2022/09/02 - 2022/09/02
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金沢で飴を買った先輩でしたが、「おわら風の盆を見たい」「どうしても見たい」と新たな希望を口にします。
新たな希望と言っても数年前から聞いていたので、今年もツアーに申し込みをしていました。コロナ禍で一昨年、昨年と中止になってしまった「おわら風の盆」ですが、今年は開催が決まり、クラブツーリズムに申込んだ『おわら風の盆と金沢名所めぐり 2日間』の催行も決まりました。
今回のツアーは、<バス1台あたり40名定員/相席なし/ワクチン・検査パッケージ適用ツアー>一人49,900円というもので、出発日が9月1日、2日、3日となっていました。予約したのは春頃で、特に理由はなかったのですが、金曜日と土曜日に組まれている2日出発を選びました。旅人の勘でしょうか。これが、幸いしました。
ツアー行程表(予定)
1日目 9/2(金)
東京(ゆっくり10:24~12:24発)-大宮(途中乗車可)新幹線はくたか号・禁煙席-富山-【移動:約15分】--富山市内(白エビを含む富山湾鮨の夕食)--【移動:約30分】-越中八尾(おわら風の盆を観賞)-【移動:約70分】-金沢(泊)
お食事: 朝:× 昼:× 夕:〇
宿泊:ホテルクラウンヒルズ金沢 076-261-3100
2日目 9/3(土)
金沢(ゆっくり10:00出発)--【移動:約10分】-兼六園(日本三名園のひとつ)-【移動:約10分】-ひがし茶屋街(石畳が美しい風情ある街並み)--【移動:約10分】-金沢新幹線はくたか号・禁煙席大宮(途中下車可)-東京(16:52~17:52着)
お食事: 朝:× 昼:× 夕:×
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
富山駅前。
国内旅行でツアーを利用するのは久しぶり。 -
行程表の「富山市内(白エビを含む富山湾鮨の夕食)」というのは、夕食までの約2時間半が自由行動という意味でした。
楽々ツアーのつもりで何も考えていないから、いきなり自由行動と言われても戸惑います。 -
消火栓の蓋。とりあえず城址大通りを南へ進みます。
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マンホール蓋。チューリップがデザインされています。
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2時間半って微妙な時間です。どうせなら3時間以上あれば富山港船で港まで行きたかったのに。富山城址公園を目指すことにしました。
こちらは富山県農協会館。実に立派です。 -
NHK富山放送局。
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NHK富山放送局のマスコットキャラクター「きとっピ」。
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NHK富山放送局。
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富山県出身の彫刻家・松村外次郎氏の「こだま」。
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富山市役所。
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富山駅から南へ延びるこの道は、ノーベル街道と名付けられています。
田中耕一氏、利根川進氏、梶田隆章氏、小柴晶俊氏、白川英樹氏という5人のノーベル賞受賞者と関わりがあるそうです。 -
草むらの中にも彫刻。
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富山県出身の鋳金家・大角勲氏の「縄魂弥才」。
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和歌山県出身のガラス造形作家・西中千人(ゆきと)氏の「創地」。
この作品はガラスケースに納められていました。 -
松川に浮かぶ「滝廉太郎Ⅱ世号」。
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松川に架かる塩倉橋。
昭和26年(1951年)に架橋、昭和39年に拡幅、平成21年(2009年)に欄干を新設しました。
富山城内に富山藩の塩の蔵があったことから命名された橋です。 -
松川。かつて神通川が富山市中心部を蛇行して流れていたときの名残です。全長2.4km。川の両岸は桜並木になっています。
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松川茶屋。松川遊覧船乗り場と滝廉太郎記念館を兼ねています。
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富山市まちなか観光案内所。
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鎧などが展示されていました。
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富山城址の石垣。
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富山城址公園(7.06ヘクタール)の全景。
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富山市佐藤記念美術館。
富山県砺波市出身の実業家であり茶人でもあった、故佐藤助九郎氏が中心となり、昭和36年9月に(財)佐藤美術館として開館しました。
館内には展示室のほかに、佐藤家より「助庵」「柳汀庵」の2席の茶室とともに、総桧造りの書院座敷が移築されています。
時間がなくて、泣く泣く見学を諦めました。 -
茶筅塚。昭和53年に北日本茶会が建立しました。
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茶筅塚。文字は京都、大本山妙心寺参務の盛永宗興老師の筆です。
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本丸亭。茶室・碌々亭と増築棟の総称です。
碌々亭は飛騨高山にありましたが、故佐藤助九郎氏が譲り受け、その後富山市に譲渡され、平成26年にこの地に移築しました。 -
本丸亭。平成28年に建てられた増築棟の玄関です。
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富山藩二代藩主・前田正甫(まさとし)公の像。昭和29年建立、高さ10m。
寛永16年(1639年)、加賀藩三代藩主前田利常公が隠居に際し、次男の利次に富山10万石、三男の利治に大聖寺7万石の分封しました。その利次公の二男が正甫公です。 -
前田正甫公像。金沢藩の支藩として成立した富山藩は、越中国内の良い土地を金沢藩がおさえていたため、10万石といえど財政は楽ではなかったそうです。
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まだまだ奥に広がっています。
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殉職警防團員之碑。昭和15年建立。
昭和20年8月2日、米軍による富山大空襲でも焼けませんでした。 -
富山城は、昭和29年に完成した3層4階建ての城郭を模した建物で、城の内部は、富山市郷土博物館となっています。
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富山市郷土博物館は、中世以来の富山城の歴史を紹介する博物館として、また、戦災復興期を代表する建築物として、国の登録有形文化財に登録されています。
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戦国時代の井戸跡。富山市佐藤記念美術館の真向かいにありました。
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城壁の外。
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歌人・藻谷銀河氏の歌碑。米軍の富山大空襲に罹災し、藻谷氏は火傷を負い1週間後に亡くなりました。
夕まけて
こゝろ寂しくなりにけり
遠く澄みたる
ひぐらしのこゑ -
高浜虚子門下で、俳句結社「辛夷」を主宰した前田普羅(ふら)氏の句碑。
関東大震災によって全て失った翌年、富山県に転居していた前田普羅氏ですが、彼も富山大空襲に罹災し、富山永住を諦めることになりました。
わが俳句は俳句のためにあらず、
更に高く深きものへの階段に過ぎず -
古城の春 顕彰碑。昭和41年建立。作詞・中山 輝氏。
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千歳ヶ浜観音堂。かつて松川の流れは神通川の本流であり、この辺りには深い淵があったそうです。桜木町の遊女や仕事に疲れた市民が身を投げたことから、その霊を鎮めるために祀られました。
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千歳ヶ浜観音堂。富山藩の千歳御殿に近いことから、この辺りの河岸を千歳ヶ浜と呼んでいたそうです。
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千歳桜の碑石。千歳御殿の周りに多くの桜を植えたことから、千歳桜と呼ばれていました。
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新聞少年の像。昭和38年、新聞の戸別宅配制度のシンボルとして建てられました。
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新聞少年の像。彫刻家・角田蘇風(すみたそふう)氏の作品。
和歌山城のお堀端にある和歌山市児童女性会館前にもほぼ同じ像が立っているようです。 -
国際児童年の碑。昭和54年建立。
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14時になり、松川遊覧船に乗船しました。
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松川遊覧船、まずは上流へ向かいます。
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風洞No.1。大成浩氏の作品。
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松川遊覧船から七十二峰橋(しちじゅうにほうばし)。
昭和28年頃、最初に橋が架けられたとき、立山連峰の七十二峰を一望できたことから、当時の富川保太郎市長によって名付られました。 -
七十二峰橋の手前に東屋があります。
東屋のその奥にちょっと見える赤い橋は景雲橋(けいうんばし)で、富山城北側堀の名残りの池に架かっています。 -
七十二峰橋。この橋は、平成4年(1992年)3月、松川周辺環境整備事業の一環として架け替えられました。高欄には富山を表す花などが描かれています。
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安住橋(あずみばし)。
富山城がかつて安住城と呼ばれたことに因んで名付られています。 -
曼 - 0。岡崎星秀氏の作品。
松川の岸辺は、松川べり彫刻公園と呼ばれ、たくさんの彫刻が展示されています。 -
安住橋。神通川から松川になって、最も早い昭和8年(1933年)に鉄筋コンクリートアーチ橋として竣工しました。上を路面電車が通り、下流の桜橋とこの安住橋は、ツインの市街橋として設計されたようです。
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松川に流れ込む支流に架かる橋。
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舟橋(ふなはし)。平成元年(1989年)9月に竣工。
越中神通船橋の跡に架かるので、舟橋と名付けられた。 -
神通川舟橋跡。日本三大船橋の中で最大の「越中神通船橋」の跡。
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舟橋。越中神通船橋は、64艘の舟を一列に並べ、その上に板を敷いた船の橋でした。
ここでUターンしました。 -
安住橋。高欄は、「ガラスの街とやま」にふさわしく、立山連峰と松川、太陽と青空をイメージしたガラス製のものです。
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七十二峰橋の高欄に立山連峰のイメージ。
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遊覧船乗り場を過ぎて下流へ向かいます。
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華明橋(かめいばし)。
橋の上に作られた街灯は、大正2年(1913年)、富山市で初めてのガス燈がこの近くで点灯されたことから、それをイメージしています。
現在の華明橋は、平成9年(1997年)6月に架けられました。明治以降、桜木町が華やかになり、ぼんぼりの灯も明るい歓楽街となったため、華明橋の名前が付けられたそうです。 -
桜橋(さくらばし)。長さ15.5m、幅21.9m。
昭和10年(1935年)に竣工。石造りの親柱や美しいアーチ型のシルエットは完成当時の姿です。
橋の上を路面電車が通っています。国の登録有形文化財。 -
桜橋(有形文化財)の高欄。
紹介した7つの橋は、松川七橋と呼ばれています。 -
もう少し下流へ進みます。
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いたち川との合流地点にアオサギがいました。
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いたち川に架る今木橋(いまきばし)。昭和49年(1974年)3月に竣工。
南北に流れるいたち川に、西側から松川が合流しています。 -
合流地点で再びUターンして戻ります。
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富山市役所。
松川の両岸は桜並木になっていて、「日本さくら名所100選」に選ばれています。 -
富山県民会館。
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遊覧船を下船して、歩いて富山駅に戻りました。
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富山駅前からツアーバスに乗り、池田屋安兵衛商店に来ました。この大きなビルの1階が展示館になっていました。
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反魂丹(はんごんたん)の歴史などが紹介されていました。
反魂丹の歴史は、富山藩の二代藩主・前田正甫公の薬草研究から始まったようです。城内には立派な薬草園までありました。
そして備前の医師・万代常閑(まんだいじょうかん)から製法を伝授された反魂丹を、城下の薬種商・松井屋源右衛門に命じて製造を始めました。以来、藩の厳しい統制の下、原料の品質や効き目の確かさで確固たる地位を築き上げました。 -
富山の薬売りは、置き薬(先用後利)という独特の販売方式を構築し、全国津々浦々、どんな辺鄙な場所までも薬を届けました。
明治政府による西洋医学の導入は、それまでの日本の伝統薬を否定することになりました。
池田屋安兵衛商店は戦後まもなく薬の製造を始め、越中反魂丹を現代の人々にも通用する新しい形の和漢薬として復活させ、今に続いています。 -
池田屋安兵衛商店。
創業昭和11年、初代池田実がこの場所に和漢薬種問屋として暖簾を掲げ、戦後まもなく「反魂丹」の製造販売を始めました。
現在も日本の伝統薬を中心に、和漢薬の世界を追及しています。
和漢薬は、症状のほか、その方の体力や体質に応じて処方するため、お客さまとしっかり向き合う座売りという販売を行っていました。 -
富山湾鮨 の写楽。
富山の海の幸を提供しているお寿司屋さんです。 -
富山湾で採れた新鮮な魚介と、富山産のお米でつくられたお寿司です。
美味しいいただきました。 -
いよいよ越中八尾へ移動します。
どうやら、今夜は雨は降らなそうです。
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