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八尾町民ひろばに集合が22時半、ツアーバスが回送されて来るまで約20分ほど待たされ、金沢到着は日付が変わった9月3日でした。<br />翌朝、ツアーの集合時間までたっぷり時間があるので、6月に参拝できなかった尾山神社を訪れました。<br />慶長4年(1599年)閏3月3日、前田利家公が薨去しました。2代利長公は、利家公を祀るための神社を創るつもりでしたが、外様大名故に願いは叶わず、物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で、卯辰山麓に卯辰八幡宮を建立し、利家公の神霊を合祀しました。<br />明治に変わり、旧加賀藩士等は利家公の功績を不朽に伝えるため、旧金谷御殿の跡地に尾山神社を創建しました。<br />廃藩後、旧藩士等の生活は不安定であり、不満を募らせた島田一郎ら6人が東京・清水谷において大蔵卿・大久保利通公を暗殺する事件を起こしました。明治政府は、旧越中国全域および旧越前国の大半を領していた石川県の分割を決め、明治14年に福井県、明治16年に富山県を分県しました。<br />参考に清水谷の旅行記を載せておきます。<br />https://4travel.jp/travelogue/11672751<br /><br />ツアー行程表(予定)<br />1日目 9/2(金)	<br />東京(ゆっくり10:24~12:24発)-大宮(途中乗車可)新幹線はくたか号・禁煙席-富山-【移動:約15分】--富山市内(白エビを含む富山湾鮨の夕食)--【移動:約30分】-越中八尾(おわら風の盆を観賞)-【移動:約70分】-金沢(泊)<br />お食事: 朝:× 昼:× 夕:〇<br />宿泊:ホテルクラウンヒルズ金沢 076-261-3100<br />2日目 9/3(土)	<br />金沢(ゆっくり10:00出発)--【移動:約10分】-兼六園(日本三名園のひとつ)-【移動:約10分】-ひがし茶屋街(石畳が美しい風情ある街並み)--【移動:約10分】-金沢新幹線はくたか号・禁煙席大宮(途中下車可)-東京(16:52~17:52着)<br />お食事: 朝:× 昼:× 夕:×

金沢で朝の尾山神社に参拝し、兼六園とひがし茶屋街を駆け足で観光しました

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2022/09/03 - 2022/09/03

240位(同エリア4766件中)

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FUKUJIRO

FUKUJIROさん

この旅行記のスケジュール

この旅行記スケジュールを元に

八尾町民ひろばに集合が22時半、ツアーバスが回送されて来るまで約20分ほど待たされ、金沢到着は日付が変わった9月3日でした。
翌朝、ツアーの集合時間までたっぷり時間があるので、6月に参拝できなかった尾山神社を訪れました。
慶長4年(1599年)閏3月3日、前田利家公が薨去しました。2代利長公は、利家公を祀るための神社を創るつもりでしたが、外様大名故に願いは叶わず、物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で、卯辰山麓に卯辰八幡宮を建立し、利家公の神霊を合祀しました。
明治に変わり、旧加賀藩士等は利家公の功績を不朽に伝えるため、旧金谷御殿の跡地に尾山神社を創建しました。
廃藩後、旧藩士等の生活は不安定であり、不満を募らせた島田一郎ら6人が東京・清水谷において大蔵卿・大久保利通公を暗殺する事件を起こしました。明治政府は、旧越中国全域および旧越前国の大半を領していた石川県の分割を決め、明治14年に福井県、明治16年に富山県を分県しました。
参考に清水谷の旅行記を載せておきます。
https://4travel.jp/travelogue/11672751

ツアー行程表(予定)
1日目 9/2(金)
東京(ゆっくり10:24~12:24発)-大宮(途中乗車可)新幹線はくたか号・禁煙席-富山-【移動:約15分】--富山市内(白エビを含む富山湾鮨の夕食)--【移動:約30分】-越中八尾(おわら風の盆を観賞)-【移動:約70分】-金沢(泊)
お食事: 朝:× 昼:× 夕:〇
宿泊:ホテルクラウンヒルズ金沢 076-261-3100
2日目 9/3(土)
金沢(ゆっくり10:00出発)--【移動:約10分】-兼六園(日本三名園のひとつ)-【移動:約10分】-ひがし茶屋街(石畳が美しい風情ある街並み)--【移動:約10分】-金沢新幹線はくたか号・禁煙席大宮(途中下車可)-東京(16:52~17:52着)
お食事: 朝:× 昼:× 夕:×

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.5
交通
4.0
同行者
友人
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
観光バス 新幹線 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム

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  • 八尾からツアーバスで金沢に移動しました。<br />八尾には宿泊施設が少ないので、一見さんを泊めてくれるような場所はありません。富山市内に泊まれたらとてもラッキーな方で、ツアーだと金沢とか宇奈月温泉まで移動します。

    八尾からツアーバスで金沢に移動しました。
    八尾には宿泊施設が少ないので、一見さんを泊めてくれるような場所はありません。富山市内に泊まれたらとてもラッキーな方で、ツアーだと金沢とか宇奈月温泉まで移動します。

  • ホテルに着いたのが0時過ぎ。それから部屋分けして、部屋に入ったのは0時半でした。

    ホテルに着いたのが0時過ぎ。それから部屋分けして、部屋に入ったのは0時半でした。

  • 一応部屋の写真を撮っていました。

    一応部屋の写真を撮っていました。

  • 夜景です。

    夜景です。

  • バスルーム。

    バスルーム。

  • ホテルクラウンヒルズ金沢。翌朝、撮影。<br />名前は立派ですが、かなり古びたホテルです。クラブツーリズムって、もっと良いホテルに泊まっていたと記憶していましたが...。<br />ただし、観光地に近くてローケーションは良かったです。

    ホテルクラウンヒルズ金沢。翌朝、撮影。
    名前は立派ですが、かなり古びたホテルです。クラブツーリズムって、もっと良いホテルに泊まっていたと記憶していましたが...。
    ただし、観光地に近くてローケーションは良かったです。

  • ホテルの朝食も付いていないので、早朝から観光します。<br />目指すは前回お参りできなかった尾山神社です。

    ホテルの朝食も付いていないので、早朝から観光します。
    目指すは前回お参りできなかった尾山神社です。

  • いしかわ四高記念公園です。この公園は、古くは加賀藩が文正5年(1822年)に学問所を置いて以来、長い間学問の場として受け継がれてきました。<br />明治20年、旧制第四高等学校が設置されてからは、四高(しこう)と呼ばれ親しまれました。この公園のシンボルが旧制金沢四高の赤レンガ校舎です。

    いしかわ四高記念公園です。この公園は、古くは加賀藩が文正5年(1822年)に学問所を置いて以来、長い間学問の場として受け継がれてきました。
    明治20年、旧制第四高等学校が設置されてからは、四高(しこう)と呼ばれ親しまれました。この公園のシンボルが旧制金沢四高の赤レンガ校舎です。

  • 石川四高記念文化交流館。<br />四高は昭和25年に閉校となり、国立金沢大学の理学部が置かれました。昭和38年に金沢大学は金沢城址に移り、国の重要文化財に指定されている建物は石川四高記念文化交流館と名付けられ、館内には石川四高記念館と石川近代文学館が開設されています。

    石川四高記念文化交流館。
    四高は昭和25年に閉校となり、国立金沢大学の理学部が置かれました。昭和38年に金沢大学は金沢城址に移り、国の重要文化財に指定されている建物は石川四高記念文化交流館と名付けられ、館内には石川四高記念館と石川近代文学館が開設されています。

  • 石川四高記念文化交流館の入り口、もちろん、営業前なので閉まっていました。

    石川四高記念文化交流館の入り口、もちろん、営業前なので閉まっていました。

  • 公園内の像ですが、調べても分かりませんでした。

    公園内の像ですが、調べても分かりませんでした。

  • 金沢広域合同庁舎。

    金沢広域合同庁舎。

  • 神社に近づいた感じがします。

    神社に近づいた感じがします。

  • 尾山神社の鳥居と神門。石段の上に建っています。神門の最頂部には、日本最古の避雷針が設置されています。

    尾山神社の鳥居と神門。石段の上に建っています。神門の最頂部には、日本最古の避雷針が設置されています。

  • 尾山神社の額と神門(国の重要文化財)。<br />明治8年の建築で、和漢洋の三様式を混用した独特の形状で知られています。

    尾山神社の額と神門(国の重要文化財)。
    明治8年の建築で、和漢洋の三様式を混用した独特の形状で知られています。

  • 尾山神社の神門。大きな建物なので、少し離れたところから見た方が全体が良くわかります。<br />

    尾山神社の神門。大きな建物なので、少し離れたところから見た方が全体が良くわかります。

  • 神門・上部。第三層は四面五彩のギヤマン張り。最上部には五色のガラス板がはめられており、その照明は富山湾を運航する船の目印になりました。

    神門・上部。第三層は四面五彩のギヤマン張り。最上部には五色のガラス板がはめられており、その照明は富山湾を運航する船の目印になりました。

  • 神門・下部。第一層の上部分。

    神門・下部。第一層の上部分。

  • 神門・下部。第一層には戸室石(角閃安山岩)を用いてあり、三連アーチ型で、日本建築の技法で組まれた木造です。

    神門・下部。第一層には戸室石(角閃安山岩)を用いてあり、三連アーチ型で、日本建築の技法で組まれた木造です。

  • 門上部の彫刻。

    門上部の彫刻。

  • 尾山神社の拝殿。明治6年の創建時に建立しました。屋根は全面黒瓦で、重厚感があります。

    尾山神社の拝殿。明治6年の創建時に建立しました。屋根は全面黒瓦で、重厚感があります。

  • 神苑に引かれた導水管。前田利常公の頃、犀川上流から兼六園内を通し、金沢城まで辰巳用水を造りました。その用水の一部を分岐して金谷御殿(現在の尾山神社)に導水しました。

    神苑に引かれた導水管。前田利常公の頃、犀川上流から兼六園内を通し、金沢城まで辰巳用水を造りました。その用水の一部を分岐して金谷御殿(現在の尾山神社)に導水しました。

  • 手水舎。

    手水舎。

  • 神門(内側)。第1層の石積みの様子がよくわかります。

    神門(内側)。第1層の石積みの様子がよくわかります。

  • 拝殿。内部中央の天井と欄間は旧金谷御殿のものです。天井は格天井作りで各間毎に岩絵具による極彩色のうどんげの花が美しく描かれています。欄間は約八寸厚の欅の一枚板に見事な梅花紋を透彫にし、極彩色の華麗な彫刻です。

    拝殿。内部中央の天井と欄間は旧金谷御殿のものです。天井は格天井作りで各間毎に岩絵具による極彩色のうどんげの花が美しく描かれています。欄間は約八寸厚の欅の一枚板に見事な梅花紋を透彫にし、極彩色の華麗な彫刻です。

  • 狛犬(阿形)。とても迫力があります。

    狛犬(阿形)。とても迫力があります。

  • 狛犬(吽形)。白山市の金劔宮に居た狛犬に似ていると思います。

    狛犬(吽形)。白山市の金劔宮に居た狛犬に似ていると思います。

  • 拝殿。<br />主祭神は、前田利家公と正室まつ殿。<br />相殿は、前田利長公、前田利常公。

    拝殿。
    主祭神は、前田利家公と正室まつ殿。
    相殿は、前田利長公、前田利常公。

  • 蚊母樹(いすのき)は、高さ20mにも達する常緑樹です。別称ヒョンノキとも。<br />西日本では自生しているようですが、金沢では珍しく、樹齢200余年です。

    蚊母樹(いすのき)は、高さ20mにも達する常緑樹です。別称ヒョンノキとも。
    西日本では自生しているようですが、金沢では珍しく、樹齢200余年です。

  • 金谷神社への参道。

    金谷神社への参道。

  • さし石(力石)。加賀では相撲とともに力比べが盛んに行われていました。<br />この石に触れると健康にご利益があるそうです。

    さし石(力石)。加賀では相撲とともに力比べが盛んに行われていました。
    この石に触れると健康にご利益があるそうです。

  • 金谷神社。拝殿に向かって右奥にあり、尾山神社御本殿の隣に鎮座しています。

    金谷神社。拝殿に向かって右奥にあり、尾山神社御本殿の隣に鎮座しています。

  • 金谷神社。二代藩主前田利長公をはじめ三代から十七代までの藩主と正室をお祀りしています。

    金谷神社。二代藩主前田利長公をはじめ三代から十七代までの藩主と正室をお祀りしています。

  • 金谷神社の扁額。

    金谷神社の扁額。

  • 百万石まつりの際に神様を乗せる御座。

    百万石まつりの際に神様を乗せる御座。

  • 金谷神社の脇から見える尾山神社の御本殿。<br />この本殿を囲んでいる玉垣が煉瓦壁です。金沢で焼いた煉瓦で造られた金沢初の煉瓦壁で、イギリス積みです。歴史的にとても貴重な壁となっています。

    金谷神社の脇から見える尾山神社の御本殿。
    この本殿を囲んでいる玉垣が煉瓦壁です。金沢で焼いた煉瓦で造られた金沢初の煉瓦壁で、イギリス積みです。歴史的にとても貴重な壁となっています。

  • 尾山神社庭園(旧金谷御殿庭園)は、前田家の別邸であった金谷御殿に造った池泉回遊式庭園です。

    尾山神社庭園(旧金谷御殿庭園)は、前田家の別邸であった金谷御殿に造った池泉回遊式庭園です。

  • 神苑の池。神苑の水は、三代藩主利常公の命により完成した辰巳用水の水を高低差を利用して、兼六園から暗渠で導き、響遠瀑から落としていました。

    神苑の池。神苑の水は、三代藩主利常公の命により完成した辰巳用水の水を高低差を利用して、兼六園から暗渠で導き、響遠瀑から落としていました。

  • 池の鯉。

    池の鯉。

  • 尾山神社の菊桜。<br />元々の親木は、兼六園にあった菊桜で、天然記念物に指定されていました。その菊桜は枯れてしまいましたが、その前に接ぎ木した木からさらに接ぎ木した貴重な種です。

    尾山神社の菊桜。
    元々の親木は、兼六園にあった菊桜で、天然記念物に指定されていました。その菊桜は枯れてしまいましたが、その前に接ぎ木した木からさらに接ぎ木した貴重な種です。

  • 前田利家公騎馬像とおまつの方(芳春院)坐像。

    前田利家公騎馬像とおまつの方(芳春院)坐像。

  • 前田利家公騎馬像。母衣を背負い、「槍の又左」の異名があるように槍の名手らしく、槍を掲げた騎馬像です。

    前田利家公騎馬像。母衣を背負い、「槍の又左」の異名があるように槍の名手らしく、槍を掲げた騎馬像です。

  • 前田利家公騎馬像。この角度からご尊顔を拝しました。

    前田利家公騎馬像。この角度からご尊顔を拝しました。

  • おまつの方(芳春院)坐像。<br />前田利家公の正室で、学問や武芸をたしなむ才能豊かな女性であったと伝えられています。実母が利家公の母の姉で利家公とは従兄関係であり、利家亡き後は、芳春院と号しました。

    おまつの方(芳春院)坐像。
    前田利家公の正室で、学問や武芸をたしなむ才能豊かな女性であったと伝えられています。実母が利家公の母の姉で利家公とは従兄関係であり、利家亡き後は、芳春院と号しました。

  • おまつの方坐像。<br />外様大名であるため家名存続を気遣い、絶えず幕府に忠誠の意思を示しました。利家公の亡き後、おまつの方(芳春院)は息子たちに「母は死んだと思いなさい」と言い残して江戸に赴き、自ら人質となりました。

    おまつの方坐像。
    外様大名であるため家名存続を気遣い、絶えず幕府に忠誠の意思を示しました。利家公の亡き後、おまつの方(芳春院)は息子たちに「母は死んだと思いなさい」と言い残して江戸に赴き、自ら人質となりました。

  • 遥拝所の登り口。この上には伊勢神宮と明治神宮の遥拝所があります。<br />右端に細長い物が立っています、

    遥拝所の登り口。この上には伊勢神宮と明治神宮の遥拝所があります。
    右端に細長い物が立っています、

  • 関口先生記念標。<br />数学者・関口 開(せきぐち ひらき)の顕彰碑です。和算を極め、後に西洋数学を独学で学び、明治になって西洋数学の本を翻訳した「新撰数学」を発行して、西洋数学の普及に尽力した方です。関口先生の弟子の多くが東京大学数学科に進みました。

    関口先生記念標。
    数学者・関口 開(せきぐち ひらき)の顕彰碑です。和算を極め、後に西洋数学を独学で学び、明治になって西洋数学の本を翻訳した「新撰数学」を発行して、西洋数学の普及に尽力した方です。関口先生の弟子の多くが東京大学数学科に進みました。

  • 授与所です。平成27年秋に完成した授与所で、全面ガラス張りのデザインです。<br />授与所の前には、前田利家公の兜の像が置かれています。

    授与所です。平成27年秋に完成した授与所で、全面ガラス張りのデザインです。
    授与所の前には、前田利家公の兜の像が置かれています。

  • 利家公金鯰尾兜の碑。大人がこの前に立つと、兜をかぶったように見えるらしのですが、一人ではうまくできませんでした。

    利家公金鯰尾兜の碑。大人がこの前に立つと、兜をかぶったように見えるらしのですが、一人ではうまくできませんでした。

  • 利家公金鯰尾兜の碑。尾山神社の御神宝である「大鯰尾兜」、「小鯰尾兜」は、前田利家公が若干23歳にして桶狭間の戦に臨まれたとき以来、幾度の合戦に着用されました。その兜を模したもので、何事にも打ち勝って進むとされ、とても縁起の良いものです。

    利家公金鯰尾兜の碑。尾山神社の御神宝である「大鯰尾兜」、「小鯰尾兜」は、前田利家公が若干23歳にして桶狭間の戦に臨まれたとき以来、幾度の合戦に着用されました。その兜を模したもので、何事にも打ち勝って進むとされ、とても縁起の良いものです。

  • 最近の隠れ1番人気はカエルのオブジェ「夏の夕刻」らしいです。<br />足元のベンチにもタイトルがあり、「山笑う」です。<br />拝殿に向かって右側、金谷神社の手前です。

    最近の隠れ1番人気はカエルのオブジェ「夏の夕刻」らしいです。
    足元のベンチにもタイトルがあり、「山笑う」です。
    拝殿に向かって右側、金谷神社の手前です。

  • 平成23年に埼玉県の鍛鉄工芸家から寄進された作品で、元々はカエル1匹だけでしたが、その後、母ガエルと3匹の子ガエルが追加されました。

    平成23年に埼玉県の鍛鉄工芸家から寄進された作品で、元々はカエル1匹だけでしたが、その後、母ガエルと3匹の子ガエルが追加されました。

  • 葉っぱの上には3匹のカエル。

    葉っぱの上には3匹のカエル。

  • 尾山神社の隠れ人気「金のカエル」。

    尾山神社の隠れ人気「金のカエル」。

  • 手を差し伸べている「金のカエル」。<br />私も無事カエルをお願いしました。

    手を差し伸べている「金のカエル」。
    私も無事カエルをお願いしました。

  • 金谷神社の脇には謎のオブジェがあります。

    金谷神社の脇には謎のオブジェがあります。

  • こちらは金谷神社の御本殿です。

    こちらは金谷神社の御本殿です。

  • 崇高な理念「報恩感謝」が込められている「母子順風之像」ですが、ちょっと驚かされます。昭和56年、彫刻家・平野富山氏と日本不老協会によって造られました。

    崇高な理念「報恩感謝」が込められている「母子順風之像」ですが、ちょっと驚かされます。昭和56年、彫刻家・平野富山氏と日本不老協会によって造られました。

  • 斜めから見た像。母親には角と翼があります。でも、手で翼を支えているから、身体から生えているのではないのかな。

    斜めから見た像。母親には角と翼があります。でも、手で翼を支えているから、身体から生えているのではないのかな。

  • 「松平」とありますが、その下は不明です。<br />三代前田利常公の正室てある珠姫は、徳川秀忠公と正室お江の方の次女にあたり、松平との関係は深いですから。<br />

    「松平」とありますが、その下は不明です。
    三代前田利常公の正室てある珠姫は、徳川秀忠公と正室お江の方の次女にあたり、松平との関係は深いですから。

  • 金沢城址公園の鼠多門橋と鼠多門が見えました。

    金沢城址公園の鼠多門橋と鼠多門が見えました。

  • 海江田一松氏之碑です。東神門の近くに三つの石碑があります。<br />向かって左側の横長の石碑が「海江田一松氏之碑」です。金沢駅車長だった海江田一松氏は、明治31年(1898年)9月10日に列車で米原駅に向かう途中、高月駅を過ぎたところでつまづいて倒れて墜ち、車輪に轢かれ翌朝亡くなりました。享年23歳。<br />同氏を悼み、11月27日建立。

    海江田一松氏之碑です。東神門の近くに三つの石碑があります。
    向かって左側の横長の石碑が「海江田一松氏之碑」です。金沢駅車長だった海江田一松氏は、明治31年(1898年)9月10日に列車で米原駅に向かう途中、高月駅を過ぎたところでつまづいて倒れて墜ち、車輪に轢かれ翌朝亡くなりました。享年23歳。
    同氏を悼み、11月27日建立。

  • 井村徳二顕彰碑。昭和39年9月27日建立。元衆議院議員、元参議院議員。昭和24年から29年まで北陸鉄道の代表取締役社長を務めました。

    井村徳二顕彰碑。昭和39年9月27日建立。元衆議院議員、元参議院議員。昭和24年から29年まで北陸鉄道の代表取締役社長を務めました。

  • 高島筍雄(たかしまじゅんゆう)句碑。金沢市出身の開業医でした。<br />桐の花 <br />朝日拝むと <br />人つどふ<br />

    高島筍雄(たかしまじゅんゆう)句碑。金沢市出身の開業医でした。
    桐の花
    朝日拝むと
    人つどふ

  • 東神門(内側)。

    東神門(内側)。

  • この東神門は、元は金沢城二ノ丸御殿で使われていた唐門でした。<br />二ノ丸御殿は幾度も火災にあっていますが、この門は一度も燃えませんでした。<br />その後、金沢城は廃され、陸軍の拠点となると、明治3年に卯辰山招魂社に移築されました。昭和38年、尾山神社に移築されました。

    この東神門は、元は金沢城二ノ丸御殿で使われていた唐門でした。
    二ノ丸御殿は幾度も火災にあっていますが、この門は一度も燃えませんでした。
    その後、金沢城は廃され、陸軍の拠点となると、明治3年に卯辰山招魂社に移築されました。昭和38年、尾山神社に移築されました。

  • 東神門。桃山風御殿建築の様式を残す貴重な建造物です。<br />宝暦9年(1759年)の大火で、金沢城の大半が焼失しましたが、この門は類焼を免れたと伝えられています。

    東神門。桃山風御殿建築の様式を残す貴重な建造物です。
    宝暦9年(1759年)の大火で、金沢城の大半が焼失しましたが、この門は類焼を免れたと伝えられています。

  • この門が無事だったその理由は、この門に彫刻(作者不明)された二頭の龍が水を呼んだためと伝えられています。

    この門が無事だったその理由は、この門に彫刻(作者不明)された二頭の龍が水を呼んだためと伝えられています。

  • 集合時間ギリギリにホテルに戻り、ツアーバスで兼六園に移動しました。<br />自由時間が短いので駆け足で回ります。

    集合時間ギリギリにホテルに戻り、ツアーバスで兼六園に移動しました。
    自由時間が短いので駆け足で回ります。

  • 霞ヶ池と右手に徽軫灯籠(ことじとうろう)。中央の島は蓬莱島。<br />兼六園を代表する景観で、徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。高さ2.67m。<br />

    霞ヶ池と右手に徽軫灯籠(ことじとうろう)。中央の島は蓬莱島。
    兼六園を代表する景観で、徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。高さ2.67m。

  • 日本武尊の像。明治13年(1880年)に建立の銅像です。身長は約5.5メートル、重さ約5.5トン、台石の高さは約6.5メートルです。

    日本武尊の像。明治13年(1880年)に建立の銅像です。身長は約5.5メートル、重さ約5.5トン、台石の高さは約6.5メートルです。

  • 日本武尊像は、明治10年(1877年)の西南戦争で亡くなった石川県兵士の慰霊のため、兵士をヤマトタケルに喩えて製作されました。

    日本武尊像は、明治10年(1877年)の西南戦争で亡くなった石川県兵士の慰霊のため、兵士をヤマトタケルに喩えて製作されました。

  • 辰巳用水は全長約11kmで、金沢市を流れる犀川の上流で取水し、兼六園内を流れ、さらに金沢城に水を流しました。<br />兼六園と金沢城の間で約12m下がり、そこから伏せ越しの技術で約10mを上げて金沢城二ノ丸に引き込みました。

    辰巳用水は全長約11kmで、金沢市を流れる犀川の上流で取水し、兼六園内を流れ、さらに金沢城に水を流しました。
    兼六園と金沢城の間で約12m下がり、そこから伏せ越しの技術で約10mを上げて金沢城二ノ丸に引き込みました。

  • 成巽閣。文久3年(1863年)に建てられた巽御殿です。金沢城から見て巽(東南)の方角にあることから名付けられました。<br />成巽閣は、武家書院造と数寄屋風書院造を一つの棟の中に組み入れた巧みな様式をもつ建造物で、江戸時代末期(1860年代後半)の武家造の遺構としては類例がありません。<br />また、大名正室の御殿としては、日本国内に唯一現存する建造物です。

    成巽閣。文久3年(1863年)に建てられた巽御殿です。金沢城から見て巽(東南)の方角にあることから名付けられました。
    成巽閣は、武家書院造と数寄屋風書院造を一つの棟の中に組み入れた巧みな様式をもつ建造物で、江戸時代末期(1860年代後半)の武家造の遺構としては類例がありません。
    また、大名正室の御殿としては、日本国内に唯一現存する建造物です。

  • ぐるっと回って、霞ヶ池に戻りました。

    ぐるっと回って、霞ヶ池に戻りました。

  • 兼六園の見学時間はわずか40分、そんなに無理して見学しなくても、どこか一ヶ所をじっくり見学したかったな。奥に見えているのは金沢城公園の石川門です。

    兼六園の見学時間はわずか40分、そんなに無理して見学しなくても、どこか一ヶ所をじっくり見学したかったな。奥に見えているのは金沢城公園の石川門です。

  • ツアーバスで30分ほどかけて、東山の大きな駐車場に着きました<br />歩いて、ひがし茶屋街に来ました。

    ツアーバスで30分ほどかけて、東山の大きな駐車場に着きました
    歩いて、ひがし茶屋街に来ました。

  • 藤島山圓長寺。真言宗大谷派の寺院。<br />創建は天正14年(1586年)、越前国藤島村(福井県福井市)超願寺の僧・道清の開山によります。その後、慶長元年(1596年)にここへ移りました。<br />ひがし茶屋街を目指すお客さんは素通りでした。

    藤島山圓長寺。真言宗大谷派の寺院。
    創建は天正14年(1586年)、越前国藤島村(福井県福井市)超願寺の僧・道清の開山によります。その後、慶長元年(1596年)にここへ移りました。
    ひがし茶屋街を目指すお客さんは素通りでした。

  • 圓長寺の御本尊は阿弥陀如来です。<br />由来によれば、3代加賀藩主利常公が卯辰山周辺に鷹狩りを行った際、小休憩所として利用したと伝えられています。<br />その縁により利常公の位牌を安置しています。

    圓長寺の御本尊は阿弥陀如来です。
    由来によれば、3代加賀藩主利常公が卯辰山周辺に鷹狩りを行った際、小休憩所として利用したと伝えられています。
    その縁により利常公の位牌を安置しています。

  • からくり御堂。八角形の輪蔵(回転式の書架)で、棚の中には約5000巻以上の般若心経などのお経が納められており、輪蔵を一周させると、それらのお経の全てを読んだのと同じご利益が得られます。<br />扉が閉まっている場合は、円長寺の方にお声を掛けてみて下さい。

    からくり御堂。八角形の輪蔵(回転式の書架)で、棚の中には約5000巻以上の般若心経などのお経が納められており、輪蔵を一周させると、それらのお経の全てを読んだのと同じご利益が得られます。
    扉が閉まっている場合は、円長寺の方にお声を掛けてみて下さい。

  • 御朱印が門に張り出してありました。

    御朱印が門に張り出してありました。

  • この辺りがひがし茶屋街の入り口。<br />ひがし茶屋街は、文政3年(1820年)に加賀藩が周辺に点在していたお茶屋を集めて町割りした場所です。浅野川の東岸にあり、犀川西岸の「にし茶屋街」とともに公許の茶屋街を形成していました。

    この辺りがひがし茶屋街の入り口。
    ひがし茶屋街は、文政3年(1820年)に加賀藩が周辺に点在していたお茶屋を集めて町割りした場所です。浅野川の東岸にあり、犀川西岸の「にし茶屋街」とともに公許の茶屋街を形成していました。

  • うしおや ひがし茶屋街店。<br />たたき丼各種と、海産物処ならではのぞうすい・お茶漬のお店。

    うしおや ひがし茶屋街店。
    たたき丼各種と、海産物処ならではのぞうすい・お茶漬のお店。

  • 金箔アイスクリームの箔一。<br />金箔一枚を贅沢に使い、値段は891円(ハクイチ)です。

    金箔アイスクリームの箔一。
    金箔一枚を贅沢に使い、値段は891円(ハクイチ)です。

  • 細い路地。

    細い路地。

  • 金澤しつらえ&茶房 やなぎ庵。<br />1階に出格子、2階の天井は高く座敷を設ける木造の茶屋建築です。金澤しつらえ(旧諸江屋)は、茶屋建築に特徴的な朱色(弁柄色)に塗られています。<br />正面には、茶屋からの帰り客が振り返ったという見返り柳がそよぎます。

    金澤しつらえ&茶房 やなぎ庵。
    1階に出格子、2階の天井は高く座敷を設ける木造の茶屋建築です。金澤しつらえ(旧諸江屋)は、茶屋建築に特徴的な朱色(弁柄色)に塗られています。
    正面には、茶屋からの帰り客が振り返ったという見返り柳がそよぎます。

  • 金澤しつらえ&茶房 やなぎ庵(2階)。<br />2階にゆったりとくつろげる茶房があります。<br />茶屋は2階に雨戸があります。上部にガラスを入れた高窓雨戸で、内側には転落防止の手すりがあります。<br />当時は、お座敷が始まれば雨戸をすべて開け放ち、提灯などを軒にぶら下げていたようです。

    金澤しつらえ&茶房 やなぎ庵(2階)。
    2階にゆったりとくつろげる茶房があります。
    茶屋は2階に雨戸があります。上部にガラスを入れた高窓雨戸で、内側には転落防止の手すりがあります。
    当時は、お座敷が始まれば雨戸をすべて開け放ち、提灯などを軒にぶら下げていたようです。

  • 茶屋街の説明書きがありました。

    茶屋街の説明書きがありました。

  • ひがし茶屋街。重要伝統的建造物群保存地区に登録されています。

    ひがし茶屋街。重要伝統的建造物群保存地区に登録されています。

  • 志摩、一般公開されているお茶屋さんです。<br />茶屋の1階には大戸が備えてあります。日中はくぐり戸から出入りし、夜には大戸を開けて、屋号の入った四角い行灯をつけて客を誘いました。

    志摩、一般公開されているお茶屋さんです。
    茶屋の1階には大戸が備えてあります。日中はくぐり戸から出入りし、夜には大戸を開けて、屋号の入った四角い行灯をつけて客を誘いました。

  • 玉匣(たまくしげ)。古くからのからの茶屋建築の風情を残して再生した店舗です。<br />2階は料亭「中むら」が営業しています。

    玉匣(たまくしげ)。古くからのからの茶屋建築の風情を残して再生した店舗です。
    2階は料亭「中むら」が営業しています。

  • 懐華樓カフェ。一番大きな茶屋建築で、夜は「一見さんお断り」を通して一客一亭のお座敷を上げています。昼はカフェを営業、建物のすべてを一般公開しています。

    懐華樓カフェ。一番大きな茶屋建築で、夜は「一見さんお断り」を通して一客一亭のお座敷を上げています。昼はカフェを営業、建物のすべてを一般公開しています。

  • 箔座ひかり藏。純金と純プラチナを合金した箔座オリジナル「純金プラチナ箔」の品々を販売、店舗奥には純金プラチナ箔と24Kの純金箔で仕上げた「黄金の蔵」があります。

    箔座ひかり藏。純金と純プラチナを合金した箔座オリジナル「純金プラチナ箔」の品々を販売、店舗奥には純金プラチナ箔と24Kの純金箔で仕上げた「黄金の蔵」があります。

  • ひがし福光屋。風情ある街並みに構える店内では、米醗酵から生まれた日本酒や食品、器など手土産におすすめの品々を販売、バーでは酒と肴、酒蔵のスイーツをいただけます。<br />

    ひがし福光屋。風情ある街並みに構える店内では、米醗酵から生まれた日本酒や食品、器など手土産におすすめの品々を販売、バーでは酒と肴、酒蔵のスイーツをいただけます。

  • 旧かみや主屋・土蔵。旧かみやの間取りは明治初期の茶屋建築の典型です。内部は数奇屋風にまとめられ、現在は、「茶屋美人」の店舗として営業しています。

    旧かみや主屋・土蔵。旧かみやの間取りは明治初期の茶屋建築の典型です。内部は数奇屋風にまとめられ、現在は、「茶屋美人」の店舗として営業しています。

  • 森八 ひがし二番丁店。寛永2年(1625年)に菓子屋として創業以来、森八は390年の歴史を持つ落雁の老舗です。この店舗は、伝統的な茶屋建築の旧松島屋を改修しました。

    森八 ひがし二番丁店。寛永2年(1625年)に菓子屋として創業以来、森八は390年の歴史を持つ落雁の老舗です。この店舗は、伝統的な茶屋建築の旧松島屋を改修しました。

  • 突き当りまで来たので駐車場に戻ります。<br />ともかく時間がなくて、一筋だけを歩き、お店に立ち寄ることもできませんでした。<br />兼六園か、ひがし茶屋街か、どちらか一つにしたら良かったのに残念でした。

    突き当りまで来たので駐車場に戻ります。
    ともかく時間がなくて、一筋だけを歩き、お店に立ち寄ることもできませんでした。
    兼六園か、ひがし茶屋街か、どちらか一つにしたら良かったのに残念でした。

  • 金沢駅に戻り、金沢百番街にある8番ラーメンに入りました。北陸3県では通称「8番」と呼ばれるチェーン店です。野菜たっぷりのチャーシュー麺と餃子を美味しくいただきました。朝食抜きだったので、格別でした。

    金沢駅に戻り、金沢百番街にある8番ラーメンに入りました。北陸3県では通称「8番」と呼ばれるチェーン店です。野菜たっぷりのチャーシュー麺と餃子を美味しくいただきました。朝食抜きだったので、格別でした。

  • 金沢駅では団体入場したので帰りの切符を持っていませんでした。どうするのかなと思っていたら、長野駅の手前で渡されたのが、この「証明書」でした。<br />これで大宮駅で降りたのですが、この「証明書」では在来線に乗り継ぐことはできず、一度駅の改札を出てから、切符を買う羽目になりました。<br />お陰様で、1本後の電車になってしまい、自宅に帰るまでに30分も無駄にしてしまいました。これは旅行会社とJRで調整してほしい問題です。<br />とにもかくにも無事に帰宅できたので、感謝です。<br />最後までお読みいただきましてありがとうございました。

    金沢駅では団体入場したので帰りの切符を持っていませんでした。どうするのかなと思っていたら、長野駅の手前で渡されたのが、この「証明書」でした。
    これで大宮駅で降りたのですが、この「証明書」では在来線に乗り継ぐことはできず、一度駅の改札を出てから、切符を買う羽目になりました。
    お陰様で、1本後の電車になってしまい、自宅に帰るまでに30分も無駄にしてしまいました。これは旅行会社とJRで調整してほしい問題です。
    とにもかくにも無事に帰宅できたので、感謝です。
    最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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