいくつもの絞りの技法があるようですが、この”立涌しぼり”はどのように糸を結んでいくのか理解できません。

  • 宮澤賢治も「紫紺染について」という作品の中で、一度は途絶えた紫根染の技法を唯一とどめていた西根村の山男を招き、研究所の人々が教えを受けるという話しを書いています。

    宮澤賢治も「紫紺染について」という作品の中で、一度は途絶えた紫根染の技法を唯一とどめていた西根村の山男を招き、研究所の人々が教えを受けるという話しを書いています。

  • 「紺屋町番屋」が見えてきました。昔ながらの望楼が目をひく番屋は、大正2年に盛岡消防分団として建てられました。昭和52年に盛岡市の保存建造物指定をうけています。大正年間の木造洋風事務所建築の典型といわれ、望楼へは屋根裏の螺旋階段で登れるようです。

    「紺屋町番屋」が見えてきました。昔ながらの望楼が目をひく番屋は、大正2年に盛岡消防分団として建てられました。昭和52年に盛岡市の保存建造物指定をうけています。大正年間の木造洋風事務所建築の典型といわれ、望楼へは屋根裏の螺旋階段で登れるようです。

    紺屋町番屋 名所・史跡

  • 紺屋町という地名は中津川を利用した紺屋(染物屋)が集まっていたことに由来することが想像されます。南部紫(むらさき)や南部茜(あかね)によって染められた布地は、盛岡藩の特産物でしたので先ほどの染織店が残っているのだと思います。紺屋町(こんやちょう)・鍛冶町(かじちょう)・紙町(かみちょう)の地名は日本国内の城下町には多く残る地名です。

    紺屋町という地名は中津川を利用した紺屋(染物屋)が集まっていたことに由来することが想像されます。南部紫(むらさき)や南部茜(あかね)によって染められた布地は、盛岡藩の特産物でしたので先ほどの染織店が残っているのだと思います。紺屋町(こんやちょう)・鍛冶町(かじちょう)・紙町(かみちょう)の地名は日本国内の城下町には多く残る地名です。

  • 「紺屋町番屋」のある交差点の対角に「白沢せんべい店」があります。南部せんべいというと胡麻を散らした薄味の物が想像されますが、この店のせんべいは種類も多くて迷ってしまいます。5種類ほどを選んでお土産にしましたが、どれも美味しいのでもっと買ってくれば良かったと後悔しました。

    「紺屋町番屋」のある交差点の対角に「白沢せんべい店」があります。南部せんべいというと胡麻を散らした薄味の物が想像されますが、この店のせんべいは種類も多くて迷ってしまいます。5種類ほどを選んでお土産にしましたが、どれも美味しいのでもっと買ってくれば良かったと後悔しました。

    白沢せんべい店 グルメ・レストラン

  • そろそろ盛岡駅まで戻らなければならない時間になりました。ところが「でんでんむし号」の「盛岡バスセンター」の停留所に着くと午後4時20分でした。18分のバスが出てしまったのか微妙でしたが、次の38分のバスで駅に戻ると50分のつなぎ温泉行のバスに間に合わなさそうです。こんな時に限ってタクシーも通りません。やきもきしていましたが、数分遅れでバスがやってきたので助かりました。

    そろそろ盛岡駅まで戻らなければならない時間になりました。ところが「でんでんむし号」の「盛岡バスセンター」の停留所に着くと午後4時20分でした。18分のバスが出てしまったのか微妙でしたが、次の38分のバスで駅に戻ると50分のつなぎ温泉行のバスに間に合わなさそうです。こんな時に限ってタクシーも通りません。やきもきしていましたが、数分遅れでバスがやってきたので助かりました。

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